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第2章 その瞳が見つめる未来は

25話 少し踏み出さないとな

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「あのあと、かえちゃんに修練が足らんって笑われちゃったよ」
「自分の魔法なら嫌ってほど使ってるけど、魔道具だからね」
「そんなに違うんですか?」
「そうだなぁ……ご飯粒を手で摘むのと箸で摘むのくらい違うね」
「そんなに!?」
「それでわかるのか……?」
「お箸は、難しいです」
「“ルッカちゃん”が動けたらもっと楽だったんだけども」
「彼女は今も?」
「まあ、仕方ないよ。子供達とは話せるようになってきたから、良くなってると思う。和也くらい大きいとまだ無理みたいだけど」
「そっか……」
「あれから結構経ったけど、上手くやれてるのは“まーさん”だけだなぁ」
「その人の名前、灯真さんの本棚にいっぱいありました!」
「とっちんも持ってたの?」
「彼から読んでくれって送られてくるから……」
「なるほど……あいつなりのお礼のつもりかな……」
「お礼?」
「いや、なんでもない。おっ、ここだよな?」

 灯真とディーナ、そして蛍司が向かった先は白い壁が綺麗な一軒家。表札には「INABA」と書かれている。

 明希の誘拐事件からすでに一ヶ月が経過していた。事件のことはつい先週まで世間を賑わせていたものの、別の芸能スキャンダルが報道されたことでようやく静まりをみせた。
 事件に関わり一般人の前で魔法を使った光秀、灯真、蛍司、幸路の4人は協会法令違反を問われ、特に蛍司は報道されるような目立つ魔法(魔術)を行使したことで、ドルアークロで森永の監視のもと1ヶ月の間拘留処分。他の3人に対しても、1週間の謹慎処分が下された。ちなみに、岩端 聖は魔法を使っておらず、法執行機関として彼らを止めなかったということで訓戒だけに留まった。見られていないだけで使ったことを知っている幸路は「ずるいわ~……」と1人ぼやいていたが、聖には爽やかな笑顔で誤魔化されたという。
 明希は体を動かさない時間が長く続いたこともあり、陽英病院で検査入院をした後に退院。定期的に高見医師が魔法を使っていたことで状態はさほど悪くはなく、入院期間も1週間程度で済んだ。現在は通常の生活に戻っている。

「押さないのか?」

 インターホンの前で俯く灯真は、いつまで経ってもボタンを押そうとしない。

「来てよかったのか、まだ分からなくて」
「来いって言ってきたのはヒデミーの方なんだから、良いんだよ」

 明希を助けるために協力はしたものの、灯真にはまだ彼にいわれた言葉が頭の片隅にこびり付いている。蛍司の言う通り、家に来るように連絡してきたのは光秀だが、灯真には彼に会う勇気が出なかった。

「しょうがない、ね!」
「あっ!」

 見かねた蛍司が隙を見てボタンを押すと、「はい」と光秀の声が返ってきた。

「ヒデミー、とっちん連れてきたよ」
「今開ける」

 困った様子の灯真とそれを見て心配するディーナに対し、蛍司はニッと口角を上げる。

「とっちんも、少し踏み出さないとな」
「ケイ君……」

 カチャッと鍵の開いた音がすると、扉が開き中から現れたのは光秀……ではなく小さな女の子だった。長い髪をピンクのリボンがついたゴムでポニーテールに纏めたその子は、大きな目をキラキラさせて灯真たちのことを見ている。

「いらっしゃいませ!」
「光秀……いつの間に女の子に……」
「そんなわけあるか」

 女の子の後ろから、蛍司にツッコミを入れながら光秀が現れる。

「さすがヒデミー。昔からツッコミがお上手で」
「やれやれ……娘の舞だ。舞、ご挨拶できるかい?」
「いなば まいです。4さいです!」

 元気よく挨拶してきた舞に、蛍司はしゃがんで真っ直ぐ彼女を見ながら右手を差し出した。

「初めまして。僕は蛍司、国生蛍司って言います。ヒデミー……じゃなかった、君のパパのお友達なんだ。よろしくね」
「うん!」

 蛍司の出した手を舞は優しく握り返した。ドルアークロで子供と触れ合っているためか、接し方に慣れている蛍司に対し、灯真は影のある表情を見せる。彼の頭の中で、彼女の姿がいつか見た、泣き叫ぶ子供たちの姿と被る。

「娘の前でその呼び方はやめろ」
「いいだろ、ヒデミー。可愛らしくって。ねえ、舞ちゃん?」
「ンフ~、かわいい!ひでみ~!」

 まるでテーマパークのマスコットのようにその名を呼ぶと、舞は光秀のお腹に飛び込む。ぷにぷにした柔らかい腹の肉に顔を埋める彼女は、笑顔で顔を左右に振る。そこは彼女のお気に入りらしい。

「国生……今日から好きなだけ、その名で呼んでいいぞ」

 これまでの発言を全て覆し、光秀は歯を光らせて笑みを浮かべる。

「おっ……おう」

 今まで一度も聞いたことのない光秀の柔らかい口調に、いつもなら笑って返す蛍司も思わず体を後ろに引く。

「パパ、早く中に入ってもらったら?」
「そうだな。舞、ママと一緒に先に入りなさい」
「はーい!」

 廊下の奥から現れた明希は、蛍司たちの姿を見て小さく会釈する。それに返すように灯真たちも頭を軽く下げた。光秀に言われ、舞は履いていた靴を無造作に脱ぎ捨てて玄関を上がるが、何かを思い出してすぐにその靴をきれいに並べ直した。その様子を見ていた明希は、少女の頭を優しく撫でると奥へと連れて行く。

「まあ、上がってくれ」
「そうさせてもらうよ。ほら、とっちんも」
「……お邪魔……します」

 灯真の声から感じられる負の感情に、光秀もぎこちない雰囲気を場の空気に滲ませる。二人の様子を見ながら、蛍司は灯真の腕を引っ張り彼を玄関の中へと入れた。他人の家に入るという初めての経験に、緊張で肩が上がるディーナもそれに続く。   
 
「おお、待ちくたびれたぞ!」

 廊下を進んだ先の扉を開けると、大音量で迎えてくれたのは光秀の父、豊だった。彼の隣にいた高齢の女性が、灯真たちに気付くと椅子から立ち上がり深々と頭を下げる。光秀の母、節子だ。再び頭を上げた彼女の目を見て、それがただの挨拶ではなく灯真たちへの感謝を含むものであることはすぐにわかった。蛍司は笑顔で会釈してそれに返すが、灯真はどう反応すればいいかわからず、同じように頭を下げた。

「じぃじ、おおごえだしちゃだめなの!」
「ごめんね~、静かにするね~」
「うん、それならいいの」

 舞と豊のやり取りを、L字に置かれたソファーで腰掛けていた正信が必死に笑いを堪えている。しかし、何度も思い出しついに耐え切れなくなったのか、漏れ始めた声を手で押さえる。

「ユタさんが……語尾を伸ばすとか……無理……」
「何笑ってやがる!」
「あの二人は放っておいて、ソファーにかけて」
「準備は私と明希さんでするから、光秀も座ってなさい」
「あたしもてつだう~」

 節子に促され、光秀と灯真たちは先に進む。目の見えないはずの光秀だが、足を止めることなくソファーの方に向かっていく。壁につけられた手すりと共に、棚やダイニングテーブルといった家具が、彼の導線となるよう配置されていることに灯真は気付く。

「先日はありがとうございました。まだちゃんとお礼も言えてなくて」

 ソファーに近づくと、豊と取っ組み合いになっていた正信が急に立ち上がり姿勢を正す。慌てて豊も彼に続いた。

「なんて言えばいいか……いくら感謝してもしたりねぇくらいだ。ホントにありがとう」
「いいんですよ。それにこちらこそ、そのぉ……」

 明希たちがキッチンで何かの準備をしていることを確認すると、蛍司は二人に顔を近づける。

「お二人には面倒な講習を受けてもらうことになってしまって……」

 豊と正信は、魔法の存在を知ってしまったことで協会法令に則り特別講習を受けさせられていた。それは魔法使いの存在やその歴史、そして今の状況などについてを学んでもらうためのものだ。魔法使い予備群となった人は必ず受けなければならない。

「いいんだ。こっちとしては、息子のことを少し知れてむしろ感謝してる」
「魔法がこの世に存在したんだなって知れて、かなり楽しいですよ」

 正信の言葉に少し呆れながら、蛍司は肩を竦める。魔法と関わりのない2人を巻き込んでしまったことは、光秀だけでなく蛍司も気にしていた。2人の声を聞いて、蛍司は肩の荷が下りたような気分になる。

「如月……今日は……その……来てもらえないんじゃないかと思ってた」
「いや、そんな……俺の方こそ……」

 緊張し合う2人のやりとりに口を挟もうとする豊を、蛍司が手を前に出して止めると、彼は口に人差し指を当てて豊と正信を黙らせた。2人の関係を知らない豊たちは、灯真たちの間に流れる空気から大事な話をするのだろうと察した。キッチンで作業する音だけが部屋の中に響く。
 しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは光秀だった。

「正直、僕の考えはまだ変わってない。あのとき、僕がちゃんと出来ていれば騎士団スキュアンドのみんながああなることはなかったかもしれない。でも——」
「俺が力を制御出来なかったせいで、たくさんの助かるはずだった命が失われた。それは事実で、だから稲葉さんに何を言われても仕方のないことだと、そう思ってます」

 光秀の声を遮るように、灯真は彼が言わんとしていたことを先に言葉にした。豊たちが黙って見守る中、灯真は悲しい目で光秀のことを見つめる。光をかろうじて感じているだけの彼の目は、灯真の方を向いていない。それでも灯真は、勇気を振り絞り言葉を続ける。「少し踏み出さないと」……蛍司にいわれた一言が灯真の背中を押していく。光秀にちゃんと伝えなきゃいけないと。

同じ過ちイァンサークリーク 繰り返さなイジャノ ヒスマーヤい……あれは……俺が一生背負っていかなきゃいけないものです」
「如月……」

 血まみれの手をじっと見つめていた彼を責め立てた時も、調査機関ヴェストガインの事務所で再会した時も、灯真は何も言わなかった。言い訳も、光秀に対する文句も。涙ひとつ流さず、彼は押し黙っていた。今の灯真の言葉に嘘は感じられない。彼自身が一番、自分の犯した過ちやその大きさを理解していた。何もできることはなかったと決めつけ、責任を彼に押し付けた自分自身が、光秀は恥ずかしくなる。それでも、彼に伝えなければならない言葉がある。そのために彼をここに呼んだんだ。心の中でそう言い聞かせ、光秀は喉の奥から声を振り絞った。
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