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第2章 届かない背中と指の距離
68 人形になってもいい
しおりを挟むふ……と、意識が、深い闇の中から浮かび上がるような感覚があった。
最初に感じたのは身体の重さ。
俺はどこか、硬い台の上に横たわっている……という、頭から指先や背中や、踵に触れる感覚でわかった。頭は目覚めたばかりの鈍さで、泥のように思考がまとまらない。ただゆっくり、呼吸を繰り返し、心臓が動いている……と実感する。
瞼は重くて開かなかった。
指も、力の全てを吸い取られたようで動かない。
ただ耳から入ってくる音だけが徐々にハッキリとしてきて、周囲の反響具合から、ここがどこか広い場所だということは分かった。
広い……建物の中だ。
基地にしている山小屋のような、あの建物じゃないことだけは感じる。いったい……どこなのだろう。
そして感じる、人の気配。聞き覚えのある声だ。
マークと……ゲイブ。ジャスパーの……声、だと思う。
他にも人の気配はあるけれど、声が分かるのはこの三人……。
「――このままだと、リク様壊れちまう」
鼻をすする、泣き声のようなマークの声に俺の胸は絞られる。
徐々に何があったのか……記憶が蘇っていく。
昼の日差しのある、明るい場所なら魔物の心配はない。そう言われていたからザックとマークを伴って、郊外の森の小路を散策していた。遠出をするつもりもなく、森の奥に入るという危険も冒していない。
それなのに魔物が出た。
大きくも無い、護衛の二人が一撃で倒せるような弱い魔物だ。けれど数が多かった。奴らはどう……なったんだっけ……。
――そうだ……魅了の力で追い払おうとした。
俺の力が相手の意識を奪い、意のままに操ることのできるモノだと言うならやってやると……力の使い方もよくわからないまま魔物を操ろうとした。
操ろうとして……魔物は、逃げて行った。成功したはずだ。
その辺りから記憶が曖昧だ。
ひどく苦しくて怖かった。
圧倒的な力に捻じ伏せられそうになって、それを縛ろうとする力があって、二つの、嵐のような力の間で俺はバラバラになっていった。思い出しただけで震えてくる。
あのままでは……俺も、魔物になってしまうんじゃないか……そんな感覚。
「他に方法は無いの?」
ゲイブの声がする。答えるのはジャスパーだ。
「もともとリクの魔力は多いと知っていたが、想像以上だよ。それも初めて会った頃より、とんでもなく増えている。……ゲイブの時もそうだったと聞いたが?」
「そうね……あたしがこの世界に落ちて来た時はもういい大人だったから、それほど負担でも無かったけど。それでも慣れるまでそうとうかかったわ」
え……まさか、ゲイブも異世界人……だったのか?
ジャスパーが続く。
「リクはまだ成長期だからな。上手くなじむかと思ったが、魔力に対して容れ物の成長が追いついていない。だろ?」
話を振られて「んん……」と重く頷いた声は……ヴァン、だった。
ヴァンがそばにいる。なのに……身体は鉛のように重くて、身じろぎひとつできない。
「この一年近く、様々の書物を調べてきた。魔法院の古い蔵書も……」
言いよどむ。
俺は耳を塞ぐこともできずに、呟く言葉を受け止める。
「元々、魅了持ちは少ないうえに、生きながらえる者は多く無い。見つかって対処する前に自滅してしまうからだ。心の均衡を保つのが難しく、操った相手に襲われて殺されるか、魔物に喰われるか」
「あの魔物が、苦手な光の下に出てまで襲って来たように?」
「そう。だから魔力を部分的に封じつつ、少しずつコントロールを覚えていくか、完全に封じた上で第三者が意識を操るより他にない。魔法院のやり方は後者だよ」
ヴァンの言葉に、「それじゃただの操り人形じゃないか」とマークが呻いた。
「魅了は水や火の魔法と違い、習得も難しい。相手が生き物だからね」
「魔物相手に練習して、下手したら喰われる」
「そう。殺すか殺されるかだ」
ジャスパーの言葉に、頷くヴァンの声が続いた。
ゲイブがため息をつく。
「あのリクが、全ての魔物に対して冷徹になれるかしらね。ましてや人になんて……」
ぴく、と俺の指先が動いた。
それに合わせて頭も動く。瞼はまだ開かなくても、身体が……少しずつ自由になっていく。「う……」と短く声が漏れた。
俺の動きに気づいたのか、そばにいた人が立ち上がり近寄る気配がした。
「リク……」
指の裏で、そっと頬を撫でる。
その動きが合図になったように俺の瞼が開いた。
目の前に、大きな窓からの光を浴びた、綺麗な緑の瞳がある。心配そうに見つめる、どこか泣きそうにも見える顔で、俺を見下ろしている。
「……ヴァ、ン……」
「うん、もう大丈夫だよ」
くっ……と、目の奥が熱くなって涙が溢れて来た。
ヴァンが目の前にいる。
ただそれだけの、嬉しさと切なさと安堵と、自分の内がに潜む危険の恐怖と、すべてがごちゃ混ぜになって言葉にならない。熱い涙ばかりが溢れてくる。
ヴァンの後ろで人影が動き、部屋を――天井の高い、礼拝堂のような場所から出ていくのが視界の隅に見えた。
扉が閉まって俺はヴァンと二人きりになる。
「もう大丈夫だ」
ヴァンが同じ言葉を繰り返す。
けれど俺は、まだ上手く動かせない身体に力を込めて、首を横に振った。
「俺を……封じ、て……」
「リク」
「……みんなを、傷付けるのは……いやだ」
俺に襲い掛かった魔物が、弾け飛んだ姿が浮かび上がる。
あんなふうにマークをザックを……ゲイブやジャスパーや……ヴァンを傷付けることになったら。無意識に操ってしまったなら。恐ろして、恐ろしくて、生きていけない。
俺は自分が怖い。
「意識の無い、人形になっても……いいから、封じて……」
コントロールできるようになるまでなんて、待てない。
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