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第1章 その翼は何色に染まるのか

25話 戦闘訓練

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(僕は……何を見ているんだ……?)

 子供達と共に岩端、ディーナの二人は目の前で繰り広げられている光景に見入っていた。小さな子供達は、まるでテレビ番組に夢中になっているかのように口を開けたまま。ディーナも全く同じ反応をしているが、それは彼女がまだ誕生して5歳であることが伺える反応といえよう。子供達の中でも最年長である来栖は、森永と灯真の一挙手一投足を見逃すまいと食い入るような目をしている。

 しかし岩端は一人、開いてしまう口を手で塞ぎながら、二人の攻防が現実であるということを認められず自問自答を続けていた。


* * * * * * 


 玄関を入り森永に案内された先にあったのは、整地され木も草も生えていない広野だった。小学校の校庭を思い出させるその広い土地を一望できる縁側に、20人ほどの施設の子供達が横一列になって座っていく。一番小さい子は10歳に満たない。この子達が全員、一度は自分の魔法によって問題を起こしているのかと思うと、岩端は複雑な気分であった。
 灯真は用意されていたサンダルを履き建物の外へと出る。遠くの空に波状雲が見られるが、目の前の広野は陽光に照らされ夏は終わったというのにスーツでは少し暑いと感じる。このまま部屋着に着替えてのんびり昼寝でもしたらどれほど心地よいかと、灯真はボーッと空を見上げた。

「これ、使ってください」
「あっ……ありがとうございます」

 来栖が用意した座布団を廊下に敷くと、岩端は礼を言って腰を下ろす。ディーナもそれに習って頭を下げてから座る。
 灯真が空いていたディーナの隣に腰を下ろした来栖に向かって一礼すると、彼は少し恥ずかしそうに頭を掻きながら礼で返した。灯真が初めて会った時は気遣いができる男とは想像もできなかったが、来栖の本来の性格なのかあれから変わったのか、どちらにしろここに来たことがプラスに働いているように見え、灯真は肩の荷が下りたような気持ちになる。
 灯真から伝わってきた感情が気になったディーナは、隣に座った来栖に興味を抱きじっと見つめる。

「なっ……何すか?」

 ディーナからの視線に気まずくなったのか、来栖は照れながら尋ねた。だが返事はない。大きなターコイズブルーの瞳で見つめる彼女のことを一瞬だけ横目に見たが、彼女の整った顔立ちのせいかそれとも彼女から感じる妙な色気のせいなのか、目を合わせていられず頬が赤く染まっていく。

「時間はひとまず5分位でいい?」
「わかりました」
「あっ、時間は俺が計ります」
 
 ディーナによる緊張から逃げ出すチャンスとばかりに声を出した来栖は、ポケットから取り出したスマートフォンで5分のタイマーをセットする。

「私はいつでもいいよ」

 灯真と同じくサンダルを履いて建物から離れていく森永は、歩きながら首、肩、手首、膝、足首と順々に柔軟を行って準備を整えている。土の色が濃い茶色に変わったところで足を止めた。

「俺の方も大丈夫です」

 暑さに耐えられそうにないと感じた灯真は、着ていたジャケットをディーナに預ける。突然上から服が降りてきて、来栖を見つめていたディーナは驚き灯真の方に顔を向き直した。その様子を見て肩を竦めた灯真は、森永の正面12~3歩離れた位置まで歩いていく。森永のように準備体操はせず、2~3回深呼吸をするのみ。二人の距離はおよそ5メートル。相対する二人に流れ始める緊迫した空気を感じ取り、岩端とディーナは息を呑んだ。

「5秒前からいきます。5、4…」

 来栖がカウントダウンを始めると、子供達も声を揃えてカウントを取り始める。岩端達と違い来栖や子供達は、これから観れるものがわかっているからか興奮状態にあった。カウントと同時に立ち上がる子もいる。

「「「3、2、1、始め!」」」


* * * * * *


「すごい……」

 憧れの存在であった森永の魔法を目の当たりにして、普段の岩端であれば喜び見入っていただろう。しかし彼は今、それ以上に気になっていることのせいで頭の中の整理が追いついていない。

 森永の魔法……『ラウト・アウスギード水の鋸刃』。彼女の指先から放出され意のままに宙を流れる水は、その勢いから生まれる水圧によって敵の捕縛から物体の切断まで可能とする。法執行機関キュージストにおける魔法危険度指標A級に分類される強力な魔法だ。
 それに対して灯真の魔法『ドレイス・ゼーファ盾の羽」は珍しい守りの魔法であるものの、一枚一枚の羽の耐久度は低く防御面も小さい。攻撃性が少なく稀有な魔法ということでD級に位置するが、その中でもD-3級……脅威にはならない魔法とされる。この指標を使う魔法使いたちの間では、役に立たない魔法とも揶揄されているランクである。だが、そんな彼の魔法が森永の水を全て防いでいる。彼女の攻撃によって地面は水浸しだが、灯真の周囲だけは乾いており彼自身に水が届いていないことが窺える。

