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第2章 その瞳が見つめる未来は

5話 鉱夫はいつまでも鉱夫ってやつです

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* * * * * * 

魔法使いは魔法の存在を知らない人前で力を使うこと、

魔法の存在を知られるような行為を禁じられている。

しかし、それを未然に知る手段はない。

魔法が使われたか否か、協力者からの情報が頼りとなる。

魔法の存在を知るものは、魔法の使用を見かければ即座に通報する義務を有する。

法執行機関キュージスト調査機関ヴェストガインなどは協会ネフロラの認可を受けて業務中にのみ魔法を使うことを許されている。

しかし認可を受けての使用かどうか、発見者がわからないことも当然ある。

その場合は通報が優先される。

それをしなければ、万が一違法であった場合、

共犯者という扱いを受け罰則が発生するためである。

協会ネフロラ法令により定められたこの制度により、

調査機関ヴェストガインの業務は多忙を極めている。

* * * * * *




「……そう。今、警察も来て事情を聞かれてるとこ」
『調査員の指名とかは……ないですよね? 』
「個人的にはとっちんにお願いしたいけど、今回はちょっとな~……」

 警察官に事情を説明している光秀を横目に、蛍司は言葉を濁した。

『ちょっと?』
「こっちの話。誰でも大丈夫だから早めに来てもらえると助かる」
『わかりました。すぐに向かわせますので』
「ごめんな、こんな時間に。今日の当番がアスくんで助かったよ」
『次にそちらに行ったとき、また色々教えてもらうってことで手を打ちますよ』
「おお? いいねぇ。そういうの、嫌いじゃないよ」
『では、よろしくお願いしますね』

 通話を終えた蛍司はスマートフォンをポケットに押し込み、光秀のところへ向かう。一通り何があったのか話し終えたようで、彼は未だ目を開けない妻の横に座り手を握っている。

 明希が生きていることは確認できたが、意識が戻らない。警察は何か薬物を使われた可能性も考慮し救急要請。今は警察が用意してくれた毛布の上に寝かされ、救急車が来るのを待っている。

「通報は済んだのか?」
「ああ。すぐに人を寄越すそうだ」
「悪いな……その……色々……」

 俯く光秀の口から出た言葉はとても弱々しかった。集まった警察官たちと野次馬の足音や話し声でかき消されそうなほどに。

 本当は明希の様子をその目で確かめたいが、これだけ人が集まった中で魔法を使うことはできない。今はただ、その手から伝わる体温と微かに伝わる拍動で彼女の生を実感し、湧き上がる不安を押さえ込んでる。

「やめろよ。ヒデミーの口からそんな言葉が出るなんて……明日は雷雨かそれとも雪か……」
「なっ!?……どういう意味だよ?」

 深くため息を吐く蛍司に文句を言いながら、光秀が顔を上げる。蛍司の顔が見えるわけではないが、顔を上げた瞬間に聞こえた彼の吐息は、微かに笑っているように思えた。

「奥さんが起きた時、そんなんじゃ逆に心配させるだろ。この世で一番落ち込んだ顔が似合わない男だぜ、ヒデミーは」
「慰めてるのかおちょくってるのか……どっちだよ……」
「お好きな方でどうぞ」
「……とにかく、助かったよ。国生が来てくれなかったら、警察に捕まってたのは僕の方だ」

 あの時蛍司が来なければ、白杖で人を叩こうとしていた光秀の方が警察に通報されていてもおかしくはない。冷静になった今ならわかる。戯けた様子で肩を上げる蛍司は、正信や警察がこちらを見ていないことを横目で確認すると、真剣な表情で彼の隣にしゃがみ込む。

「メガネの隙間からが見えたんだ。頭の良いヒデミーが、こんな公衆の面前で意味もなくそいつを使うわけないからさ。それに……」
「……なんだよ?」
「ヒデミーがあんなに周りが見えなくなるのは、大事な人に何かあった時だけだと思って」
「……そうか」

 蛍司の頭の中に、かつての光秀の姿が浮かび上がり正信に止められていた時の姿と重なる。あの時の彼も、怒声をあげて周りの言葉に耳を傾けなかった。彼の本質が昔と変わらぬことに蛍司は複雑な思いを抱く。しかし、過去と現在の光秀の姿が重なったことでよりハッキリと見えた、大きく変わった腹部に蛍司は思わず笑いを堪えた。  
 
