神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第1章 その翼は何色に染まるのか

23話 岩端飛鳥

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「岩端先輩、ありがとうございます」
「いや……その……お礼を言われるようなことは何も」

 未だ自分の行動のせいで心落ちつかない岩端に、灯真は深く頭を下げた。彼が推してくれなければ、土屋の発言がなかったのは間違いない。

「ディーナ、一緒に仕事をしている岩端 飛鳥さんだ」
「岩端 飛鳥……さん……」

 灯真の細い体を盾にしながら、ディーナはじっと岩端のことを見つめる。ルイスと初めて会った時と同じで、彼の顔と名前を自分の頭の中にある情報と照らし合わせている。

「えーっと……ノガルダさん……で、いいのかな。よっ……よろしく」
「黒き剛拳、カルブ ディルトスティフス……」
「え?」

 この職場の中でも知っている人がいるかどうか怪しい岩端の魔法名が、今日初めてきたディーナの口から出たことに一瞬驚いた岩端だったものの、よく考えれば灯真はそれを知っている。彼が教えたのだろうと自分の中で納得させていた。

「ディーナ、お礼を言うのが先だ。先輩がいなかったらディーナと一緒に仕事ができなかったかもしれないんだ」
「あの……ありがとうございます!」

 灯真に促されると、ディーナは彼の後ろから前に出て同じように深々と頭を下げた。どうしても目に入ってしまう彼女の胸元に、頬を赤く染めながら岩端は目線を逸らした。ふわっと揺れた長い髪からシャンプーの微かな香りが岩端の鼻に届く。

「いえ、いいんです。僕は思ったことを言っただけで」
「ディーナのことで色々と面倒をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします。ディーナも……」

 灯真が話をしている間に頭を上げていたディーナは、作業をしている他の職員たちを見回しながら、一人首を傾げていた。

「ディーナ、どうかしたか?」
「ここにいる方々は、みんな調べ物をする魔法を使えるのですか?」

 ディーナがそう感じたのは、彼女がそこにいる全員の顔と魔法名を一通り確認したからである。彼女の言葉を聞いて、近くにいた岩端が静かに肩を落とす。

「そういうわけじゃないんだ。実際に俺の魔法も、そういうことには使えないだろう?」
「あっ……そうでした」
「魔法は1人1つしか習得できないし、かといってどんな魔法を覚えるのか選択できるわけじゃない。調査に役立つ魔法の使い手だけを集めるのも大変すぎる。だから俺たちはこいつを使う」

 そういって灯真が見せたのは、発光結晶ルエグナとチェーンに繋がれた透明な球体。ディーナが球体を覗き込むと、中には黄色の液体が入っているように見える。

「これは……?」
「こっちの四角いやつが発光結晶ルエグナ魔力残渣ドライニムが近くにあると光る不思議な石だ。そしてこっちの丸いのが魔道具マイト。魔法を記憶することができる道具で、こいつの中には一定空間内に残った人の思いを映像化して見る魔法が記憶されてる。他にもあるが、俺たちは主にこの二つを使って調査をするんだ」

 灯真が発光結晶ルエグナをディーナに近づけると、内部から弱い光を放ち始める。色は濃さがわずかに違う2色の水色。

「おかしいですね、この部屋の中で魔法使ってる人なんて……」
「すみません、たぶん俺です。練習しておかないといざという時使えないと思ってたまに……」

 練習なんてことは大嘘。念には念をと、灯真は今朝外に出る時から自分の魔法で作り出した羽をディーナの周囲に気付かれないように飛ばしている。発光結晶ルエグナの光は二種類だが、もう一つの方も灯真には心当たりがある。

「もう一つの光はディーナだと思います」
「ノガルダさん? でも、話では彼女は魔法使い予備群でまだ魔法は覚えてないはずじゃ?」
「そうなんですが……魔力の存在は認識できていて、無意識に活性ヴァナティシオを使ってしまうようで……」
活性ヴァナティシオを?」

