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第2章 その瞳が見つめる未来は
8話 殺意が足りない
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* * * * * *
業務の一つに対魔法使い戦闘がある法執行機関だが
捜査員が魔法を使って応戦するのは
必要な場合のみであり
基本的には探知や活性など
魔力を用いた基本技術と
それを利用した格闘戦を主体とする。
彼らの目的は相手を殺すことではなく
罪を犯した同胞を捕まえることにある。
しかし、魔法は簡単に命を奪うことができる。
使うべき時は正しく見極めなければならない。
古の魔法使いたちが伝えてきたそれは
法執行機関の基本理念の一つとされている。
* * * * * *
「どういうつもりだい?」
膠着状態が続く中、聖の問いに心一は鼻で笑ってみせる。
「聖さんに話すことはねぇよ」
「そういうわけにはいかないでしょ。2年も行方眩まして、久しぶりに会ったと思ったらこれだ。力づくで聞かせてもらうしかないか?」
「やれるものなら」
「いったな」
心一の挑発的な物言いに眉をピクリと動かした聖は、相手に取られていた手を振りほどくと体を回転させる。しかし、心一も掴まれていた手を強引に引き抜き、彼とは逆向きに体を回転。二人の動きはまるでユニゾンしているかのように、回転の速さも狙いを定め足を鋭く突き入れるタイミングも同じ。お互いの踵が激しくぶつかり合う。力は互角。押し込もうとしてもびくともしない。
「力を隠してるのは弟のためか?」
「何の話だい?」
二人は中途半端に曲がった膝を勢い良く伸ばすと、押し合う力を利用して後退し距離をとった。
「落ちぶれた弟のことを気にして、目立った成績を残さないようにしてるんだろ?」
「さあ、どうだか」
聖が右足で地面を蹴り上げ心一に迫る。活性で強化された脚力は一瞬で心一との距離を詰めた。だが聖の左膝が顔面に迫っても、心一は慌てることなく体を素早く捻る。鼻の先数センチのところを聖の膝が通り過ぎるのを目で追いながら、心一の肘が自分の目の前にやってきた聖の大腿を狙う。
「おっと!」
心一の肘を掌で受け止めると、聖はその攻撃の勢いで近くのビルの入り口まで後退させられた。強烈な一撃を受けて痺れた手を何度も振るが、聖は心一から目を離さない。
「2年もどこか行ってたわりに、腕は鈍ってないみたいじゃないか」
「そういう聖さんこそ、それだけの力があればもっと上を目指せるんじゃ?」
「自分には荷が重いよ」
「なるほど……まあ、そうかもな。あんたの攻撃には」
心一の鋭い目からひしひしと伝わる気配に聖は震える手をぎゅっと握りしめ、足が後ろに下がろうとするのをグッと堪えた。
「殺意が足りない」
その言葉が聞こえた時には、すでに彼の姿は聖の目の前にあった。聖まで近づいたところで心一は左足を力強く踏み込み、前に行こうとするエネルギーが彼の右手に乗っていく。それが狙う先は胸のど真ん中、胸骨の部分。
法執行機関の捜査員たちは、犯人逮捕のために格闘戦になっても絶対にその位置を攻撃をしない。この位置に強い衝撃を与えることで心臓を止めてしまう恐れがあるからだ。だから顎や大腿部といった、相手を戦闘不能にできる位置を狙う。
聖の目に、心一の動きがスローモーションで映る。全ての時間が驚くほどゆっくりと流れて見えるこの現象を、聖は知っている。
——絶対に避けられない。
そう感じたことにより、脳の視覚情報処理が通常よりも早く行われている状態。タキサイキア現象と呼ばれている。
(これをまともに受ければ死ぬ!)
