上 下
10 / 34
3杯目 カクタル思い

絶対に魔物に勝つ方法は、トイレ強襲が最適解

しおりを挟む
母さん、俺、今日こそ男になります。


俺と遊び人との旅がはじまり、どれだけの年月が流れただろうか。
初めての出会いは既に、悠久のかなたのように思えるが、今日という記念すべき一日までの出来事は遍く脳内に書き記してある。

いや、懺悔しよう。全て覚えているとは言ったが、本当に全てを覚えているわけではない。
だが安心してほしい。時に男は、忘れる生き物だと聞くし。人は、失うことで前に進めることもある。俺の記憶の喪失も、そういった何かしらの尤もらしい理由に則ったものだ。
もっと具体的に言えば、さすがの勇者といえど酩酊した際の記憶は明確ではないということだ。勇者から記憶を奪うとは、酒の力は実に恐ろしい。

ふと目が覚めたら、教会の地下で身ぐるみはがされていたこともあった。
街のゴミ捨て場で、汚い麻袋を枕としていたこともあった。
身に覚えのない、痛みを感じることもあった。
だが、安心してほしい。全ての恥は、その記憶とともに嘗てありし夜に置いてきた。俺に恥じることは何もない。

かつての俺は、溢れんばかりの道徳意識と、王より譲り受けた宝剣を共に腰に携えていた。
だが、いまやこの体たらく。夜になれば彼女とともに酒を飲み、道端に戻した胃袋の中身よろしく、記憶と強き道徳意識を土に還してしまう。
勇者として、俺は多くの物を失ってしまった。

もう一度、声高らかに宣言しよう。人は失うことで前に進めることもあるのだ。
そういうことだから、みんな安心してくれ。


ゴーレムとの一戦以来、俺と遊び人は魔王に関する大した情報を得ることが出来ずにいた。
別に、俺たちに落ち度があったわけではないと思う。
俺と遊び人によって、立て続けに拠点を強襲されている魔王軍としても情報の秘匿に力を入れているのだろう。

だがしかし、いくら魔王軍が影に潜み隠れようとも。こちらには「千鳥足テレポート」がある。
俺と遊び人は、魔王捜索に行き詰まると酒を飲み、そして千鳥足テレポートで飛んだ。もちろん飛んだ先々では、魔物たちと剣を交え魔王の居場所を問い詰める。
そして情報が得られなければ、また日を改めて酒を飲み千鳥足テレポートだ。

そんなこんなを、俺たちは半年ほど続けてきたが魔王軍の拠点をいくら潰しても魔王の居場所に関する情報は一切得られなかった。
だが、他に術はない。こちらには「千鳥足テレポート」がある……いや、それしかないのである。
テレポートで飛び続ければ、いつか必ず魔王のもとへとたどり着ける。俺は、そう信じ今日もエールを流し込む。


「勇者さん勇者さん、そろそろご都合はいかがでしょうか」


遊び人の妙に仰々しい物言いから、彼女の酔いの具合が察せられる。
残念ながら勇者たる俺はまだちっとも酔っていないのであるが。
興の乗った酔っ払いに付き合ってやるのもまた一興であろう。


「おやおや、遊び人さん。俺が、もうそんなに酔っぱらっているよおに見えるのですかな」


「見えますとも、見えますとも。いまの勇者様は、まるで地獄の赤鬼のような赤ら顔ですぜ」


「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」


「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」


「いや、なんとなく旨い事言おうとして失敗しただけだから深堀しないで」


「……ならもっと可愛いものに例えなさいよ」


ふむ、サルの尻より可愛いものときた。さて、そんなものが現実に存在しうるのだろうか……。
いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。星の数よりあるわ。
ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。


「はよしろ。あほう勇者」


焦らすなよ。
そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。
例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。
あ、これはだめだ。
これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。


「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」


狭く薄暗く、街の酔いどれ達で溢れかえっていた秘密酒場中に、彼女のその澄んだ声が響き渡った。


――――――

3杯目 カクタル思い

――――――


目を開けると、鼻先には地獄の赤鬼。であったらどれだけ良かったであろうか。
少し皺が寄り黒く太い毛が大量に茂っているそれは、地獄のサルの「赤尻」。
でもなく、誰とも知れぬ汚い生尻であった。
その様相からして間違いなく、彼女の尻ではないことだけはわかる。彼女の尻が、こんなにオゾマシイものであるはずがない。


