中霧山の悪夢

黒巻雷鳴

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序 出発の朝

出席番号10番 世良夢見

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 当日の集合時間は朝8時。
 でも、わたしは1時間以上前に学校に着いていた。
 校門近くには、すでに貸し切りの中型バスが停車している。運転士さんの姿は見えない。
 もう9月の下旬だというのに、朝のこの時間帯でも陽射しはとても強く、道路脇や集合場所の校庭でみんなを待っていたら、熱中症になっちゃいそうだ。教室で時間を潰したほうがいいのかも。

「なんだ世良せら、もう来てたのか」

 下駄箱にスニーカーを入れた、ちょうどそのとき、廊下を歩いていた担任のさな先生が声をかけてくれた。服装はいつもと同じ、ジャージ姿だった。

「あっ、はい……遅れないように早く来ました」

 視線を合わせずに答えるわたしに、先生は笑いながら「世良は相変わらず真面目だなぁ」と言って、わたしの右肩に片手をポンと置く。
 きゃあ! これだけで早く来た甲斐があった!
 先生に話しかけられたし、身体からだに触れてもくれた!
 わたしは、真田裕章ひろあき先生が好きだ。
 先生は平凡でなんの特技もない、こんなつまらないわたしにも優しく接してくれる。いつも気遣ってくれる。笑いかけてくれる。
 担任なんだから当たり前のことだし、ほかの生徒も同じような扱いを受けているのはわかってる。それでもわたしは、先生のことが大好きだ。

「真田先生、おはようございます」

 そのあいさつを聞いて、われに返る。
 ぐもしのぶさん……彼女も早く来てたんだ。

「おっ? 南雲、まさかきょうも朝練か?」
「はい、そうです。雨の日も雪の日も、練習を休むわけにはいかないんで」
「うーん……無理すると怪我するぞ? とくに、きょうなんて山登りだからな」

 南雲さんは1年生だけど、陸上部の次期エースとして顧問の先生だけでなく、学校からも期待されていた。全中陸上の1500メートル走でベスト8に入った実力者なのだから、当然のことだろう。

「ありがとうございます。体調管理は万全のつもりです。いえ、完璧です」

 姿勢を正したまま、直立不動で答える南雲さんに、先生は苦笑いを浮かべながら「おれはただの担任なんだから、もっと肩の力を抜いて話してくれよ」と南雲さんの片腕にそっと触れて言った。
 それを見て──ほかの女子生徒に触れるところを見て、わたしの胸はザワついた。
 先生、わたし以外の女子を触らないでください!
 そう喉元まで言葉が出てきそうになる。
 もちろん、そんなこと言えるはずがない。

「完璧か。おれも負けてられないな。ふたりとも、集合時間の10分前には校庭に戻って来いよ」
「はい」

 歩き出した先生に、なにも言えなかったわたしとは違い、南雲さんは力強く返事をした。


     *


 南雲さんは、あのあとすぐに校庭へ戻り、走り始めた。わたしは空調の効いたE組の教室にひとりですわり、窓の外の青空を眺めている。
 やっぱりわたしは、なにも持たない平凡な人間なんだ。
 こんなわたしなんかと先生は不釣り合いだ。
 それでも……わたしは先生のことが好きだ。
 きょうのお弁当は、ふたつ作ってきた。ひとつは先生の分。頼まれてもいないし、一緒にお昼を食べてもらえる可能性だって低い。ううん、無理かもしれない。
 だけど、食べて欲しい。先生の思い出に残りたい。先生の心に残りたい。生徒としてではなく、異性として見て欲しい。ひとりの女として愛して欲しい。
 でも、先生には奥さんがいる。子供もふたり、いる。
 先生は奥さんを愛しているのかな?
 夫婦関係は冷めきっていたりしていないのかな?
 わたしなんかが入り込む余地があるのかな?

「あ。夢見、もう来てんじゃん」
「夢見ぃ、ライン見ろよ、もー!」

 名前を呼ばれて振り返る。
 同じ班のぐち紗季さきちゃんと梶浦かじうらひかりちゃんだ。

「あっ、ごめん……電車降りてからスマホ、全然見てないや」

 慌ててリュックからスマホを取り出す。
『駅で待ち合わせて一緒に行く?』とか『コンビニでお菓子買い足そうか』といったメッセージと大量のスタンプが、30分以上前にいくつも書き込まれてあった。

「ふたりともごめんね。今朝は4時起きでお弁当作ってたから、なんかさっきまでぼーっとしてた」
「えっ!? 4時起き!? お弁当って……夢見のお母さん、作ってくれないの?」

 そう言いながら紗季ちゃんがわたしの隣の席にすわる。ひかりちゃんは自分の席の机にリュックを置くと、そのまま教室を出ていった。ひかりちゃんは新聞部なので、部室に一眼レフカメラを取りに行ったのかも。

「ううん、いつも作ってくれるよ。きょうはなんか、自分で作りたくって早起きしたんだ」
「ほーん……まさか、真田の分のお弁当も作ってたりしてないよね?」

 その言葉を聞いて心臓が止まりそうになった。
 紗季ちゃんは勘が鋭く、わたしが先生に好意を寄せていることに気がついている。紗季ちゃんは誰かに言いふらすような子じゃないから──共通の親友のひかりちゃんにも──わたしの恋心は現在進行形で密やかに育むことができていた。

「……作ってきた」
「うわー、マジかぁー」
「そんな顔しなくてもいいじゃん……」
「だってさ、真田は教師だしオッサンだし既婚者なんだよ? なんでまたあんなのがいいのよ?」
「あんなのじゃないよ。先生は……すごく素敵な大人の男性だし、だから結婚だってしてるし」
「ちょちょちょ、ちょい! 自分がなにを言ってるのかわかってる? あのさ……こんなこと言いたくはないけど、夢見はお父さんを早くに亡くしてるから、真田に父親の面影ってヤツ? それを見てるだけなんじゃないかな。本当は好きとかじゃないんだよ」

 頭に血がのぼる。
 そんなんじゃないと、お父さんは関係ないと強く否定をしたくなる。
 でも、なにも言えなかった。そんな自分が情けなかった。

「あっ、みんな校庭に集まってんじゃん。うちらもそろそろ行こうよ」

 いつの間にか教室に戻って窓辺に立っていたひかりちゃんが言う。首にはやっぱり、一眼レフカメラがぶら下がっていた。

「やっば! せっかく早目に来てたのに、遅れるって! 急ご、急ご!」
「あっ、待ってよ紗季!」 

 駆け足でリュックを手にしたひかりちゃんが、紗季ちゃんのあとを追いかける。
 少し遅れて、わたしもふたりに続いて教室を出た。




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