はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で

アイザッカ

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恋の終わり

闇夜の光

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 窓の外は闇に染まり雪降りしきる中、私は何度も時計を見た。20時過ぎた。早くヨハネス様が帰ってこないかな? 2月28日が、ヨハネス様のお誕生日が終わってしまう。
 ヨハネス様はヴァロワール大使と話し合いに行った。帰って来るの? 今日中に。ヨハネス様はおっしゃった。2月27日までに戻ってくると。さっき執務室にいらっしゃったアーサー様に、ヨハネス様宛の面会依頼を預けた。ヨハネス様は帰ったらすぐに執務室へ行くだろうから。
 私はチラッとナイトテーブルに置いた小箱を見た。お小遣い稼ぎのためのお手伝いの許可が降りなかった原因に、先日のヴァロワールとの新年の挨拶が関係しているのだろう。私はフランス語と英語を解することがモハメド様にバレたことが……。
 もう21時。ガウンを脱ぎ、布団に入った。諦めて目を瞑ったころ、鈴の音と馬の鳴き声が聞こえた。私はガバっと起き上がった。下から慌ただしい足音が聞こえた。カーテンを開け、窓から外を見下ろした。玄関から出てきた使用人が持つランタンの明かりが、馬車に描かれた紋章を照らす。ハイド伯爵家の紋章だ! 部屋を飛び出そうになったが、慌てて引き留まった。もうネグリジェを着ていたんだった。今更着替える訳にも……。さっき窓から見たヨハネス様はどこか疲れているようだった、足取りがおぼつかない。大丈夫かな。大丈夫、うん、大丈夫だよね。
 私は小箱をそっと撫でた。まずは良かった、ご無事に帰って来られて……。

 ノック音が聞こえ「お休みのところ申し訳ありません、エリザベス様。ヨハネス様がお呼びです」とフリーダの声がした。
「分かったわ。隠し扉から行くから」と私はガウンを羽織った。

 ベッドの横にある小さな扉をノックしてから開けると、ヨハネス様の部屋に入った。ヨハネス様は寝間着に着替え、ベッドボードに寄り掛かるように座っていた。

「ヨハネス様、おかえりなさいませ」と私は立ち上がった。
「ああ。私に会いたいようだが、何のようだ?」と眉間に皺を寄せた。声が少し上ずっている。
 私は「はい」と微笑み、ベッドに腰掛けた。「ヨハネス様、お誕生日おめでとうございます」と小箱を差し出した。

 ヨハネス様は訝しむように口を開いた後、少しずつ表情が緩み呆気に取られたように目を見開いた。ヨハネス様は小箱でなく私の頬に手を伸ばした。私は首を傾げた。

「23歳のお誕生日おめでとうございます?」
「あ、ありがとう。エリザベス」とヨハネス様はゆっくり小箱を開けた。

 中からは馬蹄モチーフを中心に小花模様を刺繍したハンカチだ。ヨハネス様は小箱に入ったハンカチを優しく撫でた。静かな笑みが漏れた。

「ありがとう、エリザベス」とヨハネス様は俯いたままだ。「だがエリザベス、其方はなぜ……」
「え?」と私は片眉を上げた。
 
 ヨハネス様はぽすんとベッドボードに背を預けた。目はどことなく……罪悪感?

「エリザベス、其方はなぜ私の誕生日にこのようなものを贈ってくれたのだ?」
「誕生日だから?」と私は首を傾げた。「逆になんで?」
「其方、私を恨んではいなかったのか?」とヨハネス様はハンカチの刺繍を撫でた。
「恨む?」と眉根を寄せた。「なぜ、と思ったことはあれど恨んだことは……ありません」

 これは本当。恨む理由が分かんない。だってヨハネス様は私に安定した家を与えてくれた人。恨む理由なんてない。
 ヨハネス様はチラと私を見たきり、目を伏せてしまった。ヒクヒクと震える下唇。ハンカチの刺繍を優しく撫でる指先。罪悪感に苛まれている?  本当に……なんで?
 私はヨハネス様の顔に手を伸ばし、目線を合わせた。腹を括れ、明美・エリザベス。ヨハネス様の頬に触れる手に力を籠め、一息で口付けた。唇が触れ合う、むにむにする。生々しい。小箱がヨハネス様の膝の上に落ちた。ヨハネス様の手が宙を彷徨う。一瞬、唇を離して息を吸った。再び唇を重ねた。キス、キス……普段のヨハネス様だったら……。私はほんのちょっとだけヨハネス様の唇を舐めた。ヨハネス様がピクッと動いた。無理! 舌を引っ込めた。唇を離した、手も離した。ヨハネス様の目がまっすぐ私を見ている、すごく困惑している、あと潤んでる。私はキッとヨハネス様を見た。

「ヨハネス様、お聞きください。私は本当にあなたを恨んだことがありません。だってあなたは私に家を与えてくださいました。結婚もしてくださったじゃないですか」
「はぁ?」
 
 私は目を瞑り、過去が遠ざかったことを確認した。もうあの過去は2度とやって来ないと断言できる。

 「ヨハネス様、ご存知ですか? 私は継父に疎まれ、4歳の頃から留学に出されていました。継父にとっては新妻となるはずだったかつての許嫁に娘がいたことが許せなかったのでしょう。分かりますか? 3ヶ月も経たぬうちに各地を転々として育った子どもが家にどれほど焦がれるものか」とヨハネス様の手に、私の手を重ねた。

 この人も似たような生い立ちだった。私と同じく4歳で家族と引き離されヴァロワール共和国の大使館で育った。未来の通訳官となる子として。私はふっと微笑んだ。

「私と家族の繋がりは1年に2冊、母から贈られる本でした。父はイギリス人、母は日本人。継父が短期契約した家庭教師だった人達は日本人でしたが、彼らから同じ日本人として見られたことはありません。そんな私をあなたは当然のようにゴーディラックの血を引く人間を扱ってくださった。確かに外部との交流に制限が掛けられていたけど……、それがなんです? 居場所がすぐに変わらないことから得られる平安と比べれば、大したことありません」

 そっとヨハネス様の手を握った。

「だから、ご自分を責めないで。素直に誕生日を祝われてください」

 ヨハネス様の息が浅くなった。さり気なく手首を握ると脈が早くなっているのが分かった。瞳孔が開いている。興奮している? ヨハネス様が私の手を持ち上げ、指先に口付けた。

「すまなかった」とヨハネス様が小さく笑った。

 私はニコッと笑った。怒ったよ、ヨハネス様。彼の肩に手を掛け、全体重を掛けて押し倒した。体が密着する。

「聞いていました? もう謝らないで」
「すま……。いや、分かった」

 きっとヨハネス様は過去に妹さんを亡くした後悔も、喪中だったボーヴァー夫人を早々と再婚させた罪悪感も全部がないまぜなのかも。妹さんについての詳細は知らない、けど。

「ヨハネス様、きっと誰もそんなに過去に恨みを残しませんよ。過去に傷を残すことはあっても……。そうじゃないと前を向いて歩けないじゃないですか」
 ヨハネス様は目を逸らしたあと「其方は強いな」と真っ直ぐ私を見た。
「それは分かりませんが……」

 ヨハネス様は私の顎を掴み、引き寄せ口付けた。ゆっくりとひっくり返り、私の上にのしかかる。

「エリザベス……。其方は美しいな」と眩しいものでも見るかのように見つめた後、口付けた。深く……。
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