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秘密の話
しおりを挟むまだ朝と呼べる時間でも、すっかり目覚めた街は行きかう人で賑わっていた。
良く晴れた春の終わり。花咲く季節に人々の表情は明るい。
露店の先で朝食を頬張る若者に、元気な声をかける婦人。白髪交じりのおじさんは開店準備に動き回り、木材を担いだ逞しい体つきの男たちが通りを行く。山ほどの織物を抱えたおばさんの姿もある。
王都では平民も学べる学校があるという。揃いの服を着た少女たちが大きな鞄を手に、笑いながら私たちの横を駆けていった。
私を乗せた馬は、ゆっくりと散歩するような足並みで進んでいた。
両手で手綱を握るダニエル様もご機嫌だ。エヴァン様のように、片手でずっと私の体を抱えるかと思っていたけれど、その様子は無い。
ダニエル様がのんきなのか、エヴァン様が心配性か、そのどちらかだろう。
かけらけた話も世間話ばかりだった。
拾われ育った村での暮らしから始まり、あの辺りは貴重な薬草が取れるから、兄上たちと一緒によく薬師の護衛に付いていったという話。魔物討伐の話や騎士団でのバカな失敗談まで。
モーガンのお屋敷のあるイングリス領にも足を運んだことがあるという。狩りで一番大きな牡鹿を捕らえたと、笑いながら話してくださる。
一体……どんな話をすることになるのだろうと緊張していたけれど、今のところ秘密にしなければならないような話題は無い。彼がそう言って誘うことで、遠慮する私を断りにくくする方便だったのかもしれない。
会話はいつしか、王都での話題に移っていた。
「じゃあ、騎士団の寮を出ようと言ったのは片翼の騎士の提案か」
「ええ……その方がいろいろ都合が良いようでしたので」
さすがに遊んだり飲みに行く下町の店に近いから、とは言えず言葉を濁す。
ダニエル様は特に追求することなく話を続けている。
「それなら、今住んでるところは持ち家なのか?」
「借り住まいです」
「王都は家賃も高いだろ」
「通りの、王城に近い区画は良い値段ですが、通りを外れればさほどではありません。古い集合住宅で間取りも多くなければ、庶民が暮らせる場所はたくさんあります」
小さなキッチンと狭いバスルーム。寝室は無く、一つの部屋にベッドと小さな食卓テーブル、窓辺に机と椅子が一つ置けるだけの広さだけれど特別困ってはいない。
どうせ夜は抱かれることになるのだから、ベッドは二つも要らない。更に本を読み書きできる机があるだけ十分と言える。それなのにダニエル様は息をのむようにして黙ってしまった。
「まだ王都に来たばかりの新人ですから、贅沢は必要ないのです」
「まぁ……贅沢をする必要はないけどさ」
公爵様のお屋敷と比べたら、私たちの暮らしている部屋はきっと家畜小屋より狭いだろう。あまりの落差に言葉を失うのも分かる。
「伯爵家のモーガン様はご不便を我慢して、私の身分の合わせているのでしょう」
「いや、そうじゃくてさ……」
「何か?」
「下町は危険だろう?」
馬は通りを抜け、寂れた下町の方に向かっていた。
おそらくダニエル様はこのような下級市民の暮らす区画に、足を踏み入れることなど無いのだろう。私は背中の騎士に振り向いて言った。
「危険なようでしたら、どうぞここで降ろしてください。家まではそう遠くありませんのであとは歩いて帰れます。ここまで送ってくださり、ありがとうございます」
「いやいやいや、建物の前……いや部屋の前まで送らせていただくよ。騎士団の魔法師を一人で歩かせるなどできない」
「私は……いつも一人で歩いていますよ?」
不思議なことを言う。
よほど下町を危険と思っているのだろうか。
「ご心配には及びません。ここは王都、頑強な城壁に囲まれた内側です。魔物など出ません」
「魔物は出ないが、もっと危険な奴はうろついているだろう?」
「もっと危険、ですか? 魔物より危険なものがいるとは思えませんが」
「ニンゲンは時に、魔物より厄介な相手となる」
人が魔物より厄介とはどういう意味だろう。
酔っ払いなど、乱暴になった人のことを言っているのだろうか。
「大丈夫です。人でしたら話も通じますし、私は逃げ足も速いので」
「セシル殿、あなたは田舎の出て世間をあまり知らないようだが、騎士団の魔法師ともなればかどわかし、誘拐しようとする者もいるのですよ」
「なぜです? 妙齢の婦人や娘でもあるまいし」
私のような者を誘拐したところで、なんの得があるというのだろう。
ダニエル様は小さくため息をついてから続けた。
「魔法を使えるというだけで盗賊共には価値がでるのです。騎士団に所属する魔法師ともなれば、地方の自衛団程度、一人で殲滅することもできる。嘘を吹き込まれたり、呪いで操られて利用されたならどんなことになるか。それだけでなく、異国に売られるということも。力のある魔法師は……貴重ですから」
ダニエル様の言葉で、私はハッとした。
世の中の人すべてが善人ではないと知っていたはずなのに。王都は豊かで平和で、誰もが優しく穏やかだったから、そのような警戒心がすっかり消え失せていた。
エヴァン様が供をつけずに歩く私を、ひどく心配していたはずだ。
前を向いて私はうつむいた。
「気を付けます」
「そうしてください」
馬の足を進めながら、ダニエル様が答える。
声もそっくりで、私はエヴァン様に叱られたような気持ちになった。
「それにしても、このような場所に居を構えるなど、片翼の騎士は何を考えているのか」
「……モーガン様も地方の出なので、そのあたりの事情にうといのかと思います」
「仮にも貴族なら、その程度の知識は持っていていただきたい」
どうも話の矛先が良くない方に向きそうだ。
「セシル殿、事情はあるのでしょうが、早いうちに王城近くの治安のいい場所に移り住むか、騎士団の寮に戻られるのが良いでしょう」
「そう……ですね……」
「片翼の騎士にもそう進言してください」
私からモーガンに言えるはずもない。
けれどこの場では、ダニエル様の言葉にうなずくしかなかった。
アパートの前まで来ても別れようともせず、ダニエル様は馬を降りて、本当に部屋の前まで送ってくださった。
ドアの向こうは静かで物音はしない。モーガンは寝ているか、もしかするとまだ戻っていないのかもしれない。だとすればいいのだけれど……。
再度お礼を言って、私は部屋へと入った。
■
セシルを部屋の前まで送り、アパートの前に置いていた馬に戻った俺は、その背に乗っていた青年を見上げた。
白っぽい金髪に赤い瞳。整った目鼻立ち。肝の据わった笑みは下手に手を出せば大怪我をしそうなほど勝気で、俺より五歳は若く見えるが同い年だ。
俺は馬上の青年の背中の側にひらりと乗り、馬の足を進めた。
青年が俺に寄りかかってぼやく。
「もぅ、ボク以外の子と一緒に乗らないでよね」
「なんだよ、ヤキモチか? 可愛いな俺の片翼は」
「ヤキモチなんかじゃないもん。まったく、こんなところに馬を置いて、捕られたらどーするのさ」
「お前が見張っていてくれると気づいていたからな」
後ろから抱きしめて首筋にキスをする。
ふふ、と笑う声を漏らしてから、青年は呟いた。
「セシルだっけ? あの子、微かに媚薬の匂いがしたね」
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