「きゃあああああああああああああああああああああああ!」


尻の持ち主が、まるで女みたいな悲鳴をあげる。あくまで「女みたいな」悲鳴である。その実、尻の雄々しさに違わぬ、酷く低いしわがれた声だ。
しかし無理もない。勇者たる俺であろうとも、突然尻の先に見知らぬ男が現れたら恥も外聞もなく黄色い声を上げるであろう。

というか、むしろ叫びたいのは俺のほうである。こちらからしてみれば、鼻先に突然見知らぬ尻が現れたのだ。
見知らぬ男と、見知らぬ尻なら間違いなく見知らぬ尻のほうが恐ろしいではないか。
かろうじて俺が声を上げずにいられるのは、この汚い尻を前にして口を開けることが至極恐ろしかったからである。

尻から距離を取るべく、足に力を入れるが徒労に終わる。
身動きがとれない。重力を頭上に感じる。どうやら俺は、ひっくり返っているらしい。


「あ、こいつ魔王軍幹部だ!捕まえろ勇者!」


どこからか、遊び人の声が聞こえてきた。
声の反響具合から、この部屋の大きさがおおよそに知れた。

狭い個室、尻を丸出しにした男、察するにここは厠だ。
できれば、察しないままでいたかったが。


「拘束魔法 フリーズ!」


「さ、させるか!反射魔法マジックミラー!」


「詠唱封印 サイレント!」


「効かぬわ!獄炎魔法 ヘルファイア!」


遊び人の詠唱を皮切りに、俺たちと魔王軍幹部との戦闘が始まった。


――――――


「魔王はどこにいる!?」


体術の使えない狭い厠で二対一での魔法の打ち合いともなれば、結果は語らずとも明らかであろう。

縄で後ろ手に縛られた魔王軍幹部が、神妙に首を垂れている。
あまりに可哀そうだったので、ズボンだけは俺が手ずから上げてやった。


「……」


俺の問いかけに、魔王軍幹部はその面を上げる。
赤みがかった肌に、額に生えた日本の角からは東の国で語られる地獄の獄卒を彷彿とさせられる。
赤鬼の目がギョロっとこちらを向いた。その漆黒の瞳には俺に対する強い敵意がこもっている。

排泄中を急襲されたのだ、怒髪天になるのも無理もない。だがしかし、誰が好んでおっさんの排泄シーンを急襲するであろうか。
不可抗力である。責任の所在は、少なくとも俺のところにはない。


「勇者。こいつは、魔王軍四天王がひとり炎魔将軍。魔王の側近中の側近だよ。」


「こいつがそうなのか?」


再び鬼の顔を見る。なるほど、魔王軍残党の中でも極めて高い戦闘力を誇ると言われる炎魔将軍、別名『黒き炎』の人相書きにそっくりだ。


「お前の二つ名が『赤尻の男』なら、もっと早く正体が割れていたんだがな」


部屋の中が、冬の澄み切った朝のような静寂に包まれる。
幾分か、赤尻の男の殺気が増したように感じる。
どうやら、冗談の通じる相手では無いようであった。




「私が話すから勇者は少し離れていてくれないか」

遊び人の声は、いつになく冷ややかなうえに更には冷たい視線まで俺に送ってきている。
その原因に一切の見当もつかないものの、母親に叱られる子供のように俺はつい「はい」と答えてしまっていた。

彼女と炎魔将軍から幾分か離れたところで俺は振り返った。
声は届かない。だが、会話の内容を読み取る方法なんていくらでもある。
俺は、目を凝らし彼女たちの唇を読む。

「ねえ魔王がどこにいるのか教えてよ」

「知っていれば教えているさ。本当に知らないんだ」

「うそね」

「本当さ」

二人の問答は、街角で出会った友人同士が交わすあいさつのように淀みないものだ。
一見すると日常にあふれるような様相であるが、その日常的なことが問題だ。その日常性そのものが、まったくもって異常なのだ。

