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第2章 その瞳が見つめる未来は

15話 それが父親ってもんだ

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* * * * * *

驚きましたよ。

歩道橋の柵に乗ってる危ない人がいると思ったら

自分の前を走ってる車に向かって落ちて。

黒いフード被ってて、お面みたいなのをつけてたんで

顔はわからなかったですね。

結構ガタイの良さそうな人に見えたので

男の人だとは思います。


(事件現場、街頭インタビューより)

* * * * * *


「マサ、どうしたの!?」
「白いお面被ったやつが……突然落っこちてきて……」

 正信の声は震えていた。車の前方で、前屈みになりながら自分たちの方を向く白い面の人物に怯えている。

「どうやったらあんな……」

 スピードが落ちていたとはいえ、それでも時速40キロ以上は出ていた。そこに落ちてきてボンネットの上に着地するなんて、一般人ができる芸当ではない。窓ガラスを割った拳も、急ブレーキがなければそのまま突き破っていたのではないかと激しいひび割れが物語っている。豊は目の前で起きた映画のワンシーンのような事態に頭がついていかない。
 白面の人物は体をゆっくり起こすと、静かな足取りで光秀たちに近づいていく。交差点の信号は赤。車が数台横切っていくが、その人物は車のことなどお構いなしに真っ直ぐ進んでいく。

ププー!

 ブレーキをかけて止まった一台のスポーツカーが、激しく何度もクラクションを鳴らす。

「危ねえだろ! さっさと退けよ!」

 窓を開けてドライバーが怒声を上げる。白面の人物は足を止め、表情の見えない顔を車のドライバーへと向ける。

「二人とも……どっかに捕まってろ!」

 白い面が文句をいうドライバーへと向いたタイミングで、豊は足をブレーキから離しアクセルを強く踏み込む。そして急加速しながらハンドルを切り、逃げるように交差点を右折。彼らだけが、白面の人物の危険性を理解していた。細い道だったが、曲がった先に対向車がいなかったのは救いだっただろう。

「逃げずにまだ動くか……」

 仮面のせいでこもっているが、それは低い男性の声であった。白面の男の顔は逃げていった光秀の車を追う。その様子に苛立ったのか、再びドライバーがクラクションを鳴らす。その直後、車のフロント部分が勢い良く持ち上がった。タイヤは4つとも宙に浮き、リアバンパーだけを接地させ地面と垂直になった。
 その様子を目撃していた多くの人たちは何が起きたのかわからず、ドラマや映画の撮影が行われているのかと勘違いし一斉にスマートフォンのカメラを車に向ける。しかし、一部の人々は目の前で起きた現実を理解できず言葉を失っていた。彼らには見えていた。白面の男が車を蹴り上げた瞬間を。

「お気楽な連中だ」
 
 地面に垂直になったままかろうじてバランスがを保っている車体を、動画に収めんと興奮する様子の人々を見て男は仮面の下で呆れた様子を見せる。

「お前たちのほうがよっぽど状況がわかっているようだぞ、稲葉」

 わずかに腰を落としたかと思うと、白面の男の姿は人々の前から消える。尋常ならざる跳躍力で宙を舞い、光秀たちが去っていった方向にある3階建ての建物を飛び越えていった。地面から伝わる揺れによって、天を仰いでいた車はバランスを崩しようやくタイヤを地面に着けた。乗っていたドライバーは一体何が起きたのかわからぬまま、着地の衝撃で割れた窓ガラスから呆然と外を眺めていた。







「なんなんだあいつは!? フードかぶってて顔はよくわかんなかったが、明希さんを攫ったやつか?」
「違う。犯人はずっと同じ場所にいる」
「じゃあ、連中の仲間……俺たちの足止めに来た?」
「……嫌な予感が当たっちまうかもしれねぇな」

 若干遠回りをしながら、豊は目的の場所へと車を近づけていく。この周辺の地図は何度も訪れていて頭に入っている。見知った倉庫……もとい倉庫を利用して作られたサバイバルゲームフィールドの前を通過し、人通りの少ない道を進んだ先にある犯人が逃げた場所へとたどり着く。壁に囲まれた敷地の中には、大型の倉庫が一つ。奥に光秀が話していた、黒のワンボックスカーが止まっている。

