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第1章 その翼は何色に染まるのか

27話 散布探知

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「灯真せんせー、遅いよ」
「はやくやろうよー」

 先ほど森永との訓練を行った場所で、子供たちがそれぞれ体を動かし準備運動をしながら待機していた。

「兄貴のお客さんも来てんだから、文句言うんじゃねぇって」
「かずや兄ちゃんこそ、早く来ないかなって気にしてたくせに」
「それ以上言うんじゃねぇ!」

 恥ずかしそうにする来栖のことを見て子供達が一斉に笑い出す。岩端の目にはそれが子供達の、年相応なやり取りに思える。しかし岩端は彼らが何をしたのか知っている。来栖をからかっている男児は住宅3棟を吹き飛ばし、一緒に笑う女児は車数台を爆破させた。来栖の後ろで笑いを堪えている少年は同級生たちを校庭に沈め、来栖を見て呆れ顔をしている少女は大人数名をあわや窒息死させるところだった。
 意図してやったことではないとわかっていても、彼らが甚大な被害をもたらした魔法犯罪者であるという事実は変わらない。そのことに若干の恐怖を抱きながらも、岩端は彼らに羨望の眼差しを向けていた。彼らのような魔法を覚えていたらと。

「全員、間隔をあけて」
「もしかしてまたぁ?」
「またです」
「もういいよ~」
「ちゃんとできたら次にいきます」

 文句を言いながらも、子供達は灯真の言う通り周りとの間隔を広げていく。肩幅程度に足を開き、肩の力を抜いた彼らはそろって目を閉じた。彼らが準備を終えたところで、灯真も彼らと同じように目を閉じる。

「それでは、始めて下さい」

 特に返事もなく誰一人動く様子もなく、静かな時間が過ぎていく。岩端は何が起きているのか理解していないが、ディーナには何か見えているものがあるのか、子供達1人1人の様子を観察している。

「和也、広がりはいいけどもっと薄く」
「オスッ」
「美玲は横を意識し過ぎ。もっと上と下も」
「はい」
「他のみんなはそのまま少しずつ広げて」

 灯真が何を見て指示を出しているのかわからない岩端は、横でキョロキョロしているディーナに勇気を出して尋ねる。

「これは……何をしてるんでしょうね?」
「えっと……でくとねしお? っていうものを練習しているんだと思います」

 岩端はディーナの返答を聞き、ようやく状況を理解する。探知デクトネシオならば目に見えるわけがない。魔力を知覚できるのは君島のような特殊な能力を持っているものだけだ。おそらく、互いに探知デクトネシオを使いあって上手くできているのか見ているのだろう。

(試してみるか)

 あまり得意ではなかったが、岩端も探知デクトネシオの訓練はしたことがある。かなり昔に覚えたものなので、もう何年も使っていないが。
 体から放出した魔力で球状の膜を形成。それを少しずつ外へ広げていく。広げるほどに膜は広がり薄くなっていき、最終的には魔力残渣ドライニムへと変化し拡散する。最初の魔力の量で範囲が変わる探知デクトネシオという技術は、魔力を操作する高い技術を必要とするが魔法使いの家系ではかなり早い段階から練習をさせる。子供の方が直感的に覚えるため、習得が早いからだという。例に漏れず、父親が魔法使いである岩端も覚えさせられたクチだ。

(このくらいかな?)

 子供達全員を確認できる程度まで広げようと、岩端は魔力を集中して膜を作っていく。彼がやろうとしていることに気付いた灯真が止めようとするも時すでに遅く、岩端は作り出した膜を広げてしまった。

「うわっ!」
「あれ?」

 岩端に一番近かった少年が突然驚いた声を上げる。彼だけではなく、他の子供達も次々と何かに驚いている様子だ。中には頭痛に襲われたのか、頭を押さえている子もいる。逆に岩端は、自分が広げた膜で子供達の姿を感知できなかったことに違和感を覚える。ピントが合っていない映像しか見えてこなかった。

「岩端先輩……ダメですよ」
「え?」
「先輩の『エービラル』でみんなの魔力が押されちゃったんです」

 エービラル……魔力同士にある抵抗を利用した技術の一つで、『障壁』という意味。基本的には探知デクトネシオと同じく魔力の膜を作り出すものだが、こちらはより多くの魔力を使って魔力抵抗を強くし魔法に対する壁として利用するものである。