これまでも、遊び人は魔物たちから巧みに情報を引き出してきた(情報の有益性は別としてではあるが)。
彼女の問いかけに、彼ら魔物たちは常に誠実に答える。少なくともはた目からはそのように見える。

俺が問いかけても無視をするか、罵詈雑言を浴びせてくる連中が彼女の前では尻尾を振る犬の如しである。

当然、彼女のことを疑った。
「魔王軍と何らかの関りがある」まではいかなくとも、禁じられた拷問魔法や自白剤の類を魔物たちに使用している可能性は十分にある。
できれば、そのような真似を彼女にはしてほしくない。

というわけで俺は、彼女の疑いを晴らすべく彼女と魔物たちとの会話を盗み聞くのが習慣となっていた。
残念なことに、もしくは喜ばしいことにその成果は一切にあがっていない。
彼女と魔物たちとの関係性は謎のままであるし、彼女が何らかの非倫理的な手法を用いている証拠も見つかっていないのだ。
いまのところは彼女はとてつもない聞き上手である。と自分に言い聞かせ無理やり納得するしかない。

「しかし、胸もなかなかに膨らんでてしっかり大人の女の子だねえ」

魔王軍の黒き炎改め、赤尻エロ将軍の唐突なセクハラ発言に右腕が反応する。
気が付くと、俺の手は既に鞘から剣を抜きかけていた。

「……話をそらさないで」

俺は二人の間に割り込んでエロ親父を成敗してやりたい衝動に襲われる。




遊び人の厳しい目が、炎魔将軍に突き刺さる。
まるでその眼差しに耐えられなかったかのように、炎魔将軍がぽつりとこぼした。


「なあ、見逃してはもらえぬか?」


「魔王の居場所を教えてくれたらね」


「それはできん。殺せ」


炎魔将軍の表情は真に迫っている。ブラフではない、本当に死を覚悟している者の顔だ。
すると今度は、遊び人の表情に困惑が浮かんだ。


「そんな物騒なこと言わないでよ。だいたい、私のナイフは全部貴方に燃やし尽くされちゃったのよ」


炎魔将軍の目がギラリと妖しく光る。


「それに、魔力だってほとんど残っていないんだから」


そこからは一瞬だった。
炎魔将軍の輪郭が揺らいだかと思ったら、彼を縛り上げていた縄が燃え上がり彼の手には炎によって作り上げられた刀が握られていた。


「遊び人、離れろ!」


叫ぶと同時に俺は体当たりで、遊び人を吹き飛ばす。
つい数瞬前まで彼女の首があったところを、炎の刃が通り過ぎた。


「あ、ありがとう、勇者」


彼女の言葉には答えず、炎魔将軍の攻撃に備えて抜刀する。
しかし、黒き炎の影は既に消え去っていた。


「怪我はないか?」


彼女の顔を見た瞬間、俺の血が沸騰した。
右頬に一筋の黒い線。間に合わなかったのだ、黒き炎の刃は確実に彼女の右頬を切り裂いていた。

頬の傷からは血が流れていない。炎の刃故なのだろう。
切り裂かれたと同時に炎に焼かれ血が止まっているのだ。

彼女の顔から眼をそらす。彼女の事を見ていられない。
怒りが湧いてくる。


「―――いつか必ず報いを受けさせる」


「落ち着いて。勇者」


遊び人が、俺の口元に手を寄せる。
何事かと思えば、彼女は自身の袖口で俺の口を拭った。

どうやら、怒りのあまりに唇を噛んでしまっていたらしい。
俺の血で彼女の袖口を汚してしまっていた。


「逃げられたか」


「ありがとう、勇者。君の助けが無かったら、喉を切り裂かれてた」


再び、彼女の顔をみる。


「俺たちが相手しているのは、魔族だということを忘れたのか?迂闊にもほどがあるぞ」


「もう戦意はないと」


「君は魔族に優しすぎる。その結果がこれだ、見てみろ」


いや、見れるわけがない。見れるわけがないのだ。
俺としたことが冷静さに欠けている。


「来てくれ……回復魔法をかけるから」


「ありがとう」


彼女に、回復魔法をかける。頬の傷がみるみるうちに塞がっていく。
そう、傷は塞がるのだ。塞がっていくだけ。


