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花と蜜
薄絹一枚に阻まれた事実は、見えそうで見えない事実
障子から差し込む朝日は柔らかく、部屋を明るくしてくれる。
その中で朔耶は静かに新聞を見ていた。
内容は他愛もないものから、逮捕され空席だった外務大臣の席に、新たな人物が任命されたとか。
國民から信用の失墜があったが、それらを払拭すべく邁進する・・・・・と、内容は締め括られていた。
それ以上、朔耶は新聞を見る気が失せてしまい、丁寧に畳むと脇に置く。
國民の殆どは知らない。大臣が何をして、その背景に何かあったのかなんて。もし、関わらなければ私も知らなかった。
すっかり冷めてしまったお茶を飲んで喉を潤す。
征一郎様と共に過ごし、疲れた体は眠りには抗えなかった。そのまま眠りについてしまい、次に目を覚ました時は、お借りしていた客間のベットだった。
綺麗にされた体に、真新しい寝間着・・・・・誰がここまでしてくれたのか、不安と恥ずかしさで顔色を赤や青にしていた。
けど、一番、腑に落ちないのは征一郎様の態度だ。色々あったのに、顔色一つ変えず挨拶し、今までと変わらない態度で接する。
此方は、あの時の事を思い出し、姿を直視する事も出来ず、声を聞いただけで心の臓が爆発するのでは?と思う程、五月蝿いのに・・・・・・・
念のためと、千歳さんや万次郎さんに言われ、もう一泊し自分の屋敷に帰ってきた。
実を言うとその勧めは大変有難かった。体を起こしてからは、筋肉痛なのか腰が妙に痛く、特に股の間が今だに征一郎様と繋がっていたのかと疑いたくなるほど、痛みや違和感があった。
その状態で帰るのはどうかと悩んでいた時、助け舟のように出された勧めに素直に従った。
帰り道、同じ空間にいたのに、話すことが思い浮かばず沈黙の中、帰路につく。
屋敷前に到着、降りようと思った時に、ある意味事件は起きた。
後ろから抱きしめられて身動きが封じられる。
驚いて振り返った時に、荒々しく、獣のように唇を奪われた。
遠慮なんて言葉も知らない舌が、口内を縦横無尽に動く。特に一番、弱い所を執拗に舐められてしまう。
そうなれば立っていることも苦しくて、かくっと膝をついてしまいそうになる。
けど、それを良しとしない征一郎様の腕のせいで、力の抜けた状態で体を預けてしまう。
息のしづらい、苦しい状態になって、自然と涙が出てきて・・・・・
とても長い時間だったと思う。征一郎様が満足するまで長い接吻をしていた。
そして、ようやっと口を離してくれる。
力の抜けた私を抱き締めてくれる。頬や首筋に髪が触れるのが擽ったい。
「このまま行かせたくない・・・・・我儘ですよね・・・・・」
「私も同じ気持ちです。けど、これ以上は屋敷を空けることは出来ません・・・・・」
名ばかりの当主なのだから、私がいなくなっても誰も困らない。寧ろ大喜びだろう。
大喜びし、次の当主に響士郎義兄様を指名する。万々歳の結果になるだろう。
けど、それでは意味がない。今度は血眼になって私を探しだす。それこそ戸の裏から、甕壷の中まで必死になって・・・・・
考えたくもない事を思い、朔耶は言葉に詰まる。
「東雲達が寂しがりますから・・・・・それに、私は当主です・・・・・御理解下さい」
当主が幾日も屋敷を空けるなど許されない。特に仕事でも何でもない事に。
行かせまいと、お腹を抱き締める腕にそっと、手を置いていく。
暫しの沈黙が訪れる。そして、最初に動いたのは征一郎だった。
「すみません・・・・・けど、屋敷に遊びに行くことはお許しください。朔耶様も同じです。いつでも遊びに来てください。朔耶様に似合う着物や洋服を準備して待ってます。その時は逢引しましょう。連れていきたい所や、食べて欲しいものが、まだまだあるんですよ?」
腕の力が緩んでいく。肩にあった重みがなくなる。
朔耶は征一郎の方を向き、しっかりと見つめる。
少しだけ困ったように、眉を下げている。寂しそうな色を濃くした瞳、なのに、口は笑っている。
二度と会えない関係ではない。互いの家のことがあるが、けして難しい事ではない。
━━━━━━━そう、思っていると捉えても良いのでしょうか?私は、図々しくも自分にとつて理のある方に捉えてしまう。
・・・・・・・・・何が、正解で何が、不正解か分からないのがもどかしい・・・・・
「はい。是非、連れて行ってください。火澄様は何でもご存じで・・・・・とても勉強になります」
そう、けして今生の別れではない。簡単に会うのは難しくても、会うことは可能。
朔耶は微笑み征一郎を見る。それにつられて征一郎も苦笑いをする。
「降りましょう・・・・・足元に気を付けて降りてください」
そう、言って先に降りてしまう。そして、私に向かい手を差し伸べる。その行動の一つ一つに嬉しくなってしまう。
こんなにも優しく、相手を思う行動をしてくれるのは征一郎様だけだ。
東雲達は式神だから、私には優しい。色んな意味で絶対服従の関係だ。
けど、征一郎様は人。まして、他人だ。身内さえ私に対しての行動は酷い有様なのに、それらの全ての反対をして下さる。
嬉しくなるのは同仕様もない・・・・・・・
「ありがとうございます、火澄様・・・?!!」
礼を言い、差し伸べられた手に己の手を置いて降りる。地面に足を両方付けて立ち上がろうとした時、思いっ切り抱きしめられる。あまりの事に驚いて固まってしまう。
「征一郎です・・・・・言って朔耶?」
