29 / 49
第二章
第二十八話
寝室に戻ると、そのまま鏡の前へと向かう。部屋着に着替えたり、髪をまとめ直したり。鏡の前ならいくらでも楽しいことがあるのだから、女というのはつくづく可愛い生きものだと思う。
けれども今日は、見慣れたはずの顔が少し違って見えた。改めてよく見ると、ずいぶんといい顔をしている。
「……覚悟ができたみたい」
ルドルフへの引き継ぎは、私にとって“未来への始点”のようなものだ。
始める前は憂鬱だったけれど、いざ始まってみれば——それは“新しい未来への入り口”のようにも思えたのだ。
「——もう五年よ、パメラ。公爵夫人になって、もう五年!……あっという間だったわ」
重い言葉を口にしているのに、なぜか心の奥がほぐれていく。どこか吹っ切れたようで、ほんのり清々しい。
まるで、長い冬のあとに春の陽が差し込んだみたいだ。
「……本当に。早いものです」
お茶のトレーを手に、パメラは姿を見せたばかりだ。まるで呼ばれるのを待っていたかのようなタイミングだった。
これを“阿吽の呼吸”というのかしら……なんて考えると、少し心強い気持ちになったりもする。
「ねぇ、パメラ。将来の夢は?」
「もちろん、『どこまでも奥様についていく!』でございます」
「ははっ、どんな夢なの? それ」
声に出した途端、喉の奥にぐっと力が入る。込み上げそうになる涙を、あわやのところで食い止めた。
「夢があるっていいわよね……。ひとりでも頑張れるもの」
誰にともなく呟いて、私は言葉を続けた。
「身分のある人間はね、誰だって“孤独”よ。親から愛されても、友人がいても、魔力が強くても。……だから、どんなに“孤独”でも腐っちゃダメってこと。うん、そうよ……腐っちゃダメなの。皆んなもそうなんだから」
まるで自分に言い聞かせるようだった。
けれど、パメラが少し表情を曇らせる。
「わたしがおりますよ? 奥様には、このパメラがおりますのに。……それでも、孤独なのですか?」
今日のような雨の日、癖っ毛がわがままになるからといって、パメラは赤い髪を後ろでひとつにまとめるのが習慣だ。
すっきりと露わになった頬や首が、興奮でみるみる赤く染まっていく。
「そうね。……わたしには、パメラがいるわね。だから本当の意味では“孤独”じゃないのかもしれない。 でもね、わたしがパメラに寄りかかって、頼りっきりになるわけにはいかないでしょう?」
パメラは青の瞳を揺らし、静かに頷いた。ほんの少し息を吐いて、私が脱いだドレスと靴をまとめる。
やがてクローゼットの前でブラシをかけ始めても、まだ少し拗ねているようだった。
「でも……そういうことなの。ほら、これで機嫌を直してちょうだい」
「あ、……これ!ずっと奥様が読まれていたやつ」
「そう! これ、とっても面白かったのよ。昨日のよりずっと……面白いかもしれないわ」
私の“一押し”——覆面作家『E.G』が書いた恋愛小説を手渡す。異世界から転生した女性の恋物語だ。
バーナードにも貸す約束だけれど、彼が出張中の今、パメラに読ませてあげたかった。
パメラは丁寧に表紙を開き、笑みを浮かべながら“あらすじ”を目で追う。
ページをめくり、冒頭を読み始めてすぐのことだった。気のせいか、かすかに口元をこわばらせたように見える。
視線を上げると私を見つめ、そのまましばらく沈黙を貫いた。
「奥様、お話ししておきたいことがございます」
意を決したようだった。表情には覚悟の色が滲み、それは——引き返す選択肢を持たぬ者の強さまでも感じさせた。
そして彼女が語り出した“真実”は、にわかには信じがたい物語だった。
けれども今日は、見慣れたはずの顔が少し違って見えた。改めてよく見ると、ずいぶんといい顔をしている。
「……覚悟ができたみたい」
ルドルフへの引き継ぎは、私にとって“未来への始点”のようなものだ。
始める前は憂鬱だったけれど、いざ始まってみれば——それは“新しい未来への入り口”のようにも思えたのだ。
「——もう五年よ、パメラ。公爵夫人になって、もう五年!……あっという間だったわ」
重い言葉を口にしているのに、なぜか心の奥がほぐれていく。どこか吹っ切れたようで、ほんのり清々しい。
まるで、長い冬のあとに春の陽が差し込んだみたいだ。
「……本当に。早いものです」
お茶のトレーを手に、パメラは姿を見せたばかりだ。まるで呼ばれるのを待っていたかのようなタイミングだった。
これを“阿吽の呼吸”というのかしら……なんて考えると、少し心強い気持ちになったりもする。
「ねぇ、パメラ。将来の夢は?」
「もちろん、『どこまでも奥様についていく!』でございます」
「ははっ、どんな夢なの? それ」
声に出した途端、喉の奥にぐっと力が入る。込み上げそうになる涙を、あわやのところで食い止めた。
「夢があるっていいわよね……。ひとりでも頑張れるもの」
誰にともなく呟いて、私は言葉を続けた。
「身分のある人間はね、誰だって“孤独”よ。親から愛されても、友人がいても、魔力が強くても。……だから、どんなに“孤独”でも腐っちゃダメってこと。うん、そうよ……腐っちゃダメなの。皆んなもそうなんだから」
まるで自分に言い聞かせるようだった。
けれど、パメラが少し表情を曇らせる。
「わたしがおりますよ? 奥様には、このパメラがおりますのに。……それでも、孤独なのですか?」
今日のような雨の日、癖っ毛がわがままになるからといって、パメラは赤い髪を後ろでひとつにまとめるのが習慣だ。
すっきりと露わになった頬や首が、興奮でみるみる赤く染まっていく。
「そうね。……わたしには、パメラがいるわね。だから本当の意味では“孤独”じゃないのかもしれない。 でもね、わたしがパメラに寄りかかって、頼りっきりになるわけにはいかないでしょう?」
