上 下
58 / 89
第2章 その瞳が見つめる未来は

22話 あの人は言ってくれた

しおりを挟む
「よう」

 病棟の共用スペースに置かれたソファーで、天井を見つめる豊の目の前に現れた黒いコーヒー缶。それを手に持って現れたのは県警の三科警部であった。

「どうしてお前が?」
「お前さんが関わってる事件、俺の担当でな」
「事情聴取か?」
「まあ、そんなところだ」

 三科が持っていた缶を左右に揺らすと、豊は渋々それを受け取る。未だ冷えたままの指先を、缶から伝わる熱が温めていく。

「無事でよかったよ」

 一人分のスペースを空けて三科もソファーに腰を下ろすと、ポケットに忍ばせていたもう一つの黒い缶を開け口に運ぶ。

「ああ。いろんなことが起こりすぎて、頭の中の整理が追いつかねぇが」
「みんな助かったんだ。ゆっくりやりゃあいいんだよ」

 三科の言葉から感じる重みに、豊は視線を床に落とした。

「……15年か……もう……」
「まあな……お前くらいだよ。毎年線香上げに来てくれるのは」

 三科の妻は15年前に亡くなっている。未だ犯人は分かっておらず、一人娘も行方不明のまま。彼は大事な人を失う辛さを、誰よりも知っている。そんな彼を前にして、豊は出せる言葉が見つからなかった。缶の中身を啜る音だけが、共用スペースに響く。

「俺のこと気にして、しんみりしてんじゃねぇよ」
「そんなつもりは……」
「今は家族の無事を素直に喜んどけ。その方がこっちも気が楽だ」
尚頼たかより……」

 缶の中身を一気に飲み干すと、三科は立ち上がりゴミ箱に向かって缶を投げる。弧を描いて宙を舞う缶は、どこにも干渉することなく上向きにつけられたゴミ箱の穴へと吸い込まれていった。

「相変わらずすげぇな、鷹の目」
「やめろ、その呼び方は」

 苦虫を噛み潰したような顔をした三科は、そのまま廊下の方へ歩いていく。

「落ち着いたら教えてくれ。話はそれからにしようや」
「……わかった。すまねぇな」
 
 ほんの少しだけ口元を緩めると、軽く手を振った三科はその場を後にした。缶の口から覗く液体のゆらぎを見つめながら、豊は聖から聞かされた内容を思い返す。光秀の目のことに気付いていなければ、きっとペテンだと思って聞き流していただろう。今日の出来事がなければ、魔法なんてものがこの世に存在するという事実を信じきれなかっただろう。しかし聖の話を聞いて、魔法を知るものが課せられる制約を知って、光秀のことを少しだけ理解できた気がした。

「全く……一丁前に親に気ぃ使いやがって」

 缶の中身を啜り、温くなった苦い液体を喉に通す。頭の中で複雑に絡み合った何かが、少しだけ緩む。豊はその中から2つだけ選んで考えることにした。他のことは事実として受け止める以外に何もできない。だから今は、明希やみんなの無事を喜ぼう。そして、息子が「男」を見せたことを喜ぼう。豊は目を閉じながら優しい笑みを浮かべ、そう心に言い聞かせた。









 倉庫での出来事から3日が経過した。テレビやネットニュースでは連日事件のことが報道され、未だその熱が冷める様子はない。通行人が撮影した動画や、ドライブレコーダーの映像もSNSに投稿され、仮面の男心一の正体についての議論まで起きている。
 協会ネフロラはこの自体を重く受け止めてはいるものの、今すぐ火消しに入るのは逆に怪しまれると、協会長ネフロラレディールアーサー・ナイトレイの判断により静観し続けている。

 その日、陽英病院の特別病棟では朝から空気が張り詰めていた。高見医師と研究機関アルヘスクからの申請により、協会ネフロラから浄化の魔道具が届いたのだ。それに伴い、要請していた魔法使いも病院に集まっていた。

「あれ、如月さんどうしてここに?」

 見覚えのある声を聞き灯真が振り返ると、そこにいたのは調査機関ヴェストガインでの上司、あきら・ノーブル・君島支部長であった。

「君島さん!」
「ディーナちゃん!」

 灯真の後ろからひょっこり現れたディーナは、君島の姿を確認すると駆け寄って優しく抱きしめる。背の小さい君島ではディーナの胸に顔の下半分が埋もれてしまうが、君島はどこか嬉しそうな顔をしている。