耳元で砂糖のような甘い声に何も言えない。砂糖みたいな甘い声は、脳内さえも溶かしてしまうほどで、一瞬、息を呑んでしまう。
何も言えない朔耶に少しだけ苛立ったのか、征一郎は少しだけ力を加えて抱き締める。自分が多少、息苦しくなった頃に我に返り、朔耶は小さな声で呟いた。
「せい・・・征一郎、様・・・・・」
「みんなの前では難しくても、二人だけのときは下の名前で呼んで下さい・・・・・いいですね?」
「・・・・・はい・・・・・」
二人だけの約束は簡単そうに思えて難しい。それぞれの家の立場を背負っている二人には、名前で呼び合うなど、周囲からどんな目を向けられるのか・・・・・
だから「二人だけ」と、征一郎はそこを強調して朔耶に言った。朔耶も其々の立場を分かっているから素直に受け取る。
「さあ、東雲さん達の所に行きましょう」
「はい」
エスコートをする為に私の隣に立ち、背中を押してくれる。その一歩を促す力に安心を覚えたし、この人なら私が歩く事を邪魔する事なく、導いてくれると思えた。
朔耶は背中を押され、征一郎と共に自分の屋敷━━━━━東雲達、迎えを待ち望む者達がいる場所に帰って行った。
数日が過ぎた。このまま何もなかった・・・・・と、言うわけにもいかず朔耶は自分が見聞き、体験したことを響士郎義兄に報告した。
大塚卿相の屋敷の地下に、悪魔降臨の魔法陣があったこと。
悪魔降臨の儀式をしていたのは大塚卿相の娘・麗子で、己の身に起きた事件の怪我を治す代わりに父親や付き人の命を捧げたこと。
火澄様と共闘し、麗子を殺したこと。付き人に悪魔が乗り移り攻撃した際、火澄様が私を庇って怪我をしたこと。
もし、詳しい情報を求めるなら再度、調査し詳しい情報を集める事を述べる。
響士郎義兄様は始めから興味がないのか「分かった」とだけ言って、あとは盤上のチェスの駒を見つめている。
再度の調査を提案した時は、「これ以上の調査は不用」と切り捨てられた。それは「これ以上何もするな」と言っているもの。
朔耶は腑に落ちなかった。大塚麗子はある意味、一般人だ。呪術師の家系でも何でもない。
それなのに、魔法陣は完璧だった。抜けや間違いが一切ない。
一般人ならあってもおかしくないのに、それらがなかった。
本を見てもここまで完璧に再現出来るのか・・・・・
まるで、教えてくれる誰かがいたかのように。
その者も呪術に精通している人物のように思えてくれる。
もし、そうならば國に危機を与える人物として、探し出さなければいけない。
けど、響士郎義兄様はそれらを一切無視して「不要」と切り捨てた。
何かが引っかかるし、腑に落ちない。けど、響士郎義兄様達で既に調査され、答が見つかっているのかもしれない。私はただ、それを知らされないだけ。所詮は名ばかりの当主で権限も何もない。
「・・・・・分かりました。報告は以上です。何もなければこれで失礼いたします」
朔耶が頭を下げて出ていこうとした時、何かを思い出したような、わざとらしい声を朔耶に掛ける。
「そうそう、火澄殿の怪我は?」
「致命傷ではなかった為、心配するような怪我にはならないとの事ですのでご安心下さい」
話を振られたので、足を止め振り返る。
相変わらず、盤上を見つめ、手には何かの駒を持ち遊んでいる。
「そうか・・・・・それならばよい。火澄殿とは長い付き合いになるからくれぐれも失礼のないように」
「・・・・・はい」
意図が分からない。今までも仕事の付き合いで誰かの世話になったり、共闘したりもした。
けど、関係はそれっきりで、此方からも特に連絡もしない。
そもそも、相手は私と関わるのが大層お嫌いなようで終始、不機嫌な顔をしていたことしか思い出せない。
そんな相手しかいなかったし、響士郎義兄様も今までは特に追求もしなかった。なのに、征一郎様だけは色々と違う。
意味が分からない。けど、壬生雀院家にとっては、武の筆頭貴族である火澄家の次期当主と関わりを持つことは不利にはならない。
家の事を思う、響士郎義兄様の本音が漏れ出たと思い、朔耶は軽く頭を下げ部屋を出るために歩き出す。
扉に手をかけた時、響士郎の方から軽いぶつかる音と、倒れる音がした。
振り返ると手に持っていたチェスの駒で駒を倒していた。
手に持っていたのは王様で、倒れているのは女王だ。
そして、その行為に意味があるのか、笑っている。何かに満足したのか、それとも願いが叶ったのか・・・・・・・不敵な笑みに朔耶は一瞬だけ背中がゾクッと寒くなった。
早く、この場から去りたくて急いで部屋を出る。その後はこの屋敷に用はない。長くいても白い目と、小言で言われる嫌味を受け入れなくてはいけない。
朔耶は早足で響士郎のいる屋敷から出ていった。
響士郎義兄様の報告をした日の翌日、一通の手紙が届く。差出人は征一郎様で内容は三日後、屋敷に来て、今回の事の詳細を報告するとの事。
実は、自分の屋敷に帰ってきてから一度、手紙を出している。「今回の事の詳細を教えて欲しい」と。
手紙を送った以降、向こうからの返事はなかったが、やっと返事が来た。無視されていたわけではないことに安堵する。
きっと、今回の事で忙しかったのだろうと思い、東雲達に征一郎様が来ることを伝える。
すると、東雲達は何やら張り切って「準備しますね!!」と言って色々と話し込んでいた。
張り切ってくれるのは有り難いが、いき過ぎないことを願ったのは言うまでもない。
