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この手を伸ばす先:ティレアヌス
閑話 月光に輝く修道院の屋根
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汽車が動き出すと、マカレナは一礼してそのまま歩き出した。さきほどハイド伯爵に言われたことを頭の中で反芻し、マカレナは拳を突き上げ飛び跳ねた。
視線は感じる。けれど気にしない! 外聞に障りがあるとしても気にしないわ!
「どこ行こっかな~」
ハイド伯爵はおっしゃった。「3日は自由に過ごしていい」と。
持つべきは家長より地位の高い婚約者ね! きっと今顔中がニヤけているわ! いいえ、きっと全身が。そうでなければ小躍りが止まるわ!
「3日で行って帰ってこられる距離かつなるべく遠くへ」の切符を買った。どこに行く切符なのか。切符には17番線と書かれている、それだけで十分。
人混みをかき分け広々とした駅を走り抜ける。春になった今、コートなんて着ても着なくてもいい。正解なんてない。なら私は着ないことを選ぶ! そうすれば走るのを妨げるのはスカートの裾だけ! 俊足なのか鈍足なのかなんて知らない! けれど全力を駆けて走る。ここ半年、私はずっとアウリスの宮廷にいたの!
全速で走っているうちに呼吸が苦しくなってきた。見える世界が霞んで壁に囲まれたみたい。よろよろと柱に手をついて息を整えた。コルセットを外したい、息が詰まりそう。
顔を上げ、人々の流れを見た。あの人たちはどこへ行くのかしら? どこへ帰るかしら? 私が買った切符はどこへ向かうためのものなのかしら?
ヨハネス様はヴァロワールとの通訳官をなさっているから、他の貴族のもとに嫁ぐよりは外国と関われるでしょう。けれどこうやって自由に旅行に行くのは難しくなるでしょうね。ハイド家のための行動を第一としなくてはならないんだから。ぐぐと眉間に皺が寄る。
「ローレンス嬢ですか?」
急に声をかけられ振り向くとパース子爵が立っていた。思わず顔が引き攣った。けれど私は男爵家出身、彼は子爵様。彼の方が上。
「ご無沙汰しております。パース子爵」
「汽車に酔っておられたのですか?」
息を整えていただけなのに傍から見たらそう見えたのか。
「いいえ、馬車に酔っただけです。では私はこれにて。汽車の時間がありますので」とエリザベス様のように微笑みながら踵を返そうとした。するとパース子爵に手首を掴まれた。
「何時の汽車ですか?」
「切符を確認したいので手を離してください」
パース子爵はパッと手を離した。軽く彼を睨みながらポケットに入れていた切符を確認した。
「13時20分です」
「50分後ですね。それではお茶でもいかがですか?」と彼は熱っぽくひたむきに私を見ている。
彼の視線にドギマギしてしまう、頬が火照る。恋物語に出てきた表現みたい。恋物語みたい……そうだ!
「お茶だけなら、いいですよ」
私の言葉に彼はパーと輝くような笑みを見せた。いそいそとカフェに連れて行ってくれた。さすがの私でも分かる。この人は私に特別な感情を抱いている。そうでなければほとんど面識のない人を後ろ姿だけで判別できない、声をかけようとも思わない、口説いてまでお茶に誘わない。
私はちらっと彼を見た。楽しそうにコーヒーとお茶を注文している。彼が私に抱くもの、それが恋なのかはわからないけれど私が知らない感情。なら私だって知りたい。
「パース子爵はどのようなご用向きで駅にいらっしゃったのですか?」
「用がありティレアヌスへ行っていたのですよ」
そう言えばパース子爵はティレアヌス王国があったころの貴族の子孫だったね。パース子爵は私の顔を見ては目を逸らしている。
「ローレンス嬢はどのようなご用向きで? 婚約したため文官は辞めたと伺いましたが」
「ただの旅行ですわ」
「そのためにカリオスまで? あそこにはヴァロワール共和国の大使館があるのですが」
「なぜカリオスまでだと?」と不思議に思った私は片眉を上げた。
「1日の便数が少ない上に、1時20分に出るのはカリオス行きまでだけですから」
なるほど。じゃあ私は大使館のある街に行くのか、私。前行った時は用事だけ済ませて帰ったから、今回は遊んじゃおうかな。
「ただの観光です」
「あそこは港街であること以外は見るに値しない街ですよ」
「知っています。だから行ってみたいのです。私は港街が大好きなので。ほら、物珍しい物で溢れているでしょう?」
パース子爵はハラリと落ちた前髪を直した。そしてまじまじと逸らさず私を見つめた。
「ローレンス嬢」
そう呼んだきり言葉が途絶えた。なんと言えば良いのか、言葉が溢れて溢れて何も言えないようだった。私は時計を見た。パース子爵もつられたように時計を見た。
「そろそろあなたが汽車に乗る時間ですね」
「ええ。楽しい時間はあっという間ですわ」
支払いを済ませたパース子爵が紙切れを渡した。
「手紙を、送っていただけますか? またあなたとお話したいので」
「はい! 何通でも送りますわ」
よっし! 恋っていう感情を知ることが出来るかな!
