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第2章 その瞳が見つめる未来は
26話 ありがとう
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「如月がその力をちゃんと使えていれば、どれだけの人が救われたか。僕は今もそう思ってる」
いつもならここで間に入る蛍司だったが、光秀の口がまだ止まっていないことに気付きグッと堪える。
「だけど……」
記憶の中にある灯真に浴びせた言葉の数々が、光秀の首を締め付ける。言うべきことは決まっている。だが、それを言ったところでどうなるのかと、声の道を塞いでいる。彼の心を傷つけたであろう言葉の暴力は、なかったことには出来ない。灯真たちが来るまで何度も頭の中でシミュレーションを繰り返してきたというのに、ここにきて光秀の決意に靄がかかる。
言いたいことがあるならはっきり言えばいい。豊はそう喉から出そうになるのを抑えて光秀を優しく見つめる。年の功というやつだろうか。豊にはそれが、2人で解決しなければならない問題であると、そう感じた。
「はい、パパ!」
誰もが声を出すのを躊躇う中、聞こえたのは光秀の下にやってきた舞の声だった。両手で持った小さなお盆にはコップが三つ乗せられている。
「舞……」
「舞ちゃん、じぃじの方に持ってきてもらえるかな?」
「はーい!」
落とさないようにと、大きな目でコップを見つめながら慎重に運ぶ舞。それを豊が受け取ると、満面の笑みを浮かべて再びキッチンの方へ戻っていった。
「……彼らが死んだ責任を如月に押し付けるのは……間違ってた……」
光秀の口から自然と声が漏れた。舞の声を聞いて、彼は父親の言葉を思い出していた。
——子供に手本を見せてやんのが……それが父親ってもんだ。
目が見えない故に、光秀は普段メモを取ることができず、耳で聞いたことを忘れないよう習慣付けている。光秀が思い出したのは倉庫の前で豊と正信の会話に出たものだ。自分に向けられたものではないが、光秀の記憶の中から強く浮かび上がってくる。
今の自分は、最愛の娘にとって良き父親と言えるのか……。責任を他者に押し付け、それが間違いだったと知ってもなお伝えるべき言葉を口に出さない自分が手本となりうるのか……。そんな考えが頭を過ぎると、詰まっていたはずの喉が開いた。
「僕は……僕にも責任があるってわかっていたのに、自分のせいじゃないって思いたかった。誰にも言われないのをいい事に、それを正当化しようとした。日之宮の言う通り、逃げてたんだ」
「稲葉さん……」
喉につっかえていたものは完全に消え、光秀の思いが次々と口から溢れ出す。
「明希を助けに行った時も、倉庫の前で僕は、自分には無理だって決めつけて逃げようとした。前に出れたのは父さんとマサと……如月のおかげだ」
「俺は別に……」
「もちろん、国生や岩端さんや、紅野さんのおかげでもある。でも、如月がいなかったら今頃父さんたちはここにいなかった。今僕がいるこの現実は、あの時の僕だけでは見ることができなかった未来だ」
太腿に両手を置いて、光秀は深々と頭を下げた。
「ありがとう、如月。助けてくれて、ありがとう」
光秀が灯真に伝えたかったこと。それは謝罪では無い。もちろんそれも伝えるべきなのだろうが、何よりも優先すべきと思ったのは感謝の言葉だった。
灯真に対する態度の変化を見て、蛍司はやれやれと肩を竦めるも、その頬は緩んでいる。
「ユタさんそっくりだな、ミツ」
それまで沈黙を貫いていた正信が、唐突に口を開く。頭を下げる光秀の姿が豊と被ったのだ。
「何言ってやがる。俺はもっとビシッと背筋を伸ばしてだなぁ」
「よく言うよ。お客さんに頭下げてる時、いつもああだからね!」
「俺ぁあんなだらしねぇ腹はしてねぇだろうが!!」
光秀がピクッと反応し頭を上げる。
「舞にじぃじのお腹硬いヤダって言われて凹んでたくせに」
「光秀、てめぇ……そんなことまで覚えてやがって……」
「お腹が硬いと、良くないんですか? 灯真さんも硬いです」
ディーナの何気ない一言に全員の視線が灯真へと向いた。
「とっちんもすみに置けないね」
「そういうわけじゃ……」
