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第2章 その瞳が見つめる未来は

11話 僕はお前を許さない

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* * * * * *

「なんでこうなっちゃったんだ……」

目の前に横たわる彼の息遣いはいつのまにか止まり

代わりに駆けつけた大人たちの嗚咽が響く

「どうしてこうなっちゃったんだ……」

戦いは終わったのだと聞かされた

誰かが戦いを止めたのだそうだ

「誰のせいで……」

戦いは止まったが、誰かが魔法を暴走させたらしい

そのせいで、救助が遅れているのだと

「そいつがちゃんとやっていればこの人は……」

どす黒い感情が少年の頭を支配していく

彼を失った悲しみは

救助を妨げたことへの怒りに

彼の命を奪ったことへの憎しみに塗りつぶされていく

溢れる涙を拭い

その頬を彼の血で赤く染めながら……

* * * * * *

「ここで働き始めたと聞いたときは驚いたよ。お前みたいな奴にできる仕事かって」

 光秀のトゲのある言葉に、事務所にいた全員が作業の手を止め耳を傾ける。これまで灯真のことを知る人物がここに来たことはなく、彼の発言は皆の興味を引いた。灯真は彼から目線を逸らしたまま口を閉ざしている。
 
「悪いことは言わない。さっさと辞めて、魔法とは無関係な仕事を探した方がいい。その方が、この職場の人達のためになる」

 職場の全員に動揺が広がる。誰もが言葉を失い、事務所内が静まり返る。灯真と知り合いだと聞かされていた幸路も、まさかそんな話をするとは考えてもおらず唖然とする。

「お前みたいな、自分のことしか考えてない奴がやっていい仕事じゃない。仕事に困ってるなら僕が探してやる。誰にも迷惑をかけないような仕事をな」

 彼の言葉に一番反応していたのは、灯真の後ろにいたディーナだった。大きく頬を膨らませ、今にも光秀に殴りかかりそうな彼女の怒りは、灯真にもハッキリと伝わっている。だが彼は、何も言わず前に出ようとする彼女の道を手で塞いだ。ディーナが不思議に思い灯真の顔を見ると、唇を強く噛み締めている。

——お前がもう少し早くその力を使ってくれていたらな——

 突如、誰かの声がディーナの頭の中に響き渡る。その声は、灯真が眠っている時に思い出している声の一つ。ディーナにも聞き覚えがあった。

——お前がちゃんとその力をコントロールしてればな——

 その声はとても低いトーンで、怖さと共に悲しみを感じさせる。

——あの人たちも死ななかったんだ——

 その言葉が聞こえたかと思うと、ディーナの目の前は調査機関ヴェストガインの事務所ではなくなっていた。目の前に現れたのは、頬を血で染めた少年だった。大きな傷跡がある両目は、白目も全て真っ黒に染まっている。いつもの灯真の夢では、声が聞こえるだけで人の姿を見ることはない。だがディーナには、その声の主が目の前の少年であると直感的にわかった。
 少年はその異形な両目でディーナのことを見つめる。刺すような鋭い目つきはディーナの呼吸を止めさせ、手足は震え動くこともできない。

——お前が殺したんだ——

 恨みつらみを全てぶつけるようなその一言で、ディーナは我に返った。体から汗が噴き出しており、まるで息を吹き返したように荒々しい呼吸で酸素を体に取り入れる。

「……すまない、ディーナ」

 灯真のとても小さな声がディーナの耳に届く。彼の左手はいつのまにかディーナの手を握っていた。苦しそうな表情をする灯真を見て、ディーナは彼の手を強く握り返した。
 
「苦情でしたら、私がお受けしますが?」

 事務所内に緊張が走る中、口を開いたのは土屋主任だった。自分の席を立った彼は、歩きながら灯真を一瞥すると彼と光秀と間に入る。光秀の姿が灯真から見えないように。

「あなたは?」
「失礼、調査機関ヴェストガイン日本支部主任の土屋と申します。うちの如月が何かご迷惑をおかけしましたか?」

 いつになく冷静な口調の土屋に幸路は息を飲んだ。

「彼とは以前色々とありまして……」

 それまで灯真に対して堂々としていた光秀だったが、土屋から感じられるものに声の調子が落ちていく。後退りさせられそうになるそれは小さく静かな、でもとても強い怒りだ。

「色々……ですか」
「彼を働かせていれば……いずれ、調査機関ヴェストガイン全体に多大な被害が出ると思いまして、辞めるよう助言をしていたまでです。彼自身もそれを分かっているようですし」