「ミツが言ってたのと同じ番号だ。間違いない」

 メモしていた番号と照らし合わせ、正信はナンバーが光秀の言ったものと一致していることを確認する。彼の言動を信じてやりたいと思いながらも、心の奥でわずかに彼の妄想ではないかと思っていた。しかしそんな思いが、どんどん正信の中で小さくなっていく。その代わりに大きくなっていくのは、光秀の異能に対する興味であった。

「ここに明希さんがいるんだな……」

 そういって豊は奥に車を止めると、エンジンを切って車を飛び出した。別のことを考えて出遅れた正信が、慌てて車を降りて豊の肩を掴む。

「待ってよ、ユタさん! 俺たちだけじゃ危ないって」
「すぐそこまで来てんだぞ!?」
「マサの言う通りだよ、父さん」

 車を降りた光秀は、車のボディーを頼りに運転席側へと移動する。焦っていたせいもあって、病院に白杖を忘れて来たことを今になって思い出す。

「先生にいわれたじゃないか、追うだけって」
「じゃあどうしろってんだ? このまま明希さんがここにいる保証はないんじゃねぇのか!?」
「それは……」

 豊の言っていることは当たっている。明希と同じようにここへ連れてこられたと思われる人たちは、次々とトラックの荷台に入れられている。ただ隠すだけならそばにあるコンテナでもいいはずである。しかし、トラックにということはどこかに運ぼうとしていると容易に想像がつく。

「光秀、お前のいうことは最もだ。さっきみたいな奴が明希さんを攫っていったんなら俺たちに勝ち目はねぇ」
「だったら」
「だがな! 家族のためには、危険なことでもやらなきゃならねぇときがある。それが家族の命を守る為ならな。ここで連中を足止めできれば、先生が呼んでくれてる人たちがきっと来る。それまで俺たちがやるしかねぇ」
「無理だ。足止めっていったって何ができるっていうのさ!?」

 光秀の言葉を聞いて、豊は少し悲しげな表情で彼のことを見つめる。

「何でもかんでも、できるできないって決めつけるな。できること探して動くんだよ」

 声を荒げるわけでも無く、静かに諭すように語った豊は、振り返り倉庫の方へと歩いていく。正信は二人の様子を何度も見返し、佇んだままの光秀ではなく先に進んでしまった豊の方へ駆け寄った。

「ユタさん、待って。ミツだってユタさんのことを思って」
「そんなことはわかってる。だがよ、大事なことをわかってねぇ子供に手本を見せてやんのが……それが父親ってもんだ」

 パチパチパチパチ

 突然聞こえる拍手。音のした方向に豊と正信が振り向くと、そこにいたのは先ほど出くわした白面の男。誰に向けているのかわからない拍手を続けながら、二人に近づいていく。

「お前は臆病者のままだが、父親は立派だな、稲葉」
「その声……」

 病院で聖を襲った相手が誰なのかを聞いた時から、いつか出会すのではないかと思っていた。その声の主を光秀は覚えている。かつて共に過ごしたその人物を。

「日之宮……」
「お前の父親は危険なのがわかっていながら前に進もうとしている。称賛に値する行動だ」

 手を叩くのを止め、豊たちから3~4メートル離れた位置で心一は足を止める。表情の読めない純白の仮面に、正信と豊は息を飲む。二人とも人の気配に敏感な方ではないが、それでも心一から感じる重圧のようなものに足が竦む。

「光秀……知り合いなのか?」
「昔ね……岩端さんを大怪我させた犯人でもある」

 それを聞いて正信は血の気が引いていく。明希の見舞いに行った時、怪我を負った聖の状態はその目で見ている。

「お前は何も変わらねぇな。口は立派だが結局は何もしない。逃げているだけの、ただの臆病者だ」
「父さんたちは国生や日之宮みたいに強いわけじゃない。明希を助けに入っても、怪我をするだけだ!」
「そうやってできないと決めつけて動かねぇ。何ができるかを考えねぇ。何もしないくせに、助けに来る連中が失敗すればそれを責めるんだろう? 如月にしたみてぇに」
「違う! あいつは」
「如月がちゃんとやってればみんな助かったなんて、よく言えたもんだ。あの人達が死んだのはお前のせいだろうに」
「違う! あいつがちゃんと力をコントロールしていれば」
「お前がパニックになってなければ、皆と一緒に逃げていれば、お前を助けに行かずに済んだ。なのにお前は、自分には何もできなかったと決めつけ、如月に責任を押し付けた」
「違う……違う……」
「如月を擁護するつもりはねぇが、少なくともお前よりは奴のほうがよっぽどわかっているさ。自分の犯した罪を」

 光秀の視界が暗転していく。心一の言葉によって引き出された闇が、彼の心を蝕んでいく。魔法を維持できないほどに。立っていることができなくなり、車体に体を預ける。

「まあいい。俺も邪魔されるわけにはいかないんでな。これ以上、お前に追跡されるのは面倒だ」

 心一の右足が小さく一歩踏み出される。それにワンテンポ遅れる形で、正信が一歩後ろに下がった。心一がほんのわずかに前に出ただけで、彼から感じる圧力が何倍にも増す。正信の胸の鼓動が激しさを増し、呼吸も荒くなる。だが、隣にいた豊は正信とは逆に力強く自分の右足を地面に叩きつけた。

「ユタさん……」

 正信が恐怖で固まった首をなんとか動かして豊の方を見ると、険しい表情の彼の額から汗が滴っていた。

「前に出るか……」
「明希さんは光秀の嫁さんで、俺にとっても大事な娘だ。すぐそばまで来てんのに、逃げてたまるかよ。家族はな……そんな簡単に諦めていいほど、安くはねぇんだよ」

 豊とて心一に恐怖を感じていないわけではない。手足は震え、全身から汗が吹き出ている。それでも彼は前に出た。かつての後悔の念が、後退を許さなかった。

「その考えには賛同する。だが、俺にも譲れないものがある。誰であろうと——」

 それは本当に一瞬の出来事だった。言葉が止まったと思ったその時には、心一の体は豊の眼前に来ていた。豊の視界が急にスローモーションになる。心一がゆっくりと拳を振りかざすが、豊の体は全く動かない。心一が前に出した足を踏み込む音が聞こえ、後ろに引かれた拳が前に移動を始める。ゆっくりと、豊の顔面に向かって。瞬きすらも許されず、拳が自分の顔に到達するのをただ眺めていることしかできない。
 豊の視界の端では正信が怯えた表情を向けていた。家族の問題に、関係のない彼を巻き込んでしまった。病院から帰らせておけばよかったものを、光秀のことをずっと気にかけてくれた彼の優しさに甘えてしまった。

(すまん、正信)

 心の中でそう呟いたところで、豊は唯一動かすことができた瞼を閉じた。

「間に合ってよかった」

 顔にだけ当たる不自然な風と共に届いたそれは、豊が聞いたことのない男性の声だった。再び目を開けた時、豊の目の前にあったのは手首を掴まれ、豊の鼻先で止まる心一の拳だった。彼の腕を掴む手を辿ると、そこにいたのは心一とは逆に黒い面を身につけた人物であった。着ている黒い服は体のラインがよく分かるほどタイトだが、よく見れば膝や肘などが少しだけ盛り上がっており、前腕や膝下には薄いプロテクターのようなものを纏っている。

「簡単に治る傷じゃなかったはずだ……」
「救いの神がいてくれたんでね」
「わけのわかんねぇことを」

 男の手を振りほどき、心一は倉庫の入り口の方へ飛んで距離を置く。

「どんな手を使ったかは知らねぇが、あんたじゃ俺には勝てねぇぜ、聖さん」
「こっちの目的は明希さんの救出で、君に勝つことじゃない。とはいえ、負けるつもりはないよ、心一」
「聖って……なんで……」

 光秀も正信も、心一の言葉に耳を疑った。彼らの眼前にいる漆黒の仮面の男が、病院に入院していた、両腕をギブスで固定され絶対安静と言われていた岩端 聖だとは信じられなかった。
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