神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第1章 その翼は何色に染まるのか

29話 死者邂逅

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 来栖がまだ広瀬の治療を受けてかろうじて生きていた時、山本が松平からディーナを奪い返そうとしていた時、灯真は来栖の姿とかつて失った人の姿を重ね意識が朦朧とし始めていた。徐々に呼吸も荒くなり胸が苦しくなっていく。

『また同じことを繰り返すの?』

 突如頭の中に聞こえた女性の声。もう聞こえるはずのない、死んだはずの彼女の声に灯真は目を左右に動かし声の持ち主を探す。

『このままだとあの子は死んじゃう。他の子供達もきっと殺されちゃう。守るって約束したディーナは連れていかれちゃうよ』
「だけど、あの爪は……」

 彼女がここにいるわけがない。灯真は彼女が死んだのをこの目で見た。体から温もりが失われていくのをその手で感じた。頭に響くその言葉を自身に向けた怨恨のように感じとった灯真は、力いっぱい目を瞑り両手で耳を塞ぐ。

『……守りきれないって言いたいの?』

 その言葉を聞いてハッとした灯真が目を開けると、来栖たちの姿がない。代わりに現れたのは真っ白な空間と人の形をした真っ黒い何かだった。

『あたしは知ってるよ。君が過去に戻る魔法を探していたことも』
「え?」

 灯真がその黒い人型の存在を見るのは、これが初めてだった。ディーナが彼の心の中に入ってきたときも、灯真にはこの黒い人型の姿は見えていない。
 
 これまでも思い悩んだとき、過去を思い出して苦しくなったとき、何度も自問自答を繰り返してきた。しかし今は違う。明らかにそれは自分の意思とは違う言葉であり、何よりその声の持ち主を灯真は知っている。

『あの戦いで死んでいった人たちを助けるために、必要な技術を身につけようとしてたことも』
「アーネス……なのか?」

 灯真がそういうと、人型の黒い表面が細かい粒子となって散り散りになり、中から女性が姿を表す。灯真の三分の二ほどの背丈も、杏色の短い髪も琥珀色の大きな丸目も、忘れるはずがない。ニッと口角を上げる彼女を見て、灯真は溢れる涙を抑えることができない。

「アーネス……死んだはずじゃ……」
『死んじゃったのは事実だよ。今の私は、君を助けるために送り続けた魔力の残り香みたいなもの。同化してたのにあの結界のせいで分離しちゃったみたいでさ』
「残り香?……同化?」

 灯真には彼女の言葉の意味がわからなかった。だがいつも夢に見る、息絶える彼女ではない。死にたくないと呟く彼女でもない。穏やか笑みを浮かべるその姿を見ることができた嬉しさで、灯真は胸がいっぱいだった。

『本当はもっと話をしたいんだけど、それどころじゃないでしょ。動かないと!』
「そんなこと言われても、あの爪に俺の魔法は通用しなかった……そのせいで君は」
『言ったでしょ、あたしは知ってるって。君の中でずっと見てきたんだから。今の灯真ならあんなやつの攻撃、どうってことはないよ』

 アーネスはゆっくりと灯真の方へ歩み寄りながら言葉を続ける。

『たとえどんな魔法であっても時間は戻すことができない。そうでしょ?』
「そうだよ。どれだけ協会ネフロラにある資料を漁っても過去へ戻る魔法は存在しなかった。時は不可逆的なものだからって」
『だけど未来は違う。灯真が動けば、未来にはいろんな可能性がある。あたしや灯真みたいにお腹に穴を開けられた子も助けられるし、ディーナや他の子供たちも守ることができる。その手段を灯真、君は持っているじゃない』

 俯く灯真の顔を見上げられる位置にやってきたアーネスは、灯真の胸に手を当て彼の目をじっと見つめる。涙で視界が滲み、灯真には彼女の顔がよく見えない。

『そうやって泣いた時に下を向くの、変わらないね』
「悪かったな」

 右の親指で涙を拭うと、灯真は彼女から目を逸らした。彼女がこうして灯真を下から見上げるのも、昔と変わらない。それを嬉しく感じながらも、彼女に言われた通りであることが恥ずかしくなった。

『灯真はもうあの時とは違う。自分の力を理解し、自分にできることを知った。だから前を向いて。利き足を大きく前に踏み出すの!』

 アーネスは灯真の後ろに回り込み、彼の背中を思い切り叩いた。その衝撃で灯真の右足は、自然と前に踏み出される。

『自信がないっていうなら、あたしが背中を押してあげる』
「それは押すじゃなくて、叩くじゃないか」

 灯真の突っ込みをアーネスは腰に手を当てて笑顔で返した。まるで子供のようなあどけない表情を見せた彼女だったが、すぐにその笑みは慈愛に満ちた女性の顔へと変わる。

『あたしは信じてるよ、灯真があいつらからみんなを守るって。怪我をしたあの子も救うって。だってあたしの愛した人は、ゼフィアス・ディルアーグナなんだから』

 聞くことすら嫌だった呼び名のはずなのに、彼女の口から出たそれを拒絶する意思は灯真にはなかった。灯真の目から一度は止まったはずの涙が再び溢れ出す。

『灯真が、あたしが死んだことに責任を感じてるのも知ってる。辛い思いをしたくなくて独りでいることを選んだのも、誰かを好きになることが怖かったのも知ってる。でも忘れないで。あの時、灯真がいたから救われた命があったことを』
「……でも俺は……」
『……病気のこと?』

