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[電子版] 推理 もう一つの野麦峠 (第四話)
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[電子版] 推理 もう一つの野麦峠 (第四話)
十三、山田の手紙
そのあと美智子は、ホテルの小さな机に向かっていた。山田の手紙には、古川の日記というより、観察記録のような書式でびっしりと書き込まれていた。
暫くは読みながら入力を続けた。所々に抜粋や山田自身の註釈が、余白を埋め尽くしている。これはただ単純に書き足したのではない。真実を追求するため、以前からコツコツと手書きで書き足してきたものだと思った。
その本文からは「この団地に入居した頃のこと、団地内の奥さん方から、どこから来たのかと、さかんに聞かれた。それも申し合わせたかのように、同じタイミングで聞いてくる。時には同じ奥さんから、二度も三度も繰り返し聞かれることもあった。この地からではないことを知ると、なぜか一様にがっかりした表情を見せる。その事に強い違和感を感じた」と記されている。
注釈には「フルさんに対して外人だという嘘をはじめ、デマの数々は入居時からあったように思う」と、山田の自筆が強調していた。
続けて「団地住人の表情には、人としての温もりが無い。顔では笑って返すが、その眼には敵意まで感じられる」山田の注釈「フルさんも住民の変な反応に、これは何なのかと思ったそうだ」
本文「自分には敵意など全く無いのにと、周りにアピールした。更には、住民の和の中に溶け込もうと努力もした。ところが住人側の反応は、いっこうに冷ややかなままだ。中には拒絶を示す者まで居た」
美智子は駅前に降り立ったとき、道行く人々の表情に違和感があったことを思い出した。
注釈「居住をはじめて数年後、あからさまな弾き出しこそ無かったが、フルさんにまず起こったのが、外間伸が売った喧嘩だ。俺がこの喧嘩を知ったのは四年後のことだ。夫の伸にものぶよと同じ、弱い立場の者を虐めるという加虐心があった。伸は、女房からの嗾けに加えて、己の加虐心を満たす為に喧嘩を売ったと推定した。その経緯をフルさんの口から直接聞いている」とあった。
「その様子を詳しく記録する。本文「それは休日の午後二時ごろのこと、団地内にあるその道路にはいつものように、路上駐車している車があった。ここは公営住宅だ。当然、割り当てられた駐車場がある筈だが、この家に限っては、前の路上を占拠するにうに駐車していた。それも道路の中央に駐車しているため、避けて通過するにも困難だ。そこでクラクションを鳴らした。やっと出て来た男は、自分に向かって(ちょっと停めていただけだ。こんなことでいちいち鳴らすな)などと悪態をつき、尚も何かを言い続けている。青空駐車による道路封鎖の嫌がらせは、これまで何度もあった」
「男は駐車している車の前に立ち止まると、こっちへ来いと顎で指図した。近寄ったところを男はがぶり寄りをし、自分の胸倉を掴もうとする。逃げようとして後ろに下がったが、側溝を避けるために回り込む必要があった。そのため三歩後退したところで追いつかれ、自分の襟首を掴まれた」
「まだ半袖の季節とあって、薄手のTシャツが幸いした。掴まれた襟元は伸びたが、男の左手首を自分の右小手で払いながら、且つ腕関節を決めた」
「男は殴り掛かって来る寸前だったので、体重が前足に掛かっていた。男の右手がパンチを繰り出そうとする寸前だ。そのタイミングに合わせて、決めていた男の左腕を引いた。そのためパンチはつんのめったように流れ、自分の顎を掠めただけで、強いダメージには至らなかった」
「この瞬間、男の酒臭い息が掛かった。自分はそのまま男の腕を決め続けたが、相手は大男だ体力では負ける。そこで自分の左手を男の左肩に押し当てた。その瞬間、男自ら倒れ込んだ。舗装路に後頭部を打ち付けないようにと、同じ左手で男の左腕を掴んだまま右手と合わせて持ち上げ、その状態を保持した」
注釈「このような、保護行動はどこの道場でも指導されている。そのかいあって男の後頭部は、余裕で舗装面に打つことがなかった」
「立ち上がった男の様子から、怪我の無いことを確認した」
本文「そのあと男は、やくざ言葉で(おい、小僧。俺はいまので怪我をしたぞ。ちょっと顔をかせ)そう言うと、青空駐車をしている車を移動させた。距離的にはほんの十メートルほどだ。そこには、トラックでも方向転換できるほどの、広い三叉路がある」
注釈「最初からその位置に駐車していれば、何一つ問題は無かったはずだ。男は十メートル離れた位置に駐車する労力を惜しんだ結果、家の前にある道路を封鎖するという、身勝手を繰り返していた為に起こった一件だ」
本文「尚も男は、移動し終えた車のトランクから、何かを取り出しているのが分かった。自分が駐車場に駐車し終わるのを待って、男が再び(おい、小僧。俺はいまので怪我をしたぞ)と再び怒鳴るが、どう見ても怪我をしたようには見えない」
「そこで、どこを怪我したと言い返した。すると男は無言のまま尚も向かって来る。自分の前に立ちはだかると、男は鉈を鞘から半分ほど抜いて刃をちらつかせた。トランクから取り出した何かとは、この鉈のことだったと分かった」
「フルさんは迫ってきたその男の眼をどこまでも睨み返した。すると男は突然視線を外し、自宅の方向へと向かうが(おめえはこの地を知らねえ。覚えとけ)と捨て台詞を吐いて去った」
山田の追記「強い者にはへつらうくせに、弱い者には高飛車になる。狡さも卑怯も恥としない男だと、噂を証明していた」美智子は、速記帳にあるコメントから、これが真実だと直感した。
追記「外間伸が売った喧嘩に、フルさんは自分の身を守っただけだ。誰がどう見ても正当防衛でしかない」
「この時、伸の息が酒臭かった事を証言している。しかも、外間伸は喧嘩の直後に鉈を取り出して、脅しまで仕掛けているのだ。自分で喧嘩を売っておきながら、怪我をしたとP論法まで持ち出した」
「俺はこの瞬間、背景にのぶよの卑劣さを感じた。のぶよは喧嘩自慢の夫に、よそ者が殴られる姿を見たかったのだ。よそ者が夫によってボコボコにされる姿を、日ごろから想像していた。その為には、何やかんやと夫をけしかけてきた。それを知っている二人の子供も、伸がフルさんに向かって殴り掛かるのを、のぶよと一緒に見物していたはずだ」
「以上は、文子から聞いていた供述とほとんど同じだ。ある程度の歪曲はあって然るべきと思っていたが、文子に対する信頼性が高まったと実感した。
更に「フルさんは、この一部始終を、警察への通報で供述している。その話を受けた男は、端から外間の側に寄った対応をとっていた。だから(危険は感じなかったですか)などと質問したんだ。これはフルさんの口から(危険はなかった)との証言を引き出すための誘導尋問とも取れる」
「犯罪に関わったことのない者は嵌められやすい。この時、フルさんの頭にあったのは、暴漢からの暴力を跳ね返したという、この一言に尽きる。だから、誘導尋問とも知らないで、伸が刃物を持ち出した事に、鉈なんか振り回したってなんともない、と正直に答えたんだ。仮にフルさんが悪党であれば(鉈で切りつけられ、命の危険に晒された)と声高に叫んだ筈だ」
「ここで明らかにしなければならないのは、外間が人を欺く一家として、団地じゅうの嫌われ者だった。それにも関わらず、警察は外間の違法駐車と、フルさんへの暴行未遂をなぜ捜査しなかった。それは当時団地に居住していた交通課の大林が、よそ者のフルさんに対して差別的な偏見があったからだ」
註釈「この外間伸との喧嘩を切っ掛けに、フルさんの周りでは(外人だ)だと嘯く声が、日に日に大きくなっていった。もちろん本人には聞こえないように、遠巻きする形で交わされたと推測する」
「その結果、フルさんは、外人と言われている事を、つい最近まで知らなかった。そこを、のぶよは「これだけ外人だと言っているのに、古川は一言も反論しない。だからやっぱり外人だと、本人が証明している」などと、執拗に繰り返した。このP論法こそ、のぶよ得意技だ」とある。
そして「のぶよは、少女少年院に入る前から、ひょうひょうと嘘の言える性格をしていた。とにかく嘘を言う事に何一つ躊躇いが無い」
「それも少女少年院を出てからは、他人を攻撃する道具として、嘘を言うようになっていた。勧誘員となってからは、その嘘に理論的な磨きが掛かり、壮年期の男でさえ騙される。公務員であろうと警官であろうと、あの女の口車には、子共のように手玉に取られるんだ。フルさんは、こんな一家はもう相手にしたくないと、そう思ったのが全ての始まりだった」
「そして、この一件がきっかけで、嫌がらせはますますエスカレートしたと思われる。職場では何を言っているかまでは分からないが、本人のことを何やら噂している様子が続いていた」
「特に若い後輩たちからは、バカにしたような態度や言葉が目立つ。だがその言葉は、陰から途切れ途切れに聞こえる程度のものだ。おそらく面と向かっては言えない、後ろめたさがある裏付けと推定した」
「いずれにしても些細な事と、相手にしなかったが、数年も経つうちには気になり始め、何を噂しているのかが次第に重荷になっていくのを感じたそうだ」
「そこで友人に教えてもらおうと、あれこれ打診したが何故か返事は皆無だった。親しくなればなるほど、教えて貰えないような気がしてならない」
「そして、団地は一見平穏そうに観えるが、深夜ともなるとカーテンには赤いパトライトが映って、何事かと思わされる事が度々あった。それからというもの、赤い点滅には嫌でも敏感になる。帰宅時間の遅いフルさんは、巡回しているパトカーが、やたらと目に付くようになっていた。時には実際に発生した事件で、本当に駆け付けて来た警官の姿まで見ていた。この見慣れない光景に驚きもしたが、余りにも度重なると、人はいつしか慣れてくるものだ」
解説「フルさんも、やがて気にも留めなくなった。ただ外間の一件からは、団地内で起こる事件を含めて、ここが本当に変なところであると、本気で思うようになった」
「例えば役員会で、酔っぱらった者が(あいつを刺し殺してやる)などと口走った者までいた。すると隣にいた小太りの中年が(そんなことしたら、十何年も刑務所暮らしになる)と、酒臭い息で言う。いったいどこの世界なのかと思ったが、妙に信憑性を感じる」
本文「そしてまた数年が経ったある日のこと、若い後輩たちが(外人)と言っているこの単語は、自分に向けられているような気がした。そこでまた、親しいと思っていた友人に再び尋ねたが、やっぱり答えは得られなかった。だが、一言だけ、そんなこと気にしなくていいよ、の言葉がより気になった。この言葉の意味を知ったのはずっと後のことだ。同時にやりきれない憤りを感じる」
「当時は、このような環境が負担になり、やがて家族に影響が及び兼ねない事を危惧して、退社を決意した。およそ十二年間の職場だった」追記、フルさんの職場は、この地に隣接する市に位置している。当然、土地者も同じ職場には少なくない。そして、数々の被害と共に職場も失った。
以下は手紙から、AIが再編集したものだ。「のぶよの背後に、けい子が居ることを知った途端に、住人たちは外間一家を受け入れるようになった。勿論、うわべだけのことだ」
「その受け入れ側の全てが、犯歴ある者とその近親者たちである。犯歴の無い一般の人たちは、のぶよと折山の関係を噂し合った」
「一部の住人が言うには、のぶよが折山に贈り物をしていたと言うのだ。それはのぶよの生保から支給される、特別客への贈答品だという。それを、顧客ではない折山けい子に、のぶよが送っていたというのだ。やがて贈答品の横領をしているという噂に変わった」
山田の註釈「これは、格上が格下に贈ったという事だ。その理由として、けい子を繋ぎとめる必要があった。つまり二人の関係には、何らかの亀裂があったと想定される」
「そして、また当事者である伸は、同じ生保から保険金の支給を受けていたという。その頃は、まだ車椅子など使っていなかった。どころか、自分で歩いて飲み屋街を徘徊していたという」これは保険の不正受給にあたる。
「そして、団地に居住する土地者の内には、揺すり集りの標的にしようと企む者が少なくない。そこでのぶよには、準備していた予防策があった」
註釈「それは、こんな時こそ、折山けい子を使うという計画だ。都合が悪くなれば、事の全てをけい子に擦り付けて、しっぽ切ればいい」
「のぶよは、訪問先や顧客の前では、古川への嘘を吹聴した。その顧客は、どれもこれも嘘話への食い付きが良い。嘘と分かっていても、いや嘘だからこそ、のぶよの話には聞き入る。だが、二度三度となるとそうはいかない。いつしか嘘は色褪せて行く」
注釈「そこで更に歪曲し誇張へと再加工する。すると嘘は独り歩きするようになった。口から口へと、実しやかな真実として雪だるま式に伝播して行く。そんな中で生活してきたのぶよは、この地にある雪だるまの絡繰りを誰よりも熟知していた。かつて凶悪犯の女が、嘘を武器としていたように、のぶよも嘘を武器とした」
「女子少年院では相手にされないのぶよだったが、逆に嘘に関しては教授する立場だ。この時ばかりは、輪の中にいる事ができた」
百人力「のぶよは、古川を陥れるための印象操作も行っていた。短絡的な土地者は、この印象をそのまま鵜呑みにする。二人の子供は、その印象に輪をかけて尚も吹聴した」これが、AIによる答えだ。
美智子は「外間一家が、古川さんに対して一方的な嫌がらせや、暴力を行なわなければ、この一件は起こり得なかった筈だと記録する。そして、無知な土地者を扇動するは、凶器を入手するに等しいのでは」と結論した。
本文「外間の違法駐車から十年ほど後のこと、犬の糞による嫌がらせが始まった。団地で居住者の会長をしていた古川は、当時から犬の糞による嫌がらせが横行しているとの、苦情が絶えなかった事を把握していた」
「もともと実家では、犬を飼っていた経験があり、犬への偏見は無い。だから、犬の飼い主への誹謗中傷には、冷静であったつもりだ。会長としても、犬の糞ていどで話を大きくしたくなかった。それを裏切るように自分の家の周りに、犬の糞が散乱する。その嫌がらせがエスカレートしてきた頃と、折山けい子が入居してきた頃との、時間的な一致があることに気が付いた」
注釈「この場合の嫌がらせは口封じだ。要は、騒がれたくないだが、こんな逆効果も読めないのが、短絡的な土地者なのだ。また、この嫌がらせも、けい子によって劇化した」
本文「飯田から帰った、二~三年後の頃と思われる。市役所の要請によって、リホームのため隣の団地に一時的な引っ越しをしていた。その間キャンピングカーは、元の団地内の更地に駐車していた」
「犯人は、自分の眼が離れたのをいいことに、犯行に及んだものと考えられる。キャンピングカーには、得体のしれない何かを掛けられいた」
「その何かとは、車の後部左側の角から、右方向へ幅50センチ、リアウインドー上部の辺から粘着性の液体だ。一見するとオイルのようにも見える赤褐色のものだ。それがテールランプの辺りまでべっとりと付着していて、一部はバンパーにまで垂れ下がっていた。当時は腐食を起こす劇薬とは思わず、ただオイル状の、汚いものを掛けるという嫌がらせの一環と考えていた。まさか腐食剤を掛けるなどは想定もしていなかった。だから当時は、通報するまでもないと判断した」
続けて「ところがそのあと、どこからかリサイクル業、あるいは廃品回収業らしき男がやってきて、突然キャンピングカーを売れと言う」
注釈「これは犯人と業者との間に関連を暗示させる。キャンピングカーを買い叩くために、仕組また犯行だという疑いも残った」
本分「やがて住宅の工事も終わり、リフォーム後の元の家に戻った。決められた駐車場には、元どおりキャンピングカーを駐車した。数台分を想定した元の駐車場には、自分以外の車は一台分しか使用されていない。残りは以前のまま空き地だ」
「やがて本格的な嫌がらせが始まったのは、それから間もなくのこと。今度は劇薬としか思えないようなものが、リヤウインドウの両端に掛けられていた。前回とは少し違って、赤ワインのような色だ。今回は少量だが、全くの別物と思われた。これを劇薬と判断したのは、塗装面が捲り上がり、更にその上にある窓ガラス用の、分厚いゴムパッキンまでも持ち上げていたからだ」
「そこの腐食部分は、メーカー自慢の防錆鉄板だ。それでもゴムパッキンを持ちあげるほどの威力だ。これは劇薬以外の何物でもないと判断した」
注釈「この件もフルさん自身で、最寄りの派出所に通報している。駆け付けた警官は、写真を撮っただけで捜査が行われた様子はなかった。この時、適正な捜査が行われていれば、後にくる重大な被害を止められた可能性がある。また、捜査への重い腰は、ストリッパー側との間に癒着があることを疑わざるを得なかった」
「その理由として、ストリッパーと交通課の大林とは、のぶよを介して間接的な繋がりがあったと示唆する」
美智子は「交通課が古川さんに対して、捜査上の差別をしていた。理由は、ストリッパーこと折山けい子と外間のぶよとが、大林との間に癒着が想定されるからだ」と、速記した。
続けて本文「その後、犬を連れた女が、午前四時ごろの時間帯に、不自然な行動をしていたのを坊カメで目撃した。そこはキャンピングカーを駐車している場所だ。急いで飛び出したが、すでに女の姿は無い。だが、今回は証拠となる映像がある。そこでキャンピングカーへの異変を探したが、この時点での犯行の痕跡を発見できなかった」
「ところが後日、同じ腐食箇所が著しく変化していた。それは、同じ個所を二度掛けされた事を示唆していた。そのため塗装被膜の下で、腐食が急速に進行したと思われる。午前四時の女を目撃してから、僅か四日後のことだ。そこを注意深く観察すると、見た目の被害より、腐食の内部が遥かに広い事が分かった。結局は業者に引き取ってもらうしかないと決断した」
更にそのあと「自家用としていた車にも、透明な粘液性の液体が後部左サイドのウインドウに掛けられているのを発見した」
「この瞬間、キャンピングカーに掛けた劇薬の謎が解けた。それは、薄暗い中での、透明な液体は発見を困難にする。午前四時の女は、透明な劇薬を掛けたと確信した。劇薬は別ものであるが、これで、キャンピングカーに掛けた犯人と、自家用車に掛けた犯人は、同一人物だった可能性がある」
注釈「午前四時の女は、畑山順の娘である可能性が高い」
「一方、自家用車に掛けられた個所から、再び錆を再発見する。この錆の進行はこれまでよりずっと早く、二度がけされたキャンピングカーの個所と同じ特徴を示した。そこでもっと酷い状態になることが予想されたので、取り敢えず応急処置を実行することにした」
「ホームセンターで補修材を購入し、知識の限り修理には成功した。と、思っていた。ところが一月も経過した頃、修理した部分から再び錆が発生していた。よっぽど強力な劇薬なのかと、認識を改めた。そして、いたたまれない気持ちで警察に通報した」
注釈「関連として、キャンピングカーの被害個所は、防錆鉄板であるのに対し、一方の自家用車は普通の鉄板だ。同じ劇薬でも、錆の進行は著しく早かった」
更に本文「通報した時の詳細を記す。前回通報した時の指示通り、団地専用の警察官宛てに電話した。すると暫く待たせたあと、別の所に移ったのだろうか。出た男の声は少し息が弾んでいた。それに、わざとらしくハイハイと、軽口を叩くような調子で出た。これが本当に警察官なのだろうかという疑問を感じた。その声は、以前に通報した時のフジモリと、同一の特徴を示していた。その声が今度はササキと名乗った。この男はやっぱり人を小ばかにしているのか、声の様子からは揶揄するような響きを感じさせる。これも前回と同じだ」
「その特徴を、耳にしっかりと焼き付けた。ササキにも、フジモリと同じ邪心を感じさせる」注釈「この男がわざわざ電話を変えたのは、そうしなければならない理由があった筈だ。おそらく誰も居ない別の部屋の電話を取ったのだろう。それはササキにとって、他の誰かに内容を聞かれては困る事だと推測する。この経緯を残すため、詳細を記録した」
更に「通報の結果フルさんは、ササキを尋ねて来てくれと言うので、車を署の駐車場に持ち込んだ」
本文「そのあと署の窓口から、電話を受け付けたと思われる女性に(ササキさんをお願いします)と申し出た。ところが、誰のことなのか理解できないようすだ。そこで事の経緯を説明した」
「すると女性は「ああ」と言って、待つようにと言った。話が通じていなかった事に、やっぱりと思った。それは、ササキが別の部屋へ移動した為、ササキと名乗っていた事が、受け付けの女性には伝わっていなかった為だと推測した。おそらくササキには、偽名を語る必要があったと想定する」
美智子は、このやり取りは、警察に通報した唐沢の供述内容に、驚くほど共通性があると記録した。
そして「その後、女性とササキは、薬品を掛けられた部位など、ろくに観もしないで、何故か全く違う所を勝手に調査していた」
「そのあとササキに案内されて、二階にある取調室に入れられた。被害を訴えに来たのに、なぜ取調室なのかと戸惑いがあったが、入室するしかない」
続けて本文「2千18年2月9日(金)午後3時から5時に掛けて、この警察署で劇薬の件を刑事課と思われるササキに相談(通報)した」
「その時の状況を記す。狭く白一色の部屋には中央には机が一つ、奥にはこれが鉄格子だろうか小さな窓があり、それを背にして腰かけるようにと促された」
「何かの刑事ドラマに出てくる取調室とは違って、マジックミラーが無い。ササキは出入り口である扉側に腰かけた。すると何故か、摂関されたいたずら小僧のように縮こまって、かぼそい声で応える」
「その姿が、背もたれに蹲って尚も小さく観えた。そんな姿を観ていると、ぼく、何を悪いことしたのと、声を掛けたくなるくらいだ。ここまではササキからの質問が一切なっかった」
山田の解説「フルさんは、劇薬のような物を掛けられた過去を説明した。すると、その犯行の瞬間を、ササキが描写したのだ」
「まるで、その現場を観ていたとしか思えないほど、正確な描写だった。VTRとあまりにもそっくりなので本当に驚いた。と強調されている。VTRには、午前四時ごろの表示があった」
「その様子を記す。午前四時の女は、端からフルさんの車に向かって、道路の右端を真っ直ぐに進んできた。その道路の中央には石畳が敷いてあるのに、わざわざ歩きずらい右端のまま向かって来る」
「右端とは、棟の玄関側であり、とっさの時には身を隠しやすい状況があった。そのまま進めば、フルさんの車の左側面に、最も近い状況で通過することになる。女はフルさんの車の左後部の窓ガラスを狙って、何かを掛けるような仕草だった。この挙動が、ササキの描写と全く同じだったのだ」
尚も「ササキは、何故そこまでして正確に描写ができるのか。午前四時の女と警察官であるササキとは、どのような関係なのかと不思議でならない。これ程そっくりな挙動を、犯人と警察官のササキが、偶然にも出来るものなのだろうか。それとも、犯行を行った午前四時の女を、取り調べた過去でもあるというのか。もしそのような事があれば、午前四時の女は再犯ということになる。何れにしてもササキが行った描写には、不可解な謎が纏わりついている」
更に「フルさんは、団地に居る元暴力団は、飯田に居たやくざだと、放火の件以外の殆どを、ササキに供述している。関連して折山けい子は、そのやくざが引き連れていた女で、ストリッパーをしていたことまで供述した」
「ところが、ササキとは話が嚙み合わない。嫌がらせから劇薬に至るまでの、一連の出来事には折山けい子が関係しているのに、何故か趣旨をはぐらかされたようだ」
「またササキは、これ以上深掘りされるのを避けているようにも思えた」
「そして、鉄板を腐食させ、ゴムには影響しない薬品は何かと、ササキから質問された。そんなことが被害者である個人に判るわけがない」と、記されていた。
註釈「それを解明するのが、お前(ササキ)の仕事ではないのか。そして、被害者が困惑するような質問は、これ以上の深掘りをされない為の詭計(きけい)ではないのか。同時に、ササキが行った劇薬を掛ける挙動を描写したのは、この相談の中である事を、特に強調しておく」
追記「畑山順が飯田で行っていたことを記す。こいつはストリッパーらと共に、キャバレー地下鉄の手入れで逮捕された男だ。ふだんはストリッパーの太鼓持ちのようなことをしていたが、俺はボクサーだなどと脅して、飯田市民から金品を巻き上げていた」
「ほかにも傷害事件を起こしている筈だ。フルさんとは、直接的な面識は無い。だが、劇薬も犬の糞なども、フルさんへの嫌がらせは、ストリッパーと畑山順が扇動してきた可能性が高い。その理由は、何もかも知っているフルさんを追い出すためだ。これは同時に口封じとなる」
「ササキが言う何もかもとは、飯田で起こった事件の全容を前提とした言葉だ。当然、折山けい子の逮捕歴を知っていなければならない。逮捕理由として、麻薬と放火の件も含まれている筈だ」
「当然、折山の職業がストリッパーであることも、知っていなければならない。にも関わらずササキは、折山けい子はストリッパーだという言葉に「あれが」と発言した。いかにも知らなかったという振りを見せたのだ」
更に「本当に知らなかったとしても、折山けい子の逮捕歴を知らずにいるという愚かさを露呈している。同時に、摘発理由である、放火と麻薬の件も知っていなければならない」
「更に、別れ際、署の玄関を出た辺りに、誰も居ないことを確認すると(もう、全てを知っているんですね)と言っていた筈が(飯田でのことは分かりません)と、翻した。ササキの発言には、激しい矛盾が観られる」と強調されていた。
続けて追記「そして誰も居ない玄関先でササキは、犬でも追い払うような仕草と共に、キャキャとふざけた笑い声を飛ばした」
註釈「これは、フルさんが再び署の門を叩かないようにするための、揶揄と思わざるを得ない」
「それは、ササキにとってのフルさんは、何かの脅威になりうる存在なのだと推定する。すなわち、ストリッパーとササキも、大林と同じ立ち位置に居ることを暗示している」
追記「暫く経つと車には、また新しい傷跡が出来ていた。この種の悪戯は止むどころか、益々エスカレートしている。犬の糞といい車への悪戯といい尽きることがない。堪り兼ねたフルさんは、また通報せざるを得なくなった」
「駆けつけて来た警察官は、なんと大林本人だった。そして(犬の糞なんかで出動させるな)と吐いた。そしてこんなことは、自治会に相談せよと言う」
「そのあと、自治会長を紹介された」
「それが、岡松一家の幹部こと、田原丈夫だった」美智子は、速記帳を戻して背中に青丹の入れ墨がある男だと確認した。
「この時の田原丈夫と折山けい子は同棲中だ。けい子は岡松が引き連れていた女であり、岡松の幹部は田原だ。そして交通課の大林が、自治会長だと紹介した」
「けい子と田原は、大林と繋がっていた事を本人が証明している」
追記「ストリッパーの折山けい子と畑山順、そして田原丈夫は飯田で摘発された信州岡松一家の、構成員と幹部だ。そこには警察官でありながら、同じ立ち位置の大林が居た。この事実をどう説明するのだろうか」注釈、「この大林も、飯田署での勤務がある」
更に「フルさんが、これほど被害を訴えているにも関わらず、警察はどうしても動こうとしない。動きたくない理由とは一体なんだ」
本文「それから暫くすると、車にはまた新しく傷が出来ていた。その傷を観て、何度目かの通報を繰り返した」
「今度は車の側面一杯に、引っ掛かれていたからだ。朝の通報でも、地元警察がしぶしぶ駆け付けて来たのは夕方だ」
「この時の警官は、証拠証明の道具を仕舞い込むと(車への傷とは、塗装が剥がれて下の鉄板がむき出しになっている状態だ)と、これまでと同じ説明をして返った」
美智子は、この地の警察には、捜査するという意思を感じられない。正義とは何か、正しいとは何かを分かっているのだろか。それ以上に、元岡松の構成員との癒着がまた一つ観えてきた。そして、警察を含めてこの地全体が犯罪集団なのか、と速記した。
この内容の入力を終えようとしていた深夜の午前一時頃だ。突然、携帯がけたたましく点滅した。弁慶だった。「おい。お前さんの記事を読んだがな、こりゃぁ危険だぞ。そこでだなぁ、ボデーガードを付けることにした」
「誰なのよ」
弁慶は「沙也加だ」と言う。
「は。沙也加。そんな人いたっけ」
弁慶は「倉田沙也加だ」と怒鳴る。
美智子は「ああ。倉田沙也加。それなら聞いている」弁慶は、いつも相手に考える時間を与えない。続けて「本当は、屈強な男をと思ったが、あいにく全員出払っておってな」と言う。
美智子は「一寸待ってよ。彼女、今年の新入じゃなかった」すると「お前さんよりは役に立つ。なんつったって合気道三段だぞ」
「何言ってんのよ。倉田沙也加なら、空手道三段の武道派記者を目指していると聞いたわ」
弁慶は「ほう、そうか」美智子は「一寸、弁慶さん。大丈夫」弁慶は「なに、大丈夫かだと余計なことを。それより、明日の夕方沙也加がそっちに着するから、いろんな事を教えてやってくれ」美智子は「一寸待ってよ。嫁入り前の娘さんに何にかあったらどうするのよ。まさか私に責任を押し付ける気じゃないでしょうね」弁慶は「何事も経験だ」そう言うなり勝手に切ってしまった。
おそらく、サーバーから記事を閲覧して、慌てて電話をよこしたのだ。心配してくれることには感謝するが、入社から二か月も経っていない新人は足手まといになるばかりか、ともすると思わぬことで折角の特ダネまで、失うことになり兼ねない。
弁慶にしてみれば、新人教育には丁度いい教材が見つかったようなものだが、美智子には余計なお世話だ。それにしてもこんな時間まで、デスクにへばりついている姿が目に浮かんだ。
回線が一杯なのだろうか。百人力がまた激しく作動しているのが分かる。たった一つの質問に、これ程時間が掛かるのも珍しい。そのあと最初のフレーズが表示された。「古川氏の失踪は、ササキによる影響がある。このような状況の中では何を依頼しても、良い結果をもたらすとは考えられない。むしろ、冤罪をでっち上げられ、牢から無実を叫ぶことにもなり兼ねない。本人が、そんな状況を危惧した結果の失踪と思われる」という答えが出た。
これは権力に対して、一個人がいかに無力であるかを示していた。何となく推測していた美智子の危惧と一致する展開だ。若しかして弁慶も同じ推測をしていたのだろうか。だから、美智子の入力記事からボディーガードを付けるなどと、電話してきたのだ。
続いて「この地とは、古くから暴力団の輩出地として、全国的にも有数屈指である。そこでは男児の誕生と同時に」とまでは表示されているが、そこから先はブラックボックスになっていた。あとは想像するしかない。
暫くすると、また次が表示された。「この地では、暴力団だけを輩出している訳ではなく、例えば、中小企業の経営者は勿論のこと、時には弁護士、また行政や政治の関係者など、社会的にも中枢とされる地位にまで、輩出された土地者が食い込んでいる。その中に警察官が居ても不思議ではない」
これは、藤村や山田の供述を、AIが証明した事になる。ところが、その続きがまたクローズされていた。
そして一番知りたかった「失踪中の古川は無事である」と表示された。これは、可能性としての答えだが、まだ敵対する個人及び団体等に拘束、あるいは危険には晒されていないことを示唆している。
しかし、ササキによる冤罪への陰謀は高確率であると、危険を表していた。
何が何でも古川への罪を成立させてみせるという、執念のようなものを感じさせる。一刻も早く救い出さないと、彼のこれからを失うことになる。そもそも義務のつもりで警察への通報に至ったはずだ。その警察に追われなければならないという、理不尽を背負うことになった古川。これがまさかの現実なのかと怒りを感じる。
美智子は「交通課が古川さんに対して、捜査上の差別をしていた。理由は、ストリッパーこと折山けい子や外間のぶよと、交通課の大林とは癒着以前の関係が想定される。また、この地の排他には、おぞましさまである」と、速記した。
十四、公務員と反社、
ササキが古川を冤罪に陥れようとする理由を、改めて百人力に聞いてみた。「ササキにとって、古川は脅威だ」と、前回と同じ表示がされたが、尚も「その脅威とは」と聞く。すると「信州岡松一家には、公にされたくない真実を、古川に握られていると思い込んでいる。その為にも、古川を悪人に仕立てておく必要がある」と表示した。
それは、岡松一家と大林との癒着を前提しての答えだ。尚も、唐沢や藤村そして山田の供述とも同じ方向にあると記録した。
百人力であるAIは、常時サーバーと繋がっている。電源を落とし、オペレーターが操作しなくても、バッテリーの続く限り自ら学習を続ける。
そこには驚きの文章が続いていた。つい、うとうととしていた美智子の眼は、その内容に釘付けになった。
この地を「やくざの里と呼称する」と、いうものだ。
衝撃を受けた。同時に、これまで謎としてきた全てが解けていく。
かつて忍者の里が在ったように、やくざの里がこの地ということなのか。
そのように仮定すると、秘密とはやくざの里である事を知られない為だ。追い出し工作とはその為だと推定した。同時に、これまで速記でコメントしてきた全てに辻褄が合うではないか。
百人力「団地に暮らす住民の大半は、見た目には一般人ではあるが、実態は犯罪集団だ。この地では、コソ泥程度だが、飯田であったように、暴力団として出向した時はどうだろうか。放火や麻薬までも示唆される。ところが、捜査されない仕組みでもあるのか。
続けて「全国にある公営団地の入居理由は、持ち家が出来るまでの一時しのぎだ。ここで資金を蓄えてやがては去って行く。だから比較的若い夫婦が多いというのが、全国的な公営団地の特徴だ。
しかし、この地の団地は違った。若い人が居ないわけではないが、年寄りの実に多いことか。壮年期の土地者が言うには、ここで生まれ現在に至っている場合が少なくない。
これは高度成長期、華やかな産業の陰で時代の波に乗り切れず、裏社会へと追いやられた人々の、吹き溜まりを思わせる。
世界では貧困層がギャングを生むとされる。それと同じ状況がこの地の土地者だ。それに、元々この地はやくざの里なのだ。
「この地の犯罪集団は、土地者に何らかの利益をもたらす。だから入居者の中には、暴力団と何らかの関係を持っている」そう表示した。
そのとき電話が鳴った。史子からだ。いまホテルの近くまで来ているという。是非会いたいので、このままホテルに向かっているという内容だ。
暫くすると、両手に大きな買い物袋を提げて史子が現れた。「突然ごめんね」と言いながら、美智子の百人力を覗き込む。それは、古川が団地に転入してきてからの出来事を、年表に書き移していたころだった。
すると、史子は慣れた手つきで先頭にスクロールして、内容を読み始めた。
画面には「1970年代後半。古川幸三はこの地にある公営団地に転入。その頃の団地内住人は、挨拶しても何故か拒絶へと変わっていった」この態度は、史子の経験と同じだったと語る。
そして「1980年代前半「路上を占拠をしていた外間から喧嘩を売られた。その末、怪我をしたなどと言い掛かりを付けてきた」文子は、これも聞いている通りだと証言した。「古川さんは、自分の身を守っただけよ」と、山田と同じように古川の正当防衛を主張する。
それとは逆に、住人たちの反応は、一方的に古川を非難していたという。
やがてストリッパーの折山けい子が入居すると、追い出しへの扇動を始めた。唐沢の供述からも、のぶよとけい子が扇動していたという事に繋がる。
そのあと古川は、車への嫌がらせと合わせて、けい子による殺人未遂の件も、警察に通報している。受けた筈の警官は、この殺人未遂をもみ消した可能性がある。と、表示した。
文子は「この地の警官は、住人たちの嘘を鵜呑みにしたのか、嘘を見抜くだけの能力に欠けているのか。あるいは、善悪を理解出来ないのか」と、笑った。
今度は美智子が「団地住民がなぜ嘘をでっち上げるのか」と、また質問した。答えが表示される前に文子は「その一番の理由は、過去にいくつもの成功例があるからなの」と説明する。
更に「住民の側には、例えどんな非があろうと、みんなよそ者のせいにしておけば、自分たちは、常に安全圏に居られるという事を、成功例から学習しているの。だから団地住民はよそ者と聞いただけで、都合の悪い事はなんでもかんでも、よそ者というごみ場に投げ込むのよ。市役所も一緒になって、よそ者というゴミ箱にね」と例えた。
続けて「また、嘘を鵜呑みにする最大の理由は、のぶよと同じ壁を住民のみんなが持っているからなの」と、説明した。