 間違ったことは言っていない。ディーナは無意識に活性ヴァナティシオによる身体強化状態となっており、灯真を抱きしめた時の異常な力もこれのせいである。君島が初めてディーナを見た時にあふれ出ていた魔力は、この活性ヴァナティシオをコントロール出来ておらず、使い切らない魔力が外に垂れ流しになっていたからではないかと結論付けられた。

「両親を亡くした後、彼女が一人で暮らして来れたのもそのおかげだとか」

 そんなことがあるのだろうかという疑問が岩端の中に浮かび上がる。活性ヴァナティシオは、自分の中の魔力を認識できるようになったからといって、自然に使えるような技術ではない。

(何か話せない事情でもあるんだろうな……)

 灯真の方が自分よりも魔法の知識が豊富であることは、岩端もよく知っている。そんな彼が、魔法使いの常識とも言えるこのことを知らないわけがない。魔法の話をするとき、いつも機械のようにスラスラと説明が出てくる彼にしては、少し言葉を選んでいるようにも聞こえる。

「それだと……調査の時困りますね。しばらく報告書に定型文でいれておいた方がいいかも」

 これ以上彼女の件を深く掘り下げるのはよろしくない。面倒なことを避けるため、人の顔色を伺って生きて来た岩端の本能がそう告げていた。深入りすべきではないと。一方で灯真は、これ以上追求されなくて済んで心の中でホッとしている。

「今日は調査には出ないので、次までにあると助かります。すみません」
「いいですよ、こっちの仕事ですし。如月さんがドルアークロに行ってる間にうまくやっておきます」

 協会ネフロラでは魔法を用いて罪を犯したものたちを収容する施設を独自に運営している。その中でも、魔法をコントロールできず暴走させてしまった未成年者を収容しているのが『ドルアークロ』。ヴィルデム語で「果樹園」という意味を持つ。灯真はそこで定期的に魔法の訓練をさせられている。

「もう仕事は出来てるんだから、訓練はいらないんじゃないですか?」
「この会社に入るまで魔法とは無縁の生活だったので……仕方ないです」

 その訓練は、灯真が調査機関ヴェストガインで働くにあたって出された条件としてルイスから提示されたものだ。事情を知らない他の職員たちからすれば、灯真は遅咲きの魔法使い初心者であるため、そういった訓練を受けていなければ不自然だと説明された。実際に訓練に参加してやらされていることを考えると、実は使だけではないか思えてしまうが、生活のために仕方ないことだと灯真は割り切っている。

魔道具マイトを問題なく使えているのに……熱心なんですね」

 魔道具マイトを上手く使えてさえいればいいじゃないかと、灯真は岩端がそう言っているように思えた。

(そういう考えが主流なんだろうか……)

 魔道具マイトは便利なものだが、自分の魔法はそれとは関係なく鍛錬すべき。灯真はそう教わった。

 魔法も魔道具マイトも、自分の魔力を使うことに変わりはない。しかし魔力のコントロールを身につけるためには、自分の魔法で訓練するしかない。なぜなら魔道具マイトは、多少魔力のコントロールが下手でも一定の効果は得られてしまうため訓練には向かないのだ。しかも使用回数制限があり何度も使える物ではない。新しく手に入れるには協会ネフロラに申請して、承認を得なければならない。
 
魔道具マイトが普及すれば、色々な魔法を使えるようになってたくさんのことができるのに」
「スレウトン エクロフィン イレーアラン、トスリーフ(他者の力に頼るなら、先ず)……」
「え?」

 それは本当に小さい声の、灯真の独り言だった。彼の口から出た馴染みのない言葉に、岩端は思わず聞き返す。

「いえその……魔道具マイトは便利ですが、自分の魔法は自分だけのものじゃないですか。だから、せっかくなら上手く扱えるようになりたいなって……」

 灯真の言ったことは、魔法使いたちが一度は必ず考えることである。岩端も幼い頃は同じような考えを持っていた。しかし現実はそう甘くない。自分の魔法が現代社会で大して役に立たないと理解するのに、長い年月は必要なかった。 