 土屋が後ろを振り向くと、灯真は未だ光秀の方を見ようとはしない。苦悶の表情を浮かべ、唇を噛みすぎたのか口の端からすーっと血が流れた。ディーナが慌てて持っていたハンカチを取り出し血を拭き取る。奇妙な笑みを浮かべる光秀は、自身の魔法によって灯真の姿をしっかりと見ている。彼の表情の変化から言われたことを理解していると捉え、土屋に恐怖を感じながらも自分の考えに自信を取り戻していた。
 二人の反応を見て、深いため息を零した土屋は光秀に向かって口を開く。

「それは困りましたね……如月はうちの大事な戦力。それを辞めさせようというのは、業務妨害ではありませんか?」
「如月が戦力?」

 それは、光秀からしてみれば意外な返事だった。自分を守ることしか考えなかった男が、大事な人の命を奪った男が戦力だなんて、到底理解できるものではない。土屋の言葉に憤りを感じ、光秀は歯を食いしばる。

「ええ。少し働き過ぎではありますが」
「それはあいつが昔、何をやったのか知らないから言えるんですよ。あいつは——」
「ストップだ、ヒデミー」

 声を荒げて何かを言おうとした光秀を静止したのは、入り口に立っていた蛍司だった。

「国生?」
「ケイ君……どうして?」

 彼の登場に灯真も、そして光秀も驚きを隠せない。事務所の職員たちが知らない人物の登場に疑問を抱く中、幸路だけが彼の姿を見て少しホッとした様子を見せている。

「この前の事件の話が聞きたいって紅野さんに呼ばれたんでね」

 そういって蛍司は幸路に向かって小さく手を振ると、彼は軽く会釈した。蛍司に事件の詳細を改めて聞く日を確認したところ、偶然光秀に来てもらう日と一致した。その時は1日で確認作業が終わることを喜んだ幸路だが、今は別の意味で彼が今日来てくれたことを嬉しく思っている。彼の登場で場の空気が変わった。

「ヒデミー、それ以上は言わない約束なはずだぞ」
「それは……」

 15年前の事件のことは、日本支部長である君島にも知らされないレベルでの極秘案件となっている。当時の被害者たちにも箝口令が出され、詳細を語ることを禁止されている。それは事件が前代未聞の出来事であったこともそうだが、何より被害者たちの精神的ケアを考えてのことであった。現に、灯真を筆頭にその時のことを思い出しただけで発作を起こし魔法を暴走させる被害者は多かった。光秀はそのことを思い出し言葉に詰まる。
 
「いつまでとっちんだけのせいにするつもりなんだ? あれは僕たちにだって——」
「僕たちにできることはなかった。でも如月にはあった。その事実は変わらない」
「ヒデミー……」

 困った顔をする蛍司だったが、その心境は複雑だった。彼がそこまでいう理由も、灯真に怒りの矛先が向いている理由もわかっている。だが同時に、彼の発言にある矛盾もわかっている。彼に同情する自分と、彼を否定する自分が混在し蛍司もかける言葉に迷っていた。

「紅野さん、僕はこれで失礼します。また進展があったら教えてください」
「えっ……はい、わかりました」

 イライラした様子の光秀は、白杖を一切床につかずスラスラと土屋の前まで歩いていく。

「どのような考えで彼を雇っているかは存じませんが、僕の考えは変わりません。気をつけたほうがいいですよ」
「貴重な意見の一つとして受け取っておきます」

 土屋の言葉から感じ取れる静かな怒りは収まる様子を見せないが、彼はそれを表に出さぬまま小さく会釈する。光秀は土屋から顔をそらすと横をすり抜けるようにして灯真の前に向かった。

「助かるはずだったみんなを死なせたのはお前だ。僕はお前を許さない。絶対にな」

 低い声で怒りをむき出しにしたその発言を聞いて、灯真は空いていた右手を強く握りしめる。サングラスの隙間から覗く彼の目を見て、ディーナは先ほどの少年が光秀だということに気付く。驚くディーナや蛍司を見向きもせず、光秀はそのまま事務所を出ていった。