聖は胸の前で腕を十字に組み、心一の拳を受け止める。同時に、後ろに下がらないようと力を入れていた足を脱力した。腕に彼の拳がぶつかった瞬間、ボキボキッと腕の中で鈍い音が響いた。
腕の激しい痛みと共に彼の体感速度は元の状態に戻る。体は後ろにあったガラス製の自動扉を突き破り、そのまま建物内の壁に叩きつけられた。放射状のヒビが入った壁は、表面の石材がボロボロと落ちて中のコンクリートがむき出しになっていく。
「がはっ!」
地面に足を着けるも、聖は体を支えることができず前のめりに倒れる。視界はボヤけ、割れたガラスを踏む音が耳に入ったのを最後に彼は意識を失った。
心一はガラス片の散乱するフロアをまっすぐ聖に近づいていく。右腕は脱力してだらんと下がっているが指はピンと伸びており、彼は指先に魔力を集めていく。
「俺を相手に魔法を使わない時点で、あんたの負けだ」
「キャー!」
ガラスの割れる大きな音を聞いて上の階から下りてきた女性が、倒れている聖を見て悲鳴を上げる。彼女の声を聞き、建物内に残っていた人々が慌てて下のフロアへと向かった。
「……命拾いしたな、聖さん」
女性の目が聖に集中している隙に、心一はビルの外まで後退する。ガラスを踏み込む音に気付いた女性が視線を向けたときには、すでに心一の姿はなかった。
ビルの周辺に通行人はおらず、車も通ってはいなかった。人が残っていたのも、そのビルだけ。何事もなかったかのように心一は駅の方向へ歩き、立ち並ぶ飲食店の灯りで一際明るい通りまでやって来る。先ほどまでいた場所と違い、人の声や物音が絶えない。
心一はポケットからスマートフォンを取り出し電話をかける。
『はいはい~』
「俺だ。頼まれたことは済んだぞ」
『さすが、手が早い』
「あ゛!?」
通話の途中で、サイレンを鳴らしたパトカーが心一の横を通り過ぎ、聖のいるビルの方へ向かっていった。通行人や客寄せの店員が、何かあったのかと一瞬ざわつく。しかし、近くで起きた問題ではないとわかるとすぐに元の状態へと戻った。
『悪い意味じゃないですよ。良い意味で、です』
「他に追ってる奴はいなかった。これで問題ないだろ」
『ええ。これも全て、松平君のおかげでしょうか。ただ、放置しているのも可哀想ですから……以前お話した件、動いていただいても?』
「こっちはいつでもいい」
『では、根回しが済み次第連絡させていただきますね。いや~、楽し』
まだ相手の男が話している途中であったが、心一はふんと鼻を鳴らして通話を切った。
「いいさ、いくらでも協力してやる。探し物が見つかるまではな」
通りでは呼び込みの声が上がり、酒を飲んだであろう老若男女が楽しそうな声で騒ぐ。そんな中で心一は険しい表情で空を見上げる。街の明るさのせいで星がほとんど見えない真っ暗な空を。
◇
「おい、須藤。何がどうなってんだ!?」
警察署で蛍司に事情聴取をしていた三科は、部下からの呼び出しを受け再び現場へと来ていた。何でだと愚痴をこぼしながら到着したが、救急車へと運ばれていく変わり果てた聖の姿を見て、自分のことを呼び出した後輩刑事の須藤を問い詰める。
「こっちが聞きたいですよ。警部こそ、あの人とはどういう関係で?」
須藤は目を細め、懐疑的な態度を見せる。
「どういうって、駅前の事件の関係者だよ。被害者の」
「そういうことですか。応援に来た人たちが、警部が彼を現場に入れて話していたのを見たっていうから呼んだんです。てっきりまた警部の個人的な何かかと思いましたよ」
「まあ……それも間違っちゃいねぇ」
肩を竦める三科に呆れた須藤は、手に持っていた手帳を開き書かれた内容を読み始める。
「被害者は岩端 聖さん。持ち物の中にネフロラジャパンの社員証があったので身元はすぐにわかりました。原因は調べている最中ですが、彼が背中からそこのビルに突っ込んだみたいなんです。自動ドアのガラスは砕けていて、彼がぶつかったと思われる奥の壁にも亀裂が入ってます。ですが……」
手帳にそれを書いたのは須藤自身であるが、彼はその内容を見て訝しげな表情で口を止める。
「何だよ、勿体振らずに言え」
「高速を走ってる車にでも追突されない限り無理なんですよ! それをこの通りでやるなんて……」
