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新生活6

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「水の糸?」

「そうだ。子供の身体は75%が水分で出来ているからな。じゃが只の水では無いぞ。体液の成分と傷の炎症や化膿を抑える薬を混ぜ合わせた特製の糸じゃ。しかも縫合後皮膚の結合が済めば、溶け込むから抜糸をしなくて済む優れものじゃよ」

「それは凄いな」

「まあ、熱を出さなければ全身麻酔にする必要も無かったしここまで金の掛かってしまう治療にする事も無かったんじゃがなぁ…」

「あぁ、支払いなら心配するな。全額加害者に請求する」

「ほう。では、もう捕まえたんか」

「あぁ。まあな」

枕元で声がする…。
一人は聞いた事がある声。言葉も態度も偉そうなのに、真っ直ぐ僕を見て遠慮無く心に入ってきて開いてくれた少年。
もう一人は初老の男性の声だけど、…じいちゃんじゃないだろうなぁ。

「……」

「お!目が覚めたか♪」

目を開けると、そこにはヤフク、ヤームさん、そして白衣を着た老人が側に居た。

「無事、縫合は済んだぞ。具合はどうだ?」

ヤフクは僕の顔を覗き込む様に枕元に膝を付く。
背中の感覚が弱く、今横になっているはずなのに敷き布団に触れている気がしなかった。

「うん。たぶん、大丈夫」

「まだ、麻酔が抜け切っておらんのじゃろう。…初めまして、グヴァイ君。わしはナジューウ・ハルブ・マグゾナグヤじゃ。見ての通りノーム族のじい様で一応全寮生の主治医を勤めとるよ」

一応、と言うのもソイルヴェイユに通う生徒の殆んどがイルツヴェーグに実家があり、それぞれに家の主治医が既にいるので寮の主治医はあまり必要とされないのだ。
背は立ったヤフクより頭一つ分大きくて、深い茶色の瞳に白に近いクリーム色の髪。長く尖った耳を持ち長く真っ白な髭を蓄えた老人は、にこにこと優しい笑顔を浮かべて僕を見ていた。
ノーム族は叡智の種族と呼ばれ、その多くが気さくで面倒見が良く気性の優しさから医者や学者としてファルリーアパファル中で活躍している。その知識も決して独占するのでは無く、他の種族達が同じ様に医者や学者を目指せる様手を差し伸べ、次世代の後継者を育ててもいるのだった。

「初めまして、マグゾナグヤ先生。あの、ありがとうございました」

「ホッホッホッ♪ナジューウ、と呼んでおくれ。名字は呼ばれ慣れておらんでな」

「はい。ナジューウ先生」

「さて、では背中の麻酔が切れてしまう前に痛み止めと解熱剤を飲んでおこうかの」

先生は僕の額や首を触って熱を測り、うんうんと頷いた。どうやら少しは下がっている様子。そして僕の両わきに手を差し入れると、小柄な体格とは思えない力強さで僕を抱き起こす。
後ろに控えていたヤームさんが、すかさず僕の背中にクッションを敷き詰めて寄り掛かれる様に整える。
僕は縫合前まで感じていた背中の激痛を恐れてそっとクッションに寄り掛かったけど、痛みを全く感じずホッと息を吐く。

