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第2章 その瞳が見つめる未来は

21話 お前は選んだはずだ

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「どうなってんだ……」

 駆けつけた消防隊員たちは揃って自分たちの目を疑った。火災の通報を受けて駆けつけた時には倉庫は炎に包まれていた。敷地内には誰かが乗ってきたと思われる3台の車があり、中に人がいる可能性もを考えて消火作業を急いだ。そんな矢先に、倉庫が急に凍りついたのだ。あれだけ激しく燃えていたはずなのに、ほんの数秒で。不思議なことに炎の形をした氷の塊まで生まれ、倉庫は氷山へと変貌したのだ。

城戸きど!」

 赤いワゴン車の前で情報の確認を行なっていた指揮隊長 城戸の下に、パトカーから降りてきた三科が駆け寄る。

「まだ安全確認が済んでない。勝手に入ってくるな!」
「そんなことわかってる。だがこっちも情報があってきたんだ」
「情報?」
「こっちで追ってる拉致事件の犯人がここにきたって連絡が入ったんだ。被害者の家族がそいつを追ってここに来てるらしい」

 陽栄病院の高見医師から連絡を受け、三科はこの場所に訪れていた。謎の交通事故発生により待機を命じられたが、上司に黙ってこっそり抜けてきたのであった。後で何を言われるかわからないが、灯真たちも向かったと聞いていてもたってもいられなかった。

「確かに、車が3台あった……すぐに確認させる」
「頼む」
 
 目の前の氷山を見て、三科の体が震えだす。魔法という、超常的な力の存在を知ったときの恐怖が蘇ってくる。 

「無事でいてくれよ……」







「大丈夫か? おーい」
「聞こえてる……聞こえてるよぅ」

 うつ伏せに倒れたままの蛍司に、未だおぼつかない足取りで光秀が近寄る。

「偉そうなこといって、魔力切れか?」
「ちょっと……頑張っちゃったよ……ハハハ……」
「さっきのは何だ? 意地があんだよ、男の子にはって……僕ら、もう男の子って歳じゃないぞ」
「いいだろ? 気に入ってるセリフなんだよ……」

 弱々しい声で返事をする蛍司だったが、彼の真っ赤に焼けた顔や痛がっていた右手にどこからか飛んできた桜色の羽が何枚も張り付き、小さな木を作り出す。

「とっちん……何をやって……」

 蛍司はそれを灯真が出したのだと気付き、憂色を浮かべる。蛍司の認識では、すでに灯真も魔力が限界だったはず。魔術を使えば彼も無事では済まない。光秀は残っている魔力で再びレンズを作り出すと、蛍司の体に起きた変化を確認する。皮膚から生える桜色の木。光秀もそれが何なのか知っている。

「岩端さんを治療したとき、少し余ったんだ。だから心配ないよ」
「とっちんよ……自分に使わんでどうする?」

 真っ赤に腫れ上がった灯真の左腕に、蛍司は目を向ける。彼と同じく、熱で焼かれたのだろうと察するのは簡単だった。

「後で直すから問題ない」
「今は心配する子がいるんだから、そこは」
「わかってる」

 手の平を見せて灯真は蛍司の言葉を止める。彼に言われずとも、ディーナが自分を心配していることは伝わってきている。逆に灯真が考えていることも、彼女には伝わっている。しかし、共に生活をしていく中で、灯真が自分のことを後回しにする癖があると、ディーナは薄々感じていた。今回の傷も、ちゃんと治すのか不安が拭えない。

「如月……」

 灯真の腕を見て、光秀は何と声をかけていいかわからなかった。先ほどは協力できたが、過去のわだかまりが消えたわけではない。怨恨と感謝、二つの感情が光秀の中でぶつかり合っている。

「稲葉さん、奥さんの確認を急ぎましょう。先ほどの炎でトラックの中は相当暑かったはずです」

 先に声を上げたのは灯真だった。幸路が開けようとしているトラックの方を向いて、彼をそちらへ向かうよう促す。

「あっ……ああ、そうだな」

 光秀はふらつきながらトラックの方へ急ぐ。途中、正信が肩を貸して彼を支えるが「やっぱり重たいって」と、彼の重さに苦言を呈してる。

「ちゃんと話をするには、いいタイミングだったんじゃないか?」
「今は他に大事なことがあるから。それに、ケイ君に確認したいことがあるんだ」
「僕にか?」

 灯真が聞きたいことが何なのか、蛍司は想像もつかなかった。しかし、彼の真剣な眼差しに見つめられ、思わず息を呑む。





「おし、開いた!」

 取手の熱さに苦戦しながらも、幸路がトラックの荷台を開けることに成功する。扉のすぐそばに、明希の姿があった。それ以外にダンボール箱が敷き詰められており、幸路は拡張探知アンペクスドによってその中に人が入っていることを確認する。

「明希!?」

 ようやくその姿を見ることができた光秀だが、レンズだけが先行し体はまだ近づいている途中だ。それでも、彼女の顔と体の内に宿る魂を確認し少しだけホッとする。顔は汗に濡れ呼吸はやや早いように感じるが、彼女はちゃんと生きている。