三科たちがいる歩道にガードレールは設置されていないが、車道と歩道には段差がある。そして向かい側には別のビルが建っている。仮に向かい側の歩道からアクセルを全開にして彼に向かったとしても、奥の壁まで突き飛ばすほど車を加速させることはできない。物理的に不可能であった。
三科はすぐに入り口付近の歩道の縁や車道を確認する。車が無理やり走ってきたとしたならば車体を擦った跡があるはず。しかし、目立った傷は一つもない。すぐに三科の目線は歩道から周囲のビルへと移る。
「監視カメラは? 確かこの辺のビルにはいくつか設置してあるだろ」
「そっちはまだ確認中ですが、ガラスの割れる音を聞いて上の階から降りてきた第一発見者は、車が走り去る音を聞いていないそうです」
「なにがどうなってんだ……」
三科は警察署で蛍司から、聖は逃げた犯人を追いかけていったと聞いた。
「被害者は両腕の損傷がひどく開放骨折の状態で……」
須藤の言葉が三科の耳に入っていかない。現状を考えれば、聖をやったのは駅前の事件の犯人である可能性が高い。そして物理的に困難な現状から、犯人が魔法使いであるという疑いが三科の中で強くなっていく。
三科の左手が震えだす。彼の脳裏に浮かび上がるのは、過去に担当した事件……魔法という力の恐ろしさを思い知った忌まわしい記憶である。
「警部、話聞いてます?」
「あっ……ああ、聞いてる。とにかく今は情報集めんぞ。カメラの確認急がせろ!」
「りょっ、了解です」
いつになく鬼気迫る表情の三科に須藤は怖気付く。だが、同時に胸が躍っていた。犯人を絶対に逃さない、「鷹の目」と呼ばれた男の本気を見ることが出来るかもしれないと。
そんな須藤の思いとは裏腹に、三科の心の中は不安の色で塗りつぶされていた。もしやられたのが聖ではなく須藤や他の仲間たちだったら……と。彼はその感情を払拭せんと、携帯を開きメッセージを打ち込む。仕事用ではなく三科のプライベート用のものだ。同僚からはまだガラケーなのかと笑われているが、三科には使い慣れたこれの方が何かと便利だった。
——手を貸して欲しい。詳細は明日以降に連絡する。
連絡先の一覧から相手の名前を見つけ出すと、三科は一呼吸置いてから宛先として選択しメールの送信ボタンを押す。
今回の事件の調査は、幸路が担当している。彼らの業界でそれを良しとするかはわからない。だが、聖の状態を見た三科の頭の中にあるのは、新たな犠牲者を出さないこと。そのためには、彼の力が必要だと三科は判断した。
すぐにメールの返信は来た。一言、「わかりました」と。如何にも彼らしい端的な文章を見て、三科は僅かに顔を綻ばす。
差出人の欄に表示された名は、《如月 灯真》。
業務の一つに対魔法使い戦闘がある法執行機関だが
捜査員が魔法を使って応戦するのは
必要な場合のみであり
基本的には探知や活性など
魔力を用いた基本技術と
それを利用した格闘戦を主体とする。
彼らの目的は相手を殺すことではなく
罪を犯した同胞を捕まえることにある。
しかし、魔法は簡単に命を奪うことができる。
使うべき時は正しく見極めなければならない。
古の魔法使いたちが伝えてきたそれは
法執行機関の基本理念の一つとされている。
* * * * * *
「どういうつもりだい?」
膠着状態が続く中、聖の問いに心一は鼻で笑ってみせる。
「聖さんに話すことはねぇよ」
「そういうわけにはいかないでしょ。2年も行方眩まして、久しぶりに会ったと思ったらこれだ。力づくで聞かせてもらうしかないか?」
「やれるものなら」
「いったな」
心一の挑発的な物言いに眉をピクリと動かした聖は、相手に取られていた手を振りほどくと体を回転させる。しかし、心一も掴まれていた手を強引に引き抜き、彼とは逆向きに体を回転。二人の動きはまるでユニゾンしているかのように、回転の速さも狙いを定め足を鋭く突き入れるタイミングも同じ。お互いの踵が激しくぶつかり合う。力は互角。押し込もうとしてもびくともしない。
「力を隠してるのは弟のためか?」
「何の話だい?」
二人は中途半端に曲がった膝を勢い良く伸ばすと、押し合う力を利用して後退し距離をとった。
「落ちぶれた弟のことを気にして、目立った成績を残さないようにしてるんだろ?」
「さあ、どうだか」
聖が右足で地面を蹴り上げ心一に迫る。活性で強化された脚力は一瞬で心一との距離を詰めた。だが聖の左膝が顔面に迫っても、心一は慌てることなく体を素早く捻る。鼻の先数センチのところを聖の膝が通り過ぎるのを目で追いながら、心一の肘が自分の目の前にやってきた聖の大腿を狙う。
