神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第1章 その翼は何色に染まるのか

30話 真価解放

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 ラーズィムル——力を模したものを意味するそれは、日本語で「魔術」と訳される。

 魔法は一般的に魂の持つ力と言われている。一つの魂しか持たないために、一つの魔法しか覚えることはできない。それに対し魔術は、視覚で捉える文字や図形、聴覚で捉える言葉や音といった脳に入る五感の情報によって魔力を変換するシステムに働きかけ、本来持つものとは違う魔法を使うものであると定義されている。
 しかし、魔法に比べて魔力の使用効率が非常に悪く、使う魔法使いはほとんどいなかった。近年、より多くの力を欲する若い魔法使いたちが魔術を好んで使う傾向にある。自身だけが持つ魔法を極めんとする高齢の魔法使いたちはそれを強欲だと批判し若者たちとの軋轢を生んでいる。

「さて、先制はそちらに取られてしまったからな。今度はこちらから行かせてもらうぞ」

 松平はそういってディーナから手を離すと、地面に倒れる彼女に向けてパッと開いた左手を突き出す。すると地面から黒い棒が何本も飛び出し、ディーナの胴体や手足の身動きを封じるかのように交差していく。

「ディーナ!」
「安心しろ、殺しはしない。大事なおもちゃだからな」

 声が聞こえてからほんの数秒だった。松平の右手の爪が灯真の目の前に現れガンっと大きな音を立てる。

「ほう、これに反応するか」
「……イークセウ(空へ)…」
「させるか!」

 そういって腰を落とした松平は、パッと開いた左手を灯真の足元にむけて伸ばす。身の危険を察知して灯真が数歩後ろへ下がると、彼の足跡が残る場所からディーナを拘束するのと同じ黒い棒が飛び出す。

「魔術には必ず五感を刺激する何かが必要になる。貴様の場合は呪文の詠唱か? そんなことをする暇など与えるつもりはない!」

 低い姿勢のまま後退した灯真を見上げた松平は、地面を蹴りその大きな右手を振り上げる。足元から掬い上げるように灯真を狙う鋭い爪は、ガンッと音を立ててその動きを止めた。ガリガリと金属が擦れるような音を立てながら、黒い爪は羽を突き破らんとしている。

「ヴィルデム語で使うあたり、15年前に向こうで覚えたものか」
「あんたがどうしてそれを!?」

 一度離れた爪が、今度は正面から灯真の顔を狙う。しかし、あと10センチというところで灯真の羽が受け止めた。

「この爪を忘れたのか? お前の腹にも穴を開けてやっただろうが、さっきのガキのように」

 松平の言葉に驚愕し灯真の顔色が変わる。松平の黒い爪は、確かに15年前に自分の体を貫いたものと、アーネスの命を奪ったものと同じに見える。
 しかし、その時出会ったのは黒い鎧を身に纏っていた男か女かもわからない人物で顔は見ていない。それに右手だけでなく左手も同じ腕だった。

「おいおい、顔色が悪いじゃないか。気分でも悪くなったか? 帰ってふとんに潜りたいか? 安心しろ。すぐに楽にしてやる」
「……違う」
「あぁ?」
「お前はあの時のやつじゃない」
「何を根拠に……」

 この男とあの時対峙した人物が同一人物だと灯真には思えなかった。物理的な証拠があるわけではない。彼から感じるに違和感を覚えたからだ。

「もしあの時俺を刺した奴なら、この状況で俺をしつこく狙ったりはしない」
「なんだと?」
「あの時あいつは、逃げる人たちを捕まえてわざわざ仲間や家族の目の前で殺していったんだ。絶望する彼らの表情を楽しむみたいに」

 灯真は確かに松平から殺気を感じている。だがそれは彼の任務であり、何より前回の戦闘のリベンジという意味合いが強く、楽しんでいる様子は一切感じられない。
 彼の話を聞いた松平が一瞬だけ動揺したことに気付くと、灯真の顔からスッと感情が消えた。瞼が下がり、半分しか見えない黒目がじっと松平を見つめる。

「……誰から教わったんだ?」

 黒い半円から覗く深い闇が松平の背筋を凍りつかせる。彼の右手が小刻みに震え出すが、灯真から視線を逸らすことができない。

「そっ……そう思いたければ構わな——」

 灯真に集中していた松平が、自身に迫るモノの気配に気付く。様子を伺っていた山本の拳が松平の左側頭部を狙っていた。皮の剥がれた両手はズキズキと痛む。だがこの男が本気を出す前に、炎の魔法を使われる前に勝負を付けなければ。その焦りから来る気配が、松平の意識を灯真から離すことになった。
 