 岩端は探知デクトネシオに使用する魔力の量を多くしすぎた為、子供達が広げていた魔力を押していってしまった。子供達は自分の意思と関係なく感知範囲が移動したことに驚き、急激な変化に耐えられなかった子は目が回ったような感覚に襲われている。
 岩端も障壁エービラルについては知っている。本来は位置を固定して使うそれを、探知デクトネシオと同じ要領で広げて相手の魔力の膜を押し返し、感覚を狂わせる使い方があるというのも話では聞いたことがある。

「そうか、魔力の加減を間違えたから……」
「『アンペクスド』にはあんな使い方もあったんですね。初めて知りました」
「アンペ……?」

 聞いたことがない単語だった。海外支部とのやりとりもあるのでそれなりに英語は話せる岩端だったが、彼の記憶にその単語は見つからない。

「えっと……アンペクスドは『拡張探知』っていう、先輩が使ったような一般的な探知デクトネシオのことです。俺や子供達が使ってるのはエトラスクといって『散布探知』というやつで」
「初めて聞きました……」
散布探知エトラスクは覚える人が少ないって、仙術の資料にも書いてありましたからね」

 本当は「散布探知エトラスクは実用的ではない」と資料には書かれており、初めて見たときそんなバカなと思ったのを灯真は思い出す。余計な詮索をされるのは避けたいので、敢えてそのことは口にしない。

「どうして子供達にそちらを教えてるんですか?」
「どうしてといわれると、俺が使えるのがそっちだからとしか」

 それ以外の理由が灯真にはなかった。むしろ彼は拡張探知アンペクスドを使えない。協会で整理されている仙術に関する資料を読んで初めてその存在を知ったくらいだ。

「それって……僕でもできるものなんですか?」

 灯真の返しに引っかかる感じはあったものの、岩端は彼のいう散布探知エトラスクという技術に興味が湧いた。今まで耳にしたことはないが、目の前にいる自分よりもずっと年下の子供達が使っていると聞いて、誰でも使えるものなのか気になっている。

「ええ。できると思います。俺が使えるようになったくらいですから」

 そういうと灯真は岩端の右手を取る。両手でしっかりと握る灯真の行動に動揺する岩端だったが、すぐにその行動の意味を知ることになる。

「こういう感じでやります」

 それはとても不思議な感覚だった。全身から放出した魔力がゆっくりと空気中に広がっていく。拡張探知アンペクスドのように膜の形を成さず、そのままの状態で煙……いや、もっと薄い靄のように。しかし、肌を掠める風の流れに乗ることはなく、出している本人の意志によって体を中心として均等に四方八方に広がっていった。
 それは、岩端が何かやっているわけではない。手を握っている灯真がやっていることが岩端に伝わってきているのだ。本来なら他人の魔力を感じ取ることは、君島のような異能を除けば、探知デクトネシオのような技術を利用しなければできない。しかし人は、他人の肌に直接触れることによって相手の魔力の流れを感知することができる。この手法は魔法使いの親が自分の子に魔力というものの存在を認識させるために利用され、岩端もかつて親に同じことをされたことがある。あくまで魔力がどのように流れているのかを知るだけで、これによってどのような映像が灯真の頭の中に浮かんでいるかはわからない。だが、すでに魔力の存在を理解している岩端にはこれで十分だった。

(こんなことって……)

 確かにこの方法なら、拡張探知アンペクスドのように膜に触れた一瞬だけでなく、この靄が魔力残渣ドライニムに変化するまでリアルタイムに感知することが可能だ。しかし、灯真のやっていることは簡単に言えば魔力の垂れ流しだ。一歩間違えば魔力を消費しすぎる危険もある。

「これが散布探知エトラスクというやつです」
「こんな使い方をしてたなんて」
「慣れが必要ですけど、動くものを追いかけるのに重宝します。森永さんの水とか」
「そうか、それで!」

 森永との戦いで感じた疑問の一つ、灯真が目を閉じて戦っていた理由がわかり岩端は少し興奮している。この方法でどの程度の像が頭の中に浮かんでくるかはまだ岩端にもわからない。しかし、展開中にずっと周囲の状況がわかるのであれば、視覚情報は逆に油断を生み出し戦いの邪魔になってしまうだろうと岩端は感じる。
 同時に疑問も生まれる。範囲を広げようとすれば、魔力の放出量は増える。その使い方では拡張探知アンペクスドよりも魔力の消費が多いのではないかと。

