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第1章 その翼は何色に染まるのか

28話 松平恭司

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「何言ってんだ、あのおっさん」

 罪状を聞いていた来栖の言葉を皮切りに、他の子供達も思い思いのことを口に出し始める。

「仕方ないよ、かなえ先生も最初疑ってたし」
「大人の人たちみんな、とうま先生のことわかってないんだね」
「私たちだってよくわかってないじゃない」

 子供達の言葉に苛立ちを感じたのだろう。松平の眉間に皺が目立ち始める。彼の背中から感じられる不穏な気配に広瀬と山本が警戒する中、他の男たちは子供たちを見て不気味な笑みを浮かべている。

「躾のなってないガキどもだな」
「主任、たかがガキの戯言で——」

 広瀬が言い切る前に、彼の視界から松平が消える。同時に吹き荒れる突風が警戒していた2人の動きを妨げ、松平のことを止められなかった。結界によって探知デクトネシオが消えていた子供達はもちろん、うまく広げられずにいた灯真も彼の取った動きに気付いていない。突風と共に飛んでくる砂が入らないよう、手や腕で視界も塞いでしまっている。

 ドシュッ

 とても低く鈍い音だった。木やコンクリートを叩いたりする音とは違う。強いて言うなら、肉塊や魚に勢いよく包丁を突き刺したような、そんな音だった。
 風に乗って灯真の耳に入るそれが、彼の体を芯から震えさせる。かつて嫌というほど聞いた音。大事な人たちを貫いた音。そして続く、液体が地面に滴る音。震える体を無理やり動かして見た先にあったのは、松平の姿と異様な形になった彼の右手によって腹部を貫かれている来栖の姿だった。背中から飛び出ている鋭い指らしきものから、赤い液体が地面にポタポタと落ちている。

「えっ……」

 お腹の奥から這い上がってくるものが来栖の口から溢れ出る。少し離れた位置にいたはずの松平が突然目の前に現れて、来栖は何かが腹にぶつかったのを感じた。彼が下を向くと、松平の腕が自身の腹の中に入っているように見える。だが来栖の目は霞みはっきりしない。腹を殴られて食べたものを吐いたのだと思い来栖は口を拭うが、口の中に感じるのが吐物の嫌な酸っぱさではなく、唇などを噛んだ時に感じる鉄の味だった。

「何が……どうなって……」

 来栖はようやく自分の体を松平の腕が貫いていることに気付く。不思議と痛みはなく、感じるのは腹部の圧迫感のみ。目の前の光景に子供たちだけではなく、岩端やディーナも言葉を失う。

「貴様のようなゴミに、生きている価値はない」

 松平はそういって来栖の腹に突き刺していた腕を一気に引き抜く。彼の腕から飛び散った血が、周りの子供達の顔を赤く染める。しかし、そんなことを気にする様子もなく……いや、目の前で起きたことが受け入れられていないのだろう。子供たちは膝から崩れていく来栖のことを、大きく開いた目でじっと見つめるだけ。

「このぉ!」

 松平が腕を引き抜くと共に、法執行機関キュージストの男たちの中に動きがあった。広瀬は真っ先に倒れる来栖の元へ駆け寄ると、両手に持ったビー玉ほどの魔道具マイトに魔力を注ぎ、穴の空いた彼の腹部を両手で挟み込むように塞ぐ。広瀬と共に近づいた山本は子供達から松平を遠ざけようとローキックで彼の胴体を狙うが、血に染まった彼の右腕がそれを阻止する。
 それは異様な腕だった。黒く細い棒状のものが何本も連なってできた外皮は彼の肩から腕全体を覆っている。それによって腕は一回り太く、握り拳3つ分ほど長く、指は太く鋭い杭のようなものが3本。人のものとは明らかに違うものだった。

「なぜ関係ない子を!?」
「関係ない? 我々が来たことを知られた時点で、こいつらには消えてもらわないと困るんだよ!」

 受け止めていた足を押し返し山本に距離を取らせると、次に松平の姿があったのはディーナの目の前。どこから吹いているのかわからない突風が地面の砂埃を撒き散らし、そこにいた全員の視界を奪った。ニヤリと笑みを浮かべた彼は、左手でディーナの長い髪を強引に掴むと仲間たちの元へと無理やり引きずっていく。

