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第2章 届かない背中と指の距離
48 本気
しおりを挟む練習用の長い槍を構える、ひどく真剣なザックの顔がある。
対するヴァンは口元に静かな笑みをたもったままで、構えはしているが身体に力は入っていない。全力で挑もうとしている子犬を、楽しそうに眺めているような感じだ。
相対しただけで二人の実力は一目瞭然だった。
それはザックも感じているだろう。「いきます!」と気合の入った短い掛け声と同時に、鋭い突きをヴァンに向けた。
ひゅっ、と鳴る風の音。
払われ突いて、振り上げ振り下ろし、攻撃の連鎖に淀みが無い。
刃の無い、真っ直ぐな槍は十分に硬くて、俺の身長に近いくらいの長さがある。太さもそれなりにあって、木でできているようだけれど、一度持ってみた時は思った以上に重かった。
それを二人は、軽々と振り回している。
「くっ! はぁっ!」
「基礎はできているね」
ザックの一方的な攻撃が続いている。
ヴァンは次々と繰り出される攻撃を軽くよけ、時に手にした槍で払い、踊るような足取りでいる。風を斬る、音を聞けば本気の攻撃だとわかる。
一撃でも当たれば、青あざでは済まない。
下手したら骨ぐらい折れるんじゃないかと……。
手のひらに汗を感じながら、俺は拳を握りしめる。
形勢はザックが優位に見えても、表情はヴァンに余裕がある。大丈夫だ。そう心の中でどれほど繰り返していただろう、躱して、いなしてと防戦一方だったヴァンが不意に呟いた。
「うん、クセは分かった」
瞬間、ぶぉん! と空気を斬り槍がしなる。
早い。
攻撃に転じたヴァンに、ザックの顔が引きつる。足運びが乱れる。
「あ……」
思わず声を漏らしたその時には、ザックの槍が宙を舞っていた。
ヴァンは息も乱れていない。
悔しそうに顔を歪めるザックを、俺は呆然と見つめていた。普段は感情的な様子など見せないけれど、やっぱり闘争心はあるんだ。
「もう一本お願いします!」
ばっ、と槍を拾ったザックが構え直す。
頷いたヴァンはやっぱり余裕の笑みのままで、ザックの攻撃を受け始めた。
今度は多少打ち合うが、ヴァンが身を低くした一瞬、生き物のように空を薙いだ槍先は相手の得物を弾き飛ばし、そのまま突きに転じてザックの顎の下で止まった。
寸止めだ。
鮮やかすぎて、何が起こったか分からない。
「ま……負けました」
がくっ、と片膝をつくザック。
ヴァンは直れの位置に槍を戻し、礼をした。
「筋は悪くない。さすがゲイブが護衛として選んだだけある。これからも精進するといいよ」
かけた声はいつもの優しいものだ。
そして俺の方に向き直って軽く手を振る。俺と言えばもう、なんだかもう興奮して、顔が熱い。
「すごい、カッコイイ! ヴァン、すごい!」
「兄貴、ダメダメじゃん」
「そんなことはない。十分鍛錬を重ねているよ」
散々に負かされ肩を落として戻る兄に、弟マークは気の抜けた声で向えた。それをヴァンがフォローするのを見て俺は肩で笑う。
少し汗のにじんだ額を、タオルで迎える。
もう格好良すぎて、俺は「すごい」以外の言葉が出ない。
「本当にすごいね。ヴァンは……」
「対人は久々だけれど結構身体が覚えているものだな」
「ずっと寝ていたとは思えないキレね」
声をかけてきたのは、黙って観戦していたゲイブ。
ヴァンは苦笑しながら答える。
「魔物相手ではないんだ。命は取られないと分かっているから、気持ちも楽だ」
「だったら、あたしとも一本やってみる?」
「はぁっ?」
変な声を上げたヴァンが、あからさまに嫌そうな顔をした。
ゲイブはウィンクしながら、何故か俺の方を見る。
