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第3章 帰らぬ善者が残したものは
26話 統べるもの グルゥ・セイズ・ハクナーディル
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『兵が失礼な対応をしたようで、済まなかった』
案内状が本物だと認められ、護たちはグランセイズの中央に立つ城の中へと案内された。待っていたのは、彼らをこの地に呼び寄せた本人、このグランセイズを首都とする 【オーツフ】 の国王、グルゥ・セイズ・ハクナーディル陛下であった。
『兵士たちの様子を見れば、状況はそれとなくわかりますよ』
(一族の長と、この国の王……立場的に交流も多かったんだろうか……)
謝る王と、それに答えるジノリト。二人の反応に護の目には深い信頼が映る。
(だけど彼は……)
彼の目は、王の隣にいる男の、王とは全く違う空気もしっかりと読み取っていた。
『さすが、警戒心だけはセルキール大陸一といわれるフォウセの長』
『オーチェ、客人に対して失礼だぞ!』
グルゥの叱責を受けたのは、隣にいた宰相のオーチェ・エイヴォルフォ。しかし彼は、悪びれる様子もなく王に軽く一礼するのみ。アディージェが彼を睨みつけながら前に出ようとするが、護に服を掴まれた。
『どうして止めるんすか!?』
「これは彼らとフォウセの間の話だから、私たちが口を出すべきじゃないよ」
護が視線を動かすと、その先にいたアーネスにアディージェの意識が向く。平静を装ってはいるが、アディージェ以上の怒りを抑えていることに、彼女の纏う空気で理解させられる。それには、グルゥやオーチェも気付いている様子だ。
『我々は、この警戒心を武器にこれまで生き延びてきたのですよ、宰相殿』
アーネスと違い、ジノリトは冷静だった。笑みを見せる事はないが、非常に静かだ。しかし、護とグルゥだけはその様子を見て背筋に悪寒が走った。彼らだけは、それに気付くことが出来た。
『翼の守護者の威厳に助けられているだけでしょうに』
『オーチェ、それ以上口を開くでない。これは、国王としての命令だ』
『何をおっしゃるかと思えば、私は何も間違ったことは——』
オーチェが言いかけたところで、彼の周囲は一瞬にして白銀の世界へと変貌した。カーテンや絨毯、服や靴が凍りつき全く身動きが取れない。アディージェもアーネスも、吐く息は白くなり、唇はガタガタと震え出す。皮膚はピリピリと痛み、悴んだ指は思うように動かせない。無事だったのは、ジノリトの様子に気付き、障壁を展開したグルゥと護、そして護のそばにいた灯真だけだ。周囲の変化に怯えているのか、灯真の手は護の服をギュッと掴んでいる。
『すまない、ジノリト殿! この馬鹿者には私からよく言い聞かせて——』
『私自身を愚弄するのは構わない。だが、国を動かす者が未だ我らをそのようにおっしゃるとは、オーツフではそのような教育を行なっているのか、グルゥ殿』
『それは違う! 先ほどのは』
『ななな何がちちち違うと言うのですが、陛下。おおおオーツフをせせ制したのは我々で、ふふふフォウセは、ししし守護者の森へと逃げなければ、とととうの昔にほほ滅びていた種族。それがししし真実ではありませんか』
唇の震えを抑えながら発したオーチェの言葉で、ジノリトの気配が一段と強くなる。先ほどまで気が付かなかったアディージェもアーネスも、灯真でさえも、彼が発する異様なそれに怯え始める。恐ろしい獣を前にしたときのような圧力。今にも首を噛みちぎられてしまうのではという錯覚。殺意とも呼ぶそれを感じながらも、オーチェに臆する様子はない。
彼は戦士ではない。肉体の強さよりも頭の良さ、知識の多さこそ今後の世界で必要となるという信念から、身体的な鍛錬よりも勉学に勤しんできた。その努力が実り、宰相という地位を手に入れ、国の発展に大きく貢献してきた。それは誰もが認める彼の実力である。
しかし、彼が戦うのはいつも目に見えない相手、データだった。目に見える敵と対峙する経験の無さは、物理的な情報でしか判断しないという思い込みを生み出してしまった。