「ありえない……何がどうなって……」
「次、行くよ!」

 岩端が現実を受け入れる時間もないまま、森永の次の攻撃が始まる。彼女の右手の人差し指から出た細い水が、勢い良く灯真に向かって飛んでいく。それを一歩後ろに下がって回避する灯真。しかし、彼の横を通り過ぎた水は弧を描き森永の人差し指まで戻ると、灯真の胸の高さで彼を囲う流れを作った。
 触れたらその流れの中に巻き込まれてしまいそうなこれこそ、ウォーターチェーンソーやウォーターグラインダーという異名を持つ彼女の魔法の真骨頂。水流の速さは、森永が本気になれば鉄を豆腐のように切るほどの水圧を生み出す。捜査員時代、森永が犯人の立て篭もる工場を粉々に切り刻んだ事件は、法執行機関キュージスト内部で半ば伝説と化している。

「これならどう!?」

 森永は何かを引っ張るように水を出していた人差し指を肩に引き寄せる。すると、指は水流から離れ、水の鋸ともいうべき輪だけが宙に残った。流れる勢いを増しながら、輪は次第に小さくなり灯真へ迫っていく。

「今度こそ突破させてもらうよ」

 ニヤリと口元を緩める森永だったが、四方から襲いかかった流水は灯真から30センチほど離れた位置で何かに接触した。そこにあったのは灯真が仕込んでいた、彼の魔法で生み出した羽。見えない盾に邪魔をされ輪はそれ以上小さくなっていかない。激しく飛び散る飛沫と音が、水の勢いがどれだけ強いのかを物語っている。

「如月さんの魔法じゃ防ぎきれないはずないのに、どうやって……」

 岩端の知る限り、灯真の魔法は森永の魔法と相性が悪い。当たれば威力が落ちる銃弾のようなものであれば、羽を何枚も重ねることで対処するができるだろう。だが、森永の作り出した水の流れは勢いを変えないし、彼女の意思でその流れは勢いをさらに増していく。だから、どれだけ重ねようと一枚目の羽が破られた時点で灯真の負けが確定することになる。だが、水はいつまでも同じ位置で羽にぶつかり続け先に進まない。
 何より驚くべきは、水の操作をより簡易に行うため腕を動かしていた森永に対し、灯真が目を閉じたままほとんど動かないことだ。

「やっぱあれ、探知デクトネシオで見てんのかな?」
「先生のめちゃくちゃ広いもんな」
「先生の羽、何枚飛んでると思う?」
「水が当たってるところはわかるけど、あとは全然見えないね」

 森永の魔法の動きを、探知デクトネシオで知ることが可能なのは岩端にもわかる。魔法によって生み出され、魔力が込められていれば抵抗が生まれ探知デクトネシオに引っかかるからだ。
 しかし彼の認識では、探知デクトネシオとは魔力の膜を広げて当たった魔力抵抗のあるものを感知する技術である。魔法の動きがわかるのは膜に触れた一瞬。動き続けるものを追おうとするなら、膜を何枚も広げ続ける必要がある。そういった相手には、五感と探知デクトネシオの両方を活用するのが魔法使いとしての基本的戦術、というのが岩端の中での常識である。

「結構いい切れ味にしたつもりだったんだけどね」

 開始してから4分。森永はすでに7回攻撃を仕掛けている。さまざまな方向から水を当てようとしたが、その全てが灯真に届かなかった。彼の羽が的確に水の通り道を塞いでしまう。水の勢いもどんどん強くしているが、羽を破ることができていない。今の攻撃も、丸太をスパッと切れるくらいの力はあったはずだった。これ以上は無駄だとわかった森永は出していた水を止め、次の手を考え始める。
 目を閉じたまま佇む灯真ではあったが、その頭の中には森永だけでなく縁側に座る子供達の姿や、空を通り過ぎる鳥の姿までもが永続的に映し出されている。森永の指の動きも、子供達が息を吸う動きまですべて。力を抜いているわけでも手加減しているわけでもなく、それが灯真にとって一番やりやすい形なだけであった。

(相変わらず動かないね。体術込みならどれだけ楽か)

 この訓練には二人で決めたルールがある。使っていいのは魔法と探知デクトネシオなどの仙術のみ。魔法の操作のために体を動かすことは認められるが、相手への接近は禁じている。法執行機関キュージストに勤めていた森永であれば、接近戦を交えればいくらでも勝機はある。しかし、魔法の訓練という目的の都合でそれを禁じ手としたのだ。
 灯真がここに訓練を行いに来てから、森永は彼の防御を一度も突破できていない。もちろん、万が一攻撃が当たっても大怪我にならないよう水の勢いは緩めにしている。時々少し危ない攻撃もするが、それでも悔しい結果が続いていた。

