【本編完結】異世界の結界術師はたいせつな人を守りたい

鳴海カイリ

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第3章 成人の儀

91 リクの悪夢

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 また悪夢を見ているのだろうか。最近いつもそうだ。特に、どろどろになるまで抱いて眠った後は、こうしてうなされていることが多い。

 やはり負担……なのだろうか。

 目が合うだけでどちらからともなく求め合ってしまう。
 ねだられて、不安になどさせないように大切に抱いているが……心の奥底では触れられるのが嫌なのでは、と心配になる。

「リク……」

 軽く肩をゆすり、起こす。
 ぱちり、と開いた黒い瞳は、一瞬ここがどこか分からないようにぼんやりと周囲を見つめた。

「悪い夢を見たのかな? ここは、リクの家だよ」
「……あ」
「僕が誰か、わかる?」

 す……と視線が僕の方に動いて、焦点を合わせる。
 ぼんやりと見つめてから「ヴァン」と小さく呟いた。

「うん、そばにいるから大丈夫だよ」
「ヴァン……」
「大丈夫」

 僕にすがりつくように腕を伸ばす。その身体を抱き返し、腕の中にすっぽりと収める。
 リクは僕の胸に額を押し付け、何度も名前を呼び、今見ていた夢を振り払おうとした。けれどこれだけ繰り返すのなら、無理に忘れさせようとするより、夢なのだと自覚させる方がいいのではないだろうか。

「どんな夢を見ていたの?」

 リクは僕にしがみ付いたまま何も言わない。

 無理に聞き出すつもりはない。
 今はまだ言えないならそれでもいい。
 落ち着いて、言葉に出来るようになってからでも。そうしていつか言葉にできたなら、自分が何に恐怖しているか知り、立ち向かうことも捨て去ることもできる。

 僕は黙ってリクの言葉を待っていた。
 窓の外はぼんやりと明るくなってきている。もうすぐ夜明けだ。リクは暗闇を怖がるところもあるから、明るくなれば気持ちも落ち着くだろうか。
 そう思い腕に抱きながら背中をさすっていると、ポツリと言葉をこぼした。

「……ろうかが、あるんだ」

 視線はぼんやりとしている。
 僕はリクの髪に鼻先をつけて、問いかける。

「廊下?」
「うん、廊下……」

 この世界の話だろうか。
 リクと初めて出会った地下道の。

「どんな廊下?」
「子供のころ……住んでいた団地――建物の、廊下」

 元の世界のことか。

「コンクリート――冷たい、灰色の石みたいな壁で、青白い明かりが点いている。薄暗い、廊下。そこに俺はいつも、一人で立っているんだ」
「うん」
「……静かで、誰もいなくて、寒くて……気が付いたら、そばにドアがある」

 僕の背に回した腕に力がこもる。

「俺……そのドア、開けたくないのにいつも、開けてしまう」
「うん」
「暗くて、真っ暗で……穴みたいな場所。入ったら出られなくなるのに、俺、そこに落ちていく……落ちて、慌てて戻ろうとして戻れなくて……」

 リクを抱きしめる。
 夢の中では手出しできない。それが、もどかしい。

「もがいている内に、誰かに捕まえられるんだ。どんどん引きずり落とされて、泣いても叫んでも、振り払えなくて……そして……言うんだ」

 誰が? ときく前に、リクが呟いた。

「笑いながら……もう少ししたら……ウリも、できる……」

 僕は首を傾げた。
 異世界の言葉だろうか?

「それは?」
「うん……」

 リクは僕にしがみついたまま、じっとしている。そしてまた、ぽつりと呟く。

「……どうして、忘れていたのだろう……」

 伏せた瞼の影で、瞳が暗くなった。
 もうこれ以上は思い出させない方がいいだろうか。僕はリクの額に口づける。

「忘れていてもよかったからだよ、きっと……」
「うん」
「話すのが辛いなら、もぅ……」
「ううん」

 リクは身じろぎするように、首を横に振った。

「ヴァン、聞いて」

 僕を見上げる。
 今しか言う機会が無い、そう訴える瞳で僕を見つめる。
 ……リクがそういうのなら、どんな話も聞くよ。

「初めて聞いた時、俺、意味が分からなくて……そのうち忘れてしまっていた。けど、今なら分かる」

 言って、くしゃりと泣きそうな顔で笑った。

「俺……親に売られるところだったんだ」
「……え?」
「変だな……って思っていた。俺のこと興味なんて全然ないのに、施設から連れ戻したり、人に預けたりしないで置いておくのが。もう少し大きくなったら、売って金にするつもりで置いていたんだ」

 囁くような声で一気に吐き出す。
 そして「……やっとわかった」と繰り返す。

「リク、それは……」
「この世界……いや、子供を大切にするこの国では信じられないでしょう? 俺の国でも現代じゃ違法だ。けど、そういう人はまだいるってことで……おれは……」

 息を継ぐ。

「ただの……モノとして、置かれていただけで……」
「リク」

 ぱたり、とリクの綺麗な瞳から、大粒の涙がこぼれた。

「この世界にとどまって、よかった」

 泣きながら微笑んでいる。

「……よかった。ヴァンのそばにいることを選んで、よかった」
「リク」
「よかった。ここに居られて……俺……」
「リク……」
「ヴァンに出会って、救われた……」

 大きく、深呼吸する。
 僕はリクを抱きしめながら頭を撫で続ける。

 ……僕も思うよ。僕と出会ってくれて、よかった……と。

「……前に、ヴァン、言っていたよね……」
「うん?」
「傷は、目に見える場所だけにあるものではない……って」

 うん……言った。
 僕の元に来て、混乱と不安で震えていた時、言った記憶がある。
 見えない傷ほど深く命を奪うこともあるのだから、辛いと思ったなら頼ればいい……と。言った言葉にやっとリクは頷いて、この家に置いてほしいと応えた。

 本当の意味で僕たちは、あそこから始まったんじゃないかという気がする。


「ありがとう」


 リクが、囁く。
 僕はリクの髪に口づけてから、そっと顎に指を添えて唇にキスを落とす。
 見上げるリクの瞳はとても綺麗で、これほど美しいものを失わずに済んだのだと思うと、心の底から安堵あんどする。

 僕も「ありがとう」と思うよ。
 そばにいてほしいと、望んでくれて。

「もうすぐ夜明けだ。起きてもいいし、もう少し眠っていてもいい。またうなされていた、起こしてあげるよ」
「うん……」

 ぴったりと僕の胸に頬を寄せて、うなずく。

「もう少し……こうしていたい」
「リクが満足するまで、抱いているよ」

 僕もベッドに横になり、腕まくらで肩を抱く。

 可愛い、可愛い、リク。
 愛しくて食べてしまいたくなる時もあるけれど、今は……ただ、君の安らかな吐息を耳にしていたい。





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