神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第2章 その瞳が見つめる未来は

14話 どこから……

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 病棟での慌ただしさが嘘のように、下の階は静かだった。受診する科の受付に並ぶ人、ソファーで呼ばれるのを待つ人、カルテを持って歩くスタッフ……誰を見ても慌てている様子はない。女性を抱えた人物が通れば誰かしら反応するだろうが、1階の様子は光秀や豊が明希を見舞いに来た時と何も変わらない。

「ユタさん!」

 病院の入り口で、正信はすでに車を準備して待っていた。手を振る彼を見つけた豊は、真っ直ぐ進めない光秀の手を取り車へ近づいていく。

「正信、助かった」

 助手席の扉を正信に開けさせ光秀を車に乗せると、豊は運転席へ正信は後部座席に乗り込む。

「で……どうやって追いかけるんです?」
「そりゃあ……」

 二人は揃って光秀に視線を向ける。彼の顔は正面を向いたままだが、時折首を左右に振る。まるで何かを目で追いかけているかのように。

「あいつ……車に乗って移動してる」
「どこだ? どこを通ってる!?」
「どこって言われても……」

 仕事以外では魔法に頼らず視覚障害者として過ごす光秀は、自分が普段使う道以外は覚えていない。陽英病院には何度も来ているが、当然目で見る標識や目印になるような店舗は知らず、記憶にあるのは点字ブロックの位置や路面の状態だけ。
 今も彼の作ったレンズは、犯人が乗る車を斜め後ろからピタリとくっついている。しかし、レンズを少しでも車から離せば見失ってしまうかもしれないと、他の場所を見ることができない。

「ミツ、目印になりそうなものはわからないか? スーパーとかコンビニとか……信号の横にある交差点名とかでも」
「……それなら」

 光秀は通過する信号が視界に入るよう、レンズを少しだけ車から離してみる。そうして見えた交差点名を伝えていくと、正信がそれを聞いてすぐにスマートフォンで行き先を調べる。

「その方向だと、うちの方だな」

 豊はそういって車を発進させる。光秀から聞いた場所が、普段から自分が車で病院を訪れている際に利用する道だと気付いた。

「明希さんを助けた時、犯人は台車に乗せてどこかに連れて行こうとしてた。目的の場所が向こうなのかも」

 正信が地図アプリを確認しながら予想を立てる中、光秀は次々と魔法を通して見えた名前を豊たちに伝えて行く。

「光秀、車はどんなやつかは分かるか?」
「えっと……黒くて……四角い感じ。ナンバープレートは黄色で……」

 光秀に何が見えているのか、豊も正信もわからない。犯人の後ろをつけているかのように車のナンバーまでスラスラと言う彼に驚きながらも、忘れないようにと正信がメモアプリに書き込んでいく。

「軽のワンボックスか……配達で使う軽バンってところか」
「どっちも最近多いですからね」

 正信の視線が画面から光秀の方へ移る。行方不明になった光秀が帰ってきた時、彼はその目に大きな傷跡を携え視力を失っていた。正信は彼の濃紺の目がそれと関係しているのではないかと、胸を締め付けられるような気分になる。

「歩道橋のある交差点を……真っ直ぐ行った!」
「曲がらずにか?」
「真っ直ぐ!」

 今は明希を助けることが最優先。そう言い聞かせて、正信は再び地図アプリに目を向ける。

「そっちだとユタさん家じゃなくて、ハイドアウトの方ですよ」

 ハイドアウト……県内最大級の広さを誇るインドアサバイバルゲームフィールド。使われなくなった工場跡地を利用し、県外からも客が訪れるほど人気が高い。正信も豊も、自身の趣味の一つとして何度か訪れたことがあった。
 車の多い通りに差し掛かり、信号待ちの車が増え始める。車間を広めに取って車を止めた豊は、ハンドルから右手を離し顎を触りながら思考を巡らす。 

「そのまま真っ直ぐいくとも限らねぇ。途中でまた曲がれば都内にも抜けれる」
「確かに……」

 二人が犯人の行き先について考えている中、光秀はレンズを通して見える犯人の違和感に悩まされていた。

(一体何者なんだ?)

