はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で

アイザッカ

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恋の終わり

閑話 薬を売った、その夜に

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 マカレナは笑みを深め、耳を澄ませた。怒りと哀しみから声を上げる人々の声。酒のお代わりを要求する声。慌ただしく動き回るウエイター、女給。私は耳を澄ませながら、新たなジョッキを客のテーブルに置いた。ここはアウレリオの酒場。昼間は上品な喫茶店、夜は酒も提供される酒場だ。
 この時間になれば仕事を終えた若者らがゾロゾロと入ってくる。

「おい! マカレナ、ここはいいから地下の方に行け! あんたなら1人で切り盛りできんだろ!」と店主が大声を上げた。
「はーい!」と私はタンタンと階段を駆け降りた。

 この酒場に潜入してから1週間。今日でようやく1フロアを1人で任されるみたい! 比較的人の出入りが少ない地下とは言えね……。湿っぽい空気が満ちる地下には主にティレアヌス派の若者らが集まる。
 手前のテーブルでルシアン・ソレイユ、トマッソ・ヴィヴァルディが音楽について、歴史について語り合う。左のテーブルにつくマルク・セラノは士官を、ジャン・アレグリアは医師を志望したがティレアヌス人であるため叶わなかった者同士。奥のテーブルで黙って酒を飲むアレハンドロ・モンタニェスは無免許医師だったため処された兄がいた。
 父が養子としたティレアヌス人の少年ジョエルが脳裏に過ぎる。彼は医師を目指すためエリザベス様の勧めによりゴーディラック貴族の養子となった。彼のようにゴーディラックの者となれば、医師も士官も目指せるのに。私なら行くわ。他国へ行く機会があるのなら、その機会にしがみついて見せる。
 私が顔を上げた瞬間、14歳くらいの少年の男が地下に駆け降りてきた。

「エミリアが死んだ! 子どもも!」
「なんだと!」とマルク・セラノが顔を赤くし立ち上がった。
「奴らにやられたのか⁈」とトマッソ・ヴィヴァルディが椅子をひっくり返した。
「大丈夫なのか? ヴォーリオ」とルシアン・ソレイユが少年、ヴォーリオ・ガゼルの肩に手を掛けた。
「大丈夫じゃないよ」とヴォーリオは震える声で首を横に振った。「姉さんの部屋から赤子の泣き声がしなくなったから、様子を見に行ったら血塗れで……。坊やはかすり傷のせいで血が多くて……冷たくなっていた……」
「なんてことだ。一昨日生まれたばかりの赤子すらも……」とアレハンドロ・モンタニェスが顔を顰めた。「なんて……残虐な……」

 私は何も言わずグラスに水を注いだ。喪に衝撃を受ける彼らは酒を飲まないであろうから。彼らから見えぬよう、懐に隠していた薬をグラスに入れた。

 私は静かに「水を飲みます?」と各々のテーブルに置いた。彼らがちびちびと水を飲んだのを確認した。

 明朝、私はゴーディラックへ帰る。だからその前に……。彼らの体格を見るに、30分もすれば自白剤が効くだろう。
 ジャンはヴォーリオの肩を抱き、慰めている。ヴォーリオ・ガゼル。兄に続き、彼もティレアヌス派に与したのか。
 トマッソが静かに私を見た。

「そういや嬢ちゃん、もう夜は遅いが帰らなくてもいいのか? 去年までも違い……ご覧の通りこの辺も物騒になったからな」
「お気遣いありがとう。だけどいいよ。稼がにゃ生きてけないから」と私は笑った。さあ、この餌に飛びつくがよい。

 アレハンドロは水を飲み干し「若い女の子1人、養ってやれない国など消えて仕舞えば……」と私を睨んだ。「そして私たちから手を引いてくれ、ゴーディラックの王よ」
「メッキ被りの豚王が!」とマルクはテーブルに顔を突っ伏した。
 ルシアンは「いつまでだ! 天と地を総べ治められる神はいつまでこの地をお見捨てになるんだ! ゴーディラックは神に選ばれた国なのか⁈」と悲痛な叫びを上げた。
 ジャンは「ルシアン、くれぐれも神を侮辱するような言葉を吐くなよ」と釘を刺した。
 ヴォーリオは「姉さんが殺された今、僕が陛下を恐れる理由など1つもない」と泣き腫らした顔を上げた。
 マルクは「エミリアさんの生む子が都合が悪いのなら、なぜ愛人としたんだ⁈」と椅子を蹴り上げた。
 トマッソが「嬢ちゃん、やっぱり早く帰れ。危ないから」と私の手を掴んだ。