1日汽車に乗り、カリオスに到着したマカレナは汽車から飛び降りた。白いスカートが翻る。まずは港へと行ってみよう。外国へ行けるアテなんてないけれど。
改札を通った。駅には多くの売店が並んでいる。ちらほらとフランス語らしき言語が飛び交う。私は歩く代わりにスキップで前進した。異国語が聞こえる街だなんてワクワクするわ! 小さな売店がある。入ってみると軽食が売られているお店だった。パンを1つ買い、ポケットに仕舞った。フランス語で話す人々は恐らくヴァロワールの高官なんでしょうね。少しは聞き取れるかしら? 耳をそばだててみた。禿げた高官と小太りの高官の会話だ。真剣な口調で話している。「今」「昔」と言っているのは分かったけど、さすがに何の話をしているのかなんて分からなかった。
気を取り直して潮の香りのする方向へ向かって歩くことにした。きっとそこに港がある。港街らしい軽やかな色の街。一歩踏み出すことに平民、それも荷運びの労働者が増えていく。目深に麦わら帽子を被り直した。労働者階級の人々の言葉が分からない、私の母国語と同じ言語なのに。分かるのは仕事をしている時の表情がみんな違う、ということ。とても元気のいい曲を力強く歌うグループ、ボソボソと小さな声で活き活きとした表情で話すグループ。
蒸気船の音が響く。私は顔を上げた。港に着いた。見送りの人々で溢れている。私たちは移動には専ら汽車を使う。汽車で行けば遠回りになってしまう半島には船を使う。あの船はどこへ行くのかしら。私は見送りの人々に紛れ、どこかへ旅立つ船を見送った。あの船はどこへ行くのかしら? 周囲を見るとこの国の人々が多い、それも貧民が多い。出稼ぎでしょうから国内ね。そう言えばタリフ半島と本土を繋ぐ橋を作ると聞いたわ。ならその工事かしら。
私も行きたい。どこでもいいから。知らないところへ行ってみたい。
目を瞑った。目を開いた。この後はどこへ向かおうかな。とりあえずヴァロワールの大使館を見に行こうかしら? 用事はないから入れないでしょうけれど、あそこならこの国で最も多くの外国人がいるわ。
踵を変えようとした足を止めた。海を見た。船はゆっくりと進んでいる。私がどこか、未知に溢れた世界へ行くことはあるのかしら? 貴族の家に生まれてしまうと、どうしても行動に制限が掛かってしまう。知っている、私は自由に動ける側だと。文官を目指すことを許してくださったお父様には感謝しなくては。「婚約したから」という理由で辞めることとなったけどね。
もし私が男に、平民に生まれていたら船乗りを目指していたわ。事故で死んだようだけれどヴァロワールとティレアヌスを繋ぐ船で働く客室係がいた。彼のようになりたかった。
向きを変え歩き出した。
こんなことを考えていたって仕方がないわ。今私がすることは少しでも多くのことを知ること。さっさと大使館へ行って、言葉でもなんでもいいから聞いてみたい! 異国語が飛び交うその空間に行ってみましょう。
乗合馬車に乗った。昼間だからか人は少なかった。裕福そうな子どもが2、3人くらい。学校帰りかしら? あと2時間もすれば仕事帰りの人々で混むでしょうね。
ヴァロワールの大使館が見えた。適当なところで降りた。ふう、と息を吐いた。そこへ20代の殿方がこちらに近づいてきた。どこかで見た方……あ! ヴァロワール共和国大使のご子息!
「お久しぶりです、ドロン様。ご機嫌いかがですか?」と 私はお辞儀をした。
殿方、モハメド•ドロン様は笑った。
「こちらこそお久しぶり。____フランス語____」
ドロン様が3文ほど何かを仰ったのは分かったけれど、ところどころ何と仰っているのか分からないわ。
困ってしまい顎に手をあてると、彼はあぁと呟かれた。それから彼はゴーディラック語に変えた。単語と単語の繋ぎが不自然だったけど。
「元気だった? 勉強やめたの?」
「ええ。婚約したので止めることになりました」
正確には婚約に伴いエリザベス様との主従関係が解除され、フランス語を学ぶ機会が無くなってしまった。けれどエリザベス様が外国語を話せることは機密情報だから。
彼は顔をギュッと顰めフランス語で短く呟いた。
視線は感じる。けれど気にしない! 外聞に障りがあるとしても気にしないわ!
