【本編完結】異世界の結界術師はたいせつな人を守りたい

鳴海カイリ

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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした

28 叫び

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 身体を引きずるようにしてにじり寄っていく。暖炉の火は赤々とした熾火おきびになっていた。
 炎は昇っていないが、顔を近づけただけで熱が肌を炙る。手首の縄を焼くだけ、では済まないだろう。
 だから何だというんだ。

「くっ……」

 ぐらぐらする視界のまま、手首を差し向けた。
 その時、すぐ側で「キキッ」と覚えのある声が聞こえた。どこから現れたのか、淡いクリーム色の小さな動物が肩から手首に走っていく。俺は慌てて手を引いた。

「ウィセル⁉」
「キュ、キキッ」

 数匹のウィセルが膝や手の上に乗ったかと思うと、俺を縛っている縄の匂いを嗅ぐようにしてから、小さな口でかぶりついた。縄を噛み切ろうとしてくれているんだ。

「俺がやろうとしていること、分かるのか?」
「キキッ!」
「足を……足の方の縄を切って!」
「キッ!」

 数匹が足の方に走っていって齧りだす。けど縄は頑丈で、簡単には噛み切れない。ウィセルだけに任せていたら時間がかかってしまう。
 あついらはいつ戻って来るか分からないのに。
 俺はそのまま暖炉の方に向き直って、赤くくすぶる炭に手首を向けた。痛いぐらいの熱に奥歯を噛みしめる。

「ぐっ……う……」

 縄の焼ける匂い。肌を刺す熱。
 じりじりと焼き切れた縄が緩んでいく。
 あと少し、というところで足の縄が切れて自由になった。すぐに手首の方へと駆けつけるウィセルに、俺は慌てて暖炉から腕を引っ込めた。

「キキッ、キッ!」
「……ありが、とう……」

 半分ほど焼き切れた縄を更に噛み切って、それほどかからずに手首の縄も切れた。
 火傷やけどで指先から手のひらが真っ赤になっている。けれど、この痛みがあれば眠ることも無いだろう。

「逃げよう」

 立ち上がる。ぐらり、と視界が揺れて、そばのテーブルに倒れ込んだ。
 卓上の木のお椀やカップが転がり落ちて、けたたましい音を立てる。慌てたように、ウィセルがくるくると走り回る。
 陶器だったら割って武器にしたのに……なんて、思う自分に笑った。

「……しっかり、しろ……」

 右に、左に大きくふらつきながら、外に続いているのだろうドアまでたどり着いて押した。
 軋む音を立てて、開く。冷たい風が流れ込む。
 月の輝く夜空の下に広がっていたのは、人気のない、廃墟のような街並みだった。
 左右に瓦礫がれきの散らばる道が続く。わずか先には脇道も見える。どっちに、逃げればいいんだ……。

「キキッ!」

 俺の脇をすり抜けたウィセルが、左の道の方へと走り出した。少し先まで進んで振り返る。ついてこいと言っているようだ。

「わかった……」

 歩き出し、足がもつれて肩から倒れ込む。
 砂煙を上げた地面から顔を上げて、壁に掴まりながら立ち上がった。遠くから、獣の遠吠えが聞こえる。
 夜は魔物の時間だと、ヴァンさんが言っていた……。

「帰る……んだ……」

 ヴァンさんのところに。
 生きて帰るんだ。
 そして謝らないと。
 約束を破って、ごめんなさい、と。
 許してもらえなかったとしても、謝らないと……。

「……ヴァン、さん……」

 ふらふらになりながら、先を行くウィセルの後を追う。
 瓦礫の向こう、壊れた建物の上やそこかしこから、何かが近づいている気配と音がする。
 獣の鳴き声。
 魔物かもしれない。俺を追う、男たちかもしれない。

