神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第2章 その瞳が見つめる未来は

13話 後でいくらでも聞いてやる

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「新しい患者が来るとは聞いてないし……!?」

 高見が叫び声がしたと思われるナースステーションの方へやってくると、見えたのは扉がひしゃげた棚とその手前で倒れている男性看護師。そして、彼を助けようとしている岩端 飛鳥の姿だった。飛鳥自身もどこかにぶつかったのだろうか、額の切り傷から血が流れている。

「何があったんですか!?」
「先生……」
 
 そばにあった銀のカートからガーゼを取り出し飛鳥の額の出血部位に当てると、すぐにもう一人の倒れている男性の状態を見る。そうしているうちに、高見の声を聞いた女性看護師たちが奥から恐る恐る顔を出す。

「フードを被った男の人が、この人を蹴り飛ばすのが見えて……誰かを連れて行こうとしていたので、止めようとしたんですけど……」

 高見は飛鳥の両手が、黒い装甲に覆われていることに気付く。それは、彼が応戦するために魔法を使用したことを意味した。ひび割れた表面が次第に砂のような細かい粒子となって消えると、彼の白い肌が顕になる。

「そんな……一体誰を……」
「稲葉さんが……」

 怯える看護師の言葉を聞いて、高見は急に立ち上がり明希の病室に走る。扉は開いたままになっていた。

「光秀君!」

 中に入るとベッドには誰もおらず、その傍らでお腹を押さえて蹲る光秀の姿を見つける。

「大丈夫かい!?」
「僕は……だい……じょうぶです……それより明希が」

 ベッドに掴まりながら立ち上がると、光秀は壁を伝って部屋の外へ出ようとする。彼の歪んだ表情が、痛みの強さを物語っている。

「随分騒がしいな」
「何かあったんですかね?」

 ナースステーションの騒ぎを横目に現れたのは、明希の様子を見にやってきた豊と正信だった。入口に差し掛かった光秀が寄りかかってきたことで、豊はこの異常事態に自分の家族が関わっているのだと察した。空っぽのベッド見て顔がみるみる青ざめていく。

「ミツ、一体何が……」

 苦しんでいる様子の光秀を心配した正信は、彼の顔に目を向けると言葉を詰まらせる。彼のサングラスの隙間から見えた、白目と黒目の境界線がなくなり濃紺一色に染まっている彼の目に動揺する。

「明希を……追いかけないと……」

 父親を押しのけて進もうとする光秀だが、廊下に出たところで行くべき方向を見失う。白杖を持たず、手を前に伸ばして壁を必死に探している。

「ダメだ、光秀君。無理は」

 高見が止めようとすると、それよりも先に豊が光秀の手を取った。光秀はそれが父の手だとすぐにわかった。

「父さん……」
「明希さんがどうしたんだ!?」
「連れていかれた……フードを被った男……たぶん、誘拐しようとしたやつに」

 光秀は父の手を振りほどき、再び壁を目指してフラフラと歩き出す。まっすぐ伸ばした手がようやく壁を見つけると、それについた手すりを頼りにエレベーターホールへ進んで行く。

 彼は今、自身の魔法を使って犯人を追い続けている。視界は犯人と共に階段を駆け下りているが、体はまっすぐ進めなければならない。時折壁から離れてしまう体を、手すりを掴んだ左手を引いて壁に戻す動作を繰り返している。犯人は追えているが、光秀自身は明希からどんどん離れていく。仮に追いつけたとしても、犯人と戦う術が彼にはない。自分では彼女を救えないとわかっていながらも、ここで追うのをやめたら二度と彼女に会えなくなるかもしれないという思いが光秀の体を突き動かしていた。

「フードってミツ……お前……」
「正信、車を正面にもってこい」

 正信の言葉を遮り、豊はポケットからキーケースを出し正信に投げつける。

「え?」
「早く行け!」
「わっ……わかった!」

 光秀の目の異変や彼の不可解な発言には豊も気付いているはずだが、彼はそのことに言及しようとはしない。いろいろと気になることはあるが、正信は豊に言われた通り車を準備すべくエレベーターへと走る。しかし、全て下に向かっているところでしばらく来そうにない。