「どこ行こっかな~」
ハイド伯爵はおっしゃった。「3日は自由に過ごしていい」と。
持つべきは家長より地位の高い婚約者ね! きっと今顔中がニヤけているわ! いいえ、きっと全身が。そうでなければ小躍りが止まるわ!
「3日で行って帰ってこられる距離かつなるべく遠くへ」の切符を買った。どこに行く切符なのか。切符には17番線と書かれている、それだけで十分。
人混みをかき分け広々とした駅を走り抜ける。春になった今、コートなんて着ても着なくてもいい。正解なんてない。なら私は着ないことを選ぶ! そうすれば走るのを妨げるのはスカートの裾だけ! 俊足なのか鈍足なのかなんて知らない! けれど全力を駆けて走る。ここ半年、私はずっとアウリスの宮廷にいたの!
全速で走っているうちに呼吸が苦しくなってきた。見える世界が霞んで壁に囲まれたみたい。よろよろと柱に手をついて息を整えた。コルセットを外したい、息が詰まりそう。
顔を上げ、人々の流れを見た。あの人たちはどこへ行くのかしら? どこへ帰るかしら? 私が買った切符はどこへ向かうためのものなのかしら?
ヨハネス様はヴァロワールとの通訳官をなさっているから、他の貴族のもとに嫁ぐよりは外国と関われるでしょう。けれどこうやって自由に旅行に行くのは難しくなるでしょうね。ハイド家のための行動を第一としなくてはならないんだから。ぐぐと眉間に皺が寄る。
「ローレンス嬢ですか?」
急に声をかけられ振り向くとパース子爵が立っていた。思わず顔が引き攣った。けれど私は男爵家出身、彼は子爵様。彼の方が上。
「ご無沙汰しております。パース子爵」
「汽車に酔っておられたのですか?」
息を整えていただけなのに傍から見たらそう見えたのか。
「いいえ、馬車に酔っただけです。では私はこれにて。汽車の時間がありますので」とエリザベス様のように微笑みながら踵を返そうとした。するとパース子爵に手首を掴まれた。
「何時の汽車ですか?」
「切符を確認したいので手を離してください」
パース子爵はパッと手を離した。軽く彼を睨みながらポケットに入れていた切符を確認した。
「13時20分です」
「50分後ですね。それではお茶でもいかがですか?」と彼は熱っぽくひたむきに私を見ている。
彼の視線にドギマギしてしまう、頬が火照る。恋物語に出てきた表現みたい。恋物語みたい……そうだ!
「お茶だけなら、いいですよ」
私の言葉に彼はパーと輝くような笑みを見せた。いそいそとカフェに連れて行ってくれた。さすがの私でも分かる。この人は私に特別な感情を抱いている。そうでなければほとんど面識のない人を後ろ姿だけで判別できない、声をかけようとも思わない、口説いてまでお茶に誘わない。
私はちらっと彼を見た。楽しそうにコーヒーとお茶を注文している。彼が私に抱くもの、それが恋なのかはわからないけれど私が知らない感情。なら私だって知りたい。
「パース子爵はどのようなご用向きで駅にいらっしゃったのですか?」
「用がありティレアヌスへ行っていたのですよ」
そう言えばパース子爵はティレアヌス王国があったころの貴族の子孫だったね。パース子爵は私の顔を見ては目を逸らしている。
「ローレンス嬢はどのようなご用向きで? 婚約したため文官は辞めたと伺いましたが」
「ただの旅行ですわ」
「そのためにカリオスまで? あそこにはヴァロワール共和国の大使館があるのですが」
「なぜカリオスまでだと?」と不思議に思った私は片眉を上げた。
「1日の便数が少ない上に、1時20分に出るのはカリオス行きまでだけですから」
なるほど。じゃあ私は大使館のある街に行くのか、私。前行った時は用事だけ済ませて帰ったから、今回は遊んじゃおうかな。
「ただの観光です」
「あそこは港街であること以外は見るに値しない街ですよ」
「知っています。だから行ってみたいのです。私は港街が大好きなので。ほら、物珍しい物で溢れているでしょう?」
パース子爵はハラリと落ちた前髪を直した。そしてまじまじと逸らさず私を見つめた。
「ローレンス嬢」
そう呼んだきり言葉が途絶えた。なんと言えば良いのか、言葉が溢れて溢れて何も言えないようだった。私は時計を見た。パース子爵もつられたように時計を見た。
「そろそろあなたが汽車に乗る時間ですね」
「ええ。楽しい時間はあっという間ですわ」
支払いを済ませたパース子爵が紙切れを渡した。
「手紙を、送っていただけますか? またあなたとお話したいので」
「はい! 何通でも送りますわ」
よっし! 恋っていう感情を知ることが出来るかな!