「麻酔が切れても、もう背中は痛まんから安心おし♪」

化膿していた部分も綺麗に治療したし、傷痕が残らない縫合が出来たから大丈夫。と先生は文机の上で薬を調合しながら教えてくれた。

「さあ、これを飲めば明後日にはいつも通りの生活に戻れるぞ」

僕は手渡された包みを開いた。それは、紫色の粉薬でほのかに花の香りがする。

「粉薬か。煎じ薬じゃなくて良いのか?」

僕の手元を見てヤフクが首を傾げる。
何故なら、サーヴラー国内では薬と言えばお湯で煮出す煎じ薬が主流で、粉薬は効きが良くない気休めと言われている。

「粉薬と言う物はな、飲む者の身長体重そして年齢毎に量を調節してあげれば、煎じ薬より効きが早くて良いんじゃよ」

しかし薬にかなり詳しくないと出来ないから、一般的には煎じ薬が扱い易くて良いけどな♪と先生は笑った。

「だから母さんも煎じ薬だけを売っていたんだ…」

「ほう♪そなたの母上は薬を売っていたのかね?」

思わずポツリと呟いた僕の言葉に、先生が興味を持った。

「はい。僕が住んでいた村から程近い野山には、様々な種類の薬草が採れたんです。母はそれを摘んで、乾燥させた物を煎じ薬や塗り薬にして店で売っていました」

「もしやそなたは北の出身かね?」

「はい。テルトー村の出です」

「おぉ!テルトー村か!テルトフェルグ山脈のお膝元にある村だね♪北にそびえるテルトフェルグ山脈からの栄養豊富な水を吸い上げた薬草達は、他の場所で採れた薬草とは比べ物にならない程強い効力があるんじゃ♪じゃから、サーヴラー国内の薬はその殆んどが北で採れた薬草から作られているんじゃよ♪」

しかし質の良い薬草は、魔獣も好むから一般人では採取が叶わんし、摘める季節も短いから北の薬草は高価なのが唯一残念なんじゃよなぁと先生は苦笑いを浮かべた。

『あぁ。だから、夏の間だけ出る薬草摘み(山脈内指定)のギルドって報酬額が良いんだ』

確かに村の子供は小さな頃から山脈が如何に危険か教わって育ったので、薬草や山菜摘みは山裾のみで済まし山の上や奥に分け入った事は無い。
実際に魔獣に遭遇し襲われて大怪我を負った者や亡くなってしまった冒険者を毎年目の当たりにして育ったから誰も言い付けを破る者もいない。
それに畜産と林業で十分潤っている村なので、危険を犯してまでわざわざ山脈に入る村人もいなかった。

「僕、煎じないで粉末にした薬草を直接飲めば、もっと効力が強いのでは?とずっと思っていました。でも、扱いが難しいんですね」

「そうじゃな、摂取量は体型や性別によって変えないと効力に差が出るし下手をしたら効き過ぎて毒となってしまうんじゃよ」

薬草の扱い方を間違えたら毒となる。と母さんが教えてくれた事を思い出した。あの言葉にはきっと摂取量の事も含まれていたのだろう。
僕はそんな事を考えながら、意を決して粉薬を一気に口に流し込んだ。

「うぇっ、苦っ…!」

2種類の薬を混ぜ合わせた粉薬は、予想以上に苦かった。僕は、口の中の苦味を洗い流す為に白湯を何杯も飲む。

「おぉ、嫌がらんで良く飲んだな♪良い子じゃ♪」

そんな良い子にはこれをやろう♪と先生は言いながら、白衣のポケットから飴玉を2つ取り出して、一つは寝台横のナイトテーブルに置き、もう一つは涙目の僕の口に入れてくれた。

「あ、美味しい♪」

その飴はシヒールの実の味がして甘くてとても美味しかった。
笑顔になった僕を見て、先生はうんうんと笑顔で頷き鞄に道具を片付け始めていく。

「明日は1日寝ていなさい。明後日また診に来るよ。残りのその飴はまた明日の薬の後に舐めなさい♪」

そう言ってウィンクをした。

「はい。ありがとうございます」

玄関まで送って参ります。とヤームさんが先生と部屋を出て行く。

「遅くまでごめんね」

壁の時計を見れば、もう深夜に近かった。

「気にするな。好きで付き添っている」

先輩達も縫合が済む迄部屋にいてくれたらしい。僕が目を覚ます迄いたがったらしいけど、ミフサハラーナさんが大勢いては先生の邪魔になってしまう。と言って隣室のヤフク達だけを残して全員を帰したのだそうだ。

「ミフサハラーナも仕事があるから戻ったが、朝一に様子を見に来ると言っていたぞ」

「そうなんだ…。ふぁ」

僕はまた眠くなってきてしまった。

「寝るか?」

「…うん。でも、その前にトイレ」

僕はヤフクの手を借りながら立ち上がり、お手洗いで用を済ましてまた寝台に上がる。
気付けば、寝台に置かれていた沢山のクッションは全て片付けられていて横になれる用意が整っていた。

