魔界小噺(仮)

ありす

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本屋と傾城

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私、ビブロは花街で書店を営んでいる。
 
  なにも好き好んで花街の中に書店を出したのではない。新女王の魔界改革とやらで、魔界中のそういった見世が何箇所かにまとめられ、私の店の建つ島もそのひとつとなっただけなのだ。
  海で大陸と隔絶されたこの島は、都会の喧騒を嫌う私にとって最高の立地と思われたが、どうも違ったようだ。この地はいまや朝夕となく行き交う者で溢れている。しかしながら、おかげで客商売が得意とは言えない私でも、それなりに経営が成り立っているというのは皮肉なことだ。
   不得手と言っても決して客商売が嫌いな訳では無い。相手を睨むような目付きは生まれつきであるし、口数が少ないのもこの世に数多ある言葉を厳選して紡いでいるからだ。まわりからは「偏屈」であるとか「物事に無関心」と言われるが、全くの誤解。むしろ私は博愛主義者だ。

  現に今だって、店の棚を熱心に物色している青年に関心の目を向けている。初めて見る顔だが大層美しい青年だ。服装などから察するに、おそらくこの島で働く男娼だろう。器量は申し分ないが、無造作に束ねただけの髪や何も塗っていない爪を見るところ、まだまだ一流とは言い難い。
  「なぁ」
  こちらの視線に気づいたのか、青年が振り向いた。腕には数冊のビジネス書が抱かれている。彼はカウンターまで来ると、私の目の前にドサッと本を置いた。行儀もまだまだだ。
「この店にあるビジネス書はこれだけ?」
青年が訊ねる。どれも、いつ入荷したのか覚えていない古い本だ。ここでの売れ筋はほとんどファッション系雑誌なので、こういった書籍はほとんど動かない。
 「…取り寄せも出来るよ」私は本と青年とを交互に見て言った。「そりゃ助かる」青年が言う。「だが」と、私は続けた。
 「こんなものを買ってどうする?」
「どう…って」青年はキョトンとした顔で私を見つめ、そして微笑んだ。長い睫毛と泣きボクロが色っぽい。
「商売を始めるのさ。ここを出てからね」
  私はため息をついた。「悪いことは言わない、諦めな」
若者の夢をへし折るのは趣味ではないが、現実を教えるのも年長者としての務めだ。「どうして?」青年は微笑んだまま尋ねる。
「君がどういった事情でここへ来たかは知らんが、ここから出られるキャストはほとんどいない。運良く身請けされても自由の身とは程遠い。外でビジネスを興そうなんて無理だ」
誰かと話すのは久しぶりだ。そう、私は元来話好きなのだ。だが、それは話題にもよる。これは決して楽しい話題ではない。私は視線を青年から外して続けた。
「いくつかさえ目を瞑ればここはいいところだ。外に出ようなんて思いなさん……っ!!」
  ふいに青年が両手で私の顔を包み込んだ。彼の顔の真正面に私の顔が固定される。青年はじーっと私の顔を見つめながら言った。「あんた、目は耄碌(もうろく)してる?」
「失礼だな!してるものか」彼の力が強かったのか、久しぶりに肌に触れられた動揺か、私は抵抗らしい抵抗もしなかった。
「そう」青年はグイと顔を近づけた。
「なら、覚えておくといい」くちづけるような距離に迫った美貌に私は思わず息を飲んだ。
「これが、ここから成り上がって魔王に上り詰める男の顔だよ」
  そう言って妖しく微笑んだ男の顔は、ゾッとするほど美しかった。
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