「自分がやりたいことに使えなかったら、何の意味もないですよ」

 決して大きな声ではない。だが岩端の口から出たのは、いつもとは違う憤りを感じるような強い言葉だった。

「……すみません……生意気なこと言ってしまって」

 魔法は人の数だけ存在する。だから、それに対する考え方も使い方も人それぞれ。自分の考えを押し付けるのも、相手の考えを否定するのもよくはない。岩端に謝罪する灯真の頭の中に懐かしい声が蘇る。

『エルトリト デネラルテトラーカド、ネォトィン ディエルォーシナ!!(ちょっと覚えたからって、調子に乗るんじゃないの!)』

 それは灯真がずっと昔に言われた言葉。決して思い出すことがなかった彼女の怒った声。懐かしさよりも驚きの方が強く、灯真は岩端の後ろにある何もない壁の方を見たまま動きを止めた。

(どうして急に……)

 これまでいくら過去のことを思い出しても、灯真の頭に浮かぶのはいつも息絶える彼女の姿と彼女を抱えた後の血塗れた手。それが辛くて、思い出さないように記憶に蓋をしていたはずだった。自分に起こっている変化に灯真が困惑する中、岩端は一度彼が見つめる先に何があるのかと確認をする。岩端の目に映るのはただの白い壁で、特に何かあるわけではない。再び灯真の方を見ると、何かを注視しているというよりただ目線が壁の方に向いているだけでボーッと、心ここにあらずといった様子だ。

「きさ——」
「灯真さん」

 岩端よりも早く声をかけたのはディーナだった。不安そうな表情の彼女は、黒い人型に「よろしく頼む」と言われたことを思い出す。具体的に何をしたらいいのかわかっているわけではない。ただ自然と彼の右手を力強く握りしめ、彼のそばで名前を呼んだ。
 灯真を現実に戻したのは岩端やディーナの声ではなく、右手に感じる痛みだった。握りつぶされてしまうと錯覚するほどの強烈なそれに、灯真の顔は青ざめていき口がわずかに開いたものの、あまりの激痛は悲鳴をあげる術を忘れさせる。ゆっくりと自分の手を見ると、ディーナが両手でしっかりと握りつぶし……握りしめているのが見える。

「ディー……ナ?」
「灯真さん!」
「い……痛いんだが……」
「え?」

 灯真が震える左手で彼女の手を指すと、ディーナは彼の訴えが自分の握る右手であると気付きすぐに手を離した。痛みを落ち着かせようと、灯真は目を閉じてフーッと静かに息を吐く。ゆっくりと潰されていた右手を動かすが、特に痛みが強くなる様子もなく骨には異常がないようだ。

「ごめんなさい……」

 力加減を気をつけるように灯真から注意は受けていた。ダメと言われていた頭の下げ方をしたこともあって、ディーナは肩を竦めしゅんとしている。そんな彼女の頭を灯真は優しく撫でる。それはまるで犬や猫を撫でるように自然に。

「ちょっとずつ直していけばいい。すぐに全部直せたら誰も苦労はしない。いいな?」
「……はい」

 目を閉じて頭を撫でられる喜びに浸るディーナ。その姿はまるで、親に慰められている子供……いや、飼い主に優しく躾られているペットの犬だろうか。近寄りがたい空間が出来上がるのを目撃した職員たちの間に激震が入る。理由は二つ。灯真が躊躇う様子もなく女性の頭を撫でたこと。そして撫でられているディーナがそれを喜んでいること。それは職員たちにとってあまりにも衝撃的な光景で、横目で伺っていた彼らはまるで時間が止まったかのように仕事の手を止めた。

(あの二人……まさか……)

 灯真にはこれまでたくさんの噂が流れている。中には女性関係のものも少なくない。今の二人のやりとりによって、その場にいた職員たちの頭の中に新たな仮説が立てられる。

(頭を撫でても大丈夫な仲となると、やっぱり確定か?)
(もしかして、この前の休みも彼女を日本によこすための準備……)
(社長からの指示も出てるってことは、公認の仲ってわけよね)
(あいつのどこがいいんだ?)