「トラックの中の方が暑かったはずだ。脱水症状を起こしてないといいが……」

 明希の下に光秀がたどり着くと、幸路は荷台の中に入り載せられていた段ボールを開けていく。全て女性。全員眠っているだけのようだ。その中には、幸路が調査していた事件の行方不明者もいる。腕を取り、手首に3本の指を添えて幸路は彼女たちの脈拍を計る。汗をかいたせいか、彼女たちの肌や着ている服の袖はわずかに湿っており、指で感じる脈拍はおよそ90回。良い状態とは言い難いが、彼女たちの額の雫を見て幸路は嘆息する。

「彼の魔術で一気に冷えたからか……これならまだ大丈夫だ」

 汗で湿っているということは、まだ体を冷やそうとする機能が正常に作用していることを意味する。彼女らの無事を確認し、幸路は肩の荷が降りた気分だった。犯人を拘束できなかったため、拉致した理由はわからないまま。しかし、今だけはそのことを忘れようと幸路は心の奥にその事実をしまい込む。
 眠る妻の手を取り、光秀は静かに彼女の温もりを、生きて目の前にいることを実感する。この未来をどれだけ願ったことか。

「父さん、正信、ありがとう」

 後ろから見守っている豊と正信は、光秀からの言葉に一瞬目を丸くしながらも優しい笑みで返した。そして二人は、拳を突き合わせて勝利を喜び合う。

「いいってことよ。家族なんだからよ」
「ちょっと怖かったけど。奥さんが無事でよかったよ。それより……」

 正信の言葉を聞いて、光秀は嫌な予感がした。そして、目を光らせた正信の手がそっと光秀の肩に乗せられると背筋がゾワっとする。

「さっきの風、どうやったんだ? まるで魔法、いや超能力? もしかして、スキルってやつなのか!?」
「いや……あれは……その……」
「本当にあったんだなぁ……そういうの。不謹慎かもしれないけど、ちょっと感動だよ」
「それに関しては、自分から説明をさせていただきますよ」

 二人の会話に割って入って来たのは聖だった。後ろからは、オレンジの制服に身を包んだ隊員たちがいる。消防のレスキュー隊であった。

「ここにいるので全員です。トラックに乗せられている方々は、陽栄病院へ搬送をお願いします。すでに向こうには連絡をつけてありますので」
「わかりました」

 溶け始めている氷の上を進み、レスキュー隊が眠らされている女性たちを一人ずつ慎重に運んでいく。トラックの前方に開いた入り口は、炎が凍ってできた分厚い氷壁に邪魔され通ることはできない。天井の氷を処理した聖も、一般人が来てしまったため目立った行動は取れない。

「岩端さん、二人は……?」
「自分たちが巻き込んでしまったのは事実ですが、知ってしまった以上そのままというわけにはいきませんよ。調査が入れば、いずれバレてしまうことです」
「ですが——」
「稲葉さん……力の存在を認識したということは、覚醒への第一段階を踏んだということでもあります。それがどういうことかご存知ですよね?」

 救助活動をしている人たちに聞かれないよう小さい声ではあったが、聖の言葉の圧が光秀の口を閉じさせる。何も言い返すことはできない。
 彼のいうことは正しい。現代に生きる人々が魔法を使えないのは、魔法が存在しないものだと認識しているからである。その存在を知ってしまった豊たちは、魔法使い予備群として考えなくてはならない。

「話がよくわからねぇけど、息子のことを教えてもらえるなら是非ともお願いしてぇ」
「おっ……俺も!」

 浮かない表情をする光秀が何を言わんとしているのか豊たちにはわからない。しかし、今まで光秀自身が語ろうとしてこなかったことがわかるかもしれない。豊や正信からすればこれはチャンスだった。最も、正信には光秀の力に対する興味も同程度あったが……。

「二人ともこれはそんな簡単な話じゃ……」

 魔法使い予備群になれば、魔法に関する情報規制など様々な監視が入る。SNSの監視もされ、情報の漏洩が確認されれば法執行機関に拘束されることになる。さらに、万が一魔法の力に目覚め力を暴走させてしまったり悪用したりした場合には、厳しい罰則が待っている。
 二人がいなければ光秀はこの場所にはいなかった。倉庫の中に入って明希を助けにいこうとはしなかった。それは事実だが、二人を巻き込んでしまったことに光秀は責任を感じ肩を落とす。聖も彼の気持ちがわからないわけではない。しかし、法執行機関キュージストの者である以上見て見ぬ振りはできない。そうしてしまったことで起きた事案を、彼は知っている。