 昔の光秀は今よりもずっとスマートだった。そうなった理由を蛍司はわかっている。彼の体格が良くなったのは明希と付き合ってからだ。

「どうした?」

 蛍司が何か言葉を発したわけではないが、光秀は彼の吐息の音に現れた変化を聞き取っていた。笑いを堪えるために蛍司が口を手で覆ったためである。

「いや……何でもない。それより、どう思う?」

 緩んだ頬を元に取り戻し、蛍司は光秀に質問を返す。

「どうって……明希のことか?」
「そう。あの時ヒデミーが声を上げたのは、相手が魔力を使ったのを見たからだろ? だったら奥さんにも何か使われたんじゃないかって思ったけど、探知デクトネシオじゃわからないんだ」

 光秀に武道の類の経験はない。そんな彼が明希を運ぶ男との戦いで蛍司に注意を呼びかけたことは、彼が自身の魔法で通常とは違う魔力の流れを察知したことを意味する。その結論に至るのは、彼の魔法のことを知っている蛍司には必然であった。だから蛍司は、あの男が魔法使いであっただろうという仮説を立て、目を覚さない明希や彼女が入っていたダンボールに対して散布探知エトラスクを用いている。しかし、これといって異常らしきものは見つかっていない。

「人体にかけられたやつは、外から探知デクトネシオで見ることはできないよ。発光水晶ルエグナを使えば何かしらの形跡は探れると思うけど」
「ヒデミーはどう考えてる?」
「……わからない。ただ、あの男の行為を判断基準にして考えるのは性急だと思う。薬物を使われてる可能性だって十分あるわけだし」
「ミツ!」

 警察からの簡単な事情聴取から解放され、正信が歩み寄ってきた。声に反応し彼のことを蛍司が見上げると、正信の足がピタリと止まる。先程彼から感じた恐怖を思い出していた。

「あの……ミツ……その人は一体……」
「そういえば説明がまだだったな。彼は国生 蛍司。知人の一人だ」

 光秀の紹介に合わせて、立ち上がった蛍司は正信の前に右手を差し出す。

「国生 蛍司といいます。彼の親友の一人です」
「うっ……上杉……正信です。どうも」

 差し出された手を正信が恐る恐る握ると、蛍司はニッと笑みを浮かべ握り返す。自分に向けられた爽やかな顔からは全く想像できない、押し固められたような硬い皮膚に正信は驚く。

「誰が親友だ……全く」
「照れるなよ、ヒデミー。一緒に風呂に入った仲だろう?」
「あれは仕方なくだ」

 呆れた様子で返事をする光秀を見て、強張っていた正信の頬が緩んでいく。自分たちと遊んでいた頃と変わらない彼が、目の前にいる。長い間、罪の意識に苛まれ顔を合わすこともできなかった正信にとって、それは言葉にできないほど嬉しいことだった。

「どうかしました?」

 蛍司の握った手から、緊張によるものだろう余計な力が消えていた。

「いえ……ミツは相変わらずだなって思って」
「鉱夫はいつまでも鉱夫ってやつです」
「こっ……こう…ふ?」
「国生……変なこと言ってマサを困らすな」
「失礼だな。これにはちゃんと意味があって」
「はいはい。マサ、あんまり気にしなくていい」

 正信が蛍司の口から出た言葉に困惑しているその時、今回の事件の通報を受けた協会ネフロラでは職員たちが慌しく動き始めていた。


* * * * * *


「——通報内容は以上になります」

 ネフロラジャパンコールセンター……その中でも一番奥に作られた別室の中で、調査機関ヴェストガイン事務員である岩端 飛鳥が関係各所に連絡を取っていた。

「じゃあ、うちからは俺が行こう。ちょうど近くにいるから、15分もあれば現場に着ける」

 本当なら蛍司がいる現場には灯真に向かって欲しいと思っている飛鳥だったが、その日捕まったのは彼の先輩である紅野 幸路だった。飛鳥は彼の声を聞いて思わず苦笑する。魔法使いが絡んでいると分かっているからなのか、彼の声はやる気に満ちているように聞こえた。

(いつもこれくらいやる気出してくれればいいのに……)

 彼の担当事務員がいつも困っているのを飛鳥は知っている。調査に向かうときのやる気が、少しでも事務所での作業に向いてくれたらと口を溢していることも。しかし、今はそれどころではないので飛鳥はその感情を胸の中に仕舞い込む。

「助かります。あと法執行機関キュージストの方は……」
「こっちからは自分が出る」

 イヤホンから聞こえたその声に飛鳥は耳を疑った。

「兄さん!?」
「何をそんなに驚いているだよ」

 その声の主は岩端 聖イワハナ ショウ。岩端 飛鳥の兄であった。飛鳥がその声に驚いたのは、今日彼が出勤している日ではないと思っていたからだ。今日の当番は第1捜査班だが、聖は第2捜査班である。

