魔法使いと戦士

星野ねむ

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気になる言葉 ⑤

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違和感が現れたその場所は、屋敷のとある一室。
音を立てながら扉を開き、室内に入る。暗い室内には窓から月明かりが入り込み淡く照らし出していた。

そして、その窓枠には月を見上げている一人の男がいる。そう、ロークの偽物だ。
冷たい光に照らされるあいつの姿は、いつもとは違い冷徹に見えて、この世ならざる雰囲気がある。
外見が整っていることもあるのだろう。そんなことは、今はどうでもよかった。

扉の音で気づいたのか、偽物は俺の方を見るとあいつがしないような笑い方でこちらを見る。口の端だけを吊り上げ、目は一切笑っていない。あいつが見せてくれる、満面の笑みには程遠い。

動いたことによりちりん、と片耳で揺れるピアスの石はどす黒く澱んだ血のような紅に変化していた。








「ちゃぁんと一人できたんだ。嬉しいよ?」
「さっさとそいつを返せ」
「わかってるよ♪じゃあ、こっちのしたいこと、していいんでしょ?」
「…そいつを返してもらえるなら。だが理不尽なやつなら俺は抵抗する。残念ながら、こちらもそれなりに場数を踏んでいるから対処の方法ぐらい知っているぞ?舐めてもらっては困る」
「そっかァ…。なら、うん。やっぱり血をもらおうかな。上着脱いで、ワイシャツの一番上のボタンも外して?」

首を傾げながら強請るように上擦った声を出す偽物。気持ち悪い、と内心で思いながら言われた通りに上着を脱ぎ投げ捨ててワイシャツのボタンを一つ開けて首元が見えるようにする。
それを満足そうに見たそいつは、窓枠から降りかつかつとこちらに歩み寄ってきた。
俺の肩に手を添えると「それじゃァ、頂きます♪」と言って、ずぶりと首筋に噛み付く。

ぶつりと皮膚が引き裂かれる痛みで頭が痺れ、じゅるじゅると血が抜かれる音が静かな室内に響いた。
貧血のせいか正常な思考回路ができず、ただ、もっと吸ってほしいと。最後までやってほしいと無意識に思うようになり、そいつのなすがままに俺は血を吸われ続けた。

そいつが満足した頃には自分では立つことすらできず、手を離された瞬間床に崩れ落ちる。
狭くなっていく視界の中、口元を血で赤く染め、舌なめずりをしている彼の姿を妖艶だと思いながら俺は、意識を失った。


『ごちそうさまでした♪美味しかったァ』








「…俺、やばいことしたかも」

あちゃー、と自室のベッドで頭を抱えている銀髪の男、ローク。その枕元にはチェーニイがちょこんと座っており、布団の上にグラがぼすんと乗っかっていた。
ロークの耳元でかすかに揺れるピアスの石は、いつも通り澄んだ紅の色をしている。

「記憶があるなら謝ってくればいいじゃないの」
「いや、あるっていうかなんていうか。操られてる間も朧げながら意識はあったんだ。それが、言葉にするなら水面をたゆたってる感じで自分をしっかりと保てなかった」
「なら、私たちがあなたを助けるために奮闘してたのも見ていたわけよね?」
「おう。後でお礼になにか作るよ」
「それならいいわ。ほら、早く行ってらっしゃい」

昨日の朝からのロークの記憶は曖昧だ。朝起きたら目の前にモヤに見える変なのがいて、そいつから手が生えてきたと思ったら胸を触られ、そこからずぶずぶと入り込んできて、そこからは朧げながらにしか覚えていない。

グラとチェーニイがロークを追いかけていて、それで夜にはリェットの血を吸った。
その後、満足したのかそいつはロークから抜け出しどこかへと消えており、ローク自身もそこで意識を失っている。
なのでなんで今ちゃんとベッドに寝ていたのかさえわからない(あとで聞いたところ、部屋に倒れていた二人を部屋に運び寝かせたのはコウだということが判明した)。
うじうじしていても仕方がない、と腹を括ったロークはリェットの部屋へと向かった。


コン、コンとノックの音が聞こえる。
その音を僅かながら捉えたリェットの意識は瞬時に浮上した。
きちんと巻かれている包帯の上から痛む首筋の噛み跡をを押さえ、くらくらする頭をスッキリさせるために顔を洗う。
準備が出来たところで律儀に扉の前で待っているであろうロークを部屋に招き入れた。
昨日の記憶があるのか、ロークはリェットの首元に巻かれた包帯を見て悲しそうな顔をする。
別に、ロークのせいではないのにとリェットは思っていた。

「…体は大丈夫か?」
「あぁ。心配ない。少々血は足りないが、食事で補える」
「首、噛んじまってごめんな?」
「覚えているのか…。気にするな、お前を助けるためだし、俺の不注意であいつを本から出してしまったんだ。自業自得だ」
「…情けねぇな、俺。お前を守るって言ったのに」
「守る、というよりは俺はお前に傍にいてほしい。それが、願いだ」
「そうか。でも、ちゃんと償いはさせてくれよ?」
「お前の気が済むならそうしよう。まずは飯だ」
「おう!」

いつものように心の底から嬉しそうに笑うロークの笑顔は、輝いて見えた。
腹が減っていたのか先に大広間に行ってしまったロークの姿にリェットは苦笑し、昨日のワイシャツから新しいワイシャツへと着替える。
襟元に少し血がついたそのシャツは昨日の夜のことを鮮明に思い出させることになるが、あの、身も心も捧げたくなってしまう欲求はなんなのだろうと首を傾げた。

それは、吸血鬼の特徴であると思い出すのはその吸血鬼が俺たちの前に再び現れた数日後だった。もちろん二人にボコられた上に契約まで交わすことになる。

簡素に衣服を整え、部屋を出ようとすると目に入ったのは机の上に置きっぱなしになっていた単語辞典。
開いた記憶がないのに、開いた状態で放置してあることに疑問を持ったが、ロークたちを待たせるのも悪いので閉じようと本の表紙に手をかけた。
ページの内容だけ覚えてしまおうとそこの内容を斜め読みしていると、一つの単語が目に付く。


___『отец』。『アチェーツ』と発音できるその意味は……。


「…父親、か」
つまり、ロークは___。

いや、そんなことを考えている場合じゃない。
そう思考の海に沈みかけていた自分の意識を戻し、辞典を閉じて今度こそ大広間へと向かうリェット。
その後ろ姿をどこかでそれは見つめていた。






『迷惑かけちゃったお詫びだよ♪次は彼の方も試食しようかなァ』
くすくすと楽しむように弾んだ声は今は誰の耳にも届かなかった。
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