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第5章 この腕に帰るまで
169 助けて
しおりを挟む「ひっ……」
喉を鳴らした。息ができない。
あまりの状況に頭の中が真っ白になった。
右も左も、魔物の群れ。
そのどれもが鋭い牙と爪を持つ、醜く歪んだ恐ろしい姿で俺の方に振り返る。と同時に雄叫びを上げて襲い掛かって来た。
伸びて来る腕を、わずかな差で避けて俺は逃げ出す。
「いやだ、いや、嫌だぁぁあ!」
首元の守りの魔法石がチキチキと音を立てる。
ストルアンに捕まえられてずっと、俺を守り続けていた。
強い力のある石だけれど、永久に魔力が尽きないわけじゃない。力を失ったなら、魔物の攻撃を弾くことができない。捕まえられる。そのまま頭から喰われてしまうかもしれない。
それともストルアンが呼び出した、ゲラウィルとかいう魔物のように卵を産み付けられるかもしれない。
「嫌だ、嫌だ……」
あぁ……でも、石の力が消えたら同時に、俺の力をセーブする力も消える。
魅了の力を全て解放することができる。
解放して……気持ちを落ち着けて、コントロールさえできれば……。
「うわぁ!」
横から伸びて来た手を弾き飛ばして、捕まえようとする魔物に威圧で動きを止め、腕をかいくぐり、わずかな隙間から逃げる。
今の俺に出来ることは、相手の動きを鈍くさせるぐらいだ。
力を解放していない状態では、意のまま操ることまではできない。
石の魔力が切れて力が解放出来たとしても、正しくコントロールできなければ意味がない。
むしろ俺の魅了にあてられて、興奮した魔物は暴走してしまう。
二年前の郊外の森で、野犬のような姿の赤黒い魔物に襲われた時のように。
あの時はザックとマークが俺を守ってくれた。
今は――。
「来るな!」
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。
俺はこの二年、ヴァンからコントロールを学んで来た。どんなに巨大で狂暴な魔物でも、従えさせることができた。
自分一人でも戦えるはずだ。
それなのに。
怖い。
俺は……。
「ヴァアン!」
俺は……魅了の力をコントロールできるようになったと思っていた。けれどそれは、いつも側でヴァンが見守ってくれていたからだ。
どんなことがあっても守ってもらえると、そう安心できたから。
だから俺は気持ちを落ち着けて、自分の力を使いこなすことができた。
守る者もいない、敵だらけの中で力を発揮していたわけじゃない。
そんなことも理解しないで……俺は、一人で戦える気になっていた。
思い上がっていた。
次から次へと伸びて来る魔物を手をかいくぐっても、徐々に逃げ道が無くなる。
最後まであきらめたくない。
そう思うのに追い詰められ、パニックからまともに思考できなくなっていく。いっそ気を失えれば楽なのかもしれないが、そうなった後に何が起こるのか……。
「――っあ!」
視界の端に大きな魔物の姿が映った。
二重、三重に並ぶ鋭い歯。青黒い角と獣に似た顔。眼光は鋭い光を放っていて、一目でものすごい魔力を持った相手だと分かった。
その圧倒的な気配に思わず身体を引いた……が、遅かった。
「あぁああっ!」
鋭い、黒い爪を持った大きな手で、左の手首を捕まえられる。
その力の強さに俺は悲鳴を上げた。
「離せ! 離せぇええ!!」
めちゃくちゃに暴れる。
叩いても蹴り上げてもびくともしない力に、全身から冷たい汗が噴き出した。捕まるわけにはいかない。
逃げないと。逃げないと。
「離せぇえ! ヴァン、ヴァアン!」
ヴァンは国を守る大切な儀式をしている。それが終わったとしても、重度の魔法酔いで動けない。呼んでも来ないことは分かっている。
分かっていても、呼んでしまう。
「嫌だ! ヴァン!」
右手で捕まえる腕を必死で叩く。
その右手首も捕らえられて俺の両手首は自由を失った。はめられたままの、分厚い革の手錠についた鎖がチャリチャリと音を立てる。
「ヴァァアン!」
ヴァンのところに帰りたい。
ヴァン以外の者に渡したくない。
俺は……俺の全部は、ヴァンのものだ。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ! ヴァン!」
敵わないと分かっていても、力いっぱい抵抗する。
暴れてもがいて。
それでも俺の両腕を掴む手は緩まない。
俺の力では、敵わない……。
「いやだぁ……」
以前、話したことがある。
……俺、親に頼ったことが、一度も無いんだ……と。
物心つく前のことは分からない。
けれど記憶する限り、自分から誰かに言った記憶のない、言葉……。
それを……喉の奥から、絞り出す。
「たすけて……」
ぶぁあ、と目の奥が熱くなった。
ずっと心の中では何度も叫んでいた。
以前誘拐された時も、自分の中にある訳の分からない力に気づいた時も。けれど、助けを求めて振り払われたらと思うと、怖くて出来なかった。
人に迷惑をかけないで生きるのが当たり前で。
ひとのやさしさを受け取ることも、求めることも、うまくできない。
でも……。
「……助けて」
怖いんだ。
何度も何度も強くなろうと思った。強くなった気でいたけれど、やっぱり俺は弱い。怖い。
「助けて……助けて、ヴァン……」
ヴァンのそばを離れるのは嫌だと泣いた。
俺に優しくしてくれた人たちを、傷つけるのは嫌だと泣いた。
今、自分一人の力では逃げられなくて、声は届かないと分かっていても溢れてくるもの止められない。
「嫌だ……ヴァン、怖い、助けて……」
引きはがそうとする力が入らなくなっていく。
それでも嫌だと、助けてと身体をひねって暴れる。不意に……ずっと黙って見下ろしていた魔物の頭が近づいてきた。俺は顔を背けて目をつむる。
喰われるか。
それともこのまま、身体を引きちぎるのか。
「たす、け、て……」
浅く早い呼吸で身体を固くする。
「ヴァ、ン……」
呼吸を。
何度も肩で呼吸を繰り返しているなかで、ふと……鼻をかすめた匂いに俺は目を開いた。
取り囲むのは魔物ばかりだ。
……まさか。
でも、今のは……間違いない。
「……ヴァンの、匂いが……する……」
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