1日汽車に乗り、カリオスに到着したマカレナは汽車から飛び降りた。白いスカートが翻る。まずは港へと行ってみよう。外国へ行けるアテなんてないけれど。
改札を通った。駅には多くの売店が並んでいる。ちらほらとフランス語らしき言語が飛び交う。私は歩く代わりにスキップで前進した。異国語が聞こえる街だなんてワクワクするわ! 小さな売店がある。入ってみると軽食が売られているお店だった。パンを1つ買い、ポケットに仕舞った。フランス語で話す人々は恐らくヴァロワールの高官なんでしょうね。少しは聞き取れるかしら? 耳をそばだててみた。禿げた高官と小太りの高官の会話だ。真剣な口調で話している。「今」「昔」と言っているのは分かったけど、さすがに何の話をしているのかなんて分からなかった。
気を取り直して潮の香りのする方向へ向かって歩くことにした。きっとそこに港がある。港街らしい軽やかな色の街。一歩踏み出すことに平民、それも荷運びの労働者が増えていく。目深に麦わら帽子を被り直した。労働者階級の人々の言葉が分からない、私の母国語と同じ言語なのに。分かるのは仕事をしている時の表情がみんな違う、ということ。とても元気のいい曲を力強く歌うグループ、ボソボソと小さな声で活き活きとした表情で話すグループ。
蒸気船の音が響く。私は顔を上げた。港に着いた。見送りの人々で溢れている。私たちは移動には専ら汽車を使う。汽車で行けば遠回りになってしまう半島には船を使う。あの船はどこへ行くのかしら。私は見送りの人々に紛れ、どこかへ旅立つ船を見送った。あの船はどこへ行くのかしら? 周囲を見るとこの国の人々が多い、それも貧民が多い。出稼ぎでしょうから国内ね。そう言えばタリフ半島と本土を繋ぐ橋を作ると聞いたわ。ならその工事かしら。
私も行きたい。どこでもいいから。知らないところへ行ってみたい。
目を瞑った。目を開いた。この後はどこへ向かおうかな。とりあえずヴァロワールの大使館を見に行こうかしら? 用事はないから入れないでしょうけれど、あそこならこの国で最も多くの外国人がいるわ。
踵を変えようとした足を止めた。海を見た。船はゆっくりと進んでいる。私がどこか、未知に溢れた世界へ行くことはあるのかしら? 貴族の家に生まれてしまうと、どうしても行動に制限が掛かってしまう。知っている、私は自由に動ける側だと。文官を目指すことを許してくださったお父様には感謝しなくては。「婚約したから」という理由で辞めることとなったけどね。
もし私が男に、平民に生まれていたら船乗りを目指していたわ。事故で死んだようだけれどヴァロワールとティレアヌスを繋ぐ船で働く客室係がいた。彼のようになりたかった。
向きを変え歩き出した。
こんなことを考えていたって仕方がないわ。今私がすることは少しでも多くのことを知ること。さっさと大使館へ行って、言葉でもなんでもいいから聞いてみたい! 異国語が飛び交うその空間に行ってみましょう。
乗合馬車に乗った。昼間だからか人は少なかった。裕福そうな子どもが2、3人くらい。学校帰りかしら? あと2時間もすれば仕事帰りの人々で混むでしょうね。
ヴァロワールの大使館が見えた。適当なところで降りた。ふう、と息を吐いた。そこへ20代の殿方がこちらに近づいてきた。どこかで見た方……あ! ヴァロワール共和国大使のご子息!
「お久しぶりです、ドロン様。ご機嫌いかがですか?」と 私はお辞儀をした。
殿方、モハメド•ドロン様は笑った。
「こちらこそお久しぶり。____フランス語____」
ドロン様が3文ほど何かを仰ったのは分かったけれど、ところどころ何と仰っているのか分からないわ。
困ってしまい顎に手をあてると、彼はあぁと呟かれた。それから彼はゴーディラック語に変えた。単語と単語の繋ぎが不自然だったけど。
「元気だった? 勉強やめたの?」
「ええ。婚約したので止めることになりました」
正確には婚約に伴いエリザベス様との主従関係が解除され、フランス語を学ぶ機会が無くなってしまった。けれどエリザベス様が外国語を話せることは機密情報だから。
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