反応に困る灯真を見て、それまでの張り詰めた空気を一掃するように皆の顔に笑みが浮かぶ。
「……稲葉さん」
一瞬蛍司たちに呆れ顔を見せた灯真は、一度深呼吸すると元の真剣な表情に戻り、再び光秀を見つめた。
「なっ……なんだ?」
彼から何を言われても受け入れようと、光秀はそう覚悟して息を飲む。
「俺も稲葉さんも他のみんなも、奥さんを助けるために自分のできることをやった。ただそれだけです。だから、みんなで奥さんの無事を祝えばいいと思うんです」
「……英雄論か?……」
「はい」
英雄とは、何かを成し遂げた一人のことではなく、それを成すために動いた全ての人々のことである。それが、古の魔法使いが残した英雄論と呼ばれる考え方である。
「……欲が無さすぎるぞ。僕に文句の一つでも言ったって——」
「言いませんよ。稲葉さんに言われたことは事実ですし」
灯真の声の奥に微かに混ざる悲しみを、光秀は聞き逃さなかった。灯真のどこか影のある笑みに、彼が抱える根深いものを感じた豊は、かつて見た三科の表情を思い出す。彼の妻の葬儀で見た、大切な人を失った者の顔を。
「のみものおもちしました~」
再び可愛らしい声を出しながら現れた舞は、2ℓのペットボトルを両手でしっかり抱えていた。テーブルに近づくと少女は硬い蓋を渾身の力を込めて開けようとする。が、どれだけやっても開く気配はない。
「じぃじに任せな!」
諦めた舞からペットボトルを受け取ると、軽々と蓋を回してコップに中身を注いでいく。
「まだまだ話したいことはあるだろうが、準備が出来たみてぇだからよ」
豊の目線の先には、料理を運ぶ節子と明希の姿があった。
「遅くなりました。さあ、どうぞ」
二人が次々と運ぶ料理に、舞が目を輝かせる。
「舞をこっちに寄越したのは君か?」
「ふふっ、何のこと?」
光秀の問いを笑って流すと、明希は別の料理を取りにキッチンへ戻っていった。
光秀が自宅に灯真と蛍司を呼んだのは、明希の救出に協力してくれた二人に対して直接お礼をしたいという明希の要望だった。光秀は彼女に、古い友人が助けてくれたと説明した。明希としても、正信以外で初めて聞く夫の友人に挨拶したいということもあったのだろう。幸路や聖も呼んだのだが、残念ながら外せない仕事があるということで断られてしまい、彼らだけになった。
「美味しいですね!」
「ままのりょうりおいしいんだよ!」
明希の用意した料理に舌鼓を打つ蛍司に、舞が自慢げに胸を張る。それを見て豊や正信が笑い出す。緊張していたディーナも、美味しい料理を口いっぱいに頬張り満足げだ。その様子を見て、灯真の表情も柔らかくなる。
「おねえちゃん、どうしたらそんなにおっきくなるの?」
「えっ?」
途中、ディーナに興味を持った舞のその一言で全員の視線がディーナに集まり変な空気が漂ったが、明希と節子の咳払いですぐに元の楽しげな雰囲気を取り戻した。
「如月、国生、ちょっといいか?」
気がつくと外は暗くなっており、星が輝き始めていた。意気投合して遊び続けていた舞とディーナは、ソファーの上で寄り添ったまま寝てしまった。そんな二人に、節子がブランケットをかける。
大人だけとなりテーブルに酒の瓶が出始めると、光秀はビールが注がれたコップを持ってリビングから外のウッドデッキに出る。灯真は蛍司と目を合わせ首を傾げると、彼の後を追いかける。
「二人とも、これ持っていきな」
光秀の行動に何かを察したのか、豊は二人を呼び止めるとビールの入ったコップを二人に差し出した。それを受け取り灯真達はウッドデッキへと出る。
「ヒデミー、どうかしたのか?」
「昔、騎士団のみんなと約束したことがあって」
「約束……ですか?」
「大人になったらヒュートさんたちの故郷にある、星が綺麗に見えるところで一緒に酒盛りしようってさ」
ウッドデッキに腰を下ろすと、光秀は空を見上げる。その目は黒く変化し、彼の頭上に作り上げられたレンズが輝く星を光秀に見せる。住宅地の明かりのせいだろうか、まだ陽が落ちてそれほど経っていないからだろうか、濃紺の空には強く光る星以外見ることはできない。
「ハハハッ、あの人達らしいな」
肩を揺らしながら笑う蛍司も同じように座り込む。
「せっかく集まったから、二人に付き合ってもらおうと思って」
