2 / 26
序 出発の朝
出席番号10番 世良夢見
しおりを挟む
当日の集合時間は朝8時。
でも、わたしは1時間以上前に学校に着いていた。
校門近くには、すでに貸し切りの中型バスが停車している。運転士さんの姿は見えない。
もう9月の下旬だというのに、朝のこの時間帯でも陽射しはとても強く、道路脇や集合場所の校庭でみんなを待っていたら、熱中症になっちゃいそうだ。教室で時間を潰したほうがいいのかも。
「なんだ世良、もう来てたのか」
下駄箱にスニーカーを入れた、ちょうどそのとき、廊下を歩いていた担任の真田先生が声をかけてくれた。服装はいつもと同じ、ジャージ姿だった。
「あっ、はい……遅れないように早く来ました」
視線を合わせずに答えるわたしに、先生は笑いながら「世良は相変わらず真面目だなぁ」と言って、わたしの右肩に片手をポンと置く。
きゃあ! これだけで早く来た甲斐があった!
先生に話しかけられたし、身体に触れてもくれた!
わたしは、真田裕章先生が好きだ。
先生は平凡でなんの特技もない、こんなつまらないわたしにも優しく接してくれる。いつも気遣ってくれる。笑いかけてくれる。
担任なんだから当たり前のことだし、ほかの生徒も同じような扱いを受けているのはわかってる。それでもわたしは、先生のことが大好きだ。
「真田先生、おはようございます」
そのあいさつを聞いて、われに返る。
南雲忍さん……彼女も早く来てたんだ。
「おっ? 南雲、まさかきょうも朝練か?」
「はい、そうです。雨の日も雪の日も、練習を休むわけにはいかないんで」
「うーん……無理すると怪我するぞ? とくに、きょうなんて山登りだからな」
南雲さんは1年生だけど、陸上部の次期エースとして顧問の先生だけでなく、学校からも期待されていた。全中陸上の1500メートル走でベスト8に入った実力者なのだから、当然のことだろう。
「ありがとうございます。体調管理は万全のつもりです。いえ、完璧です」
姿勢を正したまま、直立不動で答える南雲さんに、先生は苦笑いを浮かべながら「おれはただの担任なんだから、もっと肩の力を抜いて話してくれよ」と南雲さんの片腕にそっと触れて言った。
それを見て──ほかの女子生徒に触れるところを見て、わたしの胸はザワついた。
先生、わたし以外の女子を触らないでください!
そう喉元まで言葉が出てきそうになる。
もちろん、そんなこと言えるはずがない。
「完璧か。おれも負けてられないな。ふたりとも、集合時間の10分前には校庭に戻って来いよ」
「はい」
歩き出した先生に、なにも言えなかったわたしとは違い、南雲さんは力強く返事をした。
*
南雲さんは、あのあとすぐに校庭へ戻り、走り始めた。わたしは空調の効いたE組の教室にひとりですわり、窓の外の青空を眺めている。
やっぱりわたしは、なにも持たない平凡な人間なんだ。
こんなわたしなんかと先生は不釣り合いだ。
それでも……わたしは先生のことが好きだ。
きょうのお弁当は、ふたつ作ってきた。ひとつは先生の分。頼まれてもいないし、一緒にお昼を食べてもらえる可能性だって低い。ううん、無理かもしれない。
だけど、食べて欲しい。先生の思い出に残りたい。先生の心に残りたい。生徒としてではなく、異性として見て欲しい。ひとりの女として愛して欲しい。
でも、先生には奥さんがいる。子供もふたり、いる。
先生は奥さんを愛しているのかな?
夫婦関係は冷めきっていたりしていないのかな?
わたしなんかが入り込む余地があるのかな?