「まあまあ、詳しい話は病院に行ってからにしましょうよ」

 幸路の声が重くなりかけていた空気を軽くしていく。幸路からのアイコンタクトを受け、聖は肩を竦めた。

「……そうですね。怪我人もいますし」

 怪我人は救急車で、光秀たちは自分らの車で陽栄病院へと移動を開始する。明希は豊が運転する車の後部座席に乗せられた。大通りまで出ると、心一に持ち上げられた車のドライバーが、警察に混乱した様子で何が起きたのかを訴えているのが見えた。故障でもしたのか、車はそのままに警察によって交通規制が敷かれている。先行しているパトカーと共に、複数の救急車と2台の一般車両が、警察によって左右に寄せられた渋滞の列を割って進む。どこから情報を得たのか、騒動を知り駆けつけた多くのメディアが沿道から車の様子を中継。また、火災現場から現れた氷山を一目見ようと、消防による規制線の張られた倉庫周辺は野次馬で溢れかえっていた。







「ヒデミー、ちょっといいか?」
「えっ? ああ」

 彼らが到着した陽英病院では、聖の連絡を受けた高見医師の指示のもと患者の受け入れの準備は整えられており、行方不明となっていた女性たちはすぐに専用病棟へと運ばれていった。そのあまりに迅速な対応は、救急隊員を驚かせた。
 火傷を負っていた灯真は、簡単な処置を施され光秀や蛍司と共に病棟へ向かうエレベーターの中にいた。灯真の隣にいるディーナは、未だ包帯の巻かれた彼の左腕を心配そうに見つめている。しかし、彼女の様子に気付きながらも、灯真の目は光秀の方を向いていた。

「稲葉さんがあそこで使った魔術ラーズィムル……いえ、魔術オウスジァムは、ネザルジオウブイーザ螺旋防風ク……虹槍ジェイ二リーア騎士団スキゥアンド副長クユーフオウク、ヘイオル ヒュートさんのものですよね?」

 灯真から飛んできた質問に、光秀の肩がビクッと動く。

「……そうだ」
「なら……イエリリーアさんの……ストナクシィ貫癒フキゥライリー光槍アを伝授されていませんでしたか?」
「イエリリーアさんがそんな話をしてたのを思い出したんだ。あれなら奥さんを助けられるんじゃないか?」

 灯真が蛍司に確認したこと。それは、かつて二人が出会ったイエリリーアという人物と、その人が使った魔法についてだった。灯真は光秀が使った魔術を見てそれを思い出した。話を聞いた蛍司もまた、その人物が使っていた魔法が明希を目覚めさせる手段となりうることを思い出した。
 二人からの質問に、光秀はそのまま影の中に沈んでしまいそうな暗い表情を見せる。

「それなら試したさ。でも……できなかったんだ……」

 光秀は灯真よりも前に、彼女が魔法の影響を受けている可能性があると聞いて、すぐにその魔法を思いついていた。そして、魔術によってそれを再現しようと試みたが成功することはなかった。光秀の握りしめた右手が小刻みに震える。

「さっきヘイオルさんのはできたじゃないか。だったら——」

 蛍司の記憶では、光秀が魔術を使えたことは一度もない。だから、倉庫で成功させた今ならできるのではないかと、僅かな希望を彼に見出した。灯真も蛍司もその魔法を教えられていない。そうされたのは、蛍司の知る限り光秀だけだった。

「あのときは……それしか手はないと思っただけで……」

 光秀はなぜこれまで使えず、あの時になって使えたのか、今もよくわかっていない。一つ思い出せるのは、それ以外に手がないと考えていたことだけ。蛍司がいうこともわかっている。今なら、もしかしたらという気持ちは光秀の中にもある。しかし、失敗するイメージがどうしても光秀の脳裏から離れない。

「稲葉さんは、奥さんを自分の手で助けに行くことを選んだ。その意志の力が、ネザルジオウブイーザ螺旋防風クの発動を成功させたとするなら、あるいは……」
「ジノート強いリゥルァウ意志は ーズィーってな」
「そっちの言葉は得意じゃないって何度言ったら……」
「こっちだって西のはよく知らない。でも、同じ意味の言葉は知ってるだろ? イヨトゥス アイヒスぅ……えっと……」
「……イヨトゥ強い アイヒス意志は スィーエ ラーキッ力であるクだ」
「そうそう、それそれ」
「試す価値はあるんじゃないですか?」
「でも……」
「ヒデミー、お前は選んだはずだ。奥さんのために、やれることをやるって。違うのか?」

 蛍司の言葉に、光秀の心が揺れる。心の表層を覆っていた失敗すると決めつける気持ちを、魔術を試そうとする気持ちが奥底から浮上し突き破らんとする。成功するイメージはまだないが、それまではっきり見えていた失敗のイメージが徐々に歪み始める。

「俺も手伝います。コレを使って」
「手伝わないとは一言も言ってないからな」

 灯真がいうコレが何なのか、光秀はレンズを作り彼が手に持ったものを確認する。レンズが映したのは、細い金属製のチェーンに繋がれた複数の立方体。灯真だけでなく、蛍司も同じようなものを持っていた。立方体の中では様々な色の何かが揺らいでいるが、灯真と蛍司の持つもので色は違う。

「二人とも何言ってんだよ……それは……」

 光秀は二人が差し出したものを見て動揺を隠せない。彼らが持つのは魔道具マイトである。しかし、職場から支給されたものではない。二人の私物であり、彼らにとってとても大切な物であった。
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