「カワイイ教え子をコテンパンにされて黙っていられなくて」
「僕も貴方の教え子のはずだよ」
「もう卒業したなら、対等対等」
派手にヴァンの背を叩きながら、たった今、手合わせをしていた位置まで練習槍を手に戻る。今度はヴァンも最初から構えて対峙した。表情が真剣だ。対してゲイブはにこやかに笑っている。
俺たちの周囲は途端に色めきだって、観戦者が増えていった。
なにせギルドマスターと大魔法使いの手合わせだ。「やべぇ」「どうなるんだよ」とどよめきが漏れる。
「ヴァン、魔法は無しよ」
「時間制限にしてくれ。僕に分が悪すぎる」
「あら、打ち合う前から泣き言?」
にっこりと、ゲイブが笑ったかと思うと同時に始まった。
ガンッ! ゴッ! と岩や鉄がぶつかり合うような、重い音が響く。それをすべて受けきるヴァンだが、さっきの手合わせとは、スピードも重さも比較にならない。
歯を噛み、眉が歪む。
余裕のゲイブがにこやかに横払いを繰り出す。
「押されてるわよ、ヴァン」
「くそっ、無理しないほうがいいんじゃなかったのか!?」
「この程度余裕でしょ? ほらほら、リクが見ているわよ!」
「言ってくれる!」
ザッ、と大きく構えたヴァンが身を低くして攻撃に転じた。
先端を目で追うことができない。
ゲイブの表情が楽し気に歪み、ブォンと槍先を振り回す。土埃が円心状に広がる。そのままヴァンの顔面を狙った突き。
勢い、緑の瞳を貫くかと思った瞬間、ヴァンは寸で顔を逸らし、背から大きく回転させた先端をゲイブの側頭に一撃!
入る。
と息を飲んだ俺の目の前で、二人はピタリと動きを止めた。
寸止めだ。
勝負がついた。
ヴァンが激しく肩で呼吸を繰り返している。
「辛勝ってところかしら」
ゲイブは息ひとつ乱れていない。
「勝ちは……勝ちだっ……!」
「負けず嫌いなんだから。体力づくりから始めた方がいいわね」
互いに礼をすると、ゲイブはひらひらと手を振り観戦者たちの方に振り向いた。息を飲んでいたのは俺ばかりでなく、他の弟子やギルドのメンバーたちも、口々に「すげぇ」「さすがだ!」と声を上げる。
俺は思わず、戻って来るヴァンに駆け寄った。
「ヴァン、大丈夫!?」
「ったく! 覚えていろよ、ゲイブ」
いつになく、ヴァンの口調が荒くなってる。
俺には見せない素の姿なのかと思うと、思わず苦笑いしてしまう。そのまま木陰まで行って、芝生の上に座り込んだ。ジョーンズ兄弟に差し出された水を受け取り、喉を潤す。
「ヴァンはすごいな。とても俺にはできないや」
「小さな頃から訓練していたからね」
どうにか体面を保ったとでも言うように、ヴァンは苦笑いしていた。
どんな勝ち方だろうとヴァンは負けなしだ。ギルドマスターからも一本取ったのだから、すごいに違いない。
兄弟も尊敬のまなざしでヴァンを見ている。
「俺たちも、アーヴァイン様のようになれますか?」
「僕に向けた気概は悪くなかった。ゲイブはあんな奴だけれど、ちゃんと言われた通り鍛錬を重ねれば十分強くなれるよ。リクの護衛を続けられるぐらいに」
認めてあげるよ。
そう言っているような言葉に、「ありがとうございます!」と兄弟は頭を下げた。
そこに――。
パン、パン、と拍手をして近づいてくる影があった。
クリームイエローよりは少し濃い蜂蜜色の髪、若葉の色の瞳、どことなく顔だちがヴァンに似ている、ザックと同じくらいの年恰好の、貴族を思わせる身なりをした青年だ。
にっこりと微笑みながら、木陰で休む俺たちを見下ろす。
「さすがですね、アーヴァイン叔父様」
「クリフォード」
俺の横で、ヴァンが名前を呼んだ。
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