「あ。夢見、もう来てんじゃん」
「夢見ぃ、ライン見ろよ、もー!」
名前を呼ばれて振り返る。
同じ班の出口紗季ちゃんと梶浦ひかりちゃんだ。
「あっ、ごめん……電車降りてからスマホ、全然見てないや」
慌ててリュックからスマホを取り出す。
『駅で待ち合わせて一緒に行く?』とか『コンビニでお菓子買い足そうか』といったメッセージと大量のスタンプが、30分以上前にいくつも書き込まれてあった。
「ふたりともごめんね。今朝は4時起きでお弁当作ってたから、なんかさっきまでぼーっとしてた」
「えっ!? 4時起き!? お弁当って……夢見のお母さん、作ってくれないの?」
そう言いながら紗季ちゃんがわたしの隣の席にすわる。ひかりちゃんは自分の席の机にリュックを置くと、そのまま教室を出ていった。ひかりちゃんは新聞部なので、部室に一眼レフカメラを取りに行ったのかも。
「ううん、いつも作ってくれるよ。きょうはなんか、自分で作りたくって早起きしたんだ」
「ほーん……まさか、真田の分のお弁当も作ってたりしてないよね?」
その言葉を聞いて心臓が止まりそうになった。
紗季ちゃんは勘が鋭く、わたしが先生に好意を寄せていることに気がついている。紗季ちゃんは誰かに言いふらすような子じゃないから──共通の親友のひかりちゃんにも──わたしの恋心は現在進行形で密やかに育むことができていた。
「……作ってきた」
「うわー、マジかぁー」
「そんな顔しなくてもいいじゃん……」
「だってさ、真田は教師だしオッサンだし既婚者なんだよ? なんでまたあんなのがいいのよ?」
「あんなのじゃないよ。先生は……すごく素敵な大人の男性だし、だから結婚だってしてるし」
「ちょちょちょ、ちょい! 自分がなにを言ってるのかわかってる? あのさ……こんなこと言いたくはないけど、夢見はお父さんを早くに亡くしてるから、真田に父親の面影ってヤツ? それを見てるだけなんじゃないかな。本当は好きとかじゃないんだよ」
頭に血がのぼる。
そんなんじゃないと、お父さんは関係ないと強く否定をしたくなる。
でも、なにも言えなかった。そんな自分が情けなかった。
「あっ、みんな校庭に集まってんじゃん。うちらもそろそろ行こうよ」
いつの間にか教室に戻って窓辺に立っていたひかりちゃんが言う。首にはやっぱり、一眼レフカメラがぶら下がっていた。
「やっば! せっかく早目に来てたのに、遅れるって! 急ご、急ご!」
「あっ、待ってよ紗季!」
駆け足でリュックを手にしたひかりちゃんが、紗季ちゃんのあとを追いかける。
少し遅れて、わたしもふたりに続いて教室を出た。
でも、わたしは1時間以上前に学校に着いていた。
校門近くには、すでに貸し切りの中型バスが停車している。運転士さんの姿は見えない。
もう9月の下旬だというのに、朝のこの時間帯でも陽射しはとても強く、道路脇や集合場所の校庭でみんなを待っていたら、熱中症になっちゃいそうだ。教室で時間を潰したほうがいいのかも。
「なんだ世良、もう来てたのか」
下駄箱にスニーカーを入れた、ちょうどそのとき、廊下を歩いていた担任の真田先生が声をかけてくれた。服装はいつもと同じ、ジャージ姿だった。
「あっ、はい……遅れないように早く来ました」
視線を合わせずに答えるわたしに、先生は笑いながら「世良は相変わらず真面目だなぁ」と言って、わたしの右肩に片手をポンと置く。
きゃあ! これだけで早く来た甲斐があった!
先生に話しかけられたし、身体に触れてもくれた!
わたしは、真田裕章先生が好きだ。
先生は平凡でなんの特技もない、こんなつまらないわたしにも優しく接してくれる。いつも気遣ってくれる。笑いかけてくれる。
担任なんだから当たり前のことだし、ほかの生徒も同じような扱いを受けているのはわかってる。それでもわたしは、先生のことが大好きだ。
「真田先生、おはようございます」
そのあいさつを聞いて、われに返る。
南雲忍さん……彼女も早く来てたんだ。
「おっ? 南雲、まさかきょうも朝練か?」
「はい、そうです。雨の日も雪の日も、練習を休むわけにはいかないんで」
「うーん……無理すると怪我するぞ? とくに、きょうなんて山登りだからな」
南雲さんは1年生だけど、陸上部の次期エースとして顧問の先生だけでなく、学校からも期待されていた。全中陸上の1500メートル走でベスト8に入った実力者なのだから、当然のことだろう。
「ありがとうございます。体調管理は万全のつもりです。いえ、完璧です」
姿勢を正したまま、直立不動で答える南雲さんに、先生は苦笑いを浮かべながら「おれはただの担任なんだから、もっと肩の力を抜いて話してくれよ」と南雲さんの片腕にそっと触れて言った。
それを見て──ほかの女子生徒に触れるところを見て、わたしの胸はザワついた。
先生、わたし以外の女子を触らないでください!
そう喉元まで言葉が出てきそうになる。
もちろん、そんなこと言えるはずがない。
「完璧か。おれも負けてられないな。ふたりとも、集合時間の10分前には校庭に戻って来いよ」
「はい」
歩き出した先生に、なにも言えなかったわたしとは違い、南雲さんは力強く返事をした。
*
南雲さんは、あのあとすぐに校庭へ戻り、走り始めた。わたしは空調の効いたE組の教室にひとりですわり、窓の外の青空を眺めている。
やっぱりわたしは、なにも持たない平凡な人間なんだ。
こんなわたしなんかと先生は不釣り合いだ。
それでも……わたしは先生のことが好きだ。
きょうのお弁当は、ふたつ作ってきた。ひとつは先生の分。頼まれてもいないし、一緒にお昼を食べてもらえる可能性だって低い。ううん、無理かもしれない。
だけど、食べて欲しい。先生の思い出に残りたい。先生の心に残りたい。生徒としてではなく、異性として見て欲しい。ひとりの女として愛して欲しい。
でも、先生には奥さんがいる。子供もふたり、いる。
先生は奥さんを愛しているのかな?
