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第二章
第三十二話
「イザベラ様のご友人から届いた贈り物だそうです」
厨房から遣わされたメイドが、静かに頷く。表情がわずかに強張ったのは、私が険しい顔をしたからか、それとも“イザベラ”という名を口にしたからか。
——いや、私への同情かもしれない。
思わず笑いが溢れそうになって、肩にかけたストールで口元を覆った。
「わかったわ。料理長が確認したなら、毒見も済んでいるだろうし。……楽しみね」
箱を受け取って、隅々まで確かめる。この短い間に、私はどれほど警戒心を養ったのだろう。
箱を揺らすと、茶葉が転がり合う音がする。その乾いた音に耳を澄ませながらメイドへ視線を戻すと、不安げな瞳がまっすぐこちらを見ていた。
「大丈夫よ。香りを確かめるだけだから。……そんな顔しないで」
簡単に言う私を見て、メイドは細く「はい」と答えた。胸の前で合わせた手を、しきりに揉んでいる。
サイドテーブルに箱を置くと、私は静かに蓋を開けた。わずかな隙間から漂うのは——強く鼻先を刺激する香り。記憶にない、違和感のある香りだった。
「珍しい香りね……」
呟くと、胸の奥に影が落ちる。“違和感”にすぎずとも、見過ごしたくない事実だった。
「……でも、何の根拠にもならないわね」
気づかぬふりで、そのまま飾り棚へと足を向ける。歩を進めながら心を落ち着かせた。
「よかったわ、買っておいた茶葉があるの。お礼を伝える時、これを渡してちょうだい」
飾り棚から一つの箱を取り出して、メイドに差し出す。見るなり、彼女は目を見開いた。それは、イザベラから受け取った箱とまったく同じものだった。
「同じ箱だから、取り違えないようにね。十分に注意して」
「わかりました。十分に……十分に注意いたします!」
メイドは背筋を伸ばして、ぎゅっと唇を結ぶ。それが逆に、私を不安にさせた。人間というのは不思議なもので、注意すればするほど、思いもよらない失敗をするものだから。
「……どうか、彼女が間違えませんように」
小さな背中を見送りながら、私は静かに祈った。
◇
時は少し遡る。本邸の厨房では、こんなやりとりが交わされていた。今夜の片付けと明日の仕込みの狭間のことだった。
「手の空いてる者はいるか?」
通りの良い声が、広い厨房に響く。料理長のトムだ。拭いていた鍋を置き、周囲を見回している。
「はい!空いてます!」
厨房付きのメイド——雇われて日が浅い少女が、廊下から顔を覗かせた。ちょうど仕事を探していたところだった。
「助かる。これを奥様に届けてくれ」
トムは戸棚から箱を取り出し、軽く掲げて見せた。青地に金の飾り模様が施された洒落た箱だ。
「そちらは……?」
「茶葉だ。毒味は済ませた」
忙しなく動きながらも、トムは穏やかな表情で答える。
「あ、あの……それと。なにをお伝えしたらよろしいのでしょうか?」
初めて話す公爵夫人のことを思うと、緊張で身体がこわばっていく。声はか細く、今にも消え入りそうだ。
「おいおい、そんなに緊張するなよ。……大丈夫だ、奥様はお優しい方だから」
メイドは箱を抱えたまま、大きく、そして真剣に二度ほど頷いた。
「はい、よく存じております」
「……なら、いいが。別邸のイザベラ様に、ご友人から届いた贈り物だそうだ。アリア様にはそのまま伝えていい。あちらではもう食卓に載せたらしいから、こっちでも早いとこ出したくてね」
「わ、わかりました! すぐにお渡ししてまいります」
再び頷くと、今度は声を裏返らせる。見るからに新人のメイドに、トムは念を押さざるを得なかった。
「……おい、待て。奥様が『出していい』と仰ったら、箱ごと厨房へ戻すんだぞ。絶対にな」
