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第2章 その瞳が見つめる未来は

12話 その毒を消す方法は?

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* * * * * *

『連中に気づかれたそうだな』
「いやはや、参りましたよ。まあ、処置前だったので問題はないですけども」
『随分と余裕だな。計画に支障をきたすのではないか?』
「アッハッハッ、まさか! 色々と手は打っておきましたよ」
『アレを見つけさせたのも、その手というやつか』
「ええ。こんなに早く使っている魔法の正体に気付く人材がいるとは思いませんでしたが」
『さっさと証拠になるものを消してしまえば良かったのではないか?』
「魔法の正体に気付かれた時点で全部消していたら、内部の犯行の線で捜査が進んじゃってますよ。連中も馬鹿ばっかりじゃない」
『随分と買ってるじゃないか』
「優秀な能力はちゃんと評価しないと」
『……まあいい。これはお前の計画だからな。我との約束を忘れなければそれで良い』
「分かってますよ、計画ですから。邪魔させる気はありませんよ」

* * * * * *

「稲葉さん、今日も来てるね」
「1週間もあの状態が続いてんだから、誰だって——」

 看護師たちが話している横を通り過ぎ、高見は明希がいる病室へと向かう。病棟では、今回発生した事件の話で持ちきりだ。原因不明の過眠症。様々な検査を行っているが、身体的な異常はなく薬物を使用した様子も確認できない。魔法が使われた可能性も疑い、同様の症状が現れる魔法も探っているがいい結果は得られず、なにより魔法を使われた形跡が発見できていない。
 事件後、光秀は仕事を休んで毎日病室を訪れている。時折家でのことを話したりしながら、ベッドサイドの椅子に腰掛け彼女の手を握っている。いつ目を覚ますかわからないから……と。

(せめて治す方法だけでも見つかれば……)

 魔法の中には、体の状態を治す「浄化」と称されるものが存在する。しかしそれは、ゲームのように簡単に使えるものではない。第一に使える人が少ない。世界中探しても、その手の魔法を使えるのは二桁もいない。第二に浄化といっても対象や効果は薬と同じで様々である。明希の状態がはっきりしない以上、どの魔法が適切かわからない。そして最後に、健康な人に使った場合は逆に悪影響を及ぼすことがある。すでに浄化魔法の使い手への依頼準備は進められているが、そういった理由から一歩先に進めずにいる。医者だからといって万能ではなく、医療は多くのスタッフの手によって成立している。そう理解しているものの、高見の心の中に生まれる悔しさを消すことは難しかった。何度同じ経験をしようとも。
 扉の横に日之宮 誠一と書かれた病室の前で高見は足を止める。彼も高見の患者で、助かったのに助けられていない一人である。

「理想はまだまだ遠い……か」

 彼の中にはまだ諦めるという選択肢はない。患者たちの心臓が止まらない限り。両肩を大きく回し自分を奮い立たせるように「よし」と小さく声に出すと、スタッフ用PHSが映画の戦闘シーンでかかるような騒がしいBGMを響かせる。

「はい、高見です」
『先生、園村さんという方から至急連絡がほしいと』
「分かった!」

 それは高見が待ち侘びていた連絡。駆け足で自身の部屋に戻りPCのスリープを解く。すでにチャットが飛んできていた。マイクを繋げ、画面に出ている通話の二文字をクリックする。

『すみません、急な連絡で』

 2回の呼び出し音の後、すぐに女性の声が高見のつけたイヤホンから聞こえてきた。画面にはツノでも生えてるのかと疑うほど激しい寝癖と、目の下にクマを作った眼鏡の女性が映し出される。

「いいえ、こちらこそ遅くなってすみません」

 その女性こそ、今回の事件について協力を仰いでいた研究機関アルヘスク日本支部の園村 知冴ソノムラ チサ研究員である。研究機関アルヘスクに勤めて3年目、25歳という若さだが今回の事件の担当を任されるほど優秀な人材である。しかし、高見は何度か顔を合わせているが、寝癖も目の下のクマもない状態の彼女を見たことがない。

