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私は真実を知らなかった
しおりを挟むエヴァン様との出来事と言葉は、雷に打たれたかのように衝撃だった。
何度か契約の詳細についてモーガンにたずねたことはある。けれどその度に誤魔化され、不機嫌になられ、私はいつしか追求することをやめてしまった。
身よりもない身分なんてものも無い私が、伯爵令息のモーガンに口答えすることすら許されない。
そんなふうに思い、諦めてしまっていた。
命を失うほどの状況に追い詰められてもなお、彼の言葉を疑っていなかったのは、愚かでしかない。
エヴァン様は私のせいではないと仰ってくださったけれど、やはり、私の至らなさもあってのことだと思う。
ただ……反省はこれからいくらでもできる。
今、私が考えなければならないのはこれからのこと。真実をお伝えくださって、なおかつ、今のままでいいのかと私は自問する。分からないこと、疑問に思うことがあるのなら、これからは友人たちや団長、何よりエヴァン様にお尋ねすることができる。
これから先は、知らなかったでは済まされない。
「エヴァン様……」
がっしりとした体の騎士に支えられ立ち上がった私は、まだふらつきながらも優しい瞳の人を見上げた。
私を救うために、これほど手を汚してくださった。その恩義は一生かかっても返せないくらいだ。それなのに更に「お護りしたい」とまで言ってくださった。
この言葉を、私はそのまま受け取っていいのかと戸惑っている。
「私は……」
「護らせてください」
真っすぐ見つめ返す騎士の囁き声が心に響く。
騎士が胸に手を当て名乗り告げた言葉だ。嘘をついているのでもなく、その場限りの言葉でもないのだと信ずるに値する。
だからこそ戸惑う、この私に対してそんな言葉をいっていいのかと。
「……私は、あなた様のような素晴らしい方に守られるほど、価値のあるものでは――」
「価値のあるなしではありません」
言いかける言葉をかき消すように、エヴァン様は言う。
「私が、護りたいのです」
そう言って、私の背に腕を回しそっと抱きしめる。
「……私が、あなたを護りたいのです」
「私は……」
「大切にしたい」
夜の森を思い出す。
心も体もボロボロで、ただ助けを求めていた。
ただ抱きしめてほしいと願う私をそのまま包み込んでくれた。
あの時の同じように、エヴァン様は私を優しく抱きしめる。
「私がそばにいます」
疲れも痛みも、心の重しすらとかすようにただぬくもりだけが伝わってくる。
頭では契約した相手のいる身なのだと、警告する言葉がある。けれど、体の全てが彼だと訴えている。
私の、本当の翼はエヴァン様なのだと。
「エヴァン様、私は……願っていいのでしょうか?」
そっと抱きしめる腕をほどいて、見上げる私にエヴァン様は優しく頷き返す。
「願ってください。まずは国王陛下にお伝えしてゆっくりと体を治し、そして……身も心も万全になった時に選んでいただきたい。この私を……」
「エヴァン様……」
真実を告げられたばかりで、まだ私の心が戸惑っている。そのことすら理解してくださり、性急に答えを求めようとはしない。ゆっくりと私に考える時間を与えてくださっている。
そんな姿にも、彼の心の大きさを見てしまう。
私はゆっくりと頷き返した。
「ありがとうございます」
私の心は、すでにエヴァン様なのだと言っている。
けれど現実問題として、エヴァン様は国王陛下の妹君を母に持つ、位高き公爵令息だ。モーガンですら比較にならないほど高貴なお方。エヴァン様が望まれたからよし、というわけにはいかない。
その程度のことはわきまえている。
迷宮の向こう側で声がする。
皆が、私たちを心配して待っている。応急処置が済んだのなら、いつまでもこの場所で立ち話をしているわけにもいかない。
同じように仲間たちの声に気づいたのか、エヴァン様は私の手を取り肩を支えるようにして言った。
「皆のところに戻りましょう」
「はい」
まだ少し体に力は入らなくて、足元はふらついている。
迷宮を出たなら直ぐに神殿に向かい、本格的に解毒と治癒を行わなければ。それも一度で終わらないだろうと予想している。自分でも中毒になっている自覚はあるのだから。
そう思いつつ皆の元に向かっていたところで、様子が変なことに気が付いた。
リオンやダニエル様……アリスターやベン、バーナビーことビービーたちに混ざって、聞き覚えのある声。……これは、まさか……モーガンか。
私を支えるエヴァン様の手に力がこもる。
怒気をはらんだ気配で呟く。
「今更戻って何をするつもりだ」
「エヴァン様」
「やつの言葉に惑わされないで」
小さく「はい」と頷いた。
エヴァン様に伴われ姿を現した私を見て、モーガンは直ぐに顔色を変えた。
周囲が止めようとするのもかまわずに私の方へ駆け寄り、腕を掴もうとする。その瞬間、割って入ったエヴァン様はモーガンの襟首をつかみ上げ、迷宮の壁にたたきつけた。
思いがけない行動に声を漏らす。
「ぐぅぅ……!」
「貴様、騎士でありながらなぜ片翼を置き捨てた!」
思わず止めようとするアリスターを、ダニエル様が制止する。
モーガンは呻きながら、「離せ……」ともがくも歯が立たない。エヴァン様の怒りを目の当たりにして、私は動くこともできないでいる。
「騎士にとって片翼の魔法師は、命に代えても守らねばならない存在。貴様に、セシル殿の片翼を名乗る資格は無い!」
「離せ、あれは俺の、もの……だ」
「まだ言うか!」
呆然と立ち尽くしていた私は、ハッと我に返り駆け寄った。
モーガンには私の口からハッキリ言わなければならない。
私はあなたの所有物――奴隷などではなく、心ある人間なのだと。そして真実を隠し欺いてきたことの是非。私の今の気持ちを。
「エヴァン様、お離しください。私が話します」
「……セシル殿」
まだ怒りの収まらないエヴァン様は、私の言葉に締め付ける腕を解き一歩下がった。
喉元を絞められていたモーガンは軽く咳き込んでから大きく息を吸い、顔を上げる。その表情は私を置き捨てたことに対する自責の念では無く、怒りのにじんだものだった。
そして私が言葉をかける前に、低く押し殺した声で問う。
「セシル、これは一体どういうことだ」
自分の行いを反省するよりも、罵られたことに対する憤りが先に来る。
幼い頃から伯爵令息として何でも思い通りになって育ってきた、彼の性格ゆえの言動だ。私は軽く首を横に振り、息をついた。
「私は対の翼の契約に関する、真実を知りました」
「そんなもの、お前は知らなくていいことだ」
「いえ」
「知らなくていいんだよ!」
私の腕を掴み怒鳴り返す。
と、同時に彼は懐から小さな魔法道具を取り出した。それは迷宮に入る者なら誰もが知っている、緊急脱出の転移装置だ。
まさか……と、思い彼の腕を振り払う間もなく、私はモーガンと共に強制転移させられた。
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