「ふっふふ・・・・・その結果、準備したのは火澄様にも合いそうな西洋の菓子なのだから・・・・・作る段階で色々と大変そうだったけど、出来た時の誇らしい顔は良かった・・・・・」
冷めていた茶はすっかり飲み干し空になった。
湯呑を置いた時に襖の奥から声がする。
「朔耶様・・・・・そろそろ準備を致しましょうか?」
東雲の声がする方を見ると、朔耶は少しだけ微笑む。
「えぇ、お願いね」
その声を聞いて、音もなく襖が動き鴇色の着物を着た東雲が現れる。
栗皮色の衣装盆には鶸色の着物が乗せられた、それらに合わせた小物が乗っている。
これらの着物は朔耶が、征一郎の屋敷から帰ってきた時に着ていた着物だ。
孝子の一件以来、着物類は式神である歌弥や伊勢の部屋の奥に隠している。
基本、朔耶の物を荒らせればいいだけの話なので、孝子達は他の所には行かない。それを逆手に取って朔耶達は征一郎から贈られた着物を隠した。けど、やはり怖いのでなるべく贈らないように、可能なら征一郎の屋敷に保管して欲しいと願い出ている。
自分達なら考えもしなかった。今回の案も千歳さん達が色々と聞いて考えてくれた。本当に有り難い事だ。
「もう、そんな時間なのね。東雲、お願いね」
「はい、折角なので髪も手を加えましょう。火澄様に喜んでもらいましょう」
「何を言っているの?火澄様は仕事で来られるのよ?最低限の身なりは整えるけど髪までも?」
「はい、勿論で御座いますよ」
にっこりしながら部屋に来る東雲に、疑問しかなかったが東雲が、そう言うならばそうなのだろう・・・・・
朔耶は特に疑うこともなく立ち上がり、着ていた着物を脱ぎだし、東雲が持ってきた着物に着替え始めた。
「お待ちしておりました火澄様・・・・・」
西洋の家具が置かれた客間にテーブルを挟み、朔耶と征一郎は向かい合わせで座る。
消炭色の三つ揃えの征一郎は手には茶封筒を持っている。きっとこの中に今回の事の詳細があるのだろう。
対して、朔耶は鶸色の着物に、裾は桃色のぼかしが入り、山茶花が描かれている。
髪も綺麗に結われ、若緑色のつまみ細工の簪がさりげなく彩る。
テーブルには白いティーカップには紅茶が注がれ、茶請けと置かれた皿には歌弥達特製のビスケットが並ぶ。
「遅くなりすみません。色々と報告しないといけないところがありまして・・・・・」
軽く頭を下げられて萎縮してしまう。
元々、征一郎様は天からの指示で動いていた。ならば、報告するのも天が先だろう。最後になろうと、報告してくれるだけでも十分だ。
「何から話せばいいのやら・・・・・ご存じだと思いますが、今回の首謀者は大塚省平が表向きですが、裏で糸を引いていたのが大塚麗子だと思います」
その言葉に朔耶は頷く。自分でもそうだと思っていると。
「大塚省平の奥方や、屋敷に務めていた使用人、大臣をしていたのでその秘書は一時的に拘束し、事情を聞き取り釈放してます。特に、奥方には色々と聞きました。その中で気になる事がありました」
関係者は拘束し、徹底的に聞き取りをしたのだろう。もし、関わっていたのなら今回の事件のあらましが少しでも分かる。
「麗子の事件が起こるまでは普通に仕事をするよき大臣、父親だったそうてす。全てが可笑しくなったのは事件後からです」
征一郎の落ち着いているのに、そこに、感情は一切感じられない淡々とした声で、事件の報告がされる。
自分にされた理不尽な行為に心は壊れ、傷は塞がったが跡は残る。
未来があり、華族の令嬢としての矜持があったのに、それらが一気に閉ざされる。それは耐え難い絶望だったのだろう。聞いていても辛くなる。
心配した婦人や大臣は、口の固く、それでいて麗子の身の回りをしてくれる使用人を探し出した。
それが、悪魔が乗り移り征一郎様に傷を付けた人だ。
真剣に親身に対応する使用人に安心し、麗子本人も徐々に元気になっていく姿に、二人は安堵したのだと言う。
けど、そこから麗子が妙なものに傾倒していく。西洋の文化だと称して黒魔術や降霊術、錬金術など奇天烈なものばかりだったそうだ。
現に、麗子本人の部屋からも、その手の本が大量に見つかっているので間違いない。
そして、それに付随するように大臣も心奪われる。人を意のままに操る妙な力が魅力だったのかもしれない。
その頃から大臣も人が変わったかのように金遣いが荒くなり、仮面舞踊を開催しては、気入った人を屋敷に連れ込んでいく。年齢もバラバラな男女で「未来ある人物の投資」と言われ、婦人は口出しが出来なかった。
けど、部屋に響く声は論議する白熱した声ではなく、男女の艶事の声だったそうだ。
その中で唯一、口出しが出来たのが麗子と使用人だけ。
「まるで、その使用人が本来の黒幕のような言い方ですね」
「使用人ですが、我々の力不足で詳しい事が分からなかったのです。出された経歴はどれも出鱈目・・・・・人宿の紹介とのことで調べたのですが、生まれも何もかも存在せず・・・・すみません」
征一郎の悔しそうな顔に朔耶も眉を寄せる。
大臣の屋敷に使用人として行くのだから、それなりに出自は大事だろう。提出された身分を疑いもせず受け入れた結果がこれなら何とも言えない。
「全てが誰かの手のひらで踊らされていたのでしょうか?」
朔耶の一言に征一郎は何も言えなかった。
自分達のしたことは解決したように見えて、解決してない。朔耶の言葉通り、誰かの手のひらで踊らされている気分になる。
「・・・・・「アフロディーテの雫」は大臣が手引きしていたのですよね?」
朔耶は思い出し征一郎に尋ねる。確か砂糖が必要とか・・・・・だったかしら?