「大丈夫ですか? あまり顔色が優れないようですが?」
『ご依頼いただいた件の調査がなかなか難しかったもので、久しぶりに二徹です』

 苦笑いしながら、園村は手に持っていた瓶を開けて中身を一気に喉の奥に流し込む。どうやら栄養剤のようだ。よく見れば画面の下の方に、空き瓶らしきものが大量に並んでいる。

『……そんなことより、通話にもう一人追加させてください。今回の件でお話したい方がいまして』
「構いませんよ」

 参加者の一覧が二人から三人に変わる。追加されたアカウント名はT・Iwahana。

『お久しぶりです、高見先生』
「岩端さん!? ご無沙汰してます。でもどうして?」

 画面には白髪混じりの黒髪をオールバックにまとめた優しい瞳の男性が映し出される。額や目元の皺に年齢を感じる彼の名は岩端 桃矢イワハナ トウヤ。聖や飛鳥の父親であり、現在は法執行機関キュージスト北米支部で主任を務めている。

『聖の治療にあたっていただいたそうでお礼を……と、言いたいところですが、取り急ぎ共有しておきたい情報がありましてね』
「共有ですか?」
『ええ。これを見ていただけますか?』

 送られてきた画像ファイルを開くと、太いマジックペンのようなモノの写真が画面に写し出された。高見はそれを、糖尿病患者がインシュリンを打つために使う注射器かと思ったが、それにしては太すぎる。インクが入ってないのか軸は透明で、キャップがされているためペン先と思わしき部分は見ることができない。

「これは?」
『ここ数ヶ月、アメリカでも女性が何人も行方不明になっていて、これは捜査の過程でうちの隊員が偶然発見したものです』
「女性が行方不明って……まさか」
『先生……今回の事件、起きているのはようなんです』

 当たってほしくなかった高見の予想は見事に的中した。驚愕し言葉を失う。

法執行機関キュージストの各支部に問い合わせたところ、同じような原因不明の女性の失踪は世界中で起きていました』
「そんな……」
『我々の部隊も犯人らしき連中を発見したが、手に入ったのはこいつだけ。失踪者を助けられたのは日本だけなんだ。各国の支部が調査機関ヴェストガイン日本支部から出された報告書に釘付けだよ』

 日本だけではない。そして見つかったのが明希だけという事実に、高見はただただ驚くばかりだった。

『北米支部の方がこれを見つけてくれたおかげで、向こうではすでに検証が行われていました。このマジックペンのように見えるものが、探していた被害者の意識を奪っているものの正体です』
「これが?」
『はい。調査機関ヴェストガインから依頼を受け、保管されている魔道具マイトを使った検証実験を行うべく必要な情報を集めていたのですが、その時に岩端主任の部隊が入手したというこの写真の情報がヒットしたんです』
「ということは……」

 無言で頷く二人の反応を見て、このマジックペンに見えるものの中身が検証しようとしていた『毒』なのだと高見は察した。

『紅野調査員が提出してくれた報告書の通り、この毒はスデリト ノプシオで間違いありませんでした』
『よくもまぁ、この魔法の可能性を疑ったものだ。部下たちが感心していたよ。これが発見されたのが3日前。その後すぐに我々は、研究機関アルヘスク北米支部に依頼し中身を調べてもらった。その結果、この毒は体内に取り込まれるまで効果を発揮することはなく、魔力残渣ドライニムも出さんということが分かった』
魔力残渣ドライニムが出ない?」
『はい。魔力残渣ドライニムは魔力を消費したときなどに発生するものです。この魔法を例にした場合、毒を作った時、それを操作した時、効果を発揮した時に確認することができます。しかし、魔法で作り出されたものを容器に詰めて運んでしまえば、どこで魔法を使ったのかわからないわけです。我々も、今回の検証で初めて気付きました』
『魔法で作り出したものは残さないと決まっているし、何より好きなだけ作れるものをわざわざ取っておこうとは考えんからな……』

