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第3章 帰らぬ善者が残したものは
20話 話し合うものたち
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森の主の寝所で起きた戦闘から数週間。一時は危険な状態だったラーゼアも、ようやく起き上がれるほどまで回復した。寝たきりだった彼が身体を起こしたときには嗚咽混じりに泣きじゃくっていたアディージェも、今は落ち着きを取り戻している。
「肉体の治癒には相当気を使うと聞きますが、こんなに簡単に……」
『ずっと寝てるから体が痛いっす。けど、もう大丈夫っす』
魔法による治療はそれほど万能ではない。使い方を誤れば関係ない臓器を害したり、歪な形での治療になったり、傷口が再び開くこともある。時間をかけ、慎重に使わなければならない点は現代医学と差して変わらない。しかしながら、メヒー・クオルという女性はラーゼアやアディージェの傷を見て特に悩むこともなく、己の魔法で傷を塞いでみせた。彼女は「しばらく動かないでね」というだけ。彼女の相棒であるオルゼが、申し訳なさそうに彼女の補足をした。傷がちゃんと塞がるまで安静にしている必要があると。
『クオルだから、ですけどね。定着に時間はかかりますが、ボクも彼女以上の治療ができる人を知りません』
「定着……ですか?」
『詳しくはお話しできませんが、先日説明した通り、無理をするとまた傷が開いてしまうということです』
「なるほど……」
ヴィルデムでは、よほど信頼しあった仲でない限り力の全てを教えることはない。少し残念そうにしながらも、護は内心胸が躍っていた。
ジノリト曰く、メヒー以外にもこの世界には傷を癒す魔法を持ったものが多く存在して、魔道具として販売もされているという。それに対して地球では治療に使える魔道具が少ない。そういった魔法を覚えるものが少なかったわけではないが、魔道具として残っていないのだ。
(あっちの世界では種類が限られているから……もし持ち帰れたら……)
魔法による治療は、病気や怪我の種類によっては相性が悪く治療が難しくなることもある。もし魔道具という形で魔法を持ち帰ることができたなら、何かあった時に助けられる命が増えるということにつながる。
護の頭にこれまで犠牲にしてきた同胞たちの姿が浮かぶ。あの時は何も考えていなかった。そうするのが普通なんだと疑わなかった。しかし、茉陽と出会ってそれが間違いだったことに気付いた。もし生きていたら、自分のように変われたかもしれない。自分の手を血に染める以外の生き方を選べたかもしれない。
護の視線が彼自身の手に移る。赤黒いドロドロした液体が纏わりついており、何度拭っても取れることはない。
『マモル、どうかしたか?』
「いえ、何でも」
『そうか……あまり抱えすぎないことだ。人が持てる荷物には限りがある』
ジノリトはそういって、護の背中を軽く叩く。全て見透かしているのか、それともただの気遣いなのかわからないが、彼の言葉が護の中に響き続ける。
『ラーゼアが動けるようになったんなら、そろそろ』
『まだ早いですよ』
『ほんと、もう大丈夫っすよ?』
『起き上がれたとはいえ、まだ立ったり歩いたりするのは控えた方がいいです。アディージェさんの手だって』
『そう……だけどよぉ……』
オルゼに止められたが、アディージェの気が急くのも無理はない。怪我さえなければ、すぐにでもアウストゥーツを追いかけたいところなのだ。自分たちの町を壊滅させたあの男を。
しかし、アディージェの手も治療は済んだとはいえ未だ重たいものを持つことは禁止されている。そんな状態であの男を追ったところで、返り討ちに会うのは必至。自分自身への苛立ちにアディージェは思わず怪我をした手で壁を叩こうとするが、何者かに手首を掴まれ不発に終わった。止めたのは護だった。首を横に振る彼の憂いを帯びた表情は、アディージェの腕から力を奪っていく。
『しかし……どうしたものか……』
ジノリトが頭を抱えるのは、アディージェから聞かされた事の詳細のせいである。彼はジノリトたちに、この森に来るまでの経緯を包み隠さず話した。町を襲撃されたこと、アウストゥーツに誘われグランセイズにいる王へ抗議の準備をしていたこと、自分たちのように町を襲われた者たちが彼に賛同し協力していること。
「細かいことは抜きすると、私たちの選択肢としては3つでしょうか」
脱力したアディージェから手を離すと、護はそう口にする。その場にいた全員の視線が一斉に彼へと集まった。
「逃げていったあの男の後を追うか、この国の王様が町の襲撃を指示したという事実確認に向かうか、あとは」
『見て見ぬ振りをする……ってか?』
『フォウセやメヒー殿らはこの件に関して動く理由がない。その選択をするのもやむなしだろう』
ヴァイリオの言葉に、眉間にシワを寄せながらもアディージェは小さく頷く。フォウセの住むこの森は、【オーツフ】という国の領地内に存在するものの、森の主が住う土地として独立した状態にある。そこに住むフォウセも同じ。友好関係にはあるものの、国のことには干渉しないと決めている。口元を手で覆いながらジノリトはひとり思料していた。
『それは……そうなんですけど……』
メヒーとオルゼについてはオーツフの民ではなく、このセルキール大陸の外から来た旅行者である。国の問題に首を突っ込むわけにはいかない。しかし事情が事情だけに、このまま何もしないというのはオルゼとして心痛む選択であった。
『あの人が……国王があんな指示出すわけねぇんだ。あの人は』
「ですが、アディージェさんたちが見たという鎧をどう説明すれば」
護の調査員としての職業病がここにきて姿を現す。あらゆる可能性を考えなければと、勝手に頭が働いていた。それを聞いて、閉ざされていたジノリトの口が開く。
『オーツフの管理体制は四大国随一だ。もし軍の装備が流出などしたら、今頃国をあげて調査に乗り出しているはず。この森に調査の手が伸びていても不思議じゃない。しかし、そんな報告は私に届いてない……これはグルゥに会って直接聞いてみた方が早いかもしれないな』
「グルゥ?」
『この国の王様、グルゥ・セイズ・ハクナーディル陛下のことっす。マモルさんが違う世界から来たっていうのは本当なんすね』
「え?」
『セルキール大陸であの人のことを知らねぇなんて、ありえねぇからよ』
『マモル殿のことは後にして、今の状況で陛下にお会いすることなどできるんだろうか?』
『難しいだろうな。もし調査が始まっているなら、外部から人を入れたがらない。フォウセの長である私でも、そう簡単には会わせてもらえまい』
「ラーゼアさんが完治しないことには動きようがないわけですし、今は情報を集めてみては?」
『そんなことやってる暇は』
『落ち着けアディージェ。我々の仕事と同じだ」
「そうっす。準備もなしに近づいたら危ないっす』
探求者たちの活動は、頭脳戦でもある。目的のものを手に入れるため、生息する動植物の生態や環境の変化などを調べ上げる。それはどんな状況になっても対処するため。言い換えれば、自分たちの命を守るために必要なことである。
そのことは3人組のリーダーであるアディージェが一番よくわかっている。だが、アウストゥーツへの恨みが、憧れていた王への不信感が、彼の判断を迷わせている。逆に、数週間仲間の治癒を見守っていたヴァイリオは、本来の探求者としての冷静さを取り戻しつつあった。ラーゼアも眠っていたことが幸いしたのか、アディージェよりは落ち着いている。
何かせずにはいられない。そんな気持ちがアディージェの胸の中で燻っている。苛立ちからか、また怪我をした利き手に力が入る。それを察したのだろう。今度は腕を上げる間もなく、護の手がアディージェの手首を掴んだ。
『……アンタには勝てる気がしねぇや』
「アディージェさんは戦うのが仕事じゃないわけですし……」
肩を竦め、アディージェは再び腕の力を抜いていく。直接手合わせした本人が一番わかっているのだろう。自分と戦っていた時、護が手加減していたことを。アディージェは護から、自分の一番憎い相手とに近いものを感じている。例えるならばそれは、底の見えない谷底。落ちれば絶対に助からないという恐怖。もし殺意を向けられたのなら、逃げるしかない。最も、今の彼からはそんなもの微塵も出ていないので、こうして普通に話もできる。