百人力は「古くから、嘘をでっち上げする歴史が、この地の風土である」と表示した。
そんな風土の一つに「土地者には、異常なほど強い結束力がある。それは、他所の地で荒稼ぎする為の道具だ」と表示する。そこには山田の註釈「荒稼ぎの一つである風俗は、ストリッパーと取り巻きに代表される。
キャバレー地下鉄で摘発された十年後、見た目には四十過ぎぐらいだろうか。暫くは平穏に暮らしていたようだが、やがて、この女が、のぶよとつるんで、フルさんに何かと干渉するようになった。このストリッパーは、信州岡松一家が引き連れていた女の一人で、事実上は構成員と何ら変わらない。
摘発前のけい子は構成員である取り巻きを従えて、飯田周辺にある消防団屯所などを渡り歩いては、超過激なストリップショーを演じていた。その屯所には、何故かたらいとタオルが持ち込まれた。尚も、ショーのあとは客に値踏みをさせ、売春までしていたという。
更には、客には言い掛かりをつけて、喝上げなどで更に金品を巻き上げた。その相棒こそ、元ボクサーだと嘯いていた畑山順だ。
その現場として、飯田市街の周辺に拡がる田園地帯にも同じ噂が蔓延していた。屯所での過激ぶりが公になれば、けい子は歩くどころか表に出ることさえ出来なくなる、というほど恥ずかしいものだった。
注釈「この過去が、フルさんにバレる前に追い出せば、口封じになると短絡的に考えているところが、如何にもけい子らしい。だから、折山けい子の嫌がらせは、フルさんへの追い出しに間違いないと断言できるんだ」と、AIと同じ説明を示した。
尚も「若い消防団相手の、過激なストリップショーと言えば、そのストレスを想像できよう。だから憂さ晴らしとして、キャバレー地下鉄の周りにあった、駐輪場の自転車やバイクの他、車にまで悪戯を繰り返した」
「一つ一つを取り上げれば、傷をつけたりパンクだったり、バイクなど燃料キャップが外されていたりと、子供の悪戯のような些細なことだ。この些細な事が、フルさんの車に起こった悪戯の発展型、という類似性がある」
「またこんな姑息さに、土地者の性が露呈している。一つ一つは小さなことだが、積もれば山となる。こうして事件が明るみに出ても何が起こっても、失敗しても、逃げ込む先にはこの地というホームが待っている」
「そしてけい子には、生まれながらに良心というものが無い。俺には医学的知識は無いが、サイコパスと聞くと強い説得力を感じる。良心が無ければ、良識という思考回路も存在しないわけで、恥ずかしさも自責の念も無い。そしてけい子にしてみれば、所有物に当たるという延長線上で、放火も同じ感覚で実行したのではないだろうか。この地の土地者にはそんな奴が実に多い。それは役所の職員や議員など、行政の中枢にまで至る」
「そもそもストリッパーの折山には、仲間を束ねる力はあっても、コントロールする知恵は無い。そこに付け込んだのが、のぶよの悪知恵だ。従って、のぶよが主導したと考えられる。つまり、のぶよが計画しけい子と畑山順が実行した。この三人が組めば、殺人未遂をでっち上げるぐらいは想定内だ」と表示された。
続いて詳細「この時の殺人未遂を詳しく説明する。これも晴れた秋の初め頃、折山が突然フルさんの家に怒鳴り込んできた。折山が言うには、フルさんが鎌を振り上げて、畑山順という老人を追い掛けたと言うのだ。証拠として、目撃者まで居るという。外間のぶよをはじめ、現場となった通りに面している家の、住人全員が観ていたとも言い張った」注釈、これは狂言だ。
「ここでフルさんは、こいつ嵌めようとしていると、直感したそうだ。そこで通報すると言って、電話を取り出した。その途端、折山は態度を翻した。言葉にもさっきまでの迫力がない。日ごろから折山の言動には不信感を感じていたフルさんは、機会あればけい子の言動を見極めたいと思っていたそうだ。折山の狂言はその矢先のこと。そのあと警察に通報した」
「事の一部始終はすべて伝えたはずだ。が、受けた警官に電話を途中で切られた。これには、警察への更なる不信感が残った。なぜ切られたのか、これまでの経緯から、この件が公になる事を阻止しようとする、内部応力があるのだという結論に至った」これは、癒着への直接証拠となりうると、表示されていた。
そのあと文子は、躊躇ったように煙草を取り出した。美智子は「あら。史子さんもたばこを」と言うと「ごめんなさい。そこに喫煙所があったから吸って来る」と席を立つ。
美智子は「いいのよ。私も吸うから」そう言って、先日の残りを取り出した。二人は笑いながら「あの夜に、たばこを吸っていた奴がいたでしょ」そう言う。そして指に挟んだ煙草に「この匂いを嗅いでから、もう吸いたくて、吸いたくて堪らなかったの」美智子も「私もなの」こうして火を付け合った。
そのあと美智子は、興味津々の文子にAIとしての凄さを説明した。すると「じゃあ、このパソコンでプロファイリング出来る」と聞いてきた。
思わず美智子は「プロファいリングって、文子さん。一体あなたは何もの」と、これまで感じてきた鋭さを聞く。
文子はその細面を、真直ぐ向けると「今は一杯屋の元女将。その前は調査員よ」と笑った。
「調査員って、なんの調査よ」
すると、小さく人差し指で「ひ・み・つ」と答え、さっさとキーボードを叩き始めた。
何を検索しているのか、暫くすると「団地に居住している女たちが、集団で売春を行っていた。検挙の際には、まるで女郎屋の様相を呈していた」と表示された。
それを見た美智子は「ああ、過去の事例ね」と、かつてあった取材例を思い出した。
史子は次と言って、またスクロールする。そこには「団地全体が暴力団の居住区と化していた」の表示。美智子が「あの団地」と聞く。「いいえ。ほかの団地。でも似ているから」そう言って画面を指さす。
そして「これだ」と、低く声を上げると「そおら、出て来た、出て来た・・・ん、PDFをクリックだって」史子は、待つ時間は長いなどと言いながら「このPDF相当重いわ」と、言ったあと、待ちきれず次のたばこに火を付ける。
間をとったあと、画面にはプロファイル結果が表示された。何故、元受刑者が公営団地に、こうも多く居住しているのか、その理由が綴られていた。
要するに「元受刑者に住居を与えることで、社会的な復帰を促し、再犯防止効果が期待できる」という内容だ。要約してしまえばたったこれだけの事。その為に犠牲になる、一般の居住者については何一つ表示されない。
史子は「あなたなら分ると思うけど、いまのPDF画面は、行政が公開している資料なの。つまり、公営住宅に元受刑者を斡旋しているのはだぁれだ」と言って美智子を見詰める。
「警察」
史子は「その通り」と、音を立てずに手を叩いた。
美智子は「じゃぁ、市役所職員の沼田は、元受刑者の住宅斡旋係なの」と聞く。史子は「断言こそ出来ないけど、そう思う。たぶん大林ともつるんでいたかも」と、示唆した。
美智子は「じゃあ、沼田も大林も、この地の団地の元受刑者に関することは、なにもかも知っている筈ね」史子は「当然。知っていなければならない立場だわ」と指摘する。
「では、その元受刑者を庇って、一般市民を罪に陥れるようなことをするのは何のため」
史子は「それもこれも、全てが団地にある秘密の為よ」と、また繰り返す。それでも美智子は「守秘義務のある公務員が、嘘を言ったりすれば、事が大きくなっていつかはバレる。そんなリスクを背負ってまで、外人などと強烈な嘘を言い続ける必要が分からない。他にもっと効果的なやり方があると思うから」そう質す。
続けて「公務員は何をやっても罪には問えない。捕まらないという仕組みがあるの。だから七面倒な事はしない。あるいは、いくつもの逃げ道を用意しているとか」
そして「外人だという嘘は、古川さんを孤立させるため。それが追い出しへの、確実な一歩となる」
美智子は「追い出しを容易にするため」と質した。史子は「まあ、そんなところね。孤立させるにはもってこいの嘘だと思う。これで古川さんへの情報は断たれる」
「恐らく古川さんにしてみれば、周囲では何かを言っているとは思っても、具体的には何も分からない。まさにつんぼ桟敷だったと思うわ。ただ、事の起こりには、しっくりこないものを感じるけど」と、当時を推測した。
「事の起こり」
と、復唱した美智子は「百人力に、もう少しデータが充実されると、より具体的になるから、その時こそ沼田の嘘に迫れると思う。ところで、古川さんに対する沼田の嘘を、史子さんが見破った理由とは」と、聞く。
文子は「具体的には、伝わってくる情報に矛盾が有るか無いかとだけど、直感的には女の第六感かしら」と、入居当時を思い出したのか苦笑いする。そして百人力を指さすと「でも、こいつより私の六感の方が優れているかも」と自負した。
続けて「私のように、他人と接する職業は、第六感こそが必要不可欠なの」と小さく声を上げた。
解っていたつもりの美智子は、その難しさに「やっぱり簡単じゃない」と返した。
すると史子は、顔を覗き込んで「仮にも記者ともあろう者が、嘘の判定が簡単じゃないなんて、信じられない」と尚も返す。
思わず「史子さんには」と聞く。
「当然じゃない。ミチだって、伝わってくるものを感じ取れるなら、同時に、判定も出来る筈なの」
そのあと「タフガイと言われた、昭和の大スターのこと覚えている」と聞く。そして「彼にはその能力が飛び抜けていた。だから相手の気持ちを掴むのがうまくて、知らず知らずに相手を虜にする。そういう超人的な人が時々いるのよ。歴史上では坂本龍馬。身近にはこの私」と笑う。
「え。史子さん」
「そう。自分で言うのもおこがましいけど、その力があったからこそ、調査員なんて仕事ができたんだと思う。ひいては一杯屋の女将もね」と、自身を持って答えた。
「やっぱり私には」
史子は「何言ってんの。タフガイや竜馬のように、飛び抜けたものはなくていいの。ミチが持っている相手の心を読むという洞察力を、ほんの少しだけ磨けば、それが判定する力となる」とエールした。
美智子は、剣道の師範と唐沢の言う臭いについて説明してみた。すると文子は深く頷いたあと「私は未熟者で、そんな域には達していないけど、町に居るお巡りさんが、すれ違いざまに職務質問した。すると、その男は逃走中の凶悪犯だった。これ、決して偶然なんかじゃなく、第六感に何かの反応を感じたから。この場合の六感こそ、師範の言葉であり唐沢さんのいう臭いでもあり、わたしの第六感でもあると思う」と同意した。
続けて「職質したというお巡りさんは、長年の剣道歴がある人かも。そしてミチの言う師範とは、もしかすると、私が子供だった頃たった一回だけ指導してくれた剣士かも」と、思い出したように言う。「まさか、その師範とは、古川さん」
美智子は「そう思います。恐らく古川さんのお父様でしょう」と示唆した。文子は、この巡り合わせに因果のようなものを感じた。
そのあと、美智子が表示させた、唐沢の供述を読み終えた史子は「人間には、まだ知られていない未知の力がある」と呟いた。
落ち着きを取り戻したあと、文子は「団地には、他人のことをとやかく言う者が多くて、ほら他人の家に土足で上がるみたいな奴がごろごろしているの。その一人に篠崎という老婆がいて、こいつが古川さんの事を外人だの何だのと、言いふらしているという話を聞いたのよ」
「それが、今朝がた篠崎に会う機会があった。そこで早速、でたらめ言うじゃないよ。と言ってやったところ、逆上して市役所の沼田が言っている。と、白状した。これも今日来た理由なの」美智子は、篠崎を追及できれば、沼田の正体を見極める事に繋がると思った。
「その篠崎に、古川さん本人の前で同じ嘘を言ってみな、と言ってやった。そしたら、それっきりになった。というわけ」美智子は「ああ。なるほど、自ら嘘を証明したようなものだわ。真実なら本人の前で、堂々と言える筈ですもの」
史子は「そうなの。そんなのが、他にもごろごろしているのだけど、どいつもこいつもみんな陰で言うばかりで、面と向かうと、借りてきた猫みたいなものよ。それもみんなで口裏を合わせているみたいで、奴らの反応が気持ち悪いくらい同じなの。これが奴らの得意技かも」
「こんな缶詰のレッテルみたいな汚い連中、飯田なら絶対にこんなことありゃしない。ミチも分かるでしょ、こんなふうに纏まる厭らしさが。飯田なら十人もいれば、十人とも違う反応を見せるはず。ここでは、みんなが同じ反応をする。きっとこれには、扇動する者がいて、そいつの号令に倣っていると思う。いえ、逆の言い方をすれば、誰かに号令されないと、自分では何一つ出来ないような奴らよ。あの夜に集まった、主体性の無い男たちそのまんま。きっと、サイコや近親婚の影響もあるでしょう。でも元々あいつらは、みんな境界知能よ」
美智子は「だから扱いやすい、その号令係として沼田がいる」と確かめた。
文子は「ごめいざん」そして「大林も」と補足する。
速記帳には「団地全体が反社会であるように観える」と速記した。
十五、戸松征雄
そして史子は「沼田、大林の二人と、岡松との繋がりがはっきりすれば、ササキとの関係も芋ずる式に証明できる」と言う。
尚も「この地には、変な警官まで居るの。人相も目付きも悪い、頭の中に何が詰まっているのと訊きたくなるようなバカもね」と明かす。
そして笑いながら「真犯人なのか、冤罪の被害者なのかも考えないで、追いかけることだけが仕事だと思い込んでいる。こんな奴こそ犬よ」と言った途端に、史子の目から大粒の涙がこぼれた。
突然のことに驚いたが、直ぐに落ち着きを取り戻したようだ。そして「今日来たのはあの夜、言い洩らした事を、どうしても記録して欲しかったから」と、そう言って速記帳を指さす。
美智子は以前にも、こんな顔をしていた女性を取材している。それは若い女性にとって人生で最大の屈辱であり、最も卑怯卑劣な犯罪に遭った被害者の顔だ。
史子の顔は、あの時の女性によく似ていた。仕事とはいえ、あのような取材ほど辛いものはなかった。しかし史子は、それを打ち消すように、次からは躊躇いなく続ける。
「深夜に忍び込んできた男がいるのよ。正確に言うと、私はあなたより幾つも若かった。その頃調査の仕事に迷いを感じて、あの団地に一人で住み始めたの。ところがサッシのレールが削り取られていて、鍵を掛けてもサッシごと外れるようになっていた」
「その隙間は丁度男一人が、すり抜けるくらいの広さがあった。そうとは知らず眠っていると、既に男が入っていた。気が付いた時にはもう何一つ抵抗できなかった。男は時々電気をつけては、私の身体を眺めながら「証拠が無ければ何をしてもいいんだ」と言って私を玩具にした、朝まで。あの時の、男の臭い息を今でも思い出す。その時間の長かったこと。これがその時に殴られた痕」そう言って、美智子の手を頬の下に当てた。
その瞬間、何もかもを理解した。骨の一部が陥没しているのだ。明らかに激しい暴行を受けないと、こうはならない。男は文子が動けなくなるのを狙ったのだ。
尚も「私は悔しさのあまり、それからは包丁を枕元に、木刀を玄関とサッシの内側に隠して寝るようにした。そして、再び男が忍び込んで来るのを待つことにした。時間を見つけては、犯人への調査も続けた。すると、この男は戸松征雄という前科持ちの男で、十二年も服役していた凶悪犯だった」
「罪状は恐喝と性的暴行。弱い相手に対しては狡猾に、強い相手には諂う。だから犯行の相手も女性ばかり。でもね、十二年は長すぎない」と訊く。
驚きながらも美智子は「そう。他にも何かやっていると思う。もっと大きなことを」そう推測した。
文子は手帳を開くと、戸松の調査内容を美智子に見せる。それを速記するのを見て言った。「成程。閻魔帳ってわけね」
美智子は「そう。兼、何かあったときのマニュアル。ちなみにパソコンより、こっちの方が原本」そう言いながら、速記した文章を入力していった。
すると、思い出したように聞く「何かあった時とは、どういう意味よ」と。美智子は「警察対策」と、小さく漏らした。
尚も史子を見つめて「もしも、小さな子が路上で泣いていたら、あなたどうする」と聞く。
「勿論、保護する。そして、どうしたのとか、お父さんお母さんはとか、お家はどこ、とか聞く」美智子は「そうでしょう。そうするのが全国共通の常識だった。でも、現代の若い人たちに同じ質問をすると、ほとんどの人が何もしないというのよ。何故だか分かる」
史子は「多分、誘拐犯と間違われるから。あるいは何かの犯人にされ兼ねないリスクがある」そう言って、美智子を覗き込んだ。
「そう。その通りよ。でも本当は、リスクでも間違われるでもない。あなたが言ったように、結局は何かの犯人に仕立てられる可能性があるからなの」史子は、驚きの表情を浮かべながら、大きなため息を漏らした。
その顔が怒りへと変わり、また大粒の涙がたまっていた。
すると何故か、文子の部屋の奥にあった、小さな仏壇を映像のように思い出したが「現在はそうゆう時代なの」と、自分の口が勝手に動く。
そして文子は「そういう世の中に変えたのは誰だ」と聞く。続けて「警察の中には、ササキのような奴が居るってことなの」と想定を言った。
美智子は「そんな奴から、うちの社は特に狙われている。だから閻魔帳が必要なの」と、改めて史子に見せた。が、目を細めて「速記では、私には解らない」と返した。
美智子は「そうでしょ」
「だから閻魔帳なの」と笑った。
そのあとデータを画面に表示させると、次には戸松征雄の経歴やら犯歴やらが表示されていく。
確かに史子の調査と一致を示した。「凄い」と、調査の正確さに驚く。「でも、懲役十二年を決定した罪状が分からない」と、次から次へとスクロールするが、やっぱり、それらしいものが見当たらない。「もしかすると、こいつの被害者は未成年の女性かしら」と言って、百人力にリサーチさせた。
「時々こうゆう事が起こるの。その場合の殆どが、被害者の希望でシークレット扱いになる。こうなると我々民間の手には及ばない。恐らく被害者はとんでもない目に遭っている証でもあるから。だから被害者側が公表されるのを拒絶した。従って判例からも民間のメディアからも、詳細は何も出てこない」
それを聞いて史子は「想像が当たってしまった。まさかね」と、漏らす。そして「この犯罪は、猟奇的なものじゃないかしら。私にしたことよりももっともっと、ずっと酷いことをやっている筈」美智子は「間もなく、その答えが出て来ると思う」と示唆した。
それを待てずに「後で分かった事だけど、あいつを始めて見たとき、ぞっとする様な眼をしていた。それは団地に引っ越して来た翌日のこと。庭で片づけものをしていると、急になにかの視線を感じて、振り向くとあいつがこっちを観ていた。そいつが戸松だった。その時のいやらしい目つきは今でも忘れない」
「そればかりか、人間って身に纏っている空気の様なものが有るじゃない。その空気が尋常じゃないの。まるで、死神が妖気を放っているような空気だった。もう、この世の者とは思えないほどの不気味さを感じた。思えばあの時から、あいつは私に目を付けていたのよ。二十年以上も経った今でもぞっとする」そう言うと自らの両肩をさすった。
そうこうするうちに史子から得たデータが加わり、画面には結果が表示され始めた。その内容を読み終わっていた美智子は、余りの過激ぶりから、史子に見せたものかどうかと一瞬躊躇った。
その瞬間、史子は画面の向きを、自分の方向に変えて読み始めていた。
百人力「戸松征雄は、犯行を行う度に、証拠さえ無ければ何をやってもいいんだ。と、被害者の耳元で囁くのを繰り返している」このフレーズを見ないように、素早くスクロールした。
次には「戸松征雄の性格から、犯行は極めて残忍で猟奇的な情欲がみられる。以上のことから、戸松には犯行を楽しむ習性がある」と表示した。
これは、殺人との関連性が深い特徴を、示唆していた。そして、ここでもサイコパスと思われる症状が、顕著にみられると美智子は記録した。
更にまた、戸松征雄には強力な支援者の存在が示唆される。「その有力候補として、市役所の沼田洋二の確率が90%」これは確定していい数字だ。
文子は「90%だって。また当たった」と、漏らす。
そして、美智子の目を観て「考えてみると、思い当たることが次々に出て来る。もう止まらない」と、声を上げた。美智子は取り敢えずコーヒーで落ち着かせようにした。
だがその前に、気を取り直したのか「ここからの話は、必ず記事にして。例えいつになっても構わないから、実名でも構わないから、責任は全部私に押し付けてでも」と言いながら、美智子の手を挟んで祈るようにする。
「史子さん。その前に、水を差すような事から聞かなくてはならないの」史子はゆっくりと頷いて「何でもきいてちょうだい」
美智子は史子の視線を返すように「戸松が忍び込んで来たのは、既に二十年以上も前よね。それがなぜ今になって語ろうとしているのかしら」
即座に「いま語るのではなく、やっと語れる様になったの」と答えた。
美智子は、小さい子が路上で泣いている姿を言った時、文子の目に溜まっていた涙と、小さな仏壇の映像が重なった。するとあの時、流した涙のわけとは、小さい子と警察。そして仏壇という事なのか。もうそれ以上は聞けなくなった。
そこで「警察への不信があるのはよく解りました。でもそれとは別に、警察へは通報はされました」と、速記しながら質問してみた。
史子は大きく首を振って「いいえ」と、はっきり否定する。これが、性犯罪を明るみに出難くする要因だ。また、犯罪への成功例を増やす事になもなると記録した。
そして「文子さんに説法するつもはないけど、何度でも何十回でも通報を続けることが、警察の重い腰を動かす原動力になる」と指摘したが、もっと大きな要因が隠れていると結論した。
「では、本題に入ります。あなたが、それまでの沼田を、信用されていた理由は何でしょうか」と聞く。
「あの事件のあと、暫くしたある日、突然沼田がやって来た。職務でそこまで来たから様子はどうかと思って、などと言っていた。私は殴られた痕がまだ痛くて、濡れタオルで傷跡を覆っていた。沼田は心配そうに聞くけど、本当のことは言えなかった。その時、沼田もこの団地に居住しているからと、自宅の地図を名刺の裏に描いていった。だから、沼田の親切は本物だと、つい思ってしまった」
「そして削られていたサッシの件で相談にのってもらった。するとその翌日には、ガラス屋が来てサッシごと取り替えていったわ。それで益々信用してしまった。でも、あとで考えると、サッシの取り換えは証拠隠滅だと思う。それ以上に、沼田が来たタイミングが余りにも出来過ぎている。沼田に疑問するようになったのはそれから。一方の戸松は、それっきりで家には来なかった」
美智子は「家には、ということは、近くには来た」と質す。
史子は「そうなの。棟と棟の間にある通路の暗がりを、通過して行ったことがあった」と言う。
そのあと「ああいう奴は、一度味を占めると二度も三度も繰り返すのが普通だと、学習していた。ところが、こいつの場合はなぜか違った。やっぱり沼田が現れたのは様子見の為よ。戸松が来なくなったのは、サッシを取り替えたことで、侵入が困難になったという情報が、沼田から伝わった為だわ。そう考えた方が自然よ」
更に、過去を思い出すように「戸松の支援者は沼田しかいない筈」と断言した。
次には「沼田は、戸松の支援者ではあるが、同時にパートナーの可能性もあり」と表示された。
史子は「パートナーってなんのパートナーよ」と聞く。「何でもいいの。例えば仕事でも遊びでも、何かを共有していたとか、そんなことなかった」
史子は「私自身は知らないけど、飲み友達という噂ならいくらでもあるわ」美智子は「それは二人で連れ立って飲み歩くとか」そう聞く。
すると「いいえ。そうは聞いていない。あの夜六人の男たちが集まったでしょう。あの時、沼田が来ていれば戸松を呼ぼうと言い出すの。そして戸松は、最終的に飲み仲間に加わる。そんなふうに聞いてる。だから実は、あの夜に沼田が来なくて安心していたの」そこまでを入力し終える。
その途端、反応した。「パートナーの可能性90%以上」美智子は「ほら。変わった」だが次の瞬間から、百人力は反応しなくなった。
史子は「なんで動かないの」と聞く。美智子は「多分ビッグデータと交信していると思う」史子は「え。そんなことが出来るの」美智子は「出来るみたいよ。この通り」と笑う。
間もなくして、戸松征雄には薬物中毒の可能性ありと、表示された。
史子は「ああ」と言って頷く。当時は思ってもいなかったから考えもしなかったけど、いま言われてみれば確かに薬物の影響もあったように思う」と言う。
美智子は「も。と言うと、他に何か」と促す。史子は「サイコパスの症状を感じた。だから戸松は、常軌を逸しているように見えたのよ。その元が薬物中毒とサイコの複合と解釈すれば、一応の辻褄が合う」と納得した。
そして、AIが古川の供述を表示した。「隣の団地に一時的な引っ越しをする二~三年ほど前のことだ。深夜に誰かの怒鳴り声が聞こえた。静かな団地内では珍しいことだ。当時は酔っ払いだろうぐらいにしか考えていなかった。だが、思い出したのは、怒鳴り声の前に聞こえていた足音のことだ。その音こそ、草むらを踏み分ける様な、走る様な、いや、速足で草むらをすり抜けるような、そんな音と酷似していた。そう言えば、酔っ払いの怒鳴り声を聞く以前にも、二度三度と走り抜ける音をどこかで聞いていた事まで思い出した」
美智子は「どう。史子さんは何か思い出した事はない」と聞いてみる。史子は「大ありよ。さすがにAIだわ」そう、思い出すと「その男が、戸松征雄よ」と、迷わず答えた。
その時の詳しい内容を語り始める。「あの時、男が出て行ったときの足音が、草むらを掻き分けるような音だった」そして「そうか、古川さんも聞いていた足音だった。と、いう事は他にも証言がある筈」と推定した。
尚も「そのあと私は、犯人捜しを始めた。あの時は殺されると思っていたから、恐怖の真っただ中で声も出なかったし、殴られた激痛で抵抗も出来なかった。それどころかあの時は、男の顔とか特徴さえ観ることも出来なかった。あとで思い出す度にその事が悔しくて悔しくて、せめて誰が犯人なのか、それだけでも暴いてやろうと誓った。そう思うことである程度、気持ちも楽なった。そして、また別の夜、眠っていると表で聞き覚えのある雪駄のような、あの足音が遠くから近付いてくる」美智子は、その足音が戸松だった」と確認する。
「草むらを掻き分けるような足音は、確かにあの時の音だと確信した。私は暗い部屋の中で木剣を構えて、カーテンの隙間から表を覗いてみた。すると、男が通路の暗闇を、急いで通り過ぎるところだった。月明かりでその輪郭だけは、はっきりと観えた。私は木剣を握り締めて、裸足のまま後を追った。急いで追いかけた筈だったけど、すぐ正面の角を曲がったところで見失った。あのタイミングなら、男の後ろ姿ぐらいは観えてもいい筈だったのに、本当にそんなタイミングよ。だから突然姿を消したといった方が、正解かしら。まるで、キツネにでもつままれたような思いで、辺りを探し回ったのを、今でもはっきりと覚えている」
美智子は「それが、通過していった時の事ね。怖くありませんでした」と質す。
史子は「木剣さえあれば平気よ」と、言う。そして「私は、あの時の屈辱を晴らすため、焼き付けた男の輪郭を描いて探し回った。当てこそ無かったけど、必ず辿り着いてみせると思いながら。そのかいあって雪駄を履いた男が、あの時と同じ音を立てて歩くのを目撃した」
「この瞬間、それまでの謎に全てを納得した。でも暗闇に浮かんだあの時の体形からは、明らかに犯人ではないと理解した。そして、雪駄を履いた別の男が居るはずだと。そうこうしているうちに、犬を連れて散歩している男が、雪駄を履ているという情報を掴んだ。そこで犬を飼っている家を、団地内配置図から戸松征雄の名前である事を探し当てたってわけ」
「その家は、私の家から道路を越えた次の棟の二軒目になる。こんな近くに犯人の家が在ったとはね。ところがあいつは、当日その反対方向へと走った。だから、次の棟の死角になるから、姿など見える訳がない。あいつはそれを計算に入れてわざわざ反対方向へと走り、足音で追跡者を引き付けてから、死角を利用して自宅へと逃げ込む。これなら確実に姿をくらませる。その瞬間を、見たわけではないけど、戸松に間違いないと確信した」
美智子も同意したあと「もしかして、戸松の標的は他にも居るの」と聞く。史子は「そうなの。だから、私を襲ったあとも、それ以前からも同じ行動パターンで、逃げ帰っていたと思うわ。きっと戸松の過去には、もっとたくさんの成功例が有ると思う。だから、古川さんの他にもあの音を聞いた人がいる筈」と推測した。
更に「私は、男が戸松だったことの証拠として、雪駄を履いている写真を撮った。連れていた犬と一緒に、家に入って行くところを、この手で撮ったの。これで、姿をくらます事が出来た証拠を、実証できると思う。あいつは犬を家の中で飼っている。だから家に入るときには、狭い玄関ではなく裏に回って、広い間口のサッシ側から入る必要があった」
「素早く姿をくらます為にも、人目につきやすい玄関側は利用しない。だから、いくら玄関側を見ても、戸松の姿がある筈がないと理解した。これが答えよ。そしてもう一つ、あいつの家から外に一歩踏み出せば、棟と棟の間から、私の家の様子が分かるの。例えばどの部屋の電気が付いているとかで、私がどこに居るとか何時眠ったとか、毎日の生活のリズムまで分かるはずよ」
「それもすぐ近くだから、来客が有るとか無いとかで、襲うタイミングを計っていたと思う。なんとかして証拠を見つけたいと、それからも調査を続けた。そして戸松は、犯行のあと現場から急いで離れたい。そんな時、雪駄は最適のツールだと思う。その雪駄で逃げれば、自然と浅い草むらを踏み分ける様な、走る様な、速足で草むらをすり抜ける様な、そんな音になる。また、忍び込む時には足音を消すことまで出来る」と訴えた。
更に史子は「雪駄は、侵入経路や家の中に、特定につながる靴裏を残さない。また、逃走時に限らず、そのまま突っ掛ければサンダルと違って、一応走ることも出来る」
「こんな狭い団地だもの、長距離を全力疾走するなんて必要ない。事が終われば、いかに早く離脱するか、この工夫が雪駄になったと思う。この男、やっぱり成功例から学んだと思う。あんな奴、どう見ても自分から事を極めるなんてタイプじゃないもの」
そう言ったところで、次の画面へと変わった。美智子は「ビッグデータに繋がっていたから、何か分かったのかな」そう言って操作する。途端に、戸松征雄と思われる、履歴の一部がやっと表示された。美智子は「あ、これだ。さっき言った、関連する何かよ」と表示させる。
百人力「ユキオが小学校の二年生に上がったとき、母親が突然居なくなった。山深い小さな寒村である。彼の楽しみは、父親の言いつけで麓にある商店まで、酒を買いに行くことだった。
一升瓶を風呂敷で、肩から背中に袈裟懸けにして家路につく。ユキオはまだ学生服どころか、子供用のズボンさえ買って貰えなかった。いまの着物は既に小さく、膝までの丈しかない。
真冬には、母親が残していった女物の下駄を履き、女物の半纏を、痩せた身体に巻き付けた。そこには赤い模様があった。もちろん足袋などは無く、裸足のつま先はいつも赤く腫れあがり、激しい痒みと痛みで掻きむしったあとが生々しい。
そんなユキオだが親父から貰った帯だけは、なぜか立派だった。大人物の帯をこれまた幾重にも巻いて、赤い模様を隠そうとするが、ますます不自然になるばかりだ。
それでもしっかりと巻いた懐には、酒を買ったあとの釣銭が残っている。その銭で、雑貨屋にある大きな黒い飴を二粒買えた。これがユキオ唯一の楽しみだ。
その一つを頬張ると、親父が待つみすぼらしい家を目指す。だが子供の脚では、山道に差し掛かる頃は暗くなり始める。その途中にある深い藪が、巨大な闇となって襲い掛かってくる。
ユキオは雑貨屋で包んでくれた、飴用の紙をもう一度捻り直し、懐の奥に万全とした。そして拾ったこぶし大の石を詰め込み、内一つを握っていつでも投げ付けられるようにと、懐の中で構えた。
飴は小さな口の中で、まだ一杯に残っている。それを転がしながら、真っ暗な藪の獣道を登って行く。
勿論、懐中電灯など有るはずがない。藪からは何が出て来るのか分からないのだ。耳を澄ませて変な物音の方向に、握った小石を投げ付けた。
闇からは、小石に当たった葉音や、幹に跳ね返った音が余韻を残して消えていく。
やがて静寂が戻った藪で、征雄が履く下駄の音だけが心細く響いていた。そこからの登りは更にきつくなる。
今までの征雄は、この辺りで飴を包みに吐き出していた。苦しくなる呼吸を解消するためだ。この日の夜は、その飴を左手に吐き出した。もちろん右手にある次の小石は、いぜん握ったままだ。
坂を上り切るまで、もう一踏ん張りだと自らを言い聞かせた。ここさえ超えれば、父親の待つ家への一本道が、白っぽく見えてくるはずだ。左手には飴、右手には小石を握ったまま急な坂を一気に登りつめる。
坂道はまだ続いているが、抜けて来た藪を見下ろす位置に立つと、開けた夜空を見上げてほっとする。
そこで、左手にある飴を口に戻した。吐き出さないように頬の側に寄せては、掌に残っている飴の甘い粘りを舐めた。
粘りが無くなるまで舐め続けると、やがて村への入り口を示す辻に辿り着くのだ。だが、家までの道のりはここからが本番だった。丁度、口の中の飴が無くなる頃になると、家の在る裏山が暗い中に遠く、まだ小さく見えてきた。
そこからは、なだらかな丘陵の畑を縫うように進む。もうすぐだと、再び自分に言い聞かせ、小さい身体が頑張る。
ユキオは家に入るなり、買って来たもう一つの飴を先ず父親に見せた。いつもの事だが父親は酒瓶を指して、さっそく出せと要求する。征雄が飴はと聞くが、親父は黙ったまま酒を茶碗に注ぐ。その顔色を窺うように覗き込むと、いいからお前が舐めなと言う。
幼いユキオには、この一言が何よりも嬉しかった。
史子は信じられないという顔で「これが戸松の幼少期なの」と尋ねる。
美智子は首を振りながら「いいえ。可能性であって、まだ確定したわけではない」と答える。史子は「これは戸松の裁判記録から抜粋したものではないの」と尚も確かめる。
美智子は「分からない」と答る。「このソフトに関しては、私にも解らないことだらけなの」と説明した。
百人力「差し出した飴を、お前が舐めなと言ってくれる父親を、なぜか村人たちが悪く言う。それを幼いながらもユキオは知っていた。それでも父親のことが誰よりも好きだったからだ」
「だから飴を独り占めせず、まずは親父に見せたあとの言葉を待つことが、習慣となっていた」
「そのユキオが覚えている以前の家も、同じように深い山の中に在ったが、見る景色は明らかに違っていた。それ以前も、そのまた以前の家も違う景色だったように思う」
「つまりユキオが思い出せる限りは、これまでに三度の引っ越しをしてきた事になる。何れも人里離れた深い山の中だ」
「引越して暫くすると、その深い山の中で轟音が響く。すると、それが次へ引越すための合図のように覚えていた。こうして暫く居てはまた引越すという暮らしが続く。そんな中で、たった一人の特定する友達がいた。ヨウジ君という三つ年上の子だ」
「時々ユキオは、ひもじさから村人の卵や畑の作物などを盗んでは食べていた。そんな事もあって、この山村ではいつも虐めの対象にされていた。が、ヨウジ君と一緒に居るときは、なぜか虐めに遭うことがなかった」
「赤い半纏を着ていても、女物の下駄を履いていても、突然石を投げつけられるような事がないのだ。思えばヨウジ君の居るこの村での暮らしが、一番長かったように思う」
「やがて小学校を卒業する年の春、またもや転校することになった。これで何度目なのだろうか。ユキオの記憶では多分四度目になる。春休みが明ければ、今度は見知らぬ村の中学生だ」
「父親から、ヨウジの家は別の所へ行ったとの、一言があった。すると突然心細さを感じて、ヨウジ君の家目指して駆けた。だが、そのみすぼらしい家が見える前から、辺りの何かが閑散としている事に気が付いた」
「いつもならヨウジくんの家の畑にある小屋の鶏も、乳しぼりの手伝いをしたあの山羊も観えない」
「その日の夕方、いつもの様に酒を買いに行く。この村の中心部には、新しい酒屋が開店していた。だが、その酒屋へ行くためには、小学校の前を通らなければならない。ユキオは急に不安を感じた。いや、不吉と言った方が正しいのかもしれない」
「いつもの様に一升瓶を、唐草模様の風呂敷に包んで袈裟懸けにした。ユキオが大きくなったことで、風呂敷の端が胸元まで届くのがやっとだ」
「だが何とか結ぶのに成功した。そこの分かれ道の辻に入ると、上に続く道がかつてのヨウジ君の家で、下がユキオの家だ。感じた不吉は、ここで待っていた」
「同級生やら、村に古くからいる上級生やらが数人、ユキオをたちまち取り囲んだ。後ろに回っていた同級生は、ユキオが時々盗みに入る家の子だった」