夫婦関係は冷めきっていたりしていないのかな?
わたしなんかが入り込む余地があるのかな?
「あ。夢見、もう来てんじゃん」
「夢見ぃ、ライン見ろよ、もー!」
名前を呼ばれて振り返る。
同じ班の出口紗季ちゃんと梶浦ひかりちゃんだ。
「あっ、ごめん……電車降りてからスマホ、全然見てないや」
慌ててリュックからスマホを取り出す。
『駅で待ち合わせて一緒に行く?』とか『コンビニでお菓子買い足そうか』といったメッセージと大量のスタンプが、30分以上前にいくつも書き込まれてあった。
「ふたりともごめんね。今朝は4時起きでお弁当作ってたから、なんかさっきまでぼーっとしてた」
「えっ!? 4時起き!? お弁当って……夢見のお母さん、作ってくれないの?」
そう言いながら紗季ちゃんがわたしの隣の席にすわる。ひかりちゃんは自分の席の机にリュックを置くと、そのまま教室を出ていった。ひかりちゃんは新聞部なので、部室に一眼レフカメラを取りに行ったのかも。
「ううん、いつも作ってくれるよ。きょうはなんか、自分で作りたくって早起きしたんだ」
「ほーん……まさか、真田の分のお弁当も作ってたりしてないよね?」
その言葉を聞いて心臓が止まりそうになった。
紗季ちゃんは勘が鋭く、わたしが先生に好意を寄せていることに気がついている。紗季ちゃんは誰かに言いふらすような子じゃないから──共通の親友のひかりちゃんにも──わたしの恋心は現在進行形で密やかに育むことができていた。
「……作ってきた」
「うわー、マジかぁー」
「そんな顔しなくてもいいじゃん……」
「だってさ、真田は教師だしオッサンだし既婚者なんだよ? なんでまたあんなのがいいのよ?」
「あんなのじゃないよ。先生は……すごく素敵な大人の男性だし、だから結婚だってしてるし」
「ちょちょちょ、ちょい! 自分がなにを言ってるのかわかってる? あのさ……こんなこと言いたくはないけど、夢見はお父さんを早くに亡くしてるから、真田に父親の面影ってヤツ? それを見てるだけなんじゃないかな。本当は好きとかじゃないんだよ」
頭に血がのぼる。
そんなんじゃないと、お父さんは関係ないと強く否定をしたくなる。
でも、なにも言えなかった。そんな自分が情けなかった。
「あっ、みんな校庭に集まってんじゃん。うちらもそろそろ行こうよ」
いつの間にか教室に戻って窓辺に立っていたひかりちゃんが言う。首にはやっぱり、一眼レフカメラがぶら下がっていた。
「やっば! せっかく早目に来てたのに、遅れるって! 急ご、急ご!」
「あっ、待ってよ紗季!」
駆け足でリュックを手にしたひかりちゃんが、紗季ちゃんのあとを追いかける。
少し遅れて、わたしもふたりに続いて教室を出た。
20
あなたにおすすめの小説
滅・百合カップルになれないと脱出できない部屋に閉じ込められたお話
黒巻雷鳴
ホラー
目覚めるとそこは、扉や窓のない完全な密室だった。顔も名前も知らない五人の女性たちは、当然ながら混乱状態に陥り──
あの悪夢は、いまだ終わらずに幾度となく繰り返され続けていた。
『この部屋からの脱出方法はただひとつ。キミたちが恋人同士になること』
疑念と裏切り、崩壊と破滅。
この部屋に神の救いなど存在しない。
そして、きょうもまた、狂乱の宴が始まろうとしていたのだが……
『さあ、隣人を愛すのだ』
生死を賭けた心理戦のなかで、真実の愛は育まれてカップルが誕生するのだろうか?
※この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、地名、事件などとは一切関係ありません。無断転載禁止。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
レオナルド先生創世記
ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし
響ぴあの
ホラー
【1分読書】
意味が分かるとこわいおとぎ話。
意外な事実や知らなかった裏話。
浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。
どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。
怪奇蒐集帳(短編集)
naomikoryo
ホラー
この世には、知ってはいけない話がある。
怪談、都市伝説、語り継がれる呪い——
どれもがただの作り話かもしれない。
だが、それでも時々、**「本物」**が紛れ込むことがある。
本書は、そんな“見つけてしまった”怪異を集めた一冊である。
最後のページを閉じるとき、あなたは“何か”に気づくことになるだろう——。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる