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第1章 その翼は何色に染まるのか

33話 魔力枯渇

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『こうして空を見ながらの方が、自分の言いたいことを言える気がするんだよね』
「こんな夜にですか?」
『昼間はほら、周りの景色とか他の人の目とかが気になるからさ。夜は近くにいる人しか見えないし、けど部屋と違って閉鎖的じゃないし』
「まあ……なんとなくはわかります」
『それに夜空は誰のものでもなくて、空の下ではみんな同じって感じがするんだよ』
「そうですか?」
『あれ、違うかなぁ」
「違うとも言い切れないけど……違わないともいえないというか……よくわかんないです」
『変……かな……』
「悪くはないと思います」
『よかった~。また兄さんにバカなことをとか言われそうで』
「あぁ……あの人ならいいそうですね」
『そうだよねぇ……今の話、兄さんには内緒で!」
「言いませんよ。というか、怖くて話しかけれませんって」


 灯真の記憶に残る15年前の他愛もない話。だが、彼の優しさと人柄を感じたその時間のことは今も忘れることはない。そんな彼だからこそ目覚めた魔法がある。灯真はたった一度だけそれをこの目で見て、効果を体験した。今の状況を打破できるただ一つの手段として、彼はそれを思い浮かべる。


星が輝く夜の空は
全ての命を等しく迎え


「そんなに死にたいなら、私が楽にしてやる!」

 魔術の使用を予見した松平が両手を振り上げる。彼の足元が爆発したかのような勢いで炎が吹き出し、灯真たちを完全に包み込む。

「このままじゃ……」

 羽に囲まれた中の温度が上昇していくのを感じ、広瀬は焦っていた。このまま待っていても熱にやられてしまう。持っている魔道具マイトを使えば熱を和らげることはできるだろうが、それに魔力を消費してしまえば次の手がなくなってしまう。迷っていられる時間は少ない。しかし、暑さと体から吹き出る汗が彼の判断を鈍らせる。


光を喰らう深き闇は
始まりの地へと皆を導く

その力
日之宮誠一ヒノミヤ セイイチの心の名


「お前、今なんて……」

 聞き覚えのある名前を耳にし反応した広瀬だったが、灯真は彼の声が聞こえないほど集中している。


カルデンス闇のエスニルブ世界

 言葉を紡いだ途端、灯真は目の前が一瞬真っ白になり前のめりに倒れるが、左手を地面について踏ん張る。息を深く吸いながら呼吸を整えている間に、彼の背中から漆黒の羽が次々と姿を現す。炎に照らされても光を反射することすらないその羽は、炎に囲まれた壁の中をいっぱいにし、灯真と広瀬の空間がかろうじて維持されている。

「絶対に……その羽に触れないでくださいね」
「おっ……おう」

 目の前に浮かぶ羽が一体どんな効果を持っているのかわからなかったが、広瀬は炎の奥にいるであろう松平を見つめる彼の言葉に不思議な説得力を感じる。震える左手でなんとか体を支えているような状態なのに、灯真は広瀬よりも迷いのない強い意志で行動していた。

(迷ってる暇なんかねぇよな)

 彼の姿を見て広瀬は自分の頬を右手で殴りつける。迷いを断ち切るために。

「いつでもいいぜ。あいつが見えたら、俺の魔法で動きを止めてやる」

 広瀬の声を聞いてほんの一瞬だけ、合図を送るかのように灯真の目が彼の方に向く。

「いきます」

 灯真の掛け声と共に、宙に浮いていた黒い羽は一斉に地面へと向かい彼らの前方、炎の発生地点の大地を黒く染めていく。灯真の背中からは絶えず黒い羽が現れ、彼らの目の前を光の届かない別の世界に変えていく。一歩でも足を踏み入れれば落ちてしまいそうな穴にも見えるその光景に広瀬は動じることなく、松平の姿が見えるのを虎視眈々と待っている。
 炎は黒く染まった地面に入ってくることはなかった。灯真が展開していた壁のように炎の流れを妨げているのではない。もしそうなら、《炎の波》と名付けられた彼の魔法は止まることなく黒い大地の外側に流れていくはずだ。後ろにいた部下たちや来栖たちを包んでいた炎は姿を消し、熱にやられて立っていられなくなっている彼らの姿を確認できる。炎が深い闇の中に吸い込まれている。広瀬にはそう思えた。

「何が起きたんだ?」

 設置していた氷柱が溶けきり、再設置を考えていた矢先に自分たちを包んでいた炎が消え、山本は周囲の状況確認に入る。松平の部下たちの方も障壁エービラルによってかろうじて耐えたようだが、みんな膝をつき虚ろな表情をしている。障壁エービラルの使用による魔力消費と熱による脱水症状が彼らの体を蝕んでいた。