「その子がユキオの背中にある、一升瓶を狙って石を投げつけた。痛みを感じると同時に、酒の匂いと共にびしょ濡れになった。この瞬間、父親が怒った時の、恐ろしい顔が浮かんだ」
「気が付くと、その同級生に馬乗りになっていた。その子は顔じゅうが血だらけで、既に判別出来ないほどの変わりようだ」
「ユキオの手には、割れた一升瓶の口元がまだしっかりと握られていた。下になっている同級生は、もうピクリとも動かない。これが最初の犯行だった」
史子は「戸松にこんな過去があったなんて」と、言いかけたところで「山深い寒村を、点々と引っ越しを繰り替えしてきた、というこの話は、どこかで聞き覚えがある」と言う。
美智子は「え。どこなの」史子は「ここよ。この団地の内で聞いた話に間違いない。確か私が引越しを決意して、ここに案内されたときのこと。そうだ、市役所の人がそんな話をしていた」美智子は「まさか」とは言ってみたが、信憑性を感じる。
尚も、美智子を見つめて「本当よ、いまはっきりと思い出した。でもその職員は、誰のことかは言わなかったけど、この団地には、そのような家が二軒あると言ったことを覚えている」
「個人情報を、仮にも管理する側の公務員ともあろう者が、なぜ私に言うのかと思ったから、それで記憶したと思う」と明かした。
美智子は「その話を他の誰かにしました」と聞く。史子は「いいえ。話すもなにも、あの後もっとずっと詳しい話を、この団地の人達が話していたのよ。私には関係ない事だから、そのまま忘れていたけど、いまにして思えば、きっと戸松征雄と沼田洋二の事だと思う」続けて史子は、合点したように「そうよ。この話は、噂としてすでに蔓延していたのよ。私を案内した職員は、私がその噂を既に知っているものと思い、話した。あ、そうだ。私の入居時の保証人は、こっち方面の人よ。だから、案内をした職員は、私も地元の人という前提があったと思う。そのうえで戸松の話が出たのよ」と確信した。
そして美智子は「そうなの。山の中の寒村を渡り歩いては、大きな工事予定地の空き家に引っ越しては、立退料を受け取る。こうして次の現場へとまた引越す。ユキオの生家は、それを生業とする家だった」と推定した。
百人力「少年法により、ユキオが服役することは無かったが、その四年後に再び事件を起こした。今度は十六歳になる春のことだ。勤め先である食料品店の店主の娘に、性的暴行を加えて殺害したという凄惨な事件だ」
「その店は、そこら界隈では一番の個人スーパーで、人情家としても知られる主人が経営していた。その計らいから、ユキオは住み込みで働いていた」
「その頃から、人相の良くない二十歳ぐらいの男が、ユキオに付き纏うようになった。店の主人はその男を快く思わず、何とかユキオから引き離そうと考えていた。だが、ユキオにしてみればたった一人の友達だ。そんな彼は何より大切だった」
「だからといって、店はもっと大切なはずだ。給料も悪くない。時には企業並みのボーナスも貰えた。征雄はその期待に応えようと、尚の事一生懸命に働いた」
「その日の夕方も、一家のために風呂桶を洗い、いつでも入浴が出来るようにと準備をしていた。事件はそこで起きたのだ」
美智子も予想した通り、その後を示す記録が無い。ただ、一文だけ、十五歳になる娘の遺体は凄惨を極めていた。と、いうものだ」
「そのユキオに対して、遺族は極刑を望んだ。しかし、法の壁は、少年への死刑を阻んだ」
「そんなユキオに、同じ少年刑務所で知り合った男がいた。必ず再会しようと約束し、この日はユキオが先に出所した。そこに待っていたのが、なんと三つ年上のヨウジ君だった」
「二人は子供の頃を語り合い、お互いにあれからの身の上を明かし合った。それによるとヨウジ君は、この地に在る高等学校に、突然入学出来ることになった。急な引っ越しでヨウジ君と妹が先に家を出たため、ユキオへの連絡が出来なかったと詫びた」
「ユキオはこれまでを正直に語った。だが、彼を拾ってくれたスーパーの娘を、何故手に掛けたのか。この質問にだけは答えようとはしなかった」
「しかし、犯行の前後の記録からヨウジ君は、その答えは一つしかないと知っていた」史子は「やっぱり麻薬かしら」と、言う。美智子も「麻薬以外は、まだ見つかっていない」と同意した。
百人力「その日、ユキオを担当した刑事は、遅れて到着した。ヨウジからの連絡どおり駆け付けたはずだが、何故か遅れたのだ。理由は、そのように仕組まれていたからだ」
「刑事の前で、ユキオとの深い話は出来ない。だからヨウジの計画通りその日の午後、この地の外れに在る隣の団地に到着したというのが理由だ」
「そして翌日にはユキオが再会を約束した男、水野忠が同じようにヨウジと刑事らしい男が到着した。幸いにもユキオの隣に、水野は入居するという」
文子が記憶していた二軒の家とは、ユキオと水野忠のことだと推測した。「こうしてユキオの再出発が始まった。すると二か月後の休日に、二人はまた新たな引っ越しをする。殆ど手荷物だけの質素な引っ越しだったという」
「空き家となった二人の家に、ご近所衆は関心を示さなかった。ただ、隣に居住していた奥さんだけは、閑散としているユキオら二軒の家を観て、いつ引っ越して行ったのかという関心は示した」
「そんな事があったのち、二人が居住していた公営住宅の建て替えが始まった。そして、当の本人たちは、この地にある別の団地へと新たに移り住んだ。全てはヨウジの計画通りだ」
「二人は入金記録から、予定額の半分をピンハネされていると知ったが、それでも今の二人には大金だ。その立退料にユキオは、子供だった頃の建設現場を次々にに移り住んだ、あの山深い故郷を思い出した」
「その札束を見たことで、引っ越した本当の理由を、いま理解した。そして、ユキオと水野の二人はこの地の団地でも、隣どうしとしての暮らしが始まった。が、その時にはそれぞれ嫁も加わっていたという」
「この二人の嫁にも犯罪歴があった。やがて仲のいい二軒の家は、何故か突然に犬を飼い始めた。二軒とも家の中でひっそりと。だが、団地内では犬猫の飼育は出来ない決まりだ」
「それから時が経つにつれ、大胆に行動する様になったのはユキオからだ。早朝にはその犬を連れて足しげく散歩した。時折変な異臭がするようになったのもその頃からである」
「どこの家からなのか、明確には臭いの元がない。だが、この脂粉のような、あるいは安物化粧品のようなこの異臭は、いつも何処からともなく微かに漂って来る」
「だから臭いとして、はっきりと認識していなかったというのが、本当のところかも知れない。更には、この頃の団地住民は比較的若い人ばかりで、日中はみんな仕事へと出払っている。従って異臭と認識するようになったのは、折山けい子の入居後からだ」この件は、美智子も速記していた。
百人力「犬を連れての散歩を見かけるようになってから、すでに一年を経過していた。住民が出払っている時間帯を狙って、臭いの元を誰かがまき散らしている。そんな噂があった」
「また、団地内の道路端や他人の家の庭や玄関先などに、犬の糞が無差別に置かれるようになった。住人たちはみんな、犬の飼い主に対する中傷などした覚えはないのにと首を傾げた」
「そんなある夜のこと、集会場において団地の役員たちが集まった。その集会場の玄関にも、たった今したばかりの犬の糞が置かれていた。この夜からユキオと水野に対しての噂が水面下で拡散していった」
「それは、ユキオと水野の存在を、住人たちは怖がっていたからだ。特にユキオの人相には、妖気を放っているような、不気味さが纏っていたからだ。それに加えて、団地の管理側に当たるヨウジの存在もまた気になった」
「ユキオの年齢は、この頃は三十代も半ばだったと想定する。住民はこのユキオが通りかかると、目配せし合っては敬遠への合図とした。それからも犬の糞による嫌がらせは一向に収まりそうになく、ユキオと水野との関りを徹底的に排除するようになった」
続けて「その当時、八十歳になる団地の老婆がこんな話をしている。それは朝起きて、ふと庭に出てみると犬の糞が落ちていた。自宅の庭になぜ犬の糞が有るのかと、老婆は困惑した。こんな嫌がらせに、心当たりが無かったからだ」美智子は速記帳を見て、気に食わない老婆とはこの事だったと思った。
「そこで、近くに居合わせた古川に現場を見せると、同じように被害に遭っていると言う。それで古川も、犯人を突きとめようとして、犬を連れた男を待ち伏せしていたそうだ。そのあと自宅に戻る途中、ついに目撃した」
「男は古川の家の玄関に糞を置き、何食わぬ顔で犬と一緒に立ち去った。今度こそはと、その男を追い掛ける。そこで男は、ある家の庭からサッシを開けて犬と一緒に中へ逃げ込んだ」
「自宅に戻った古川は、団地内地図を見て、男が戸松征雄であることを知った。この場合は戸松本人の犯行だったが、それを聞いた老婆は他に主犯らしきがいると主張した。それは戸松と水野の、二人の女房に違いないと断言した」
「尚も、糞騒動に巻き込まれた家は他にも何件かあったいう。そこで統計してみると、狙われるのは外部から転入してきた家、特に一人暮らしの老人などが標的にされるという。若い人も、仕事の都合などで、転入を余儀なくされたよそ者は、当然のように狙われた。何れも立場の弱い家である事が共通点だ」
美智子は「戸松にある、犯行を楽しむは、他の住人にも共通する」と速記した。
「百人力が次を表示する。「団地のほぼ中央に位置する二軒の家が、戸松と水野の家だ。その家の前にはフェンスで囲まれた公園が在る。二軒の家の正面部分に当たるフェンスには、その朝突然異変が起こった。それは、犬の糞を持ち帰りましょう、と書かれた黄色いのぼりが二十本も束ねられて、家の前のフェンスに確りと括りつけられていた」
「左右で四十本ののぼりは、明らかに市役所が貸し出したものだと誰もが思った。だが設置したのは、団地に居住している住人の一人だ」
「そののぼりは、強風に煽られてゴウゴウと音を立てた。それを見た住民は、みんな胸のすく思いで、よくやったと称賛したという」史子は「そうだ。そんなことがあった」そして尚も「その時を境に戸松と水野に対する、人々の目線がはっきりと変わった。それからの戸松は、人々からの嘲笑を背にして歩いていた」
そして「面白くないのが、二軒の家の女房たちだ。二人のそれからは、団地全体へと敵意をむき出にした。こうなるともう誰彼構わず嫌がらせをする。まだ薄暗い早朝に、団地が管理する側溝にゴミやら不用品などを投棄するという日が続いた。管理する団地役員はその都度ゴミを掃除して、実費で処理しなければならない」
「要はこれだけのことだが、毎日繰り返されれば、これほど重荷となるものはない。それを観て、二人の女房は物陰からほくそ笑んでいたという。その二軒に対して住人たちの中には、攻撃的な態度を見せる家まで現れた。だがそんな家も、結局は小さな嵐で終わっていた。やがて攻撃的なその家は、村八分のような仕打ちを受けるようになったという。その陰には沼田の姿があった。間もなくして、のぼりを設置した住人は突然団地を転出した」
次に百人力は「そんな事があったある日、突然訪ねて来た四十代ぐらいの女が、古川の家の玄関先にいた。聞けば団地役員になったばかりで、側溝に溜まったゴミの処理が分からないと言う。これが古川と折山けい子が、直接顔を合わせた最初だ。この女の素性をまだ古川は知らない」
「この女こそストリッパーの折山けい子で、古川への人生に甚大なる影響をもたらすことになる。そんな事など気付きも留めず、ごみの処理方法を教えてゴミ袋を与えた」以上がAIによる、折山けい子と古川幸三の団地内での最初だ。
「その後の古川は、平穏な日々に嫌がらせなどすっかり考えなくなっていた。そんなある日、折山けい子に再び出会った。同じ団地内の通路だ。そこで古川は、このけい子から、どこから来たのかいつ来たのか、としつこく尋ねられた。この質問こそ古川が転入してきた直後に、繰り返し聞かされた言葉だ」
「当時の団地は、刑務所状態と言っていいほど、元受刑者が多く居住していた。この癖のある者たちを統率するには、沼田自身の力では当然限界があり、凶悪犯の戸松をリーダーにすることで、住民全体をコントロールできると、考えていたのではないだろうか」
すると何が閃いたのか、文子は「ところが、想定は思わぬ方向へと向かったみたい。それは住民側が、沼田と戸松に反感を持ってしまったため」と呟いた。
そのあと「そうだ。反感とはいじめの事よ。あの団地にはいじめを繰り出すメカニズムがあるの。伝統的に培ってきたいじめの土壌が、歴史として確立されている。だから、例え凶悪犯であろうと管理側の沼田であろうと、一人の標的に結束力で取り囲めば、なんでもやれるのよ」と呟いた。
そこで、思い出したように文子は「ところで、もし私があの事件を沼田に言っていたとしたら、どうなっていたのかしら」と聞いてきた。
AIは想定していたのか、次の文章を表示した。
百人力「酒井史子に起こった事件を、沼田に言っていたと仮定した場合を以下に示す。先ずは問いに答えよ」
一つ、酒井史子に即金で用意できる金額はいくらか。
一つ、酒井史子の家族及び親戚と友人の総数は何人か。
一つ、右記において法曹及び公職者は何人いるか。
一つ、酒井史子の家族構成は。
一つ、酒井史子の親戚に資産を有する親戚及び個人は何人か。
一つ、酒井史子の国籍を入力せよ。と、ある。
読み終えた史子は「これと私に起こった事件と、どぉ関係するのよ」と美智子を見る。
すると「この表示は、史子さんを冤罪にでっち上げ出来るか否かの基礎情報なの」と答えた。
史子は「冤罪への基礎情報」と繰り返す。美智子は「冤罪に仕立てるには、そのための環境が必要なの。それが、この質問」と説明した。
史子は、最後の問いを読むなり「国籍とはなによ、これ。バカじゃないの」と声を荒げる。
美智子は「まあまあ」となだめたところで、文子は何かに気が付いた。そして「そうだ、外国籍の青年が幼児殺しという事件があった」と、記憶を辿る。
そのあと、席をはずしていた美智子が、コーヒーを持って戻ってきた。落ち着いたばかりの史子には見せていないが、百人力は冤罪率を100%と確定していた。冤罪に陥れられたというのが、沼田に事件を訴えた場合の結果だ。
六つの質問は、罪人にでっちあげる為の仕組みでもあった。それを知った史子は「なんで被害者の私が、冤罪にされなきゃならないの」と、尚も聞く。美智子は「それは、報道などで騒がれると困るからよ」と強調した。
更に「史子さんの、これまでの経歴を知っている人物は誰」と質す。即座に「沼田しかいない」と答える。
「そうでしょう。だから戸松を使った事がバレると、公務員の沼田には致命的なものになる」と説明する。
一旦は頷いた史子が「でも、だったら何故、入居前の抽選会で拒否しなかったのよ」と質す。
「なにか分からないけど、手違いとか、あるいは拒否できない理由があったとか、そう考えるべきね。なぜなら、この追い出し工作は余りにも強烈過ぎる。そこには何が何でも追い出してやる。という執念みたいなものが伝わってくるもの。(あっ、しまった)と叫ぶ声が今にも聴こえてきそう」
そこで史子が、また何かを思い出したように「そう言えば、心当たりがある。あの時、慌てて抽選会場を出たり入ったりしていた職員がいた。その様子が不自然で、未だに覚えている。あの様子こそ、よそ者である私を落とし漏らした瞬間だったかも」と推測した。
そして「沼田の奴、私の職業が調査員だった事も知っていたかも」また心当たりを言った。
百人力が、古川がやって来た当時を表示していた。
山田の追記「フルさんがこの地へ移転するに当たって、郷里では(とんでもない所だから気を付けるように)と、言われていた。特に年寄りたちからは、くれぐれもと忠告する者までいた。実際に来てみると、この地では、追いはぎや盗難に遭ったりするのは当たり前だという。いったい何時の時代なのかと聞けば、最近のことだと言うのだ。そのときは半信半疑のまま聞いていたが、土地者の性を知ると、まんざらではないと思うようになった」
「気が付けば腕時計やライターまでも無くなっていた。その後も、当時としてはまだ珍しかった、乾燥機や電子レンジも無い。驚いたことに、買った自転車は一週間で無くなった。聞けば自転車の盗難など当たり前だという。これほど泥棒の多い土地柄はないんだと、駆け付けた警官まで当たり前のように言う」
史子は「私の場合は保証人が、こっちの人だったせいか、引っ越しの盗難は無かったけど、近所では下着が無くなる話が絶えなかった。それも若い女性の下着だけではなく、L以上のサイズや男物まで多いのだと言う。これは、貧困からくる盗難だと思った。ところが、それだけではないことが後になって分かってきた。やっぱり古くから他人の物を盗るという性がある」という。
「保証人からは、よそ者は何かにつけ集られるから、あなたは土地者のように振舞なさいと忠告されていた。この地では、盗難なんて当たり前なんだからねと」
「そして、聞いた話だけど、よそ者は買い物をしたとき、よく釣銭を胡麻化されるの。細かい釣銭などは度々、大きなところでは、数百円の買い物で万札を出したら小銭だけ先に返して、残り九千円分の札を返さない」
「そこでレジは、はい、済みましたという顔をしているのよ。平然となりすました顔で。つい、ぼうとしてたり他に気を取られたりしていると、たちまち餌食にされるから、いつも気を付けていなさいと、これも忠告された」
「気が付いて、レジに指摘すると(あら、御免なさい。つい間違えましまた)などと言って最敬礼するの」
続けて「なのに私としたことが、二度もあった。もう悔しいやら情けないやら。この類の嫌がらせは金額ではないのよ。メンタルを傷つけられた事に怒りを感じるの。もっと気を付けなければならないのは、土地者は胡麻化しも他人の物を奪うことも常識だと考えている。古くからある奪うという性のまま、よその地に行っても奪うことを当たり前としている。諄けど、何度でも言ってやりたいわ。土地者は他人から奪うのが常識なんだと。いえ、物だけではない、権利とか人権とか他人を差別することなども含めて、奪えるものは何でも奪うの」
「それを自らの子供に教えるのよ。だから盗みを働くときの眼を見なさい。まるで、まるで魚を追いかける少年のように、目を輝かせて犯行に入るの」と、込み上げてくる。これも唐沢や藤村の供述にも通じる事だ。
この時、制止していた画面が「戸松の役割は、よそ者を追い出す実行役であると推定する」そう表示した。史子は「これだ。古川さんもよそ者だから、戸松を利用したのだ。それで犬の糞やらデマを、のぶよやけい子を利用して、嘘を流した。戸松の女房や娘もつるんで、一家総出で沼田の策略に加担した。いえ、間接的に利用されていたともいえる」
「更には、けい子にも加担する動機があった。外間一家の場合は、元々よそ者である古川さんに危害を加えたいという、加虐心があった。そこで沼田が流した外人というデマを、逆利用した」
ここで「団地が捜査れされないのは、市役所職員という沼田の存在があったから。その延長で考えると、手入れされたはずが、翌日には闊歩していたりする、その絡繰りが観えてきそう。そして、私が嫌がらせに遭わなかった直接の理由は、加害者である戸松の事を騒がなかったことだと思う」と示唆した。
尚も「それで沼田は、これ以上の追い打ちをしない方が、自分へのリスクを避けられると考えたかも」そう言って美智子を見る。そのとき画面にも、同じ答えが表示されていた。
続けて百人力「この地にある市営団地は、犯歴者の収容の他にも、麻薬に関することを隠蔽すためもある」と表示した。
美智子は「やっぱりそうだった。まだ、推定の段階だけど、確定の一歩手前だと思う」と、答えが確信に近付いたことを感じた。
だが史子は「犯歴者の収容とはなによ、まさか本気で団地を刑務所にするつもりじゃないでしょうね」と叫ぶ。
更に「沼田洋二が戸松征雄を、団地の監督役とした背景には、沼田に不都合が迫った際には、いつでも切り捨てられる人物だったからだ」と表示されていた。
史子は「なんだこいつ、トカゲのしっぽなんだ。てっきり固い絆によって結ばれているのかと思っていた」そう言う。
美智子は首を振って「沼田と戸松は幼少期から絆があったことは確かなの。あの記録通りよ。ここで言っているのは、沼田に不都合が迫った時と限定している。この限定がある限り、絆も続くと考えるのが普通。戸松がトカゲのしっぽになるのは、沼田の立場が危うくなった時なの」と強調した。
そして、次へとスクロールする。「戸松征雄の娘は同じ市内のスーパーに在職していた。娘はこのスーパーを拠点として、古川への嘘を店員中心に吹聴した。すると柔らかい食品には、店員の指痕が食い込んでいる。唐沢の供述どおり、ごまかした釣銭は店員のポケットに。レジ下には、カウントしたはずの商品が隠されていた。あとで自分のものにするためだ」
「これを行ったのは、ギョロ目におかっぱが特徴のレジ係だ。その後、この小柄な中年女は、何かの事件に関係していたとして、団地を強制退去させられた人物である。戸松の娘とは最も近い関係だった」
「店内では、その様な人物たちだけのグループが、すでに構成それていた。時おり集まっては店の隅っこで、なにやらを謀議をしている。そのスーパーで異変が起きるのは、謀議の翌日と決まっていた」
「もう一つ紹介する。それは客の中によそ者がいると、その客が万引きをしているかのようにデマを吹聴する。するとそのグループが、商品を代わる代わる盗み出す」
「後は、よそ者が万引きしたと嘘を言えば、まかり通る。それだけではない。既に、嘘がまかり通っているから、よそ者客を挑発して怒らせる。何も知らないよそ者客は、その挑発に乗ってしまう」
「駆け付けた警察官も、嘘に汚染されているから、土地者の声しか聞かない。このようなやり方を、応用すれば冤罪へと発展する。土地者はこのような仕組みをあらゆるところで展開するんだ」と、表示が変わった。
次の朝、美智子は山田の手紙から抜粋した接触事故の経緯を入力していた。
「彼は初老の男性で、自家用車は2000ccの四輪駆動。相手は中年の女性で、白い軽自動車に乗っていた。接触個所は互いのドアミラー」
「そこは区画ごとに整理された田んぼが、碁盤の目のように拡がっている。狭い農道が、罫(けい)のように直線的に突っ切っては、交差していた」
「センターラインのない道幅は、普通車が二台やっとすれ違える程度だ。いつもの通い慣れた道なので、他の車がそうする様に、左一杯に付けて走れば接触などは起こり得ない。そこでいつもの様に農道へと入った。二つ目の辻を通過し、三つ目の辻から二十メートルほど手前で接触した」
「いつものように走っていたつもりだったが、一瞬の出来事に困惑した。相手車を含めて、三台の車列が向かって来たはずだ。左側路肩を注視していたため、また予期していなかった事で、相手車が先頭車だったのか、二台目だったのか記憶がはっきりしない」
「接触後すぐに停車しようしたが、既に交差点の直前だった。交差点の前に停車するのは危険と考えて、徐行しながら交差点を抜けたところで停車した」
「同時にルームミラーには、停止している相手車の白い軽自動車を追い越す形で、最後尾の白いナンバープレ―トのコンパクトカー(三代目)が走り去って行くところだった。と、いうことは、相手車の順位は、二台目に位置していたことになる」
「接触後、後続していた三台目のコンパクトカーと、自車がすれ違っているのに、なぜ接触しなかったのか、疑問が残った。更には、先頭車である一台目と、自車とも接触していない。また、三代目のコンパクトカーも、普通車であることを、白いナンバープレートから確認している」
「残った疑問とは、接触した相手車は幅の狭い軽自動車だ。ところが幅の広い三台目と自車は接触していない。勿論、同じ路上での事だ」
「一方、相手車の女性は開口一番、私停まっていました。と、あごをしゃくり上げて捲くし立てた。これが何を意味するのか、ずっと事故歴の無かった彼には理解できていない」
「なおも、相手女性が言うように、相手車が本当に停車していたのか否かの記憶がない。そこで彼は、ドラレコさえ解析すれば、この謎は解消されるとの確信があった。ところが一方的な相手の金切り声に、このままでは論争になるばかりだと、判断せざるを得なかった」
「そこで彼は、警察への届けが先と考え、相手の女性に伝えた。そこへ夫と思われる男が駆け付けてきた。端から高飛車な態度で、年上の彼に向かってふざけたような対応をとった。このやり方はこの辺りでは、当たり前とされている。つまり、言葉で揶揄すれば、相手を侮辱したという証拠が残る。そこで証拠が残らないように、相手を態度で侮辱する。この手法が土地者のやり方だ」
続けて「相手は停車していたと、尚も語気を強めた。彼は再び、相手の車が確かに停車していたという認識はないことを、改めて伝えた。それでも彼女は、声高に声を張り上げては、停車していたとの主張を続けた」
註釈「その意味とは、たかがドアミラー程度でも、事後処理をより有利なかたちで進められるという、言わば事故テクニックだ。つまり、無事故無違反のゴールド免許の彼が知らないことを、この女はテクニックとして知っていた可能性がある。それとも、停車していたという理屈を、何かに使いたいのか」そんな疑問がある。
更には「相手側の夫は損害が少額なら、事故後に増える保険の負担額を考慮してみろと言う。これは事故によって発生する、彼の保険の増額分が妻の損害額を超える。つまり軽自動車のドアミラーは少額だから、その少額分を示談金として支払えを示唆しているのだ」
「そうすれば、彼への事故後の保険増額分は無い事を指摘した。そして彼は、自ら相手車夫婦と共に、警察へと向うことになった」
「交番に着くと彼は、自らのドラレコのメモリーを持ち込んで、事故状況の判定をしてもらおうと提出した。中年女は、金光球子の名と住所を書いたメモを彼に渡した」
「警官は自己紹介を済ませると、警察では事故の判定をしないとして、事故の処理は、互いの保険会社が行うことを説明した」
「以上が事故のあらましだ。だが彼には引っ掛かるところがあった。先ず珠子が執拗に繰り返していた、私停まっていました。の言葉に(二~三秒間)の言葉が加わった。これを繋げると(私、二~三秒間停まっていました)に^変化する」
「次に夫が言った負担金を考慮しろが、警察官の前では沈黙した。そして、相手である夫妻の言動から、事故慣れしているのだろうかと、確信するようになった」と、いう事は、珠子の過去にはいくつもの事故歴があることになる。
そして「家に帰った彼は、早速メモリーをパソコンに入力した。ところが、肝心のデータが見つからない」
「その数日後、相談を受けた俺は(ドラレコに特に詳しい訳ではないが)彼の車を運転してみて分かった」
「それは電源としている、シガーソケットとプラグの接触不良が原因だとすぐに分かった。この手の電源では、よく起る現象だ」
「その後になって相手の保険会社から、メモリーのデータを提出するようにとの要求が来ていた。彼は自分の保険会社を通して、データが無い旨を説明した。すると相手側も保険会社を通して(彼の態度が高圧的だった)と、突然言い分を変えた」
「嚙み合わない返事の内容と、なぜこのタイミングで高圧的だったなどと、付け足したのか理解できない」
「もう一つ言い出したのが、事故当時彼の車は、猛スピードで飛ばしていたと言う。これもまた、なぜこのタイミングで付け足すのか(高圧的だった)そして(猛スピードだった)この二つの言葉は、何を目的としているのか」
相手側は「事故直後から夫が加わり、金光夫婦の二人となっている。対して彼は一人のままだ。そんな状況で高圧的になったところで、彼には何が得られるのか、理由は何一つ無いはずだ」
「そのあと彼は(高圧的だった)は金光夫婦の側だと明かしている。また(猛スピードだった)の件は、狭い農道での状況から言っても当てはまらない。彼が何も要求していないにも関わらず、金光は結果として、それ以上の要求を示唆している」
尚も、それに加えて(私二~三秒間停まっていました)と、言葉を付け加えたのは、その先に更なる金銭要求を示唆している」
また暫くすると「データが無くてもいいから、メモリーカードを提出しろと再び要求してきた。それからでなければ以降の話は出来ないと、彼の保険会社にも執拗に繰り返してきた。と記されている。
そこには山田の解説として、相手方の狙いは、メモリーの解析なんかじゃない。これは揺すり集りで、土地者の常套手段だ。
近年あおり運転の被害者が、逆に加害者だったことを証明していた、などがあるが、この場合はたかがミラー程度の賠償額だ。証拠の解析から裁判費用に至るまでの全額を、見返りとして得られるとは考えにくい。
回収出来るのは、費やした金額のせいぜい何十分の一程度だ。よってこのことは、割の合わないことなのに、メモリーの提出を執拗に繰り返す理由とは何か。これには、どうしても揺すり集りの目的がある事を示唆せざるを得ない。高圧的も猛スピードも私停まっていましたも、データの無いメモリーの提出要求も、全てはドアミラー以上の金額を、要求するための下拵えだ。
解説「俺は、この執拗な要求は、相手側が暴力団と関係していると想定した。メモリーカードは、近くに在るその筋の事務所に持ち込むとか、換金できるシステムが備わっているのが、この地だ。要は金蔓となり得るネタを要求した形が、メモリーカードの提出だと判断した。だから彼には、メモリーカードに限らず、揺すり集りのネタとなる全ての証拠物は一切渡すんじゃないと忠告した。とにかく正直者がバカをみるこの土地柄だ。理不尽にはどこまでも屈しない。それが、変な土地者から、正しいを守る事になる」と書き残していた。
美智子は「戸松征雄の生い立ちは、土地者に共通する何かを示唆している。また、金光球子の執拗な要求も、土地者の性の現われではないだろうか。そして、土地者は一見普通の人間に観えるが、一皮むけば暴力団そのままだ」
「警察内部にも、土地者を思わせる人物が居る事を否定できない」と、速記した。
六、この地とけい子
突然ホテルの扉がノックされた。美智子は驚いて時計を見る。「あ、いけない、紗耶香だ。すっかり忘れていた」と、言いながら開ける。
そこにはフロントの塩沢孝之が立っていた。その後ろで敬礼のつもりなのか「押す」と、言って、沙也加が現れた。
若干二十二歳のスポーツウーマンは、長い脚に地味なスラックスを穿いて登場した。
予定からは遥かに遅い。「沙也加。お前遅刻だ」と言いながら時計を見る。
沙也加は「もう二時間も前から来ていた」と主張した。
一旦この部屋へ来たが、ノックをするも応答が無かった。仕方なくロビーで美智子を待つことにして、道中閲覧してきた本件の続きを、たった今読み終わったところだと言う。
それで、今回の状況の全てを理解した。そう言ってスマホを見せる。だからあらましは、もう承知しているつもりだ。と説明した。
そのあと、転校生が来てからひどい虐めに遭っていた事を明かした。それまでは、と断って、沙也加の周りにもその地域にも、虐めなどというものは聞いた事さえなかったと言う。
それを聞いた美智子は、用心棒などと言っていたが、沙也加を送り込んで来た弁慶の意図を感じた。それを悟ったのか沙也加が「対向せよ。と命令された」と、反対の立場から考えるようにと、弁慶から言われてきたことを伝えた。
フロントの塩沢が進み出て「みなさんの話を一部だけ聞いてしまいました」と明かす。美智子はこれから喫茶室に集まることを予定していた。
塩沢は、出来ることであれば自分も参加させて欲しいと依頼した。美智子は、集まってくるみんなも反対はしない事だとして、塩沢の参加を承知した。そこへ山田からの電話が入って、これからホテルに向かうという。
その山田が間もなく到着した。美智子に、用意してきた手紙の続きを手渡して、山田、沙也加、美智子はホテルの喫茶室へと移動する。そこへ唐沢明人が、藤村利夫を連れてやって来た。美智子はデータの残りを入力し終えると、一同に回し見させた。
そこで、沙也加が「そんなの、仕返しすればいいのよ」と、虐めを抑止する手段として発言した。
年配の山田が「出来る事ならそうしてやりたい。が、実際に仕返しとなると、これは大変だぞ。ただ刺し違えるだけなら金も掛からないが、自分だけは無傷で、相手を一方的に倒すとなると、相当な資金と知恵と運が必要になる」
「おまけに優秀な弁護団を雇わなければならない。例え一流紙の出版社でも、そう簡単でないと思うが」と言って美智子に向き直った。
美智子は「うちでは前例がない訳ではない」とは言ったものの、簡単ではないことには同調した。
更に山田は「例え、団地内にいる個人でも、背景に沼田のような奴が居れば、同じように大変だと言う。沼田が公務から退職していても、やっぱり大変であることには変わらない」と説明する。
「とにかく相手は権力なんだから、ましてや警察官相手となると、勝どころか、逆にズタズタにやられるぞ」と、語気を強めた。
この言葉に反発したのは紗耶香だけだ。まるで虐められていた過去に、戻ったかのような眼で「いじめ問題は、私が生まれるずっと前からあったはずよ。なのに社会は何一つ対処しようとしなかった。その為に当時の虐めっ子たちが、そのまま成長して、いまの社会で虐めを継続している。中には地域や政治の中枢で、虐めっ子のまま人々に対して、暴君化している奴さえいる」
「まるで社会全体がいじめの中にある。だからいつまで経っても、立場の弱い人は弱いままでいるのよ。このまま放っておけばどうなるのよ」と、山田を睨んだ。
それを受けて静かに言う。「倉田さんの言うことはもっともだ。それでも俺は、この現実を言わなければならない」と、諭すように返した。
沙也加は尚も「一方的にやられっぱなしなんて、絶対に認めない。そんな理不尽が、許されたら世の中おしまいよ」と叫ぶ。
一同はよく理解しているつもりなのだが、尚も続ける。「そういう理不尽を、私たちの先祖は仇討ちという方法で解決してきた。それが抑止力となって、虐めのない社会に近付いていたのよ。少なくても現在よりは」と言ったところで、過去を振り返るように「私が虐められて帰ると兄が道場へ連れて行ってくれて、そこで空手道の試合を見せてくれた」
「空手道は、読んで字の如く、武具を持たずに闘う武道なの。でも想定する相手は常に色んな武器を持っている。そんなふうに不利な状況でも、相手を素手で倒すの。それを観ているうちに、私も空手道に嵌まっていた」
「実社会ではなんの役にも立たないけど、理不尽や虐を武器としてくる卑劣な奴らに、立ち向かう勇気だけは目一杯もらえる」
「兄からは、空手を絶対に喧嘩の道具にしてはならないと、何度も固く言われてきたけど、とうとう限界になって反撃した」
続けて「その時は、二人の女子と三人の男子に囲まれて、もうどうにでもなれという思いだった。その男子学生の一人は睾丸への打撲と前歯を全部折って、一か月の入院をした。次の男子は睾丸がつぶれたと言って、これも二か月間入院したと聞いたけど、手術が成功したとは聞いていない。三人目の男子は左目を失った。でも、あれ程空手を使うなと言い続けて来た兄が、なぜか褒めてくれた。どお、その意味みなさんに解る」と一同を見渡した。
席を外していた文子が戻っていた。「実はね、私は剣道をやっていたの。子供の頃は少女剣士などと言われて、みんなからちやほやされて成長した。だから同じ武道の考え方から言えば、あなたを心から褒めてあげたい。お兄様のように」
沙也加は「だから、なんなのよ」と急かす。史子は少し躊躇いながら「三人の男子学生は、あなたを囲んでいた中で、よくぞ自分の身を守り抜いた。これがスポーツとは違う武道の在り方よ。その事を褒めたのだと思う」そう言って、沙也加を見つめる。
「こんなふうに、矛盾した言い方をするのは気が進まないけど、どんな武道でも、師範は喧嘩の道具ではないと教えるのが普通なの。武道とはいえ暴力は暴力だから、どこまでも回避するのが最優先だと言う教えなの。
「それが、この私にも出来てない癖に、恥ずかしいのだけれど、その矛盾を乗り越えてこそ、という教えでもある。そこを諦めたら、武道はただの暴力に成り下がる」と語った。そのあと沙也加は、納得したように沈黙する。
そして文子は「現在の世で言う復讐には、悪い響きしか無い。でも赤穂浪士は、日本中を沸かせるほどの復讐を果たした。そして、世界を見なさい。良い復讐をしている国がいくつもある。復讐とは、受けた被害者が立ち直れるたった一つの治療法なの。それが健全な社会の在り方へと繋がる」と、諭した。
そのあと、戸松との事件を語ったのち「私ね、ご覧のような歳だけど、今でも復讐をしたい、というのが本音なの。もし私に、山田さんが言うような資金と弁護団が有れば、何一つ迷わない。その犯人に、言い逃したことを、その時こそ、言わせてもらうわ」そう言うと、この地の方角を指して「絶対に許さない」と叫んだ。