『もし天然魔道具を集める勝負ならマモルが勝てる見込みは相当低いだろうな。畑仕事の手伝いで怒られているくらいだ』
「ジノリトさん、それは……」
頬に微かな笑みを浮かべたジノリトの言葉に、護は肌が熱くなるのを感じる。
「おい、ちょっと? おいおいおいおいおい、いてぇって!」
「ああ、もっ申し訳ない」
それは羞恥心からか、無意識に力が入ってしまった護の手は、アディージェの手首を握り潰さんばかりに締め上げていた。手首を押さえながらしゃがみ込むアディージェに、護は何度も頭を下げる。その光景にヴァイリオやラーゼアは笑いを堪えきれずにいる。
『クックックッ、全てにおいて勝る者は無し、だな』
『レオゥロイゼっすか? 確かに』
聞き覚えのある言葉に、護の耳が傾く。
「それって、英雄は何かを成し遂げた一人のことじゃなく、それを成すために動いた全ての人たちのことっていう……?」
『それだけじゃねぇ。何でも出来るやつなんていねぇから、命あるやつらが手を取り合えばもっとデケぇことが出来るって続きがあってな』
『それらを合わせたものがレオゥロイゼと呼ばれるもの。マモル殿の世界では違うのか?』
「そうですね……私が知る限り英雄とは何かという定義しか」
『変な話だな。俺がいった部分の方が大事なのによ』
『何言ってんすか、どっちも大事っすよ』
『どうするか、纏まったかえ?』
窓の外から覗く大きな目。それは小屋の外にいた森の主であった。窓を開けジノリトが顔を出すと、主は柔らかな芝の上に腰を下ろしノガルダと共に体を寄せ合っている。
『一度里に戻ろうと思います。わからないことも多い故、情報を集める必要があるかと』
『そうかえ。これは人(ナムゥ)の問題。この森に災いをもたらさぬ限り我が干渉することはないんね。だから、その3人のこともジノに任せるえ』
『承知しました』
『待ってくれ、俺たちぁ主様に……』
アディージェが慌てて窓から顔を出す。勢い余ってそのまま窓の外に落ちそうになりながら。しかし、主から怒りは感じず、その大きな瞳の奥はどこまでも穏やかであった。
『おんしらの謝意に偽りはなかったえ。それに、どんな罰を与えるかはこの森を守っているジノらが決めることなんね』
主の視線が向けられると、ジノリトは小さく頷いた。主の言葉や視線から感じ取れるのは圧ではなく信頼。護はこの1人と1匹の関係性を羨ましく感じる。
『では、3人には奪われたノガルダの角を取り返すために協力してもらう。それが私から君らに与える罰だ。主様、よろしいでしょうか?』
『ええと思うんね。ただ、ちゃんと治ってからがいいんね。ノダちゃんらがまだ心配しとるえ』
アディージェたちは目を合わせると、静かに首を縦に振る。再びジノリトらの方を向いた彼らの表情には決意の色が浮かんでいた。
『……わかったっす』
『絶対取り返してやらぁ!』
『寛大な措置、感謝する』
『くっ……くれぐれも、体が治ってからですよ!?』
「オルゼさんのいうとおりです。しばらくはひたすら情報集めですね」
『そうだな。ノガルダの角を取り返すまでは我々も協力しよう。マモルが追っているという男のことも、何かわかるかもしれん』
「ええ……」
護の頭の中に同じくこちらへ来たはずの島津の姿が浮かぶ。
(もし目的が少しでも同じ方向性なら……)
それが起きないことを願っていた護であったが、残念ながらその予感は的中することになる。
*******
『見ない顔だが……こりゃ随分と……』
椅子に腰掛け、テーブルに足を乗せてくつろいでいたアウストゥーツは突然現れた客人を見て、立てかけていた槍へと手を伸ばす。彼の目の前には2人の男。1人は警戒するアウストゥーツを見て、かけているメガネの位置を指で直しながら不気味な笑みを浮かべている。
「こちらの気配を察してくださるとは、楽しめそうな方だ」
「トモキさん、気持ちはわからなくはないですが、抑えてくださいよ」
『そんなに殺気ビンビンで、敵じゃありませんとか言われても信じられねぇぜ』
「あ~、申し訳ありません。こちらに来てからの彼の悪い癖でして」
『……オーツフの人間じゃねぇってか?』
「間違ってはいませんが、正確にはこの世界の人間ではありません。我々はロドを通ってこちらに来ました」