「ヴァンさん……」

 もっと早く。早く歩け。走れ。

「ヴァンさ……ヴァン……」

 泣くのはまだ早い。
 泣いている暇なんかない。
 歩け。
 歩けと、自分を叱りつける。
 それでも名前を呼ぶ声を、止められない。

「ヴァン……ヴぁ……ヴァァン‼」

 呼ぶ。叫ぶ。
 名前を呼び、叫ぶ。

「……ヴァァァン‼」



 助け……て……ヴァン。



「キキキッ!」

 不意に、ウィセルが鳴いて姿を消した。
 足を止める。と、同時に角から人影が現れた。
 月明かりの影になって顔は分からない。けれど、瞬間、背筋を悪寒が走った。おぞましい気配に、息を止める。

「見つけたぁ……」

 髭の男だった。それも、三人。
 ざぁっ、と血の気が引く。見つかった。
 一歩、よろけるように後退る。その背後から、首を羽交い絞めにされた。火傷した手首を思いっきり掴まれる。

「ああっ!」
「ガキが、どうやって縄を切ったんだ」
「魔法が効かなかったのか?」

 地面を蹴って暴れるも、首に巻きついた腕はビクともしない。
 逃げられない。

「やっぱりこいつ、殺してしま――」

 正面から俺に手を伸ばした、髭の男の頭に黒い影が飛びついた。同時に、男から悲鳴があがる。もみ合い転がる。

「があぁああ‼」

 何が起こった?
 呆然とする俺の首を絞めていた男が、息を飲み、一歩離れた場所にいた男が叫んだ。

「……ま、マモノだあぁ‼」

 見れば俺たちの周囲を、大型犬ぐらいの大きさの影が取り囲んでいる。唸り声をあげ、にじり寄る。ざっと見ただけでも、十……二十匹……。いや、それ以上……。

「魔法だ! 魔法で殺せ!」
「石がねぇよ‼」
「剣は⁉ ぁああっ!」

 俺を掴んでいた男の腕が緩んだ。その隙に、身を屈めて走り出す。逃げる。瓦礫に足を取られて転げ、倒れる。
 顔を上げろ。逃げるんだ。
 起き上がる。と同時に左右から魔物が襲い掛かってきた! 目が合う。

「来るなぁあ‼」

 びくっ、と一瞬、魔物の動きが止まった。


 直後、辺りを眩しい光が走った。


 俺の……目の前に舞い降りた影。
 長いコート。裾に光る小さな魔法石。
 夜の月明かりの中にあって、より輝く明るい髪色。緑の瞳。
 背の高い、その人を中心にして円形に光の粒が広がる。
 低く静かな声音こわねの呪文が、響く。

「魔を退き、砕き、散らせ……蒼き星々」

 青と濃紺の宝石が回転しながら四方に飛び散り、魔物を砕く。光り、数十もの影を瞬く間に追い散らす。その俺たちの横を、大きな影が通り過ぎた。
 月の下で翻る剣。
 俺を捕まえて、魔物の襲撃にあわてふためいていた髭の男たちが、次々と倒れていく。大柄で、がっしりとした体格の人が振り向く。
 ヴァンの剣の師匠と言っていた――ゲイブさん、だ。

「ふぅ……ギリギリ間に合ったかしら……無事?」

 明るい声で、俺と背中を向けたままの明るい髪の人の方へと歩いて来る。
 俺は、呆然としながら目の前の人を見上げた。
 ひとつ、肩で大きく呼吸をしてから俺の方へと振り返る。

「ヴァ、ン……」

 呟く俺の声と、腕を掴み乱暴に立ち上がらせる手は同時だった。
 痛みに呻く間もなく、怒鳴り声が飛ぶ。

「なぜ、家で待っていなかった‼」

 ビクッ、と身体が痙攣して、冷たい空気が肺を満たした。
 辺りの音が遠くなる。血の気が引いていく。
 ヴァンが……ヴァンさんが怪我をしたと……言う言葉は声にならず、かすれた息だけが漏れる。

「ご……めんな、さい」
「リク!」
「ごめ……ごめんなさ……い」
「リク?」
「ごめんなさい。ごめん、なさい……ごめんなさい……」

 足から力が抜けていく。
 頭が痛い。気持ち悪い。寒い。怖い……。
 俺は、俺を大切にしてくれた人を、困らせた。

「リク‼」

 俺は壊れたオモチャみたいに、謝り続けた。





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