尚も「この地とか、土地者とか言うけど、あそこからは公務員を始め、警察関係者、区議会議員、本当かどうかは知らないけど検事や裁判官、弁護士なども輩出しているという。ただの犯罪地域では無いのよ。気位ばかり高くて、よそ者などと言っては周辺地域を見下し、犯罪の標的とする。揺すり集りのその果てに見える土地者の正体とは、泥棒集団なの」
「そう、生業は泥棒よ。その近くに出店したコンビニは、必ず店を畳む事になる。どうしてなのか分かります」
みんなの反応が無いのを観て「それは、万引きなの。近くには小中学校が在って、子供たちが競い合っては万引きを繰り返す。更に問題なのは、その親たちが、自分の子に万引きのノウハウを教えて競わせる。こうして出店したみんなが倒産する。あそこもここもあっちにも、団地もこの地の全てが泥棒集団」
「この地全体がそうした犯罪集団で、その中から選抜されたものがやくざとして、各地に出向される。この地を自慢する土地者は、この地という国のような意識でいるの。あの軍事大国のように。この地とは、まさしく日本の中の侵略国家」と、藤村や唐沢のように語った。美智子は、やくざの里の文字が過った。
ここで「各地に出向された」の言葉に反応した沙也加が入り込む。「この地が犯罪国家であるとしても、IS国のように例えるのはどうして」と聞く。
山田が「IS国とまで言うつもりはないが、この地にある風習が、IS国のように映るんだ」と示唆した。
尚も沙也加は「私が知る限りだけど、この地とはIS国のようなテロリストではない限り、普通の地域集団と見るべきよ」と、突然擁護するような発言に変えた。
「それに、部外者をよそ者と言って差別しているようだけど、ただ単純に排他色が強いだけじゃないの。彼らにも親戚や友人知人がいて、幼児から大学生に至るまで、いろんな子供たちも生活している。例え親がカツアゲの常習犯だったとしても、それを復讐の対象にすれば、結果的に子供たちの生活まで奪うことになる。そんなのでこの国が法治国家と言えるかしら」
それを、じりじりと聞いていた史子が「一寸この子、頭おかしいんじゃないの。つい、さっきまでは、かつての社会では理不尽を仇討ちで解決してきたとか、声高に叫んでいたのは誰よ」と返した。
尚も「突然反対のことを言い出したりして、人をバカにするのもいい加減にしなさい」と張り上げる。
美智子が間に入って「この子は上司の言いつけで、相手側の立場から、反論する様にと言われているの。それでおかしな言い方になった。つまり対抗させることで、感情的かつ一方的な報道にならないようにしている」と、説明した。
ところが、紗耶香の眼には大粒の涙が一杯溜まっていた。「私、こんなのもう耐えられない」と苦しい胸の内を吐き出した。
画面を読んでいた山田が「椎名さん、よく調べたね。確かに社会の中枢で君臨する土地者はいるが、あそこはかつて各地から集まって来た、ゴロツキたちの居住区なんだ」と明かす。
「そうした歴史がある。だからせいぜいストリッパーのような風俗が適役で、客引きに誘惑された客に(俺の女に手を出したな)などと、偽ボクサーがカツアゲで食べて行くのが精一杯だ。ある意味かわいそうな奴らなんだ。ただし、区議会議員は本当らしい」
「だが検事や裁判官や弁護士は、この地の出身と言っているのではなく、どこか遠い親戚を辿って行くと、なんとなく突き当たると言う論法からだ。奴らが自慢するほど大したことじゃない」
ここで美智子が気になっていたことを山田にぶっつけてみた。「山田さんは、子供の頃にこの地に縁があったと伺っていますが、いま仰ったことは、この地を暴露することになりませんか」と、ずばり聞いてみた。
山田は「そうだよ。俺は意識して暴露している」と言う。なんとなく酒井公男の言と似た反応に観えた。
すると美智子に向き直って「今日来たもう一つの理由は、その暴露の全てを聞いてもらうためだ」と、言う。
美智子は「暴露する理由を仰って下さい」と、これもそのまま返した。
すると「椎名さんと会ったときから、それとなくではあったが、フルさんを助けるための取材だ、と言うことは分かっていた」と言う。
美智子は「これまで、いろいろと取材して来た中で、山田さんと古川さんは、ただの釣り仲間という関係だけではなく、余りにも強い絆で結ばれているように思えたものですから」と、初対面からの印象を言った。
頷くと「俺とフルさんは、いや皆さんは釣りをやったことはあるかね」と、聞く。
一同が「いいえ」と否定した。
山田は「釣りと言ってもいろいろあるが、俺とフルさんがやっていた釣りとは、渓流釣りと磯釣りだ。知らない人が釣りと聞けば、どこか牧歌的な風景のなかで、のんびりと竿を出す。皆さんはどうかね」一同が同意する。
山田は「それは湖などで、フナなどを釣るときのイメージだ。俺が言っているのは登山用具で身を固め、暗いうちから山に向かう。愛用の釣り道具をザックに詰めて、廊下と言われる、切り立った渓谷の谷底に降りる。だが、そこはまだ釣り場じゃないぞ。更に遡って、若しかしたらそこは人跡未踏の地だ。目も眩む絶壁を登って藪を漕いで、ザイルで降りる。更にその奥の渓谷を目指すんだ」そう、言って遠くを見つめた。
「空がようやく明け始める頃、やっと目指す釣り場に到着する。釣りというより、殆ど登山やロッククライミングに近い。俺たちは一本のザイルに、命を分け合ってきた戦友だ」
「突然の豪雨で沢を渡れなくなれば、危険であっても何処かにビバークしなければならない。必ずどちらかが見張り、それでも危険が迫れば救助要請のため、さらなる危険を越えて麓を目指す。残した仲間を助けるために」
そして「磯釣りにしても同じ事だ。突然の高波で隣にいた筈の仲間の姿が無い。そんな状況を想像してもらいたい。これは著名な登山家とか荒波の中で、命を繋いできた漁師たちとか、戦火の中で命を分け合った戦友と、同じ絆を俺たちは持っている」と、仲間意識を強調した。
更に「人間(ひと)とは余りにも辛い局面に遭遇すると、その体験を時が癒すなんてことは絶対に無い。限界を超えた苦痛は、他人から聞かれても聞かれても、沈黙してしまうのが人間の真だ。フルさんも言葉に出来ない状況を体験したに違いない。だからこそ、俺が変わって暴露するんだ」と美智子に向き直って、コーヒーを啜った。
その美智子を正面にすると「俺は、この地と呼ばれる所の土地者を、子供の頃から観てきた。その子供たちを、立派な犯罪者に育てるための実践教育をし、妙なプライドを植え付ける。こうして他所の者よその土地を支配することを教えるんだ」
「だから、かつては周辺の村々へと出向いては、女工狩りといって少女たちの親を騙しては、小銭で買いあさっていた。売られた少女は当然のように女郎扱いだ」この瞬間、飛騨の女を売春婦だと説明した、宮下智之の顔が浮かんだ。
そして「村から少女たちが枯渇すると、今度は若い男衆だ。奴らは、買い取った若い男衆を家畜同様の扱いで、海外にまで売っていた。やがて時代が下ると、法によってあからさまな悪行は出来なくなり、自然と影を潜めては忘れ去られた。だが土地者は周辺の人々を支配してきた歴史を忘れた訳ではない」と、山田は画面を指して「ほれ、この通りだ」と、表示されている悪行の数々を指した。
そのうえで「ここに収められた被害はほんの一握りで、実際にはこれの何倍何十倍もの被害があった筈だ」沙也加は「女工狩りって何のこと」と質す。
史子が「奴隷のように働かされていた少女たち」と言って「映画になったり、テレビの連続ドラマで放映されていた」と昔を説明する。
山田は「映画もテレビも、正当化され美化されたものだ。実際にはあんなもんじゃない。湖は身を投げた少女たちの死臭で噎せ返り、河原では死体を焼く煙が、毎日のように立ち昇っていた」
尚も「人が湖に身を投げるということを、想像して欲しい。死を決意するまでには、どれ程の苦難苦痛があったことか、言葉なんかには変えられない悍ましいほどの苦痛が、いくたびもあった筈だ」
「テレビで女工時代を懐かしむ、お婆さんたちの映像なんて、ずっとずっと後の世の昭和になって世界大戦が終わった後なんだ」
若い沙也加は「知らなかった。こんな田舎に、IS国のような所が本当にあったなんて。私が高校生だった頃の話になるけど、私を襲ってきた三人の男子学生の出身地が、この近くに在る筈なんです」すると、一同は互いに顔を見合わせあった。
続けて沙也加は「私、女工狩りのことをもっと詳しく知りたい」と言う。
今度は山田が「詳しくと言われても、幕末の動乱期だから資料そのものが存在しない。だから、俺が知っている限りを説明する。その時代にヨーロッパでは生糸が高騰していた。同じころ、供給先である日本の農村では、昔ながらの方法で細々と生糸が生産されていた。そこで、金に目の眩んだ業者たちは需要に追いつくためとして増産を要求した」
「だが一口に増産といっても、一気に繭の大量増産は無理だ。もっと大変なのは生糸を紡ぐ若い女性だった」美智子は「どうして若い女性なの」と聞く。
山田は「若い女性の指先はしなやかで柔らかい。その指こそ生糸を紡ぐのに最適なんだ。逆に男や既婚女性ではそうは紡げない。どうしても少女の指が必要だった」
「そこで製糸業者は、農村部の少女たちに目を付けた。先を争って女工狩りに札束を積んだ。これを聞きつけた各地のゴロツキどもが、これは金になるという事で集まって来た。奴らは金にさえなれば何でもやる」
「一様に人買いと言われていたが、業者から受け取った金は懐に入れ、少女と見れば手当たり次第に拉致して来た、というのが本当のところだ」
「その少女の中に、城の姫君がいたという。(ああ、野麦峠)の物語は、それから時代が下って、法整備が進んだその後のことだ。現代の皆さんが知っているのは、正当化され美化された物語なんだ」と語った。
「そこで沙也加が「そのゴロツキたちは現在はどこに」と聞く。山田は「元の各地に戻ったとか、知らない所に拡散して行ったとか言われているが、元々あったゴロツキたちの本拠地に居るはずだ。そこが、この地のなんだ。つまり、土地者という姿で、この地に残った」
すると、検索していたスマホの手を止めて「この地と称される他に、もっと明確な地名は無いの」と聞く。山田は「無いよ」と答える。尚も紗耶香は「では、変な所と言う地名はないの」そう質す。すると、一同声を上げて笑った。
美智子が「それは地名ではなく、この地という通称であり俗称であり、この地域を指す」のだと教えた。
すると「ほら」と言って美智子に、スマホにあるメールを見せた。それを見て「これは間違いなく、この地のことだわ」と、何かの書き込みの住所を観て納得する。
喫茶室の窓には黄昏時のネオンが、窓ガラスに反射を繰り返すようになっていた。
何かの書き込みには、他人への誹謗中傷がこれでもかとばかり書き込まれている。よくもこれ程無責任なことが書けたものだと思った時、土地者の厭らしさに、書き込みとの共通性を感じた。
他人を蔑み、何かを煽り立てる。やがて被害者が、世の中に絶望して死の選択をする事を待っているのだ。こうして、奴らは安全圏から煽りに煽って狂気を飛ばす。書き込みは、更にそれを鼓舞していた。このやり方こそ、土地者であり煽り屋の正体だ。
沙也加は「私が小学校の二年生に上がった年に、転校して来た二人の女子がいたの。この二人は飛びぬけて口が達者だった。先生には諂うくせに、私たちには狡猾で同級生たちをランク付けする癖があった。それがどういう意味なのか、その時は全く気が付いていなかった。つまり同じ仲間同士だったクラスが、三つの階級に分断されたの」
「その為に、あれ程楽しかった教室なのに、何となくギスギスする様になった。またこの二人は、ランク一の子を取り込むことがうまくて、その他の子たちは自然とランク一に服従しなくてはならない。そんな状況を作り出した」すると、史子が「小学校の二年生で」と確かめる。
そこで美智子が「親が自分の子を、子供の後ろから操り人形のように操作している状態。言わば傀儡(かいらい)なの」と、書き込まれた画面を史子に向けた。
文子は「そうでしょうね。僅か小学二年の子が、大人顔負けの駆け引きをするなんて信じられないもの。でも、親が土地者だったらあり得る」すると、山田が「その結果、教室は分断のみならず、階級が形成されたのでは」と、質す。沙也加は深く頷いた。
そして「その二人の女子は、こうして教室の頂点に君臨するようになるの」山田は「それが、奴らの常套手段だ。おそらく三年生、四年生と上がるにつれ、その二人は子供ながらに、教室全体を支配するようになった。更には、イエスマンの取り巻きを周りに配置して、二人の安全圏を確保するようにするんだ」と説明した。
沙也加は「どうしてそれを」と聞く。山田は「俺が子供のころ、どこの教室にも、そんな奴が当たり前のように居たからだ。そんな教室は、いつの間にか階級制度が出来ていた」これが土地者が持つ性であると供述する。
文子と美智子が、嫌なグループと言っていた教室の光景を思い出して、目を合わせた。
続けて沙也加は「それだけではありません。それ以上に親たちが、黒幕として支配していたんです。その手始めとして、PTAを抑えてしまうから、教室での揉め事は全て二人にとって優位に働く、そんな仕組みを構築した。そうなると、支配する二人が金を要求しようと、何を要求しようと他の者たちは従うしかない」
「今思えば独裁政権の暴君がいるようなもので、楽しいはずの小学校生活は、暗く辛い思い出しか残らなかった」この時、非番になった塩沢孝之が入って来た。
沙也加は尚も「私はその二人のことが大嫌いで、四年生に上がった年に、初めて敵対する事になった。それは、私と仲のいい同級生がいて、いつも一緒に登校しては、一緒に下校していた。それが私たちの日常でした。それを知らない、生徒たちからは双子の姉妹みたいに思われていたようです。そしてある日の下校時に、あの二人が通学路に在る神社の森で待ち伏せしていた。呼べども叫べども助けに来る人はいません」
「友の上に馬乗りなった転校生は、面白がって友の口の中へ砂を詰め込みました。身体の大きかった私は、自分の上になっているもう一人を振り落とすと、友に馬乗りになっている女子目掛けて、体当たりしました。でも友は、もうぐったりとして動けなかった。ただ手だけが薬の瓶を握って、私に訴えていた」
「その子は喘息持ちで、いつもその薬を持ち歩いていたけど、口に詰められた砂で飲み込めないまま、ぐったりとしていたんです。私はその口をこじ開けて、砂を掻き出しながら、薬を自分の口の中で噛み砕いた。この時友の眼がうっすらと開いて、やっと呼吸を始めようとしているようでした。そこで口移しをした」ここで美智子が「もういいから」と、嗚咽している沙也加を抱きしめて止めた。
画面には、その後の新聞記事が表示されていた。美智子は紗耶香を自分の膝に蹲せて、画面が見えないように山田に向けた。
声に出さずに「この件は事故であって、小学四年生の生徒には罪を問えない」と、そこまでを黙読した。そして次を史子に向ける。唇だけで「これは亡くなったということ」と、文子はテーブルを囲むみんなの眼に訴えた。
ところが、見えないはずの沙也加には分かっていた。いきなり起き上がると「殺されたのよ」と叫ぶ。
このとき塩沢が、紗耶香を医務室のベッドに案内するという。それを振り切るように「私は友達を助けられなかった。でも、その時から私は、殺された友の復讐をすると誓った」そう言って文子を見る。
「そう、復習よ。二人の女子のうち一人が単独でいるところを狙って、友達がやられたように馬乗りになった。そして口の中へ泥を詰め込んでやった。もう一人にも同じ目に合わせてやった。それ以来私への虐めは、取り敢えずなくなった。でも高校に進学すると、なぜかあの二人の転校生も同じ学校に進学していた。そこへ例の三人の男子が加わったの」
「後で分かったのは、その五人の生徒全員が同郷の仲間同士で、この地の出身らしい事が判った。つまり、この地から出向してきたのよ」
「それからは、二人の女子に、再び後をつけられたり、私の前を横切りながらニタニタと、意味ありげに笑って見せたりするようになった。そのことで、何か不気味なものを感じていたけど、いま更引き返せないと思って、いつもの夜道を家へと向かっていた」
「そして、友達が殺されたあの神社の森に差し掛かると、今度は例の三人の男子が飛び出して来た。この瞬間に二人のニタニタの意味が分かった。頭の中で沙也加逃げろと誰かが叫ぶけど、目の前には友達が殺された現場があった」
「それを観た途端、戦ってやると決意した。いま戦わなかったら、友達を殺した二人の女子を赦すことになる。いいえ、あの二人が犯した殺人を、この私が肯定することにもなる。それだけは絶対にダメだ。私があの世に行ったとき、友にどんな顔を向けたらいいのかって思った。でも相手は男子を加えて五人、たちまち囲まれた」
「だから勝てる自信なんて無かったの。そこで捨て身のつもりで、先ず正面の男子を倒した」そして美智子を改めて見ると「その結果がさっきの答えよ」と叫ぶ。
「沙也加に向き直って「あなたの事はよくわかったわ」と言うと「いいえ。まだ解っていないと思います」と返す。そして美智子を真っ直ぐに見つめた。
すると「私は、あの場では勝ったけど、あの二人の女子がまた新手を送り込んで来たら、また闘わなければならない。こんな事を続けていたら何時までも限がない。この闘いを終わらせるには、ペンしか無いと思うようになった」
「その通りになるかどうかは、まだ分からないけど(ペンは剣よりも強)に掛けてみようと思った。だからこの世界に飛び込んだの」すると、「えらい」という声が上がった。
なおも「この三人の男子が、私を囲んだ訳は何だと思います」と、聞く。
美智子が「聞かなくても、みんな解っています」と答えた。だが沙也加は「皆さんの想像通り。後ろに回った男子に、両手で胸を掴まれていた。もう一人の男子が(やれやれ)とはやし立てている」
「正面の男子は(俺が一番槍だ)と言いながら、私のスカートの下に手を入れようとして、前かがみになってきた。この時、私はこんな奴ら断じて許してはならない。と、再び聞こえてきた声に従って、正面にいる男子の顔面に、膝蹴りで反撃した」
「暗い中で男子の口から、血がぽたぽたと落ちているのが分かった。男子はその口を両手で塞ぎながら逃げようとする。私がもう一度どうにでもなれ、と思ったのはこの時よ。それは自分の事ではなくて、相手の男子がどうにでもなれと思ったの」
「その男子が逃げようとした瞬間を、次の一撃で倒した。間髪を入れず、その顔面に踵落としを決めた。ところ私の靴の方が壊れていた。そこで睾丸を踏みつけてやったのよ。私の胸を掴んでいた男にも睾丸を蹴り上げた」
「こいつよ、手術結果が分からいのは。私は知りたくもないし、どうでもいいことだけど」
「そして、最初に倒した三人目は、ポケットに手を突っ込んでいたところを、私の正拳で左目を失った」
「突っ込んでいたポケットの中が分かったのは、警察が駆けつけて来たときだった。そのポケットからナイフが見つかったの。報道には無かったけど、これが真実なの」
「私に聞こえてきた(こんな奴、断じて許してはならない)の声は、きっと殺された友の意思だったと思う」そう言って席に着いた。
美智子は、画面を一同に見せて「紗耶香の小学校に転校して来た、二人の女子の親たちは、この地の出身で間違いなく土地者と呼ばれた者たちだと、AIが証明している」
更に記事から、あとから合流してきたと思われる三人の男子も、紗耶香の近くに在る職場へとやって来た親たちの子だった。しかし、その親たちは暫くすると、職場を放棄したように退職したとある。また暫くすると、ネオン街には新しい店が相次いでオープンした。
その店主とは、子供の親たちの事だった。こうして繁華街の暗がりでは、男親たちの猫背が現れるようになった。結局、美智子は沙也加が遭遇したした事件とは、土地者がもたらした階級制度と、いじめだったと記録した。
唐沢が「ところで、僕にもこの地には何人かの友人がいる。だから、この地の住民の真実を知っているつもりだ。その立場から挙げると、この地の土地者は気性が荒いことを自慢し合う」
「嘘を言っては、他人の物を奪い合う。それを、まるで戦利品のように自慢するんだ。古川さんを外人だなどと嘘いては有りもしない事を、さも大げさに言いふらして追い出した」
「そんな子供レベルの嫌がらせを、自慢し合っているんだ。その最終的な目的が何だか分かりますか」と聞いてきた。
一瞬の沈黙のあと唐沢が「金だよ。これが僕なりに出した答えの一つだ」と、別の動機がある事を示した。
沙也加は「嫌がらせが、どうしてお金になるのですか」と不思議そうに聞く。
唐沢は「簡単だよ。追い出しに成功すれば引っ越しをする。引っ越しには、業者が必要だ。その従業員は不定期に採用される。実は、引っ越しほど金になる盗みはないんだ」
「しかも成功率99%以上で、例え紛失物の捜査があっても、知らないと言いきれば、警察もそれ以上の追及は出来ない。どうですか、皆さんにも心当たりがあるでしょう。大切にしていた、高級時計や宝石類が無くなっていたなんてことが。それに気が付いたのは一週間後ならまだしも、殆どは半月以上も経ってから、となるともう絶望的なんだ」
「だから、嫌がらせの結果は金になるんだ。春風が吹けば何とやらの如くばかばかしいが、困窮している土地者にとっては、数少ない収入源だ。こんな低レベルな事が、本当に起こるのがこの地だ。お宝を持っていそうな古川さんは、ずっと以前から目を付けられていたそうだ」と説明した。
沙也加が「そんなふうに一人一人を追い出せば、やがて他人は居なくなし、目先だけの利益では将来も無い。こんな事は分かり切っているのに、それでもよそ者を、金目当てで追い出しているのですか」と質した。唐沢は「そこだよ。土地者の殆どは、短絡的な考え方しか出来ない。田植えより、稲穂を盗み取ることしか考えられない人種なんだ。みんなで協力して何かを生産するという事が理解できない。つまり建設的な思考回路が存在しない」一同は納得したように同意していた。
尚も「近くに、ブランド製品の企業がいくつも在るのに、土地者にはそんな企業に倣う事も参加することも出来ない。僕は、土地者を短絡的な人たちと言ってきたが、どうだね。これに変わる表現が他にあるだろうか」と問いかける。
一呼吸して沙也加が「変わる言葉になるかどうか分かりませんが、土地者とは本当に人間なのでしょうか」と、飛躍した。
史子が「土地者と言われる人たちに共通する症状が有ります。その一つを言うと、他人に対して冷酷な仕打ちをする。同時に、後の収穫を考えない青田刈りとか、追い出しで利益を得ようとか。他にもいじめや差別が」そう言うと、一同を見渡す。変わって美智子が「他人はどうなってもいいのだ、という利己主義そのものが、精神病質者の症状なのです。それを専門家はサイコパスと言います」そして、文子を見る。
続けて「土地者と言われている大半の人たちには、サイコパスの症状が有ると思いますと宣言した。
この言葉に、みんなが「サイコパス」と復唱する。すると一同は、納得のどよめきに変わった。
沙也加が鼻で笑う。「そんな事だろうと思った」
そして「あんな奴ら、先天性の精神病がプンプン臭っていた。だから、警察には野放しにするなと、痛いほど言ってやったのに、被害者の私が犯人扱いされて、加害者と被害者が入れ替わっていた。こんなバカなことってある」と吐き出す。
この時、画面の表示が変わった。
百人力「倉田氏の場合は、警察に対して、事のあらましを正直に訴えたと推定される。対して五人組は、何もかもを自分の都合とフェイクで訴えた」
「そこには親たちが学習してきた、嘘のノウハウがあっものと推定される。いわゆるP論法を展開したのだ。その結果、倉田氏への風当たりは、より強いものとなった」の文字が、余りにも大きく観えた。
そこで唐沢は「僕が不思議に思うのは、郷里の駒ケ根市でも、伊那市でも嘘なんか言えば、地域のみんなから嫌われるのが普通だ。この地では良識が無いのか、皆口を揃えて同じ嘘を言う。まるで打ち合わせ通りのように」と明かす。
すると藤村が「仲間意識が強過ぎるんだ。だから、打ち合わせをしている訳じゃない」と弁護した。それを尚も唐沢が「いや、そもそも良識ある者が居ないのだ」と、返す。
美智子が思い出したように「背景に、情報伝達の仕組みのようなものでもあるのでしょうか」と、聞く。
「勿論だ。早い話が自治会や消防団、地区の懇談会などが、その仕組みそのものだ」
美智子は「それなら、何処も同じ仕組みのうえで、情報交換をしていると思いますが」と質した。
ところが唐沢は「そこが違うんだ。そもそも自治体の在り方が違う。そればかりではない。公の場では公私混同が無いようにと努めるのが全国的な常識だが、この地では私情だけで寄り合いと考えている。これは戦国乱世から続いて来た習わしだ」と言う。これには文子も同意した。
沙也加が「その習わしを、二十一世紀のこの世に通用させようとしているんじゃないでしょうね」と懸念を言う。
みんなまさかという顔をしたが、唐沢が「いや、実はその通りなんだ」と言ったあと、腕組みすると「情報伝達の仕組みではあるが、自治体の他に、広い意味で言うネットワークと理解した方が、より正確かもしれん」と言う。
更に「ネットワークの一つを紹介する。その男は外間伸の先輩格にあたる。その当時は四十代後半の男だ。こいつはよそ者狩りなどと称して、普段から目を付けていた立場の弱いよそ者に、酔っぱらった勢いで、言い掛をつけて喧嘩を売った」
「あらかじめ、二人の仲間を物陰に潜ませて、若しものときの助っ人役兼目撃者として、スタンバイさせていた」
「繁華街の一角に誘い込まれたよそ者は、始めのうちはこんな奴相手にするもんかと思っていたが、余りにも執拗な要求に負けて、一万円で丸く収まるならと渡した」
「すると、二万円だと釣り上げてきた。これにはさすがのよそ者も怒った。その大声に警察官二人が、暗い路地の向こうからやって来る。するとスタンバイしていた二人が飛び出して(おまわりさん実は、かくかくしかじかで)と言って、仲間が被害者で、よそ者が集りの犯人だと、被害者が逆転されてしまった」沙也加が、私の時と同じだ、と呟いた。
「よそ者は、仕方なく、今回だけはと言う警官の言葉に従って二万円を集り屋に渡したという」
「ちなみに集りをはたらいた三人組は、普段はごく普通の会社員でごく普通の社会人で、土地者だったそうだ」
「この三人は早速次の日から、よそ者に集られたと、嘘の大々的なキャンペーンを張った」
「そこに加担したのが、煽り屋のネットワークだ。すると、身近にはよそ者がいない筈なのに、俺もよそ者に集れた、などと囃し立てる者があっちにもこっちにも現れた」
更には模倣犯までも現れる。そんな奴らは、よそ者と聞いただけで、あいつは伊那から来たとんでもない野郎だなどと、言っては集る。それを煽り屋が更に輪を掛けて言い触らす。このスパイラルが続いているのがこの地なんだ」
「たまたま伊那とは言ったが、対象は塩者であれ甲斐者であれ、佐久や上田など、全ての他所の地を指しての事だ」沙也加が「やっぱり、土地者なんて、正体は盗みの太鼓持ちよ。結局のところ誰からも相手にされないのでは」と聞く。
藤村が沙也加に向いて「俺はこのホテルの近くの生まれで、この地とも縁の有る人間だ。その俺がこの地を悪く言うのは忍び難い。だが、もう少し聞いてくれ。本来この地には数件の家しか無かった。現在も限られた苗字しかない事が、それを証明している」
「また、戦国時代から、他所との人的交流が無かった事まで知っている。その一方で周辺地域を支配し、暴利をむさぼって来たとも言われてきた」
「だから良く言えばこの地を守るためのノウハウには、異常なほど長けている。また逆に、本家と別家の陰湿な確執が、現在も続いている。近親婚から、他者を寄せ付けず排他主義に徹する余り、外界との繋がりが出来ない。そのまま現在に至ったと思える」
「言ってみれば陸の孤島がこの地であり、外界を知らない住民が、土地者であるんだ。二十一世紀の現在でも奴らの世界はこの地だけが全てだ。それでも何ひとつ不自由はないと思い込んでいる」
「だから、余所の人たちから相手にされなくても何にも困らない」
「倉田さん。もう一度言うと、この地の土地者は、よそ者に相手にされなくても、何一つ困らない社会なんだ」
だが沙也加は「それでは、土地者の世界は狭くなる一方だと思います」と質した。
美智子も「あの軍事大国の指導者が同じ事を言っていました。この地も自立社会とは思いますが、共有する世界は益々狭められる一方で、これから先の未来は無い事でしょう」と、補足した。沙也加が拍手する。
気が付くと、山田の息遣いが荒い。突然に立ち上がって「この地の土地者とは、元々悪党と呼ばれる数件の宗家が中心になって、この地という部落を構成してきた。土地者とはその宗家を指す言葉だったが、いつの頃からか部落の住民全体を指す言葉に変わった」一同は、初めて聞く説明に納得した。
「外界と遮断された世界という事は、いつまで経っても、互いの娘をやったり貰ったりする。そんな近親婚が続けられてきたんだ。こんなふうに親戚同士で交配を繰り返すうちに、変な者が生まれるようになった。それを他所の者から観た姿が、変な所の変な奴になった。これが変なところのいわれだ」
そのあとも「この地では変な奴たちから、更に変な奴が生まれる。その容姿は、如何にも遺伝的なものを思わせる。そうでない者は、心に奇異があった」
「そんな奴らの攻撃性は異常で、立場が弱く反撃の出来ない者を狙って、何から何まで奪い取る。だからよそ者と言われる女性や子供、あるいは老人などは、たちまち餌食とされる」
「反撃できなければ、どこまでも身ぐるみ剥ぎ取るんだ。更には、よそ者を痛めつけるほど楽しいことはないと」そこまで言うと、深く息を吐き出した。
そして「土地者である変な奴らは、他人を甚振ることを、レクレーションのように楽しんでいる。要は遊びなんだ。そんな中に警官もいると、つい連想してしまう」
「そんな環境から、ああ野麦峠のような悲劇が生まれた」美智子は速記しながら、土地者の性とは、どれもこれもサイコパスの症状から来ている事を確認していた」
そして、理論的な山田がいつになく、感情的になっていることに気が付いていた。
ついさっき見せた、過呼吸のような症状と関係あるのだろうか。そう思ったが「変な奴らに良識なんてものは無い。あるのは狂気だけだ」と更に吐き出すと、その顔には怒りがあった。
そして、美智子が「ちょっと待って」と言って、残りのデータを入力した。
すると百人力は、飯田にあったキャバレー地下鉄と折山けい子の状況を表示した。
「飯田市街に上がるには、谷川線という、長い直線の坂道を上り切る。そこが中央広場と呼ばれている街の中心部だ。そのまま直進すると中央通り。その通りに入って五~六軒目あたりの右手に、ダイエイというパチンコ屋が在った」
「その地下には、地下中劇と呼ばれる映画館が在り、隣の空間には食堂や寿司屋などが並んでいた。キャバレー地下鉄はその奥にある空間を利用していた」
「当時は都会的なセンスで、けい子のストリップショーが売りだった。娯楽の少ない田舎町では、多くの男性客たちを魅了していた。その店の出入り口は裏通りに直結し、道下には小さな公園になっていた」
「公園と言っても元は堀で、そこを整地し幼児用のブランコやシーソーがあるくらいだ」
「当時は、まだ茂った雑木や桜などが視界を遮り、園内を一望できたわけではない。夜ともなれば、そこに人が居ることさえ判別できない」
「けい子は、キャバレーの出入り口横にある、コンクリートの階段に腰かけて、通る男たちを眺めていた。そこで、何かを感じ取った男に声を掛けては、合意したような素振りのあと、連れだって公園の暗がりへと消えて行く」
「やがて、一人ずつでは大した稼ぎにならないと思うようになる。そこで始めたのがストリップのデリバリーだった」
「そこには若い消防団たちの眼が並ぶ。けい子は、たらいの中で脚を開いてタオルを渡した。それからというもの、キャバレー地下鉄の周辺に在る駐輪場では、自転車やバイクへの悪戯が頻繁になった。たまに駐車している自動車にも同じことが起った」
尚も「その悪戯は、一見しただけでは、動機のようなものが見当たらない。それは、けい子が特定した人物ではなく、周りに居る全てを対象としていたからだ。要は飯田市民に対する腹いせだ」
「その延長線上には、放火も暗示させていた。やがて、この地に戻ったけい子は、古川個人を対象として過激な悪戯を繰り返した。動機は、飯田から来た人物である事だ」
「その古川をどうしても追い出したい。だがけい子は、明確に犯罪となると、自らの手を汚すわけにはいかない事情があった。再犯には、厳しい未来しかないことを、よく知っていたからだ。そこで行ったのが代理犯行だ」
「畑山順の娘夫婦を始め、飯田での構成員たちや戸松に嗾けた。それは破裂寸前の風船に針を刺すより簡単だった」美智子は「段々と姿が観えて来る」ことを実感した。
画面には次の表示があった。「折山けい子は、女子刑務所を出所したあと、直ぐに団地入りしたわけではなかった。前述にあるように薬物依存の回復支援を受けるため、施設で本格的な治療を行っていた」
美智子は「やっぱり」と言って、薬物依存があった事を注釈した。
そして「その施設では誰よりも、治療には懸命だったという。その甲斐あって、団地には滞りなく入居が許された。そこで岡松の一次隊として、既に入居していたかつての仲間たちから、飯田から来た者が居ると聞かされた」
「その途端に、すっかり忘れていた筈だったが飯田での記憶が、薬物の抜けた脳に蘇った」
「真っ先に浮かんだのは、暗い客席から一斉に浴びせるカメラの閃光だ。幾つものストロボが、裸のけい子を狙って続いた」
「目付きの悪い者たちが、客のカメラを取り上げようとするが、そんなことで引っ込むような若い衆ではない。結局、店はぼったくり料金に、更なる上乗せをして請求した」
「すると飯田の町中で、キャバレー地下鉄に行くと、ケツの毛まで抜かれるぞ、というキャッチフレーズが飛び交うようになった」
「都会的なセンスと、ストリップショーで売ってきた地下鉄は、たちまち閑古鳥が鳴く。その一方で好評だったのがデリバリーだ」
「短絡的なけい子は、仲間たちからの煽てが嬉しかった。陰では悪口を言っているくせに、面と向かうと丁寧に挨拶をする。そればかりか、忖度までするようになった」
「今では、けい子の鞄持ちが使い走りをし、小生意気な妹分でさえけい子の機嫌取りをするようになった。こうしてけい子は、自分こそが一家を支えられる実力者だと、短絡的に自負するようになった」
「次には「妹分である、従妹の極妻こと猪山は、けい子によく似て体格がよかった。男勝りと言うより独裁国の女帝と言った方が体を表している」
「この極妻のことが、けい子は大嫌いだった。姉貴分である私という存在が有りながら、生意気にも台頭して来る。けい子が岡松一家の稼ぎ頭になるまでは、何かとけい子を見下し蔑んでいたはずだ」
「その同じ口が、けい子に忖度する。いくら従妹でも、こんなの信用できるもんかと思っていた。その従妹がけい子に向かって言う。古川というあの男は、飯田から来た男でけい子ちゃんのことを、知っているなどとチクっていた。これが、古川の事を知った時の詳細だ」
「その途端、忘れかけていたデリバリーがいっそう鮮明に蘇ってきた。それは飯田周辺にある消防団の屯所での事だ。たらいの中で脚を開いていたあの様子までもが、昨日の事のように蘇る」
「同時に、酔っ払った若い消防団たちの顔ぶれまでも、目に浮かんだ。けい子の付き人役がいくら睨みを利かせても、法被(はっぴ)姿の隊員たちが、我先にとたらいのかぶりつきに陣取った。いかに商売とはいえ、これには流石のけい子も堪えた」と表示している。
他にも「キャバレー地下鉄の出入り口側にある公園での売春や、自転車を始めとする悪戯の数々まで思い出したが、尚も気にしていたのが放火の件だ。
新たに判明した証拠でも浮上すれば、再逮捕の可能性がある。そして、生活の場としていたアパートでは、麻薬の密売が行われていた。
町内ではすでに知られていた事だ。けい子は迫りくる恐怖を感じた。だがこんな窮地を救ってくれる者などいる筈がない。今のけい子に出来ることは、飯田に居たという古川を、何が何でも追い出すことぐらいしか思いつかなかった」そこで、のぶよがいつか言っていた、鎌を持って追いかけたという言葉を、古川に擦り付けたのだ。
この擦り付けを、のぶよならきっと応援してくれるはずと、思い込んでの事だった」