そういって光秀は2人にコップを向ける。彼がしたいことを察して頬が緩んだ灯真も、蛍司の隣に腰を下ろし持っていたコップを前に差し出した。
「向こうの方がもっと星が綺麗だったな」
「あ~、夜真っ暗だったもんな」
「トイレ行くのが怖かったよ」
各々が思い出す懐かしい景色。3人は15年ぶりに、決して悲しいことだけじゃなかったと思い返していた。
「じゃあ……虹槍 騎士団のみんなに」
「なら僕は、ガートラムと親方たちに」
「俺は……アーネスとフォウセのみんなに」
「オレムガイ!」
「ドゴ テルスオン!」
「スティクセ!」
3人がそれぞれ言葉を掛け合いながらビールの入ったコップを空高く掲げる。世話になった人たちのことを思い浮かべ、自分たちがこうして生きて大人になったことを伝えるように。
が、蛍司と光秀が顔を顰めた。ただ1人、灯真だけがビールを口に運ぶ。
「おい、乾杯はオレムガイだろ?」
「何を言ってんだ、ドゴ テルスオンに決まってる」
「これだから脳筋鉱夫は……向こうの乾杯は、同じ空をまた見れたことを喜ぶ意味で「見上げろ」って意味で」
「待った! 乾杯は仕事を終えた後に良い休息を取ろうって意味だから」
2人が口論する中、ちびちびとビールを口に入れていく灯真はその光景に懐かしさを感じていた。昔も覚えた言葉の披露でよく口論になっていた。
外で口喧嘩が始まっていることに気付き正信があわあわしていると、その様子を見て嬉しそうな顔をする豊が彼の肩を叩く。感情を露わにしながら話す光秀を見て、節子はその目を滲ませていた。
「そんなことしてたら、また“護さん“に怒られるよ」
コップの中身を見つめる灯真の呟きを聞いて、蛍司は悲しい表情で項垂れる。しかし、光秀は顔を強ばらせコップの中身を一気に飲み干した。
「2人とも……護さんがどうなったか、覚えてるよな?」
「忘れないよ。忘れるわけないだろ?」
そう蛍司が答えると、灯真も小さく頷く。
「護さんが行方不明って扱いになってるの、2人は知ってるか?」
「え?」
「何言ってんのさ、ヒデミー?」
驚く2人の反応を見て、光秀は「やっぱりか……」という顔を見せた。
「どういうことだよ……ちゃんと話したはずだ。向こうで亡くなったって」
「僕も蛍司が話してたのを知ってる。でも、協会の登録ではそうなってるんだ」
「そういえば……」
灯真は協会本部でアーサーやルイスと話した時のことを思い出した。「行方不明者たちは最年長でも15歳、下は7歳と子供ばかりで……」と、ルイスはそういった。もっと年上の大人が何人もいたことを彼らは知っている。護という人物もその1人だ。なぜ嘘をつくのかと、ずっと疑問に思っていた。
「アーサーさんもルイスさんも、護さんはいなかったみたいな話し方をしてた」
「門のことはあまり知られちゃいけないとは聞いたが、おっちゃんが死んだことを知られてまずいことでもあるか……?」
「そこまではわからん。ただ、僕らの知らないところで協会長たちが何か動いているのは間違い無いだろうな」
「15年前の事件を今でも調べてるとは言ってたけど……」
「犯人たちにおっちゃんが生きているかもって思わせたい……とか?」
「国生にしては珍しく真っ当な意見だな」
「そりゃどうも」
「別におちょくってるんじゃない。あの人の魔法のことを考えたら、十分あり得る話だってことさ」
「「あっ」」
灯真と蛍司が揃って声を上げる。決してそれを忘れていたわけじゃない。護という男が死んだと思っていたから、その考えに辿り着かなかった。
「おーい、そろそろ二次会といかないか?」
すでにテーブルには明希の用意した酒に合いそうなつまみが並んでいた。豊がビール瓶を手で揺らしながら、光秀たちを誘っている。
「このことは他言無用だ。多分、僕らしか知らない。協会長たちの動きを邪魔する可能性もある」
「了解だ」
蛍司は手に持ったままのビールを再び空に掲げると、一気に喉の奥へ流し込み立ち上がる。
「稲葉さん……それにケイ君……今度3人だけで話したいことがあるんだけど」
「……彼女と繋がっているその紐と関係ある話か?」
光秀のレンズが、舞と寄り添って眠るディーナの姿を映し出す。彼には見えていた。灯真とディーナを結ぶ見えない繋がりが。
「やっぱり……見えてたんですね」
「たまたま……な」