「みんな大丈夫か? 気分が悪くなった子は?」

 岩端は少しでも熱さから遠ざけようと、透明な壁に囲まれた空間の中心に子供達を集めていた。汗で肌に張り付いているワイシャツやスラックスを気にすることなく子供達の安否確認を行なっている。

「まっくろ……」
 
 子供達は灯真の背中から出現した羽とそれによって作り上げられた漆黒の大地に目を奪われていた。彼らの言葉を聞いて振り返った岩端もまた、その光景に見入る。それが灯真の使った魔術であることも、それが松平の炎を食い止めていることもすぐに気付くが、同時に彼は灯真のことを心配していた。魔力の消費が著しい魔術をこれほど多用して大丈夫なのかと。  

「もう少しです……準備を」
「わかってる!」

 灯真から声をかけられるよりも早く、広瀬は魔法を発動させるタイミングを伺っていた。光を見せることで効果を発揮する彼の魔法でより強い効果を出すためには、レーザーのように光を直接目に当てる必要がある。協会ネフロラ本部で灯真を狙った時のように。そのことは松平も知っている。彼が気付く前に仕掛けなければならない。炎が遠ざかるのを待ちながら、広瀬は頭の中で何度もシミュレーションを繰り返している。

「抵抗しても無駄だ!」

 灯真たちの姿は見えないが炎が高さを失っていることに気付き、松平は灯真が抵抗しているのだと察した。追い討ちをかけるように両手を振り上げさらに炎の勢いを強めていく。だが炎の波は高さを増すどころか、どんどん低くなっていく。
 彼の炎は距離が長くなるほどに勢いを増して波が高くなる性質を持つ。波が低くなっているということは、炎が広がる距離が短くなっているということ。しかし、灯真の魔法で作り出した壁にぶつかっているだけなら方向を変えるだけでそんなことにはならない。実際に、ついさっきまでその壁ごと彼らを包むほどの高さがあったはずなのだ。

「そんなに死にたいなら、抵抗など止めればいいものを。何が貴様をそこまで駆り立てる!?」

 松平にはわからなかった。抵抗しなければ炎に焼かれて死ぬ。抵抗を続けても魔力を失い死ぬ。どちらも結果は変わらない。むしろ、抵抗すればするほど苦しみは増すだけ。すでに限界が近いはずの灯真に、この状況を覆す手段があるとも思えない。しかしその認識が間違いだったと、松平は知ることになる。灯真たちを消し去るはずの炎が、自分が相当な量の魔力を使って生み出した波が消え去ったのだ。彼は自分の目を疑い、それが現実であると受け入れるまでに数秒の時間を要した。その間に飛んできた細い光線が、彼の右目に入り込む。広瀬が右手に持つ光球から一直線に伸びた光は、僅かな隙を見逃すことなく狙った位置に向けて飛んでいた。

「広瀬か……貴様の魔法なんぞ私には……」

 部下の使用する魔法を松平は全て把握している。彼の魔法『ティルフ・セヴィオ光の声』は光を使って相手の認識を改変する。強い意志を変えることはできず、障壁エービラルなどで影響を軽減することも出来る。何度も戦闘訓練を繰り返し、目的意識を強く持っていることが最大の防御策であることも知っていた。
 しかし、何かが違う。攻撃をしてはいけないという命令のようなものが松平の頭の中に響き、体の動きを阻害する。魔法で焼き尽くしてやろうと考えても、何故かそうしてはいけないという考えが浮かび魔力の操作を妨げる。

「上手くいったみたいだぜ」
「一体……何が……」

 灯真たちの目の前から、自身の足元まで広がる黒い地面に気付いたものの、その正体を考える間も無く強烈な睡魔が松平を襲う。

「少しの間大人しくしててくれや、主任」
「どう……やって……」

 そういって松平は黒く染まる地面に突っ伏した。強く体を打ったにも関わらず静かな寝息を立て熟睡している。

「どうにか上手くいったな……なあ、如月……」

 松平を鎮め一安心したからか、彼に魔法を絶対に当てると集中しすぎたからか、広瀬は灯真が倒れていることに気付かなかった。背中からはもう黒い羽は現れず、黒く染まった地面は羽が一枚一枚剥がれ、空へと上昇しながら粒子となって消えていった。

「しっかりしろ、おい!」
「上手く……いきました……か?」

 目の焦点は合っておらず、近寄った広瀬の声に反応しただけで彼の姿は見えていない。手足に力は入らず、僅かな呼吸と声を出すことしか出来ない。かつて灯真がディーナを見つけた時と同じ、魔力枯渇ラグナトルスの症状であった。