美智子は、盗みという言葉には卑しさを覚えるが、土地者にとっては略奪なんだろうかと推測があった。そこで「略奪集団」と、速記した。
(第五話に続く)
十三、山田の手紙
そのあと美智子は、ホテルの小さな机に向かっていた。山田の手紙には、古川の日記というより、観察記録のような書式でびっしりと書き込まれていた。
暫くは読みながら入力を続けた。所々に抜粋や山田自身の註釈が、余白を埋め尽くしている。これはただ単純に書き足したのではない。真実を追求するため、以前からコツコツと手書きで書き足してきたものだと思った。
その本文からは「この団地に入居した頃のこと、団地内の奥さん方から、どこから来たのかと、さかんに聞かれた。それも申し合わせたかのように、同じタイミングで聞いてくる。時には同じ奥さんから、二度も三度も繰り返し聞かれることもあった。この地からではないことを知ると、なぜか一様にがっかりした表情を見せる。その事に強い違和感を感じた」と記されている。
注釈には「フルさんに対して外人だという嘘をはじめ、デマの数々は入居時からあったように思う」と、山田の自筆が強調していた。
続けて「団地住人の表情には、人としての温もりが無い。顔では笑って返すが、その眼には敵意まで感じられる」山田の注釈「フルさんも住民の変な反応に、これは何なのかと思ったそうだ」
本文「自分には敵意など全く無いのにと、周りにアピールした。更には、住民の和の中に溶け込もうと努力もした。ところが住人側の反応は、いっこうに冷ややかなままだ。中には拒絶を示す者まで居た」
美智子は駅前に降り立ったとき、道行く人々の表情に違和感があったことを思い出した。
注釈「居住をはじめて数年後、あからさまな弾き出しこそ無かったが、フルさんにまず起こったのが、外間伸が売った喧嘩だ。俺がこの喧嘩を知ったのは四年後のことだ。夫の伸にものぶよと同じ、弱い立場の者を虐めるという加虐心があった。伸は、女房からの嗾けに加えて、己の加虐心を満たす為に喧嘩を売ったと推定した。その経緯をフルさんの口から直接聞いている」とあった。
「その様子を詳しく記録する。本文「それは休日の午後二時ごろのこと、団地内にあるその道路にはいつものように、路上駐車している車があった。ここは公営住宅だ。当然、割り当てられた駐車場がある筈だが、この家に限っては、前の路上を占拠するにうに駐車していた。それも道路の中央に駐車しているため、避けて通過するにも困難だ。そこでクラクションを鳴らした。やっと出て来た男は、自分に向かって(ちょっと停めていただけだ。こんなことでいちいち鳴らすな)などと悪態をつき、尚も何かを言い続けている。青空駐車による道路封鎖の嫌がらせは、これまで何度もあった」
「男は駐車している車の前に立ち止まると、こっちへ来いと顎で指図した。近寄ったところを男はがぶり寄りをし、自分の胸倉を掴もうとする。逃げようとして後ろに下がったが、側溝を避けるために回り込む必要があった。そのため三歩後退したところで追いつかれ、自分の襟首を掴まれた」
「まだ半袖の季節とあって、薄手のTシャツが幸いした。掴まれた襟元は伸びたが、男の左手首を自分の右小手で払いながら、且つ腕関節を決めた」
「男は殴り掛かって来る寸前だったので、体重が前足に掛かっていた。男の右手がパンチを繰り出そうとする寸前だ。そのタイミングに合わせて、決めていた男の左腕を引いた。そのためパンチはつんのめったように流れ、自分の顎を掠めただけで、強いダメージには至らなかった」
「この瞬間、男の酒臭い息が掛かった。自分はそのまま男の腕を決め続けたが、相手は大男だ体力では負ける。そこで自分の左手を男の左肩に押し当てた。その瞬間、男自ら倒れ込んだ。舗装路に後頭部を打ち付けないようにと、同じ左手で男の左腕を掴んだまま右手と合わせて持ち上げ、その状態を保持した」
注釈「このような、保護行動はどこの道場でも指導されている。そのかいあって男の後頭部は、余裕で舗装面に打つことがなかった」
「立ち上がった男の様子から、怪我の無いことを確認した」
本文「そのあと男は、やくざ言葉で(おい、小僧。俺はいまので怪我をしたぞ。ちょっと顔をかせ)そう言うと、青空駐車をしている車を移動させた。距離的にはほんの十メートルほどだ。そこには、トラックでも方向転換できるほどの、広い三叉路がある」
注釈「最初からその位置に駐車していれば、何一つ問題は無かったはずだ。男は十メートル離れた位置に駐車する労力を惜しんだ結果、家の前にある道路を封鎖するという、身勝手を繰り返していた為に起こった一件だ」
本文「尚も男は、移動し終えた車のトランクから、何かを取り出しているのが分かった。自分が駐車場に駐車し終わるのを待って、男が再び(おい、小僧。俺はいまので怪我をしたぞ)と再び怒鳴るが、どう見ても怪我をしたようには見えない」
「そこで、どこを怪我したと言い返した。すると男は無言のまま尚も向かって来る。自分の前に立ちはだかると、男は鉈を鞘から半分ほど抜いて刃をちらつかせた。トランクから取り出した何かとは、この鉈のことだったと分かった」
「フルさんは迫ってきたその男の眼をどこまでも睨み返した。すると男は突然視線を外し、自宅の方向へと向かうが(おめえはこの地を知らねえ。覚えとけ)と捨て台詞を吐いて去った」
山田の追記「強い者にはへつらうくせに、弱い者には高飛車になる。狡さも卑怯も恥としない男だと、噂を証明していた」美智子は、速記帳にあるコメントから、これが真実だと直感した。
追記「外間伸が売った喧嘩に、フルさんは自分の身を守っただけだ。誰がどう見ても正当防衛でしかない」
「この時、伸の息が酒臭かった事を証言している。しかも、外間伸は喧嘩の直後に鉈を取り出して、脅しまで仕掛けているのだ。自分で喧嘩を売っておきながら、怪我をしたとP論法まで持ち出した」
「俺はこの瞬間、背景にのぶよの卑劣さを感じた。のぶよは喧嘩自慢の夫に、よそ者が殴られる姿を見たかったのだ。よそ者が夫によってボコボコにされる姿を、日ごろから想像していた。その為には、何やかんやと夫をけしかけてきた。それを知っている二人の子供も、伸がフルさんに向かって殴り掛かるのを、のぶよと一緒に見物していたはずだ」
「以上は、文子から聞いていた供述とほとんど同じだ。ある程度の歪曲はあって然るべきと思っていたが、文子に対する信頼性が高まったと実感した。
更に「フルさんは、この一部始終を、警察への通報で供述している。その話を受けた男は、端から外間の側に寄った対応をとっていた。だから(危険は感じなかったですか)などと質問したんだ。これはフルさんの口から(危険はなかった)との証言を引き出すための誘導尋問とも取れる」
「犯罪に関わったことのない者は嵌められやすい。この時、フルさんの頭にあったのは、暴漢からの暴力を跳ね返したという、この一言に尽きる。だから、誘導尋問とも知らないで、伸が刃物を持ち出した事に、鉈なんか振り回したってなんともない、と正直に答えたんだ。仮にフルさんが悪党であれば(鉈で切りつけられ、命の危険に晒された)と声高に叫んだ筈だ」
「ここで明らかにしなければならないのは、外間が人を欺く一家として、団地じゅうの嫌われ者だった。それにも関わらず、警察は外間の違法駐車と、フルさんへの暴行未遂をなぜ捜査しなかった。それは当時団地に居住していた交通課の大林が、よそ者のフルさんに対して差別的な偏見があったからだ」
註釈「この外間伸との喧嘩を切っ掛けに、フルさんの周りでは(外人だ)だと嘯く声が、日に日に大きくなっていった。もちろん本人には聞こえないように、遠巻きする形で交わされたと推測する」
「その結果、フルさんは、外人と言われている事を、つい最近まで知らなかった。そこを、のぶよは「これだけ外人だと言っているのに、古川は一言も反論しない。だからやっぱり外人だと、本人が証明している」などと、執拗に繰り返した。このP論法こそ、のぶよ得意技だ」とある。
そして「のぶよは、少女少年院に入る前から、ひょうひょうと嘘の言える性格をしていた。とにかく嘘を言う事に何一つ躊躇いが無い」
「それも少女少年院を出てからは、他人を攻撃する道具として、嘘を言うようになっていた。勧誘員となってからは、その嘘に理論的な磨きが掛かり、壮年期の男でさえ騙される。公務員であろうと警官であろうと、あの女の口車には、子共のように手玉に取られるんだ。フルさんは、こんな一家はもう相手にしたくないと、そう思ったのが全ての始まりだった」
「そして、この一件がきっかけで、嫌がらせはますますエスカレートしたと思われる。職場では何を言っているかまでは分からないが、本人のことを何やら噂している様子が続いていた」
「特に若い後輩たちからは、バカにしたような態度や言葉が目立つ。だがその言葉は、陰から途切れ途切れに聞こえる程度のものだ。おそらく面と向かっては言えない、後ろめたさがある裏付けと推定した」
「いずれにしても些細な事と、相手にしなかったが、数年も経つうちには気になり始め、何を噂しているのかが次第に重荷になっていくのを感じたそうだ」
「そこで友人に教えてもらおうと、あれこれ打診したが何故か返事は皆無だった。親しくなればなるほど、教えて貰えないような気がしてならない」
「そして、団地は一見平穏そうに観えるが、深夜ともなるとカーテンには赤いパトライトが映って、何事かと思わされる事が度々あった。それからというもの、赤い点滅には嫌でも敏感になる。帰宅時間の遅いフルさんは、巡回しているパトカーが、やたらと目に付くようになっていた。時には実際に発生した事件で、本当に駆け付けて来た警官の姿まで見ていた。この見慣れない光景に驚きもしたが、余りにも度重なると、人はいつしか慣れてくるものだ」
解説「フルさんも、やがて気にも留めなくなった。ただ外間の一件からは、団地内で起こる事件を含めて、ここが本当に変なところであると、本気で思うようになった」
「例えば役員会で、酔っぱらった者が(あいつを刺し殺してやる)などと口走った者までいた。すると隣にいた小太りの中年が(そんなことしたら、十何年も刑務所暮らしになる)と、酒臭い息で言う。いったいどこの世界なのかと思ったが、妙に信憑性を感じる」
本文「そしてまた数年が経ったある日のこと、若い後輩たちが(外人)と言っているこの単語は、自分に向けられているような気がした。そこでまた、親しいと思っていた友人に再び尋ねたが、やっぱり答えは得られなかった。だが、一言だけ、そんなこと気にしなくていいよ、の言葉がより気になった。この言葉の意味を知ったのはずっと後のことだ。同時にやりきれない憤りを感じる」
「当時は、このような環境が負担になり、やがて家族に影響が及び兼ねない事を危惧して、退社を決意した。およそ十二年間の職場だった」追記、フルさんの職場は、この地に隣接する市に位置している。当然、土地者も同じ職場には少なくない。そして、数々の被害と共に職場も失った。
以下は手紙から、AIが再編集したものだ。「のぶよの背後に、けい子が居ることを知った途端に、住人たちは外間一家を受け入れるようになった。勿論、うわべだけのことだ」
「その受け入れ側の全てが、犯歴ある者とその近親者たちである。犯歴の無い一般の人たちは、のぶよと折山の関係を噂し合った」
「一部の住人が言うには、のぶよが折山に贈り物をしていたと言うのだ。それはのぶよの生保から支給される、特別客への贈答品だという。それを、顧客ではない折山けい子に、のぶよが送っていたというのだ。やがて贈答品の横領をしているという噂に変わった」
山田の註釈「これは、格上が格下に贈ったという事だ。その理由として、けい子を繋ぎとめる必要があった。つまり二人の関係には、何らかの亀裂があったと想定される」
「そして、また当事者である伸は、同じ生保から保険金の支給を受けていたという。その頃は、まだ車椅子など使っていなかった。どころか、自分で歩いて飲み屋街を徘徊していたという」これは保険の不正受給にあたる。
「そして、団地に居住する土地者の内には、揺すり集りの標的にしようと企む者が少なくない。そこでのぶよには、準備していた予防策があった」
註釈「それは、こんな時こそ、折山けい子を使うという計画だ。都合が悪くなれば、事の全てをけい子に擦り付けて、しっぽ切ればいい」
「のぶよは、訪問先や顧客の前では、古川への嘘を吹聴した。その顧客は、どれもこれも嘘話への食い付きが良い。嘘と分かっていても、いや嘘だからこそ、のぶよの話には聞き入る。だが、二度三度となるとそうはいかない。いつしか嘘は色褪せて行く」
注釈「そこで更に歪曲し誇張へと再加工する。すると嘘は独り歩きするようになった。口から口へと、実しやかな真実として雪だるま式に伝播して行く。そんな中で生活してきたのぶよは、この地にある雪だるまの絡繰りを誰よりも熟知していた。かつて凶悪犯の女が、嘘を武器としていたように、のぶよも嘘を武器とした」
「女子少年院では相手にされないのぶよだったが、逆に嘘に関しては教授する立場だ。この時ばかりは、輪の中にいる事ができた」
百人力「のぶよは、古川を陥れるための印象操作も行っていた。短絡的な土地者は、この印象をそのまま鵜呑みにする。二人の子供は、その印象に輪をかけて尚も吹聴した」これが、AIによる答えだ。
美智子は「外間一家が、古川さんに対して一方的な嫌がらせや、暴力を行なわなければ、この一件は起こり得なかった筈だと記録する。そして、無知な土地者を扇動するは、凶器を入手するに等しいのでは」と結論した。
本文「外間の違法駐車から十年ほど後のこと、犬の糞による嫌がらせが始まった。団地で居住者の会長をしていた古川は、当時から犬の糞による嫌がらせが横行しているとの、苦情が絶えなかった事を把握していた」
「もともと実家では、犬を飼っていた経験があり、犬への偏見は無い。だから、犬の飼い主への誹謗中傷には、冷静であったつもりだ。会長としても、犬の糞ていどで話を大きくしたくなかった。それを裏切るように自分の家の周りに、犬の糞が散乱する。その嫌がらせがエスカレートしてきた頃と、折山けい子が入居してきた頃との、時間的な一致があることに気が付いた」
注釈「この場合の嫌がらせは口封じだ。要は、騒がれたくないだが、こんな逆効果も読めないのが、短絡的な土地者なのだ。また、この嫌がらせも、けい子によって劇化した」
本文「飯田から帰った、二~三年後の頃と思われる。市役所の要請によって、リホームのため隣の団地に一時的な引っ越しをしていた。その間キャンピングカーは、元の団地内の更地に駐車していた」
「犯人は、自分の眼が離れたのをいいことに、犯行に及んだものと考えられる。キャンピングカーには、得体のしれない何かを掛けられいた」
「その何かとは、車の後部左側の角から、右方向へ幅50センチ、リアウインドー上部の辺から粘着性の液体だ。一見するとオイルのようにも見える赤褐色のものだ。それがテールランプの辺りまでべっとりと付着していて、一部はバンパーにまで垂れ下がっていた。当時は腐食を起こす劇薬とは思わず、ただオイル状の、汚いものを掛けるという嫌がらせの一環と考えていた。まさか腐食剤を掛けるなどは想定もしていなかった。だから当時は、通報するまでもないと判断した」
続けて「ところがそのあと、どこからかリサイクル業、あるいは廃品回収業らしき男がやってきて、突然キャンピングカーを売れと言う」
注釈「これは犯人と業者との間に関連を暗示させる。キャンピングカーを買い叩くために、仕組また犯行だという疑いも残った」
本分「やがて住宅の工事も終わり、リフォーム後の元の家に戻った。決められた駐車場には、元どおりキャンピングカーを駐車した。数台分を想定した元の駐車場には、自分以外の車は一台分しか使用されていない。残りは以前のまま空き地だ」
「やがて本格的な嫌がらせが始まったのは、それから間もなくのこと。今度は劇薬としか思えないようなものが、リヤウインドウの両端に掛けられていた。前回とは少し違って、赤ワインのような色だ。今回は少量だが、全くの別物と思われた。これを劇薬と判断したのは、塗装面が捲り上がり、更にその上にある窓ガラス用の、分厚いゴムパッキンまでも持ち上げていたからだ」
「そこの腐食部分は、メーカー自慢の防錆鉄板だ。それでもゴムパッキンを持ちあげるほどの威力だ。これは劇薬以外の何物でもないと判断した」
注釈「この件もフルさん自身で、最寄りの派出所に通報している。駆け付けた警官は、写真を撮っただけで捜査が行われた様子はなかった。この時、適正な捜査が行われていれば、後にくる重大な被害を止められた可能性がある。また、捜査への重い腰は、ストリッパー側との間に癒着があることを疑わざるを得なかった」
「その理由として、ストリッパーと交通課の大林とは、のぶよを介して間接的な繋がりがあったと示唆する」
美智子は「交通課が古川さんに対して、捜査上の差別をしていた。理由は、ストリッパーこと折山けい子と外間のぶよとが、大林との間に癒着が想定されるからだ」と、速記した。
続けて本文「その後、犬を連れた女が、午前四時ごろの時間帯に、不自然な行動をしていたのを坊カメで目撃した。そこはキャンピングカーを駐車している場所だ。急いで飛び出したが、すでに女の姿は無い。だが、今回は証拠となる映像がある。そこでキャンピングカーへの異変を探したが、この時点での犯行の痕跡を発見できなかった」
「ところが後日、同じ腐食箇所が著しく変化していた。それは、同じ個所を二度掛けされた事を示唆していた。そのため塗装被膜の下で、腐食が急速に進行したと思われる。午前四時の女を目撃してから、僅か四日後のことだ。そこを注意深く観察すると、見た目の被害より、腐食の内部が遥かに広い事が分かった。結局は業者に引き取ってもらうしかないと決断した」
更にそのあと「自家用としていた車にも、透明な粘液性の液体が後部左サイドのウインドウに掛けられているのを発見した」
「この瞬間、キャンピングカーに掛けた劇薬の謎が解けた。それは、薄暗い中での、透明な液体は発見を困難にする。午前四時の女は、透明な劇薬を掛けたと確信した。劇薬は別ものであるが、これで、キャンピングカーに掛けた犯人と、自家用車に掛けた犯人は、同一人物だった可能性がある」
注釈「午前四時の女は、畑山順の娘である可能性が高い」
「一方、自家用車に掛けられた個所から、再び錆を再発見する。この錆の進行はこれまでよりずっと早く、二度がけされたキャンピングカーの個所と同じ特徴を示した。そこでもっと酷い状態になることが予想されたので、取り敢えず応急処置を実行することにした」
「ホームセンターで補修材を購入し、知識の限り修理には成功した。と、思っていた。ところが一月も経過した頃、修理した部分から再び錆が発生していた。よっぽど強力な劇薬なのかと、認識を改めた。そして、いたたまれない気持ちで警察に通報した」
注釈「関連として、キャンピングカーの被害個所は、防錆鉄板であるのに対し、一方の自家用車は普通の鉄板だ。同じ劇薬でも、錆の進行は著しく早かった」
更に本文「通報した時の詳細を記す。前回通報した時の指示通り、団地専用の警察官宛てに電話した。すると暫く待たせたあと、別の所に移ったのだろうか。出た男の声は少し息が弾んでいた。それに、わざとらしくハイハイと、軽口を叩くような調子で出た。これが本当に警察官なのだろうかという疑問を感じた。その声は、以前に通報した時のフジモリと、同一の特徴を示していた。その声が今度はササキと名乗った。この男はやっぱり人を小ばかにしているのか、声の様子からは揶揄するような響きを感じさせる。これも前回と同じだ」
「その特徴を、耳にしっかりと焼き付けた。ササキにも、フジモリと同じ邪心を感じさせる」注釈「この男がわざわざ電話を変えたのは、そうしなければならない理由があった筈だ。おそらく誰も居ない別の部屋の電話を取ったのだろう。それはササキにとって、他の誰かに内容を聞かれては困る事だと推測する。この経緯を残すため、詳細を記録した」
更に「通報の結果フルさんは、ササキを尋ねて来てくれと言うので、車を署の駐車場に持ち込んだ」
本文「そのあと署の窓口から、電話を受け付けたと思われる女性に(ササキさんをお願いします)と申し出た。ところが、誰のことなのか理解できないようすだ。そこで事の経緯を説明した」
「すると女性は「ああ」と言って、待つようにと言った。話が通じていなかった事に、やっぱりと思った。それは、ササキが別の部屋へ移動した為、ササキと名乗っていた事が、受け付けの女性には伝わっていなかった為だと推測した。おそらくササキには、偽名を語る必要があったと想定する」
美智子は、このやり取りは、警察に通報した唐沢の供述内容に、驚くほど共通性があると記録した。
そして「その後、女性とササキは、薬品を掛けられた部位など、ろくに観もしないで、何故か全く違う所を勝手に調査していた」
「そのあとササキに案内されて、二階にある取調室に入れられた。被害を訴えに来たのに、なぜ取調室なのかと戸惑いがあったが、入室するしかない」
続けて本文「2千18年2月9日(金)午後3時から5時に掛けて、この警察署で劇薬の件を刑事課と思われるササキに相談(通報)した」
「その時の状況を記す。狭く白一色の部屋には中央には机が一つ、奥にはこれが鉄格子だろうか小さな窓があり、それを背にして腰かけるようにと促された」
「何かの刑事ドラマに出てくる取調室とは違って、マジックミラーが無い。ササキは出入り口である扉側に腰かけた。すると何故か、摂関されたいたずら小僧のように縮こまって、かぼそい声で応える」
「その姿が、背もたれに蹲って尚も小さく観えた。そんな姿を観ていると、ぼく、何を悪いことしたのと、声を掛けたくなるくらいだ。ここまではササキからの質問が一切なっかった」
山田の解説「フルさんは、劇薬のような物を掛けられた過去を説明した。すると、その犯行の瞬間を、ササキが描写したのだ」
「まるで、その現場を観ていたとしか思えないほど、正確な描写だった。VTRとあまりにもそっくりなので本当に驚いた。と強調されている。VTRには、午前四時ごろの表示があった」
「その様子を記す。午前四時の女は、端からフルさんの車に向かって、道路の右端を真っ直ぐに進んできた。その道路の中央には石畳が敷いてあるのに、わざわざ歩きずらい右端のまま向かって来る」
「右端とは、棟の玄関側であり、とっさの時には身を隠しやすい状況があった。そのまま進めば、フルさんの車の左側面に、最も近い状況で通過することになる。女はフルさんの車の左後部の窓ガラスを狙って、何かを掛けるような仕草だった。この挙動が、ササキの描写と全く同じだったのだ」
尚も「ササキは、何故そこまでして正確に描写ができるのか。午前四時の女と警察官であるササキとは、どのような関係なのかと不思議でならない。これ程そっくりな挙動を、犯人と警察官のササキが、偶然にも出来るものなのだろうか。それとも、犯行を行った午前四時の女を、取り調べた過去でもあるというのか。もしそのような事があれば、午前四時の女は再犯ということになる。何れにしてもササキが行った描写には、不可解な謎が纏わりついている」
更に「フルさんは、団地に居る元暴力団は、飯田に居たやくざだと、放火の件以外の殆どを、ササキに供述している。関連して折山けい子は、そのやくざが引き連れていた女で、ストリッパーをしていたことまで供述した」
「ところが、ササキとは話が嚙み合わない。嫌がらせから劇薬に至るまでの、一連の出来事には折山けい子が関係しているのに、何故か趣旨をはぐらかされたようだ」
「またササキは、これ以上深掘りされるのを避けているようにも思えた」
「そして、鉄板を腐食させ、ゴムには影響しない薬品は何かと、ササキから質問された。そんなことが被害者である個人に判るわけがない」と、記されていた。
註釈「それを解明するのが、お前(ササキ)の仕事ではないのか。そして、被害者が困惑するような質問は、これ以上の深掘りをされない為の詭計(きけい)ではないのか。同時に、ササキが行った劇薬を掛ける挙動を描写したのは、この相談の中である事を、特に強調しておく」
追記「畑山順が飯田で行っていたことを記す。こいつはストリッパーらと共に、キャバレー地下鉄の手入れで逮捕された男だ。ふだんはストリッパーの太鼓持ちのようなことをしていたが、俺はボクサーだなどと脅して、飯田市民から金品を巻き上げていた」
「ほかにも傷害事件を起こしている筈だ。フルさんとは、直接的な面識は無い。だが、劇薬も犬の糞なども、フルさんへの嫌がらせは、ストリッパーと畑山順が扇動してきた可能性が高い。その理由は、何もかも知っているフルさんを追い出すためだ。これは同時に口封じとなる」
「ササキが言う何もかもとは、飯田で起こった事件の全容を前提とした言葉だ。当然、折山けい子の逮捕歴を知っていなければならない。逮捕理由として、麻薬と放火の件も含まれている筈だ」
「当然、折山の職業がストリッパーであることも、知っていなければならない。にも関わらずササキは、折山けい子はストリッパーだという言葉に「あれが」と発言した。いかにも知らなかったという振りを見せたのだ」
更に「本当に知らなかったとしても、折山けい子の逮捕歴を知らずにいるという愚かさを露呈している。同時に、摘発理由である、放火と麻薬の件も知っていなければならない」
「更に、別れ際、署の玄関を出た辺りに、誰も居ないことを確認すると(もう、全てを知っているんですね)と言っていた筈が(飯田でのことは分かりません)と、翻した。ササキの発言には、激しい矛盾が観られる」と強調されていた。
続けて追記「そして誰も居ない玄関先でササキは、犬でも追い払うような仕草と共に、キャキャとふざけた笑い声を飛ばした」
註釈「これは、フルさんが再び署の門を叩かないようにするための、揶揄と思わざるを得ない」
「それは、ササキにとってのフルさんは、何かの脅威になりうる存在なのだと推定する。すなわち、ストリッパーとササキも、大林と同じ立ち位置に居ることを暗示している」
追記「暫く経つと車には、また新しい傷跡が出来ていた。この種の悪戯は止むどころか、益々エスカレートしている。犬の糞といい車への悪戯といい尽きることがない。堪り兼ねたフルさんは、また通報せざるを得なくなった」
「駆けつけて来た警察官は、なんと大林本人だった。そして(犬の糞なんかで出動させるな)と吐いた。そしてこんなことは、自治会に相談せよと言う」
「そのあと、自治会長を紹介された」
「それが、岡松一家の幹部こと、田原丈夫だった」美智子は、速記帳を戻して背中に青丹の入れ墨がある男だと確認した。
「この時の田原丈夫と折山けい子は同棲中だ。けい子は岡松が引き連れていた女であり、岡松の幹部は田原だ。そして交通課の大林が、自治会長だと紹介した」
「けい子と田原は、大林と繋がっていた事を本人が証明している」
追記「ストリッパーの折山けい子と畑山順、そして田原丈夫は飯田で摘発された信州岡松一家の、構成員と幹部だ。そこには警察官でありながら、同じ立ち位置の大林が居た。この事実をどう説明するのだろうか」注釈、「この大林も、飯田署での勤務がある」
更に「フルさんが、これほど被害を訴えているにも関わらず、警察はどうしても動こうとしない。動きたくない理由とは一体なんだ」
本文「それから暫くすると、車にはまた新しく傷が出来ていた。その傷を観て、何度目かの通報を繰り返した」
「今度は車の側面一杯に、引っ掛かれていたからだ。朝の通報でも、地元警察がしぶしぶ駆け付けて来たのは夕方だ」
「この時の警官は、証拠証明の道具を仕舞い込むと(車への傷とは、塗装が剥がれて下の鉄板がむき出しになっている状態だ)と、これまでと同じ説明をして返った」
美智子は、この地の警察には、捜査するという意思を感じられない。正義とは何か、正しいとは何かを分かっているのだろか。それ以上に、元岡松の構成員との癒着がまた一つ観えてきた。そして、警察を含めてこの地全体が犯罪集団なのか、と速記した。
この内容の入力を終えようとしていた深夜の午前一時頃だ。突然、携帯がけたたましく点滅した。弁慶だった。「おい。お前さんの記事を読んだがな、こりゃぁ危険だぞ。そこでだなぁ、ボデーガードを付けることにした」
「誰なのよ」
弁慶は「沙也加だ」と言う。
「は。沙也加。そんな人いたっけ」
弁慶は「倉田沙也加だ」と怒鳴る。
美智子は「ああ。倉田沙也加。それなら聞いている」弁慶は、いつも相手に考える時間を与えない。続けて「本当は、屈強な男をと思ったが、あいにく全員出払っておってな」と言う。
美智子は「一寸待ってよ。彼女、今年の新入じゃなかった」すると「お前さんよりは役に立つ。なんつったって合気道三段だぞ」
「何言ってんのよ。倉田沙也加なら、空手道三段の武道派記者を目指していると聞いたわ」
弁慶は「ほう、そうか」美智子は「一寸、弁慶さん。大丈夫」弁慶は「なに、大丈夫かだと余計なことを。それより、明日の夕方沙也加がそっちに着するから、いろんな事を教えてやってくれ」美智子は「一寸待ってよ。嫁入り前の娘さんに何にかあったらどうするのよ。まさか私に責任を押し付ける気じゃないでしょうね」弁慶は「何事も経験だ」そう言うなり勝手に切ってしまった。
おそらく、サーバーから記事を閲覧して、慌てて電話をよこしたのだ。心配してくれることには感謝するが、入社から二か月も経っていない新人は足手まといになるばかりか、ともすると思わぬことで折角の特ダネまで、失うことになり兼ねない。
弁慶にしてみれば、新人教育には丁度いい教材が見つかったようなものだが、美智子には余計なお世話だ。それにしてもこんな時間まで、デスクにへばりついている姿が目に浮かんだ。
回線が一杯なのだろうか。百人力がまた激しく作動しているのが分かる。たった一つの質問に、これ程時間が掛かるのも珍しい。そのあと最初のフレーズが表示された。「古川氏の失踪は、ササキによる影響がある。このような状況の中では何を依頼しても、良い結果をもたらすとは考えられない。むしろ、冤罪をでっち上げられ、牢から無実を叫ぶことにもなり兼ねない。本人が、そんな状況を危惧した結果の失踪と思われる」という答えが出た。
これは権力に対して、一個人がいかに無力であるかを示していた。何となく推測していた美智子の危惧と一致する展開だ。若しかして弁慶も同じ推測をしていたのだろうか。だから、美智子の入力記事からボディーガードを付けるなどと、電話してきたのだ。
続いて「この地とは、古くから暴力団の輩出地として、全国的にも有数屈指である。そこでは男児の誕生と同時に」とまでは表示されているが、そこから先はブラックボックスになっていた。あとは想像するしかない。
暫くすると、また次が表示された。「この地では、暴力団だけを輩出している訳ではなく、例えば、中小企業の経営者は勿論のこと、時には弁護士、また行政や政治の関係者など、社会的にも中枢とされる地位にまで、輩出された土地者が食い込んでいる。その中に警察官が居ても不思議ではない」
これは、藤村や山田の供述を、AIが証明した事になる。ところが、その続きがまたクローズされていた。
そして一番知りたかった「失踪中の古川は無事である」と表示された。これは、可能性としての答えだが、まだ敵対する個人及び団体等に拘束、あるいは危険には晒されていないことを示唆している。
しかし、ササキによる冤罪への陰謀は高確率であると、危険を表していた。
何が何でも古川への罪を成立させてみせるという、執念のようなものを感じさせる。一刻も早く救い出さないと、彼のこれからを失うことになる。そもそも義務のつもりで警察への通報に至ったはずだ。その警察に追われなければならないという、理不尽を背負うことになった古川。これがまさかの現実なのかと怒りを感じる。
美智子は「交通課が古川さんに対して、捜査上の差別をしていた。理由は、ストリッパーこと折山けい子や外間のぶよと、交通課の大林とは癒着以前の関係が想定される。また、この地の排他には、おぞましさまである」と、速記した。
十四、公務員と反社、
ササキが古川を冤罪に陥れようとする理由を、改めて百人力に聞いてみた。「ササキにとって、古川は脅威だ」と、前回と同じ表示がされたが、尚も「その脅威とは」と聞く。すると「信州岡松一家には、公にされたくない真実を、古川に握られていると思い込んでいる。その為にも、古川を悪人に仕立てておく必要がある」と表示した。
それは、岡松一家と大林との癒着を前提しての答えだ。尚も、唐沢や藤村そして山田の供述とも同じ方向にあると記録した。
百人力であるAIは、常時サーバーと繋がっている。電源を落とし、オペレーターが操作しなくても、バッテリーの続く限り自ら学習を続ける。
そこには驚きの文章が続いていた。つい、うとうととしていた美智子の眼は、その内容に釘付けになった。
この地を「やくざの里と呼称する」と、いうものだ。
衝撃を受けた。同時に、これまで謎としてきた全てが解けていく。
かつて忍者の里が在ったように、やくざの里がこの地ということなのか。
そのように仮定すると、秘密とはやくざの里である事を知られない為だ。追い出し工作とはその為だと推定した。同時に、これまで速記でコメントしてきた全てに辻褄が合うではないか。
百人力「団地に暮らす住民の大半は、見た目には一般人ではあるが、実態は犯罪集団だ。この地では、コソ泥程度だが、飯田であったように、暴力団として出向した時はどうだろうか。放火や麻薬までも示唆される。ところが、捜査されない仕組みでもあるのか。
続けて「全国にある公営団地の入居理由は、持ち家が出来るまでの一時しのぎだ。ここで資金を蓄えてやがては去って行く。だから比較的若い夫婦が多いというのが、全国的な公営団地の特徴だ。
しかし、この地の団地は違った。若い人が居ないわけではないが、年寄りの実に多いことか。壮年期の土地者が言うには、ここで生まれ現在に至っている場合が少なくない。
これは高度成長期、華やかな産業の陰で時代の波に乗り切れず、裏社会へと追いやられた人々の、吹き溜まりを思わせる。
世界では貧困層がギャングを生むとされる。それと同じ状況がこの地の土地者だ。それに、元々この地はやくざの里なのだ。
「この地の犯罪集団は、土地者に何らかの利益をもたらす。だから入居者の中には、暴力団と何らかの関係を持っている」そう表示した。
そのとき電話が鳴った。史子からだ。いまホテルの近くまで来ているという。是非会いたいので、このままホテルに向かっているという内容だ。
暫くすると、両手に大きな買い物袋を提げて史子が現れた。「突然ごめんね」と言いながら、美智子の百人力を覗き込む。それは、古川が団地に転入してきてからの出来事を、年表に書き移していたころだった。
すると、史子は慣れた手つきで先頭にスクロールして、内容を読み始めた。
画面には「1970年代後半。古川幸三はこの地にある公営団地に転入。その頃の団地内住人は、挨拶しても何故か拒絶へと変わっていった」この態度は、史子の経験と同じだったと語る。
そして「1980年代前半「路上を占拠をしていた外間から喧嘩を売られた。その末、怪我をしたなどと言い掛かりを付けてきた」文子は、これも聞いている通りだと証言した。「古川さんは、自分の身を守っただけよ」と、山田と同じように古川の正当防衛を主張する。
それとは逆に、住人たちの反応は、一方的に古川を非難していたという。
やがてストリッパーの折山けい子が入居すると、追い出しへの扇動を始めた。唐沢の供述からも、のぶよとけい子が扇動していたという事に繋がる。
そのあと古川は、車への嫌がらせと合わせて、けい子による殺人未遂の件も、警察に通報している。受けた筈の警官は、この殺人未遂をもみ消した可能性がある。と、表示した。
文子は「この地の警官は、住人たちの嘘を鵜呑みにしたのか、嘘を見抜くだけの能力に欠けているのか。あるいは、善悪を理解出来ないのか」と、笑った。
今度は美智子が「団地住民がなぜ嘘をでっち上げるのか」と、また質問した。答えが表示される前に文子は「その一番の理由は、過去にいくつもの成功例があるからなの」と説明する。
更に「住民の側には、例えどんな非があろうと、みんなよそ者のせいにしておけば、自分たちは、常に安全圏に居られるという事を、成功例から学習しているの。だから団地住民はよそ者と聞いただけで、都合の悪い事はなんでもかんでも、よそ者というごみ場に投げ込むのよ。市役所も一緒になって、よそ者というゴミ箱にね」と例えた。
続けて「また、嘘を鵜呑みにする最大の理由は、のぶよと同じ壁を住民のみんなが持っているからなの」と、説明した。
百人力は「古くから、嘘をでっち上げする歴史が、この地の風土である」と表示した。
そんな風土の一つに「土地者には、異常なほど強い結束力がある。それは、他所の地で荒稼ぎする為の道具だ」と表示する。そこには山田の註釈「荒稼ぎの一つである風俗は、ストリッパーと取り巻きに代表される。