「そんなに広い範囲に魔力を広げて、大丈夫なものなんですか?」
「大事なのは『薄く伸ばすこと』です。それがうまくできれば、魔力もそれほど消費はしません。やってみたらわかりますよ」
「え? ちょっ」

 そういって灯真は岩端の手を引っ張り子供達のところまで連れていく。

「みんな、もう一回やります。岩端先輩、俺が指示を出しますのでみんなと同じようにやってみてください」
「いやっ……あの……」

 岩端から手を離した灯真が先ほどいた位置に戻っていく。いきなり連れてこられて困っている岩端に隣にいた女の子が声をかけてくる。

「お兄さん、諦めたほうがいいよ。先生、時々空気読めないから」

 妙に大人びた雰囲気を持つメガネの少女は、そういって憐れむような表情を岩端に向けると灯真の方へ向き直し目を閉じた。他の子供たちも同じように目を閉じている。周りの子供たちの雰囲気に当てられたからか、岩端も彼女らを真似て目を閉じるが、どんな指示が飛ぶのかと変に力が入ってしまうのを止められない。

「初めての人もいるから最初からやります。まずは深呼吸から。ゆっくりと、気持ちを落ち着かせることを意識して」

 周りの子供たちの息遣いが岩端の耳に入る。決して大げさなものではなく、口を窄めてゆっくりと呼吸する音。彼らに続くように深呼吸をするが、緊張しているせいか強く吸って一気に吐いてしまう。

「先輩、そんなに力まなくて平気ですよ。難しいことはしませんから、ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」

 いきなりやらされたら力まない方がおかしい。そんなことを思いながらも灯真の言葉に合わせるように呼吸を続けていくと、岩端の張っていた肩から力が少しずつ抜けていく。

「落ち着いてきたら、今度は息じゃなく魔力を自分の外に出して。呼吸と同じようにゆっくり、少しずつ。自分の出しやすいところからで構わないから」

 先ほど灯真は全身から魔力を放出していたが、岩端にはそんな器用なことはできない。一番出しやすいところと言われ、真っ先に浮かんだのは右手。力を抜いてわずかに開いた右の掌から魔力を放出していく。灯真の言う通りゆっくりと、少しずつ。

「出した魔力を薄く広げて。可能な限り薄く。たくさん魔力を出すんじゃなくて、今出した分だけでいい」
(薄く……伸ばすように……)

 岩端はさきほど灯真の手を通じて、その意味を理解しているつもりだった。だが思うようにいかない。拡張探知アンペクスドは放出した魔力の形状を変えて膜を作る。大きな膜を作るにはより多くの魔力が必要だが、ただ形を変えるだけなので覚えてしまえばそれほど難しいことはない。しかし散布探知エトラスクは、放出した魔力の濃度を薄くすることで少ない魔力で広範囲を知覚する。水の中に落としたインクが、拡散して薄い色になっていくかのように。

(こんな難しいことを如月さんはあんなに簡単にやってたのか!?)

 岩端が魔法や魔力を用いた技術の訓練をしばらくやってこなかったせいもあるのだろう。それでも幼い頃は彼も兄と一緒に、父親の指導のもと魔力を扱う練習はしてきた。探知デクトネシオもそうやって会得した。だからこの技術がどれだけ難しいものかは分かる。今まで覚えてきた拡張探知アンペクスドとは全く別物であり、非常に繊細なコントロールが必要なものだと。
 さきほどの感覚思い出しながら、岩端はそれを再現しようと集中力を高めていく。

(こんなに集中していられるのは、いつぶりかな)

 これまで訓練の類を避けてきた岩端も、何度かやってみようかと試したことはあった。しかし、数分で挫折した。だけど今は、止めようという気にならない。新しい技術を知ったからだろうか、灯真が岩端にも出来ると言ってくれたからだろうか。そんな考えを一瞬で頭の片隅に追いやり、岩端は集中していく。彼に言われた通り、右手から出しそうになる魔力を止め、今出ている分だけを可能な限り薄く伸ばして——。