「ヒデミーのやつ……」
「ありがとう、ケイ君」
「いいのいいの。あいつもいつか、わかってくれるといいんだけど」
「いいんだ……稲葉さんの言ってることも事実だから……」
「とっちん……」

 落ち着きを取り戻そうと、灯真は深呼吸するとそのまま目の前にいる土屋のところに向かう。

「主任……その……すみません」
「さっきの件、どういうことか説明できるか?」

 灯真は口を開こうとはしない。手を強く握りしめたままずっと俯いている。先ほど蛍司が言った「言わない約束」というのが、よほどの事情があるのだろうということは土屋にも察しがついた。

「話せないというならそれでもいい。如月がうちの大事な戦力だという私の考えは変わらない」

 土屋の言葉に驚き顔を上げた灯真の目に映ったのは、灯真のことを拒絶するのでもなく蔑むのでもなく、いつもと変わらない上司の姿だった。

「如月が真面目に仕事しているのはみんなわかっている。辞めたいというなら無理強いはできないが、私は辞めてほしくはない。さっきも言った通り、働きすぎだからもう少し休みは取ってほしいがな」
「主任……」
「全員、この件に関しては他言無用だ。いいな?」
「異議な~し」
「はい」
「了解っす」
「わかりました~」

 返事をした人たちを灯真が目で追っていくと、笑みを見せる者や手で合図を送る者もいる。それぞれが思い思いの返事をしていたが反対の意見が出ることはなかった。
 社畜人形という灯真に付けられたあだ名は、人形のように働くからという意味であって彼の能力を表したものではない。彼のおかげで仕事が減って喜んだり、頑張りすぎる彼を見て小馬鹿にしたり哀れんだり、思っていることはみんな違う。しかし、灯真が真面目に仕事をしていることはちゃんとわかっている。それは職業柄、目配りが利く人材が揃っているというのも理由としてある。

(ドルアークロの子供達にも見習わせたいな……)

 灯真が昔のこともあって、他者とのコミュニケーションを苦手とし必要最低限に抑えているのを蛍司は知っている。そんな彼のことを理解している人材が揃っていることに、蛍司は感心していた。
 
「ちょっと待ってください、主任」

 ただ一人、幸路だけは周囲とは違う空気を纏い不満げな表情を浮かべていた。

「なんだ?」
「さすがにあんな話を聞かされて、確認取らないってのは良くないんじゃないですか?」
「ここに入る前の犯罪歴は全て確認されてる。お前も見てるだろう?」
「そうですけど……」

 調査機関ヴェストガインに入るにあたって調べられた灯真の職歴や犯罪歴は、指導者であった幸路も確認している。これまで事件を起こしたことはない。もちろん、光秀のいう人を死なせるようなことも。

「紅野さん、どうかしたんすか?」
「そうよ。彼が働きすぎなこと一番心配してたのに」

 他の職員たちから見ても、幸路の反応は変だった。職員たちの中で、一番灯真を気にかけていたのは指導をしていた幸路だったからである。

「国生さん、如月は何やったんですか? あなたは知っているんでしょう?」
「えーっと……それについては言えないんです、本当に」

 幸路の問いに、少し困った様子で蛍司は答えた。言わない約束になっているし、話して騒ぎになったら灯真が発作を起こすかもしれないという懸念が蛍司にはあった。

「どうして!?」
「あんな話をされたら興味が湧くのもわかるんですが、こればっかりは……」
「紅野止めろ。如月のプライベートなことかもしれないだろうが」

 土屋が注意しても、幸路は力の入った目で蛍司のことを見つめ治る気配がない。蛍司は何か良い手はないかと思考を巡らせる。

「……一つ教えられることがあるとすれば」
「何ですか? 教えてください!」
 
 昔の話をするわけにはいかない。しかし、幸路は灯真のことを知りたがっている。そう考えた蛍司は、教えられそうでかつ興味を持ってもらえそうな情報を記憶の中から一つを選び出した。

