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第3章 帰らぬ善者が残したものは
7話 暗躍するものたち
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『その昔、ラウテより訪れしものが《ホロ二》という角を持つ種族と共にこの世界を支配せんと企んだ。彼は自らを《キースレ》と名乗った。
当初はどの種族もそれほど危険視はしていなかった。キースレが戦場に姿を現すことはなくホロニの数も少なかったため、小規模な戦いが起こるだけだった。すぐに沈静化できると考えていた。しかし、ホロニの数は減るどころか戦いの度に増えていき、次第に彼らを止められなくなっていった。そうなって初めて、キースレの野望が本物であると人々は理解した。
彼らの侵攻はその後急速に進み、住まう場所から避難するものたちが後を立たなかった。交渉を試みる種族もいたが、キースレは一切応じることはなかった。各地で近くに住まう種族同士が彼らに対抗すべく協力しあうようになり、次第にそれはこの大陸に住まう全ての人々が手を取り合うまでになった。それでも、ホロニの軍勢を止めるのが精一杯であった。
そんな中、ラウテからキースレを追ってきたものたちが介入し始めた。最初は独自に動いていた彼らだったが、ホロニの勢力に阻まれ後退を余儀なくされると、各種族の長に協力を求めた。反発するものもいたが、戦いを止めることを優先しそれを承諾した。
多くの命が失われるほど壮絶な戦いを繰り広げた末に、ホロニは残らず討ち滅ぼされキースレはラウテの協力者たちの手によって命を落とした。これを機に再び同じ過ちが起きないよう、双方の世界は互いに干渉しないためロドに封印を施した。それが、我々が知るロドの伝承だ』
ジノリトの説明に耳を傾けながら本に描かれている絵や文章に目を通す護だったが、書いてある文字を読むことができない。
古の魔法使いたちは自分達の存在を隠すため、ヴィルデム語を文字として残さなかった。あるのは口伝の御伽噺だけ。例え専門にしている研究者であっても、その本を初見で読むことは不可能である。
(ひらがな……いやアルファベットのほうが近いか……)
護が丈夫な紙に書かれた見慣れない文字に注目していると、アーネスがクスッと笑い、文字を指でなぞっていく。
『これがラウテ。あと分かりやすいのだと、こっちがロドね』
『読めなくても無理はない。マモルに使っている魔道具は、耳から入る言葉にしか効果を発揮しないのだ』
「道理で……でも、すごいですね。こんな魔法、私たちの世界にはなかったです」
『ヴィルデムでも稀有なものだよ。この本に書いてある伝承よりもさらに昔から存在している魔道具だからな。それより、マモルは今の話を聞いてどう思う?』
ジノリトからの問いに、護は口を手で覆いながら思考する。協会本部でロドの話を聞かされた時、護は昔の出来事に興味が湧かず、使ったらどうなるかも考えはしなかった。しかし、具体的なその内容を聞いた今なら、古の魔法使いが禁忌として伝えてきた理由に納得が出来る。
「リューリンさんが……」
『ジノリトで構わない』
「すみません。ジノリトさんが危惧されているというのはつまり……島津さんがこちらにきたことで歴史が繰り返されるかもしれないと、そういうことですか?」
『その通りだ』
「なるほど……小屋の外で待機されてる方々もそのせいですね。4人……いえ、5人ですか」
『……気付いていたか』
眉ひとつ動かさずジノリトはあっさりとそれを認めた。しかし、隣にいたアーネスは彼のように冷静ではいられなかった。
『そんな……探知は使ってなかったのに』
「昔色々とありまして、人の気配には敏感なんですよ」
『だからって』
『落ち着けアーネス。彼は……命の奪い方を知る者だ。それを表に出さないよう、気をつけているようだが』
「……わかってしまいますか?」
しょんぼりとした様子で聞いてきた護を見て、ジノリトは「ふむ……」と口から溢すとそれまでとは違う怪訝な顔を見せる。
『私もそれなりに戦いを経験してきた身だ。貴方が只者ではないことはわかっている。しかし、不思議だ。人を欺くために隠すものは多いが、貴方は自身の奥底にそれを閉じ込めているように見える』
「力は本当に必要な時以外見せるものじゃないと、そう教え込まれまして。でも、わかっちゃうかぁ……茉陽さんにバレたら……うーん……」
この世の終わりのような落ち込み方をする護を見て、ジノリトはスッと右手を上げる。小屋の外で誰かが動く音が聞こえた。
『貴方の言葉や態度に嘘は感じられない。巻き込まれたというのもおそらく事実なのだろう』
「信じていただけてよかったです」
外から自分に向けられていた視線が消え、護はホッとする。
『だが、我々の心配事が消えたわけではない』
「……そうですね」
ジノリトの厳しい視線が護に向けられる。
ロドを使った島津は、法執行機関の優秀な捜査員である。しかし、世界を相手に戦えるような力はない。例え他に仲間がいたとしても、ジノリトの心配しているようなことを彼らだけで起こせはしない。そう思いたい護だったが、言い切るのは難しい。時間をかければ、やれないことはない。自分がそちら側であれば……そう考えると、いくつも手が浮かんでしまう。
(忘れたい過去なのに、こういうときに限って役に立つ……嫌になるな、全く)
『先ほども言ったが、シマヅという男を探すのは困難な状況だ。ロドはこの世界に複数ある。このセルキール大陸だけでなく、海を渡った先のオスゲア大陸にもな』
「それは……」
護は俯いたままそれ以上言葉が出ない。
(灯真君のことも考えると……ダメだ。足りないものが多すぎる)
いろんな可能性を頭の中で思い浮かべ最適解を線で結ぼうとするが、どうやっても上手く繋がってくれない。手荒な手段も考慮すれば動きようはある。しかし、護はそれを必死に選択肢から除外している。
『アーネスの持つ魔道具を奪えば、少なくとも言葉は通じる。ここを離れて他の種族が住まう地で情報を得ることはできるのではないか?』
護は驚いて顔を上げる。微笑するジノリトだがその目は笑ってはいない。部屋の中の空気が張り詰め、アーネスも警戒を強める。
一呼吸置いてから護は答えを返す。
「……昔の私ならそうしたかもしれません。でも今は、そんなことをしたら茉陽さんに……妻に合わせる顔がありません」
『良き夫でありたい……ということか?』
「はい。それに、怒らせたら《死神》よりも怖いので」
怖いと口にしたわりには、どこか護は嬉しそうに笑っている。
『シニガミ……というのはよくわからんが……そうだな。確かに妻は、時として夫よりも強い時がある。そこがまた魅力でもある』
うんうんと頷き意気投合する2人だったが、アーネスは話についていけずやれやれといった様子で強張っていた身体から余計な力を抜いていく。
『では、どうだろう……我々に協力しないか?』
「協力……ですか?」
ジノリトは結んだ口にわずかな笑みを浮かべると、視線をアーネスに移す。彼女はすぐに彼が何を言いたいかを察した。
『私たちは数日に一度、森を抜けた近隣の街に畑で採れたものを出荷しに行くの。それを手伝ってくれるなら同行してもいいし、街での情報収集に協力するわ』
「それは……とても有難い提案ですが、どうしてそこまでしてくれるんです? ジノリトさんたちからすれば私は」
『まだラウテと交流があった時代、他種族の奴隷という地位にいた我々フォウセに手を差し伸べてくれた方々がいた。彼らがこの《守護者の住まう森》に導き、身を守る術を教えてくれたおかげで我々の今がある。それをしてくれたのはラウテの、マモルの先祖ということになるな」
「へぇ………………え?」
返事をした直後、護の思考回路が想定外の言葉にフリーズする。初めて耳にする自分の先祖の話に頭がついていかなかった。
『他に種族がいれば違うのだろうが、ラウテにナムゥは1種しかいないと聞いている。であれば、貴方の先祖ということになるだろう?』
「ナムゥ?」
『言葉を操り文明を築いた種のことをナムゥというのだ。フォウセも広義ではナムゥということになる』
「あっ、そういうことですか……でも、そんなことがあったなんて初めて聞きました」
『ふむ……ロドに関する事といい、我々とは大分認識が違うようだな。もうじき夕食だ。一緒に食事でもしながら、ラウテの話を聞かせてはもらえないだろうか?』
「私なんかの話でよければ」
護がジノリトと話を進めていたころ、彼らのいる森から3,000km以上離れた荒野で集まる6人の男女がいた。真っ黒なツナギとコンバットブーツに身を包む彼らの中央には、鎖に繋がれた一本の杖が先端につけた宝玉を空に向けて立っている。
「あれ、サムだけいないじゃん。何やってんだよあいつ」
大きな岩の上に腰掛けるフードを被った色黒の男性は、片目を瞑って手に持ったナイフをじっと見つめる。鏡のように磨き上げられた刀身に映る自分と何度も目を合わせるながら、角度を変えて刃の状態を確認する。
「仕方ないんじゃなぁい? いきなりの本番だったんだもの」
女性と見間違う容姿をした低い声の白人男性は、ポニーテールにまとめられたダークブロンドの毛先を指に絡めながら肩を竦める。
「キリアンのいう通りですよ、サイード。目的はハッキリしてるわけですし、いずれ合流できます」
金縁のメガネを左手の指でクイッとあげる黒髪の男性。どこか嬉しそうにしている彼が気になったキリアンは、男性の右手を注視する。だらんと下げられた指先からポタポタと何かが滴っていた。足元には、どこから出たのかわからない量の赤黒い液体が水溜りを作っている。
「ねぇトモキ、アンタ何したのよ?」
「少々邪魔が入りましてね。騒ぎを大きくするのに協力してもらいました」
笑みを浮かべながら男性が右手を強く降ると、付着していた赤い液体が地面に飛び散る。
「全く……品がないわねぇ」
「良いんじゃん? どこの国でも、怪我人がいた方が周りが騒ぐっしょ」
「あんたには聞いてないのよ」
「あん?」
睨み合うサイードとキリアン。トモキはそんな2人のことなど気にも止めず顔を上げて目を閉じると、頬を赤く染めうっとりとした表情を浮かべる。右手を小刻みに震わせながら。
「まあまあ。連中の追跡を邪魔できるなら、どんな方法でも構いませんよ。それより……」
仲裁に入ったのは、集まった中でも最も線の細い茶髪の男性だった。何が入っているのかわからない大きなリュックを背負った彼は、仲間の1人に目を向ける。その視線の先にいたのは、護と共にいたはずの島津だった。
「イサオさん、アサヒナ マモルもこちらに来たというのは間違い無いんですね?」
「えっ、ええ……どこに飛ばされたかはわかりませんが……」
「そうですか……」
右手の人差し指で鼻の頭をトントンと叩きながら男性は眉間に皺を寄せる。
「でも、その方がこちらとしても都合がいいじゃないですか」
腕を組んで陽が落ちていくのをじっと眺めていた白人女性は、顰めっ面の男性の方へ振り向き口を開く。襟足がわずかに外に跳ねた金髪ショートカットの彼女の言葉に、サイードやキリアンが頷く。
「レオナのいう通りねぇ。犯人行方不明のまま、捜査に行き詰まってもらいましょうよ」
「ヴィクトルが気にしてんのは、あいつの魔法のこったろ? んなもん、見つかってから考えりゃいいっしょ。何なら、俺が相手してやんよ。裏社会であんだけ有名になった男とやり合う機会、滅多にねぇからな」
会話に参加していなかったトモキが突然目を見開き不気味な笑みを浮かべる。島津は彼の凶悪な表情に得体の知れない恐怖を感じ思わず息を呑む。
「それはいいですね。力を存分に使えそうだ……朝比奈さん、早く見つけてくれませんかね」
「おっ? 気が合うじゃん、トモキ。でも、先にやるのは俺だかんな?」
「いえいえ、それは先に見つけた方でしょう?」
「いいぜ、それでいこう!」
「2人とも楽しそうにするのはいいですが、我々には6ヶ月しか猶予はありません。それまでに目的の場所を見つけるのが最優先ですよ?」
その言葉を聞いた途端、全員の表情が一気に引き締まる。
「わーってるって。心配性だなヴィクトルは」
「計画を忘れるわけないじゃないですか」
「そうよぉ、そのためにここに来たんだものぉ」
「私たちが一番楽しみなのは、目的を達成した後の方ですからねぇ」
4人が各々の気持ちを口にした後、島津が無言のまま首を縦に振る。
「それはよかった。サムさんのことは後で考えるとして、行動開始といきましょう。全ては私たち魔法使いの未来のために」