「……階段の方が早いか」

 彼がそう決断するのは早かった。エレベーターの向かい側にある階段へ走り、軽快な足取りで下りていく。スピードが出すぎて外側に膨らんでしまう体を、手すりを掴んで強引に戻しながら。

「光秀……明希さんの場所……わかるのか?」

 豊に誘導されながらエレベーターを目指して歩く光秀は、彼の問いに小さく頷いた。

「待ってください。まさか、追いかけるつもりですか?」

 光秀の様子を心配した高見が、豊の前に立ち道を塞ぐ。 

「家族が連れていかれたんです。じっとなんてしてられんでしょう!」
「無茶です! ここのスタッフも怪我を負わされているんですよ。警察に任せるべきです」

 それは高見の、医師としてではなく魔法という力の存在を知るものとしての忠告だった。相手は飛鳥が魔法で作った装甲を砕いた。そんな力を持った相手と対峙したら、彼らはただでは済まない。
 
「先生……申し訳ねぇけど、警察はアテにできねぇ。光秀がいなくなったときも、家出だとかぬかしやがって……」

 当時のことを豊は嫌でも思い出せる。家族の不仲まで疑われ、彼は警察官に掴みかかったりもした。結局警察は光秀のことを見つけることができず、彼はこの病院のスタッフが偶然発見し保護したことに。あの事件が警察でも魔法使いたちでもどうすることもできなかったと高見は知っているが、額に青筋が張っている今の豊はどんな言葉をかけようとも止められる気配はない。

(力づくで拘束するべきか……しかし……)

 判断に悩む高見の横を、光秀の肩を持って誘導しながら豊が通り過ぎる。高見の中では選びたい答えは決まっている。しかし、それを選ぶべきではないと訴える自分もいる。葛藤を抱えたまま高見は、二人と一緒にエレベーターホールへと向かった。

「先生……先生には申し訳ねぇけど、何を言われようと止める気は」
「……わかってます。その代わり、約束してください」

 エレベーターの前に到着したところで、高見が下矢印のボタンを押す。

「稲葉さん……犯人を追うだけにしてください。稲葉さんたちだけで明希さんを助けようなどと考えないでください。私の方で信用できる人たちを集めますから、犯人の場所が分かったらすぐに連絡を」

 高見の言葉に合わせたかのように、エレベーターが到着し扉が開く。明希を助けるには、調査機関ヴェストガイン法執行機関キュージストに通報するよりも光秀に追跡を続けてもらうのが確実。だが、彼らを犯人たちと交戦させるわけにはいかない。苦渋の選択ではあるが、それが高見のできる最大の譲歩だった。
 彼の真剣な眼差しを見て、決して大袈裟に話をしているのではないということは豊にも分かった。だが、光秀がいなくなった時とは違って今動けば明希を追いかけられる。何もできなかったことを今も悔やみ続ける豊に、動かないという選択は無かった。高見と目を合わせ首を縦に振ると、豊は光秀を連れてエレベーターに乗り込む。

「絶対に、約束ですよ!」

 念押しする高見に返事をしないまま、豊は1階のボタンを押して扉を閉める。

「父さん……その……」

 下へと降りるエレベーターの中、光秀は悩んでいた。高見の言う通り、豊や正信では魔力の使い方を知る相手には敵わない。追跡するだけで済めばいいが、見つかって交戦することになれば二人が命を落とす危険性もある。それに、目のこともちゃんと伝えられていない。魔法のことを知れば、否応無しに協会ネフロラの法令に縛られる。光秀が家族に魔法のことを黙っているのも、それを避けるためだ。光秀の頭の中で思考が渦を巻き、心を乱していく。そのせいだろうか、見えているはずの犯人と明希がぼやけて見える。

「今は明希さんを助けることだけ考えろ。それ以外の話は、後でいくらでも聞いてやる」

 緊張と決意のようなものを感じるその言葉に、光秀は頷くしかなかった。何だってする。高見にいった父のその言葉が光秀の脳裏に浮かび、彼が本気であることに気付かされる。それに感化されたのか、ピントがずれたような光秀の視界が鮮明になっていった。





「どうする……」

 エレベーターホールで、高見は脳をフル回転させて対応を考えていた。豊にああ言ったものの、信頼できて彼らを助けにいける人物が浮かばない。

「相手が魔法使いだったら警察は無理だ……法執行機関キュージストに応援……だが第1(捜査班)の不祥事のせいで誰が応援に来るかわからない……確実に彼らを守れる人物を……」

