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第2章 届かない背中と指の距離
39 一人の時間
しおりを挟む朝、水くみに行く。街の人たちの明るい笑顔に迎えられる。
昨日と変わらないはずの朝だ。
「おはよう、リクくん」
「おはようございます」
「あら、新しいアクセサリー?」
何となく照れくさくて、襟のあるシャツの中に着けていたチョーカーを見つけられた。俺は「えぇ……はい」と、笑いながら小さく答える。
「守りの魔法石なんです」
「旦那、リクくんのお守り、ずいぶんいろいろ探していたもんねぇ」
「あれ? アーヴァイン様、今いないの?」
「ほらもう、年に一度の大結界の時期だろ」
「あぁ……そうか。お帰りは二ヶ月後かい?」
「えっ?」
井戸のまわりに集まった人たちが口々に言う。
「えぇっ……っと、一ヶ月ほどで戻ると」
「リクくんが心配で急いで帰ってくるんじゃない?」
「留守を預かるのは大変だねぇ。後で採れたての野菜を持っていくよ」
「ありがとうございます」
他愛ない会話を切り上げ、水桶を手に家に戻る。
「はぁ……」
ヴァンの気配や声の無い家の中が、こんなに広く、静かに感じるとは思わなかった。なんとなく、グチっぽい言葉がこぼれてしまう。
「テレビやラジオでもあれば、違うのかな……」
音楽の再生機のような魔法石はあるけれど、俺には扱えない。
やっぱりもっといろいろな魔法を覚えておけばよかったと、今更ながらに思う。
火を熾し、お茶を淹れて、温め直すのがめんどうで冷たいスープにパンを浸しながら齧る。ウィセルがどこからともなく現れて、俺の顔を見上げている。
「……おまえたちがいるのに、寂しいなんて無いよね」
「キキッ」
ちょろちょろと現れては消えるウィセルは気まぐれだけれど、俺はひとりぼっちじゃないと教えてくれる。うん、大丈夫だ。俺はこの世界に来るまで、ずっと独りで過ごしてきたじゃないか。
「キッ⁉」
「ん……誰か、来た?」
顔を上げると、ノックの音が響いた。
あっという間に姿を消すウィセルの横で、食器を片づけて階下に降りる。
ドアの向こうで挨拶をしたのは、通いの家政婦、ローサさんだった。今までも季節によって四、五日に一度来ては、主に掃除や洗濯を担ってくれていた。
ヴァンが留守にする間は、二日に一度、来てくれるという。
「おはようございます。リクお坊ちゃま」
「……おはようございます。ローサさん」
何度か、「お坊ちゃま」は恥ずかしいから止めてと言ったのだけれど、どうやらそこは譲れない部分らしい。ちなみにヴァンは「旦那様」だ。それもあってか、街の人たちはヴァンのことを「旦那」と呼ぶ人もいる。
俺とたいして変わらない身長の、ゆったりと話すローサさんはけっこうなお年、だと思う。白髪の交じったココア色の髪と明るい茶色の瞳。笑顔で刻まれた皺。だけど歩き方や次々と家事をこなす動きを見ていると、とても「お婆ちゃん」とは呼べない。
「お食事中でしたか?」
「今終わったところです」
「さようでしたか。リクお坊ちゃまがちゃんとお食事されるよう見守って下さいと、旦那様から言付かっておりますからね」
もぅ、ヴァンは過保護なんだから。
「ちゃんと食べましたよ」
「では、次からスープは温めてから召し上がって下さい」
ばれた。
キッチンやリビングの掃除をローサさんに任せ、俺は三階の寝室に向かう。窓を開けて空気を流し、ベッドメイクをしてから棚やテーブルの埃を払う。日の光で力をチャージするタイプの魔法石を窓辺に移し、ローサさんから受け取った洗濯済みの衣類をしまう。
ヴァンがいない、ということを除いて、昨日と変わらない日々の日課だ。
そろそろゲイブの所に行く迎えが来るだろうか……と思ったタイミングで、来客の音がした。ローサさんが対応に出ている。
大きな剣を振り回すのは無理でも、最低限の護身術は覚えた方がいいだろうという話になって、数日に一度、ゲイブのところに通うことになった。体育系の習い事なんかしたこと無いから、ついていけるかちょっと心配だけれど。
「リクお坊ちゃま」
準備をして一階へと階段を下りていくと、ローサさんが振り向き声をかけた。ドアの向こうには、俺と同い年くらいの青年が二人立っている。帯剣もしていて本当に護衛っぽい。
「お迎えがいらっしゃいましたよ」
「ありがとうございます」
会釈をすると、びしっ、と背筋を伸ばした二人が自己紹介をした。
「ギャレット様の命によりお迎えに上がりました。ザック・ジョーンズです」
「マーク・ジョーンズです」
二人とも年上? 兄弟かな? クセのある赤毛とか目元が似てる。
そんなに緊張しなくていいのに。
いつも「ゲイブ」って呼んでいるから聞き慣れないけど、本名はガブリエル・ジョー・ギャレットっていう。ガブリエルって確か天使の名前だよね。イメージ合わないなぁ……。
「リク・カワバタと言います。どうぞよろしく」
「カワバタ様」
「あ、いや、リクと呼んで下さい」
もう滅多にその姓は使わない。捨てちゃってもいいぐらいだけれど、代わりになるものが無くて何となくそのままにしているだけだ。
「了解しました。リク様、ご案内します」
……これは、打ち解けるの時間かかるかなぁ。
「ローサさん、帰りは遅くなるかもしれないので後を頼みます。あ、それと今朝、井戸で声をかけてもらったご近所さんが、後で野菜を持ってくるかと」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ、リクお坊ちゃま」
あぁ……慣れない。
苦笑いで応えつつ、俺はザックとマークの二人に挟まれながら、家を後にした。
そんなふうに、穏やかな日々が三日、四日と過ぎていった。
ゲイブのところで始まったのは体力と筋力をつける基礎訓練で、それは家でもできる。後は文字を覚えるために本を読んだり、教えてもらっていた魔法の練習をしたり。暇を持て余している……ということは無い。
五日目の夜、空にオーロラのような光が広がった。
きっとヴァンの魔法の影響だろう……と、漠然と感じた。
「いっしょに……見たかった、な」
この空の下のどこかにヴァンがいる。
そう分かっていても、ここではヴァンの熱を感じることができない。大切な仕事で留守にしているのだからワガママは言えない。ただ……ヴァンのいない時間が長すぎる。
もしかしたら……このまま、帰って来ないんじゃないか……なんて、嫌な想像まで浮かんでくる。
「バカなこと考えてないで、寝よ」
明日も早い。
日の出と共に水をくみに行って……それから、あぁ……明日は雨だそうだからゲイブのところの練習は無しだと言っていた。ローサさんも来ない日だ。いっそのこと、思いっきりだらだらして過ごそうかな。
ふと、イスの背もたれにかけっぱなしにしていたブランケットが目に入った。
冬の間はずっと肩にかけて使っていたのに、さすがに季節が変って触っていなかった。何気なく手に取り、肌に馴染んだ布地に顔を近づける。
懐かしさに、胸の奥が痛くなる……。
「ヴァンの匂いがする……」
……ヴァンの、匂いだ。
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