 アーネスの問いに灯真は小さく頷く。

『そのことはあたしもわかってる。みんなを守るために魔法を使い続ければどうなるのかもね。けど、今ここでやらなければどうなるのか、灯真にもわかってるでしょ。同じ過ちは繰り返さない。それがあたしたちフォウセの流儀。あたしの弟子なら乗り越えてみせなさいよ!」

 そういって彼女が灯真の背中を再び叩くと、彼は現実に戻ってきた。そこで彼の目に入ってきたのは、来栖の息絶える瞬間。かつて救うことができなかったアーネスも、彼のように力を失った手を地面に落とした。あのときの灯真には、彼女を救う術がなかった。しかし今は違う。
 アーネスの言う通り、たくさんの方法を考え何度もシミュレーションを繰り返した。本番はこれが初めてだが、灯真は不思議と冷静だ。彼女に背中を押してもらったから。一番認めて欲しかった彼女からの言葉を受け取ったから。

 灯真は静かに目を閉じると、左の人差し指で額を押しながら静かに言葉を紡ぐ。頭の中で、大きな桜の木と、膝まである長い銀髪を持ちタイトな黒服に身を包む女性の姿を思い出しながら。

エトラスクーリ レウォルファウ イークスォウ  セドナエティス
(散りゆく花は空を舞い)
スデリトン エニディスィン レイフオウ ティルフ
(心の内に火を灯す)
デトール クルントァウ ドグルニン ウルトレンティス
(朽ちたる幹は大地に還り)
ウェンフェリオン ディバーイン コミーブ
(新たな命の糧となる)
エウトラーズィー
(その力)
メヒー・クオルォン スデリトン ニーム 
(メヒー・クオルの心の名)
エルハ・オークスラエルテ
(治癒の桜樹)

 言葉を口にした途端、灯真の左肩甲骨付近から桜色に輝く羽が勢いよく吹き出し巨大な翼を形成する。灯真自身よりも大きなそれが完成したところで、彼は目を開き額に当てていた人差し指を来栖へと向ける。すると翼から次々と羽が離れ来栖の傷口に入り、入りきらない羽が固まって大木の形を作り上げる。
 それと同時に、灯真は右の人差し指と中指を広瀬の方に向けている。誰も気がついていなかった。右肩甲骨付近には透明な羽で出来た翼が出来上がっており、そこから飛ばした羽で広瀬の目の前に巨大な壁を作り上げていたことを。

 灯真が腕を交差させ自分と来栖の方に指先を向けているのを見て、おそらく彼が魔法や魔道具マイトの類を使ったのだろうと、広瀬はそう考えた。しかしそれは、阻害結界ホルビニシオが展開する中で出来ることではない。

 阻害結界ホルビニシオは展開時に中にいた者の魔力操作を阻害するものであるが、展開後に外から入った者には適応されないという性質を持つ。松平が来栖との距離を一瞬で詰めたのも、風を用いて加速する魔道具マイトによるものである。
 この結界の影響下で魔法や魔道具マイトを使えるとすれば方法は3つ。一度結界の外に出るか、結界の効果を防ぐ魔法を予め展開していたか、魔力を操作しづらいこの状況下でも魔法を行使できるほど繊細な魔力操作ができる人物であるか。

(外には出てねぇ。ここに来るまでに魔法を展開してなかったのは探知デクトネシオでわかってる。残る可能性は……)

 法執行機関キュージスト阻害結界ホルビニシオ魔道具マイトを導入するにあたり、その効果を試す実験が行われたことがある。当時法執行機関キュージストに務めていた捜査員の中で魔法を使えたのはわずか3分の1。使えたといっても、その内の半数以上が他に何もできないほどの集中力が必要であったという。魔法の訓練を積んできた彼らがそのような結果になったことで、阻害結界ホルビニシオの有効性が証明された。
 その実験結果から考えれば、灯真の実力が広瀬自身よりも遥かに上であることは容易に想像できる。

「如月灯真! 松平を止めろ!」

 情けねぇ。広瀬はそう考えずにはいられなかった。広瀬は法執行機関キュージストの捜査員だ。対魔法使い戦のプロだ。そんな彼が、素人である灯真に助けを求めなければならないなんて、本来あってはならない。だが山本が松平を止めていられるのは、騒ぎが大きくならないように松平が自分の魔法を使っていないからだ。もし彼が魔法を使えば、山本も広瀬も自分の身を守るので精一杯になる。じわりじわりと湧き出る悔しさを広瀬は必死に抑える。ここで松平に逃げられるのも、ディーナを連れて行かれるのも絶対に阻止しなければならない。その気持ちは広瀬も灯真も同じだった。