それを聞いて、蛍司が眉を顰める。彼とディーナのつながりについては、ドルアークロで行った散布探知の訓練で偶然知った。だが、蛍司は何も聞かなかった。彼から話してくれるのを待とうと、そう考えていた。
「さっきの話と少し関係がありそうなんです……詳しい話は今度……」
残っていたビールを飲み干すと、灯真はゆっくりと立ち上がりリビングへと戻っていく。
「ヒデミー……お前はあれ……何だと思う?」
「多分あれは……契約を使ったんだと思う。確証はないけど、イエリリーアさんに聞いたことがある」
「やっぱりそう……だよな……」
蛍司も別の人物から契約という魔法について聞いたことがある。その効果も、そして危険性についても。
「何にせよ、話を聞かないことにはわからん」
「へぇ~、随分丸くなったんじゃない?」
「うるさい……僕なりのケジメってやつだ」
「素直じゃないんだから。まっ、そういう頑固さは嫌いじゃないよ」
少し照れくさそうにしながら、光秀は魔法を解いて灯真の後を追う。やれやれと肩を竦めながら蛍司も続いた。
* * * * * *
「急なお願いを聞き入れていただいて、ありがとうございます」
「いいんだ。先日の事件を解決に導いたと聞いて、一度私からもお礼を言いたいと思っていたんだ」
灯真たちが光秀の家を訪れていたその日、幸路はある人物を訪ねていた。幸路のことをグレーの瞳で見つめるのは、協会長のアーサー・ナイトレイだ。
「ところで、君はどこでその話を聞いたんだい?」
笑みを浮かべているはずのアーサーに、幸路には恐怖を感じる。彼の目は、笑っていなかった。
「俺は……ずっと考えてました。この力を、もっといろんな人のために使えないかって。そんな時に、藤森さんから声をかけられたんです。セリーレに入らないかって」
魔法使いこそ人間として上位の存在だと主張しているセリーレへの勧誘に、紅野は最初は拒否した。しかし藤森から、セリーレはもっと自由に魔法を使える世界を目指しているのだと聞かされ、紅野は藤森の手を取った。
「彼か……」
思っていた通りの答え聞き、アーサーは嘆息する。同時に、裏でそんな動きをしていたことに怒りを覚える。
「如月がドルアークロに行ったのを教えたのも……俺です。あいつがエルフを作ろうと企んでる、命をおもちゃみたいに考えてる奴らの一員だって……ディーナちゃんはその実験体で、助けなきゃいけないって言われて……でも最近、あいつがそんなことを考えてるようには思えなくて、それで……」
「私に真偽を確かめに来たということか?」
弱々しく幸路は首を縦に振った。
「他に確かめようがないと思ったんです。セリーレの代表である、貴方に聞くしか」
「そうか……協会本部にディーナの登録に行くことを教えたのも君かい?」
「いえ……俺はその時まだ彼女のことを知らなかったので」
彼以外に、灯真たちの動きを知り情報を藤森に流した人物がいる。そしてアーサーはその人物に心当たりがあった。
「本当に……灯真は本当に、そんなひどいことを考えてるやつなんですか?」
幸路の目を見て、アーサーは彼が求めている答えがすぐにわかった。アーサーの目から、それまで感じられた怖さが消える。
「……そこまで知っているのであれば、君にも話しておく必要がありそうだ」
そういうと、アーサーは棚にしまってあったティーセットをテーブルに運ぶ。
「だが、少し長くなる。ミルクティーでいいかな?」
「はっ……はい!」
幸路に笑みを返すと、アーサーはお気に入りの茶葉をティーポッドに入れ始めた。
◇
『あれでよかったのかね?』
「ええ、助かりましたよ。感謝します」
『しかし、聞いていた計画より少し早かったのではないか?』
「問題ありませんよ。こちらの準備が思ったより早く進んでいるもので」
『それならいいのだが……』
「ええ。おかげさまで、ネット上でいい感じに魔法の噂が広まりつつあります」
『こちらとしては約束を守ってもらえれば協力は惜しまんよ』
「ありがとうございます。そういえば、例のものはいかがですか?」
『ああ、今テストをしているところだが、とても素晴らしいものだ』
「それはよかった」
『そうなると次の段階に?』
「近いうちにそうなると思いますよ」
『わかった。こちらで動くことがあればまた言ってくれ」
「ご協力感謝します」