「おっと!」
心一の肘を掌で受け止めると、聖はその攻撃の勢いで近くのビルの入り口まで後退させられた。強烈な一撃を受けて痺れた手を何度も振るが、聖は心一から目を離さない。
「2年もどこか行ってたわりに、腕は鈍ってないみたいじゃないか」
「そういう聖さんこそ、それだけの力があればもっと上を目指せるんじゃ?」
「自分には荷が重いよ」
「なるほど……まあ、そうかもな。あんたの攻撃には」
心一の鋭い目からひしひしと伝わる気配に聖は震える手をぎゅっと握りしめ、足が後ろに下がろうとするのをグッと堪えた。
「殺意が足りない」
その言葉が聞こえた時には、すでに彼の姿は聖の目の前にあった。聖まで近づいたところで心一は左足を力強く踏み込み、前に行こうとするエネルギーが彼の右手に乗っていく。それが狙う先は胸のど真ん中、胸骨の部分。
法執行機関の捜査員たちは、犯人逮捕のために格闘戦になっても絶対にその位置を攻撃をしない。この位置に強い衝撃を与えることで心臓を止めてしまう恐れがあるからだ。だから顎や大腿部といった、相手を戦闘不能にできる位置を狙う。
聖の目に、心一の動きがスローモーションで映る。全ての時間が驚くほどゆっくりと流れて見えるこの現象を、聖は知っている。
——絶対に避けられない。
そう感じたことにより、脳の視覚情報処理が通常よりも早く行われている状態。タキサイキア現象と呼ばれている。
(これをまともに受ければ死ぬ!)
聖は胸の前で腕を十字に組み、心一の拳を受け止める。同時に、後ろに下がらないようと力を入れていた足を脱力した。腕に彼の拳がぶつかった瞬間、ボキボキッと腕の中で鈍い音が響いた。
腕の激しい痛みと共に彼の体感速度は元の状態に戻る。体は後ろにあったガラス製の自動扉を突き破り、そのまま建物内の壁に叩きつけられた。放射状のヒビが入った壁は、表面の石材がボロボロと落ちて中のコンクリートがむき出しになっていく。
「がはっ!」
地面に足を着けるも、聖は体を支えることができず前のめりに倒れる。視界はボヤけ、割れたガラスを踏む音が耳に入ったのを最後に彼は意識を失った。
心一はガラス片の散乱するフロアをまっすぐ聖に近づいていく。右腕は脱力してだらんと下がっているが指はピンと伸びており、彼は指先に魔力を集めていく。
「俺を相手に魔法を使わない時点で、あんたの負けだ」
「キャー!」
ガラスの割れる大きな音を聞いて上の階から下りてきた女性が、倒れている聖を見て悲鳴を上げる。彼女の声を聞き、建物内に残っていた人々が慌てて下のフロアへと向かった。
「……命拾いしたな、聖さん」
女性の目が聖に集中している隙に、心一はビルの外まで後退する。ガラスを踏み込む音に気付いた女性が視線を向けたときには、すでに心一の姿はなかった。
ビルの周辺に通行人はおらず、車も通ってはいなかった。人が残っていたのも、そのビルだけ。何事もなかったかのように心一は駅の方向へ歩き、立ち並ぶ飲食店の灯りで一際明るい通りまでやって来る。先ほどまでいた場所と違い、人の声や物音が絶えない。
心一はポケットからスマートフォンを取り出し電話をかける。
『はいはい~』
「俺だ。頼まれたことは済んだぞ」
『さすが、手が早い』
「あ゛!?」
通話の途中で、サイレンを鳴らしたパトカーが心一の横を通り過ぎ、聖のいるビルの方へ向かっていった。通行人や客寄せの店員が、何かあったのかと一瞬ざわつく。しかし、近くで起きた問題ではないとわかるとすぐに元の状態へと戻った。
『悪い意味じゃないですよ。良い意味で、です』
「他に追ってる奴はいなかった。これで問題ないだろ」
『ええ。これも全て、松平君のおかげでしょうか。ただ、放置しているのも可哀想ですから……以前お話した件、動いていただいても?』
「こっちはいつでもいい」
『では、根回しが済み次第連絡させていただきますね。いや~、楽し』
まだ相手の男が話している途中であったが、心一はふんと鼻を鳴らして通話を切った。
「いいさ、いくらでも協力してやる。探し物が見つかるまではな」
通りでは呼び込みの声が上がり、酒を飲んだであろう老若男女が楽しそうな声で騒ぐ。そんな中で心一は険しい表情で空を見上げる。街の明るさのせいで星がほとんど見えない真っ暗な空を。