「とっちん……灯真は、自分より背の小さい女性がタイプってことぐらいですかね」

「「「え!?」」」

 蛍司以外の全員が同じ言葉を発した。なぜかディーナや灯真までもが。

「ケイ君、何を言って——」
「如月……お前……ロリコンってわけじゃないよな?」
「ちっ、違います!」
「そうかぁ……わかるぞ、如月!」
「何がですか!?」
「それってもしかして、昔好きだった人が自分より背が小さかったとか?」
「おー、鋭いですね」
「ケイ君、ちょっと……」


 笑みを浮かべる蛍司の口から出た意外すぎる情報に、職員たちは彼の予想以上に興味を示した。幸路だけは求めていた情報ではなかったことに苛立っているが、そんな彼が口を挟めないほど職員たちは大いに盛り上がっている。普段表情の変化に乏しい灯真のとまどう姿も、彼らにとっては新鮮だった。

「どっ……どのくらい小さい方がいいんですか!?」

 ディーナが割り込むように質問を投げかけると、職員たちの目がディーナに集まっていく。事務所内が急に静まり返った。

「えっと……その……」
「ディーナちゃん」

 それまでのにこやかな表情とは違い、真顔になった蛍司がポンッとディーナの肩を軽く叩く。何を言われるのかとディーナは不安になってくる。

「ディーナちゃんは大丈夫」
「え?」
「ケイ君、何を言ってるのさ……」

 蛍司の言葉に幸路を除く職員全員が一斉に頷く。灯真とディーナだけが、その反応の意味が理解できずにいる。

「そういうことじゃなくて——」
「紅野、いい加減にしろ!」

 納得がいかない幸路の言葉を、土屋の怒声が遮る。それまでの和やかな空気が一瞬でピリッと張り詰める。初めて聞く土屋の声に驚き、ディーナは灯真の影に隠れた。

「お前もを話されたくないだろう!」

 幸路は厳しい表情のまま土屋から顔を背けた。職員たちは近くの人と目を合わせ首を傾げる。誰も紅野の家の話は聞いたことがない。

「如月の件も同じだ。これ以上の追求は許さん。いいな?」
「……わかりました」

 なぜ彼がそこまで灯真のことを知りたがるのか。彼の行動を不審に思う土屋だったが、それを心の内に留めて蛍司の下へ歩み寄る。

「国生 蛍司さんですね。改めまして、日本支部主任の土屋と申します。今日はこちらまでご足労いただきありがとうございます」
「すみません、友人が失礼なことを」
「何か事情がお有りのようですから、お気になさらず。それより、あのようなことの後ですので、本日は紅野に変わって私がお話を聞かせていただこうと思うのますが、よろしいでしょうか?」
「主任、それは俺が!」
「お前は少し頭を冷やせ。これは命令だ」

 蛍司に灯真のことを追求しかねない。そう考えた土屋の判断だった。不機嫌さを顔にハッキリと出したまま、幸路は自分の机に置いてあったカバンを手に取ると入口の扉へ向かう。

「どこへ行く?」
「……現場周りを見て、そのまま直帰します」

 蛍司に向かって軽く頭を下げると、幸路はそのまま事務所を出て行ってしまった。バンッと勢いよく扉が閉まる。

「紅野さん……」

 普段とは違う幸路の様子が気になり、灯真は彼が出て行った扉を見つめる。ここで働き出した頃から幸路には世話になっている。色々といわれることはあるが、ここで働けているのは彼のおかげだということを灯真は忘れていない。だからと言って過去のことを話すわけにもいかず、重々しい空気だけが事務所内に残った。

「どうして隠すんだ……否定だけでもすりゃいいじゃねぇか」

 外に出てからも幸路の苛立ちは続いていた。力の入った足取りは、普段よりも靴音を強く響かせる。信用できる筋から教えてもらった、如月 灯真という人物に関する確かな情報。誰にも話していないそれは、幸路が理想として掲げる魔法使いの未来を壊しかねないものであった。
 
「あの情報が正しかったってのかよ……」

 指導をしながら、彼のことはよく見てきた。仕事にも真面目に打ち込んでいるし、担当した事件でも良い対応をしていた。この仕事に対して、自分たちと同じ志を持ってくれていると信じていた。だから、できることならその情報が嘘であってほしいと願っている。

——みんなを死なせたのはお前だ——

 光秀が言い放ったその言葉が、幸路の頭から離れなかった。
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