はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で

アイザッカ

文字の大きさ
48 / 89
この手を伸ばす先:ティレアヌス

曖昧な名前

しおりを挟む
 今日はなんとなく気分が良かった。
 明美は屋敷を歩き回って見ることにした。まだ目眩は残っているけど、もう階段を上り下り出来る。
 動き回りたい気分だったから青地に花柄のプリント生地のドレスにした。髪はゆる三つ編みを捻って纏めた。後毛も作っちゃった!
 チェックのため鏡を見た時、おでこが広いのが気に入らなかった。子どもっぽく見えたから。ただでさえ童顔なのに子どもっぽく見えるのは嫌だなぁ。前髪を作ってみようかな?
 ピンを一本残らず引っこ抜いてせっかく結い上げた髪を下ろした。裁縫箱からハサミを取り出した。自分の髪なんて切ったこともないから勝手が分からないけど、人差し指の長さくらいの幅を取った。
 背後に人の気配を感じた。


「其方は一体何をしているのだ?」

 よく通る低い声。くるりと振り返るとハイド伯爵だった。髪を撫でつけてハサミを化粧台に置いてからお辞儀をした。

「閣下、ご無沙汰しております」
「何をしているのだ? 」

 閣下はハラリと落ちた私の髪を撫でた。手が大きい。

「髪を切るつもりだったのか?」
「いいえ、前髪だけです。額の広さが気になったので」
「毛量が減ったのではなく、生まれつきのものだろう? 気にする必要はないであろう」
「顔が幼く見えるので嫌です。ただでさえ小柄なのに」
「私は可愛いらしい体型だと思っているのだが?」

 身長が低いから可愛く見えるのは知ってる。けれど……。私は髪を耳にかけながら、閣下の顔を見た。

「それは、庇護欲が駆り立てられるからですか?」

 思いの外低い声が出た。思わず次の言葉を呑み込み、唇を噛みしめた。閣下は怪訝そうに屈み私の顔を見た。私は意を決してキッと顔を上げた。

「私は嫌です。今だって閣下が屈んで下さらないと目が合わなかった」

 閣下が驚いたように目を見開き、私の目尻を指で拭った。必死に涙を堪えようとしたけど、視界がぼやけて来た。私はカッと目を大きく開いた。

「いつだって閣下が何かしてくださらないと私は目を合わせることすら叶わないのに。閣下が来てくださらないと、話しかけてくださらないと、庇護下に置いてくださらないと……」
「エリザベス、機嫌が悪いのか?」
「いいえ。さっきまで機嫌は良かったです」

 閣下が私の顎を持ち上げ、目を合わせようとした。当然のように私の顎を持ち上げた。私は「やめて」と乱暴に手と顔を振って閣下の手を離させた。私は顔をそむけ、視線を足元に落とした。

「一体どうしたと言うのだ、エリザベス」

 閣下は私の髪を一房取った。心がぶるりと震えた後、しんとなっていく。首を左に傾げた。
 
「閣下。閣下は私の名前を覚えていらっしゃいますか?」

 閣下は不思議そうに眉を顰めた。

「エリザベスであろう?」
「私の本名は?」

 私の髪がハラリと閣下の震えた手から離れた。そして考えるように目を細めた。頬が引き攣りかけているのを感じながら私は笑った。

「私は明美です、明美・エアリー。エリザベスはただのミドルネームです、曾祖母由来の名前でした」

 今はエリザベス・ライムンダ・ルツ・ジュダ・ド・ボーヴァー=ハイドと名乗っている。
 なんでこんなに変わったんだろう。なんでこんなに遠くまで来てしまったんだろう。ただの明美・エアリーだった頃は各国を転々を回されていた14歳の女の子だった。でも今はよく分からないまま長い名前を名乗る18歳だ。分かっている、そうじゃないと命が危ないって。だけど……。

「いつ、私はただの明美・エアリーに戻れるのですか?」


 *

「いつ、私はただの明美・エアリーに戻れるのですか?」

 ヨハネスは怒りを収めようと息を吐いた。驚き、動揺は越えた。
 この娘が一体何を言っているのだろうか。いつかまた本名を名乗りたい、という意味だろうか。それともこの国を出たい、と言うことだろうか。
 私は膝を伸ばしいつもの高さから彼女を見据えた。距離を詰めるため一歩踏み出すと、エリザベスは俯き一歩退いた。彼女は鏡台にぶつかった。

「私は閣下のお側にいれば良いのですか? それとも離れた場で庇護を受けていれば良いのですか?」

 彼女はこちらを睨み首を傾げた。微かに黃が混ざる蒼灰の瞳がこちらをぎろりと睨んだ。

「なぜ、私には何も教えて下さらないのですか? 閣下。私がヴィンス7世の子孫と名乗ってしまったから? あなたより年下だから? それとも……」

 彼女の唇が震えた。彼女の瞳から怒りが見え隠れしている。とめどなく涙がこぼれている。涙を拭ってやろうと彼女の顔に手を伸ばした。勢いよく彼女の拳に振り払われた。痛い。彼女は顔を真っ赤にしている。

「触らないで! 私に触らないで!」

 更に後退りしようと彼女は目線をこちらに向けたまま鏡台の縁をまさぐった。行場を求めた手は壁に触れた、彼女は壁にピタリとくっついた。ずるずると部屋の隅にしゃがみ込んだ。

「私は閣下の何なのですか?」
「妻だろう?」
「本当にそうお思いですか?」

 悋気だろうか?

「結婚しただろう?」

 彼女は顔を膝と両腕に埋めてしまった。手を伸ばそうとすると彼女が頭を振った。

「来ないで」

 彼女が作った間合いのまま彼女を見守ることとした。ひとしきり泣かせておくために。
 彼女の小刻みに揺れている。やがて髪が一房、肩から滑り落ちた。鳥が鳴いた。時計を見ると11時だった。そう言えば彼女はまだ朝食を終えていなかったな。彼女が落ち着いたらサンドイッチでも良いから、何かを食べさせないとまた風邪をひきかねない。
 外で控えている者に言伝を頼もうと立ち上がった。彼女が鼻をすすった。

「ごめんなさい、せっかく来てくださったのに。ちょっと調子が悪いみたいです」
「まったくだ」

 私は着ていた上着を脱ぎ、彼女に掛けてやってから、部屋を出た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

処理中です...