◇
「おい、須藤。何がどうなってんだ!?」
警察署で蛍司に事情聴取をしていた三科は、部下からの呼び出しを受け再び現場へと来ていた。何でだと愚痴をこぼしながら到着したが、救急車へと運ばれていく変わり果てた聖の姿を見て、自分のことを呼び出した後輩刑事の須藤を問い詰める。
「こっちが聞きたいですよ。警部こそ、あの人とはどういう関係で?」
須藤は目を細め、懐疑的な態度を見せる。
「どういうって、駅前の事件の関係者だよ。被害者の」
「そういうことですか。応援に来た人たちが、警部が彼を現場に入れて話していたのを見たっていうから呼んだんです。てっきりまた警部の個人的な何かかと思いましたよ」
「まあ……それも間違っちゃいねぇ」
肩を竦める三科に呆れた須藤は、手に持っていた手帳を開き書かれた内容を読み始める。
「被害者は岩端 聖さん。持ち物の中にネフロラジャパンの社員証があったので身元はすぐにわかりました。原因は調べている最中ですが、彼が背中からそこのビルに突っ込んだみたいなんです。自動ドアのガラスは砕けていて、彼がぶつかったと思われる奥の壁にも亀裂が入ってます。ですが……」
手帳にそれを書いたのは須藤自身であるが、彼はその内容を見て訝しげな表情で口を止める。
「何だよ、勿体振らずに言え」
「高速を走ってる車にでも追突されない限り無理なんですよ! それをこの通りでやるなんて……」
三科たちがいる歩道にガードレールは設置されていないが、車道と歩道には段差がある。そして向かい側には別のビルが建っている。仮に向かい側の歩道からアクセルを全開にして彼に向かったとしても、奥の壁まで突き飛ばすほど車を加速させることはできない。物理的に不可能であった。
三科はすぐに入り口付近の歩道の縁や車道を確認する。車が無理やり走ってきたとしたならば車体を擦った跡があるはず。しかし、目立った傷は一つもない。すぐに三科の目線は歩道から周囲のビルへと移る。
「監視カメラは? 確かこの辺のビルにはいくつか設置してあるだろ」
「そっちはまだ確認中ですが、ガラスの割れる音を聞いて上の階から降りてきた第一発見者は、車が走り去る音を聞いていないそうです」
「なにがどうなってんだ……」
三科は警察署で蛍司から、聖は逃げた犯人を追いかけていったと聞いた。
「被害者は両腕の損傷がひどく開放骨折の状態で……」
須藤の言葉が三科の耳に入っていかない。現状を考えれば、聖をやったのは駅前の事件の犯人である可能性が高い。そして物理的に困難な現状から、犯人が魔法使いであるという疑いが三科の中で強くなっていく。
三科の左手が震えだす。彼の脳裏に浮かび上がるのは、過去に担当した事件……魔法という力の恐ろしさを思い知った忌まわしい記憶である。
「警部、話聞いてます?」
「あっ……ああ、聞いてる。とにかく今は情報集めんぞ。カメラの確認急がせろ!」
「りょっ、了解です」
いつになく鬼気迫る表情の三科に須藤は怖気付く。だが、同時に胸が躍っていた。犯人を絶対に逃さない、「鷹の目」と呼ばれた男の本気を見ることが出来るかもしれないと。
そんな須藤の思いとは裏腹に、三科の心の中は不安の色で塗りつぶされていた。もしやられたのが聖ではなく須藤や他の仲間たちだったら……と。彼はその感情を払拭せんと、携帯を開きメッセージを打ち込む。仕事用ではなく三科のプライベート用のものだ。同僚からはまだガラケーなのかと笑われているが、三科には使い慣れたこれの方が何かと便利だった。
——手を貸して欲しい。詳細は明日以降に連絡する。
連絡先の一覧から相手の名前を見つけ出すと、三科は一呼吸置いてから宛先として選択しメールの送信ボタンを押す。
今回の事件の調査は、幸路が担当している。彼らの業界でそれを良しとするかはわからない。だが、聖の状態を見た三科の頭の中にあるのは、新たな犠牲者を出さないこと。そのためには、彼の力が必要だと三科は判断した。
すぐにメールの返信は来た。一言、「わかりました」と。如何にも彼らしい端的な文章を見て、三科は僅かに顔を綻ばす。
差出人の欄に表示された名は、《如月 灯真》。
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