陽が地平線に消え、空に現れる二つの青い月。その光に照らされる6人の計画が、このヴィルデムという世界で歴史に刻まれるほどの大事件につながることになる。他の場所でもロドの開放は確認され、近くに住まう種族が偵察に動いたが、それを予想出来ていたのはジノリトただ1人であった。
当初はどの種族もそれほど危険視はしていなかった。キースレが戦場に姿を現すことはなくホロニの数も少なかったため、小規模な戦いが起こるだけだった。すぐに沈静化できると考えていた。しかし、ホロニの数は減るどころか戦いの度に増えていき、次第に彼らを止められなくなっていった。そうなって初めて、キースレの野望が本物であると人々は理解した。
彼らの侵攻はその後急速に進み、住まう場所から避難するものたちが後を立たなかった。交渉を試みる種族もいたが、キースレは一切応じることはなかった。各地で近くに住まう種族同士が彼らに対抗すべく協力しあうようになり、次第にそれはこの大陸に住まう全ての人々が手を取り合うまでになった。それでも、ホロニの軍勢を止めるのが精一杯であった。
そんな中、ラウテからキースレを追ってきたものたちが介入し始めた。最初は独自に動いていた彼らだったが、ホロニの勢力に阻まれ後退を余儀なくされると、各種族の長に協力を求めた。反発するものもいたが、戦いを止めることを優先しそれを承諾した。
多くの命が失われるほど壮絶な戦いを繰り広げた末に、ホロニは残らず討ち滅ぼされキースレはラウテの協力者たちの手によって命を落とした。これを機に再び同じ過ちが起きないよう、双方の世界は互いに干渉しないためロドに封印を施した。それが、我々が知るロドの伝承だ』
ジノリトの説明に耳を傾けながら本に描かれている絵や文章に目を通す護だったが、書いてある文字を読むことができない。
古の魔法使いたちは自分達の存在を隠すため、ヴィルデム語を文字として残さなかった。あるのは口伝の御伽噺だけ。例え専門にしている研究者であっても、その本を初見で読むことは不可能である。
(ひらがな……いやアルファベットのほうが近いか……)
護が丈夫な紙に書かれた見慣れない文字に注目していると、アーネスがクスッと笑い、文字を指でなぞっていく。
『これがラウテ。あと分かりやすいのだと、こっちがロドね』
『読めなくても無理はない。マモルに使っている魔道具は、耳から入る言葉にしか効果を発揮しないのだ』
「道理で……でも、すごいですね。こんな魔法、私たちの世界にはなかったです」
『ヴィルデムでも稀有なものだよ。この本に書いてある伝承よりもさらに昔から存在している魔道具だからな。それより、マモルは今の話を聞いてどう思う?』
ジノリトからの問いに、護は口を手で覆いながら思考する。協会本部でロドの話を聞かされた時、護は昔の出来事に興味が湧かず、使ったらどうなるかも考えはしなかった。しかし、具体的なその内容を聞いた今なら、古の魔法使いが禁忌として伝えてきた理由に納得が出来る。
「リューリンさんが……」
『ジノリトで構わない』
「すみません。ジノリトさんが危惧されているというのはつまり……島津さんがこちらにきたことで歴史が繰り返されるかもしれないと、そういうことですか?」
『その通りだ』
「なるほど……小屋の外で待機されてる方々もそのせいですね。4人……いえ、5人ですか」
『……気付いていたか』
眉ひとつ動かさずジノリトはあっさりとそれを認めた。しかし、隣にいたアーネスは彼のように冷静ではいられなかった。
『そんな……探知は使ってなかったのに』
「昔色々とありまして、人の気配には敏感なんですよ」
『だからって』
『落ち着けアーネス。彼は……命の奪い方を知る者だ。それを表に出さないよう、気をつけているようだが』
「……わかってしまいますか?」
しょんぼりとした様子で聞いてきた護を見て、ジノリトは「ふむ……」と口から溢すとそれまでとは違う怪訝な顔を見せる。
『私もそれなりに戦いを経験してきた身だ。貴方が只者ではないことはわかっている。しかし、不思議だ。人を欺くために隠すものは多いが、貴方は自身の奥底にそれを閉じ込めているように見える』
「力は本当に必要な時以外見せるものじゃないと、そう教え込まれまして。でも、わかっちゃうかぁ……茉陽さんにバレたら……うーん……」
この世の終わりのような落ち込み方をする護を見て、ジノリトはスッと右手を上げる。小屋の外で誰かが動く音が聞こえた。
『貴方の言葉や態度に嘘は感じられない。巻き込まれたというのもおそらく事実なのだろう』
「信じていただけてよかったです」
外から自分に向けられていた視線が消え、護はホッとする。
『だが、我々の心配事が消えたわけではない』
「……そうですね」
ジノリトの厳しい視線が護に向けられる。
ロドを使った島津は、法執行機関の優秀な捜査員である。しかし、世界を相手に戦えるような力はない。例え他に仲間がいたとしても、ジノリトの心配しているようなことを彼らだけで起こせはしない。そう思いたい護だったが、言い切るのは難しい。時間をかければ、やれないことはない。自分がそちら側であれば……そう考えると、いくつも手が浮かんでしまう。
(忘れたい過去なのに、こういうときに限って役に立つ……嫌になるな、全く)
『先ほども言ったが、シマヅという男を探すのは困難な状況だ。ロドはこの世界に複数ある。このセルキール大陸だけでなく、海を渡った先のオスゲア大陸にもな』
「それは……」
護は俯いたままそれ以上言葉が出ない。
(灯真君のことも考えると……ダメだ。足りないものが多すぎる)
いろんな可能性を頭の中で思い浮かべ最適解を線で結ぼうとするが、どうやっても上手く繋がってくれない。手荒な手段も考慮すれば動きようはある。しかし、護はそれを必死に選択肢から除外している。
『アーネスの持つ魔道具を奪えば、少なくとも言葉は通じる。ここを離れて他の種族が住まう地で情報を得ることはできるのではないか?』
護は驚いて顔を上げる。微笑するジノリトだがその目は笑ってはいない。部屋の中の空気が張り詰め、アーネスも警戒を強める。
一呼吸置いてから護は答えを返す。
「……昔の私ならそうしたかもしれません。でも今は、そんなことをしたら茉陽さんに……妻に合わせる顔がありません」
『良き夫でありたい……ということか?』
「はい。それに、怒らせたら《死神》よりも怖いので」
怖いと口にしたわりには、どこか護は嬉しそうに笑っている。
『シニガミ……というのはよくわからんが……そうだな。確かに妻は、時として夫よりも強い時がある。そこがまた魅力でもある』
うんうんと頷き意気投合する2人だったが、アーネスは話についていけずやれやれといった様子で強張っていた身体から余計な力を抜いていく。
『では、どうだろう……我々に協力しないか?』
「協力……ですか?」
ジノリトは結んだ口にわずかな笑みを浮かべると、視線をアーネスに移す。彼女はすぐに彼が何を言いたいかを察した。
『私たちは数日に一度、森を抜けた近隣の街に畑で採れたものを出荷しに行くの。それを手伝ってくれるなら同行してもいいし、街での情報収集に協力するわ』
「それは……とても有難い提案ですが、どうしてそこまでしてくれるんです? ジノリトさんたちからすれば私は」
『まだラウテと交流があった時代、他種族の奴隷という地位にいた我々フォウセに手を差し伸べてくれた方々がいた。彼らがこの《守護者の住まう森》に導き、身を守る術を教えてくれたおかげで我々の今がある。それをしてくれたのはラウテの、マモルの先祖ということになるな」
「へぇ………………え?」
返事をした直後、護の思考回路が想定外の言葉にフリーズする。初めて耳にする自分の先祖の話に頭がついていかなかった。
『他に種族がいれば違うのだろうが、ラウテにナムゥは1種しかいないと聞いている。であれば、貴方の先祖ということになるだろう?』
「ナムゥ?」
『言葉を操り文明を築いた種のことをナムゥというのだ。フォウセも広義ではナムゥということになる』
「あっ、そういうことですか……でも、そんなことがあったなんて初めて聞きました」
『ふむ……ロドに関する事といい、我々とは大分認識が違うようだな。もうじき夕食だ。一緒に食事でもしながら、ラウテの話を聞かせてはもらえないだろうか?』
「私なんかの話でよければ」
護がジノリトと話を進めていたころ、彼らのいる森から3,000km以上離れた荒野で集まる6人の男女がいた。真っ黒なツナギとコンバットブーツに身を包む彼らの中央には、鎖に繋がれた一本の杖が先端につけた宝玉を空に向けて立っている。
「あれ、サムだけいないじゃん。何やってんだよあいつ」
大きな岩の上に腰掛けるフードを被った色黒の男性は、片目を瞑って手に持ったナイフをじっと見つめる。鏡のように磨き上げられた刀身に映る自分と何度も目を合わせるながら、角度を変えて刃の状態を確認する。
「仕方ないんじゃなぁい? いきなりの本番だったんだもの」
女性と見間違う容姿をした低い声の白人男性は、ポニーテールにまとめられたダークブロンドの毛先を指に絡めながら肩を竦める。
「キリアンのいう通りですよ、サイード。目的はハッキリしてるわけですし、いずれ合流できます」
金縁のメガネを左手の指でクイッとあげる黒髪の男性。どこか嬉しそうにしている彼が気になったキリアンは、男性の右手を注視する。だらんと下げられた指先からポタポタと何かが滴っていた。足元には、どこから出たのかわからない量の赤黒い液体が水溜りを作っている。
「ねぇトモキ、アンタ何したのよ?」
「少々邪魔が入りましてね。騒ぎを大きくするのに協力してもらいました」
笑みを浮かべながら男性が右手を強く降ると、付着していた赤い液体が地面に飛び散る。
「全く……品がないわねぇ」
「良いんじゃん? どこの国でも、怪我人がいた方が周りが騒ぐっしょ」
「あんたには聞いてないのよ」
「あん?」
睨み合うサイードとキリアン。トモキはそんな2人のことなど気にも止めず顔を上げて目を閉じると、頬を赤く染めうっとりとした表情を浮かべる。右手を小刻みに震わせながら。
「まあまあ。連中の追跡を邪魔できるなら、どんな方法でも構いませんよ。それより……」
仲裁に入ったのは、集まった中でも最も線の細い茶髪の男性だった。何が入っているのかわからない大きなリュックを背負った彼は、仲間の1人に目を向ける。その視線の先にいたのは、護と共にいたはずの島津だった。
「イサオさん、アサヒナ マモルもこちらに来たというのは間違い無いんですね?」
「えっ、ええ……どこに飛ばされたかはわかりませんが……」
「そうですか……」
右手の人差し指で鼻の頭をトントンと叩きながら男性は眉間に皺を寄せる。
「でも、その方がこちらとしても都合がいいじゃないですか」
腕を組んで陽が落ちていくのをじっと眺めていた白人女性は、顰めっ面の男性の方へ振り向き口を開く。襟足がわずかに外に跳ねた金髪ショートカットの彼女の言葉に、サイードやキリアンが頷く。
「レオナのいう通りねぇ。犯人行方不明のまま、捜査に行き詰まってもらいましょうよ」
「ヴィクトルが気にしてんのは、あいつの魔法のこったろ? んなもん、見つかってから考えりゃいいっしょ。何なら、俺が相手してやんよ。裏社会であんだけ有名になった男とやり合う機会、滅多にねぇからな」
会話に参加していなかったトモキが突然目を見開き不気味な笑みを浮かべる。島津は彼の凶悪な表情に得体の知れない恐怖を感じ思わず息を呑む。
「それはいいですね。力を存分に使えそうだ……朝比奈さん、早く見つけてくれませんかね」
「おっ? 気が合うじゃん、トモキ。でも、先にやるのは俺だかんな?」
「いえいえ、それは先に見つけた方でしょう?」
「いいぜ、それでいこう!」
「2人とも楽しそうにするのはいいですが、我々には6ヶ月しか猶予はありません。それまでに目的の場所を見つけるのが最優先ですよ?」
その言葉を聞いた途端、全員の表情が一気に引き締まる。
「わーってるって。心配性だなヴィクトルは」
「計画を忘れるわけないじゃないですか」
「そうよぉ、そのためにここに来たんだものぉ」
「私たちが一番楽しみなのは、目的を達成した後の方ですからねぇ」
4人が各々の気持ちを口にした後、島津が無言のまま首を縦に振る。
「それはよかった。サムさんのことは後で考えるとして、行動開始といきましょう。全ては私たち魔法使いの未来のために」
陽が地平線に消え、空に現れる二つの青い月。その光に照らされる6人の計画が、このヴィルデムという世界で歴史に刻まれるほどの大事件につながることになる。他の場所でもロドの開放は確認され、近くに住まう種族が偵察に動いたが、それを予想出来ていたのはジノリトただ1人であった。
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