【本編完結】異世界の結界術師はたいせつな人を守りたい

鳴海カイリ

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第5章 この腕に帰るまで

171 解呪

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 瞬間。
 ぶぁぁああ……と足元から風が巻き起こった。

 俺の身体を包む、目に見えない力が掻き消えていく。視覚と聴覚、肌で感じる触覚すら惑わし真実を分からなくさせていた呪いが、ちりとなって吹き飛ばされる。
 俺は……思わず、固く目を閉じた。
 正しい解呪だったのか、誤りだったのか。
 分からない。
 それでもこの魂が震える感覚は、きっと間違いない。

 呪いが解ける……という、今までに体験したことの無い、解放の感覚がゆっくりと消えていくと、俺は静かに瞼を開いた。

 天井が崩れ、挿し込む光が辺りを照らしている。

 俺の目の前にいるのは……異形の魔物、ではない。魔法石を縫い付けた丈の長いローブを身にまとった、骨格のしっかりとした体格の……人。

「……ぁ」

 見上げると、俺の顔を真っ直ぐに見つめていた。

 血のにじんだ明るい肌色にクリームイエローの髪。
 初夏の森を思わせる鮮やかな緑の瞳は、今にも泣き出しそうに潤んで。彫りの深い……というほどではないけれど、明らかに日本人とは違う顔立ちのその人は、言葉を発しようとして声を飲み込んだ。

 怯えていた俺を……怖がらせないようにするように……。


「……ヴァ、ン……」


 もう一度手を伸ばし、今度は背中に腕を回した。
 俺なんかがしがみついてもビクともしないはずの肩が、わずかに揺れる。そのまま胸に頬をつけて、回した腕に力を込めた。

「ヴァン……だ……」
「リク」

 瞬間、全身にぞわりと甘い痺れが走った。

 ずっとこの声を求めていた。
 奴の手には堕ちないと、抵抗して。
 リクと、俺の名前を呼んでもらうんだと堪えて、怖くても、苦しくても負けないと……そう自分をふるい立たせてここまで逃げて来た。

 逃げ切ることが、できたんだ。

「……リク」

 鼓膜を撫でる優しい声、温もり、そして……確かなヴァンの匂いに包まれて、俺の瞼から熱いものがこみ上げ、溢れ落ちていく。

「ひ……ぅ、ヴァンだ、ヴァン……ヴァン、ヴァァアン……」
「リク、無事に……取り戻した」

 俺を受け止めた腕が、きゅぅぅうっ、と強く、抱きしめ返した。
 苦しいほどの力が嬉しい。
 大きな胸の中にすっぽりと包まれて、俺は、額を頬を押し付ける。耳元で、声をしぼり出すようにしてヴァンが囁く。

「僕の……リク……」
「ヴァンのだよ。誰にも……大切な場所は触らせなかった」
「……うん」

 肩腕で背中を抱きしめたまま、大きくてあたたかい手が俺の頭を撫でる。
 周囲から歓声が上がる。その声も人のものだ。

「辛かっただろう……」

 泣きそうなヴァンの声に顔を上げた。
 視線が、合うと同時に唇を重ねる。柔らかな……人の、魔物なんかじゃない、人のぬくもりと柔らかな感触に、俺はもう一度安堵あんどする。

「首の……魔法石が、守ってくれた。離れていてもヴァンが守ってくれたんだ」

 ヴァンの指が頬の涙を拭う。
 その嬉しさに、また熱い涙が溢れた。

「本物だ……幻覚じゃ、ない……本物のヴァンだ」
「そう、本物だよ。リクを苦しめた呪いは消えた」
「……うん」

 何も説明しなくても、俺がストルアンの呪いにかけられていたのだと、ヴァンは気付いてくれていた。だから俺の腕を掴んだまま何もしないで、ただ離さずにいてくれたんだ。

「帰ろう……」

 ヴァンが囁く。

「こんな酷い場所からは出よう。リクを苦しめるような場所など、もうこれ以上いなくてもいい。僕たちの一番安心できる場所に帰ろう、リク」

 そう言って、もう一度俺を抱きしめた。
 帰りたい。
 何もかも……不安も恐怖も忘れて、あの優しい人たちがいる街の家に帰りたい。

 ――でも。

 俺はヴァンの腕の中で大きく深呼吸をした。

 顔を上げて周囲を見渡す。
 そこには、歓声を上げる人と固唾かたずを飲んで見守っていた顔があった。
 ルーファス王子と騎士ナジーム。巨大な戦斧バットルアックスを肩に担いだゲイブ。たくさんの騎士の人たち。そして俺とヴァンの傍らに片膝をついて顔を上げ、唇を噛みしめていた黒衣の兵士――ザック。

 膝の横に置いたボロボロの剣は見覚えがある。
 両腕が触手になった、醜い魔物に飛びかかっていって魔物が持っていたものだ。呪いのせいで気づけなかったけれど、カタミミと一緒になって戦っていた、あの黒い魔物はザックだったんだ。
 だから俺がてきとうに、目についた通路に逃げ込もうとした時には遮った。
 ちゃんと帰りつけるように、ヴァンが居る場所まで導いてくれた。あの時点で俺はもう、助けられていたんだ……。

 一歩離れてヴァンを見上げる。
 髪にこびりついた血はヴァンのものだろうか、それとも返り血だろうか。
 傷の具合は分からないけれど、ここまでたどり着く中で、ヴァンも無傷では無かったのだろう。その証拠に魔法石を縫い付けたローブの所々が、魔物の爪に引き裂かれたように切れている。
 第一、ヴァンは酷い魔法酔いになっているはずだ。
 無理を押してここに来ている。

 そう分かっていても、俺はこの思いを自分の中に留めて置くことが出来なかった。

「ヴァン、俺、帰らない」
「リク?」
「俺……ストルアンが、許せない」

 一度口に出した途端に、怒りが胸の奥からふつふつと湧き上がって来た。
 両手を固く握って、ヴァンに、そして周囲の人たちに声を上げる。

「ストルアンは俺の魅了の力を使って、この国を亡ぼすつもりだったんだ」
「リク……それは真実まことか?」

 声を上げたのはルーファス王子だった。
 頷く俺に、周囲を取り囲む騎士たちがざわめき出す。奴をこのままにはしておけない。


「絶対、許せない。俺……ストルアンをやっつけたい!」





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