トモキと呼ばれた男から感じられた殺気は徐々に小さくなっている。逆に、もう1人の大きなリュックを背負った男からは親近感とでもいうべきか、微かにだがおそらくこの男は自分と同類であると、アウストゥーツはそう感じていた。
「肉体の治癒には相当気を使うと聞きますが、こんなに簡単に……」
『ずっと寝てるから体が痛いっす。けど、もう大丈夫っす』
魔法による治療はそれほど万能ではない。使い方を誤れば関係ない臓器を害したり、歪な形での治療になったり、傷口が再び開くこともある。時間をかけ、慎重に使わなければならない点は現代医学と差して変わらない。しかしながら、メヒー・クオルという女性はラーゼアやアディージェの傷を見て特に悩むこともなく、己の魔法で傷を塞いでみせた。彼女は「しばらく動かないでね」というだけ。彼女の相棒であるオルゼが、申し訳なさそうに彼女の補足をした。傷がちゃんと塞がるまで安静にしている必要があると。
『クオルだから、ですけどね。定着に時間はかかりますが、ボクも彼女以上の治療ができる人を知りません』
「定着……ですか?」
『詳しくはお話しできませんが、先日説明した通り、無理をするとまた傷が開いてしまうということです』
「なるほど……」
ヴィルデムでは、よほど信頼しあった仲でない限り力の全てを教えることはない。少し残念そうにしながらも、護は内心胸が躍っていた。
ジノリト曰く、メヒー以外にもこの世界には傷を癒す魔法を持ったものが多く存在して、魔道具として販売もされているという。それに対して地球では治療に使える魔道具が少ない。そういった魔法を覚えるものが少なかったわけではないが、魔道具として残っていないのだ。
(あっちの世界では種類が限られているから……もし持ち帰れたら……)
魔法による治療は、病気や怪我の種類によっては相性が悪く治療が難しくなることもある。もし魔道具という形で魔法を持ち帰ることができたなら、何かあった時に助けられる命が増えるということにつながる。
護の頭にこれまで犠牲にしてきた同胞たちの姿が浮かぶ。あの時は何も考えていなかった。そうするのが普通なんだと疑わなかった。しかし、茉陽と出会ってそれが間違いだったことに気付いた。もし生きていたら、自分のように変われたかもしれない。自分の手を血に染める以外の生き方を選べたかもしれない。
護の視線が彼自身の手に移る。赤黒いドロドロした液体が纏わりついており、何度拭っても取れることはない。
『マモル、どうかしたか?』
「いえ、何でも」
『そうか……あまり抱えすぎないことだ。人が持てる荷物には限りがある』
ジノリトはそういって、護の背中を軽く叩く。全て見透かしているのか、それともただの気遣いなのかわからないが、彼の言葉が護の中に響き続ける。
『ラーゼアが動けるようになったんなら、そろそろ』
『まだ早いですよ』
『ほんと、もう大丈夫っすよ?』
『起き上がれたとはいえ、まだ立ったり歩いたりするのは控えた方がいいです。アディージェさんの手だって』
『そう……だけどよぉ……』
オルゼに止められたが、アディージェの気が急くのも無理はない。怪我さえなければ、すぐにでもアウストゥーツを追いかけたいところなのだ。自分たちの町を壊滅させたあの男を。
しかし、アディージェの手も治療は済んだとはいえ未だ重たいものを持つことは禁止されている。そんな状態であの男を追ったところで、返り討ちに会うのは必至。自分自身への苛立ちにアディージェは思わず怪我をした手で壁を叩こうとするが、何者かに手首を掴まれ不発に終わった。止めたのは護だった。首を横に振る彼の憂いを帯びた表情は、アディージェの腕から力を奪っていく。
『しかし……どうしたものか……』
ジノリトが頭を抱えるのは、アディージェから聞かされた事の詳細のせいである。彼はジノリトたちに、この森に来るまでの経緯を包み隠さず話した。町を襲撃されたこと、アウストゥーツに誘われグランセイズにいる王へ抗議の準備をしていたこと、自分たちのように町を襲われた者たちが彼に賛同し協力していること。
「細かいことは抜きすると、私たちの選択肢としては3つでしょうか」
脱力したアディージェから手を離すと、護はそう口にする。その場にいた全員の視線が一斉に彼へと集まった。