「いつ戻ってこられたんですか? 確か南米の方にヘルプに行ってたはずでは?」
「昨日よ。高見先生から連絡をもらって急いで帰って来たの」

 調査機関ヴェストガインの人員が少ないのは、日本に限ったことではない。数カ国語を操る君島は、海外から応援要請がくることも多い。もちろんそれは、語学力以上に彼女の能力の高さを期待してのものである。

「じゃあ、今日の治療の?」
「ええ。話は先生から聞いたわ。如月さんも大変だったみたいね」
「ええ、まあ」

 言葉を濁す灯真だったが、君島は彼の包帯が巻かれた左腕を心配そうに見つめる。事件のことはニュースと、聖によって提出された報告書で知っている。負傷したのが灯真だけであったこともそれに書かれていた。

「如月さんこそ、どうしてここに?」
「実は……」
「二人とも、そんなところで何してる?」

 君島の後ろから現れたのは、ドルアークロの施設長、森永かなえの姿だった。普段は帽子をかぶったりして見ることのない長く艶のある黒髪を下ろし、ディーナとは対照的に引き締まったその体はラインがハッキリするタイトなパンツスーツを見事に着こなしている。

「ご無沙汰してます、森永さん」
「元気そうね、あきらちゃん。タクミさんとアヤセさんも元気にしてる?」
「はい。父は相変わらずどこに行ってるのかわかりませんけど」
「彼らしいわ。ところで……」

 仲睦まじく話していた森永の目が光り、灯真へと向けられる。

「あきらちゃんがここにいる理由はわかる。でも、灯真がここにいるのは何でだ?」

 今回の要請を森永は不思議に思っていた。他にも適任と思われる魔法使いを森永は何人か知っているが、高見自ら頭を下げて森永を説得しに来た。最初は君島との仲を気にしての采配かと森永は考えたが、目の前にいる灯真に理由があるのではないかと疑い始めていた。

「それについては、私の方からお話しさせていただいても?」

 灯真を助けるように現れたのは彼女たちを呼んだ高見であった。彼の隣には蛍司の姿もある。

「蛍司、あんた用事があるって……」
「その用事がここなんですって」

 ここに来るために、森永はドルアークロの業務の代番を彼に頼もうとしたが、用事があるとすぐに断られてしまった。灯真と蛍司、2人がここにいることで森永は自分が呼ばれた理由を察したのか、目を閉じて嘆息する。

「廊下ではなんですから、どうぞこちらへ」

 灯真たち5人は、高見に病棟の一番奥の部屋へと案内された。中に一つだけあるベッドには明希が寝かされ、その傍らで光秀が彼女の手を握っている。

「来ていただいてありがとうございます」

 部屋の隅から歩み寄ってきたのは、眼鏡をかけた白衣の女性。ただし、同じ白衣でも高見のような清潔感は感じられず、四方八方不規則に跳ねた髪の毛は蔦のようにも、角のようにも見える。

「お初にお目にかかります。研究機関アルヘスク所属、園村 知冴ちさと申します。お二人にお会いできて、大変光栄です!」

 メガネの下で、園村は灯真にも匹敵するクマを携えた大きな目を光らせる。

「園村さん、お話は後にしていただいて、先に進めてもよろしいですか?」
「はっ!?……ごめんなさい、私ったら」

 興奮冷めやらぬ様子だが、彼女はメガネの位置を直しながら肩を窄めて一歩後ろに下がる。

「では、私の方から説明をさせていただきましょう」
「その前に、確認しても?」

 森永の鋭い目が今度は高見へと刺さる。元法執行機関キュージストエースの眼力は、高見の喉を締め付けていく。

「その子やあきらちゃんがこの場に立ち会うのは、アーサー・ナイトレイ協会長に話は通してあるの?」
「えっ……ええ。君島さんは調査機関長ヴェストガインレディールから事情は聞いていらっしゃいます。それに、園村さんにはキツめに口止めさせていただいてます」

 ブルブルと震える園村は、何度も激しく首を縦に振る。誰も言葉を発しなかった。高見だけでなく灯真やディーナ、君島さえもが息を呑むことすら許されないように感じ、わずか十数秒の間を何倍にも長く感じていた。
 彼女がその質問を投げかけるのも無理はない。灯真、蛍司、そして被害者の夫である光秀は、協会長ネフロラレディールらによって詳細を伏せられている15年前の事件の被害者。そして全員が魔法使いとして目覚めた本来の時期を隠し、「キーフ」という魔法使いの最低ランクにいる。この治療に参加し、彼らが本来の実力を晒すことになれば、特に研究機関ネフロラの園村の食いつきは容易に想像がつく。
 腑に落ちないと言わんばかりの態度を見せる森永を前に、蛍司が口を開く。

「かえちゃん、そんなに先生困らせないでよ。今回は僕たちがお願いしたんだから」
「蛍司?」

 緊張した面持ちで、灯真が一歩前に出る。

「稲葉さんを、奥さんの治療に参加させるためなんです」
「……如月さん、どういうこと?」

 話に割って入った君島に森永の視線が動く。力強い眼差し臆することなく、彼女は森永と目を合わせ小さく頷く。

「森永さん、俺とケイ君が魔術を使うことは以前お見せしていますよね?」
「ええ。それがどうしたの?」

 君島の眉がピクッと反応する。彼女は灯真が魔術を使えることは知らない。しかし、君島は平静を装い話に耳を傾ける。

「稲葉さんも同じなんです。しかも稲葉さんが使える魔術の中には、奥さんを治せるかもしれないものがあるんです」
「正確には、嫁さんの中に巣食ってる誰かの魔法を直接攻撃できるやつ、だけどね」
協会ネフロラで保存されている魔道具マイトよりも、それが今回の治療に一番適していると思って高見先生に提案したんです」
「……あなた達が嘘をつくとは思えないけど、それは本当に可能なの?」

 森永は知っている。光秀が灯真と同じく、魔法暴走ラーズィープランブの障害を持っていることを。それに彼は、灯真と違い魔法と関わらない仕事を選んでいる。いくら治療可能な魔術を使えたとしても、2人のように扱えるかはわからない。また、魔術を暴走させた事案は今までにないが、視野に入れて考える必要もあった。

「可能かどうかは、あいつの意志次第かな」
「なので、確実に成功させるために高見先生が予定していた治療と同時平行で行いたいんです。俺たちもこれを使って手伝います」

 灯真と蛍司がポケットから取り出したものを見て、園村が即座に反応する。

「これは……魔道具マイトですね!? しかもこんなにたくさん……」

 2人が手にしたチェーンには、立方体に切り揃えられた7つの魔道具マイトが付いている。協会ネフロラから業務のために支給されているものとは別に、個人で先祖代々受け継がれてきた魔道具マイトを所有している場合はある。しかし、これだけの数の魔道具マイトを個人で所有するのは世界中見ても非常に稀であった。
 
「詳しくはお話できませんが、俺たちがでお世話になった方々からいただいたものです。この中に、浄化の魔法を記録した魔道具マイトがあります」
「私が手配したものと、彼らの持つ魔道具マイト、そして稲葉さんが使えるという魔術で三重の策を取らせてもらいました」
「あたしとあきらちゃんだけでは足りないと?」
「研究機関でも彼女達の体に、どの程度の強さの毒が使われているかはわかっていません。それに稲葉さんに無理をさせるわけにもいきません。ですから……」
「……わかりました」

 渋々納得した森永に向かって、高見の横で「ありがとう」と蛍司は口を動かす。それに気付き森永は肩を竦めた。


 治療のために高見が用意したのは、浄化の効果を持つ液体を作り出す魔道具マイト。本来は飲ませることで効果を発揮するそれを、点滴を利用して体内に入れて浄化を試す。そのため、水に関係する魔法を扱える2人が適任者として呼ばれた。

「それではお願いします」

 明希の両腕に繋がれ残りわずかなところで止められている点滴のバッグに、2人が魔道具マイトを使って作り出した液体が注がれていく。これは他の液体に触れることでそれと同じ性質に変化し、また触れた液体にも浄化の効果が付与される。バッグが5割ほど埋まってきたところで高見が止めていた点滴のラインを開く。チューブ内に残っていた液体にも浄化の効果が移ったのを確認すると、森永と君島は液体の生成を止めその効果を魂につながる糸に通していく作業に入る。
 一言で浄化といっても、その魔法はとても複雑なものである。例えば、今2人が使っている魔道具マイトをその効果をよくわかっていないものが使うと、液体が触れたところから無差別に浄化されていく。健康な細胞の浄化は、細胞の機能を停止させる恐れもあり大変危険である。しかし、2人のように繊細なコントロールが可能であれば、どこにその効果を与えるかを選択することができる。園村から渡された眼鏡をかけ、体内の魔力の導線を確認しながら2人は慎重に作業を続ける。法執行機関キュージストでも採用されたこれは、物体を透過し魔力や魔力残渣ドライニムを見ることができるという、光秀の魔法に似た能力を有する眼鏡。園村の持つ魔法によって作られたものである。レンズを通さなければ見えない都合、光秀の魔法に比べ視野は狭いが、2人はそれを用いて明希の体内を確認しつつ毛細血管を通って体液交換が行われる細胞を経由し、浄化の力を着実に魂へつながる糸へと通していく。

「本当に……いいのか?」
「今更何言ってんのさ」
「だってそれは2人にとって、形見みたいなものだろう。もし使用限界が来たら」
「アーネスだったら、きっと使えって言うと思うんです」
「そうそう。ここで使わなかったらガートに何言われるかわかったもんじゃない。お互いやれることをやろうや」

 そういって蛍司は、光秀の胸を軽く握った拳で小突く。そして灯真と2人で明希の顔のすぐ横に移動した。左右に分かれ、園村から受け取っていた眼鏡をかけると手に持った魔道具マイト付きのチェーンをグルグルと腕に巻きつけていく。

「範囲は?」
「浄化対象がこの人だけだから、顔の周囲だけにしよう。体調が悪いならもう少し範囲を広げるけど?」
「怪我してるとっちんよりは健康だよ」

 蛍司の笑みを合図に2人は、7つある魔道具マイトのうちの1つに魔力を注いでいく。若葉にも似た黄緑色の光を放ち魔道具マイトが輝き始めると、灯真のそばにいたディーナは自分の頬に当たる緩やかな風を感じる。部屋の中は換気システムが効いているとはいえ、肌で感じるほどの空気の流れはそれまで感じなかった。

「お話で聞いてた通りですね……実に興味深いです」

 自分で作り出した眼鏡を通して、園村は部屋の中で起こった風の正体をその目で確かめていた。それは、灯真達の魔道具マイトから発せられたもの。彼らの持つ魔道具マイトは、浄化の効果を持つを作り出す魔法が記録されている。それを操り、呼吸する明希の顔の周囲に酸素を移動させたことで弱い風が発生していたのだ。
 作り出した酸素が肺に取り込まれていくのを確認すると、森永達と同様に体の細胞との酸素のやりとりを経由して浄化の力を糸に通していく。普段とはまるで違う魔法の操作に苦戦し、思うように力を進められない灯真と蛍司。それでも2人は目的の場所に力を届けるべく、意識を集中していく。

 明希のために精励する4人の魔法使い達を、自ら作り出したレンズを通して見つめる光秀。蛍司に小突かれた胸を、自分の右手でもトンッと叩くと両手を左右に広げる。

(あの人は言ってくれた。いつか使える日が来るって。だから)

 ここに来るまでに光秀は覚悟は決めている。考えるべきは明希を救うことだけだと。それが、大事な魔道具マイトを使ってまで助けてくれている灯真や蛍司に対して自らが取るべき行動であると。
 光秀は使うと決めた魔法をイメージして言葉を紡ぐ。彼の頭の中に失敗する未来はもう浮かんでいなかった。 


キゥラーイ キゥラーイ
光よ 光よ

ブークオウ ハウト クナルスト へティ アドアクタ,サウレット へティ ディスミア,
肉体を貫き、魂を照らし

デナ ルーセムス ウィウラ ラーキック
悪しき力を滅する光芒よ

クオイ スィーエ ユークスヌーム
汝は救い手

ヴィアスユーク ハウ スァイー アウクス
苦しむ者を癒す救済者

ヘティ エアナム イエリリーア モーテ ティアコ
イエリリーア モーテが目覚めし其の名は

ストナクシィフキゥライリーア
貫癒光槍
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

公爵令嬢は婚約破棄させられたい!!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:18

当て馬になる気はありません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:913

闇色金魚

ホラー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

みつきとけいた

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:9

消えた鍵の在処について

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

AIの人形たち・人類知能搾取

SF / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

妹が好きな貴方を愛する私

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:16

つれづれ司書ばなし

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

古代旅記録

SF / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

処理中です...