 広瀬の言葉を聞かずとも、灯真はすでに散布探知エトラスクを用いて状況を把握していた。阻害結界ホルビニシオのせいでいつも通りとはいかないが、松平がディーナの髪を掴んで引きずっていることも、ディーナが彼から離れようと踠いていることも、山本が彼の前に立って食い止めていることも、広瀬を狙って他の捜査員が攻撃を仕掛けようとしていることも全て。

(あまり長い時間はかけれないな)

 感情が高ぶったときに聞こえるはずのディーナの声が今は全く聞こえてこない。契約の魔法テノクの効果が、阻害結界ホルビニシオの影響を受けているのだろう。彼女への魔力供給が停止している可能性も考えると、悠長なことはいっていられない。同時に子供達のことも気にしなければならない。松平は言った。「こいつらを消さねばならない」と。
 全員を無力化する。そう考えた灯真は再び額を人指し指で押しながら、先ほど出会ったアーネスのことを思い浮かべる。

ドグルニン  ルクルーリ エクロフォン イナウクァウ
(大地に潜む力の鎖は)
エクネリスォン カーナネド ラローイア ゾウス
(静寂の中で轟き叫ぶ)
イークスェウ エシルーリ レドヌサウ
(空へと上る雷は)
ドラウトストークォウ エビグロフトン
(踏み出すことを許さない)
エウトラーズィー
(その力)
アーネス・リューリノン スデリトン ニーム 
(アーネス・リューリンの心の名)
ドニービナウク・ブレドルヌス
(縛鎖の霹靂)

 灯真の背中から鮮やかな黄色の羽が吹き出すと、先ほどと違って翼の形にならず次々と灯真の足元の地面に入りその姿を消していく。耳に入った彼の声を聞いて、ディーナは激しく動かしていた手足を止め、灯真のことを見つめる。灯真もまた、彼女のことをじっと見つめていた。
 
「灯真さん……」

 灯真は何も言わないまま、彼女を見つめて小さく頷く。いつもどおりの彼がいる。ディーナにはそう感じられた。

「何をしたか知らんが、大人しくす——」

ズシャーン!

 広瀬の正面にいた男が一歩踏み出した途端、彼の足元から空へと伸びる光の線が現れ、雷でも落ちたかのような凄まじい轟音が鳴る。男の髪の毛は逆立ち、手足を痙攣させながらその場に倒れた。

「動かない方がいい。加減はしたつもりですが、少しでも動けばその人のようになりますよ」
「……トラップのようなものか」

 仲間が倒れたというのに、男たちは冷静であった。その場を動かず何が起きたのかを分析し、すでに自分らの置かれた状況について理解し始めている。
 彼らはこれまで危険な魔法を使う相手と戦ってきた実力者たち。前回は手加減と灯真の能力について油断したせいで遅れをとったが、協会ネフロラに登録された情報が正確ではないとわかったため、彼らは灯真のことを危険度A級の魔法を使うと考え動いていた。

「なるほど。よく考えたものだな」

 仲間たちと同様に動かぬまま山本と向き合っていた松平は、肩を竦め感心する様子を見せる。

「如月灯真……貴様の罪状の一つ、魔道具マイトの違法所持は取り消すとしよう。貴様が使っているのは『ラーズィムル』だな?」
「ラーズィムルって……」

 クスクスと松平や仲間たちが笑う中、驚いたのは岩端だった。その言葉を彼は知っている。灯真の口から出た呪文のようなものと起こった事象から、その可能性を疑うことは出来る。だがそれを使うのは余程の好き者だ。最近では10代の若い魔法使いたちが好んで使うという情報もあるが、熟練の魔法使いたちからは「愚か」と酷評されている。松平たちが笑っているのもそのせいだ。

「自分の魔法の弱さを、ラーズィムルを使ってカバーするとは。キーフらしい浅はかな考えだな」
「ディーナを離せ」
「無駄なことはしないことだ。魔道具マイトでなかろうと貴様ごときが」
「ディーナを離せ」
「……人の話を静かに聞けないほど、愚かだとは思わなかったぞ、如月灯真」
「その言葉、そのままそちらにお返しする。何度も言わせるな。ディーナを離せ」

 灯真の口から淡々と語られる言葉に、目の下にクマを浮かべた力無い目に、松平は額に血管を浮かび上がらせ怒りを露にした。

「地位も力も持たない底辺魔法使いの貴様ごときが……私にそんな口をきいていいと思っているのか!?」
「本当に話を聞かない人だな」

 そういって吐いた灯真の嘆息が、松平の中の何かをブチっと引きちぎった。彼から感じ取れる殺気に、そばにいた山本はもちろんのこと広瀬や子供達も体を震わせる。
 松平は真っ黒な外皮に覆われた右手を振り上げると、3本指で握りこぶしを作り力強く地面に叩きつけた。

「クックックッ……もう許さん。手足を切り落として、この女がどうなるか見せつけて、絶望の淵に突き落としてから殺してやる」

 睨み殺すかのような目を灯真に向ける松平は、体を反転させると不気味な笑みを浮かべながら彼に向かって静かに一歩踏み出した。
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