「大臣の仕事は外務省で諸外国と可関わります。その中で持ちかけられた話に砂糖の輸入がありました。我が國には黒糖や白下糖が主で、薬や高級品といった類に部類します。諸外国から車糖や甜菜糖を輸入し國の発展をしないかと誘われたようです。砂糖の原体を輸入し、國内で精製する。その過程で生まれたのが「アフロディーテの雫」です。偶然の産物だと工場の関係者は言ってました・・・・・安心して下さい。既に工場は封鎖されてます。これ以上、國に「アフロディーテの雫」が蔓延する事はありません」
「アフロディーテの雫」には苦い思いしかない朔耶は聞いていて、段々と顔が下を向いてしまう。
物があるなら、それを製造した者が必ずいる。自然に出来たものでないのだから。
「その、工場の者達は・・・・・?」
「残念ながらこれ以上はお教えする事は出来ません。でも、安心して下さい。命を取るまではしてません。勿論、非人道的な事もしてませんので」
安心させる為か、笑っている顔は湖を凪いだように静かな瞳だ。泣き黒子があるせいか余計に静かに、そこに感情を一切感じない。
これ以上は踏み込んではいけない領域だと、暗に知らされ朔耶は詮索する事を諦めた。
線引きされた所に踏み込んでも、いいことは何もない。それは、これまで十分に体験している。
全てが曖昧で、薄絹で一枚覆われている気分だ。脱ぎ去れば全てが見えるのに、脱ぎされない。寧ろ、その薄絹のおかげで自分の身の安全が保たれている気もする。
「承知しました。工場の人達に何もなければそれで良いです」
何も知らなかったかもしれない者達が、痛めつけられるのは心苦しい。けど、「そうではない」と分かると、安心してしまう。
それが、本当かどうかは探らない。上辺だけの言葉を信じ、その、奥深くには踏み込まない。それが、己を保つ事だと分かっているから。
部屋を支配する沈黙。何かを言いたいのに言葉が見つからない。伝えたい言葉が正しいのか、間違いなのか思案してしまう。
朔耶は太腿に置いていた手袋をした手を強く握りしめた。
その時、征一郎からでた言葉に目を白黒させてしまう。
「・・・・・・・朔耶様?今日は天気がいいですね・・・・・この後、何か予定はありますか?」
「?え?はい?・・・・・予定はないです」
突然の事に朔耶は驚いて、少しだけ語尾が上がりながらも、今日の予定はないことを伝える。
朔耶の語尾上がりに苦笑いしながら征一郎は、微笑みながら窓の方を見上げる。
「実は、いいところを見つけましてね。良ければこのまま散歩しませんか?テーブルにあるビスケットを持って行きましょう・・・・・飲み物は紅茶がいいですね。水筒に入れていきましょう」
まるでこの話はこれで終わりだと言っているようなものだ。
話すことはないのか、出来ないのか・・・・・とても曖昧だ。
でも、相手の様子を見ると、そのどれにも当てはまりそうで・・・・・踏み込んで話したいのに、この様子では取り合ってもらえないのが是が非でも分かる。
━━━━━━━悔しい
正直、この気持ちが大部分を占めている。
けど、長年、培った経験から、相手が切り上げたなら、これ以上は此方が食い下がっても意味がない。時間を置いて再び尋ねたほうがいいこともある。
「・・・・・ビスケットは歌弥達が頑張って作ったものですから是非食べて下さい。いいところとは何処でしょう?」
なるべく冷静に、感情的にならず、淡々と・・・・・朔耶は心の中で、その事だけを繰り返し言い聞かせて、征一郎の話に返答する。
朔耶の自然な切り返しに、征一郎は朔耶を見つめる。聞きたいことが山のようにある筈なのに、此方の切り上げに対し、これ以上の詮索をしない。
それは、朔耶がこれまで経験してきたことが理由なのかもそれない。
凪いだ表情の朔耶が、呪術を使用していた時の朔耶と重なる。
張り詰めて、全神経を集中させている時の朔耶と似ている。
そんな表情にさせているのは間違いなく自分だ。
「詳しくは言えませんが、気分が良くなる場所です。風がとても気持ちの良いところで、朔耶様も気に入りますよ・・・・・有り難う御座います・・・・・やはり、貴女は周りで言われているような方ではなく、思慮深く、物事をよく理解している。これ以上は意味がないと分かり、深くは追求しないことが得策と考えている・・・・・そうですよね?」
全てを見透かす眼差しを向けられて、朔耶は背筋を伸ばす。
「お答えはしません。何を思おうとそちらの自由。私は私の考えで動きます。今回は追求しないほうが互いの為だと分かったのでそうしたまでです・・・・・・・」
心の裏まで見透かすような眼差しに萎縮してしまいそうになりながらも、朔耶は何事にも動じない「壬生雀院家の当主」として答える。
「・・・・・分かりました。では、そのように思います・・・・・・・さて、今から出掛けたいと思いますが、朔耶様は付いてきてくれますか?」
立ち上がり、手を差し伸べる征一郎の手をじっと眺め、朔耶は手袋をした手をその手に乗せる。
「えぇ、喜んで・・・・・」
そう言って立ち上がり、互いに視線を交わす。
背の高い征一郎を見上げ、朔耶は僅かに微笑んだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
謎は謎のままで・・・・・ある意味、未解決事件です。
征一郎も分かっていること、いないことがあり、詳しく調べたいのに調べられないもどかしさがあり、朔耶は朔耶で動きたいけどあまり動けず、色々なしがらみのせいで満足に動けないもどかしさがあります。
けど、そのうち、解決すんじゃね?と、思いながら頑張って欲しいです。
さて、征一郎のとっておきの場所は何処なのか?