「逃げていったあの男の後を追うか、この国の王様が町の襲撃を指示したという事実確認に向かうか、あとは」
『見て見ぬ振りをする……ってか?』
『フォウセやメヒー殿らはこの件に関して動く理由がない。その選択をするのもやむなしだろう』
ヴァイリオの言葉に、眉間にシワを寄せながらもアディージェは小さく頷く。フォウセの住むこの森は、【オーツフ】という国の領地内に存在するものの、森の主が住う土地として独立した状態にある。そこに住むフォウセも同じ。友好関係にはあるものの、国のことには干渉しないと決めている。口元を手で覆いながらジノリトはひとり思料していた。
『それは……そうなんですけど……』
メヒーとオルゼについてはオーツフの民ではなく、このセルキール大陸の外から来た旅行者である。国の問題に首を突っ込むわけにはいかない。しかし事情が事情だけに、このまま何もしないというのはオルゼとして心痛む選択であった。
『あの人が……国王があんな指示出すわけねぇんだ。あの人は』
「ですが、アディージェさんたちが見たという鎧をどう説明すれば」
護の調査員としての職業病がここにきて姿を現す。あらゆる可能性を考えなければと、勝手に頭が働いていた。それを聞いて、閉ざされていたジノリトの口が開く。
『オーツフの管理体制は四大国随一だ。もし軍の装備が流出などしたら、今頃国をあげて調査に乗り出しているはず。この森に調査の手が伸びていても不思議じゃない。しかし、そんな報告は私に届いてない……これはグルゥに会って直接聞いてみた方が早いかもしれないな』
「グルゥ?」
『この国の王様、グルゥ・セイズ・ハクナーディル陛下のことっす。マモルさんが違う世界から来たっていうのは本当なんすね』
「え?」
『セルキール大陸であの人のことを知らねぇなんて、ありえねぇからよ』
『マモル殿のことは後にして、今の状況で陛下にお会いすることなどできるんだろうか?』
『難しいだろうな。もし調査が始まっているなら、外部から人を入れたがらない。フォウセの長である私でも、そう簡単には会わせてもらえまい』
「ラーゼアさんが完治しないことには動きようがないわけですし、今は情報を集めてみては?」
『そんなことやってる暇は』
『落ち着けアディージェ。我々の仕事と同じだ」
「そうっす。準備もなしに近づいたら危ないっす』
探求者たちの活動は、頭脳戦でもある。目的のものを手に入れるため、生息する動植物の生態や環境の変化などを調べ上げる。それはどんな状況になっても対処するため。言い換えれば、自分たちの命を守るために必要なことである。
そのことは3人組のリーダーであるアディージェが一番よくわかっている。だが、アウストゥーツへの恨みが、憧れていた王への不信感が、彼の判断を迷わせている。逆に、数週間仲間の治癒を見守っていたヴァイリオは、本来の探求者としての冷静さを取り戻しつつあった。ラーゼアも眠っていたことが幸いしたのか、アディージェよりは落ち着いている。
何かせずにはいられない。そんな気持ちがアディージェの胸の中で燻っている。苛立ちからか、また怪我をした利き手に力が入る。それを察したのだろう。今度は腕を上げる間もなく、護の手がアディージェの手首を掴んだ。
『……アンタには勝てる気がしねぇや』
「アディージェさんは戦うのが仕事じゃないわけですし……」
肩を竦め、アディージェは再び腕の力を抜いていく。直接手合わせした本人が一番わかっているのだろう。自分と戦っていた時、護が手加減していたことを。アディージェは護から、自分の一番憎い相手とに近いものを感じている。例えるならばそれは、底の見えない谷底。落ちれば絶対に助からないという恐怖。もし殺意を向けられたのなら、逃げるしかない。最も、今の彼からはそんなもの微塵も出ていないので、こうして普通に話もできる。
『もし天然魔道具を集める勝負ならマモルが勝てる見込みは相当低いだろうな。畑仕事の手伝いで怒られているくらいだ』
「ジノリトさん、それは……」
頬に微かな笑みを浮かべたジノリトの言葉に、護は肌が熱くなるのを感じる。
「おい、ちょっと? おいおいおいおいおい、いてぇって!」
「ああ、もっ申し訳ない」