そんなオーチェにとって、ジノリトはこの国で蔑まれてきたフォウセという弱小種族でしかない。どんな魔法を使われようと、どれほどの殺意を向けられようと、大した事はないという誤った自信が彼を支配していた。
『なるほど、オーツフとはそのような国でしたか……』
声は護たちのいる部屋の右奥、客用のソファーからであった。声の主が座るソファーの周囲は凍り付いておらず、ジノリトが意図的に魔法の範囲を限定していたことがわかる。
『ハクナディール陛下が自らの足で国中を回り、苦しむ民に手を差し伸べる素晴らしい国だと思っていましたが、まさかその裏で弱者を虐げるような思想が根付いているとは……』
ソファーを立ち上がって現れたのは、護たちよりも握り拳二つ分ほど長い腕を持つ銀髪の男性だった。ヒールの高いブーツは歩くたびに鈍い音を鳴らし、切れ長の三白眼はじっとオーチェのことを見つめている。
『ちょっと、ヒュート……あんまり口を挟むのはよくないよ……』
ソファーの影に隠れている女性が男を止めようとするが、彼の歩みは止まらない。
『ヘイオル殿、誤解だ。これは——」
『しかも、相手の力量を理解できない者が国を動かす立場にいらっしゃる……』
『じじじ事情も知らぬ他国の者が、くくく口を挟まないでいただこう!』
『関係ないとは……この国の宰相は随分と、知識に偏りがあるようだ』
彼、ヘイオル・ヒュートの足は、オーチェの3歩手前で止まる。そこが、ジノリトの使った魔法の境目であった。
『ヒュート、落ち着いて、ね?』
『いいんじゃない? ヒュートがやんないなら、アタシがやる』
『ネーシャまで!』
一触即発の状態をどうにかせんと慌てている女性、イエリリーア・モーテのかき上げられた金色の髪が、隠れているソファーの背もたれからはみ出て激しく動き回る。対して、彼女の隣に座るもう一人の女性、キャヒボア・ネーシャは編み上げた茶褐色の前髪を指でいじりながら、用意された高い茶菓子を摘みオーチェの方を見ようとはしない。
『客人といえど、聞き捨てな——』
『やめんか、馬鹿者が!』
グルゥの拳は、彼の叫びよりも前にオーチェの体に触れていた。凍り付いていたオーチェの服や靴は砕け散り、生まれた時の姿のまま、オーチェの体は入り口の扉を壊し廊下の先へと飛んでいく。
誰もがその様子に目を丸くする。いくら王といえど、国の宰相を殴り飛ばすとは誰も思っていない。グルゥの着ていた服も粉々に砕け散り、鍛え抜かれた筋肉が顕になっている。アーネスは思わず目を閉じたが、離れた位置にいたモーテとネーシャはソファーの影に身を隠しながら、彼のたくましい体をじっと眺めている。
『ジノリト殿、ヒュート殿。オーチェの口から出た暴言、誠に申し訳なかった。あの者にはきつく言いつけておく故、どうか今はこれで勘弁していただきたい』
深々と頭を下げる王を前に、目を合わせるジノリトとヒュート。彼らは何も言葉を交わすことなく肯き合い、再び王の方に視線を移す。凍りついていた部屋の一部は次第に元の暖かさとなり、白く凍りついていた絨毯は元の色を取り戻していく。
『今ので私の気持ちも晴れました。どうぞ顔を上げてください、陛下』
『私も、フォウセの長が納得されたのであれば』
『寛大な配慮、感謝する』
城内に響いた異音に、使用人や兵士たちが駆けつける。彼らが見たのは、破壊された扉と、廊下の突き当たりで壁にめり込んでいるオーチェの裸体。死んではいないが、意識を失い白目を向いている。
『陛下、一体何が?』
『すまないが、私とこの者たちに代わりの服を頼む。それと、オーチェを部屋に閉じ込めておけ』
『しょっ、承知いたしました』
丸裸の王に驚きながらも使用人たちは慌ただしく服の用意を始め、兵士たちは壁からオーチェを引きずり出すと、そのまま彼を担ぎ宰相の部屋へと運んでいった。国王の鉄拳制裁が珍しくないのか、それとも普段から口煩い宰相が意識を失っていることを喜んでいるのか、どことなく兵士たちの顔は晴れやかだ。
『ところで陛下、そちらは? 体つきからするに、【セヴァ】……いや、【リウクオウ】の方々とお見受けしますが』
(私たちの世界にはない言葉か……固有の種族の名前か何か……かな?)