「全く、楽しませてくれるよ!」

 劣勢でありながら、森永は大きく目を見開き楽しんでいる様子を見せる。そんな彼女の言葉を聞いた灯真が何かを感じ取り、左足を一歩後ろへと動かした。足があった場所の地面から細い水柱が勢いよく吹き出る。それは紛れもなく、森永の作り出した水であった。どこから仕掛けたのかと子供達が予想する中、来栖だけが気付いた。灯真の周囲にある水溜りから水柱が立った位置まで、わずかではあるが一直線に土が盛り上がっていること。

「やった! 先生を動かした!」
「かなえ先生いけー!」

 森永の攻撃は終わりではなかった。左足がまだ地面に着く前を狙って、間髪入れず左の人差し指から放出した水で灯真の背中を狙う。弧を描く激流は彼に届くまで2秒とかからなかったが、やはり手前で羽に邪魔をされて届かない。今度こそと期待していた子供達が肩を落とした。
 羽を突き破らんとする水の激しい音にわずかに意識を奪われながらも、灯真は体制を立て直すべく左足を地面に着けようとした。その時だ。森永がニヤリと笑う。彼女が求めていた展開通りになったからだ。

(本命はこっち!)

 彼女はこの時を待っていた。彼の重心が着地を控える左足の方へ移るその瞬間を。心の中で彼女は叫んでいた。思い描いていた理想の形になったと。
 灯真の周囲にあった水溜りから地面を削り進んだ激流が、灯真の右足に狙いを定める。左足の着地を待っているその一瞬を狙って。もし避けられても、体制を崩された彼の集中力はその瞬間だけ奪われる。そこを狙って確実に灯真をびしょ濡れにする。それが彼女の作戦だったが、それが現実になることはなかった。
 
(危なかった……)

 本当に間一髪だった。足元に水が迫っていることは灯真も気付いていた。彼の使う探知デクトネシオは岩端たち法執行機関キュージストが使うものとは違う。魔力で作った膜を広げるのではなく、魔力そのものを空間に満たす。それにより、動き続けるものであってもずっと感知できる。それは地面の中まで広がっており、左足を狙った水柱に気づけたのもそのためである。

「まさか、自分の羽に乗るなんて」

 地面からの攻撃に気付いていながら灯真が足を動かさなければならなかったのは、彼の羽が地面をすり抜けられないからである。これまでの訓練で森永はそのことを知っていたが、自分の位置から地中を進めたのでは灯真を動かすことは出来ても先に対策を講じられてしまう。彼が羽を展開する隙を与えず仕掛けることが必要だった。だから、彼の周囲に溜まった水を利用した。
 うまくいったと森永は思った。右手に魔力を集中させて体制を崩した彼に一発当てる準備もしていた。しかし彼は、左足の下に羽を集めて足場を作ると、そこに乗ってバランスを崩すことなく右足を浮かせることに成功した。その直後に足元から水が吹き出すが、浮いた足の下に展開した羽は一瞬だけ水を堰き止め、灯真は回避に成功した。移動できた羽が少なかったからか、水柱は数秒後には羽を突き破り灯真の頭上をはるかに越える高さまで吹き上がった。
 彼が体制を崩さなかったことに森永が感心したところで、来栖の持っていたスマートフォンからアラーム音が鳴り響く。右手の集中を解いて被っていた帽子を脱ぐと、タイトショートの黒髪をかき上げながら森永は灯真の方へと歩み寄る。勢いを失った水柱はそのまま地面に落下し大きな水溜まりを作った。

「そんな使い方するとは思わなかったわ」
「高いところのものを取るときに便利です」
「……脚立代わりの魔法のせいで負けたかと思うと、ちょっとショックね」

 そう言いながらも、森永の表情は晴れ晴れとしていた。今回の目的を達成できたからである。

「まっ、あんたの羽を破れたから良しとするわ。やっぱり枚数の問題なの?」
「教えませんよ」
「冗談よ。自力で暴くわ。足元の弱点見つけた時みたいにね」

 どこか活き活きとしている森永を見て灯真は肩を竦める。自分の知りたい答えは誰かに求めるのではなく、自分で探し出す。彼女はここで会った時からそういう姿勢を崩さない。

「何で最後の水はちょっとしか止まらなかったんだろうね」
「それだけ余裕がなかったってことなのかな~」
「でも、下から来るのは気付いてたみたいだし……」

 森永に教育されているこの施設の子供達が彼女に似つつあると、縁側で予想を立てる彼らを見て灯真は嘆息した。
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