「すごい……」

 それは岩端にとってまさに未知の体験だった。うまく広げられたのは、隣り合う子供たちの位置まで。灯真がやったときほど薄くできていないし範囲も狭い。しかし、彼の頭の中に隣り合う子供たちの様子がリアルタイムで映し出される。他の子が広げている魔力の影響なのか少しぼやけているものの、それでも彼らの体の動きが、呼吸に合わせて動く腹部の動きがはっきりとわかる。

「先輩、広げるの上手ですね」
「いや、そんなことは」

 灯真の賞賛の言葉が、岩端に昔の記憶を思い出させる。まだ自分の魔法を習得していなかった幼い頃に兄と一緒に魔力の使い方を練習していた時、探知デクトネシオを初めて成功させた時、父親は岩端の頭を撫でながら「よくできたな」と褒めてくれた。嬉しかった。

「もっと薄くしてみてください。同じ魔力量でもっと広い範囲を見ることできるはずです」
「わかりました!」

 灯真に言われた「自分自身と向き合う」という言葉のせいだろうか、初めて知る技術に刺激を受けたからだろうか、それとも昔のことを思い出したからか。巻き込まれる形で参加した訓練だったが、岩端の中にある思いが芽生える。それは決して大きな夢などではなく、もっと小さく根本的なもの。幼い頃初めて魔法の存在を知った時に感じた好奇心。それはまだロウソクの火のような小さなものだったが、岩端に再び散布探知エトラスクに挑戦する気力を生み出していく。

「あれ?」

 訓練を再開してから10分ほど経過したところで、最初に異変に気付き声をあげたのは来栖だった。放出した魔力を上手くコントロールできない。出すことはできるが、そこから先がどうやっても上手くいかない。

「先生、うまく広げられなくなっちゃった」
「おかしいなぁ、さっきまで順調だったのに」

 他の子供たちも次々と気付き始めていた。もちろん岩端も。みんなが閉じていた目を開くと、灯真は上空を見上げなにやら険しい表情を見せている。何を見ているのかと目線を上に向けると、先ほどまで青かった空が紫色に変わっている。

「これってまさか!?」

 この不可解な現象に岩端は心当たりがある。しかし、彼がどう考えてもそれが起こりうる状況ではない。

「先輩、心当たりがあるんですか?」
「もし……もし僕の知っているものと同じだとしたら、魔力をうまく操作できない理由も説明がつきます。あの紫色の空は、法執行機関キュージストが『ホルビニシオ』を使った時に起こる現象です」

 ホルビニシオ……『阻害結界』とも言われるそれは、一定空間内での魔力操作を阻害する魔法であり、法執行機関キュージストの捜査員が危険度A級の魔法を使う犯罪者を逮捕する時に魔道具マイトを使って発動させる。紫がかった透明のベールが空間を包むのが特徴で岩端も実際に目にするのは初めてだが、自分に起こっている異常を考えると合致する点が多く、これ以外に思いつかない。

「でもなんで……この近隣で犯人を追ってるなんて情報はなかったはずなのに」
「犯罪者ならそこにいるんだよ、岩端の落ちこぼれ君」

 建物とは反対側から男の声が聞こえる。岩端のことを嘲笑うそれが耳に入った途端、ディーナは怖くなって灯真のそばに駆け寄る。

「あなたは確か……」

 姿を現した男を岩端は見たことがある。調査機関ヴェストガインに研修という形でやってきて、指導に入った紅野を困らせ事務所中に怒声が響き渡るほど君島を怒らせた男、松平だ。怯えるディーナを自分の後ろに隠した灯真は、彼の後ろからやってくる男たちを見て警戒を強める。現れたのは、協会ネフロラ本部で灯真たちを襲った広瀬や山本たちである。

「こんなところ何をしているかと思えば、犯罪者たちと仲良くやっているとはね。父親や兄と違って出来損ないだという噂は本当だったわけか」
「…………」

 法執行機関キュージストに勤め優秀だと評判の兄に比べ、岩端の話は父親の口からも名前すら出たことがなく、身内の恥を晒さないようにしているのではと噂になっている。岩端自身もそれを知らない訳ではないが、否定する理由が浮かばず何も言い返せない。
 
「まあいい。今日はそっちの男に用があってきたのだからな」

 岩端や子供達の視線が、松平の指差す灯真に集まっていく。

「如月 灯真、貴様を魔道具マイトの違法所持及び協会ネフロラへの魔法虚偽登録の疑いで逮捕する。後ろにいる女も、それに加担した容疑で拘束させてもらう」
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