護はジノリトの持つ魔道具によって、王の言葉も全て日本語として理解できている。しかし、ジノリトの口から出た二つの言葉はそのまま。護の知識の中に、それに該当する言葉がないことを意味していた。
『最後にお会いしたのは10年以上前でしたから、ジノリト様がお忘れになっていても無理はありません。俺も大きくなりましたし』
ジノリトを見るヒュートの三白眼は、オーチェを睨んでいたときからは想像でいないほど優しい。
『10年前から大きく……という事は謁見隊に同行していたヘイオル殿の』
思い出してもらえたことに気付いたヒュートは姿勢を正し、その長い両手を胸で交差させる。
『北オスゲア平和維持特務部隊、虹槍騎士団所属、ヘイオル・ヒュートです。思い出していただけましたか』
『まさか、虹槍騎士団に入られたとは……お父上も喜んでいるだろう』
『ええ……』
『お父上に何か?』
『ゆっくりお話したいところですが、その前に……』
ヒュートが案じていたのは、濡れた衣服の冷たさで未だ震えが収まらないアディージェとアーネス、そして見えない何かに囲まれ床に足がついていない灯真だった。
『なんらかの魔法ですか?』
灯真の様子を見て、ヒュートは興味深そうに観察している。バランスを保てているとは思えない姿勢は、道化師の演目でも見ているかのようだった。
「ジノリトさんの殺気に当てられたんですね。灯真くん、なんとかなりそうかい?」
「……頑張ってみます」
『焦っちゃダメよ。時間かけて良いからゆっくりね』
「……うん」
護とアーネスに見守られながら、灯真は目を閉じて呼吸を整える。少しずつ、彼を取り囲んでいる壁は風船の空気が抜けるかのように縮んでいく。
『あんなに世話焼く感じだったんすね、娘さん』
アディージェはフォウセの集落に滞在してからというもの、アーネスの変化をずっと見てきた。
灯真の事情を聞けば、何かしてやりたいと思う気持ちはわからなくない。実際、アディージェも灯真に自分を重ね、独りにしないよう気にかけてきた。アーネスも同じだったが、どうにも彼女の反応が他と違うように思えてならなかった。
『ふっ、母親によく似ているよ』
『ラスカさんもあんな感じなんすか?』
『ああ。そっくりだ』
目を閉じれば、ジノリトの瞼の裏には若き日の妻の姿が浮かぶ。厳しくも優しかったあの時の彼女の真意を知っているジノリトにとって、アーネスの行動は嬉しく感じるも素直に喜ぶことはできなかった。
案内状が本物だと認められ、護たちはグランセイズの中央に立つ城の中へと案内された。待っていたのは、彼らをこの地に呼び寄せた本人、このグランセイズを首都とする 【オーツフ】 の国王、グルゥ・セイズ・ハクナーディル陛下であった。
『兵士たちの様子を見れば、状況はそれとなくわかりますよ』
(一族の長と、この国の王……立場的に交流も多かったんだろうか……)
謝る王と、それに答えるジノリト。二人の反応に護の目には深い信頼が映る。
(だけど彼は……)
彼の目は、王の隣にいる男の、王とは全く違う空気もしっかりと読み取っていた。
『さすが、警戒心だけはセルキール大陸一といわれるフォウセの長』
『オーチェ、客人に対して失礼だぞ!』
グルゥの叱責を受けたのは、隣にいた宰相のオーチェ・エイヴォルフォ。しかし彼は、悪びれる様子もなく王に軽く一礼するのみ。アディージェが彼を睨みつけながら前に出ようとするが、護に服を掴まれた。
『どうして止めるんすか!?』
「これは彼らとフォウセの間の話だから、私たちが口を出すべきじゃないよ」
護が視線を動かすと、その先にいたアーネスにアディージェの意識が向く。平静を装ってはいるが、アディージェ以上の怒りを抑えていることに、彼女の纏う空気で理解させられる。それには、グルゥやオーチェも気付いている様子だ。
『我々は、この警戒心を武器にこれまで生き延びてきたのですよ、宰相殿』
アーネスと違い、ジノリトは冷静だった。笑みを見せる事はないが、非常に静かだ。しかし、護とグルゥだけはその様子を見て背筋に悪寒が走った。彼らだけは、それに気付くことが出来た。
『翼の守護者の威厳に助けられているだけでしょうに』
『オーチェ、それ以上口を開くでない。これは、国王としての命令だ』
『何をおっしゃるかと思えば、私は何も間違ったことは——』