パメラは青の瞳を揺らし、静かに頷いた。ほんの少し息を吐いて、私が脱いだドレスと靴をまとめる。
やがてクローゼットの前でブラシをかけ始めても、まだ少し拗ねているようだった。
「でも……そういうことなの。ほら、これで機嫌を直してちょうだい」
「あ、……これ!ずっと奥様が読まれていたやつ」
「そう! これ、とっても面白かったのよ。昨日のよりずっと……面白いかもしれないわ」
私の“一押し”——覆面作家『E.G』が書いた恋愛小説を手渡す。異世界から転生した女性の恋物語だ。
バーナードにも貸す約束だけれど、彼が出張中の今、パメラに読ませてあげたかった。
パメラは丁寧に表紙を開き、笑みを浮かべながら“あらすじ”を目で追う。
ページをめくり、冒頭を読み始めてすぐのことだった。気のせいか、かすかに口元をこわばらせたように見える。
視線を上げると私を見つめ、そのまましばらく沈黙を貫いた。
「奥様、お話ししておきたいことがございます」
意を決したようだった。表情には覚悟の色が滲み、それは——引き返す選択肢を持たぬ者の強さまでも感じさせた。
そして彼女が語り出した“真実”は、にわかには信じがたい物語だった。
あなたにおすすめの小説
蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
背徳の恋のあとで
ひかり芽衣
恋愛
『愛人を作ることは、家族を維持するために必要なことなのかもしれない』
恋愛小説が好きで純愛を夢見ていた男爵家の一人娘アリーナは、いつの間にかそう考えるようになっていた。
自分が子供を産むまでは……
物心ついた時から愛人に現を抜かす父にかわり、父の仕事までこなす母。母のことを尊敬し真っ直ぐに育ったアリーナは、完璧な母にも唯一弱音を吐ける人物がいることを知る。
母の恋に衝撃を受ける中、予期せぬ相手とのアリーナの初恋。
そして、ずっとアリーナのよき相談相手である図書館管理者との距離も次第に近づいていき……
不倫が身近な存在の今、結婚を、夫婦を、子どもの存在を……あなたはどう考えていますか?
※アリーナの幸せを一緒に見届けて下さると嬉しいです。
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。
あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の伯爵令嬢、スカーレット。
宝石のように澄んだ青い髪をした伯爵令嬢、ルビア。
対極のような二人は姉妹。母親の違う。
お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。
そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。
天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。
生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。
両親の必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。
だが……。運命とは残酷である。
ルビアの元に死神から知らせが届く。
十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。
美しい愛しているルビア。
失いたくない。殺されてなるものか。
それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。
生まれてくる価値のなかった、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。
これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
〖完結〗終着駅のパッセージ
苺 迷音
恋愛
過去、使用人に悪戯をされそうになった事がきっかけとなり、分厚い眼鏡とひっつめた髪を編み帽で覆い、自身の容姿を隠すようになった女性・カレン。
その事情を知りながらも夫ローランは、奇妙で地味な姿の妻を厭い目を逸らし続けた。
婚姻してからわずか三日後の朝。彼は赴任先の北の地へと旅立ちその後、カレンの元へと帰省してきたのは、片手で数えるほどだった。
孤独な結婚生活を送る中。
ある冬の日に、ローランの上官であり北の地を治める領主ハルシオン公爵が、カレン夫妻の邸にやってきた。
始まりは、部下の家族を想う上司としての気遣いだった。
他愛もない会話と、節度を守ったやり取り。ほんの僅かな時間を重ねていく。
そのうちに、お互いに灯り始めた小さな心の想い。
だが二人は、それを決して明かさず語ることはなかった。
それから一年ほどたった冬の夜。
カレンから届いた手紙に、たった一度だけハルシオンは返事を書く。
そこには彼の想いが書かれてあった。
月日は流れ、カレンとローランが婚姻して三年目の冬の日。
カレンはひとつの決意と想いを胸に、北へ向かう汽車に乗った。
※微さまぁか、もしくはざまぁになっていないかもしれないです。
※舞台は近世・産業革命初頭を基にした架空世界だと思っていただけましたら有難いです。
稚拙な作品ではありますがご覧くださいましたら凄く嬉しいです。よろしくお願い致します。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。