 ポーン

 呼んでいないはずのもう一機のエレベーターが到着した音だった。扉が開き現れたのは、園村研究員に負けないクマを目の下に作る男。

「灯真君……」
「高見先生?」
「アレ、先生。こんなところで何してるんです?」

 灯真に続いて現れたのは、彼より少し背の高い眼鏡をかけた糸目の男。その後ろでは、金色の髪を靡かせる小麦色の肌の女性が隙間から高見のことをチラチラと見ている。

「蛍司君……それと……ディーナさん……」

 名前を呼ばれ、ディーナは彼と目を合わせたまま小さく頷く。

「急患でも来たんですか? 随分怖い顔してますけど」
「それが……」
「先生! 岩端さんが!」

 呼びにきた看護師と共に高見が病室に向かうと、固定された両手のギブスを無理やり外そうとする聖を、担当の医師と看護師たちが必死に止めているところだった。飛鳥も額の出血部位から血を滲ませながら彼を押さえつけている。

「兄さん、じっとしてないと!」
「離せ飛鳥。俺も助けに行かないと」
「怪我がまだ完治してないんですから、じっとしていてください!」
「ここまでくっついてれば、活性ヴァナティシオでどうにでもなります」
「無茶言わないでください。戦闘になれば、いくら活性ヴァナティシオを使ったって完全にくっついてない骨がまたバラバラになりますよ!」

 高見も聖を押さえるために加わる。彼の砕けた骨は通常の処置のほか、陽英病院で使用を許されている魔道具マイトを使用して治癒されている。しかし、体への負担を考慮し完全に元に戻っているわけではない。高見の言う通り、激しい運動でくっつけている骨が再びバラバラになる可能性が十分にある。
 両腕を2名、腰と両足で2名、そして馬乗りになって飛鳥が胴体を押さえ計5名でやっと彼の動きを封じているが、それでも聖は諦めようとはしない。

「大人しくしててよ、兄さん!」
「しかし!」
「ダメですよ、聖さん」

 岩端という名前を聞いて高見の後をついてきた蛍司は、抵抗する聖を見て嘆息する。

「何があったかは少し聞きましたけど、今の聖さんが行ったところで足手まといになるんじゃないですか?」
「蛍司君のいう通りですよ、岩端さん」

 蛍司の言っていることは聖もわかっている。怪我が完治していない自分が応援に行ったところで、役に立つかと聞かれても肯定できない。眉を顰め体の力を抜く聖だったが、心一と対峙した時のことを思い出し再び抵抗を始める。

「心一がまた邪魔をしてきたら……後輩たちが出動させられたら、それこそ五体満足では帰ってこれない。だから行かないと。こんな状態でも盾になることくらいはできる!」

 聖の口から出た名前に、蛍司と彼の後ろからついてきた灯真がハッとする。

「シンさんが?」
「あのゲンコツバカは……何をまた……」

 日之宮 心一は、元法執行機関キュージスト日本支部主任の松平殺害容疑で指名手配されている。それに加えて、明希が誘拐されそうになった件にも彼が絡んでいると、聖に聴取した法執行機関キュージストから報告が上がっている。抵抗する聖やそれを止める看護師たちを前に、その話を聞いた二人は悄然と項垂れる。
 どれだけ説得を試みようと、聖の手足から力は抜けない。飛鳥はそんな兄を止めていた手を突然離してベッドを下りると、静かに灯真の方へ歩み寄る。一瞬見えた飛鳥の沈痛な表情に、聖は動揺し抵抗する力が弱まる。

「如月さん……」

 一度目を逸らして悩む様子を見せるが、決心がついたのか真っ直ぐな目を灯真に向ける。聖や高見たちも飛鳥の行動が気になったのか、体勢はそのまま目は灯真たちの方に動く。

「一つ、お願いを聞いていただけませんか?」
「お願い……ですか?」 

 全てではないが、飛鳥も灯真の体の事情を知っている。しかし、今の彼しか頼める人物はいなかった。ドルアークロで見せられた、あの力を持つ灯真にしか……。
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