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第1章 その翼は何色に染まるのか

34話 贖罪英雄

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「ありゃ、かえちゃん。様子がおかしいよ!?」

 荷台にたっぷりと荷物を載せドルアークロへの道を進む軽トラックの助手席で、メガネをかけた糸目の男性が声を上げる。運転した森永かなえもその様子に気付いていた。

「その呼び方はやめろって何度も……あれは……阻害結界ホルビニシオ……?」
「建物の方じゃない?」
「ちょっと飛ばすよ」

 アクセルを踏み込み、森永は車を加速させる。といっても、荷物の重さのせいで速度はそれほど上がらない。阻害結界ホルビニシオが展開している位置は間違いなく建物が立っているところ。あれが展開している意味を、かつて法執行機関キュージストで捜査員をしていた森永はわかっている。

蛍司けいじ……もしかしたら手伝いをお願いするかも」
「わかってるよ。子供達のためならね」

 蛍司と呼ばれた男性は阻害結界ホルビニシオのことを知らない。しかし彼女の顔に見え隠れする焦りの色から、非常に危険な事態であることはすぐに察しがついた。

 その頃、阻害結界ホルビニシオを展開していた法執行機関キュージスト第1捜査班……松平の部下たちの間で、中に入った部隊から連絡がないことに動揺が広がりつつあった。

「おい、そっちに連絡は?」
『いや、まだない。そんなに時間がかかるとも思えないが』
「このままだと彼女らが帰って」
「誰が帰ってくるって?」

 聞いたことのある……いや、まだ聞こえてはいけないその声に反応し男が振り返ると、突然胸ぐらを掴まれ足が地面から浮き上がる。男の視界に入ってきたのは、怒りの形相で睨みつける森永であった。彼女は男を持ち上げたまま激しく揺さぶる。

「どうしてこんなところに阻害結界ホルビニシオが張られているの?」
「こっ……これ……は……極秘の……作戦行動なのっ……でっ……教える……ことっ……は」
「私が誰だかわかっていってるんだろうね?」
「あなたは今、協会ネフロラの所属になっていて捜査員ではありません。その意味はあなたならわかるでしょう?」

 かつて法執行機関キュージストに所属していた森永だったが、現在はドルアークロの施設長であり所属は協会ネフロラである。いくら元同僚であったとしても、現在の作戦行動に介入する権利は持たない。森永は悔しさを顔に滲ませながら男から手を離した。

「ゲホッゲホッ……わかっていただければそれで」
「僕はわかってないんですけどね」

 いつの間にか森永の隣に来ていた蛍司が、彼女も初めてみる鋭い目つきで男の腹を拳で軽く小突く。知らない男性の出現に警戒する男だったが、蛍司が小突いたところから爆発が起こり男を阻害結界ホルビニシオのすぐそばまで吹き飛ばす。

「蛍司!?」
「やばい状況なんでしょ? だったら、子供達のところに急がないと」
「貴様……今の攻撃、魔法によるものだな……法執行機関キュージストの作戦妨害がどういうことか……わかっているのか?」
「さあ? でも、この状況が普通じゃないってことは僕にもわかりますよ。だから、邪魔しないでください」

 蛍司は口元に笑みを浮かべながら、背中を丸め爆発の影響が大きかった腹部を押さえる男の後ろに回り込むと、慣れた様子で首に腕を回し締める。男は必死に抵抗するも蛍司の腕が外れることはなく、目の前が次第に砂嵐のようになりついには意識を失った。脱力した男の呼吸が止まっていないことを確認すると、蛍司はゆっくりと彼を地面に寝かせる。

「あんた……こんな大胆なことする人だった?」
「僕だってやるときはやりますよ。ハハハッ」

 後頭部を掻きながら照れ臭そうにする蛍司だったが、彼の動きは一切無駄を感じさせない教科書のお手本のようなものであった。彼を怒らせてはいけないと、森永は聞いたことがある。その意味が少しだけわかった気がした。

「そんなことより早くいかないと」
「ええ、そうね」

 森永は男が持っていた手錠を男の手にはめると、無線機を奪い蛍司と共に建物の方へと急いだ。

「今日はとっちんが来てるんだから大丈夫なのでは?」
「彼の実力は私も知っているけど、この結界は攻撃性の高い危険な魔法の使い手を相手にするときにしか使用しないの。子供達を守りながら無理をしたら……」
「でも、最近はちゃんと制御できてたし」
「彼の心の傷は、守れなかった人がいたことが原因なんでしょ? もし子供達を守れずに怪我でもさせたら」

 森永は捜査員時代に、灯真が遭遇した15年前の事件の捜査に参加している。彼の事情も、魔法暴走ラーズィープランブを患っていることも知っている。
 そもそもドルアークロで灯真に魔法の訓練をさせているのは、灯真の心の治療のためだ。来栖の受け入れをきっかけに彼と初めて対面した森永は、彼がこの施設にやってくる子供達以上に深い闇を抱えていると気付き、ドルアークロでの訓練を提案した。表向きは調査機関ヴェストガインでの仕事のために魔力の使い方を訓練するという名目だが、彼女は子供達との交流によって彼の心の傷を和らげられないかと考えたのだ。それが今、裏目に出てしまっている。

「……急がないと!」

 森永の話を聞いた蛍司は、不安そうな顔を見せると急に速度をあげて建物へと急いだ。彼のスピードに驚きながら森永も一歩遅れて後を追う。

(かすかに匂うけど……随分時間が経ってる感じね)

 走りながら森永は漂ってくる匂いに気がつく。特に戦闘が起きているような音はなく、人の声も聞こえない。

「みんな! どこにいるの!?」

 玄関までたどり着くと、灯真たちが乗って来た車があるのみで建物に変化は見られなかった。森永は部屋を隈無く捜索するが、子供たちの姿も灯真の姿も見当たらない。

「かえちゃん、こっち!」

 建物の裏手、訓練場の方を調べに行った蛍司の声だった。急いで森永は訓練場の方へ向かう。そこで彼女が見たのは、拘束されている法執行機関キュージストの捜査員たちと呑気に眠る松平の姿。そして、倒れている来栖・灯真・ディーナの3人と彼らを心配そうに見つめる子供達と岩端だ。

「ご無沙汰してます、森永先輩」
「佳久? それに悠里まで。これはどういうこと?」

 声をかけて来た広瀬と山本の姿に森永は驚きを隠せない。彼らは捜査員時代に森永と同じ班にいたことがあり面識があるが、彼女の記憶では松平とは配属されている班が違う。彼らの隣にいる蛍司は、拘束された捜査員たちを険しい表情で見つめている。

「全部話すと長いんですが……」


 森永たちが広瀬から事の顛末を聞かされている間、灯真は夢の中で大勢の人々に囲まれていた。かすかに霧がかかっていて彼らの表情はうまく見えない。

「みんな……」

 灯真を囲っていたのは、15年前に出会い彼に親切にしてくれた、そして守ることができなかった人々だ。次第に霧は晴れ、みんなが無表情で灯真のことを見つめているのがわかる。

「俺……今度は守れた。あの時みたいに一瞬なっちゃって、一人痛い思いをさせちゃった子もいたけど、覚えた魔術で彼のことは救えた。子供達も、ディーナのこともちゃんと守れた」

 緊張し震える手を握り締めながら灯真は精一杯答えた。しかし、彼を見つめる人々に反応する様子はない。そんな彼らの目にプレッシャーを感じながらも、灯真は言葉を続ける。

「このくらいで、あの時の償いになるとは思ってないよ。けど、ちょっと無茶しちゃって……羽を1枚も出せなくなるまで魔力を使ったから……きっと俺、死んじゃったんだよね……」

 魔力を消費し続け、魂に負荷をかけすぎた。体が動かなくなり自分が魔力枯渇ラグナトルスに陥った自覚はある。そうしなければ、みんなを守れなかった。そう言い聞かせるも、ディーナを守るという約束を果たせなくなることが、灯真は心残りだった。
 それまで一切反応しなかった周囲の人々が、ゆっくりと灯真に歩み寄っていく。何をされるのか不安はあったが、灯真は抵抗せず目を瞑って彼らにその身を委ねた。人々は彼を罵倒するでもなく叩いたりするわけでもなく、全員で持ち上げピッタリと息の合ったタイミングで彼を空へと放り投げた。胴上げのような形ではあったが、灯真の体が下に落ちることはなくそのまま空に向かって上昇し続ける。

「えっ?……」

 何が起きたのかわからぬまま灯真が彼らを見下ろすと、みんな灯真に向けて優しい笑みを向けている。何かを言っている人達もいるが彼らの声は灯真の耳に届かない。再び霧が深くなり、彼らの姿は見えなくなっていった。

 灯真が瞼をゆっくり開けると、そこはドルアークロの客間であった。外はもう暗く天井には小さな豆球だけが点灯している。未だぼーっとする頭で状況の整理をしていると、足元の方でもぞもぞと動く何かがいることに気付く。恐る恐る見てみると、そこには猫のように丸まって寝ているディーナの姿があった、

「目が覚めたか、とっちん」
「……ケイ君?」

 声のした方を向くと、そこには手に持ったスマートフォンの明かりに照らされている蛍司の姿があった。柱に寄りかかる彼のすぐそばには、半分だけお茶が入った湯呑みが置かれている。
 彼の名は国生こくしょう 蛍司けいじ。このドルアークロの職員であり、灯真とは15付き合いのある友人の一人である。

「どうしてケイ君がここに?」
「どうもこうも、今日とっちんが訓練に来るっていうから午後のシフト変えてもらってたのよ。体の方はどう?」
「大丈夫……みたい」

 ゆっくりと体を起こし灯真は体の機能を確認していく。手も足も問題なく動く。膝をついて立ち上がってみるが、力も問題なく入りふらついたりもしない。

「よかった……話は広瀬って人から聞いたよ。さすがと言いたいところだけど、無理しすぎだな。ただでさえ危険な状態なのに魔術ラーズィムルを多用するなんてさ」
「他に手がなかったんだ……」
「ズーやんを助けた魔術ラーズィムルってだろ? 話を聞いてすぐに分かったよ」
「和也の傷を治せるのが他に……和也は!?」
「大丈夫。念のため知り合いのところに入院して検査するってさ。向こうに移る前に意識も戻ったよ」
「そっか……」

 来栖の無事を知りホッとした灯真は、廊下の方へ向かうと障子を開けて中庭を覗く。冷たい風が肌に当たるのを感じながら、夢にみた景色を思い出す。

「さっきさ……グランセイズの人達に会ったよ」
「ん?」
「夢の中でさ……いつもは謝ってばかりだったんだけど、今日はちゃんと頑張ったって報告したんだ。そしたら突然胴上げされてさ。みんな笑ってた」

 灯真は彼らと過ごした日々を思い浮かべる。街を案内してくれた兵隊のお兄さん、洞窟を案内してくれた鉱夫のおっさんに、魔法を教えてくれたヒゲのじいさん、食事を提供してくれたおばさん……みんな良い人だった。でも、彼らはもうこの世にはいない。いつもは彼らの亡くなった時の姿を見るだけで、あんな風に笑っているところを見るのは初めてだった。

「とっちんほどじゃないけど、僕も夢に見るんだ、あの日のこと。何かやれることがあって動いてたら、みんなは死ななかったのかなって考えて……結局いつも、子供だった僕に出来ることはあの時何もなかったって、自分に言い聞かせて終わるんだけどさ」
「ケイ君……」

 蛍司は湯呑みを手に取り一口啜ると、揺れる水面に映る自分の顔を見つめながら話を続ける。彼もまた、灯真と同じく15年前の事件の被害者であり、魔法暴走ラーズィープランブを患っている。軽度ながら障害認定も受けている。

「僕と違ってとっちんの場合、目の前でアーネスさんたちの最後を見たわけだから僕よりもずっと辛かっただろうし、同じことが起きるのが怖くて人付き合いを避けようとしたのも無理はないと思ってた。償いたくても本人はこの世にいないし、彼女たちの家族とも会えるわけじゃないし」

 蛍司は15年前に帰還してから会うことがなかった灯真と、このドルアークロで再開して以来互いの近況を報告しあっていた。他の誰よりも、彼がどんな生活を送ってきたか理解している。
 湯呑みを置いて立ち上がると、蛍司は灯真の隣に来て一緒に星空を見上げる。

「でも今日、とっちんは逃げなかった。同じことを繰り返さなかった。ズーやんの命を救って、子供達もディーナって子も守り切った。もしかしたら皆それを知って出て来たんじゃない? 怒る時はものすごい怖かったけど、頑張った時はすごい褒めてくる人たちだったからさ」

 灯真は夢の中で最後に彼らが何を言っていたのか思い返す。それぞれ口の動きから予想するしかなく間違っているかもしれないが、灯真は彼らがこう言っていたように思えた。

見てたぞ
よくやったな
無理はするなよ
負けないでね

 彼らの声が聞こえた気がしたかと思うと、灯真の左目から一筋の涙が溺れ落ちる。それを拭い濡れた指を灯真はじっと見つめる。苦しいときや悲しいとき以外で涙を流すのは一体いつ振りか、灯真にもわからない。

(とっちんは本当に、翼のゼフィアス守護者ディルアーグナだよ。嫌がるだろうけど)

 灯真が発作を起こすことを心配して、蛍司は彼に付けられたもう一つの名を口にすることを躊躇う。その名が彼にとって重荷でしかないと知っているから。しかし、子供達を救ってくれた彼に相応しい名であると、蛍司は心の中で彼を讃えていた。15年前、自分を救ってくれたことを思い出しながら。

「本当にすごいよ、とっちんは。だって子供達だけじゃなくて建物まで無事なんだから。この部屋だって、本当なら今頃真っ黒焦げだ」

 蛍司はそういって小さな部屋の中をぐるっと見渡す。広瀬や山本の話によれば、松平の炎は灯真や彼の部下、そして子供たちを包むほど大きかったという。なのに、ドルアークロの建物は全くの無傷だった。彼以外にそれができた人はいない。

「建物はたまたまなんだよ」
「たまたま?」
「建物全部をカバーする余裕なんてなかったんだ。でも、これを持っていたから」

 そういうと、灯真はハンガーにかけられたジャケットの中から一枚のカードを取り出して見せる。半透明のその不思議なカードはよく見ると透明な羽が何枚も重なってできていることに蛍司は気付く。

「これって……」
「寝ている間に出している羽をカードの形に固めた物だよ。羽のままだと部屋中に広がって邪魔で……ジャケットに入れてたこれを羽に戻して建物を守るのに使ったんだ」
「寝てる間って、とっちん……これで羽何枚くらい?」

 1ミリにも見たない薄さのそのカードを揺らしたり指で叩いたり、折ろうと試みたりしながら蛍司は尋ねる。カードは非常に硬く、歪みもしない。

「最後に数えたのが10年くらい前だけど……その時で100枚は超えてたから、今ケイ君が持ってるそれは、多分10倍くらいは」
「……寝てる間にそんなに魔力を消費してて、調査機関ヴェストガインの仕事して大丈夫なのか?」
「今のところは……寝ていられる時間は短いけど」

 蛍司の問いに苦笑しながら、いつもの癖で寝ている間に出してしまった羽をカードの形に集めようとしたその時だった。部屋中になければおかしいはずの羽が一枚もない。それだけではなく、寝ている間に展開しているはずの散布探知エトラスクも使った気配がない。

「ケイ君……俺、途中で起きたりした?」
「いや? 森永さんと交代で見張ってたけど、起きたって話は聞いてないよ」
「時間は? 今何時!?」
「えーっと、もうすぐ20時」

 午後の訓練を開始したのが13時。そこから松平が来て戦っていた時間を差し引いても、寝ていた時間が長すぎる。

「どうかしたのか?」
「いや……普段だったらそんなに寝たら、部屋を羽が埋め尽くすくらいになるんだけど……」
「それって……症状が改善されたってことか?」
「よくわからないけど……そうなの……かな」
「ちょっとかえちゃん呼んでくるから、ここで大人しく待ってて!」

 慌てた様子で蛍司は森永を呼びに廊下を走っていった。

「灯真さん……これ……美味しいです……」

 どうやら夢の中で美味しいものを食べている様子のディーナは、とても嬉しそうな顔で口をもぐもぐさせている。

「助けてくれたのは……君か?」

 灯真はこうしてまだ生きているのが不思議でしょうがなかった。しかし、空の色を見て阻害結界ホルビニシオが消えていることを確認し一つだけある可能性が思い浮かぶ。それ以外に彼が助かる方法はなかった。契約テノクで繋がれたディーナからの魔力供給である。
 話を聞こうにも、当人は夢の中。きっとまだ向こうで食事中なのだろう。口の動きを止めていない。

「灯真さん……ありがとうございます……」
「……こちらこそ」

 その感謝の言葉は、命を救ってくれたことに対してだけではない。彼女と出会っていなければ、協会ネフロラ本部でのこともドルアークロでのこともなかった。もう一度頑張る機会を得たのは、彼女のおかげと言ってもいいだろう。

「彼女が道を作ってくれたのかな……」

 彼には今でも不思議に思っていることがある。ディーナに出会ったあの夜、どうしてアーネスの姿を見たのか。彼女の声を聞いたのか。アレがなければ、灯真がディーナの存在に気付くことはなかった。

「知りたくても、どうせ教えてくれないんだろうな」

 そういって灯真は自分の胸に手を当てる。もしかすると自分の中にいた彼女が、何かを感じて教えようとしていたのかもしれない。しかし、答えが返ってくることはない。そう分かっていながら、灯真は心の中で感謝の言葉を述べた。
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