 ここで残るのはおかしい。

 私は頷き「分かった。ちょいとおっさんに声掛けてくる」と階段を駆け上がった。
 背後から「あの豚王に鉄槌を!!!」と煽るアレハンドロの声が聞こえた。その煽るに呼応する叫びが響く。
 私は「おっさん、下の方、物騒なことになってるから、私帰るよ」とエプロンを脱ぎ外套を着た。

 店の外に出ると、雪風が頬に当たった。寒い。私は外套の前を掻き合わせ、足を進めた。今夜は駅に泊まる予定だ。

「マカレナ嬢、なぜあなたがここに?」と背後から男……ロミウス様の声が聞こえた。風にかき消されそうなほどに小さな声だった。

 私は微笑んだ。店を出るのが少し早かったかも。ロミウス様が地下にいらっしゃるまで待っていれば、ロミウスが謀反に与する証拠が取れたかもしれないのに。けれど、もうロミウス様は利用できない。

 ロミウス様は「なぜあなたがこのような時期に、このような時間に、このような場所に?」と物憂げな目を酒場に向けた。
「あなたはどのようにお考えですの?」と私は笑みを深めた。
 ロミウス様は迷うように目を瞑ったあと「送りましょう」と私の手を取った。

 いつでもロミウス様の手を振り解けるよう、彼の様子を注視しながら私はついて行った。酒場から離れた場所に停められた馬車に乗った。

 ロミウスは「どちらまで?」と私の向かい側に座った。
「駅までお願いします」

 馬車が動いた。ロミウス様は視線を上げては下げた。口を開きかけては閉じた。彼の視線は彷徨うよう者のようだ。

 私は「ロミウス様」と彼の手を握った。「馬車をあのように離れた場所に停めていた理由は目立たぬようにするためですか?」

 ロミウス様は目を瞑ったまま頷いた。ゆっくりと目を開き、顔を上げた。私の手を彼は握り返した。

「あなたが酒場から出て来たのは……文官としての任務ですか?」と彼は鋭い眼差しで私を見た。

 彼の目の奥には迷いも見える。きっとそうであって欲しくないのだろう。だが、ここで否定したところで、意味はない。もう引き戻すことはできない。ゆっくりと息を吐き、ロミウス様……パース子爵を見据えた。

「はい。文官として、不穏分子の調査に」
 パース子爵は「あなたは……」と声を詰まらせた。「私を騙していたのですか?」と顔を歪めた。

 私は不敵は笑みを浮かべた。彼に嘘を吐いた記憶はないが、騙していたことにはなる。

 パース子爵は「私からの求婚を断ったのも…………」と唇が震えた。
「連座で処刑されるのは嫌ですもの。私はまだ18歳。この世の中にはまだ見ていないもので満ちているのに」
 パース子爵は「あなたならば、あの連中とも仲良くできると思っていたのですが……」と自嘲的な笑いを漏らした。
「仲良く……?」と私は片眉を上げた。

 パース子爵は柔らかさの混ざる想いの溢れてしまいそうな目で私を見た。ゆっくりと口を開いた。

「あなたはきっと彼らとの議論を楽しむと思っていました」

 虚をつかれたように私は目を見開いた。確かに歴史、音楽、医術などに様々な事柄について語らうことのできる友がいればどれほど楽しいのだろうか? ティレアヌスから見る歴史も、ティレアヌスの音楽もゴーディラックのものとは違う。どれほど満ち足りた会話ができるだろうか?
 私はゆっくりと首を横に振った。

「しかし、パース子爵。例え、様々な事柄について深く語り合うことのできる友ができるとしても、連座で処されるのならば断ります」
「なぜ処される前提なのだ?」
 私は「例えあなた方が如何に作戦を立てたとしても、屈強なゴーディラックの軍には敵いません」と睨んだ。

 例え武器を持ったとしても訓練を受けたこともない100人にも満たぬ青二歳に敗北するほど、ゴーディラックの正規の軍隊は愚かではない。淡い夢は掃き捨てなければ……。
 私は真っ直ぐパース子爵を見つめた。

「私とあなたの人生は決して相容れません」

 鈴が大きく鳴り、馬車が揺れ止まった。駅に着いた。

 パース子爵は「どちらかが道を譲らぬ限り」と断ち切るような息を吐いた。
「駅まで送っていただきありがとう存じます、パース子爵」と私は微笑み馬車から降りた。

 私は振り返らずに駅舎に入った。雪降る音がいっそう激しく響いた。馬車が走り去った。私たちの人生は、二度と重ならないのだろう。
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