だがトムが心配しなければいけないのは、そこではなかったのだ——。それが分かるのは、もう少し先のお話。
厨房から遣わされたメイドが、静かに頷く。表情がわずかに強張ったのは、私が険しい顔をしたからか、それとも“イザベラ”という名を口にしたからか。
——いや、私への同情かもしれない。
思わず笑いが溢れそうになって、肩にかけたストールで口元を覆った。
「わかったわ。料理長が確認したなら、毒見も済んでいるだろうし。……楽しみね」
箱を受け取って、隅々まで確かめる。この短い間に、私はどれほど警戒心を養ったのだろう。
箱を揺らすと、茶葉が転がり合う音がする。その乾いた音に耳を澄ませながらメイドへ視線を戻すと、不安げな瞳がまっすぐこちらを見ていた。
「大丈夫よ。香りを確かめるだけだから。……そんな顔しないで」
簡単に言う私を見て、メイドは細く「はい」と答えた。胸の前で合わせた手を、しきりに揉んでいる。
サイドテーブルに箱を置くと、私は静かに蓋を開けた。わずかな隙間から漂うのは——強く鼻先を刺激する香り。記憶にない、違和感のある香りだった。
「珍しい香りね……」
呟くと、胸の奥に影が落ちる。“違和感”にすぎずとも、見過ごしたくない事実だった。
「……でも、何の根拠にもならないわね」
気づかぬふりで、そのまま飾り棚へと足を向ける。歩を進めながら心を落ち着かせた。
「よかったわ、買っておいた茶葉があるの。お礼を伝える時、これを渡してちょうだい」
飾り棚から一つの箱を取り出して、メイドに差し出す。見るなり、彼女は目を見開いた。それは、イザベラから受け取った箱とまったく同じものだった。
「同じ箱だから、取り違えないようにね。十分に注意して」
「わかりました。十分に……十分に注意いたします!」
メイドは背筋を伸ばして、ぎゅっと唇を結ぶ。それが逆に、私を不安にさせた。人間というのは不思議なもので、注意すればするほど、思いもよらない失敗をするものだから。
「……どうか、彼女が間違えませんように」
小さな背中を見送りながら、私は静かに祈った。
◇
時は少し遡る。本邸の厨房では、こんなやりとりが交わされていた。今夜の片付けと明日の仕込みの狭間のことだった。
「手の空いてる者はいるか?」
通りの良い声が、広い厨房に響く。料理長のトムだ。拭いていた鍋を置き、周囲を見回している。
「はい!空いてます!」
厨房付きのメイド——雇われて日が浅い少女が、廊下から顔を覗かせた。ちょうど仕事を探していたところだった。
「助かる。これを奥様に届けてくれ」
トムは戸棚から箱を取り出し、軽く掲げて見せた。青地に金の飾り模様が施された洒落た箱だ。
「そちらは……?」
「茶葉だ。毒味は済ませた」
忙しなく動きながらも、トムは穏やかな表情で答える。
「あ、あの……それと。なにをお伝えしたらよろしいのでしょうか?」
初めて話す公爵夫人のことを思うと、緊張で身体がこわばっていく。声はか細く、今にも消え入りそうだ。
「おいおい、そんなに緊張するなよ。……大丈夫だ、奥様はお優しい方だから」
メイドは箱を抱えたまま、大きく、そして真剣に二度ほど頷いた。
「はい、よく存じております」
「……なら、いいが。別邸のイザベラ様に、ご友人から届いた贈り物だそうだ。アリア様にはそのまま伝えていい。あちらではもう食卓に載せたらしいから、こっちでも早いとこ出したくてね」
「わ、わかりました! すぐにお渡ししてまいります」
再び頷くと、今度は声を裏返らせる。見るからに新人のメイドに、トムは念を押さざるを得なかった。
「……おい、待て。奥様が『出していい』と仰ったら、箱ごと厨房へ戻すんだぞ。絶対にな」
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