そういって通話を切ると、スーツ姿の男はメガネの位置を直しながらそれまで作っていた笑みを崩し、蔑んだ目でスマートフォンの画面を見つめた。
* * * * * *
いつもならここで間に入る蛍司だったが、光秀の口がまだ止まっていないことに気付きグッと堪える。
「だけど……」
記憶の中にある灯真に浴びせた言葉の数々が、光秀の首を締め付ける。言うべきことは決まっている。だが、それを言ったところでどうなるのかと、声の道を塞いでいる。彼の心を傷つけたであろう言葉の暴力は、なかったことには出来ない。灯真たちが来るまで何度も頭の中でシミュレーションを繰り返してきたというのに、ここにきて光秀の決意に靄がかかる。
言いたいことがあるならはっきり言えばいい。豊はそう喉から出そうになるのを抑えて光秀を優しく見つめる。年の功というやつだろうか。豊にはそれが、2人で解決しなければならない問題であると、そう感じた。
「はい、パパ!」
誰もが声を出すのを躊躇う中、聞こえたのは光秀の下にやってきた舞の声だった。両手で持った小さなお盆にはコップが三つ乗せられている。
「舞……」
「舞ちゃん、じぃじの方に持ってきてもらえるかな?」
「はーい!」
落とさないようにと、大きな目でコップを見つめながら慎重に運ぶ舞。それを豊が受け取ると、満面の笑みを浮かべて再びキッチンの方へ戻っていった。
「……彼らが死んだ責任を如月に押し付けるのは……間違ってた……」
光秀の口から自然と声が漏れた。舞の声を聞いて、彼は父親の言葉を思い出していた。
——子供に手本を見せてやんのが……それが父親ってもんだ。
目が見えない故に、光秀は普段メモを取ることができず、耳で聞いたことを忘れないよう習慣付けている。光秀が思い出したのは倉庫の前で豊と正信の会話に出たものだ。自分に向けられたものではないが、光秀の記憶の中から強く浮かび上がってくる。
今の自分は、最愛の娘にとって良き父親と言えるのか……。責任を他者に押し付け、それが間違いだったと知ってもなお伝えるべき言葉を口に出さない自分が手本となりうるのか……。そんな考えが頭を過ぎると、詰まっていたはずの喉が開いた。
「僕は……僕にも責任があるってわかっていたのに、自分のせいじゃないって思いたかった。誰にも言われないのをいい事に、それを正当化しようとした。日之宮の言う通り、逃げてたんだ」
「稲葉さん……」
喉につっかえていたものは完全に消え、光秀の思いが次々と口から溢れ出す。
「明希を助けに行った時も、倉庫の前で僕は、自分には無理だって決めつけて逃げようとした。前に出れたのは父さんとマサと……如月のおかげだ」
「俺は別に……」
「もちろん、国生や岩端さんや、紅野さんのおかげでもある。でも、如月がいなかったら今頃父さんたちはここにいなかった。今僕がいるこの現実は、あの時の僕だけでは見ることができなかった未来だ」
太腿に両手を置いて、光秀は深々と頭を下げた。
「ありがとう、如月。助けてくれて、ありがとう」
光秀が灯真に伝えたかったこと。それは謝罪では無い。もちろんそれも伝えるべきなのだろうが、何よりも優先すべきと思ったのは感謝の言葉だった。
灯真に対する態度の変化を見て、蛍司はやれやれと肩を竦めるも、その頬は緩んでいる。
「ユタさんそっくりだな、ミツ」
それまで沈黙を貫いていた正信が、唐突に口を開く。頭を下げる光秀の姿が豊と被ったのだ。
「何言ってやがる。俺はもっとビシッと背筋を伸ばしてだなぁ」
「よく言うよ。お客さんに頭下げてる時、いつもああだからね!」
「俺ぁあんなだらしねぇ腹はしてねぇだろうが!!」
光秀がピクッと反応し頭を上げる。
「舞にじぃじのお腹硬いヤダって言われて凹んでたくせに」
「光秀、てめぇ……そんなことまで覚えてやがって……」
「お腹が硬いと、良くないんですか? 灯真さんも硬いです」
ディーナの何気ない一言に全員の視線が灯真へと向いた。
「とっちんもすみに置けないね」
「そういうわけじゃ……」
反応に困る灯真を見て、それまでの張り詰めた空気を一掃するように皆の顔に笑みが浮かぶ。
「……稲葉さん」
一瞬蛍司たちに呆れ顔を見せた灯真は、一度深呼吸すると元の真剣な表情に戻り、再び光秀を見つめた。
「なっ……なんだ?」
彼から何を言われても受け入れようと、光秀はそう覚悟して息を飲む。