オーチェが言いかけたところで、彼の周囲は一瞬にして白銀の世界へと変貌した。カーテンや絨毯、服や靴が凍りつき全く身動きが取れない。アディージェもアーネスも、吐く息は白くなり、唇はガタガタと震え出す。皮膚はピリピリと痛み、悴んだ指は思うように動かせない。無事だったのは、ジノリトの様子に気付き、障壁を展開したグルゥと護、そして護のそばにいた灯真だけだ。周囲の変化に怯えているのか、灯真の手は護の服をギュッと掴んでいる。
『すまない、ジノリト殿! この馬鹿者には私からよく言い聞かせて——』
『私自身を愚弄するのは構わない。だが、国を動かす者が未だ我らをそのようにおっしゃるとは、オーツフではそのような教育を行なっているのか、グルゥ殿』
『それは違う! 先ほどのは』
『ななな何がちちち違うと言うのですが、陛下。おおおオーツフをせせ制したのは我々で、ふふふフォウセは、ししし守護者の森へと逃げなければ、とととうの昔にほほ滅びていた種族。それがししし真実ではありませんか』
唇の震えを抑えながら発したオーチェの言葉で、ジノリトの気配が一段と強くなる。先ほどまで気が付かなかったアディージェもアーネスも、灯真でさえも、彼が発する異様なそれに怯え始める。恐ろしい獣を前にしたときのような圧力。今にも首を噛みちぎられてしまうのではという錯覚。殺意とも呼ぶそれを感じながらも、オーチェに臆する様子はない。
彼は戦士ではない。肉体の強さよりも頭の良さ、知識の多さこそ今後の世界で必要となるという信念から、身体的な鍛錬よりも勉学に勤しんできた。その努力が実り、宰相という地位を手に入れ、国の発展に大きく貢献してきた。それは誰もが認める彼の実力である。
しかし、彼が戦うのはいつも目に見えない相手、データだった。目に見える敵と対峙する経験の無さは、物理的な情報でしか判断しないという思い込みを生み出してしまった。
そんなオーチェにとって、ジノリトはこの国で蔑まれてきたフォウセという弱小種族でしかない。どんな魔法を使われようと、どれほどの殺意を向けられようと、大した事はないという誤った自信が彼を支配していた。
『なるほど、オーツフとはそのような国でしたか……』
声は護たちのいる部屋の右奥、客用のソファーからであった。声の主が座るソファーの周囲は凍り付いておらず、ジノリトが意図的に魔法の範囲を限定していたことがわかる。
『ハクナディール陛下が自らの足で国中を回り、苦しむ民に手を差し伸べる素晴らしい国だと思っていましたが、まさかその裏で弱者を虐げるような思想が根付いているとは……』
ソファーを立ち上がって現れたのは、護たちよりも握り拳二つ分ほど長い腕を持つ銀髪の男性だった。ヒールの高いブーツは歩くたびに鈍い音を鳴らし、切れ長の三白眼はじっとオーチェのことを見つめている。
『ちょっと、ヒュート……あんまり口を挟むのはよくないよ……』
ソファーの影に隠れている女性が男を止めようとするが、彼の歩みは止まらない。
『ヘイオル殿、誤解だ。これは——」
『しかも、相手の力量を理解できない者が国を動かす立場にいらっしゃる……』
『じじじ事情も知らぬ他国の者が、くくく口を挟まないでいただこう!』
『関係ないとは……この国の宰相は随分と、知識に偏りがあるようだ』
彼、ヘイオル・ヒュートの足は、オーチェの3歩手前で止まる。そこが、ジノリトの使った魔法の境目であった。
『ヒュート、落ち着いて、ね?』
『いいんじゃない? ヒュートがやんないなら、アタシがやる』
『ネーシャまで!』
一触即発の状態をどうにかせんと慌てている女性、イエリリーア・モーテのかき上げられた金色の髪が、隠れているソファーの背もたれからはみ出て激しく動き回る。対して、彼女の隣に座るもう一人の女性、キャヒボア・ネーシャは編み上げた茶褐色の前髪を指でいじりながら、用意された高い茶菓子を摘みオーチェの方を見ようとはしない。
『客人といえど、聞き捨てな——』
『やめんか、馬鹿者が!』
グルゥの拳は、彼の叫びよりも前にオーチェの体に触れていた。凍り付いていたオーチェの服や靴は砕け散り、生まれた時の姿のまま、オーチェの体は入り口の扉を壊し廊下の先へと飛んでいく。