「いや! 離して!」
「大人しくしていろ、雌犬。こいつらを消したあとでたっぷり遊んでやる」

 髪を引っ張られる痛みなど忘れ必死にもがくディーナだったが、松平は手を離そうとはしない。それどころかこれから起きることを想像して舌なめずりをしている。
 彼女が引き摺られていくのを見ていながら、岩端は足が震えて一歩も動けない。ここで歯向かえば来栖と同じ目に遭う。自分の体を貫かれるのを想像してしまった彼の心と体は松平への抵抗を拒絶していた。

「かず……や……」

 広瀬に支えられている来栖は膝に力が入らないのか、彼に寄りかかる形でやっと立っている。そんな彼の姿が、灯真の記憶にある映像と重なる。松平の右腕も、かつて多くの人々を屠り、自身の体に傷を付けたものと同じ。結界がなければ気付けたかもしれない。だが、あの爪には敵わない。あの爪の攻撃を防ぐことはできない。そんな考えが灯真の心を支配していく。

「させるか!」

 ディーナを連れて行こうとする松平を止めようと山本が攻撃を仕掛けていくが、松平の右腕は硬く彼の攻撃をことごとく防いでいく。攻撃を続ける山本の拳の皮が破れ、血が滲み始めている。

「死ぬんじゃねぇぞ、おい!」

 広瀬が必死に呼びかけるも、来栖は手に付着した血と自分の中から何かが流れ出ている感覚、そして体全体に感じる寒気から自分が死に近づいているのだと察していた。

「死ぬって、こんな感じなのか」

 力が入らない。必死にトレーニングを積んで鍛えた体が、今の来栖にはただただ重たく感じる。

「死なせねぇ。死なせてたまるかよ」

 広瀬が両手に持つ魔道具マイトは、負傷者を救助するために使用する治療の魔法を記憶したもの。だがその効果はそこまで強いわけではない。
 魔道具マイトは他人の魔法を使う便利な道具ではあるが、その効果はどんなに頑張っても使い手本人のおおよそ3割程度と言われている。重症度から考えても、助けられる可能性はかなり低い。このまま来栖のことを放っておいて山本の加勢をするべきかと迷いもしたが、広瀬の心はそれを許さなかった。

「さて、俺たちもゴミ掃除を始めるとするか」

 待機していた他の男たちは足並みを揃えてゆっくりと子供達の方へ向かっていく。その数は10人。しかし山本は松平の足止めで、広瀬は来栖の治療で動けない。広瀬がチラりと灯真の方を見たが、彼は来栖のことを見つめながら放心状態。それに結界がある以上、魔法を使うことができない彼は戦力としてカウントできない。

「俺が死んだら……」
「死なせねぇって言ってんだろうが!」

 光を失いつつある来栖の目が広瀬を焦らせる。このままでは彼の傷が癒える前に心臓が止まってしまう。しかし力が足りない。来栖の死を先伸ばすことしかできない自分の無力さに、ただただ悔しさだけがこみ上げてくる。

「死んだら……母ちゃん、会いにきてくれるかな……」
「何言ってんだ。生きて会えばいいだろうがよ」
「死んで幽霊になってからでもいいからさ……もう一回母ちゃんに会いてぇ……会ってちゃんと……謝って……」

 涙を流す彼の手がだらんと宙に揺れる。完全に脱力した体と弱々しくも感じ取れていた拍動の停止が何を意味するのか、広瀬が理解するのに時間はかからなかった。両手の魔道具マイトに魔力を送るのを止め、彼の体を地面に仰向けに寝かせると彼の瞼を静かに閉じる。
 動かなくなった来栖と彼の下の地面に広がるしみを見た子供達は、彼から目を背けたり、大きく開いた目から静かに涙を零していたり、唇を噛みしめ俯いていたり……しかし誰一人として、大きな声を出さなかった。大声で叫んだら「うるせぇ!」と怒鳴りながら頭にげんこつが飛んで来る気がした。子供たちの頭の中にそんな来栖の姿と声が浮かぶ。彼は死んだ。しかし、それを信じられなかった。みんな信じたくなかった。