「俺も稲葉さんも他のみんなも、奥さんを助けるために自分のできることをやった。ただそれだけです。だから、みんなで奥さんの無事を祝えばいいと思うんです」
「……英雄論か?……」
「はい」
英雄とは、何かを成し遂げた一人のことではなく、それを成すために動いた全ての人々のことである。それが、古の魔法使いが残した英雄論と呼ばれる考え方である。
「……欲が無さすぎるぞ。僕に文句の一つでも言ったって——」
「言いませんよ。稲葉さんに言われたことは事実ですし」
灯真の声の奥に微かに混ざる悲しみを、光秀は聞き逃さなかった。灯真のどこか影のある笑みに、彼が抱える根深いものを感じた豊は、かつて見た三科の表情を思い出す。彼の妻の葬儀で見た、大切な人を失った者の顔を。
「のみものおもちしました~」
再び可愛らしい声を出しながら現れた舞は、2ℓのペットボトルを両手でしっかり抱えていた。テーブルに近づくと少女は硬い蓋を渾身の力を込めて開けようとする。が、どれだけやっても開く気配はない。
「じぃじに任せな!」
諦めた舞からペットボトルを受け取ると、軽々と蓋を回してコップに中身を注いでいく。
「まだまだ話したいことはあるだろうが、準備が出来たみてぇだからよ」
豊の目線の先には、料理を運ぶ節子と明希の姿があった。
「遅くなりました。さあ、どうぞ」
二人が次々と運ぶ料理に、舞が目を輝かせる。
「舞をこっちに寄越したのは君か?」
「ふふっ、何のこと?」
光秀の問いを笑って流すと、明希は別の料理を取りにキッチンへ戻っていった。
光秀が自宅に灯真と蛍司を呼んだのは、明希の救出に協力してくれた二人に対して直接お礼をしたいという明希の要望だった。光秀は彼女に、古い友人が助けてくれたと説明した。明希としても、正信以外で初めて聞く夫の友人に挨拶したいということもあったのだろう。幸路や聖も呼んだのだが、残念ながら外せない仕事があるということで断られてしまい、彼らだけになった。
「美味しいですね!」
「ままのりょうりおいしいんだよ!」
明希の用意した料理に舌鼓を打つ蛍司に、舞が自慢げに胸を張る。それを見て豊や正信が笑い出す。緊張していたディーナも、美味しい料理を口いっぱいに頬張り満足げだ。その様子を見て、灯真の表情も柔らかくなる。
「おねえちゃん、どうしたらそんなにおっきくなるの?」
「えっ?」
途中、ディーナに興味を持った舞のその一言で全員の視線がディーナに集まり変な空気が漂ったが、明希と節子の咳払いですぐに元の楽しげな雰囲気を取り戻した。
「如月、国生、ちょっといいか?」
気がつくと外は暗くなっており、星が輝き始めていた。意気投合して遊び続けていた舞とディーナは、ソファーの上で寄り添ったまま寝てしまった。そんな二人に、節子がブランケットをかける。
大人だけとなりテーブルに酒の瓶が出始めると、光秀はビールが注がれたコップを持ってリビングから外のウッドデッキに出る。灯真は蛍司と目を合わせ首を傾げると、彼の後を追いかける。
「二人とも、これ持っていきな」
光秀の行動に何かを察したのか、豊は二人を呼び止めるとビールの入ったコップを二人に差し出した。それを受け取り灯真達はウッドデッキへと出る。
「ヒデミー、どうかしたのか?」
「昔、騎士団のみんなと約束したことがあって」
「約束……ですか?」
「大人になったらヒュートさんたちの故郷にある、星が綺麗に見えるところで一緒に酒盛りしようってさ」
ウッドデッキに腰を下ろすと、光秀は空を見上げる。その目は黒く変化し、彼の頭上に作り上げられたレンズが輝く星を光秀に見せる。住宅地の明かりのせいだろうか、まだ陽が落ちてそれほど経っていないからだろうか、濃紺の空には強く光る星以外見ることはできない。
「ハハハッ、あの人達らしいな」
肩を揺らしながら笑う蛍司も同じように座り込む。
「せっかく集まったから、二人に付き合ってもらおうと思って」
そういって光秀は2人にコップを向ける。彼がしたいことを察して頬が緩んだ灯真も、蛍司の隣に腰を下ろし持っていたコップを前に差し出した。
「向こうの方がもっと星が綺麗だったな」
「あ~、夜真っ暗だったもんな」
「トイレ行くのが怖かったよ」
各々が思い出す懐かしい景色。3人は15年ぶりに、決して悲しいことだけじゃなかったと思い返していた。