 自分たちの存在を知られないためにと、古来より魔法使いたちが決めた習わしがそのまま法令に組み込まれている。研究機関アルヘスクが今まで調べなかったとは思えないその内容に高見はいささか疑問を感じたが、続く園村の話に集中すべく耳を傾ける。

『しかもこの毒は気体。相手の通る道に中身を巻いておけば、気付かぬうちに吸い込んで効果が現れます。無味無臭で無色。違和感は感じないでしょう』
「待ってください……それだと、同じ場所を通った人が他にもいたら……」
『犠牲者が増えると言いたいんだろう? それは我々も考えたよ』
『この毒のすごさは毒性だけではありませんでした。これは大気中に5分程度放置するだけで無毒化し自然消滅するんです。このマジックペンのような容器は、真空状態で毒を保管し移動させるためのものでした』

 妻を苦しみから解放するために目覚めたと言われるこの魔法は、相手に苦痛を与えることはなく対象以外には迷惑をかけない。情報を集めていた園村は、使い手の望みと優しさが現れた魔法という印象を受けた。

「この毒が使われたことを確認する術は?」
『魔法で作られたものである以上、探知デクトネシオによってその存在を確認することはできますが、風に乗って散ってしまうと探すのは難しいでしょう。肺に取り込まれれば、今度は体の魔力抵抗が邪魔をします。効果が現れれば魔力残渣ドライニムは体内で発生するはずですが、自然排出されるものと混ざって出てくるだけで発光結晶ルエグナが反応する量にはなりません。体の中を覗く方法もありますが、取り込まれた直後でなければ見えないと報告されています』
「では、無毒化したあとは?」

 無毒化した後に自然消滅すると園村は言った。魔法で作ったものを消した時にも魔力残渣ドライニムは発生する。だとすれば消滅した時にも確認できるはず。高見はそう考えた。しかし、園村は暗い表情で首を横に振る。

『先生の言いたいことはわかります。ですが、使い手が意図的に作ったものを消すのとは違い、この手の魔法が消える速度は非常に緩やかです。発生する魔力残渣ドライニムの量も微量で発光結晶ルエグナで確認することは困難です』
『結局のところ、犯人を探し出さなければこいつの製造場所も使われた場所もわからないということだ』
「……でしたら……体内に入ったその毒を消す方法は?」

 高見が一番知りたい情報。それは明希を目覚めさせることが可能なのかということである。心配そうな表情をする高見の気持ちは、園村も岩端も分かっている。できることなら彼の求める情報を与えて安心をさせてあげたいが、彼女の持つ答えは違った。

『マウスを用いた実験で、浄化の魔法によって回復可能なのは分かっています』

 それを聞いて高見の表情が明るさを取り戻していく。明希を目覚めさせられる。頭を下げてきた豊との約束も果たせると。だが、園村の浮かない表情に一抹の不安を感じる。

『回復は可能……なのですが……マウスの実験では治療に10時間以上を要しました。用意した魔道具マイトが1つでは足りず、予備として用意したのも含め3つも使用しなければなりませんでした』

 魔法にはそれなりに詳しい高見だったが、彼女の言ってることの意味がすぐには理解できなかった。いや、それを真実として受け止めることができなかった。すでに情報を知っている岩端は目を閉じて沈黙している。

『魔法の効果を毒が侵入している心まで届かせるのに時間がかかるのと、毒そのものが浄化の魔法にかなり高い抵抗を持っているのが原因だと思います。実験に参加した魔法使いのランクはロムナー。魔道具マイトも今回は一般的な1センチ大のものを準備しましたが、5時間ほどが限界でして』

