ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き

中島 茂留

文字の大きさ
13 / 24

第13話  風の余韻

しおりを挟む
2月14日
午後

議場を出ると、外の光がまぶしかった。
冬の冷たい空気の中に、確かに温かいものが混じっている。
田嶋広海は深く息を吸い込み、胸の奥まで満たした。

……風は、通った。
その実感が、まだ指先に残っていた。

「お疲れさまでした。」
後ろから水野の声。
彼女は議場での緊張がようやく解けたように、ほっと笑っていた。
「田嶋さんの言葉、すごく響きました。議員の表情が変わるの、見えましたよ。」
「……本当に、通ったんでしょうか。」
「ええ、確かに通りました。」
水野は空を見上げ、淡く光る雲を見つめた。
「ほら、空気が違う。」

廊下の向こうから、林 明里が歩いてきた。
拍手のあと、誰よりも静かに座っていた彼女は、
今は柔らかい微笑みを浮かべていた。

「田嶋さん。」
「林さん……。」
「おめでとうございます。あの場で『町が見放さない』と宣言できたのは、大きいです。」
「まだ始まったばかりですけど。」
「ええ。でも、始まりっていつも、誰かの小さな勇気からですよ。」

3人で庁舎を出ると、日差しがゆっくり傾いていた。
通りの向こうでは、下校の子どもたちが笑いながら走っていく。
広海はふと立ち止まり、低く呟いた。
「……この町に、本当に風が吹くようになるでしょうか。」

林は穏やかに頷いた。
「風は、仕組みじゃなくて、人で吹くんです。
 あなたや町長さんみたいに、誰かが『信じた』ときに。」



町長室。
議会を終えた大迫は、ネクタイを緩め、椅子の背にもたれていた。
窓の外には、議場の屋根が見える。
そこに差し込む光が、午後の淡い橙色に染まっていた。

「……通ったな。」
小さく呟くと、政策秘書の森が頷いた。
「反対はありましたが、
 最終的に町として正式に事業を進めることが承認されました。」

「あの若いの……よくやった。」
大迫は机の上の書類を見つめた。
「『見放さない』か……昔の俺にはなかった言葉だな。」

森が少し笑った。
「町長も、充分に『風』を通しましたよ。」
「いや、あれはあいつの風だ。」
そう言って、大迫は椅子から立ち上がる。
「森、外に出る。……この空気を感じておきたい。」



夕方。
町庁舎の会議室に
「ひきこもりの町構想」検討チームの面々が集まっていた。

水野結衣(企画課)、橋爪慎吾(福祉課)、高瀬修司(建設課)、
山本晴人(総務課)、矢野明彦(財務課)、
白山智久(広報課)、森達也(政策秘書室)、
そして林 明里(NPOつながりの灯・助言者)。

皆が少し誇らしげな表情で、立っていた。

「田嶋さん、これ見てください。」
高瀬がタブレットを差し出す。
画面には、町の公式SNSに投稿されたコメントの一覧が並んでいた。

「議会で泣いたのは初めて。」
「あの人、町のごみ収集員なんだってね。誇らしい。」
「『風の通る家『ができたら、ぜひ手伝いたい。」

「……すごい。」
広海は言葉を失った。
画面を見つめるうち、
一つひとつの言葉が、胸の奥に風のように通り抜けていった。

「町が変わるって、こういうことなんですね。」
水野がつぶやく。
「はい。仕組みじゃなく、空気が変わる。」
林が微笑む。
「それが、『文化になる』ということです。」



夜。
広海は、庁舎の屋上に立っていた。
暗い空に、細い月が浮かぶ。
風が頬を撫でる。
遠くで町長の車が去っていくテールランプが見えた。

ポケットの中で、お守りが揺れた。
その温もりを指先で確かめながら、
彼はそっと呟いた。

「……風は、確かに通った。
 でも、止めないようにしないと。」

屋上の手すり越しに町を見下ろす。
家々の窓に、あたたかな光。
その一つひとつの灯りの向こうに、
誰かの暮らしと、誰かの孤独がある。

広海は小さく息を吐いた。
「次は、『風の通る家』を形にしよう。」

風が再び頬を撫でた。
その音は、まるで誰かの「行こう」という声のようだった。

……風の芽吹き、ここに始まる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...