 怪しまれないためなのか、犯人は交通ルールを遵守し特に急ぐ様子はない。赤信号で止まったタイミングを見計らって、光秀は自身の作り出したレンズを魔力の流れを見るモードに切り替える。車体は透け、中にいる明希と犯人の魂とそこから肉体につながる無数の糸が人の形のように見える。光秀が気になっているのは、二人の魂の輪郭。
 明希が救出された時も不思議に思っていた、不自然に輪郭がはっきりとした犯人の魂。ずっと光秀の頭の片隅に引っかかっていた。どうしたらそんなことになるのかと。15年前に迷い込んだでもこちらの世界でも、そんな生物を光秀は知らない。
 信号が青に変わり、犯人の車が再び動き出す。光秀はレンズを再び切り替え、距離を保ちながら後を追いかけた。







「高見先生、止めるべきです!」

 時は遡り光秀が犯人を追って病院を出た頃、陽英病院では聖が落ち着きを取り戻したのか、静かにベッドの上で横になっていた。その傍らで、灯真が古びたノートに目を通している。

「飛鳥君、本当にできるのか?」
「この目で確かに見ました。だから頼んだんです」

 灯真を見守る飛鳥の瞳に迷いはない。

「自分からもお願いします。飛鳥のいうことを信じたい」

 横になっている聖はそういって目を閉じる。その声から、彼が冷静になっていることが窺える。

「高見先生!?」
「……責任は私が取る。だから今は」

 何かを止めようとする聖の担当医に向けて、高見は自身の口に人差し指を当てて見せる。病室が静まり返って2~3分が経過しただろうか。灯真はノートを閉じて持っていたカバンにしまうと、右手の人差し指を額に当て、目を閉じる。彼を後ろから心配そうに見つめるディーナは、胸の高さで両手を祈るように組んでいる。

「岩端先輩」
「はい?」
「このことは内緒だと言いませんでしたか?」
「それは……」

 飛鳥もそれは重々承知している。ドルアークロに行ったからたまたま見てしまっただけで、誰にも話さないようにと灯真から釘を刺されていた。飛鳥は言葉に詰まり、目線が床に落ちる。

「次からは人が少ないところでお願いしますね。あまり晒すべきものではないので」

 叱責されると思っていた飛鳥は、彼の言葉に驚き顔をあげる。視界が足元から灯真に移動すると、彼の背中に小さな桜色の翼が現れていた。

 



 
 
「右に曲がって……止まった!」
「その位置だと、正信の勘が当たったか……」
「勘じゃなくて、ちゃんと考えて出した結論ですよ」

 犯人の車は、大型の倉庫と思われる建物の前で止まった。信号待ちの車に阻まれながらも、少し焦りが見える光秀とは違い豊は冷静だった。犯人の車が止まったという位置は、彼のよく知った場所。頭の中の地図上に犯人の位置をしっかりと捉えている。それは、正信が方向を指す目印として挙げたサバイバルゲームフィールドのすぐ近くであった。その周辺は住宅地ではなく工場や倉庫、会社の事務所などが点在しており、隠れる場所はいくらでもあると正信は考えていた。
 
「ユタさん、本当に隠れられそうなところない?」
「さっきも言ったがよ……あの辺はどこも使われてて会社の機材だったり重機だったりが置かれてる。忍び込む阿呆がいるから警備会社とも契約してて、監視カメラだってついてんだ。勝手に調べたら俺らが警察に捕まっちまう……そういえば……」
「なんです?」
「ちょっと前にそこを所有してる会社で事件があったとかで、倉庫を警察が調べに来たって聞いたな」

 旧知の中であるフィールドの運営者から聞かされた話を豊は思い出す。特に大きな騒ぎにはならず、何を調べにきたのかもわからなかったという。

 光秀たちが車を走らせている間に、犯人は明希を肩に背負うと倉庫入り口のシャッター前まで歩いていく。光秀のレンズもそれについていくと、勝手にシャッターがガタガタと音を立てて開いた。犯人が通れる高さまで上昇したところでシャッターは止まり、犯人が中に入ると勝手に下降を始めた。光秀は慌てて犯人を追いかける。