それは羞恥心からか、無意識に力が入ってしまった護の手は、アディージェの手首を握り潰さんばかりに締め上げていた。手首を押さえながらしゃがみ込むアディージェに、護は何度も頭を下げる。その光景にヴァイリオやラーゼアは笑いを堪えきれずにいる。
『クックックッ、全てにおいて勝る者は無し、だな』
『レオゥロイゼっすか? 確かに』
聞き覚えのある言葉に、護の耳が傾く。
「それって、英雄は何かを成し遂げた一人のことじゃなく、それを成すために動いた全ての人たちのことっていう……?」
『それだけじゃねぇ。何でも出来るやつなんていねぇから、命あるやつらが手を取り合えばもっとデケぇことが出来るって続きがあってな』
『それらを合わせたものがレオゥロイゼと呼ばれるもの。マモル殿の世界では違うのか?』
「そうですね……私が知る限り英雄とは何かという定義しか」
『変な話だな。俺がいった部分の方が大事なのによ』
『何言ってんすか、どっちも大事っすよ』
『どうするか、纏まったかえ?』
窓の外から覗く大きな目。それは小屋の外にいた森の主であった。窓を開けジノリトが顔を出すと、主は柔らかな芝の上に腰を下ろしノガルダと共に体を寄せ合っている。
『一度里に戻ろうと思います。わからないことも多い故、情報を集める必要があるかと』
『そうかえ。これは人(ナムゥ)の問題。この森に災いをもたらさぬ限り我が干渉することはないんね。だから、その3人のこともジノに任せるえ』
『承知しました』
『待ってくれ、俺たちぁ主様に……』
アディージェが慌てて窓から顔を出す。勢い余ってそのまま窓の外に落ちそうになりながら。しかし、主から怒りは感じず、その大きな瞳の奥はどこまでも穏やかであった。
『おんしらの謝意に偽りはなかったえ。それに、どんな罰を与えるかはこの森を守っているジノらが決めることなんね』
主の視線が向けられると、ジノリトは小さく頷いた。主の言葉や視線から感じ取れるのは圧ではなく信頼。護はこの1人と1匹の関係性を羨ましく感じる。
『では、3人には奪われたノガルダの角を取り返すために協力してもらう。それが私から君らに与える罰だ。主様、よろしいでしょうか?』
『ええと思うんね。ただ、ちゃんと治ってからがいいんね。ノダちゃんらがまだ心配しとるえ』
アディージェたちは目を合わせると、静かに首を縦に振る。再びジノリトらの方を向いた彼らの表情には決意の色が浮かんでいた。
『……わかったっす』
『絶対取り返してやらぁ!』
『寛大な措置、感謝する』
『くっ……くれぐれも、体が治ってからですよ!?』
「オルゼさんのいうとおりです。しばらくはひたすら情報集めですね」
『そうだな。ノガルダの角を取り返すまでは我々も協力しよう。マモルが追っているという男のことも、何かわかるかもしれん』
「ええ……」
護の頭の中に同じくこちらへ来たはずの島津の姿が浮かぶ。
(もし目的が少しでも同じ方向性なら……)
それが起きないことを願っていた護であったが、残念ながらその予感は的中することになる。
*******
『見ない顔だが……こりゃ随分と……』
椅子に腰掛け、テーブルに足を乗せてくつろいでいたアウストゥーツは突然現れた客人を見て、立てかけていた槍へと手を伸ばす。彼の目の前には2人の男。1人は警戒するアウストゥーツを見て、かけているメガネの位置を指で直しながら不気味な笑みを浮かべている。
「こちらの気配を察してくださるとは、楽しめそうな方だ」
「トモキさん、気持ちはわからなくはないですが、抑えてくださいよ」
『そんなに殺気ビンビンで、敵じゃありませんとか言われても信じられねぇぜ』
「あ~、申し訳ありません。こちらに来てからの彼の悪い癖でして」
『……オーツフの人間じゃねぇってか?』
「間違ってはいませんが、正確にはこの世界の人間ではありません。我々はロドを通ってこちらに来ました」
トモキと呼ばれた男から感じられた殺気は徐々に小さくなっている。逆に、もう1人の大きなリュックを背負った男からは親近感とでもいうべきか、微かにだがおそらくこの男は自分と同類であると、アウストゥーツはそう感じていた。
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