「じゃあ……虹槍 騎士団のみんなに」
「なら僕は、ガートラムと親方たちに」
「俺は……アーネスとフォウセのみんなに」
「オレムガイ!」
「ドゴ テルスオン!」
「スティクセ!」
3人がそれぞれ言葉を掛け合いながらビールの入ったコップを空高く掲げる。世話になった人たちのことを思い浮かべ、自分たちがこうして生きて大人になったことを伝えるように。
が、蛍司と光秀が顔を顰めた。ただ1人、灯真だけがビールを口に運ぶ。
「おい、乾杯はオレムガイだろ?」
「何を言ってんだ、ドゴ テルスオンに決まってる」
「これだから脳筋鉱夫は……向こうの乾杯は、同じ空をまた見れたことを喜ぶ意味で「見上げろ」って意味で」
「待った! 乾杯は仕事を終えた後に良い休息を取ろうって意味だから」
2人が口論する中、ちびちびとビールを口に入れていく灯真はその光景に懐かしさを感じていた。昔も覚えた言葉の披露でよく口論になっていた。
外で口喧嘩が始まっていることに気付き正信があわあわしていると、その様子を見て嬉しそうな顔をする豊が彼の肩を叩く。感情を露わにしながら話す光秀を見て、節子はその目を滲ませていた。
「そんなことしてたら、また“護さん“に怒られるよ」
コップの中身を見つめる灯真の呟きを聞いて、蛍司は悲しい表情で項垂れる。しかし、光秀は顔を強ばらせコップの中身を一気に飲み干した。
「2人とも……護さんがどうなったか、覚えてるよな?」
「忘れないよ。忘れるわけないだろ?」
そう蛍司が答えると、灯真も小さく頷く。
「護さんが行方不明って扱いになってるの、2人は知ってるか?」
「え?」
「何言ってんのさ、ヒデミー?」
驚く2人の反応を見て、光秀は「やっぱりか……」という顔を見せた。
「どういうことだよ……ちゃんと話したはずだ。向こうで亡くなったって」
「僕も蛍司が話してたのを知ってる。でも、協会の登録ではそうなってるんだ」
「そういえば……」
灯真は協会本部でアーサーやルイスと話した時のことを思い出した。「行方不明者たちは最年長でも15歳、下は7歳と子供ばかりで……」と、ルイスはそういった。もっと年上の大人が何人もいたことを彼らは知っている。護という人物もその1人だ。なぜ嘘をつくのかと、ずっと疑問に思っていた。
「アーサーさんもルイスさんも、護さんはいなかったみたいな話し方をしてた」
「門のことはあまり知られちゃいけないとは聞いたが、おっちゃんが死んだことを知られてまずいことでもあるか……?」
「そこまではわからん。ただ、僕らの知らないところで協会長たちが何か動いているのは間違い無いだろうな」
「15年前の事件を今でも調べてるとは言ってたけど……」
「犯人たちにおっちゃんが生きているかもって思わせたい……とか?」
「国生にしては珍しく真っ当な意見だな」
「そりゃどうも」
「別におちょくってるんじゃない。あの人の魔法のことを考えたら、十分あり得る話だってことさ」
「「あっ」」
灯真と蛍司が揃って声を上げる。決してそれを忘れていたわけじゃない。護という男が死んだと思っていたから、その考えに辿り着かなかった。
「おーい、そろそろ二次会といかないか?」
すでにテーブルには明希の用意した酒に合いそうなつまみが並んでいた。豊がビール瓶を手で揺らしながら、光秀たちを誘っている。
「このことは他言無用だ。多分、僕らしか知らない。協会長たちの動きを邪魔する可能性もある」
「了解だ」
蛍司は手に持ったままのビールを再び空に掲げると、一気に喉の奥へ流し込み立ち上がる。
「稲葉さん……それにケイ君……今度3人だけで話したいことがあるんだけど」
「……彼女と繋がっているその紐と関係ある話か?」
光秀のレンズが、舞と寄り添って眠るディーナの姿を映し出す。彼には見えていた。灯真とディーナを結ぶ見えない繋がりが。
「やっぱり……見えてたんですね」
「たまたま……な」
それを聞いて、蛍司が眉を顰める。彼とディーナのつながりについては、ドルアークロで行った散布探知の訓練で偶然知った。だが、蛍司は何も聞かなかった。彼から話してくれるのを待とうと、そう考えていた。
「さっきの話と少し関係がありそうなんです……詳しい話は今度……」
残っていたビールを飲み干すと、灯真はゆっくりと立ち上がりリビングへと戻っていく。
「ヒデミー……お前はあれ……何だと思う?」
「多分あれは……契約を使ったんだと思う。確証はないけど、イエリリーアさんに聞いたことがある」
「やっぱりそう……だよな……」
蛍司も別の人物から契約という魔法について聞いたことがある。その効果も、そして危険性についても。
「何にせよ、話を聞かないことにはわからん」
「へぇ~、随分丸くなったんじゃない?」
「うるさい……僕なりのケジメってやつだ」
「素直じゃないんだから。まっ、そういう頑固さは嫌いじゃないよ」
少し照れくさそうにしながら、光秀は魔法を解いて灯真の後を追う。やれやれと肩を竦めながら蛍司も続いた。
* * * * * *
「急なお願いを聞き入れていただいて、ありがとうございます」
「いいんだ。先日の事件を解決に導いたと聞いて、一度私からもお礼を言いたいと思っていたんだ」
灯真たちが光秀の家を訪れていたその日、幸路はある人物を訪ねていた。幸路のことをグレーの瞳で見つめるのは、協会長のアーサー・ナイトレイだ。
「ところで、君はどこでその話を聞いたんだい?」
笑みを浮かべているはずのアーサーに、幸路には恐怖を感じる。彼の目は、笑っていなかった。
「俺は……ずっと考えてました。この力を、もっといろんな人のために使えないかって。そんな時に、藤森さんから声をかけられたんです。セリーレに入らないかって」
魔法使いこそ人間として上位の存在だと主張しているセリーレへの勧誘に、紅野は最初は拒否した。しかし藤森から、セリーレはもっと自由に魔法を使える世界を目指しているのだと聞かされ、紅野は藤森の手を取った。
「彼か……」
思っていた通りの答え聞き、アーサーは嘆息する。同時に、裏でそんな動きをしていたことに怒りを覚える。
「如月がドルアークロに行ったのを教えたのも……俺です。あいつがエルフを作ろうと企んでる、命をおもちゃみたいに考えてる奴らの一員だって……ディーナちゃんはその実験体で、助けなきゃいけないって言われて……でも最近、あいつがそんなことを考えてるようには思えなくて、それで……」
「私に真偽を確かめに来たということか?」
弱々しく幸路は首を縦に振った。
「他に確かめようがないと思ったんです。セリーレの代表である、貴方に聞くしか」
「そうか……協会本部にディーナの登録に行くことを教えたのも君かい?」
「いえ……俺はその時まだ彼女のことを知らなかったので」
彼以外に、灯真たちの動きを知り情報を藤森に流した人物がいる。そしてアーサーはその人物に心当たりがあった。
「本当に……灯真は本当に、そんなひどいことを考えてるやつなんですか?」
幸路の目を見て、アーサーは彼が求めている答えがすぐにわかった。アーサーの目から、それまで感じられた怖さが消える。
「……そこまで知っているのであれば、君にも話しておく必要がありそうだ」
そういうと、アーサーは棚にしまってあったティーセットをテーブルに運ぶ。
「だが、少し長くなる。ミルクティーでいいかな?」
「はっ……はい!」
幸路に笑みを返すと、アーサーはお気に入りの茶葉をティーポッドに入れ始めた。
◇
『あれでよかったのかね?』
「ええ、助かりましたよ。感謝します」
『しかし、聞いていた計画より少し早かったのではないか?』
「問題ありませんよ。こちらの準備が思ったより早く進んでいるもので」
『それならいいのだが……』
「ええ。おかげさまで、ネット上でいい感じに魔法の噂が広まりつつあります」
『こちらとしては約束を守ってもらえれば協力は惜しまんよ』
「ありがとうございます。そういえば、例のものはいかがですか?」
『ああ、今テストをしているところだが、とても素晴らしいものだ』
「それはよかった」
『そうなると次の段階に?』
「近いうちにそうなると思いますよ」
『わかった。こちらで動くことがあればまた言ってくれ」
「ご協力感謝します」
そういって通話を切ると、スーツ姿の男はメガネの位置を直しながらそれまで作っていた笑みを崩し、蔑んだ目でスマートフォンの画面を見つめた。
* * * * * *
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