「これは……」

 倉庫の中へと入ったレンズが捉えたのは、無数に並ぶコンテナ。縦には積まれておらず、横に並んでいるのみ。規則的に配置されたそれを見て、光秀はまだ目が見えていた時に歴史の授業で習った平城京の地図を思い出す。シャッターを通った先は、右京と左京を分ける朱雀大路のように広い通路を形成し、犯人はそこを静かに歩いていく。
 光秀は少しだけレンズを犯人から遠ざけ、倉庫の中を上から観察する。他に仲間がいないかを確認するためである。すると、左右のコンテナの影から次々と同じようにフードを被った人々が現れる。背丈はバラバラだが、体つきからして全員男性のようだ。倉庫の奥には一台の大型トラックが待機しており、荷台に大きなダンボール箱を積み込む作業をしている。そのダンボールの大きさに光秀は何か思い当たるものを感じ、レンズのモードを切り替える。

「やっぱり……」

 犯人の姿を逃さぬよう少し離れた位置からではあるが、そのダンボールの中には魂を持った生物が入っているのがわかる。運ぶのに使われている台車に乗った状態が、明希が運ばれていた時に酷似していた。

「マサ……父さん……すぐに警察に通報して」
「どうしたんだよ、急に」
「俺らの話に連中が取り合ってくれるとは限らねぇぞ?」
「倉庫の奥に、明希以外にも運ばれてる人がいる。多分、行方不明になってる人じゃないかと思う」

 光秀の言葉に驚いた豊が、突然ブレーキを強く踏み込む。信号もない真っ直ぐな道路で突然停車したため、後続車は盛大にクラクションを鳴らし光秀たちが乗る車を追い越していく。

「ユタさん、びっくりするじゃないですか!」
「すまねぇ……驚いちまって……」

 車を再発進させる豊だったが、動揺しているせいかスピードを出せずにいる。

「犯人も1人じゃない。仲間が大勢いるみたいだ。先生の言った通り僕たちだけじゃ……」
「光秀……明希さんはしばらくそこにいそうなのか?」

 それ以上言葉を出すことを、光秀は躊躇った。もし言えば、父親がどんな反応をするのか分かったからだ。

「もしかして、別の車に移してまた違うところに運ばれたり……」
「どうなんだ?」

 二人の追及にどう答えるべきか光秀が考えあぐねていると、ガンッと何かが落ちてきたような強い音が光秀の耳に入る。

「父さん?」

 それまで話していた二人の声が途絶えた。何が起こったのか見えない光秀だが、車が未だ走行中なのは体感でわかる。返事を待っているのかと思われたが、車内には不思議な緊張感が漂っていた。

「どこから……」

 ようやく聞こえた正信の声は、驚きと恐れが入り混じる。彼の視線の先には、ボンネットの上で膝をつく謎の人物。音の正体は、その人物が突然落ちてきた際のものだった。黒いパーカーのフードを深く被り、何も書かれていない真っ白な面をつけたその人物の出現に、豊はアクセルを踏んだ足もそのままに混乱していた。

「ユタさん、前!」

 謎の人物の奥で、信号が赤になっていることに気付いた正信が声を上げた。彼の声で我に返った豊が急いで右足をアクセルからブレーキペダルに移動させる。二度目の急ブレーキ。キィィィッと甲高い音を響かせ、車体分だけ白線を超えたところで車は停止する。

「父さん、何があったの!?」

 光秀が聞いたのはブレーキ音だけではない。フロントガラスに何かがぶつかった鈍い音とピキッと乾いた音。しかし、豊も正信も目の前で起きた不可解な出来事を現実だと認識するのに時間がかかっていた。
 フロントガラスには放射状のヒビ。ブレーキをかけるタイミングで、ボンネットに落ちてきた人物はガラスに拳を突き立てたのだ。急ブレーキで生じた慣性によって、その人物の身体は交差点を超えた先まで吹き飛んだ。正信の目には、その人物が自らタイミングを合わせてジャンプしたように見えた。足を滑らせながらその人物は着地を決め、前に傾いた体を右手で支える。そして、ゆっくりと顔を上げると畏怖を感じさせる純白の仮面を光秀たちに向けた。
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