「…ごめん。なんか色々面倒をかけちゃっているね」

「ん?あぁ、気にするな。俺1人でやった訳じゃない」

「え?」

1人じゃないって、でも今この部屋にはヤフクと僕しかいないのに?でも確かにトイレに行っていたほんの数分の合間にクッションを一人で片付けられるのだろうか?何か魔術式を展開しないと難しい気がする……。

「まあ良いから、早く寝ろ」そうヤフクは言って考え込み出した僕の手を引いて寝台に寝かせる。

「飲み水はここに置いておくからな」

「うん。ありがとう…」

横になった途端、僕は目を開けていられなくなる程の眠気に包まれ身を任せる。

「只今戻りました。…あぁ、もう眠られたのですね」

「あぁ、薬が効き出したのだろう」

「では、私達も部屋に戻りましょうか」

「そうだな。…後は任せたぞ」

薄れ行く意識の中でヤフクとヤームさんの会話が聞こえていたけど「後は任せたぞ」って…。一体誰に言った言葉なんだろう?僕以外誰もいないのに?と疑問に思いながら意識を手放した。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「よしよし。食欲はもう大丈夫みたいだな♪」

ハーヴが持ってきてくれたお昼ご飯(全部少量)をきちんと食べ終われた僕を見て、ラウンは嬉しそうに頷いた。
昼頃に再度目を覚ますと、側にラウンとハーヴが居た。朝からみんなが代わる代わる様子を見に来てくれていたらしい。

「明日、先生がまた改めて診に来てくれるそうだね」

「はい」

ハーヴは食器を片付け、僕に白湯と先生処方の粉薬を手渡した。

「これを昼と夜の2回食後に飲めば良いんだね」

ラウンは僕の文机の上に置いてあった先生のメモを読んで感心していた。そこには僕が目を覚ましたら食後に飲ます様にと書かれている。

「でも、この薬めちゃくちゃ苦いんです…」

昨夜は知らなかったから一気に口に流し込んだけど、今はあの苦さを知ってしまったから躊躇ってしまう。

「あぁ!だからヤフクがじい様にワヌンココアをお願いしたのか♪」

「ワヌン?」

ワイラーカカオ豆は海を隔てた南国でしか栽培が出来ない木で、その実は甘くすれば菓子でも飲み物にでも何にでも使え、とても美味しくて栄養価が高い。しかし中々手に入らない高級品でもある。ソイルヴェイユでも特別な行事の時にしか食堂には並ばないのだそうだ。
ハーヴが僕にお昼を持って行く際に、じい様からこっそりと手渡された、と教えてくれた。

「良い香りですね。僕、ワヌンって初めてです」

「そうなんだ!すっごく甘くて美味しいから、薬を飲んだ後に飲んでごらん♪」

ラウンの笑顔に勇気付けられ、僕は一気に粉薬を口に入れ白湯で流し込んだ。

「~~~~~っ!!」

「ほら!ワヌン飲んで!」

苦味で体が硬直し、目から涙を溢れさせた僕にラウンが急いでワヌンが入ったカップを手渡す。
僕はグビッと口に含み飲み込んだ。

「!?」

とても甘くて、たったの一口で苦味が口の中から消えて無くなった。そのあまりの美味しさに、カップの半分まで一気に飲んでしまった。

「こんなに美味しい飲み物は生まれて初めてです!」

「お~♪良い笑顔!良かったなぁ♪さて、薬も飲んだしまた寝ておかなきゃ」

「はい。あ、でもトイレに行っておきたいです」

僕はお手洗いを済まし、また寝台に潜り込んだ。

「眠る事で回復力が高まるそうだよ」

「そうなんですか」

「また、夕食の時に見に来るな♪」

「はい…」

本調子ではない身体に直ぐに薬が効き出し、僕の瞼は重くなっていった。

「…めちゃくちゃ寝顔可愛いな」

「許嫁よりもか?」

「比べらんないけど、一人でよく来たなぁって思う」

「そうだな」

「大事な後輩守っていこうな」

「あぁ」
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