 様々な憶測が職員たちの頭に浮かび上がり、目の前で見ている岩端も声をかけていいのかわからず佇んでいる。そんな中ただ一人、彼らに近づいていく者がいた。主任の土屋だった。

「仲良くしているところ悪いが、ちょっといいか?」
「主任? なんでしょうか」

 灯真の手が離れたことに気がつき、それを惜しむディーナの口から「あっ」と声が漏れる。だが、土屋の存在に気がつくと彼女はすぐに灯真の後ろに隠れようとする。慌てて移動した先で立ちすくむ岩端と目が合い、再び元の位置に戻ろうとするが今度は土屋と目が合う。隠れる位置に困ったディーナは思わず灯真の右腕にしがみ付いた。
 彼女に引っ張られて体を傾けながら、灯真はディーナの様子を伺う。松平に会った時のような強い恐怖は伝わってこない。ただ初めて会う人々に緊張している。いわゆる人見知りというやつのようだ。

「ディーナ、この人たちは君島さんと同じでいい人たちだよ」

 灯真がなんと言おうと、ディーナは右手から離れようとはしない。諦めた灯真は土屋に申し訳なさそうに軽く頭を下げる。そんな彼に土屋は右の掌を向けて軽く頷く。

「そのままで構わない。このあとドルアークロへ行くのに車を使うだろう?  岩端も乗っけて一緒に行ってくれ」
「はい!?」

 灯真よりも驚いているのは、彼の後方にいる岩端だった。

「如月をフォローするって言っただろう。通常業務とは違うが、施設のことを説明するにはちょうどいい機会だ。ちゃんと彼女に教えられるか確認してこい」
「……わかりました」

 現場に一緒に出るだろうと覚悟はしていた。しかし、ドルアークロの説明とはいえ灯真の訓練にまで参加させられるとは思っておらず、岩端は肩を落としていた。

「法執行機関(キュージスト)の訓練ならまだしも……施設の子供達の練習なんかに……」
「口頭で構わんから報告も忘れずにな」
「……はい」

 岩端の溜息交じりの返事を聞いて普段は見せないにこやかな笑顔を見せると、土屋は自分の席へと戻っていった。

 (やられた……)

 土屋があんなにも簡単に灯真のことを許諾したのは、もちろん彼の意思を尊重したいというのも事実だろう。しかしそれ以外にも理由がある。岩端はそれに気付いてしまった。


* * * * * *


「主任、なんで岩端も一緒にいかせちゃったんすか!?」
「そうよ。唯一の情報源なんですよ? 休憩時間に色々聞き出すつもりだったのに」

 灯真たち3人が事務所を出た後、土屋のところに職員たちが一斉に駆け寄って行く。原因は彼が岩端に出した指示だ。

「みんなの言いたいことはわかる。だが、これも作戦のうちだ」

 土屋たちの話に耳を傾けつつも、紅野は心の中の蟠(わだかま)りを払拭できず苛立っていた。

「あんな奴の何がいいっていうんだよ……」

 調査員としての実力も、職員たちの信用も、灯真より高い位置にいる。紅野にはこの仕事を長く続けてきたプライドがある。魔法使いとしても幼い頃から自身の魔法を鍛えており、ランクも今は2段階目のロムナーだが次の昇格試験を受けないかと推されている。20代後半でようやく魔法の力に目覚めたような若輩者に負ける気はしない。

「いずれみんな理解するさ……そうなったら……」

 そういうと紅野はスマートフォンを取り出し、一通のメールを送る。「如月は例の子と一緒にドルアークロに向かった」と。


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