キャバレー地下鉄で摘発された十年後、見た目には四十過ぎぐらいだろうか。暫くは平穏に暮らしていたようだが、やがて、この女が、のぶよとつるんで、フルさんに何かと干渉するようになった。このストリッパーは、信州岡松一家が引き連れていた女の一人で、事実上は構成員と何ら変わらない。
摘発前のけい子は構成員である取り巻きを従えて、飯田周辺にある消防団屯所などを渡り歩いては、超過激なストリップショーを演じていた。その屯所には、何故かたらいとタオルが持ち込まれた。尚も、ショーのあとは客に値踏みをさせ、売春までしていたという。
更には、客には言い掛かりをつけて、喝上げなどで更に金品を巻き上げた。その相棒こそ、元ボクサーだと嘯いていた畑山順だ。
その現場として、飯田市街の周辺に拡がる田園地帯にも同じ噂が蔓延していた。屯所での過激ぶりが公になれば、けい子は歩くどころか表に出ることさえ出来なくなる、というほど恥ずかしいものだった。
注釈「この過去が、フルさんにバレる前に追い出せば、口封じになると短絡的に考えているところが、如何にもけい子らしい。だから、折山けい子の嫌がらせは、フルさんへの追い出しに間違いないと断言できるんだ」と、AIと同じ説明を示した。
尚も「若い消防団相手の、過激なストリップショーと言えば、そのストレスを想像できよう。だから憂さ晴らしとして、キャバレー地下鉄の周りにあった、駐輪場の自転車やバイクの他、車にまで悪戯を繰り返した」
「一つ一つを取り上げれば、傷をつけたりパンクだったり、バイクなど燃料キャップが外されていたりと、子供の悪戯のような些細なことだ。この些細な事が、フルさんの車に起こった悪戯の発展型、という類似性がある」
「またこんな姑息さに、土地者の性が露呈している。一つ一つは小さなことだが、積もれば山となる。こうして事件が明るみに出ても何が起こっても、失敗しても、逃げ込む先にはこの地というホームが待っている」
「そしてけい子には、生まれながらに良心というものが無い。俺には医学的知識は無いが、サイコパスと聞くと強い説得力を感じる。良心が無ければ、良識という思考回路も存在しないわけで、恥ずかしさも自責の念も無い。そしてけい子にしてみれば、所有物に当たるという延長線上で、放火も同じ感覚で実行したのではないだろうか。この地の土地者にはそんな奴が実に多い。それは役所の職員や議員など、行政の中枢にまで至る」
「そもそもストリッパーの折山には、仲間を束ねる力はあっても、コントロールする知恵は無い。そこに付け込んだのが、のぶよの悪知恵だ。従って、のぶよが主導したと考えられる。つまり、のぶよが計画しけい子と畑山順が実行した。この三人が組めば、殺人未遂をでっち上げるぐらいは想定内だ」と表示された。
続いて詳細「この時の殺人未遂を詳しく説明する。これも晴れた秋の初め頃、折山が突然フルさんの家に怒鳴り込んできた。折山が言うには、フルさんが鎌を振り上げて、畑山順という老人を追い掛けたと言うのだ。証拠として、目撃者まで居るという。外間のぶよをはじめ、現場となった通りに面している家の、住人全員が観ていたとも言い張った」注釈、これは狂言だ。
「ここでフルさんは、こいつ嵌めようとしていると、直感したそうだ。そこで通報すると言って、電話を取り出した。その途端、折山は態度を翻した。言葉にもさっきまでの迫力がない。日ごろから折山の言動には不信感を感じていたフルさんは、機会あればけい子の言動を見極めたいと思っていたそうだ。折山の狂言はその矢先のこと。そのあと警察に通報した」
「事の一部始終はすべて伝えたはずだ。が、受けた警官に電話を途中で切られた。これには、警察への更なる不信感が残った。なぜ切られたのか、これまでの経緯から、この件が公になる事を阻止しようとする、内部応力があるのだという結論に至った」これは、癒着への直接証拠となりうると、表示されていた。
そのあと文子は、躊躇ったように煙草を取り出した。美智子は「あら。史子さんもたばこを」と言うと「ごめんなさい。そこに喫煙所があったから吸って来る」と席を立つ。
美智子は「いいのよ。私も吸うから」そう言って、先日の残りを取り出した。二人は笑いながら「あの夜に、たばこを吸っていた奴がいたでしょ」そう言う。そして指に挟んだ煙草に「この匂いを嗅いでから、もう吸いたくて、吸いたくて堪らなかったの」美智子も「私もなの」こうして火を付け合った。
そのあと美智子は、興味津々の文子にAIとしての凄さを説明した。すると「じゃあ、このパソコンでプロファイリング出来る」と聞いてきた。
思わず美智子は「プロファいリングって、文子さん。一体あなたは何もの」と、これまで感じてきた鋭さを聞く。
文子はその細面を、真直ぐ向けると「今は一杯屋の元女将。その前は調査員よ」と笑った。
「調査員って、なんの調査よ」
すると、小さく人差し指で「ひ・み・つ」と答え、さっさとキーボードを叩き始めた。
何を検索しているのか、暫くすると「団地に居住している女たちが、集団で売春を行っていた。検挙の際には、まるで女郎屋の様相を呈していた」と表示された。
それを見た美智子は「ああ、過去の事例ね」と、かつてあった取材例を思い出した。
史子は次と言って、またスクロールする。そこには「団地全体が暴力団の居住区と化していた」の表示。美智子が「あの団地」と聞く。「いいえ。ほかの団地。でも似ているから」そう言って画面を指さす。
そして「これだ」と、低く声を上げると「そおら、出て来た、出て来た・・・ん、PDFをクリックだって」史子は、待つ時間は長いなどと言いながら「このPDF相当重いわ」と、言ったあと、待ちきれず次のたばこに火を付ける。
間をとったあと、画面にはプロファイル結果が表示された。何故、元受刑者が公営団地に、こうも多く居住しているのか、その理由が綴られていた。
要するに「元受刑者に住居を与えることで、社会的な復帰を促し、再犯防止効果が期待できる」という内容だ。要約してしまえばたったこれだけの事。その為に犠牲になる、一般の居住者については何一つ表示されない。
史子は「あなたなら分ると思うけど、いまのPDF画面は、行政が公開している資料なの。つまり、公営住宅に元受刑者を斡旋しているのはだぁれだ」と言って美智子を見詰める。
「警察」
史子は「その通り」と、音を立てずに手を叩いた。
美智子は「じゃぁ、市役所職員の沼田は、元受刑者の住宅斡旋係なの」と聞く。史子は「断言こそ出来ないけど、そう思う。たぶん大林ともつるんでいたかも」と、示唆した。
美智子は「じゃあ、沼田も大林も、この地の団地の元受刑者に関することは、なにもかも知っている筈ね」史子は「当然。知っていなければならない立場だわ」と指摘する。
「では、その元受刑者を庇って、一般市民を罪に陥れるようなことをするのは何のため」
史子は「それもこれも、全てが団地にある秘密の為よ」と、また繰り返す。それでも美智子は「守秘義務のある公務員が、嘘を言ったりすれば、事が大きくなっていつかはバレる。そんなリスクを背負ってまで、外人などと強烈な嘘を言い続ける必要が分からない。他にもっと効果的なやり方があると思うから」そう質す。
続けて「公務員は何をやっても罪には問えない。捕まらないという仕組みがあるの。だから七面倒な事はしない。あるいは、いくつもの逃げ道を用意しているとか」
そして「外人だという嘘は、古川さんを孤立させるため。それが追い出しへの、確実な一歩となる」
美智子は「追い出しを容易にするため」と質した。史子は「まあ、そんなところね。孤立させるにはもってこいの嘘だと思う。これで古川さんへの情報は断たれる」
「恐らく古川さんにしてみれば、周囲では何かを言っているとは思っても、具体的には何も分からない。まさにつんぼ桟敷だったと思うわ。ただ、事の起こりには、しっくりこないものを感じるけど」と、当時を推測した。
「事の起こり」
と、復唱した美智子は「百人力に、もう少しデータが充実されると、より具体的になるから、その時こそ沼田の嘘に迫れると思う。ところで、古川さんに対する沼田の嘘を、史子さんが見破った理由とは」と、聞く。
文子は「具体的には、伝わってくる情報に矛盾が有るか無いかとだけど、直感的には女の第六感かしら」と、入居当時を思い出したのか苦笑いする。そして百人力を指さすと「でも、こいつより私の六感の方が優れているかも」と自負した。
続けて「私のように、他人と接する職業は、第六感こそが必要不可欠なの」と小さく声を上げた。
解っていたつもりの美智子は、その難しさに「やっぱり簡単じゃない」と返した。
すると史子は、顔を覗き込んで「仮にも記者ともあろう者が、嘘の判定が簡単じゃないなんて、信じられない」と尚も返す。
思わず「史子さんには」と聞く。
「当然じゃない。ミチだって、伝わってくるものを感じ取れるなら、同時に、判定も出来る筈なの」
そのあと「タフガイと言われた、昭和の大スターのこと覚えている」と聞く。そして「彼にはその能力が飛び抜けていた。だから相手の気持ちを掴むのがうまくて、知らず知らずに相手を虜にする。そういう超人的な人が時々いるのよ。歴史上では坂本龍馬。身近にはこの私」と笑う。
「え。史子さん」
「そう。自分で言うのもおこがましいけど、その力があったからこそ、調査員なんて仕事ができたんだと思う。ひいては一杯屋の女将もね」と、自身を持って答えた。
「やっぱり私には」
史子は「何言ってんの。タフガイや竜馬のように、飛び抜けたものはなくていいの。ミチが持っている相手の心を読むという洞察力を、ほんの少しだけ磨けば、それが判定する力となる」とエールした。
美智子は、剣道の師範と唐沢の言う臭いについて説明してみた。すると文子は深く頷いたあと「私は未熟者で、そんな域には達していないけど、町に居るお巡りさんが、すれ違いざまに職務質問した。すると、その男は逃走中の凶悪犯だった。これ、決して偶然なんかじゃなく、第六感に何かの反応を感じたから。この場合の六感こそ、師範の言葉であり唐沢さんのいう臭いでもあり、わたしの第六感でもあると思う」と同意した。
続けて「職質したというお巡りさんは、長年の剣道歴がある人かも。そしてミチの言う師範とは、もしかすると、私が子供だった頃たった一回だけ指導してくれた剣士かも」と、思い出したように言う。「まさか、その師範とは、古川さん」
美智子は「そう思います。恐らく古川さんのお父様でしょう」と示唆した。文子は、この巡り合わせに因果のようなものを感じた。
そのあと、美智子が表示させた、唐沢の供述を読み終えた史子は「人間には、まだ知られていない未知の力がある」と呟いた。
落ち着きを取り戻したあと、文子は「団地には、他人のことをとやかく言う者が多くて、ほら他人の家に土足で上がるみたいな奴がごろごろしているの。その一人に篠崎という老婆がいて、こいつが古川さんの事を外人だの何だのと、言いふらしているという話を聞いたのよ」
「それが、今朝がた篠崎に会う機会があった。そこで早速、でたらめ言うじゃないよ。と言ってやったところ、逆上して市役所の沼田が言っている。と、白状した。これも今日来た理由なの」美智子は、篠崎を追及できれば、沼田の正体を見極める事に繋がると思った。
「その篠崎に、古川さん本人の前で同じ嘘を言ってみな、と言ってやった。そしたら、それっきりになった。というわけ」美智子は「ああ。なるほど、自ら嘘を証明したようなものだわ。真実なら本人の前で、堂々と言える筈ですもの」
史子は「そうなの。そんなのが、他にもごろごろしているのだけど、どいつもこいつもみんな陰で言うばかりで、面と向かうと、借りてきた猫みたいなものよ。それもみんなで口裏を合わせているみたいで、奴らの反応が気持ち悪いくらい同じなの。これが奴らの得意技かも」
「こんな缶詰のレッテルみたいな汚い連中、飯田なら絶対にこんなことありゃしない。ミチも分かるでしょ、こんなふうに纏まる厭らしさが。飯田なら十人もいれば、十人とも違う反応を見せるはず。ここでは、みんなが同じ反応をする。きっとこれには、扇動する者がいて、そいつの号令に倣っていると思う。いえ、逆の言い方をすれば、誰かに号令されないと、自分では何一つ出来ないような奴らよ。あの夜に集まった、主体性の無い男たちそのまんま。きっと、サイコや近親婚の影響もあるでしょう。でも元々あいつらは、みんな境界知能よ」
美智子は「だから扱いやすい、その号令係として沼田がいる」と確かめた。
文子は「ごめいざん」そして「大林も」と補足する。
速記帳には「団地全体が反社会であるように観える」と速記した。
十五、戸松征雄
そして史子は「沼田、大林の二人と、岡松との繋がりがはっきりすれば、ササキとの関係も芋ずる式に証明できる」と言う。
尚も「この地には、変な警官まで居るの。人相も目付きも悪い、頭の中に何が詰まっているのと訊きたくなるようなバカもね」と明かす。
そして笑いながら「真犯人なのか、冤罪の被害者なのかも考えないで、追いかけることだけが仕事だと思い込んでいる。こんな奴こそ犬よ」と言った途端に、史子の目から大粒の涙がこぼれた。
突然のことに驚いたが、直ぐに落ち着きを取り戻したようだ。そして「今日来たのはあの夜、言い洩らした事を、どうしても記録して欲しかったから」と、そう言って速記帳を指さす。
美智子は以前にも、こんな顔をしていた女性を取材している。それは若い女性にとって人生で最大の屈辱であり、最も卑怯卑劣な犯罪に遭った被害者の顔だ。
史子の顔は、あの時の女性によく似ていた。仕事とはいえ、あのような取材ほど辛いものはなかった。しかし史子は、それを打ち消すように、次からは躊躇いなく続ける。
「深夜に忍び込んできた男がいるのよ。正確に言うと、私はあなたより幾つも若かった。その頃調査の仕事に迷いを感じて、あの団地に一人で住み始めたの。ところがサッシのレールが削り取られていて、鍵を掛けてもサッシごと外れるようになっていた」
「その隙間は丁度男一人が、すり抜けるくらいの広さがあった。そうとは知らず眠っていると、既に男が入っていた。気が付いた時にはもう何一つ抵抗できなかった。男は時々電気をつけては、私の身体を眺めながら「証拠が無ければ何をしてもいいんだ」と言って私を玩具にした、朝まで。あの時の、男の臭い息を今でも思い出す。その時間の長かったこと。これがその時に殴られた痕」そう言って、美智子の手を頬の下に当てた。
その瞬間、何もかもを理解した。骨の一部が陥没しているのだ。明らかに激しい暴行を受けないと、こうはならない。男は文子が動けなくなるのを狙ったのだ。
尚も「私は悔しさのあまり、それからは包丁を枕元に、木刀を玄関とサッシの内側に隠して寝るようにした。そして、再び男が忍び込んで来るのを待つことにした。時間を見つけては、犯人への調査も続けた。すると、この男は戸松征雄という前科持ちの男で、十二年も服役していた凶悪犯だった」
「罪状は恐喝と性的暴行。弱い相手に対しては狡猾に、強い相手には諂う。だから犯行の相手も女性ばかり。でもね、十二年は長すぎない」と訊く。
驚きながらも美智子は「そう。他にも何かやっていると思う。もっと大きなことを」そう推測した。
文子は手帳を開くと、戸松の調査内容を美智子に見せる。それを速記するのを見て言った。「成程。閻魔帳ってわけね」
美智子は「そう。兼、何かあったときのマニュアル。ちなみにパソコンより、こっちの方が原本」そう言いながら、速記した文章を入力していった。
すると、思い出したように聞く「何かあった時とは、どういう意味よ」と。美智子は「警察対策」と、小さく漏らした。
尚も史子を見つめて「もしも、小さな子が路上で泣いていたら、あなたどうする」と聞く。
「勿論、保護する。そして、どうしたのとか、お父さんお母さんはとか、お家はどこ、とか聞く」美智子は「そうでしょう。そうするのが全国共通の常識だった。でも、現代の若い人たちに同じ質問をすると、ほとんどの人が何もしないというのよ。何故だか分かる」
史子は「多分、誘拐犯と間違われるから。あるいは何かの犯人にされ兼ねないリスクがある」そう言って、美智子を覗き込んだ。
「そう。その通りよ。でも本当は、リスクでも間違われるでもない。あなたが言ったように、結局は何かの犯人に仕立てられる可能性があるからなの」史子は、驚きの表情を浮かべながら、大きなため息を漏らした。
その顔が怒りへと変わり、また大粒の涙がたまっていた。
すると何故か、文子の部屋の奥にあった、小さな仏壇を映像のように思い出したが「現在はそうゆう時代なの」と、自分の口が勝手に動く。
そして文子は「そういう世の中に変えたのは誰だ」と聞く。続けて「警察の中には、ササキのような奴が居るってことなの」と想定を言った。
美智子は「そんな奴から、うちの社は特に狙われている。だから閻魔帳が必要なの」と、改めて史子に見せた。が、目を細めて「速記では、私には解らない」と返した。
美智子は「そうでしょ」
「だから閻魔帳なの」と笑った。
そのあとデータを画面に表示させると、次には戸松征雄の経歴やら犯歴やらが表示されていく。
確かに史子の調査と一致を示した。「凄い」と、調査の正確さに驚く。「でも、懲役十二年を決定した罪状が分からない」と、次から次へとスクロールするが、やっぱり、それらしいものが見当たらない。「もしかすると、こいつの被害者は未成年の女性かしら」と言って、百人力にリサーチさせた。
「時々こうゆう事が起こるの。その場合の殆どが、被害者の希望でシークレット扱いになる。こうなると我々民間の手には及ばない。恐らく被害者はとんでもない目に遭っている証でもあるから。だから被害者側が公表されるのを拒絶した。従って判例からも民間のメディアからも、詳細は何も出てこない」
それを聞いて史子は「想像が当たってしまった。まさかね」と、漏らす。そして「この犯罪は、猟奇的なものじゃないかしら。私にしたことよりももっともっと、ずっと酷いことをやっている筈」美智子は「間もなく、その答えが出て来ると思う」と示唆した。
それを待てずに「後で分かった事だけど、あいつを始めて見たとき、ぞっとする様な眼をしていた。それは団地に引っ越して来た翌日のこと。庭で片づけものをしていると、急になにかの視線を感じて、振り向くとあいつがこっちを観ていた。そいつが戸松だった。その時のいやらしい目つきは今でも忘れない」
「そればかりか、人間って身に纏っている空気の様なものが有るじゃない。その空気が尋常じゃないの。まるで、死神が妖気を放っているような空気だった。もう、この世の者とは思えないほどの不気味さを感じた。思えばあの時から、あいつは私に目を付けていたのよ。二十年以上も経った今でもぞっとする」そう言うと自らの両肩をさすった。
そうこうするうちに史子から得たデータが加わり、画面には結果が表示され始めた。その内容を読み終わっていた美智子は、余りの過激ぶりから、史子に見せたものかどうかと一瞬躊躇った。
その瞬間、史子は画面の向きを、自分の方向に変えて読み始めていた。
百人力「戸松征雄は、犯行を行う度に、証拠さえ無ければ何をやってもいいんだ。と、被害者の耳元で囁くのを繰り返している」このフレーズを見ないように、素早くスクロールした。
次には「戸松征雄の性格から、犯行は極めて残忍で猟奇的な情欲がみられる。以上のことから、戸松には犯行を楽しむ習性がある」と表示した。
これは、殺人との関連性が深い特徴を、示唆していた。そして、ここでもサイコパスと思われる症状が、顕著にみられると美智子は記録した。
更にまた、戸松征雄には強力な支援者の存在が示唆される。「その有力候補として、市役所の沼田洋二の確率が90%」これは確定していい数字だ。
文子は「90%だって。また当たった」と、漏らす。
そして、美智子の目を観て「考えてみると、思い当たることが次々に出て来る。もう止まらない」と、声を上げた。美智子は取り敢えずコーヒーで落ち着かせようにした。
だがその前に、気を取り直したのか「ここからの話は、必ず記事にして。例えいつになっても構わないから、実名でも構わないから、責任は全部私に押し付けてでも」と言いながら、美智子の手を挟んで祈るようにする。
「史子さん。その前に、水を差すような事から聞かなくてはならないの」史子はゆっくりと頷いて「何でもきいてちょうだい」
美智子は史子の視線を返すように「戸松が忍び込んで来たのは、既に二十年以上も前よね。それがなぜ今になって語ろうとしているのかしら」
即座に「いま語るのではなく、やっと語れる様になったの」と答えた。
美智子は、小さい子が路上で泣いている姿を言った時、文子の目に溜まっていた涙と、小さな仏壇の映像が重なった。するとあの時、流した涙のわけとは、小さい子と警察。そして仏壇という事なのか。もうそれ以上は聞けなくなった。
そこで「警察への不信があるのはよく解りました。でもそれとは別に、警察へは通報はされました」と、速記しながら質問してみた。
史子は大きく首を振って「いいえ」と、はっきり否定する。これが、性犯罪を明るみに出難くする要因だ。また、犯罪への成功例を増やす事になもなると記録した。
そして「文子さんに説法するつもはないけど、何度でも何十回でも通報を続けることが、警察の重い腰を動かす原動力になる」と指摘したが、もっと大きな要因が隠れていると結論した。
「では、本題に入ります。あなたが、それまでの沼田を、信用されていた理由は何でしょうか」と聞く。
「あの事件のあと、暫くしたある日、突然沼田がやって来た。職務でそこまで来たから様子はどうかと思って、などと言っていた。私は殴られた痕がまだ痛くて、濡れタオルで傷跡を覆っていた。沼田は心配そうに聞くけど、本当のことは言えなかった。その時、沼田もこの団地に居住しているからと、自宅の地図を名刺の裏に描いていった。だから、沼田の親切は本物だと、つい思ってしまった」
「そして削られていたサッシの件で相談にのってもらった。するとその翌日には、ガラス屋が来てサッシごと取り替えていったわ。それで益々信用してしまった。でも、あとで考えると、サッシの取り換えは証拠隠滅だと思う。それ以上に、沼田が来たタイミングが余りにも出来過ぎている。沼田に疑問するようになったのはそれから。一方の戸松は、それっきりで家には来なかった」
美智子は「家には、ということは、近くには来た」と質す。
史子は「そうなの。棟と棟の間にある通路の暗がりを、通過して行ったことがあった」と言う。
そのあと「ああいう奴は、一度味を占めると二度も三度も繰り返すのが普通だと、学習していた。ところが、こいつの場合はなぜか違った。やっぱり沼田が現れたのは様子見の為よ。戸松が来なくなったのは、サッシを取り替えたことで、侵入が困難になったという情報が、沼田から伝わった為だわ。そう考えた方が自然よ」
更に、過去を思い出すように「戸松の支援者は沼田しかいない筈」と断言した。
次には「沼田は、戸松の支援者ではあるが、同時にパートナーの可能性もあり」と表示された。
史子は「パートナーってなんのパートナーよ」と聞く。「何でもいいの。例えば仕事でも遊びでも、何かを共有していたとか、そんなことなかった」
史子は「私自身は知らないけど、飲み友達という噂ならいくらでもあるわ」美智子は「それは二人で連れ立って飲み歩くとか」そう聞く。
すると「いいえ。そうは聞いていない。あの夜六人の男たちが集まったでしょう。あの時、沼田が来ていれば戸松を呼ぼうと言い出すの。そして戸松は、最終的に飲み仲間に加わる。そんなふうに聞いてる。だから実は、あの夜に沼田が来なくて安心していたの」そこまでを入力し終える。
その途端、反応した。「パートナーの可能性90%以上」美智子は「ほら。変わった」だが次の瞬間から、百人力は反応しなくなった。
史子は「なんで動かないの」と聞く。美智子は「多分ビッグデータと交信していると思う」史子は「え。そんなことが出来るの」美智子は「出来るみたいよ。この通り」と笑う。
間もなくして、戸松征雄には薬物中毒の可能性ありと、表示された。
史子は「ああ」と言って頷く。当時は思ってもいなかったから考えもしなかったけど、いま言われてみれば確かに薬物の影響もあったように思う」と言う。
美智子は「も。と言うと、他に何か」と促す。史子は「サイコパスの症状を感じた。だから戸松は、常軌を逸しているように見えたのよ。その元が薬物中毒とサイコの複合と解釈すれば、一応の辻褄が合う」と納得した。
そして、AIが古川の供述を表示した。「隣の団地に一時的な引っ越しをする二~三年ほど前のことだ。深夜に誰かの怒鳴り声が聞こえた。静かな団地内では珍しいことだ。当時は酔っ払いだろうぐらいにしか考えていなかった。だが、思い出したのは、怒鳴り声の前に聞こえていた足音のことだ。その音こそ、草むらを踏み分ける様な、走る様な、いや、速足で草むらをすり抜けるような、そんな音と酷似していた。そう言えば、酔っ払いの怒鳴り声を聞く以前にも、二度三度と走り抜ける音をどこかで聞いていた事まで思い出した」
美智子は「どう。史子さんは何か思い出した事はない」と聞いてみる。史子は「大ありよ。さすがにAIだわ」そう、思い出すと「その男が、戸松征雄よ」と、迷わず答えた。
その時の詳しい内容を語り始める。「あの時、男が出て行ったときの足音が、草むらを掻き分けるような音だった」そして「そうか、古川さんも聞いていた足音だった。と、いう事は他にも証言がある筈」と推定した。
尚も「そのあと私は、犯人捜しを始めた。あの時は殺されると思っていたから、恐怖の真っただ中で声も出なかったし、殴られた激痛で抵抗も出来なかった。それどころかあの時は、男の顔とか特徴さえ観ることも出来なかった。あとで思い出す度にその事が悔しくて悔しくて、せめて誰が犯人なのか、それだけでも暴いてやろうと誓った。そう思うことである程度、気持ちも楽なった。そして、また別の夜、眠っていると表で聞き覚えのある雪駄のような、あの足音が遠くから近付いてくる」美智子は、その足音が戸松だった」と確認する。
「草むらを掻き分けるような足音は、確かにあの時の音だと確信した。私は暗い部屋の中で木剣を構えて、カーテンの隙間から表を覗いてみた。すると、男が通路の暗闇を、急いで通り過ぎるところだった。月明かりでその輪郭だけは、はっきりと観えた。私は木剣を握り締めて、裸足のまま後を追った。急いで追いかけた筈だったけど、すぐ正面の角を曲がったところで見失った。あのタイミングなら、男の後ろ姿ぐらいは観えてもいい筈だったのに、本当にそんなタイミングよ。だから突然姿を消したといった方が、正解かしら。まるで、キツネにでもつままれたような思いで、辺りを探し回ったのを、今でもはっきりと覚えている」
美智子は「それが、通過していった時の事ね。怖くありませんでした」と質す。
史子は「木剣さえあれば平気よ」と、言う。そして「私は、あの時の屈辱を晴らすため、焼き付けた男の輪郭を描いて探し回った。当てこそ無かったけど、必ず辿り着いてみせると思いながら。そのかいあって雪駄を履いた男が、あの時と同じ音を立てて歩くのを目撃した」
「この瞬間、それまでの謎に全てを納得した。でも暗闇に浮かんだあの時の体形からは、明らかに犯人ではないと理解した。そして、雪駄を履いた別の男が居るはずだと。そうこうしているうちに、犬を連れて散歩している男が、雪駄を履ているという情報を掴んだ。そこで犬を飼っている家を、団地内配置図から戸松征雄の名前である事を探し当てたってわけ」
「その家は、私の家から道路を越えた次の棟の二軒目になる。こんな近くに犯人の家が在ったとはね。ところがあいつは、当日その反対方向へと走った。だから、次の棟の死角になるから、姿など見える訳がない。あいつはそれを計算に入れてわざわざ反対方向へと走り、足音で追跡者を引き付けてから、死角を利用して自宅へと逃げ込む。これなら確実に姿をくらませる。その瞬間を、見たわけではないけど、戸松に間違いないと確信した」
美智子も同意したあと「もしかして、戸松の標的は他にも居るの」と聞く。史子は「そうなの。だから、私を襲ったあとも、それ以前からも同じ行動パターンで、逃げ帰っていたと思うわ。きっと戸松の過去には、もっとたくさんの成功例が有ると思う。だから、古川さんの他にもあの音を聞いた人がいる筈」と推測した。
更に「私は、男が戸松だったことの証拠として、雪駄を履いている写真を撮った。連れていた犬と一緒に、家に入って行くところを、この手で撮ったの。これで、姿をくらます事が出来た証拠を、実証できると思う。あいつは犬を家の中で飼っている。だから家に入るときには、狭い玄関ではなく裏に回って、広い間口のサッシ側から入る必要があった」
「素早く姿をくらます為にも、人目につきやすい玄関側は利用しない。だから、いくら玄関側を見ても、戸松の姿がある筈がないと理解した。これが答えよ。そしてもう一つ、あいつの家から外に一歩踏み出せば、棟と棟の間から、私の家の様子が分かるの。例えばどの部屋の電気が付いているとかで、私がどこに居るとか何時眠ったとか、毎日の生活のリズムまで分かるはずよ」
「それもすぐ近くだから、来客が有るとか無いとかで、襲うタイミングを計っていたと思う。なんとかして証拠を見つけたいと、それからも調査を続けた。そして戸松は、犯行のあと現場から急いで離れたい。そんな時、雪駄は最適のツールだと思う。その雪駄で逃げれば、自然と浅い草むらを踏み分ける様な、走る様な、速足で草むらをすり抜ける様な、そんな音になる。また、忍び込む時には足音を消すことまで出来る」と訴えた。
更に史子は「雪駄は、侵入経路や家の中に、特定につながる靴裏を残さない。また、逃走時に限らず、そのまま突っ掛ければサンダルと違って、一応走ることも出来る」
「こんな狭い団地だもの、長距離を全力疾走するなんて必要ない。事が終われば、いかに早く離脱するか、この工夫が雪駄になったと思う。この男、やっぱり成功例から学んだと思う。あんな奴、どう見ても自分から事を極めるなんてタイプじゃないもの」
そう言ったところで、次の画面へと変わった。美智子は「ビッグデータに繋がっていたから、何か分かったのかな」そう言って操作する。途端に、戸松征雄と思われる、履歴の一部がやっと表示された。美智子は「あ、これだ。さっき言った、関連する何かよ」と表示させる。
百人力「ユキオが小学校の二年生に上がったとき、母親が突然居なくなった。山深い小さな寒村である。彼の楽しみは、父親の言いつけで麓にある商店まで、酒を買いに行くことだった。
一升瓶を風呂敷で、肩から背中に袈裟懸けにして家路につく。ユキオはまだ学生服どころか、子供用のズボンさえ買って貰えなかった。いまの着物は既に小さく、膝までの丈しかない。
真冬には、母親が残していった女物の下駄を履き、女物の半纏を、痩せた身体に巻き付けた。そこには赤い模様があった。もちろん足袋などは無く、裸足のつま先はいつも赤く腫れあがり、激しい痒みと痛みで掻きむしったあとが生々しい。
そんなユキオだが親父から貰った帯だけは、なぜか立派だった。大人物の帯をこれまた幾重にも巻いて、赤い模様を隠そうとするが、ますます不自然になるばかりだ。
それでもしっかりと巻いた懐には、酒を買ったあとの釣銭が残っている。その銭で、雑貨屋にある大きな黒い飴を二粒買えた。これがユキオ唯一の楽しみだ。
その一つを頬張ると、親父が待つみすぼらしい家を目指す。だが子供の脚では、山道に差し掛かる頃は暗くなり始める。その途中にある深い藪が、巨大な闇となって襲い掛かってくる。
ユキオは雑貨屋で包んでくれた、飴用の紙をもう一度捻り直し、懐の奥に万全とした。そして拾ったこぶし大の石を詰め込み、内一つを握っていつでも投げ付けられるようにと、懐の中で構えた。
飴は小さな口の中で、まだ一杯に残っている。それを転がしながら、真っ暗な藪の獣道を登って行く。
勿論、懐中電灯など有るはずがない。藪からは何が出て来るのか分からないのだ。耳を澄ませて変な物音の方向に、握った小石を投げ付けた。
闇からは、小石に当たった葉音や、幹に跳ね返った音が余韻を残して消えていく。
やがて静寂が戻った藪で、征雄が履く下駄の音だけが心細く響いていた。そこからの登りは更にきつくなる。
今までの征雄は、この辺りで飴を包みに吐き出していた。苦しくなる呼吸を解消するためだ。この日の夜は、その飴を左手に吐き出した。もちろん右手にある次の小石は、いぜん握ったままだ。
坂を上り切るまで、もう一踏ん張りだと自らを言い聞かせた。ここさえ超えれば、父親の待つ家への一本道が、白っぽく見えてくるはずだ。左手には飴、右手には小石を握ったまま急な坂を一気に登りつめる。
坂道はまだ続いているが、抜けて来た藪を見下ろす位置に立つと、開けた夜空を見上げてほっとする。
そこで、左手にある飴を口に戻した。吐き出さないように頬の側に寄せては、掌に残っている飴の甘い粘りを舐めた。
粘りが無くなるまで舐め続けると、やがて村への入り口を示す辻に辿り着くのだ。だが、家までの道のりはここからが本番だった。丁度、口の中の飴が無くなる頃になると、家の在る裏山が暗い中に遠く、まだ小さく見えてきた。
そこからは、なだらかな丘陵の畑を縫うように進む。もうすぐだと、再び自分に言い聞かせ、小さい身体が頑張る。
ユキオは家に入るなり、買って来たもう一つの飴を先ず父親に見せた。いつもの事だが父親は酒瓶を指して、さっそく出せと要求する。征雄が飴はと聞くが、親父は黙ったまま酒を茶碗に注ぐ。その顔色を窺うように覗き込むと、いいからお前が舐めなと言う。
幼いユキオには、この一言が何よりも嬉しかった。
史子は信じられないという顔で「これが戸松の幼少期なの」と尋ねる。
美智子は首を振りながら「いいえ。可能性であって、まだ確定したわけではない」と答える。史子は「これは戸松の裁判記録から抜粋したものではないの」と尚も確かめる。
美智子は「分からない」と答る。「このソフトに関しては、私にも解らないことだらけなの」と説明した。
百人力「差し出した飴を、お前が舐めなと言ってくれる父親を、なぜか村人たちが悪く言う。それを幼いながらもユキオは知っていた。それでも父親のことが誰よりも好きだったからだ」
「だから飴を独り占めせず、まずは親父に見せたあとの言葉を待つことが、習慣となっていた」
「そのユキオが覚えている以前の家も、同じように深い山の中に在ったが、見る景色は明らかに違っていた。それ以前も、そのまた以前の家も違う景色だったように思う」
「つまりユキオが思い出せる限りは、これまでに三度の引っ越しをしてきた事になる。何れも人里離れた深い山の中だ」
「引越して暫くすると、その深い山の中で轟音が響く。すると、それが次へ引越すための合図のように覚えていた。こうして暫く居てはまた引越すという暮らしが続く。そんな中で、たった一人の特定する友達がいた。ヨウジ君という三つ年上の子だ」
「時々ユキオは、ひもじさから村人の卵や畑の作物などを盗んでは食べていた。そんな事もあって、この山村ではいつも虐めの対象にされていた。が、ヨウジ君と一緒に居るときは、なぜか虐めに遭うことがなかった」
「赤い半纏を着ていても、女物の下駄を履いていても、突然石を投げつけられるような事がないのだ。思えばヨウジ君の居るこの村での暮らしが、一番長かったように思う」
「やがて小学校を卒業する年の春、またもや転校することになった。これで何度目なのだろうか。ユキオの記憶では多分四度目になる。春休みが明ければ、今度は見知らぬ村の中学生だ」
「父親から、ヨウジの家は別の所へ行ったとの、一言があった。すると突然心細さを感じて、ヨウジ君の家目指して駆けた。だが、そのみすぼらしい家が見える前から、辺りの何かが閑散としている事に気が付いた」
「いつもならヨウジくんの家の畑にある小屋の鶏も、乳しぼりの手伝いをしたあの山羊も観えない」
「その日の夕方、いつもの様に酒を買いに行く。この村の中心部には、新しい酒屋が開店していた。だが、その酒屋へ行くためには、小学校の前を通らなければならない。ユキオは急に不安を感じた。いや、不吉と言った方が正しいのかもしれない」
「いつもの様に一升瓶を、唐草模様の風呂敷に包んで袈裟懸けにした。ユキオが大きくなったことで、風呂敷の端が胸元まで届くのがやっとだ」
「だが何とか結ぶのに成功した。そこの分かれ道の辻に入ると、上に続く道がかつてのヨウジ君の家で、下がユキオの家だ。感じた不吉は、ここで待っていた」
「同級生やら、村に古くからいる上級生やらが数人、ユキオをたちまち取り囲んだ。後ろに回っていた同級生は、ユキオが時々盗みに入る家の子だった」
「その子がユキオの背中にある、一升瓶を狙って石を投げつけた。痛みを感じると同時に、酒の匂いと共にびしょ濡れになった。この瞬間、父親が怒った時の、恐ろしい顔が浮かんだ」