「どうして兄さんが?」
「松平主任の件もあって第1(第1捜査班)がほとんど動かないんだ。おかげで、連中の分まで夜勤をやる始末さ」

 ドルアークロ襲撃の罪で法執行機関キュージスト日本支部元主任の松平 恭司が逮捕され、第1捜査班も共犯の疑いで勾留され通常業務が行えない状態となった。そのため、他の班の捜査員が穴埋めをする羽目になり、聖もそのうちの1人だった。

「紅野さん、とりあえず現地で合流してからどう動くか決めましょう」
「OK。じゃあ現地で」

 そこで2人からの連絡は切れた。連絡を終えイヤホンを耳から外し首から下げると、飛鳥は凝り固まった肩を片方ずつ前後に回していく。

「……紅野さんの予感的中だったな」

 市内で発生していた女性の失踪事件について、県警にいる協力者から調査の依頼が入っていた。それを担当しているのは、現地に向かっている幸路である。

 彼は今回の事件に、魔法使いが関わっていると踏んで乗り気で調査を開始した。しかし、どれだけ探しても魔法使いが関与した証拠はおろか、行方不明者の足取りすら掴めずにいた。それでも彼は自分の考えを変えずに調査を続行した。自分が真報……つまり、魔法使いが関与していると確信できる事件しか幸路は依頼を受けない。もちろんそれは勘ではなく、依頼の際にもらった情報から推理をした結果であるが、実際に彼が調査した事件は今のところ全て真報であり、彼が断った事件は一般人が起こしたものであった。

 そんな彼が担当した事件で何も証拠が出てこない状況に、同じ職場の誰もが今回こそ真報ではないとちょっとした期待を持っていた。同じ調査員たちの小さな嫉妬から来るものであるが、事務員たちのはそうではない。真報であるのとないのとでは、提出する書類の量が違う。真報の方がより詳しい情報が求められ、書かなければいけない量が増えるのだ。それを事務作業の苦手な幸路が作る。先のことはもう目に見えている。

「……またみんなの苦しむ姿が浮かぶ……」

 自分にもヘルプ要請が来るだろうなと、飛鳥は大きく肩を落とした。

 
* * * * * *


「聞き覚えのある名前だと思ったら、やっぱりお前さんか」

 事件現場では、警察の対応と協会ネフロラへの通報によってこちらに来るだろう人を待っている光秀たちの前に、スーツ姿の男が近づいてきた。制服姿の警察官が敬礼をしているところからして、同じ警察の人間であり彼らよりも偉い人だということはすぐにわかる。

「あれ、三科警部。久しぶりですね」
「何が久しぶりだ。お前といい如月といい、全然連絡よこさねぇで」

 顎の無精髭を撫でながら不機嫌そうな様子でやってきた三科警部の言葉に、思い当たることがあるのか蛍司は頭を掻きながら苦笑する。

「ちょっと色々あったもんで……」
「色々ねぇ……まっ、余計な詮索はしねぇよ。ところで、あいつは元気でやってんのか?」
「ええ。真面目に頑張ってますよ」
「そうか……それをもう少し早く聞きたかったんだが?」
「いや……その……申し訳ないです」

 申し訳なさそうに蛍司が頭を下げると、三科は鼻を鳴らし彼の肩を軽く叩く。そして周りを気にしながら彼の耳元に顔を近づける。

「今回のに似た案件を調べてもらってたが何の証拠も見つからなかった。だからお前さんたちとは関係ない事件かと思ってたんだが、もしかしてそうじゃねぇのか?」

 近くにいる警察官たちに聞かれないようにか、三科は小さな声で尋ねた。

「他の事件と同じかは分かんないですけど、今回のに関しては僕たちの領分と思います」
「そうか……じゃあ如月か誰かこっちに来んのか?」

 三科は事件の調査に灯真を指名するほど、彼のことを信用している。以前依頼をかけたときはいなかったため別の調査員が担当することになってしまったが、今回はそれとは別件。彼が来てくれるのを期待していた。

「警部……とっちんは今日当番じゃないみたいなので来ませんよ」
「そうか……」

 深いため息を吐きながら、三科は肩を落とした。警部が灯真のことを信用しているのは蛍司も知っている。気の毒に思ったのか今度は蛍司が彼の肩に優しく手を置いた。




「おいマジかよ……」
「もしかしてこのところ続いてる事件って」
「あのメガネの人、何かに気づいたのか!?」
「このおっさん強え!」

 一部始終を撮影していた野次馬が、自身のSNSで動画を投稿した。それによりこの事件は日本中に知れ渡ることとなる。犯人に攻撃しようとした光秀と、彼に代わって犯人から拐われた女性を救う蛍司の姿と共に。
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