「バカめが!」

 緊張から解放された松平が開いた左の掌を真っ直ぐ地面に向けて突き出す。すると、山本の拳はあと数センチで松平の頭を捉えるところで止まる。地面から伸びた3本の黒い棒が、先端を針のように尖らせて彼の腕に突き刺さっていた。

「山本!」
「お前らが私に勝ったことが一度でもあったか!?」

 心配する広瀬が援護に入ろうと動くも、意識の外から突然現れた拳が彼に襲いかかる。灯真の魔術を警戒していた松平の部下が一人、いつの間にか広瀬のすぐそばまでやってきていた。体を逸らし辛うじて避けることはできたものの、広瀬は後退を余儀なくされる。その間に松平の回し蹴りが山本の左脇腹に直撃。腕を突き刺した黒い棒は折れ、山本は数メートル先まで飛んでいく。
  
「まあいい。どうせここで貴様ら二人も始末する予定だったからな」
「なん……だと?」
「お前らが日之宮総大将の指示で我々を監視していたこと、知らないとでも思ったか?」

 表情を強張らせる山本を見ながら、松平はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべる。

「喜ばしいことに、我々には同じ志を持つ協力者がいてね。おかげで如月灯真がこの場所を訪れることも、貴様ら二人がその女をこっそり回収しようとしていたことも、全て知っているんだよ! 総大将も初めから調査機関ヴェストガインに協力を仰いでいればよかったものを。まあ仕方ないよなぁ……ご子息のためとはいえ禁忌に手を染めようとしているのだから」
「黙れ! 何も知らねぇくせに」
「雑魚ほどよく吠えるというが……そいつを黙らせろ」

 松平の指示を受け、広瀬を狙った男が間合いを詰めて彼の腹部に右手を当てる。突然、大きな物体が腹部にぶつかってくる衝撃。広瀬は胃の内容物が押し上げられるような感覚に襲われながら、後方で横になっている来栖のそばまで後退させられ、彼を守るように展開されている灯真の羽に激突する。腹部に受けた損傷は呼吸を妨げ、声を出すことも難しい。
 先ほどまで灯真が仕掛けた罠を警戒していた他の部下たちも、何事もなかったかのように広瀬のところまで歩み寄ってきている。

「お得意の明かりはどうした?」
「ほら、いつもみたいにやってみろよ」

 広瀬は来栖の治療のために魔力を大量消費しており、何度も魔法を使えるほど余裕はない。それをわかっているのか、男たちは彼をニヤニヤと嘲笑しながら彼に近づいていく。

「やっぱりな」

 松平の猛攻が引き続き灯真に襲いかかる。何重にも展開している灯真の羽が防いでいるが、爪は次第にその距離を詰めていた。灯真の顔からスーッと汗が垂れ始める。

「先ほどの罠も大した威力だったが、魔術ラーズィムルであれほどのものを用意するには相当な魔力が必要だ。あの一発が限界だったんだろう?」
「……」
「部下たちは念入りに確認していたようだが、この鬱陶しい羽も残りが少なくなっているじゃないか」

 松平の部下たちが動かなかったのは、灯真の仕掛けたと思われる罠が他にあるのかを調べるため。拡張探知アンペクスドを用いて彼が作った羽の動きは分かっていたが、念には念をと灯真の様子を伺っていた。
 現在確認できているのは灯真の周辺に展開するものと、来栖たちを守るために広い範囲に展開しているもの、そして灯真の背中に未だ残る桜色の羽だけ。新たに作られた様子は見られない。

「……先輩、子供達を和也のそばに集めて固まってください!」
「え?」
「早く!」
「他のやつを心配する余裕なんてあるのか?」

 灯真の周囲に展開した残りの羽を砕かんと、松平の右手の攻撃は続く。岩端は初めて聞く灯真の大声に驚きながらも、立ち尽くす子供達を来栖のそばへ寄せていく。彼の体の上に生えた桜色の木は枝に咲いていた花が散り始め、ゆらゆらと彼の周りに落ちた花弁はスーッとその姿を消していく。

「かずや兄ちゃん……」

 寝ているようにしか見えない来栖の手を少年が触れようとすると、突然桜の木が砕け花吹雪のように破片が空を舞う。岩端たちの姿を隠すほど大量のそれは、来栖を中心に空に向かって渦を巻く。幻想的な景色に子供たちが目を奪われていると、破片は来栖の真上から一直線に彼の傷があった場所へと入っていく。全ての破片が彼の傷の中に消えると、あったはず穴は無くなっており服に開いた穴からは彼の白い肌は見える。