「気が付くと、その同級生に馬乗りになっていた。その子は顔じゅうが血だらけで、既に判別出来ないほどの変わりようだ」
「ユキオの手には、割れた一升瓶の口元がまだしっかりと握られていた。下になっている同級生は、もうピクリとも動かない。これが最初の犯行だった」
史子は「戸松にこんな過去があったなんて」と、言いかけたところで「山深い寒村を、点々と引っ越しを繰り替えしてきた、というこの話は、どこかで聞き覚えがある」と言う。
美智子は「え。どこなの」史子は「ここよ。この団地の内で聞いた話に間違いない。確か私が引越しを決意して、ここに案内されたときのこと。そうだ、市役所の人がそんな話をしていた」美智子は「まさか」とは言ってみたが、信憑性を感じる。
尚も、美智子を見つめて「本当よ、いまはっきりと思い出した。でもその職員は、誰のことかは言わなかったけど、この団地には、そのような家が二軒あると言ったことを覚えている」
「個人情報を、仮にも管理する側の公務員ともあろう者が、なぜ私に言うのかと思ったから、それで記憶したと思う」と明かした。
美智子は「その話を他の誰かにしました」と聞く。史子は「いいえ。話すもなにも、あの後もっとずっと詳しい話を、この団地の人達が話していたのよ。私には関係ない事だから、そのまま忘れていたけど、いまにして思えば、きっと戸松征雄と沼田洋二の事だと思う」続けて史子は、合点したように「そうよ。この話は、噂としてすでに蔓延していたのよ。私を案内した職員は、私がその噂を既に知っているものと思い、話した。あ、そうだ。私の入居時の保証人は、こっち方面の人よ。だから、案内をした職員は、私も地元の人という前提があったと思う。そのうえで戸松の話が出たのよ」と確信した。
そして美智子は「そうなの。山の中の寒村を渡り歩いては、大きな工事予定地の空き家に引っ越しては、立退料を受け取る。こうして次の現場へとまた引越す。ユキオの生家は、それを生業とする家だった」と推定した。
百人力「少年法により、ユキオが服役することは無かったが、その四年後に再び事件を起こした。今度は十六歳になる春のことだ。勤め先である食料品店の店主の娘に、性的暴行を加えて殺害したという凄惨な事件だ」
「その店は、そこら界隈では一番の個人スーパーで、人情家としても知られる主人が経営していた。その計らいから、ユキオは住み込みで働いていた」
「その頃から、人相の良くない二十歳ぐらいの男が、ユキオに付き纏うようになった。店の主人はその男を快く思わず、何とかユキオから引き離そうと考えていた。だが、ユキオにしてみればたった一人の友達だ。そんな彼は何より大切だった」
「だからといって、店はもっと大切なはずだ。給料も悪くない。時には企業並みのボーナスも貰えた。征雄はその期待に応えようと、尚の事一生懸命に働いた」
「その日の夕方も、一家のために風呂桶を洗い、いつでも入浴が出来るようにと準備をしていた。事件はそこで起きたのだ」
美智子も予想した通り、その後を示す記録が無い。ただ、一文だけ、十五歳になる娘の遺体は凄惨を極めていた。と、いうものだ」
「そのユキオに対して、遺族は極刑を望んだ。しかし、法の壁は、少年への死刑を阻んだ」
「そんなユキオに、同じ少年刑務所で知り合った男がいた。必ず再会しようと約束し、この日はユキオが先に出所した。そこに待っていたのが、なんと三つ年上のヨウジ君だった」
「二人は子供の頃を語り合い、お互いにあれからの身の上を明かし合った。それによるとヨウジ君は、この地に在る高等学校に、突然入学出来ることになった。急な引っ越しでヨウジ君と妹が先に家を出たため、ユキオへの連絡が出来なかったと詫びた」
「ユキオはこれまでを正直に語った。だが、彼を拾ってくれたスーパーの娘を、何故手に掛けたのか。この質問にだけは答えようとはしなかった」
「しかし、犯行の前後の記録からヨウジ君は、その答えは一つしかないと知っていた」史子は「やっぱり麻薬かしら」と、言う。美智子も「麻薬以外は、まだ見つかっていない」と同意した。
百人力「その日、ユキオを担当した刑事は、遅れて到着した。ヨウジからの連絡どおり駆け付けたはずだが、何故か遅れたのだ。理由は、そのように仕組まれていたからだ」
「刑事の前で、ユキオとの深い話は出来ない。だからヨウジの計画通りその日の午後、この地の外れに在る隣の団地に到着したというのが理由だ」
「そして翌日にはユキオが再会を約束した男、水野忠が同じようにヨウジと刑事らしい男が到着した。幸いにもユキオの隣に、水野は入居するという」
文子が記憶していた二軒の家とは、ユキオと水野忠のことだと推測した。「こうしてユキオの再出発が始まった。すると二か月後の休日に、二人はまた新たな引っ越しをする。殆ど手荷物だけの質素な引っ越しだったという」
「空き家となった二人の家に、ご近所衆は関心を示さなかった。ただ、隣に居住していた奥さんだけは、閑散としているユキオら二軒の家を観て、いつ引っ越して行ったのかという関心は示した」
「そんな事があったのち、二人が居住していた公営住宅の建て替えが始まった。そして、当の本人たちは、この地にある別の団地へと新たに移り住んだ。全てはヨウジの計画通りだ」
「二人は入金記録から、予定額の半分をピンハネされていると知ったが、それでも今の二人には大金だ。その立退料にユキオは、子供だった頃の建設現場を次々にに移り住んだ、あの山深い故郷を思い出した」
「その札束を見たことで、引っ越した本当の理由を、いま理解した。そして、ユキオと水野の二人はこの地の団地でも、隣どうしとしての暮らしが始まった。が、その時にはそれぞれ嫁も加わっていたという」
「この二人の嫁にも犯罪歴があった。やがて仲のいい二軒の家は、何故か突然に犬を飼い始めた。二軒とも家の中でひっそりと。だが、団地内では犬猫の飼育は出来ない決まりだ」
「それから時が経つにつれ、大胆に行動する様になったのはユキオからだ。早朝にはその犬を連れて足しげく散歩した。時折変な異臭がするようになったのもその頃からである」
「どこの家からなのか、明確には臭いの元がない。だが、この脂粉のような、あるいは安物化粧品のようなこの異臭は、いつも何処からともなく微かに漂って来る」
「だから臭いとして、はっきりと認識していなかったというのが、本当のところかも知れない。更には、この頃の団地住民は比較的若い人ばかりで、日中はみんな仕事へと出払っている。従って異臭と認識するようになったのは、折山けい子の入居後からだ」この件は、美智子も速記していた。
百人力「犬を連れての散歩を見かけるようになってから、すでに一年を経過していた。住民が出払っている時間帯を狙って、臭いの元を誰かがまき散らしている。そんな噂があった」
「また、団地内の道路端や他人の家の庭や玄関先などに、犬の糞が無差別に置かれるようになった。住人たちはみんな、犬の飼い主に対する中傷などした覚えはないのにと首を傾げた」
「そんなある夜のこと、集会場において団地の役員たちが集まった。その集会場の玄関にも、たった今したばかりの犬の糞が置かれていた。この夜からユキオと水野に対しての噂が水面下で拡散していった」
「それは、ユキオと水野の存在を、住人たちは怖がっていたからだ。特にユキオの人相には、妖気を放っているような、不気味さが纏っていたからだ。それに加えて、団地の管理側に当たるヨウジの存在もまた気になった」
「ユキオの年齢は、この頃は三十代も半ばだったと想定する。住民はこのユキオが通りかかると、目配せし合っては敬遠への合図とした。それからも犬の糞による嫌がらせは一向に収まりそうになく、ユキオと水野との関りを徹底的に排除するようになった」
続けて「その当時、八十歳になる団地の老婆がこんな話をしている。それは朝起きて、ふと庭に出てみると犬の糞が落ちていた。自宅の庭になぜ犬の糞が有るのかと、老婆は困惑した。こんな嫌がらせに、心当たりが無かったからだ」美智子は速記帳を見て、気に食わない老婆とはこの事だったと思った。
「そこで、近くに居合わせた古川に現場を見せると、同じように被害に遭っていると言う。それで古川も、犯人を突きとめようとして、犬を連れた男を待ち伏せしていたそうだ。そのあと自宅に戻る途中、ついに目撃した」
「男は古川の家の玄関に糞を置き、何食わぬ顔で犬と一緒に立ち去った。今度こそはと、その男を追い掛ける。そこで男は、ある家の庭からサッシを開けて犬と一緒に中へ逃げ込んだ」
「自宅に戻った古川は、団地内地図を見て、男が戸松征雄であることを知った。この場合は戸松本人の犯行だったが、それを聞いた老婆は他に主犯らしきがいると主張した。それは戸松と水野の、二人の女房に違いないと断言した」
「尚も、糞騒動に巻き込まれた家は他にも何件かあったいう。そこで統計してみると、狙われるのは外部から転入してきた家、特に一人暮らしの老人などが標的にされるという。若い人も、仕事の都合などで、転入を余儀なくされたよそ者は、当然のように狙われた。何れも立場の弱い家である事が共通点だ」
美智子は「戸松にある、犯行を楽しむは、他の住人にも共通する」と速記した。
「百人力が次を表示する。「団地のほぼ中央に位置する二軒の家が、戸松と水野の家だ。その家の前にはフェンスで囲まれた公園が在る。二軒の家の正面部分に当たるフェンスには、その朝突然異変が起こった。それは、犬の糞を持ち帰りましょう、と書かれた黄色いのぼりが二十本も束ねられて、家の前のフェンスに確りと括りつけられていた」
「左右で四十本ののぼりは、明らかに市役所が貸し出したものだと誰もが思った。だが設置したのは、団地に居住している住人の一人だ」
「そののぼりは、強風に煽られてゴウゴウと音を立てた。それを見た住民は、みんな胸のすく思いで、よくやったと称賛したという」史子は「そうだ。そんなことがあった」そして尚も「その時を境に戸松と水野に対する、人々の目線がはっきりと変わった。それからの戸松は、人々からの嘲笑を背にして歩いていた」
そして「面白くないのが、二軒の家の女房たちだ。二人のそれからは、団地全体へと敵意をむき出にした。こうなるともう誰彼構わず嫌がらせをする。まだ薄暗い早朝に、団地が管理する側溝にゴミやら不用品などを投棄するという日が続いた。管理する団地役員はその都度ゴミを掃除して、実費で処理しなければならない」
「要はこれだけのことだが、毎日繰り返されれば、これほど重荷となるものはない。それを観て、二人の女房は物陰からほくそ笑んでいたという。その二軒に対して住人たちの中には、攻撃的な態度を見せる家まで現れた。だがそんな家も、結局は小さな嵐で終わっていた。やがて攻撃的なその家は、村八分のような仕打ちを受けるようになったという。その陰には沼田の姿があった。間もなくして、のぼりを設置した住人は突然団地を転出した」
次に百人力は「そんな事があったある日、突然訪ねて来た四十代ぐらいの女が、古川の家の玄関先にいた。聞けば団地役員になったばかりで、側溝に溜まったゴミの処理が分からないと言う。これが古川と折山けい子が、直接顔を合わせた最初だ。この女の素性をまだ古川は知らない」
「この女こそストリッパーの折山けい子で、古川への人生に甚大なる影響をもたらすことになる。そんな事など気付きも留めず、ごみの処理方法を教えてゴミ袋を与えた」以上がAIによる、折山けい子と古川幸三の団地内での最初だ。
「その後の古川は、平穏な日々に嫌がらせなどすっかり考えなくなっていた。そんなある日、折山けい子に再び出会った。同じ団地内の通路だ。そこで古川は、このけい子から、どこから来たのかいつ来たのか、としつこく尋ねられた。この質問こそ古川が転入してきた直後に、繰り返し聞かされた言葉だ」
「当時の団地は、刑務所状態と言っていいほど、元受刑者が多く居住していた。この癖のある者たちを統率するには、沼田自身の力では当然限界があり、凶悪犯の戸松をリーダーにすることで、住民全体をコントロールできると、考えていたのではないだろうか」
すると何が閃いたのか、文子は「ところが、想定は思わぬ方向へと向かったみたい。それは住民側が、沼田と戸松に反感を持ってしまったため」と呟いた。
そのあと「そうだ。反感とはいじめの事よ。あの団地にはいじめを繰り出すメカニズムがあるの。伝統的に培ってきたいじめの土壌が、歴史として確立されている。だから、例え凶悪犯であろうと管理側の沼田であろうと、一人の標的に結束力で取り囲めば、なんでもやれるのよ」と呟いた。
そこで、思い出したように文子は「ところで、もし私があの事件を沼田に言っていたとしたら、どうなっていたのかしら」と聞いてきた。
AIは想定していたのか、次の文章を表示した。
百人力「酒井史子に起こった事件を、沼田に言っていたと仮定した場合を以下に示す。先ずは問いに答えよ」
一つ、酒井史子に即金で用意できる金額はいくらか。
一つ、酒井史子の家族及び親戚と友人の総数は何人か。
一つ、右記において法曹及び公職者は何人いるか。
一つ、酒井史子の家族構成は。
一つ、酒井史子の親戚に資産を有する親戚及び個人は何人か。
一つ、酒井史子の国籍を入力せよ。と、ある。
読み終えた史子は「これと私に起こった事件と、どぉ関係するのよ」と美智子を見る。
すると「この表示は、史子さんを冤罪にでっち上げ出来るか否かの基礎情報なの」と答えた。
史子は「冤罪への基礎情報」と繰り返す。美智子は「冤罪に仕立てるには、そのための環境が必要なの。それが、この質問」と説明した。
史子は、最後の問いを読むなり「国籍とはなによ、これ。バカじゃないの」と声を荒げる。
美智子は「まあまあ」となだめたところで、文子は何かに気が付いた。そして「そうだ、外国籍の青年が幼児殺しという事件があった」と、記憶を辿る。
そのあと、席をはずしていた美智子が、コーヒーを持って戻ってきた。落ち着いたばかりの史子には見せていないが、百人力は冤罪率を100%と確定していた。冤罪に陥れられたというのが、沼田に事件を訴えた場合の結果だ。
六つの質問は、罪人にでっちあげる為の仕組みでもあった。それを知った史子は「なんで被害者の私が、冤罪にされなきゃならないの」と、尚も聞く。美智子は「それは、報道などで騒がれると困るからよ」と強調した。
更に「史子さんの、これまでの経歴を知っている人物は誰」と質す。即座に「沼田しかいない」と答える。
「そうでしょう。だから戸松を使った事がバレると、公務員の沼田には致命的なものになる」と説明する。
一旦は頷いた史子が「でも、だったら何故、入居前の抽選会で拒否しなかったのよ」と質す。
「なにか分からないけど、手違いとか、あるいは拒否できない理由があったとか、そう考えるべきね。なぜなら、この追い出し工作は余りにも強烈過ぎる。そこには何が何でも追い出してやる。という執念みたいなものが伝わってくるもの。(あっ、しまった)と叫ぶ声が今にも聴こえてきそう」
そこで史子が、また何かを思い出したように「そう言えば、心当たりがある。あの時、慌てて抽選会場を出たり入ったりしていた職員がいた。その様子が不自然で、未だに覚えている。あの様子こそ、よそ者である私を落とし漏らした瞬間だったかも」と推測した。
そして「沼田の奴、私の職業が調査員だった事も知っていたかも」また心当たりを言った。
百人力が、古川がやって来た当時を表示していた。
山田の追記「フルさんがこの地へ移転するに当たって、郷里では(とんでもない所だから気を付けるように)と、言われていた。特に年寄りたちからは、くれぐれもと忠告する者までいた。実際に来てみると、この地では、追いはぎや盗難に遭ったりするのは当たり前だという。いったい何時の時代なのかと聞けば、最近のことだと言うのだ。そのときは半信半疑のまま聞いていたが、土地者の性を知ると、まんざらではないと思うようになった」
「気が付けば腕時計やライターまでも無くなっていた。その後も、当時としてはまだ珍しかった、乾燥機や電子レンジも無い。驚いたことに、買った自転車は一週間で無くなった。聞けば自転車の盗難など当たり前だという。これほど泥棒の多い土地柄はないんだと、駆け付けた警官まで当たり前のように言う」
史子は「私の場合は保証人が、こっちの人だったせいか、引っ越しの盗難は無かったけど、近所では下着が無くなる話が絶えなかった。それも若い女性の下着だけではなく、L以上のサイズや男物まで多いのだと言う。これは、貧困からくる盗難だと思った。ところが、それだけではないことが後になって分かってきた。やっぱり古くから他人の物を盗るという性がある」という。
「保証人からは、よそ者は何かにつけ集られるから、あなたは土地者のように振舞なさいと忠告されていた。この地では、盗難なんて当たり前なんだからねと」
「そして、聞いた話だけど、よそ者は買い物をしたとき、よく釣銭を胡麻化されるの。細かい釣銭などは度々、大きなところでは、数百円の買い物で万札を出したら小銭だけ先に返して、残り九千円分の札を返さない」
「そこでレジは、はい、済みましたという顔をしているのよ。平然となりすました顔で。つい、ぼうとしてたり他に気を取られたりしていると、たちまち餌食にされるから、いつも気を付けていなさいと、これも忠告された」
「気が付いて、レジに指摘すると(あら、御免なさい。つい間違えましまた)などと言って最敬礼するの」
続けて「なのに私としたことが、二度もあった。もう悔しいやら情けないやら。この類の嫌がらせは金額ではないのよ。メンタルを傷つけられた事に怒りを感じるの。もっと気を付けなければならないのは、土地者は胡麻化しも他人の物を奪うことも常識だと考えている。古くからある奪うという性のまま、よその地に行っても奪うことを当たり前としている。諄けど、何度でも言ってやりたいわ。土地者は他人から奪うのが常識なんだと。いえ、物だけではない、権利とか人権とか他人を差別することなども含めて、奪えるものは何でも奪うの」
「それを自らの子供に教えるのよ。だから盗みを働くときの眼を見なさい。まるで、まるで魚を追いかける少年のように、目を輝かせて犯行に入るの」と、込み上げてくる。これも唐沢や藤村の供述にも通じる事だ。
この時、制止していた画面が「戸松の役割は、よそ者を追い出す実行役であると推定する」そう表示した。史子は「これだ。古川さんもよそ者だから、戸松を利用したのだ。それで犬の糞やらデマを、のぶよやけい子を利用して、嘘を流した。戸松の女房や娘もつるんで、一家総出で沼田の策略に加担した。いえ、間接的に利用されていたともいえる」
「更には、けい子にも加担する動機があった。外間一家の場合は、元々よそ者である古川さんに危害を加えたいという、加虐心があった。そこで沼田が流した外人というデマを、逆利用した」
ここで「団地が捜査れされないのは、市役所職員という沼田の存在があったから。その延長で考えると、手入れされたはずが、翌日には闊歩していたりする、その絡繰りが観えてきそう。そして、私が嫌がらせに遭わなかった直接の理由は、加害者である戸松の事を騒がなかったことだと思う」と示唆した。
尚も「それで沼田は、これ以上の追い打ちをしない方が、自分へのリスクを避けられると考えたかも」そう言って美智子を見る。そのとき画面にも、同じ答えが表示されていた。
続けて百人力「この地にある市営団地は、犯歴者の収容の他にも、麻薬に関することを隠蔽すためもある」と表示した。
美智子は「やっぱりそうだった。まだ、推定の段階だけど、確定の一歩手前だと思う」と、答えが確信に近付いたことを感じた。
だが史子は「犯歴者の収容とはなによ、まさか本気で団地を刑務所にするつもりじゃないでしょうね」と叫ぶ。
更に「沼田洋二が戸松征雄を、団地の監督役とした背景には、沼田に不都合が迫った際には、いつでも切り捨てられる人物だったからだ」と表示されていた。
史子は「なんだこいつ、トカゲのしっぽなんだ。てっきり固い絆によって結ばれているのかと思っていた」そう言う。
美智子は首を振って「沼田と戸松は幼少期から絆があったことは確かなの。あの記録通りよ。ここで言っているのは、沼田に不都合が迫った時と限定している。この限定がある限り、絆も続くと考えるのが普通。戸松がトカゲのしっぽになるのは、沼田の立場が危うくなった時なの」と強調した。
そして、次へとスクロールする。「戸松征雄の娘は同じ市内のスーパーに在職していた。娘はこのスーパーを拠点として、古川への嘘を店員中心に吹聴した。すると柔らかい食品には、店員の指痕が食い込んでいる。唐沢の供述どおり、ごまかした釣銭は店員のポケットに。レジ下には、カウントしたはずの商品が隠されていた。あとで自分のものにするためだ」
「これを行ったのは、ギョロ目におかっぱが特徴のレジ係だ。その後、この小柄な中年女は、何かの事件に関係していたとして、団地を強制退去させられた人物である。戸松の娘とは最も近い関係だった」
「店内では、その様な人物たちだけのグループが、すでに構成それていた。時おり集まっては店の隅っこで、なにやらを謀議をしている。そのスーパーで異変が起きるのは、謀議の翌日と決まっていた」
「もう一つ紹介する。それは客の中によそ者がいると、その客が万引きをしているかのようにデマを吹聴する。するとそのグループが、商品を代わる代わる盗み出す」
「後は、よそ者が万引きしたと嘘を言えば、まかり通る。それだけではない。既に、嘘がまかり通っているから、よそ者客を挑発して怒らせる。何も知らないよそ者客は、その挑発に乗ってしまう」
「駆け付けた警察官も、嘘に汚染されているから、土地者の声しか聞かない。このようなやり方を、応用すれば冤罪へと発展する。土地者はこのような仕組みをあらゆるところで展開するんだ」と、表示が変わった。
次の朝、美智子は山田の手紙から抜粋した接触事故の経緯を入力していた。
「彼は初老の男性で、自家用車は2000ccの四輪駆動。相手は中年の女性で、白い軽自動車に乗っていた。接触個所は互いのドアミラー」
「そこは区画ごとに整理された田んぼが、碁盤の目のように拡がっている。狭い農道が、罫(けい)のように直線的に突っ切っては、交差していた」
「センターラインのない道幅は、普通車が二台やっとすれ違える程度だ。いつもの通い慣れた道なので、他の車がそうする様に、左一杯に付けて走れば接触などは起こり得ない。そこでいつもの様に農道へと入った。二つ目の辻を通過し、三つ目の辻から二十メートルほど手前で接触した」
「いつものように走っていたつもりだったが、一瞬の出来事に困惑した。相手車を含めて、三台の車列が向かって来たはずだ。左側路肩を注視していたため、また予期していなかった事で、相手車が先頭車だったのか、二台目だったのか記憶がはっきりしない」
「接触後すぐに停車しようしたが、既に交差点の直前だった。交差点の前に停車するのは危険と考えて、徐行しながら交差点を抜けたところで停車した」
「同時にルームミラーには、停止している相手車の白い軽自動車を追い越す形で、最後尾の白いナンバープレ―トのコンパクトカー(三代目)が走り去って行くところだった。と、いうことは、相手車の順位は、二台目に位置していたことになる」
「接触後、後続していた三台目のコンパクトカーと、自車がすれ違っているのに、なぜ接触しなかったのか、疑問が残った。更には、先頭車である一台目と、自車とも接触していない。また、三代目のコンパクトカーも、普通車であることを、白いナンバープレートから確認している」
「残った疑問とは、接触した相手車は幅の狭い軽自動車だ。ところが幅の広い三台目と自車は接触していない。勿論、同じ路上での事だ」
「一方、相手車の女性は開口一番、私停まっていました。と、あごをしゃくり上げて捲くし立てた。これが何を意味するのか、ずっと事故歴の無かった彼には理解できていない」
「なおも、相手女性が言うように、相手車が本当に停車していたのか否かの記憶がない。そこで彼は、ドラレコさえ解析すれば、この謎は解消されるとの確信があった。ところが一方的な相手の金切り声に、このままでは論争になるばかりだと、判断せざるを得なかった」
「そこで彼は、警察への届けが先と考え、相手の女性に伝えた。そこへ夫と思われる男が駆け付けてきた。端から高飛車な態度で、年上の彼に向かってふざけたような対応をとった。このやり方はこの辺りでは、当たり前とされている。つまり、言葉で揶揄すれば、相手を侮辱したという証拠が残る。そこで証拠が残らないように、相手を態度で侮辱する。この手法が土地者のやり方だ」
続けて「相手は停車していたと、尚も語気を強めた。彼は再び、相手の車が確かに停車していたという認識はないことを、改めて伝えた。それでも彼女は、声高に声を張り上げては、停車していたとの主張を続けた」
註釈「その意味とは、たかがドアミラー程度でも、事後処理をより有利なかたちで進められるという、言わば事故テクニックだ。つまり、無事故無違反のゴールド免許の彼が知らないことを、この女はテクニックとして知っていた可能性がある。それとも、停車していたという理屈を、何かに使いたいのか」そんな疑問がある。
更には「相手側の夫は損害が少額なら、事故後に増える保険の負担額を考慮してみろと言う。これは事故によって発生する、彼の保険の増額分が妻の損害額を超える。つまり軽自動車のドアミラーは少額だから、その少額分を示談金として支払えを示唆しているのだ」
「そうすれば、彼への事故後の保険増額分は無い事を指摘した。そして彼は、自ら相手車夫婦と共に、警察へと向うことになった」
「交番に着くと彼は、自らのドラレコのメモリーを持ち込んで、事故状況の判定をしてもらおうと提出した。中年女は、金光球子の名と住所を書いたメモを彼に渡した」
「警官は自己紹介を済ませると、警察では事故の判定をしないとして、事故の処理は、互いの保険会社が行うことを説明した」
「以上が事故のあらましだ。だが彼には引っ掛かるところがあった。先ず珠子が執拗に繰り返していた、私停まっていました。の言葉に(二~三秒間)の言葉が加わった。これを繋げると(私、二~三秒間停まっていました)に^変化する」
「次に夫が言った負担金を考慮しろが、警察官の前では沈黙した。そして、相手である夫妻の言動から、事故慣れしているのだろうかと、確信するようになった」と、いう事は、珠子の過去にはいくつもの事故歴があることになる。
そして「家に帰った彼は、早速メモリーをパソコンに入力した。ところが、肝心のデータが見つからない」
「その数日後、相談を受けた俺は(ドラレコに特に詳しい訳ではないが)彼の車を運転してみて分かった」
「それは電源としている、シガーソケットとプラグの接触不良が原因だとすぐに分かった。この手の電源では、よく起る現象だ」
「その後になって相手の保険会社から、メモリーのデータを提出するようにとの要求が来ていた。彼は自分の保険会社を通して、データが無い旨を説明した。すると相手側も保険会社を通して(彼の態度が高圧的だった)と、突然言い分を変えた」
「嚙み合わない返事の内容と、なぜこのタイミングで高圧的だったなどと、付け足したのか理解できない」
「もう一つ言い出したのが、事故当時彼の車は、猛スピードで飛ばしていたと言う。これもまた、なぜこのタイミングで付け足すのか(高圧的だった)そして(猛スピードだった)この二つの言葉は、何を目的としているのか」
相手側は「事故直後から夫が加わり、金光夫婦の二人となっている。対して彼は一人のままだ。そんな状況で高圧的になったところで、彼には何が得られるのか、理由は何一つ無いはずだ」
「そのあと彼は(高圧的だった)は金光夫婦の側だと明かしている。また(猛スピードだった)の件は、狭い農道での状況から言っても当てはまらない。彼が何も要求していないにも関わらず、金光は結果として、それ以上の要求を示唆している」
尚も、それに加えて(私二~三秒間停まっていました)と、言葉を付け加えたのは、その先に更なる金銭要求を示唆している」
また暫くすると「データが無くてもいいから、メモリーカードを提出しろと再び要求してきた。それからでなければ以降の話は出来ないと、彼の保険会社にも執拗に繰り返してきた。と記されている。
そこには山田の解説として、相手方の狙いは、メモリーの解析なんかじゃない。これは揺すり集りで、土地者の常套手段だ。
近年あおり運転の被害者が、逆に加害者だったことを証明していた、などがあるが、この場合はたかがミラー程度の賠償額だ。証拠の解析から裁判費用に至るまでの全額を、見返りとして得られるとは考えにくい。
回収出来るのは、費やした金額のせいぜい何十分の一程度だ。よってこのことは、割の合わないことなのに、メモリーの提出を執拗に繰り返す理由とは何か。これには、どうしても揺すり集りの目的がある事を示唆せざるを得ない。高圧的も猛スピードも私停まっていましたも、データの無いメモリーの提出要求も、全てはドアミラー以上の金額を、要求するための下拵えだ。
解説「俺は、この執拗な要求は、相手側が暴力団と関係していると想定した。メモリーカードは、近くに在るその筋の事務所に持ち込むとか、換金できるシステムが備わっているのが、この地だ。要は金蔓となり得るネタを要求した形が、メモリーカードの提出だと判断した。だから彼には、メモリーカードに限らず、揺すり集りのネタとなる全ての証拠物は一切渡すんじゃないと忠告した。とにかく正直者がバカをみるこの土地柄だ。理不尽にはどこまでも屈しない。それが、変な土地者から、正しいを守る事になる」と書き残していた。
美智子は「戸松征雄の生い立ちは、土地者に共通する何かを示唆している。また、金光球子の執拗な要求も、土地者の性の現われではないだろうか。そして、土地者は一見普通の人間に観えるが、一皮むけば暴力団そのままだ」
「警察内部にも、土地者を思わせる人物が居る事を否定できない」と、速記した。
六、この地とけい子
突然ホテルの扉がノックされた。美智子は驚いて時計を見る。「あ、いけない、紗耶香だ。すっかり忘れていた」と、言いながら開ける。
そこにはフロントの塩沢孝之が立っていた。その後ろで敬礼のつもりなのか「押す」と、言って、沙也加が現れた。
若干二十二歳のスポーツウーマンは、長い脚に地味なスラックスを穿いて登場した。
予定からは遥かに遅い。「沙也加。お前遅刻だ」と言いながら時計を見る。
沙也加は「もう二時間も前から来ていた」と主張した。
一旦この部屋へ来たが、ノックをするも応答が無かった。仕方なくロビーで美智子を待つことにして、道中閲覧してきた本件の続きを、たった今読み終わったところだと言う。
それで、今回の状況の全てを理解した。そう言ってスマホを見せる。だからあらましは、もう承知しているつもりだ。と説明した。
そのあと、転校生が来てからひどい虐めに遭っていた事を明かした。それまでは、と断って、沙也加の周りにもその地域にも、虐めなどというものは聞いた事さえなかったと言う。
それを聞いた美智子は、用心棒などと言っていたが、沙也加を送り込んで来た弁慶の意図を感じた。それを悟ったのか沙也加が「対向せよ。と命令された」と、反対の立場から考えるようにと、弁慶から言われてきたことを伝えた。
フロントの塩沢が進み出て「みなさんの話を一部だけ聞いてしまいました」と明かす。美智子はこれから喫茶室に集まることを予定していた。
塩沢は、出来ることであれば自分も参加させて欲しいと依頼した。美智子は、集まってくるみんなも反対はしない事だとして、塩沢の参加を承知した。そこへ山田からの電話が入って、これからホテルに向かうという。
その山田が間もなく到着した。美智子に、用意してきた手紙の続きを手渡して、山田、沙也加、美智子はホテルの喫茶室へと移動する。そこへ唐沢明人が、藤村利夫を連れてやって来た。美智子はデータの残りを入力し終えると、一同に回し見させた。
そこで、沙也加が「そんなの、仕返しすればいいのよ」と、虐めを抑止する手段として発言した。
年配の山田が「出来る事ならそうしてやりたい。が、実際に仕返しとなると、これは大変だぞ。ただ刺し違えるだけなら金も掛からないが、自分だけは無傷で、相手を一方的に倒すとなると、相当な資金と知恵と運が必要になる」
「おまけに優秀な弁護団を雇わなければならない。例え一流紙の出版社でも、そう簡単でないと思うが」と言って美智子に向き直った。
美智子は「うちでは前例がない訳ではない」とは言ったものの、簡単ではないことには同調した。
更に山田は「例え、団地内にいる個人でも、背景に沼田のような奴が居れば、同じように大変だと言う。沼田が公務から退職していても、やっぱり大変であることには変わらない」と説明する。
「とにかく相手は権力なんだから、ましてや警察官相手となると、勝どころか、逆にズタズタにやられるぞ」と、語気を強めた。
この言葉に反発したのは紗耶香だけだ。まるで虐められていた過去に、戻ったかのような眼で「いじめ問題は、私が生まれるずっと前からあったはずよ。なのに社会は何一つ対処しようとしなかった。その為に当時の虐めっ子たちが、そのまま成長して、いまの社会で虐めを継続している。中には地域や政治の中枢で、虐めっ子のまま人々に対して、暴君化している奴さえいる」
「まるで社会全体がいじめの中にある。だからいつまで経っても、立場の弱い人は弱いままでいるのよ。このまま放っておけばどうなるのよ」と、山田を睨んだ。
それを受けて静かに言う。「倉田さんの言うことはもっともだ。それでも俺は、この現実を言わなければならない」と、諭すように返した。
沙也加は尚も「一方的にやられっぱなしなんて、絶対に認めない。そんな理不尽が、許されたら世の中おしまいよ」と叫ぶ。
一同はよく理解しているつもりなのだが、尚も続ける。「そういう理不尽を、私たちの先祖は仇討ちという方法で解決してきた。それが抑止力となって、虐めのない社会に近付いていたのよ。少なくても現在よりは」と言ったところで、過去を振り返るように「私が虐められて帰ると兄が道場へ連れて行ってくれて、そこで空手道の試合を見せてくれた」
「空手道は、読んで字の如く、武具を持たずに闘う武道なの。でも想定する相手は常に色んな武器を持っている。そんなふうに不利な状況でも、相手を素手で倒すの。それを観ているうちに、私も空手道に嵌まっていた」
「実社会ではなんの役にも立たないけど、理不尽や虐を武器としてくる卑劣な奴らに、立ち向かう勇気だけは目一杯もらえる」
「兄からは、空手を絶対に喧嘩の道具にしてはならないと、何度も固く言われてきたけど、とうとう限界になって反撃した」
続けて「その時は、二人の女子と三人の男子に囲まれて、もうどうにでもなれという思いだった。その男子学生の一人は睾丸への打撲と前歯を全部折って、一か月の入院をした。次の男子は睾丸がつぶれたと言って、これも二か月間入院したと聞いたけど、手術が成功したとは聞いていない。三人目の男子は左目を失った。でも、あれ程空手を使うなと言い続けて来た兄が、なぜか褒めてくれた。どお、その意味みなさんに解る」と一同を見渡した。
席を外していた文子が戻っていた。「実はね、私は剣道をやっていたの。子供の頃は少女剣士などと言われて、みんなからちやほやされて成長した。だから同じ武道の考え方から言えば、あなたを心から褒めてあげたい。お兄様のように」
沙也加は「だから、なんなのよ」と急かす。史子は少し躊躇いながら「三人の男子学生は、あなたを囲んでいた中で、よくぞ自分の身を守り抜いた。これがスポーツとは違う武道の在り方よ。その事を褒めたのだと思う」そう言って、沙也加を見つめる。
「こんなふうに、矛盾した言い方をするのは気が進まないけど、どんな武道でも、師範は喧嘩の道具ではないと教えるのが普通なの。武道とはいえ暴力は暴力だから、どこまでも回避するのが最優先だと言う教えなの。
「それが、この私にも出来てない癖に、恥ずかしいのだけれど、その矛盾を乗り越えてこそ、という教えでもある。そこを諦めたら、武道はただの暴力に成り下がる」と語った。そのあと沙也加は、納得したように沈黙する。
そして文子は「現在の世で言う復讐には、悪い響きしか無い。でも赤穂浪士は、日本中を沸かせるほどの復讐を果たした。そして、世界を見なさい。良い復讐をしている国がいくつもある。復讐とは、受けた被害者が立ち直れるたった一つの治療法なの。それが健全な社会の在り方へと繋がる」と、諭した。
そのあと、戸松との事件を語ったのち「私ね、ご覧のような歳だけど、今でも復讐をしたい、というのが本音なの。もし私に、山田さんが言うような資金と弁護団が有れば、何一つ迷わない。その犯人に、言い逃したことを、その時こそ、言わせてもらうわ」そう言うと、この地の方角を指して「絶対に許さない」と叫んだ。