 魔道具マイトは核となる鉱石の大きさによって使用限界がある。それを決める要素は主に使用回数と連続使用時間である。

『マウスの実験では弱い毒で行われたそうですが、先生のところにいる被害者が受けた効果次第では……』
「回復は難しい……と?」

 園村は静かに頷いた。

『最低でもペルスリアランク以上の浄化の魔法使い2名……または同レベル以上の魔法使いと魔道具マイトを実験の倍以上は用意すべき……それが北米支部が立てた推測です』
「なかなか……厳しい条件ですね」

 そういって高見は頭を抱える。6段階ある魔法使いランクの上から2段目……熟練者というべき者たちを集めるだけでも一苦労である。

『そのランクで浄化を行える魔法使いとなると、もう100歳近い……長時間の治療は難しいだろうな』

 魔法の習得には生きてきた時代背景が大きく影響する。ただでさえ少ない浄化の魔法に目覚めた魔法使いは、薬や病院が少なかった時代の人たちが多い。岩端のいう通り肉体的な問題が拭えない。

魔道具マイトの方は少し時間がかかりますが、協会ネフロラに申請すれば通るはずです。問題は実際に治療にあたってもらう人の選別が必要だということでしょうか……うまく扱えなかった例はこれまでもありますから……』

 誰でも使える魔道具マイトだが、中に記録された魔法は誰でもうまく使えるわけではない。直近では、調査機関ヴェストガインで研修を行った法執行機関キュージストの捜査員がひどい結果を出したという報告が、研究機関アルヘスクにも実例の一つとして届いている。

「でも、希望は持てました。すぐにでも準備に」
「キャー!」

 女性の叫び声は高見のイヤホンからではない。扉の外からであった。

『女の人の悲鳴みたいのが聞こえましたけど?』
「暴れるような患者はいないはずなんですが……すみません、一旦席を離れますね」

 そういって高見はイヤホンを外して部屋を出て行く。廊下に出て扉を閉めるところまでカメラに映っていたが、高見が慌てている様子は見られない。




『園村さん、ひとついいですか?』
「はい?」
『今回使われた魔法……検証前に確認した情報があまりにも少なかった。研究機関アルヘスクが保管する情報はこの程度のものなのですか?』

 画面に映る岩端の厳しい表情に、園村は項垂れる。彼がそう言いたくなるのは無理もない。犯罪に使われた危険な魔法であるにも関わらず、検証が行われた記録がまるでなかった。再発時のことを考え性質や対策まで調べられていてもおかしくはないというのに、今回の実験で発覚した事実が多すぎるため、岩端は研究機関アルヘスク自体に疑念を抱いていた。

「それに関してもお話をしようと思っていたんです……」
『と、いいますと?』
「仮に……仮にですが……私が検証を任されたのであれば、治療方法の確認までやります。絶対に」

 園村は目線を落としたまま声を震わせる。変人揃いと言われる研究機関アルヘスクだが、そこで働く研究員達は皆プライドを持って仕事をしている。外野から適当と言われてしまうような仕事はしない。園村はそう信じている。だからこそ、今回の件は思いもよらぬ事態だった。徹夜を繰り返していたのも、それが何かの間違いではないかと動いていたからである。

『ではなぜ? 検証を行った研究員に問題でも?』
「いえ……誰かが意図的に情報を消したんだと思います……ヴェイクラウ記録保管庫の情報も……途中で途切れていました」
『バカな!?』

 ヴェイクラウ記録保管庫協会ネフロラが管理し、勝手に使うことはできない。中の情報を閲覧するにも協会ネフロラに申請を出す必要がある。そのことは岩端も知っている。

「気になってここ数年の申請一覧を確認しましたが、おかしなものは何一つありませんでした。新規登録も魔法の検証実験も、記録が残されています」
『ふむ……そうなると、その作業のときにやったか……』
「あるいは……申請を管理している協会ネフロラが……」

 ここで答えを導き出すことが難しいのは二人とも分かっている。その推測では、自分たちも容疑者としてカウントしなければならない。言葉には出さなかったが、今回発生している事件といい何かが起き始めているのではないかと、二人の意見は一致していた。
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