「嘘だ……確かに彼は」

 岩端が触ってみると彼の服は体から流れた血で濡れているし、地面にも血溜まりはある。夢ではない。手首に指を当てて確認すると脈拍を感じる。腹部の動きから呼吸しているのもわかる。彼は生きている。

「治癒の魔術……いや、でもこんな」

 来栖は死んだはず。広瀬が魔道具マイトでの治療を止めたのがその証拠だ。そうなると灯真は、法執行機関キュージストで装備している治癒の魔道具マイトでは助けられなかった来栖を、治癒どころか蘇生までしたということになる。

(効果に制限がある魔道具マイトと違って、魔術ならできなくはない。できなくはないけど、そんなことができるのか? 魔法の何倍も魔力を消費するっていわれていたはずだぞ!?)

「和也さん、どうなっちゃったの?」

 岩端に声をかけてきたのは、先ほどの訓練で彼に声をかけたメガネの少女だ。その暗い表情から、彼女の不安が見て取れる。

「傷は消えてるし、脈もあって息もしてる。詳しいことはわからないけど、彼は生きてるよ」

 生きている。その言葉を聞いた途端、子供達が抑えていたものが外れ感情の波が溢れ出す。目を真っ赤にして、頬に小さな滝を作り出した。小さい子たちは歓喜の咆哮と言わんばかりに泣き叫び、比較的上の年齢の子たちは服の袖で目から溢れ出るものを拭っている。

「あの傷を治しただと?……はっ、一体どれだけの魔力を消費したのやら」
 
 余裕を見せようとする松平ではあったが、来栖に起きた変化に驚きを隠せずにいた。与えた傷は完全に致命傷だった。広瀬の魔道具マイトでも治しきれないほどの。それを魔術を用いて治癒したとなると、彼が消費した魔力の量は計り知れないし、何よりそれだけのことをしてもまだ松平の攻撃から身を守る余力を残しているのは完全に想定外であった。

「……広瀬 佳久ヒロセ ヨシヒサ……それと、山本 悠理ヤマモト ユウリ……だったな」

 自身の動揺を隠そうとする松平の発言を無視して、灯真の口から広瀬と山本のフルネームが飛び出す。松平や彼の部下たちは一斉に耳を傾けた。名前を呼ばれた二人もまた、痛みに耐えながら灯真を見る。

調査機関ヴェストガイン規則及び協会ネフロラ法令に則り、来栖 和也殺害未遂の現行犯で松平 恭司とその部下たちの緊急逮捕を行う。そのために法執行機関キュージスト捜査員の両名に救援を要請する」
「私を逮捕だと? 何をふざけたことを!」

 声を荒げる松平を見向きもせず、灯真はまっすぐ山本のことを見ている。それが気に食わなかったのか、松平が眉間に深い皺を作る。

「二人が仲間ではないことは、すでに容疑者の口から出ている。事情はあとで聞かせてもらうが、今はこの容疑者を黙らせる方が先だ。力を貸して欲しい」

 来栖のような犠牲をこれ以上出さない。灯真の中にあるのはその想いだけだ。二人がどういう理由で松平とやりあっているのかはわからないが、今は一人でも協力できる仲間が欲しかった。

「……おれは……かまわないぜ」

 少しずつ呼吸を整えている広瀬は、苦しいのを我慢しながら口角を上げ答える。山本もまた、言葉には出さなかったが灯真と目を合わせ首を縦に振る。

「雑魚が何人集まろうが、無駄なこと。さっきのガキと同じようにこの手で」
「その手にもう命を奪わせるつもりはない」

 松平を見る灯真の目の色が変わる。強い力と意志を感じるの目に見つめられた松平の足は、無意識に一歩後ろへ下がっていた。

「ふっ……ふっはっはっはっはっ! いいだろう。やれるものならやってみろ。貴様は知らんだろうが、私はそいつらとの模擬戦で一度も負けたことはない。しかも二人はすでに手負いの状態。そして貴様は、あのクソガキの治療に魔力を大量に消費している。責任は取れんぞ?」
「……そのことも知っているんだな」
「我々の情報網を甘く見るな。15年前のように……いや、今度こそ息の根を止めてやるさ!」
「やらせない……ああ、やらせるわけにはいかない。背中を、叩かれたからには」

 灯真に何があったのかは誰もわかっていない。しかし言葉から感じる意思が、纏った空気が、反撃態勢に入ったことを全員に知らしめていた。 
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