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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした
30 魔法石
しおりを挟むジャスパーさんがそのまま治療――体内の魔力の循環を調整する処置を行って、やっと俺の吐き気は治まった。
「まだ頭は少し痛いだろうけれど、あまり急激に調整をかけても、それはそれで身体の負担になるから」
爛れた両手を魔法で治し、鈍い痛みと赤みが残るだけで指の動きも問題ない。俺はやっと肩の強張りを解いて深呼吸をした。
ジャスパーさんが顔を覗き込むようにして問いかける。
「何故、家を出たんだ?」
顔を上げる。
ジャスパーさんとゲイブさんの後ろ、少し離れた場所でヴァンさんは黙ったまま、腕を組んで俺を見ている。
眉間を寄せた険しい表情に心が砕ける。でも、嘘はつけない。
「ヴァンさんが……大怪我をしたと、聞いて……」
「嘘と、疑わなかったのかな?」
ジャスパーさんの声は優しい。
俺は、唇を噛んで黙り込んでしまう。
「やはり殺してこよう」
「あぁああ! ヴァン、待ちなさい!」
部屋を出ようとするヴァンさんを、ゲイブさんが引き留める。
ジャスパーさんは呆れたような顔で二人を見上げてから、俺の方に向き直った。
「ヴァンが、本気でリクを心配していたというのは分かるね?」
何と答えていいか分からない。
けれど困らせたのは確かで、俺は小さく頷いた。
誘拐犯たちは俺を利用してヴァンさんを強請るつもりだったのだろうけれど……たかだか、異世界から迷い込んだ子供一人、何になるっていうんだ。
「俺に、価値なんか……ないのに」
「リク……」
「魔法だってまともに使えない。腕力があるわけじゃないし、異世界の凄い技術や知識があるわけじゃない。それどころか、一人で生きていく力も無い……」
あの日、あの時、ヴァンさんに出会わなかったなら、今頃、地下道の床で冷たくなって死んでいた。魔物の餌にだってなっていたかもしれない。
「せいぜい……魔法院とやらの標本になるぐらいで――」
「リク」
ジャスパーさんが声を強めて俺の名前を呼んだ。
「リクには、とんでもない量の魔力が眠っている」
目を瞬いて、顔を上げる。
「……え? でも、俺……光を点すのだってまともに」
「練習もせずに魔法を使えるヤツなんていない。それに魔力があるからといって、力を引き出すばかりじゃない。封じたり、俺みたいに体内の魔力の循環を調整したり、人によって使える技は違う」
ヴァンさんも言っていた。才能にもいろいろなものがある、と。
「リクの力をどのようなかたちで扱うか、俺の口からは言えない。とても慎重に見定めなければならないものだからだ。けれどこれだけはハッキリ言える」
ジャスパーさんは一度言葉を切って、続けた。
「多くの魔力を持つものは、死んだ後、魔法石を残す」
ふと……以前、ヴァンさんが言っていた言葉を思い出した。
明かりを消した地下道を歩いていて、魔法石がどんなふうに生まれるのか疑問を持った。ヴァンさんは「魔力を持ったものは、命を終えると石になる」と言った。そして「その石を食べる物がいる」と。
「魔法……石……」
「そう、生きていた時の特性を継ぐ魔法の石だ。魂の欠片と言ってもいい。いいかい? もしリクが死んだなら、この世に二つとない貴重な石が生まれるんだ。それを狙う輩は、ごまんといる。人も、魔物も……」
誘拐犯たちの会話を思い出す。
笑いながら「死んだら死んだで、いい魔法石が採れるかもしれねぇぞ」と言っていた。頭痛と吐き気を堪えるのに必死で、男たちの言葉の意味を考えてもみなかった……。
「魔物が減らないのは、その魔法石を喰う獣がいるからだ。魔力を持つものがいる限り、力の差はあれ魔法石は無くならない。大きな物も、小さな物も。魔物となったものが死んでも石は生まれる。繰り返しだ。ヴァンは迷宮や地下道で、魔物やタチの悪い盗賊共に奪われないよう、探して拾い集めている」
「俺は……」
「この世界は決して、平和で、安全な場所じゃない」
夢のような楽園じゃない。そんなものは、存在しない。
ゲイブさんが、ため息をつくようにして呟いた。
「ヴァンを強請るのはついでのようなもので、最初からリクくんを狙っていたのでしょうね」
夜は危険だとヴァンさんは言っていた。魔物や盗賊の話も聞いていた。
それなのに考え方が甘かった。やっぱり俺は、バカだ……。
「……ごめんなさい」
うつむいて、声を絞り出した。
胸が、えぐられそうほど痛いのに、涙は出ない。
ずっと離れた場所で見ていたヴァンさんが、そばに立つゲイブさんに声をかけた。
「ちょっと」
「んん?」
何か目配せをしてから、ジャスパーさんに「任せる」と短く声をかけて、二人は部屋を出ていってしまった。けっきょくヴァンさんは、俺に近付くことすらせず。
頭を掻いて、「やれやれ」と呟いてから、ジャスパーさんは俺の隣に腰を下ろした。
「今回の魔物の討伐は俺も呼ばれていてね、あと一歩というところでウィセルが現れた」
「ウィセルが?」
「そう。一生に一度、目にすることができるかどうかという聖獣が姿を見せたばかりじゃなく、早く地下道を出ろとね、知らせるように俺たちの前に現れたんだ」
苦笑しながら、ジャスパーさんは話を続ける。
「ヴァンは何か感じることがあったのだろう。急いで家に戻ればリクはいない。昼の食事は手つかずで、コートを着ていった様子も無い。異常事態だとね。直ぐに追跡の魔法やら何やら、ヴァンの慌てようと言ったら……」
軽く笑いながら「初めて見た」と呟く。
「迎えに来るのが遅くなったね」
俺は首を横に振って答える。
ヴァンさんに連絡を取る方法は無いと思っていた。けれど不思議な力が働いて、ヴァンさんも俺を探していてくれたなんて……。
「リク」
ジャスパーさんが俺を見る。
「リクはヴァンのことが好き?」
頷く。
ヴァンさんの人柄に魅かれ始めている。尊敬して、憧れている。
それだけじゃない、言葉にできない熱い何かが、ずっと、胸の奥で渦巻いている感覚がある。「痛い」と感じる。
得体の知れないそれが、何かはよくわからない……けれど。
「その思いを、言葉にして伝えられないか?」
「……でき、ない」
怖い。という感覚が先に立つ。
熱くて、痛くて、切なくて……なのに甘く痺れるようなこの感覚の正体を知るのが、怖い。拒絶だってされるかもしれない。
とても言葉になんかできない。
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