尚も「この地とか、土地者とか言うけど、あそこからは公務員を始め、警察関係者、区議会議員、本当かどうかは知らないけど検事や裁判官、弁護士なども輩出しているという。ただの犯罪地域では無いのよ。気位ばかり高くて、よそ者などと言っては周辺地域を見下し、犯罪の標的とする。揺すり集りのその果てに見える土地者の正体とは、泥棒集団なの」
「そう、生業は泥棒よ。その近くに出店したコンビニは、必ず店を畳む事になる。どうしてなのか分かります」
みんなの反応が無いのを観て「それは、万引きなの。近くには小中学校が在って、子供たちが競い合っては万引きを繰り返す。更に問題なのは、その親たちが、自分の子に万引きのノウハウを教えて競わせる。こうして出店したみんなが倒産する。あそこもここもあっちにも、団地もこの地の全てが泥棒集団」
「この地全体がそうした犯罪集団で、その中から選抜されたものがやくざとして、各地に出向される。この地を自慢する土地者は、この地という国のような意識でいるの。あの軍事大国のように。この地とは、まさしく日本の中の侵略国家」と、藤村や唐沢のように語った。美智子は、やくざの里の文字が過った。
ここで「各地に出向された」の言葉に反応した沙也加が入り込む。「この地が犯罪国家であるとしても、IS国のように例えるのはどうして」と聞く。
山田が「IS国とまで言うつもりはないが、この地にある風習が、IS国のように映るんだ」と示唆した。
尚も沙也加は「私が知る限りだけど、この地とはIS国のようなテロリストではない限り、普通の地域集団と見るべきよ」と、突然擁護するような発言に変えた。
「それに、部外者をよそ者と言って差別しているようだけど、ただ単純に排他色が強いだけじゃないの。彼らにも親戚や友人知人がいて、幼児から大学生に至るまで、いろんな子供たちも生活している。例え親がカツアゲの常習犯だったとしても、それを復讐の対象にすれば、結果的に子供たちの生活まで奪うことになる。そんなのでこの国が法治国家と言えるかしら」
それを、じりじりと聞いていた史子が「一寸この子、頭おかしいんじゃないの。つい、さっきまでは、かつての社会では理不尽を仇討ちで解決してきたとか、声高に叫んでいたのは誰よ」と返した。
尚も「突然反対のことを言い出したりして、人をバカにするのもいい加減にしなさい」と張り上げる。
美智子が間に入って「この子は上司の言いつけで、相手側の立場から、反論する様にと言われているの。それでおかしな言い方になった。つまり対抗させることで、感情的かつ一方的な報道にならないようにしている」と、説明した。
ところが、紗耶香の眼には大粒の涙が一杯溜まっていた。「私、こんなのもう耐えられない」と苦しい胸の内を吐き出した。
画面を読んでいた山田が「椎名さん、よく調べたね。確かに社会の中枢で君臨する土地者はいるが、あそこはかつて各地から集まって来た、ゴロツキたちの居住区なんだ」と明かす。
「そうした歴史がある。だからせいぜいストリッパーのような風俗が適役で、客引きに誘惑された客に(俺の女に手を出したな)などと、偽ボクサーがカツアゲで食べて行くのが精一杯だ。ある意味かわいそうな奴らなんだ。ただし、区議会議員は本当らしい」
「だが検事や裁判官や弁護士は、この地の出身と言っているのではなく、どこか遠い親戚を辿って行くと、なんとなく突き当たると言う論法からだ。奴らが自慢するほど大したことじゃない」
ここで美智子が気になっていたことを山田にぶっつけてみた。「山田さんは、子供の頃にこの地に縁があったと伺っていますが、いま仰ったことは、この地を暴露することになりませんか」と、ずばり聞いてみた。
山田は「そうだよ。俺は意識して暴露している」と言う。なんとなく酒井公男の言と似た反応に観えた。
すると美智子に向き直って「今日来たもう一つの理由は、その暴露の全てを聞いてもらうためだ」と、言う。
美智子は「暴露する理由を仰って下さい」と、これもそのまま返した。
すると「椎名さんと会ったときから、それとなくではあったが、フルさんを助けるための取材だ、と言うことは分かっていた」と言う。
美智子は「これまで、いろいろと取材して来た中で、山田さんと古川さんは、ただの釣り仲間という関係だけではなく、余りにも強い絆で結ばれているように思えたものですから」と、初対面からの印象を言った。
頷くと「俺とフルさんは、いや皆さんは釣りをやったことはあるかね」と、聞く。
一同が「いいえ」と否定した。
山田は「釣りと言ってもいろいろあるが、俺とフルさんがやっていた釣りとは、渓流釣りと磯釣りだ。知らない人が釣りと聞けば、どこか牧歌的な風景のなかで、のんびりと竿を出す。皆さんはどうかね」一同が同意する。
山田は「それは湖などで、フナなどを釣るときのイメージだ。俺が言っているのは登山用具で身を固め、暗いうちから山に向かう。愛用の釣り道具をザックに詰めて、廊下と言われる、切り立った渓谷の谷底に降りる。だが、そこはまだ釣り場じゃないぞ。更に遡って、若しかしたらそこは人跡未踏の地だ。目も眩む絶壁を登って藪を漕いで、ザイルで降りる。更にその奥の渓谷を目指すんだ」そう、言って遠くを見つめた。
「空がようやく明け始める頃、やっと目指す釣り場に到着する。釣りというより、殆ど登山やロッククライミングに近い。俺たちは一本のザイルに、命を分け合ってきた戦友だ」
「突然の豪雨で沢を渡れなくなれば、危険であっても何処かにビバークしなければならない。必ずどちらかが見張り、それでも危険が迫れば救助要請のため、さらなる危険を越えて麓を目指す。残した仲間を助けるために」
そして「磯釣りにしても同じ事だ。突然の高波で隣にいた筈の仲間の姿が無い。そんな状況を想像してもらいたい。これは著名な登山家とか荒波の中で、命を繋いできた漁師たちとか、戦火の中で命を分け合った戦友と、同じ絆を俺たちは持っている」と、仲間意識を強調した。
更に「人間(ひと)とは余りにも辛い局面に遭遇すると、その体験を時が癒すなんてことは絶対に無い。限界を超えた苦痛は、他人から聞かれても聞かれても、沈黙してしまうのが人間の真だ。フルさんも言葉に出来ない状況を体験したに違いない。だからこそ、俺が変わって暴露するんだ」と美智子に向き直って、コーヒーを啜った。
その美智子を正面にすると「俺は、この地と呼ばれる所の土地者を、子供の頃から観てきた。その子供たちを、立派な犯罪者に育てるための実践教育をし、妙なプライドを植え付ける。こうして他所の者よその土地を支配することを教えるんだ」
「だから、かつては周辺の村々へと出向いては、女工狩りといって少女たちの親を騙しては、小銭で買いあさっていた。売られた少女は当然のように女郎扱いだ」この瞬間、飛騨の女を売春婦だと説明した、宮下智之の顔が浮かんだ。
そして「村から少女たちが枯渇すると、今度は若い男衆だ。奴らは、買い取った若い男衆を家畜同様の扱いで、海外にまで売っていた。やがて時代が下ると、法によってあからさまな悪行は出来なくなり、自然と影を潜めては忘れ去られた。だが土地者は周辺の人々を支配してきた歴史を忘れた訳ではない」と、山田は画面を指して「ほれ、この通りだ」と、表示されている悪行の数々を指した。
そのうえで「ここに収められた被害はほんの一握りで、実際にはこれの何倍何十倍もの被害があった筈だ」沙也加は「女工狩りって何のこと」と質す。
史子が「奴隷のように働かされていた少女たち」と言って「映画になったり、テレビの連続ドラマで放映されていた」と昔を説明する。
山田は「映画もテレビも、正当化され美化されたものだ。実際にはあんなもんじゃない。湖は身を投げた少女たちの死臭で噎せ返り、河原では死体を焼く煙が、毎日のように立ち昇っていた」
尚も「人が湖に身を投げるということを、想像して欲しい。死を決意するまでには、どれ程の苦難苦痛があったことか、言葉なんかには変えられない悍ましいほどの苦痛が、いくたびもあった筈だ」
「テレビで女工時代を懐かしむ、お婆さんたちの映像なんて、ずっとずっと後の世の昭和になって世界大戦が終わった後なんだ」
若い沙也加は「知らなかった。こんな田舎に、IS国のような所が本当にあったなんて。私が高校生だった頃の話になるけど、私を襲ってきた三人の男子学生の出身地が、この近くに在る筈なんです」すると、一同は互いに顔を見合わせあった。
続けて沙也加は「私、女工狩りのことをもっと詳しく知りたい」と言う。
今度は山田が「詳しくと言われても、幕末の動乱期だから資料そのものが存在しない。だから、俺が知っている限りを説明する。その時代にヨーロッパでは生糸が高騰していた。同じころ、供給先である日本の農村では、昔ながらの方法で細々と生糸が生産されていた。そこで、金に目の眩んだ業者たちは需要に追いつくためとして増産を要求した」
「だが一口に増産といっても、一気に繭の大量増産は無理だ。もっと大変なのは生糸を紡ぐ若い女性だった」美智子は「どうして若い女性なの」と聞く。
山田は「若い女性の指先はしなやかで柔らかい。その指こそ生糸を紡ぐのに最適なんだ。逆に男や既婚女性ではそうは紡げない。どうしても少女の指が必要だった」
「そこで製糸業者は、農村部の少女たちに目を付けた。先を争って女工狩りに札束を積んだ。これを聞きつけた各地のゴロツキどもが、これは金になるという事で集まって来た。奴らは金にさえなれば何でもやる」
「一様に人買いと言われていたが、業者から受け取った金は懐に入れ、少女と見れば手当たり次第に拉致して来た、というのが本当のところだ」
「その少女の中に、城の姫君がいたという。(ああ、野麦峠)の物語は、それから時代が下って、法整備が進んだその後のことだ。現代の皆さんが知っているのは、正当化され美化された物語なんだ」と語った。
「そこで沙也加が「そのゴロツキたちは現在はどこに」と聞く。山田は「元の各地に戻ったとか、知らない所に拡散して行ったとか言われているが、元々あったゴロツキたちの本拠地に居るはずだ。そこが、この地のなんだ。つまり、土地者という姿で、この地に残った」
すると、検索していたスマホの手を止めて「この地と称される他に、もっと明確な地名は無いの」と聞く。山田は「無いよ」と答える。尚も紗耶香は「では、変な所と言う地名はないの」そう質す。すると、一同声を上げて笑った。
美智子が「それは地名ではなく、この地という通称であり俗称であり、この地域を指す」のだと教えた。
すると「ほら」と言って美智子に、スマホにあるメールを見せた。それを見て「これは間違いなく、この地のことだわ」と、何かの書き込みの住所を観て納得する。
喫茶室の窓には黄昏時のネオンが、窓ガラスに反射を繰り返すようになっていた。
何かの書き込みには、他人への誹謗中傷がこれでもかとばかり書き込まれている。よくもこれ程無責任なことが書けたものだと思った時、土地者の厭らしさに、書き込みとの共通性を感じた。
他人を蔑み、何かを煽り立てる。やがて被害者が、世の中に絶望して死の選択をする事を待っているのだ。こうして、奴らは安全圏から煽りに煽って狂気を飛ばす。書き込みは、更にそれを鼓舞していた。このやり方こそ、土地者であり煽り屋の正体だ。
沙也加は「私が小学校の二年生に上がった年に、転校して来た二人の女子がいたの。この二人は飛びぬけて口が達者だった。先生には諂うくせに、私たちには狡猾で同級生たちをランク付けする癖があった。それがどういう意味なのか、その時は全く気が付いていなかった。つまり同じ仲間同士だったクラスが、三つの階級に分断されたの」
「その為に、あれ程楽しかった教室なのに、何となくギスギスする様になった。またこの二人は、ランク一の子を取り込むことがうまくて、その他の子たちは自然とランク一に服従しなくてはならない。そんな状況を作り出した」すると、史子が「小学校の二年生で」と確かめる。
そこで美智子が「親が自分の子を、子供の後ろから操り人形のように操作している状態。言わば傀儡(かいらい)なの」と、書き込まれた画面を史子に向けた。
文子は「そうでしょうね。僅か小学二年の子が、大人顔負けの駆け引きをするなんて信じられないもの。でも、親が土地者だったらあり得る」すると、山田が「その結果、教室は分断のみならず、階級が形成されたのでは」と、質す。沙也加は深く頷いた。
そして「その二人の女子は、こうして教室の頂点に君臨するようになるの」山田は「それが、奴らの常套手段だ。おそらく三年生、四年生と上がるにつれ、その二人は子供ながらに、教室全体を支配するようになった。更には、イエスマンの取り巻きを周りに配置して、二人の安全圏を確保するようにするんだ」と説明した。
沙也加は「どうしてそれを」と聞く。山田は「俺が子供のころ、どこの教室にも、そんな奴が当たり前のように居たからだ。そんな教室は、いつの間にか階級制度が出来ていた」これが土地者が持つ性であると供述する。
文子と美智子が、嫌なグループと言っていた教室の光景を思い出して、目を合わせた。
続けて沙也加は「それだけではありません。それ以上に親たちが、黒幕として支配していたんです。その手始めとして、PTAを抑えてしまうから、教室での揉め事は全て二人にとって優位に働く、そんな仕組みを構築した。そうなると、支配する二人が金を要求しようと、何を要求しようと他の者たちは従うしかない」
「今思えば独裁政権の暴君がいるようなもので、楽しいはずの小学校生活は、暗く辛い思い出しか残らなかった」この時、非番になった塩沢孝之が入って来た。
沙也加は尚も「私はその二人のことが大嫌いで、四年生に上がった年に、初めて敵対する事になった。それは、私と仲のいい同級生がいて、いつも一緒に登校しては、一緒に下校していた。それが私たちの日常でした。それを知らない、生徒たちからは双子の姉妹みたいに思われていたようです。そしてある日の下校時に、あの二人が通学路に在る神社の森で待ち伏せしていた。呼べども叫べども助けに来る人はいません」
「友の上に馬乗りなった転校生は、面白がって友の口の中へ砂を詰め込みました。身体の大きかった私は、自分の上になっているもう一人を振り落とすと、友に馬乗りになっている女子目掛けて、体当たりしました。でも友は、もうぐったりとして動けなかった。ただ手だけが薬の瓶を握って、私に訴えていた」
「その子は喘息持ちで、いつもその薬を持ち歩いていたけど、口に詰められた砂で飲み込めないまま、ぐったりとしていたんです。私はその口をこじ開けて、砂を掻き出しながら、薬を自分の口の中で噛み砕いた。この時友の眼がうっすらと開いて、やっと呼吸を始めようとしているようでした。そこで口移しをした」ここで美智子が「もういいから」と、嗚咽している沙也加を抱きしめて止めた。
画面には、その後の新聞記事が表示されていた。美智子は紗耶香を自分の膝に蹲せて、画面が見えないように山田に向けた。
声に出さずに「この件は事故であって、小学四年生の生徒には罪を問えない」と、そこまでを黙読した。そして次を史子に向ける。唇だけで「これは亡くなったということ」と、文子はテーブルを囲むみんなの眼に訴えた。
ところが、見えないはずの沙也加には分かっていた。いきなり起き上がると「殺されたのよ」と叫ぶ。
このとき塩沢が、紗耶香を医務室のベッドに案内するという。それを振り切るように「私は友達を助けられなかった。でも、その時から私は、殺された友の復讐をすると誓った」そう言って文子を見る。
「そう、復習よ。二人の女子のうち一人が単独でいるところを狙って、友達がやられたように馬乗りになった。そして口の中へ泥を詰め込んでやった。もう一人にも同じ目に合わせてやった。それ以来私への虐めは、取り敢えずなくなった。でも高校に進学すると、なぜかあの二人の転校生も同じ学校に進学していた。そこへ例の三人の男子が加わったの」
「後で分かったのは、その五人の生徒全員が同郷の仲間同士で、この地の出身らしい事が判った。つまり、この地から出向してきたのよ」
「それからは、二人の女子に、再び後をつけられたり、私の前を横切りながらニタニタと、意味ありげに笑って見せたりするようになった。そのことで、何か不気味なものを感じていたけど、いま更引き返せないと思って、いつもの夜道を家へと向かっていた」
「そして、友達が殺されたあの神社の森に差し掛かると、今度は例の三人の男子が飛び出して来た。この瞬間に二人のニタニタの意味が分かった。頭の中で沙也加逃げろと誰かが叫ぶけど、目の前には友達が殺された現場があった」
「それを観た途端、戦ってやると決意した。いま戦わなかったら、友達を殺した二人の女子を赦すことになる。いいえ、あの二人が犯した殺人を、この私が肯定することにもなる。それだけは絶対にダメだ。私があの世に行ったとき、友にどんな顔を向けたらいいのかって思った。でも相手は男子を加えて五人、たちまち囲まれた」
「だから勝てる自信なんて無かったの。そこで捨て身のつもりで、先ず正面の男子を倒した」そして美智子を改めて見ると「その結果がさっきの答えよ」と叫ぶ。
「沙也加に向き直って「あなたの事はよくわかったわ」と言うと「いいえ。まだ解っていないと思います」と返す。そして美智子を真っ直ぐに見つめた。
すると「私は、あの場では勝ったけど、あの二人の女子がまた新手を送り込んで来たら、また闘わなければならない。こんな事を続けていたら何時までも限がない。この闘いを終わらせるには、ペンしか無いと思うようになった」
「その通りになるかどうかは、まだ分からないけど(ペンは剣よりも強)に掛けてみようと思った。だからこの世界に飛び込んだの」すると、「えらい」という声が上がった。
なおも「この三人の男子が、私を囲んだ訳は何だと思います」と、聞く。
美智子が「聞かなくても、みんな解っています」と答えた。だが沙也加は「皆さんの想像通り。後ろに回った男子に、両手で胸を掴まれていた。もう一人の男子が(やれやれ)とはやし立てている」
「正面の男子は(俺が一番槍だ)と言いながら、私のスカートの下に手を入れようとして、前かがみになってきた。この時、私はこんな奴ら断じて許してはならない。と、再び聞こえてきた声に従って、正面にいる男子の顔面に、膝蹴りで反撃した」
「暗い中で男子の口から、血がぽたぽたと落ちているのが分かった。男子はその口を両手で塞ぎながら逃げようとする。私がもう一度どうにでもなれ、と思ったのはこの時よ。それは自分の事ではなくて、相手の男子がどうにでもなれと思ったの」
「その男子が逃げようとした瞬間を、次の一撃で倒した。間髪を入れず、その顔面に踵落としを決めた。ところ私の靴の方が壊れていた。そこで睾丸を踏みつけてやったのよ。私の胸を掴んでいた男にも睾丸を蹴り上げた」
「こいつよ、手術結果が分からいのは。私は知りたくもないし、どうでもいいことだけど」
「そして、最初に倒した三人目は、ポケットに手を突っ込んでいたところを、私の正拳で左目を失った」
「突っ込んでいたポケットの中が分かったのは、警察が駆けつけて来たときだった。そのポケットからナイフが見つかったの。報道には無かったけど、これが真実なの」
「私に聞こえてきた(こんな奴、断じて許してはならない)の声は、きっと殺された友の意思だったと思う」そう言って席に着いた。
美智子は、画面を一同に見せて「紗耶香の小学校に転校して来た、二人の女子の親たちは、この地の出身で間違いなく土地者と呼ばれた者たちだと、AIが証明している」
更に記事から、あとから合流してきたと思われる三人の男子も、紗耶香の近くに在る職場へとやって来た親たちの子だった。しかし、その親たちは暫くすると、職場を放棄したように退職したとある。また暫くすると、ネオン街には新しい店が相次いでオープンした。
その店主とは、子供の親たちの事だった。こうして繁華街の暗がりでは、男親たちの猫背が現れるようになった。結局、美智子は沙也加が遭遇したした事件とは、土地者がもたらした階級制度と、いじめだったと記録した。
唐沢が「ところで、僕にもこの地には何人かの友人がいる。だから、この地の住民の真実を知っているつもりだ。その立場から挙げると、この地の土地者は気性が荒いことを自慢し合う」
「嘘を言っては、他人の物を奪い合う。それを、まるで戦利品のように自慢するんだ。古川さんを外人だなどと嘘いては有りもしない事を、さも大げさに言いふらして追い出した」
「そんな子供レベルの嫌がらせを、自慢し合っているんだ。その最終的な目的が何だか分かりますか」と聞いてきた。
一瞬の沈黙のあと唐沢が「金だよ。これが僕なりに出した答えの一つだ」と、別の動機がある事を示した。
沙也加は「嫌がらせが、どうしてお金になるのですか」と不思議そうに聞く。
唐沢は「簡単だよ。追い出しに成功すれば引っ越しをする。引っ越しには、業者が必要だ。その従業員は不定期に採用される。実は、引っ越しほど金になる盗みはないんだ」
「しかも成功率99%以上で、例え紛失物の捜査があっても、知らないと言いきれば、警察もそれ以上の追及は出来ない。どうですか、皆さんにも心当たりがあるでしょう。大切にしていた、高級時計や宝石類が無くなっていたなんてことが。それに気が付いたのは一週間後ならまだしも、殆どは半月以上も経ってから、となるともう絶望的なんだ」
「だから、嫌がらせの結果は金になるんだ。春風が吹けば何とやらの如くばかばかしいが、困窮している土地者にとっては、数少ない収入源だ。こんな低レベルな事が、本当に起こるのがこの地だ。お宝を持っていそうな古川さんは、ずっと以前から目を付けられていたそうだ」と説明した。
沙也加が「そんなふうに一人一人を追い出せば、やがて他人は居なくなし、目先だけの利益では将来も無い。こんな事は分かり切っているのに、それでもよそ者を、金目当てで追い出しているのですか」と質した。唐沢は「そこだよ。土地者の殆どは、短絡的な考え方しか出来ない。田植えより、稲穂を盗み取ることしか考えられない人種なんだ。みんなで協力して何かを生産するという事が理解できない。つまり建設的な思考回路が存在しない」一同は納得したように同意していた。
尚も「近くに、ブランド製品の企業がいくつも在るのに、土地者にはそんな企業に倣う事も参加することも出来ない。僕は、土地者を短絡的な人たちと言ってきたが、どうだね。これに変わる表現が他にあるだろうか」と問いかける。
一呼吸して沙也加が「変わる言葉になるかどうか分かりませんが、土地者とは本当に人間なのでしょうか」と、飛躍した。
史子が「土地者と言われる人たちに共通する症状が有ります。その一つを言うと、他人に対して冷酷な仕打ちをする。同時に、後の収穫を考えない青田刈りとか、追い出しで利益を得ようとか。他にもいじめや差別が」そう言うと、一同を見渡す。変わって美智子が「他人はどうなってもいいのだ、という利己主義そのものが、精神病質者の症状なのです。それを専門家はサイコパスと言います」そして、文子を見る。
続けて「土地者と言われている大半の人たちには、サイコパスの症状が有ると思いますと宣言した。
この言葉に、みんなが「サイコパス」と復唱する。すると一同は、納得のどよめきに変わった。
沙也加が鼻で笑う。「そんな事だろうと思った」
そして「あんな奴ら、先天性の精神病がプンプン臭っていた。だから、警察には野放しにするなと、痛いほど言ってやったのに、被害者の私が犯人扱いされて、加害者と被害者が入れ替わっていた。こんなバカなことってある」と吐き出す。
この時、画面の表示が変わった。
百人力「倉田氏の場合は、警察に対して、事のあらましを正直に訴えたと推定される。対して五人組は、何もかもを自分の都合とフェイクで訴えた」
「そこには親たちが学習してきた、嘘のノウハウがあっものと推定される。いわゆるP論法を展開したのだ。その結果、倉田氏への風当たりは、より強いものとなった」の文字が、余りにも大きく観えた。
そこで唐沢は「僕が不思議に思うのは、郷里の駒ケ根市でも、伊那市でも嘘なんか言えば、地域のみんなから嫌われるのが普通だ。この地では良識が無いのか、皆口を揃えて同じ嘘を言う。まるで打ち合わせ通りのように」と明かす。
すると藤村が「仲間意識が強過ぎるんだ。だから、打ち合わせをしている訳じゃない」と弁護した。それを尚も唐沢が「いや、そもそも良識ある者が居ないのだ」と、返す。
美智子が思い出したように「背景に、情報伝達の仕組みのようなものでもあるのでしょうか」と、聞く。
「勿論だ。早い話が自治会や消防団、地区の懇談会などが、その仕組みそのものだ」
美智子は「それなら、何処も同じ仕組みのうえで、情報交換をしていると思いますが」と質した。
ところが唐沢は「そこが違うんだ。そもそも自治体の在り方が違う。そればかりではない。公の場では公私混同が無いようにと努めるのが全国的な常識だが、この地では私情だけで寄り合いと考えている。これは戦国乱世から続いて来た習わしだ」と言う。これには文子も同意した。
沙也加が「その習わしを、二十一世紀のこの世に通用させようとしているんじゃないでしょうね」と懸念を言う。
みんなまさかという顔をしたが、唐沢が「いや、実はその通りなんだ」と言ったあと、腕組みすると「情報伝達の仕組みではあるが、自治体の他に、広い意味で言うネットワークと理解した方が、より正確かもしれん」と言う。
更に「ネットワークの一つを紹介する。その男は外間伸の先輩格にあたる。その当時は四十代後半の男だ。こいつはよそ者狩りなどと称して、普段から目を付けていた立場の弱いよそ者に、酔っぱらった勢いで、言い掛をつけて喧嘩を売った」
「あらかじめ、二人の仲間を物陰に潜ませて、若しものときの助っ人役兼目撃者として、スタンバイさせていた」
「繁華街の一角に誘い込まれたよそ者は、始めのうちはこんな奴相手にするもんかと思っていたが、余りにも執拗な要求に負けて、一万円で丸く収まるならと渡した」
「すると、二万円だと釣り上げてきた。これにはさすがのよそ者も怒った。その大声に警察官二人が、暗い路地の向こうからやって来る。するとスタンバイしていた二人が飛び出して(おまわりさん実は、かくかくしかじかで)と言って、仲間が被害者で、よそ者が集りの犯人だと、被害者が逆転されてしまった」沙也加が、私の時と同じだ、と呟いた。
「よそ者は、仕方なく、今回だけはと言う警官の言葉に従って二万円を集り屋に渡したという」
「ちなみに集りをはたらいた三人組は、普段はごく普通の会社員でごく普通の社会人で、土地者だったそうだ」
「この三人は早速次の日から、よそ者に集られたと、嘘の大々的なキャンペーンを張った」
「そこに加担したのが、煽り屋のネットワークだ。すると、身近にはよそ者がいない筈なのに、俺もよそ者に集れた、などと囃し立てる者があっちにもこっちにも現れた」
更には模倣犯までも現れる。そんな奴らは、よそ者と聞いただけで、あいつは伊那から来たとんでもない野郎だなどと、言っては集る。それを煽り屋が更に輪を掛けて言い触らす。このスパイラルが続いているのがこの地なんだ」
「たまたま伊那とは言ったが、対象は塩者であれ甲斐者であれ、佐久や上田など、全ての他所の地を指しての事だ」沙也加が「やっぱり、土地者なんて、正体は盗みの太鼓持ちよ。結局のところ誰からも相手にされないのでは」と聞く。
藤村が沙也加に向いて「俺はこのホテルの近くの生まれで、この地とも縁の有る人間だ。その俺がこの地を悪く言うのは忍び難い。だが、もう少し聞いてくれ。本来この地には数件の家しか無かった。現在も限られた苗字しかない事が、それを証明している」
「また、戦国時代から、他所との人的交流が無かった事まで知っている。その一方で周辺地域を支配し、暴利をむさぼって来たとも言われてきた」
「だから良く言えばこの地を守るためのノウハウには、異常なほど長けている。また逆に、本家と別家の陰湿な確執が、現在も続いている。近親婚から、他者を寄せ付けず排他主義に徹する余り、外界との繋がりが出来ない。そのまま現在に至ったと思える」
「言ってみれば陸の孤島がこの地であり、外界を知らない住民が、土地者であるんだ。二十一世紀の現在でも奴らの世界はこの地だけが全てだ。それでも何ひとつ不自由はないと思い込んでいる」
「だから、余所の人たちから相手にされなくても何にも困らない」
「倉田さん。もう一度言うと、この地の土地者は、よそ者に相手にされなくても、何一つ困らない社会なんだ」
だが沙也加は「それでは、土地者の世界は狭くなる一方だと思います」と質した。
美智子も「あの軍事大国の指導者が同じ事を言っていました。この地も自立社会とは思いますが、共有する世界は益々狭められる一方で、これから先の未来は無い事でしょう」と、補足した。沙也加が拍手する。
気が付くと、山田の息遣いが荒い。突然に立ち上がって「この地の土地者とは、元々悪党と呼ばれる数件の宗家が中心になって、この地という部落を構成してきた。土地者とはその宗家を指す言葉だったが、いつの頃からか部落の住民全体を指す言葉に変わった」一同は、初めて聞く説明に納得した。
「外界と遮断された世界という事は、いつまで経っても、互いの娘をやったり貰ったりする。そんな近親婚が続けられてきたんだ。こんなふうに親戚同士で交配を繰り返すうちに、変な者が生まれるようになった。それを他所の者から観た姿が、変な所の変な奴になった。これが変なところのいわれだ」
そのあとも「この地では変な奴たちから、更に変な奴が生まれる。その容姿は、如何にも遺伝的なものを思わせる。そうでない者は、心に奇異があった」
「そんな奴らの攻撃性は異常で、立場が弱く反撃の出来ない者を狙って、何から何まで奪い取る。だからよそ者と言われる女性や子供、あるいは老人などは、たちまち餌食とされる」
「反撃できなければ、どこまでも身ぐるみ剥ぎ取るんだ。更には、よそ者を痛めつけるほど楽しいことはないと」そこまで言うと、深く息を吐き出した。
そして「土地者である変な奴らは、他人を甚振ることを、レクレーションのように楽しんでいる。要は遊びなんだ。そんな中に警官もいると、つい連想してしまう」
「そんな環境から、ああ野麦峠のような悲劇が生まれた」美智子は速記しながら、土地者の性とは、どれもこれもサイコパスの症状から来ている事を確認していた」
そして、理論的な山田がいつになく、感情的になっていることに気が付いていた。
ついさっき見せた、過呼吸のような症状と関係あるのだろうか。そう思ったが「変な奴らに良識なんてものは無い。あるのは狂気だけだ」と更に吐き出すと、その顔には怒りがあった。
そして、美智子が「ちょっと待って」と言って、残りのデータを入力した。
すると百人力は、飯田にあったキャバレー地下鉄と折山けい子の状況を表示した。
「飯田市街に上がるには、谷川線という、長い直線の坂道を上り切る。そこが中央広場と呼ばれている街の中心部だ。そのまま直進すると中央通り。その通りに入って五~六軒目あたりの右手に、ダイエイというパチンコ屋が在った」
「その地下には、地下中劇と呼ばれる映画館が在り、隣の空間には食堂や寿司屋などが並んでいた。キャバレー地下鉄はその奥にある空間を利用していた」
「当時は都会的なセンスで、けい子のストリップショーが売りだった。娯楽の少ない田舎町では、多くの男性客たちを魅了していた。その店の出入り口は裏通りに直結し、道下には小さな公園になっていた」
「公園と言っても元は堀で、そこを整地し幼児用のブランコやシーソーがあるくらいだ」
「当時は、まだ茂った雑木や桜などが視界を遮り、園内を一望できたわけではない。夜ともなれば、そこに人が居ることさえ判別できない」
「けい子は、キャバレーの出入り口横にある、コンクリートの階段に腰かけて、通る男たちを眺めていた。そこで、何かを感じ取った男に声を掛けては、合意したような素振りのあと、連れだって公園の暗がりへと消えて行く」
「やがて、一人ずつでは大した稼ぎにならないと思うようになる。そこで始めたのがストリップのデリバリーだった」
「そこには若い消防団たちの眼が並ぶ。けい子は、たらいの中で脚を開いてタオルを渡した。それからというもの、キャバレー地下鉄の周辺に在る駐輪場では、自転車やバイクへの悪戯が頻繁になった。たまに駐車している自動車にも同じことが起った」
尚も「その悪戯は、一見しただけでは、動機のようなものが見当たらない。それは、けい子が特定した人物ではなく、周りに居る全てを対象としていたからだ。要は飯田市民に対する腹いせだ」
「その延長線上には、放火も暗示させていた。やがて、この地に戻ったけい子は、古川個人を対象として過激な悪戯を繰り返した。動機は、飯田から来た人物である事だ」
「その古川をどうしても追い出したい。だがけい子は、明確に犯罪となると、自らの手を汚すわけにはいかない事情があった。再犯には、厳しい未来しかないことを、よく知っていたからだ。そこで行ったのが代理犯行だ」
「畑山順の娘夫婦を始め、飯田での構成員たちや戸松に嗾けた。それは破裂寸前の風船に針を刺すより簡単だった」美智子は「段々と姿が観えて来る」ことを実感した。
画面には次の表示があった。「折山けい子は、女子刑務所を出所したあと、直ぐに団地入りしたわけではなかった。前述にあるように薬物依存の回復支援を受けるため、施設で本格的な治療を行っていた」
美智子は「やっぱり」と言って、薬物依存があった事を注釈した。
そして「その施設では誰よりも、治療には懸命だったという。その甲斐あって、団地には滞りなく入居が許された。そこで岡松の一次隊として、既に入居していたかつての仲間たちから、飯田から来た者が居ると聞かされた」
「その途端に、すっかり忘れていた筈だったが飯田での記憶が、薬物の抜けた脳に蘇った」
「真っ先に浮かんだのは、暗い客席から一斉に浴びせるカメラの閃光だ。幾つものストロボが、裸のけい子を狙って続いた」
「目付きの悪い者たちが、客のカメラを取り上げようとするが、そんなことで引っ込むような若い衆ではない。結局、店はぼったくり料金に、更なる上乗せをして請求した」
「すると飯田の町中で、キャバレー地下鉄に行くと、ケツの毛まで抜かれるぞ、というキャッチフレーズが飛び交うようになった」
「都会的なセンスと、ストリップショーで売ってきた地下鉄は、たちまち閑古鳥が鳴く。その一方で好評だったのがデリバリーだ」
「短絡的なけい子は、仲間たちからの煽てが嬉しかった。陰では悪口を言っているくせに、面と向かうと丁寧に挨拶をする。そればかりか、忖度までするようになった」
「今では、けい子の鞄持ちが使い走りをし、小生意気な妹分でさえけい子の機嫌取りをするようになった。こうしてけい子は、自分こそが一家を支えられる実力者だと、短絡的に自負するようになった」
「次には「妹分である、従妹の極妻こと猪山は、けい子によく似て体格がよかった。男勝りと言うより独裁国の女帝と言った方が体を表している」
「この極妻のことが、けい子は大嫌いだった。姉貴分である私という存在が有りながら、生意気にも台頭して来る。けい子が岡松一家の稼ぎ頭になるまでは、何かとけい子を見下し蔑んでいたはずだ」
「その同じ口が、けい子に忖度する。いくら従妹でも、こんなの信用できるもんかと思っていた。その従妹がけい子に向かって言う。古川というあの男は、飯田から来た男でけい子ちゃんのことを、知っているなどとチクっていた。これが、古川の事を知った時の詳細だ」
「その途端、忘れかけていたデリバリーがいっそう鮮明に蘇ってきた。それは飯田周辺にある消防団の屯所での事だ。たらいの中で脚を開いていたあの様子までもが、昨日の事のように蘇る」
「同時に、酔っ払った若い消防団たちの顔ぶれまでも、目に浮かんだ。けい子の付き人役がいくら睨みを利かせても、法被(はっぴ)姿の隊員たちが、我先にとたらいのかぶりつきに陣取った。いかに商売とはいえ、これには流石のけい子も堪えた」と表示している。
他にも「キャバレー地下鉄の出入り口側にある公園での売春や、自転車を始めとする悪戯の数々まで思い出したが、尚も気にしていたのが放火の件だ。
新たに判明した証拠でも浮上すれば、再逮捕の可能性がある。そして、生活の場としていたアパートでは、麻薬の密売が行われていた。
町内ではすでに知られていた事だ。けい子は迫りくる恐怖を感じた。だがこんな窮地を救ってくれる者などいる筈がない。今のけい子に出来ることは、飯田に居たという古川を、何が何でも追い出すことぐらいしか思いつかなかった」そこで、のぶよがいつか言っていた、鎌を持って追いかけたという言葉を、古川に擦り付けたのだ。
この擦り付けを、のぶよならきっと応援してくれるはずと、思い込んでの事だった」
美智子は、盗みという言葉には卑しさを覚えるが、土地者にとっては略奪なんだろうかと推測があった。そこで「略奪集団」と、速記した。
(第五話に続く)
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