「ああ、主任は向こうで眠ってる。女もガキたちも無事だ」
「よかっ……」
「おい、如月!?」

 灯真の声はそこで途絶えた。かろうじて息はしているが、とても弱々しい。

(こうなっちまったらもう……)

 魔力枯渇ラグナトルスを治す方法は未だ発見されていない。魂が生み出す魔力が減り肉体をつなぐ糸を維持できなくなり、ゆっくりと魂が肉体から抜けていくのを待つしかない。

「灯真さん!」

 山本の制止を振り切り、ディーナが駆け寄る。松平が眠り彼の部下たちが動けない今、彼女を捕まえようとするものは誰もいない。力の抜けた灯真の手を握りしめるが、彼が握り返してくることはなかった。
 魔力枯渇ラグナトルスから回復する唯一の手段は、禁忌とされる契約の魔法テノクであると考えられている。契約の魔法テノクは魂同士を直結し魔力の共有を可能にするからだ。実際にディーナもこの効果によって命を救われている。しかし、それはかつて存在したとされる伝説の魔法であり、その存在も口伝により現代に残るのみ。事実上、治療不可能であると協会ネフロラでは結論付けている。広瀬はそのことを知っている。そして灯真が契約テノク魔道具マイトを持っていることや、ディーナにそれが使われたことを彼は知らない。
 さらにこの場所に展開している阻害結界ホルビニシオ が、契約の魔法テノクの効果にも影響を及ぼし、ディーナの魂から灯真の魂へ魔力が流れるのを妨げている。灯真にとって悪い条件が揃っていた。

(泣いてる場合じゃないわよ!)

 突然ディーナの頭に女性の声が響く。同時に灯真のことを見ていたはずの目の前が、急に真っ白な世界へと変わる。

『泣いてる場合じゃないの。あたしじゃもう彼を助けられない。あなたの力を貸して』

 声はディーナの目線より下から聞こえた。目線を下げるとそこにいたのはディーナよりも頭二つ分ほど低い背丈の女性だった。

『あたしはアーネス・リューリン。灯真の……えーっと……師匠かな?』
「灯真さんの?」
『詳しい話は後で彼から聞いて。今はそれどころじゃないから』

 そういってアーネスはディーナの右手を取ると、優しく両手で包み込む。

『あなたに私の持つ知識を、魔力の使い方を教えてあげる』
「魔力の……使い方……?」
『彼を救うには、魂が回復するまでの間だけ魔力を補ってあげる必要がある。でも、私の残り少ない魔力じゃ足りない。貴女の魔力が必要なの』
「……灯真さんが助かるなら……教えてください」

 ディーナはそういって彼女の手を両手で握り返す。その反応に、アーネスは優しい笑みを浮かべる。

『ありがとう、ディーナ』

 その言葉を最後に、ディーナは現実へと戻ってきた。目の前には今にも呼吸が止まりそうな灯真がいる。隣にはどうすることも出来ず立ち尽くす広瀬が、離れた位置には静かに眠る松平と、彼の部下が変な動きをしないように警戒する山本と、子供たちの様子を気にする岩端が見える。

「灯真さん……今、助けますね」
「無駄だ……こうなっちまったらもう助かる方法は……」

 自身の無力感に苛まれる広瀬は、なんとか喉の奥から声を絞り出す。そんな彼の声を聞いても、ディーナは動じない。気がつけば溢れていた涙がもう止まっていた。

「まだ助けてもらったお礼が出来ていませんから。美味しいものを食べさせてくれたり、本を読ませてくれたり、君島さんと会わせてくれたりしたお礼も残ってますから」

 ディーナは握っていた手をゆっくりと自分の額に当てると、ゆっくり目を閉じる。

「だから、まだ死なないで」

 その時何が起きていたのか、誰にも見えてはいなかった。これまでディーナの体に起きていた魔力の漏出は止まり、代わりに彼女の魂に繋がる見えない紐に大量の魔力が流れた。自然と流れていったのではない。ディーナが自分の魔力を認識し彼女の意思でその紐に流したのだ。
 阻害結界ホルビニシオの中とはいえ契約の魔法テノクで繋がる紐は消えていない。自然と魔力が流れるシステムが狂わされているだけ。アーネスはそのこともディーナに伝えていた。
 彼女が流した魔力の向かう先は灯真の魂。魂と肉体をつなぐ糸が切れ始めていたところに、ディーナのそれが入ったことで糸の修復が始まる。抜け始めた魂はゆっくりと肉体に戻り開いたままだった灯真の目がゆっくりと閉じた。

「これで……大丈夫……」

 ディーナはそのまま意識を失い灯真の隣に倒れる。心配した広瀬が顔を覗くと、彼女はとても穏やかな表情であった。
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