ご隠居錬金術師のスウィーツタイム

藤島紫

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モノクルを拭いたらパイを焼きましょう

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「やれやれ、今度の主は難しい要求ばかりしてくる」

 錬金術師はため息交じりに腰を下ろすと、モノクルを外してレンズをぬぐった。
 配合時に飛び散った双子草の粉で汚れてしまったからだ。

――キュイ……

 控えめな鳴き声に足元を見下ろすと、小さな銀の竜が羽を震わせていた。

「これも契約だ。仕方がない」

 錬金術師はモノクルをかけなおすと「おいで」と竜に腕を差し伸べた。
 竜は羽をはばたかせて飛び上がろうとするが、ほんの少し浮くだけで落ちてしまう。数回の失敗の後、ようやく竜の体が浮き、錬金術師の腕に乗った。

「私は私の契約を果たす。だからお前も、契約を果たせるようにがんばれ」

 この竜は、飛ぶことはともかく飛び上がることが下手だ。

――キュウ……

「そんな甘えた顔をしてもだめだ。私とお前とは、契約で結ばれている。契約に従い、私が食べ物と寝床を提供している以上、お前も契約に従わねばならない」

 相手が子供だからこそ、契約についてはきちんと教えておく必要がある。錬金術師はあえて厳しい顔で言うと、子供の竜はしょんぼりとうなだれた。
 世界の理は「契約」によって成立している。
 錬金術師の大きな契約は二つ。
 一つは王族との契約。
 一つは竜との契約。
 錬金術師は竜の頭を優しくなでた。

「飛行はまだ練習が必要だが、お前には特技があっただろう? そちらをお願いできないか? 契約に従って礼をする。お前の好きな、夜明樹の実のパイを焼いてやろう」

 竜は丸い目をキラキラと輝かせると、懸命に羽をはばたかせた。飛び上がるのが苦手な竜のために、錬金術師が竜を頭上に投げてやる。
 空中に上がれば竜は自在に飛べるのだ。
 竜は地上にいるときの不器用さとは裏腹に、空中に複雑な図面を描いた。完成とともに室内に粉雪のような光が降り注ぐ。
 錬金術師は椅子にもたれて目を閉じた。

「お前の回復魔法は本当に心地がいい」

 空間の気を活性化させる竜の回復魔法は、その範囲にいるもののすべてに影響する。
 錬金術師が静かに目を開けて机の上を見ると、本にはさんで乾燥させていた植物が、青々と光っていた。

「枯れた木の葉ですら回復させてしまうのは困ることもあるという程度で済むが」

 光が収まったころ、竜はゆっくりと錬金術師の膝の上に降りてきた。

「飛び続ける分には問題がないのに、飛び上がることが苦手というのは本当に困ったものだ。そのせいでお前たちの一族はみな殺されてしまったのだから」

――キュイ……

 死者すら復活させる竜の力は自分のものであれば心強いが敵に奪われれば厄介だ。
 人間たちは、竜を殺した。
 錬金術師が知る限り、ここにいる子供の竜が世界最後の竜だ。

――キュイ……

 竜は錬金術師の片頬におでこをこすりつけてきた。

「ん?」

――キュイィ

 どうやら、モノクルをつけなければならない片目が気になるらしい。
 死にすら打ち勝つ竜の魔法でも、錬金術師の目を治すことはできない。モノクルはそのために手放せないアイテムだった。

「王族と契約が結ばれているあかしだ。神が刻んだものは竜の魔法でも治せるものではない。何度も言っているだろう?」

 しかし竜は納得がいかないのか、不満もあらわに羽を震わせた。

「世界の半分を壊す兵器を作ってしまうような危険な錬金術師だぞ? 野放しにできないのは当然だ――さて、と」

 錬金術師は竜を床に下ろすと立ち上がった。

「約束のパイを作ろう。お前のおかげで元気になった」

――キュイ

「現金な奴だ。私も気分転換をしたら、もう一度仕事に戻らねばな。……まったく、竜の魔法と同程度の回復アイテムなどと、気楽に言ってくれる」

 依頼者である王族は知らないのだ。
 竜の回復魔法のすさまじさを。
 だが錬金術師はそれを知っているだけに品質を落とすことができない。契約でそう縛られているからだ。

「面倒な仕事の気分転換には、いいデザートが必要だ。今日のパイは期待していいぞ」

――キュイ、キュイ

 飛び上がるよりも歩いたほうが早い竜は、とことこと錬金術師の後をついてきた。




 これは、世界の半分を壊したといわれる災厄の錬金術師の、引退後の物語である。


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