次で分かるかな~
ここまで読んで下さってありがとうございます
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応援してくださる皆様方、本当にありがとうございます
その中で朔耶は静かに新聞を見ていた。
内容は他愛もないものから、逮捕され空席だった外務大臣の席に、新たな人物が任命されたとか。
國民から信用の失墜があったが、それらを払拭すべく邁進する・・・・・と、内容は締め括られていた。
それ以上、朔耶は新聞を見る気が失せてしまい、丁寧に畳むと脇に置く。
國民の殆どは知らない。大臣が何をして、その背景に何かあったのかなんて。もし、関わらなければ私も知らなかった。
すっかり冷めてしまったお茶を飲んで喉を潤す。
征一郎様と共に過ごし、疲れた体は眠りには抗えなかった。そのまま眠りについてしまい、次に目を覚ました時は、お借りしていた客間のベットだった。
綺麗にされた体に、真新しい寝間着・・・・・誰がここまでしてくれたのか、不安と恥ずかしさで顔色を赤や青にしていた。
けど、一番、腑に落ちないのは征一郎様の態度だ。色々あったのに、顔色一つ変えず挨拶し、今までと変わらない態度で接する。
此方は、あの時の事を思い出し、姿を直視する事も出来ず、声を聞いただけで心の臓が爆発するのでは?と思う程、五月蝿いのに・・・・・・・
念のためと、千歳さんや万次郎さんに言われ、もう一泊し自分の屋敷に帰ってきた。
実を言うとその勧めは大変有難かった。体を起こしてからは、筋肉痛なのか腰が妙に痛く、特に股の間が今だに征一郎様と繋がっていたのかと疑いたくなるほど、痛みや違和感があった。
その状態で帰るのはどうかと悩んでいた時、助け舟のように出された勧めに素直に従った。
帰り道、同じ空間にいたのに、話すことが思い浮かばず沈黙の中、帰路につく。
屋敷前に到着、降りようと思った時に、ある意味事件は起きた。
後ろから抱きしめられて身動きが封じられる。
驚いて振り返った時に、荒々しく、獣のように唇を奪われた。
遠慮なんて言葉も知らない舌が、口内を縦横無尽に動く。特に一番、弱い所を執拗に舐められてしまう。
そうなれば立っていることも苦しくて、かくっと膝をついてしまいそうになる。
けど、それを良しとしない征一郎様の腕のせいで、力の抜けた状態で体を預けてしまう。
息のしづらい、苦しい状態になって、自然と涙が出てきて・・・・・
とても長い時間だったと思う。征一郎様が満足するまで長い接吻をしていた。
そして、ようやっと口を離してくれる。
力の抜けた私を抱き締めてくれる。頬や首筋に髪が触れるのが擽ったい。
「このまま行かせたくない・・・・・我儘ですよね・・・・・」
「私も同じ気持ちです。けど、これ以上は屋敷を空けることは出来ません・・・・・」
名ばかりの当主なのだから、私がいなくなっても誰も困らない。寧ろ大喜びだろう。
大喜びし、次の当主に響士郎義兄様を指名する。万々歳の結果になるだろう。
けど、それでは意味がない。今度は血眼になって私を探しだす。それこそ戸の裏から、甕壷の中まで必死になって・・・・・
考えたくもない事を思い、朔耶は言葉に詰まる。
「東雲達が寂しがりますから・・・・・それに、私は当主です・・・・・御理解下さい」
当主が幾日も屋敷を空けるなど許されない。特に仕事でも何でもない事に。
行かせまいと、お腹を抱き締める腕にそっと、手を置いていく。
暫しの沈黙が訪れる。そして、最初に動いたのは征一郎だった。
「すみません・・・・・けど、屋敷に遊びに行くことはお許しください。朔耶様も同じです。いつでも遊びに来てください。朔耶様に似合う着物や洋服を準備して待ってます。その時は逢引しましょう。連れていきたい所や、食べて欲しいものが、まだまだあるんですよ?」
腕の力が緩んでいく。肩にあった重みがなくなる。
朔耶は征一郎の方を向き、しっかりと見つめる。
少しだけ困ったように、眉を下げている。寂しそうな色を濃くした瞳、なのに、口は笑っている。
二度と会えない関係ではない。互いの家のことがあるが、けして難しい事ではない。
━━━━━━━そう、思っていると捉えても良いのでしょうか?私は、図々しくも自分にとつて理のある方に捉えてしまう。
・・・・・・・・・何が、正解で何が、不正解か分からないのがもどかしい・・・・・
「はい。是非、連れて行ってください。火澄様は何でもご存じで・・・・・とても勉強になります」
そう、けして今生の別れではない。簡単に会うのは難しくても、会うことは可能。
朔耶は微笑み征一郎を見る。それにつられて征一郎も苦笑いをする。
「降りましょう・・・・・足元に気を付けて降りてください」
そう、言って先に降りてしまう。そして、私に向かい手を差し伸べる。その行動の一つ一つに嬉しくなってしまう。
こんなにも優しく、相手を思う行動をしてくれるのは征一郎様だけだ。
東雲達は式神だから、私には優しい。色んな意味で絶対服従の関係だ。
けど、征一郎様は人。まして、他人だ。身内さえ私に対しての行動は酷い有様なのに、それらの全ての反対をして下さる。
嬉しくなるのは同仕様もない・・・・・・・
「ありがとうございます、火澄様・・・?!!」
礼を言い、差し伸べられた手に己の手を置いて降りる。地面に足を両方付けて立ち上がろうとした時、思いっ切り抱きしめられる。あまりの事に驚いて固まってしまう。
「征一郎です・・・・・言って朔耶?」
耳元で砂糖のような甘い声に何も言えない。砂糖みたいな甘い声は、脳内さえも溶かしてしまうほどで、一瞬、息を呑んでしまう。
何も言えない朔耶に少しだけ苛立ったのか、征一郎は少しだけ力を加えて抱き締める。自分が多少、息苦しくなった頃に我に返り、朔耶は小さな声で呟いた。
「せい・・・征一郎、様・・・・・」
「みんなの前では難しくても、二人だけのときは下の名前で呼んで下さい・・・・・いいですね?」
「・・・・・はい・・・・・」
二人だけの約束は簡単そうに思えて難しい。それぞれの家の立場を背負っている二人には、名前で呼び合うなど、周囲からどんな目を向けられるのか・・・・・
だから「二人だけ」と、征一郎はそこを強調して朔耶に言った。朔耶も其々の立場を分かっているから素直に受け取る。
「さあ、東雲さん達の所に行きましょう」
「はい」
エスコートをする為に私の隣に立ち、背中を押してくれる。その一歩を促す力に安心を覚えたし、この人なら私が歩く事を邪魔する事なく、導いてくれると思えた。
朔耶は背中を押され、征一郎と共に自分の屋敷━━━━━東雲達、迎えを待ち望む者達がいる場所に帰って行った。
数日が過ぎた。このまま何もなかった・・・・・と、言うわけにもいかず朔耶は自分が見聞き、体験したことを響士郎義兄に報告した。
大塚卿相の屋敷の地下に、悪魔降臨の魔法陣があったこと。
悪魔降臨の儀式をしていたのは大塚卿相の娘・麗子で、己の身に起きた事件の怪我を治す代わりに父親や付き人の命を捧げたこと。
火澄様と共闘し、麗子を殺したこと。付き人に悪魔が乗り移り攻撃した際、火澄様が私を庇って怪我をしたこと。
もし、詳しい情報を求めるなら再度、調査し詳しい情報を集める事を述べる。
響士郎義兄様は始めから興味がないのか「分かった」とだけ言って、あとは盤上のチェスの駒を見つめている。
再度の調査を提案した時は、「これ以上の調査は不用」と切り捨てられた。それは「これ以上何もするな」と言っているもの。
朔耶は腑に落ちなかった。大塚麗子はある意味、一般人だ。呪術師の家系でも何でもない。
それなのに、魔法陣は完璧だった。抜けや間違いが一切ない。
一般人ならあってもおかしくないのに、それらがなかった。
本を見てもここまで完璧に再現出来るのか・・・・・
まるで、教えてくれる誰かがいたかのように。
その者も呪術に精通している人物のように思えてくれる。
もし、そうならば國に危機を与える人物として、探し出さなければいけない。
けど、響士郎義兄様はそれらを一切無視して「不要」と切り捨てた。
何かが引っかかるし、腑に落ちない。けど、響士郎義兄様達で既に調査され、答が見つかっているのかもしれない。私はただ、それを知らされないだけ。所詮は名ばかりの当主で権限も何もない。
「・・・・・分かりました。報告は以上です。何もなければこれで失礼いたします」
朔耶が頭を下げて出ていこうとした時、何かを思い出したような、わざとらしい声を朔耶に掛ける。
「そうそう、火澄殿の怪我は?」
「致命傷ではなかった為、心配するような怪我にはならないとの事ですのでご安心下さい」
話を振られたので、足を止め振り返る。
相変わらず、盤上を見つめ、手には何かの駒を持ち遊んでいる。
「そうか・・・・・それならばよい。火澄殿とは長い付き合いになるからくれぐれも失礼のないように」
「・・・・・はい」
意図が分からない。今までも仕事の付き合いで誰かの世話になったり、共闘したりもした。
けど、関係はそれっきりで、此方からも特に連絡もしない。
そもそも、相手は私と関わるのが大層お嫌いなようで終始、不機嫌な顔をしていたことしか思い出せない。
そんな相手しかいなかったし、響士郎義兄様も今までは特に追求もしなかった。なのに、征一郎様だけは色々と違う。
意味が分からない。けど、壬生雀院家にとっては、武の筆頭貴族である火澄家の次期当主と関わりを持つことは不利にはならない。
家の事を思う、響士郎義兄様の本音が漏れ出たと思い、朔耶は軽く頭を下げ部屋を出るために歩き出す。
扉に手をかけた時、響士郎の方から軽いぶつかる音と、倒れる音がした。
振り返ると手に持っていたチェスの駒で駒を倒していた。
手に持っていたのは王様で、倒れているのは女王だ。
そして、その行為に意味があるのか、笑っている。何かに満足したのか、それとも願いが叶ったのか・・・・・・・不敵な笑みに朔耶は一瞬だけ背中がゾクッと寒くなった。
早く、この場から去りたくて急いで部屋を出る。その後はこの屋敷に用はない。長くいても白い目と、小言で言われる嫌味を受け入れなくてはいけない。
朔耶は早足で響士郎のいる屋敷から出ていった。
響士郎義兄様の報告をした日の翌日、一通の手紙が届く。差出人は征一郎様で内容は三日後、屋敷に来て、今回の事の詳細を報告するとの事。
実は、自分の屋敷に帰ってきてから一度、手紙を出している。「今回の事の詳細を教えて欲しい」と。
手紙を送った以降、向こうからの返事はなかったが、やっと返事が来た。無視されていたわけではないことに安堵する。
きっと、今回の事で忙しかったのだろうと思い、東雲達に征一郎様が来ることを伝える。
すると、東雲達は何やら張り切って「準備しますね!!」と言って色々と話し込んでいた。
張り切ってくれるのは有り難いが、いき過ぎないことを願ったのは言うまでもない。
「ふっふふ・・・・・その結果、準備したのは火澄様にも合いそうな西洋の菓子なのだから・・・・・作る段階で色々と大変そうだったけど、出来た時の誇らしい顔は良かった・・・・・」
冷めていた茶はすっかり飲み干し空になった。
湯呑を置いた時に襖の奥から声がする。
「朔耶様・・・・・そろそろ準備を致しましょうか?」
東雲の声がする方を見ると、朔耶は少しだけ微笑む。
「えぇ、お願いね」
その声を聞いて、音もなく襖が動き鴇色の着物を着た東雲が現れる。
栗皮色の衣装盆には鶸色の着物が乗せられた、それらに合わせた小物が乗っている。
これらの着物は朔耶が、征一郎の屋敷から帰ってきた時に着ていた着物だ。
孝子の一件以来、着物類は式神である歌弥や伊勢の部屋の奥に隠している。
基本、朔耶の物を荒らせればいいだけの話なので、孝子達は他の所には行かない。それを逆手に取って朔耶達は征一郎から贈られた着物を隠した。けど、やはり怖いのでなるべく贈らないように、可能なら征一郎の屋敷に保管して欲しいと願い出ている。
自分達なら考えもしなかった。今回の案も千歳さん達が色々と聞いて考えてくれた。本当に有り難い事だ。
「もう、そんな時間なのね。東雲、お願いね」
「はい、折角なので髪も手を加えましょう。火澄様に喜んでもらいましょう」
「何を言っているの?火澄様は仕事で来られるのよ?最低限の身なりは整えるけど髪までも?」
「はい、勿論で御座いますよ」
にっこりしながら部屋に来る東雲に、疑問しかなかったが東雲が、そう言うならばそうなのだろう・・・・・
朔耶は特に疑うこともなく立ち上がり、着ていた着物を脱ぎだし、東雲が持ってきた着物に着替え始めた。
「お待ちしておりました火澄様・・・・・」
西洋の家具が置かれた客間にテーブルを挟み、朔耶と征一郎は向かい合わせで座る。
消炭色の三つ揃えの征一郎は手には茶封筒を持っている。きっとこの中に今回の事の詳細があるのだろう。
対して、朔耶は鶸色の着物に、裾は桃色のぼかしが入り、山茶花が描かれている。
髪も綺麗に結われ、若緑色のつまみ細工の簪がさりげなく彩る。
テーブルには白いティーカップには紅茶が注がれ、茶請けと置かれた皿には歌弥達特製のビスケットが並ぶ。
「遅くなりすみません。色々と報告しないといけないところがありまして・・・・・」
軽く頭を下げられて萎縮してしまう。
元々、征一郎様は天からの指示で動いていた。ならば、報告するのも天が先だろう。最後になろうと、報告してくれるだけでも十分だ。
「何から話せばいいのやら・・・・・ご存じだと思いますが、今回の首謀者は大塚省平が表向きですが、裏で糸を引いていたのが大塚麗子だと思います」
その言葉に朔耶は頷く。自分でもそうだと思っていると。
「大塚省平の奥方や、屋敷に務めていた使用人、大臣をしていたのでその秘書は一時的に拘束し、事情を聞き取り釈放してます。特に、奥方には色々と聞きました。その中で気になる事がありました」
関係者は拘束し、徹底的に聞き取りをしたのだろう。もし、関わっていたのなら今回の事件のあらましが少しでも分かる。
「麗子の事件が起こるまでは普通に仕事をするよき大臣、父親だったそうてす。全てが可笑しくなったのは事件後からです」
征一郎の落ち着いているのに、そこに、感情は一切感じられない淡々とした声で、事件の報告がされる。
自分にされた理不尽な行為に心は壊れ、傷は塞がったが跡は残る。
未来があり、華族の令嬢としての矜持があったのに、それらが一気に閉ざされる。それは耐え難い絶望だったのだろう。聞いていても辛くなる。
心配した婦人や大臣は、口の固く、それでいて麗子の身の回りをしてくれる使用人を探し出した。
それが、悪魔が乗り移り征一郎様に傷を付けた人だ。
真剣に親身に対応する使用人に安心し、麗子本人も徐々に元気になっていく姿に、二人は安堵したのだと言う。
けど、そこから麗子が妙なものに傾倒していく。西洋の文化だと称して黒魔術や降霊術、錬金術など奇天烈なものばかりだったそうだ。
現に、麗子本人の部屋からも、その手の本が大量に見つかっているので間違いない。
そして、それに付随するように大臣も心奪われる。人を意のままに操る妙な力が魅力だったのかもしれない。
その頃から大臣も人が変わったかのように金遣いが荒くなり、仮面舞踊を開催しては、気入った人を屋敷に連れ込んでいく。年齢もバラバラな男女で「未来ある人物の投資」と言われ、婦人は口出しが出来なかった。
けど、部屋に響く声は論議する白熱した声ではなく、男女の艶事の声だったそうだ。
その中で唯一、口出しが出来たのが麗子と使用人だけ。
「まるで、その使用人が本来の黒幕のような言い方ですね」
「使用人ですが、我々の力不足で詳しい事が分からなかったのです。出された経歴はどれも出鱈目・・・・・人宿の紹介とのことで調べたのですが、生まれも何もかも存在せず・・・・すみません」
征一郎の悔しそうな顔に朔耶も眉を寄せる。
大臣の屋敷に使用人として行くのだから、それなりに出自は大事だろう。提出された身分を疑いもせず受け入れた結果がこれなら何とも言えない。
「全てが誰かの手のひらで踊らされていたのでしょうか?」
朔耶の一言に征一郎は何も言えなかった。
自分達のしたことは解決したように見えて、解決してない。朔耶の言葉通り、誰かの手のひらで踊らされている気分になる。
「・・・・・「アフロディーテの雫」は大臣が手引きしていたのですよね?」
朔耶は思い出し征一郎に尋ねる。確か砂糖が必要とか・・・・・だったかしら?
「大臣の仕事は外務省で諸外国と可関わります。その中で持ちかけられた話に砂糖の輸入がありました。我が國には黒糖や白下糖が主で、薬や高級品といった類に部類します。諸外国から車糖や甜菜糖を輸入し國の発展をしないかと誘われたようです。砂糖の原体を輸入し、國内で精製する。その過程で生まれたのが「アフロディーテの雫」です。偶然の産物だと工場の関係者は言ってました・・・・・安心して下さい。既に工場は封鎖されてます。これ以上、國に「アフロディーテの雫」が蔓延する事はありません」
「アフロディーテの雫」には苦い思いしかない朔耶は聞いていて、段々と顔が下を向いてしまう。
物があるなら、それを製造した者が必ずいる。自然に出来たものでないのだから。
「その、工場の者達は・・・・・?」
「残念ながらこれ以上はお教えする事は出来ません。でも、安心して下さい。命を取るまではしてません。勿論、非人道的な事もしてませんので」
安心させる為か、笑っている顔は湖を凪いだように静かな瞳だ。泣き黒子があるせいか余計に静かに、そこに感情を一切感じない。
これ以上は踏み込んではいけない領域だと、暗に知らされ朔耶は詮索する事を諦めた。
線引きされた所に踏み込んでも、いいことは何もない。それは、これまで十分に体験している。
全てが曖昧で、薄絹で一枚覆われている気分だ。脱ぎ去れば全てが見えるのに、脱ぎされない。寧ろ、その薄絹のおかげで自分の身の安全が保たれている気もする。
「承知しました。工場の人達に何もなければそれで良いです」
何も知らなかったかもしれない者達が、痛めつけられるのは心苦しい。けど、「そうではない」と分かると、安心してしまう。
それが、本当かどうかは探らない。上辺だけの言葉を信じ、その、奥深くには踏み込まない。それが、己を保つ事だと分かっているから。
部屋を支配する沈黙。何かを言いたいのに言葉が見つからない。伝えたい言葉が正しいのか、間違いなのか思案してしまう。
朔耶は太腿に置いていた手袋をした手を強く握りしめた。
その時、征一郎からでた言葉に目を白黒させてしまう。
「・・・・・・・朔耶様?今日は天気がいいですね・・・・・この後、何か予定はありますか?」
「?え?はい?・・・・・予定はないです」
突然の事に朔耶は驚いて、少しだけ語尾が上がりながらも、今日の予定はないことを伝える。
朔耶の語尾上がりに苦笑いしながら征一郎は、微笑みながら窓の方を見上げる。
「実は、いいところを見つけましてね。良ければこのまま散歩しませんか?テーブルにあるビスケットを持って行きましょう・・・・・飲み物は紅茶がいいですね。水筒に入れていきましょう」
まるでこの話はこれで終わりだと言っているようなものだ。
話すことはないのか、出来ないのか・・・・・とても曖昧だ。
でも、相手の様子を見ると、そのどれにも当てはまりそうで・・・・・踏み込んで話したいのに、この様子では取り合ってもらえないのが是が非でも分かる。
━━━━━━━悔しい
正直、この気持ちが大部分を占めている。
けど、長年、培った経験から、相手が切り上げたなら、これ以上は此方が食い下がっても意味がない。時間を置いて再び尋ねたほうがいいこともある。
「・・・・・ビスケットは歌弥達が頑張って作ったものですから是非食べて下さい。いいところとは何処でしょう?」
なるべく冷静に、感情的にならず、淡々と・・・・・朔耶は心の中で、その事だけを繰り返し言い聞かせて、征一郎の話に返答する。
朔耶の自然な切り返しに、征一郎は朔耶を見つめる。聞きたいことが山のようにある筈なのに、此方の切り上げに対し、これ以上の詮索をしない。
それは、朔耶がこれまで経験してきたことが理由なのかもそれない。
凪いだ表情の朔耶が、呪術を使用していた時の朔耶と重なる。
張り詰めて、全神経を集中させている時の朔耶と似ている。
そんな表情にさせているのは間違いなく自分だ。
「詳しくは言えませんが、気分が良くなる場所です。風がとても気持ちの良いところで、朔耶様も気に入りますよ・・・・・有り難う御座います・・・・・やはり、貴女は周りで言われているような方ではなく、思慮深く、物事をよく理解している。これ以上は意味がないと分かり、深くは追求しないことが得策と考えている・・・・・そうですよね?」
全てを見透かす眼差しを向けられて、朔耶は背筋を伸ばす。
「お答えはしません。何を思おうとそちらの自由。私は私の考えで動きます。今回は追求しないほうが互いの為だと分かったのでそうしたまでです・・・・・・・」
心の裏まで見透かすような眼差しに萎縮してしまいそうになりながらも、朔耶は何事にも動じない「壬生雀院家の当主」として答える。
「・・・・・分かりました。では、そのように思います・・・・・・・さて、今から出掛けたいと思いますが、朔耶様は付いてきてくれますか?」
立ち上がり、手を差し伸べる征一郎の手をじっと眺め、朔耶は手袋をした手をその手に乗せる。
「えぇ、喜んで・・・・・」
そう言って立ち上がり、互いに視線を交わす。
背の高い征一郎を見上げ、朔耶は僅かに微笑んだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
謎は謎のままで・・・・・ある意味、未解決事件です。
征一郎も分かっていること、いないことがあり、詳しく調べたいのに調べられないもどかしさがあり、朔耶は朔耶で動きたいけどあまり動けず、色々なしがらみのせいで満足に動けないもどかしさがあります。
けど、そのうち、解決すんじゃね?と、思いながら頑張って欲しいです。
さて、征一郎のとっておきの場所は何処なのか?
次で分かるかな~
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