誰もがその様子に目を丸くする。いくら王といえど、国の宰相を殴り飛ばすとは誰も思っていない。グルゥの着ていた服も粉々に砕け散り、鍛え抜かれた筋肉が顕になっている。アーネスは思わず目を閉じたが、離れた位置にいたモーテとネーシャはソファーの影に身を隠しながら、彼のたくましい体をじっと眺めている。
『ジノリト殿、ヒュート殿。オーチェの口から出た暴言、誠に申し訳なかった。あの者にはきつく言いつけておく故、どうか今はこれで勘弁していただきたい』
深々と頭を下げる王を前に、目を合わせるジノリトとヒュート。彼らは何も言葉を交わすことなく肯き合い、再び王の方に視線を移す。凍りついていた部屋の一部は次第に元の暖かさとなり、白く凍りついていた絨毯は元の色を取り戻していく。
『今ので私の気持ちも晴れました。どうぞ顔を上げてください、陛下』
『私も、フォウセの長が納得されたのであれば』
『寛大な配慮、感謝する』
城内に響いた異音に、使用人や兵士たちが駆けつける。彼らが見たのは、破壊された扉と、廊下の突き当たりで壁にめり込んでいるオーチェの裸体。死んではいないが、意識を失い白目を向いている。
『陛下、一体何が?』
『すまないが、私とこの者たちに代わりの服を頼む。それと、オーチェを部屋に閉じ込めておけ』
『しょっ、承知いたしました』
丸裸の王に驚きながらも使用人たちは慌ただしく服の用意を始め、兵士たちは壁からオーチェを引きずり出すと、そのまま彼を担ぎ宰相の部屋へと運んでいった。国王の鉄拳制裁が珍しくないのか、それとも普段から口煩い宰相が意識を失っていることを喜んでいるのか、どことなく兵士たちの顔は晴れやかだ。
『ところで陛下、そちらは? 体つきからするに、【セヴァ】……いや、【リウクオウ】の方々とお見受けしますが』
(私たちの世界にはない言葉か……固有の種族の名前か何か……かな?)
護はジノリトの持つ魔道具によって、王の言葉も全て日本語として理解できている。しかし、ジノリトの口から出た二つの言葉はそのまま。護の知識の中に、それに該当する言葉がないことを意味していた。
『最後にお会いしたのは10年以上前でしたから、ジノリト様がお忘れになっていても無理はありません。俺も大きくなりましたし』
ジノリトを見るヒュートの三白眼は、オーチェを睨んでいたときからは想像でいないほど優しい。
『10年前から大きく……という事は謁見隊に同行していたヘイオル殿の』
思い出してもらえたことに気付いたヒュートは姿勢を正し、その長い両手を胸で交差させる。
『北オスゲア平和維持特務部隊、虹槍騎士団所属、ヘイオル・ヒュートです。思い出していただけましたか』
『まさか、虹槍騎士団に入られたとは……お父上も喜んでいるだろう』
『ええ……』
『お父上に何か?』
『ゆっくりお話したいところですが、その前に……』
ヒュートが案じていたのは、濡れた衣服の冷たさで未だ震えが収まらないアディージェとアーネス、そして見えない何かに囲まれ床に足がついていない灯真だった。
『なんらかの魔法ですか?』
灯真の様子を見て、ヒュートは興味深そうに観察している。バランスを保てているとは思えない姿勢は、道化師の演目でも見ているかのようだった。
「ジノリトさんの殺気に当てられたんですね。灯真くん、なんとかなりそうかい?」
「……頑張ってみます」
『焦っちゃダメよ。時間かけて良いからゆっくりね』
「……うん」
護とアーネスに見守られながら、灯真は目を閉じて呼吸を整える。少しずつ、彼を取り囲んでいる壁は風船の空気が抜けるかのように縮んでいく。
『あんなに世話焼く感じだったんすね、娘さん』
アディージェはフォウセの集落に滞在してからというもの、アーネスの変化をずっと見てきた。
灯真の事情を聞けば、何かしてやりたいと思う気持ちはわからなくない。実際、アディージェも灯真に自分を重ね、独りにしないよう気にかけてきた。アーネスも同じだったが、どうにも彼女の反応が他と違うように思えてならなかった。
『ふっ、母親によく似ているよ』
『ラスカさんもあんな感じなんすか?』
『ああ。そっくりだ』
目を閉じれば、ジノリトの瞼の裏には若き日の妻の姿が浮かぶ。厳しくも優しかったあの時の彼女の真意を知っているジノリトにとって、アーネスの行動は嬉しく感じるも素直に喜ぶことはできなかった。
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