 自分のすぐそばで起きた出来事に、岩端の中で二つの意見が鬩ぎ合っている。一つは彼がなぜ死ななければならないのかという考え。動くことすらできなかった自分への不甲斐なさを嘆いた。しかしそれに蓋をするかのように、自分が何をやったところで彼を救うことはできなかったという考えが覆いかぶさってくる。
 実力主義といわれる法執行機関キュージストの主任にまで上り詰めた男と、調査機関ヴェストガインのいち事務員である岩端では力の差は明白である。今までの彼であれば、それを理由に心に蓋をして諦めて終わっていただろう。だが来栖を助けようとする広瀬の姿を見たからだろうか、灯真との訓練で心に芽生えた思いによるものだろうか、岩端はその蓋に抵抗していた。彼の力強く握りしめている右の拳が震えている。

「バカヤロウが……会いてぇなら、自分から会いに行けばいいだろうが……」

 森永が施設長を務めるこのドルアークロは、未成年犯罪者の収容施設であると同時に、親と一緒に暮らすことが子供達の保護施設という役割も担っている。目の前で息を引き取った少年が、母親と会えないことも広瀬にはわかっている。生きて会えばいい。そんな言葉しか広瀬は口に出来なかった。来栖が一番、それが無理なことだと分かっているというのに。
 来栖の命を救えなかった悔しさが、自分への不甲斐なさが、広瀬の心の中に松平への強い怒気を作り出していく。

「てめぇだけは絶対許さねぇからな、松平!」

 広瀬が立ち上がり山本の加勢に向かおうとしたとき、すでに松平の部下たちが目の前に迫っていた。彼らは全員、広瀬に向けて右手を伸ばしている。

「ガキどもが心配なら、お前も一緒にあの世に行ってやるといい」

 手首に付けたブレスレットの宝石が青く輝き始めると、広瀬に向けて広げた掌の前に氷柱が現れる。鋭利な先端を広瀬に向け回転し始めるそれは、電柱ほど太く灯真に向けられたときのものよりはるかに大きい。

「てめぇら……」

 憤怒の色を浮かべる広瀬を嘲笑いながら、男たちはドリルのように高速回転する氷柱を発射した。広瀬の中に、この状況を打破して勝利する道筋は浮かばない。例えこの一撃を避けたとしても、近くにいる子供達が犠牲になる。10対1というこの人数差を覆せる魔道具マイトもなければ、圧倒できるほどの格闘術もない。広瀬の魔法への対処法も知られている。悔しいが打つ手がなかった。

「すんません、総大将」
「広瀬!」

 山本が助けに入れる距離でもなく、松平から目を離すこともできない。彼の叫びも虚しく、10個の巨大な氷柱は目を閉じた広瀬へと向かっていく。

ガシャーン!

 爆発とも違う大きな音が広瀬の耳に飛び込んでくる。車が衝突事故を起こした時のような……いや、それよりもはるかに大きなその音に驚き体をビクッとさせた広瀬が目を開くと、まず見えたのは地面に落ちた無数の氷のかけら。ゆっくりと目線を上げていくが、飛んできたはずの氷柱の姿がどこにもない。見えたのは広瀬の50センチほど前、細かくなった氷の粉が付着し目視できるようになった透明な壁。広瀬はこれに見覚えがある。だが、それはあるはずのないものだ。

「何だあれは!?」

 男たちが動揺している。広瀬は自分の後ろから強い光が放たれていることに気付き振り返った。そこで見たのは、地面に寝かせていた来栖の体の上にそびえ立つ、桜色に輝く大木であった。広瀬の2倍はあろうかというそれは、彼の腹部から生えており、枝についた蕾が次々と開いていく。花びらの形からするとおそらく桜であるが、こんな現象は広瀬も見たことはない。驚いていたのはこれかと再び男たちの方を見ると、彼らの目は来栖の体とは別の方向に向いている。

「とうま……せんせー?」

 子供達や岩端さえも、来栖から生えた桜とは別の何かに目を奪われている。恐る恐る彼らの視線の先にあるものに目を向けると、広瀬は呆然と立ち尽くした。彼らが見ていたのは、来栖から生えていた木と同じ桜色に輝く羽が、何枚も重なって作られた巨大な翼を、背中の左側にのみ広げる灯真の姿だった。
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