「次に会ったら、絶対に殺す。」


思わず出た言葉に、自身が思っている以上に怒りに囚われていることにハッとする。

俺の口からつい出てしまった言葉が、遊び人に恐怖の表情を浮かばせていた。

これはいけない、かなり感情的になりすぎだ。


「ひとまず、宿でも取ろう」


部屋の小窓から差し込んでいる赤い夕陽が、俺たち二人の影を長く伸ばしていた。


――――――


千鳥足テレポートの帰還術式で酒場に戻った俺たちは、村のはずれにある宿屋へと向かった。


おそらく元は酒場だったものを改装したのだろう、扉を入ると机がいくつか並べてあり宿泊客らしき人達が食事をとっていた。
広間の奥には、カウンターがあるが本来酒が置いてあるはずの棚には代わりに部屋の鍵らしきものが並べてある。


机の隙間を抜け、カウンターの中にいる禿頭の大男へと話しかける。


「宿をとりたい」


禿頭の大男改め宿屋の主人がチラリと俺たちの様子を見る。
見慣れない旅人、飛び込みの宿泊客を見定めているのであろう。


「一部屋でいいな。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」


そういう仲ではないと主人を制すると、遊び人が抗議の意思がこもった視線を飛ばしてくる。


「私は一部屋でも構わないけど」


「いや、できれば二部屋とりたい」


確かにこれまでの旅路の中、ほぼ毎日床を共にしている。
勘違いしないでほしいが、床を共にしたというのは至極直接的な意味であって。
残念なことに何か過ちが起こった夜など一夜としてない。

ではなぜ、俺たちが恋仲にあるでもなく部屋を一つしかとらなかったかといえば答えは単純で金欠であったからである。

俺たちは立ち寄った村々で剣の腕をつかい路銀を稼いできたが、そういった仕事も毎度あるわけではない。
そして何より俺と彼女の旅はその性質上、資金のほぼ全ては酒代へと消えていくのだ。

おのずと酒代以外の費用は節約するという習慣が俺たちには備わっていた。


「俺に少し時間をくれ遊び人。主人、二部屋で頼む」


しかし、今の俺には正直なところ彼女と同じ部屋で過ごす余裕がなかったのだ。
炎魔将軍を止められなかったという後悔の念、つい口走ってしまった言葉で歪んでしまった彼女の表情。
彼女の頬に振るわれた炎の刃が脳裏から一向に離れる気配がない。

様々な思考が、脳内を駆けずり回っている。
経験上、こういうときは一度冷静にならないと非常に危険だということを俺は知っている。
魔王討伐の旅は一歩間違えれば、簡単に命を落としてしまう辛い旅だ。一瞬の迷いが、死に直結してしまう。

悩みや後悔の種は、育つ前に摘み取らなくてはならない。
だからこそ、俺には一人で冷静になれるだけの時間が必要だったのだ。



大男が唸りながら宿帳をとりだした。


「うーん、実は今晩来る予定だった御者がまだ来ていないんだ。日を跨いでも、そいつが来なかったら一部屋空くかな」


「じゃあ、部屋が空いたら教えてくれそうしてくれ。だめなら諦める」


遊び人のほうを振り返ると、何がそんなに気に食わないのか彼女の眉間にしわが幾重にも寄っていた。
路銀を節約するのも大事だが、時には俺に一人になる時間をくれたっていいじゃないか。

それに路銀のことを言うなら、千鳥足テレポートを使わない日は休肝日にでもすればいいじゃないか。
魔王を探し出すための必要経費と言うならともかく、君は普段から酒を飲みすぎている。

とは口を避けても言わない、いや言えない俺がいる。
酒が、俺の不眠症への特効薬となっているということもあるが、なにより彼女と酒を酌み交わす時間がとても好きだからだ。
その楽しいひと時を失うことは是が非でも避けたい。


「ひとまず、荷物を部屋に置こう。それから夕食にしようじゃないか」


「だったら、私の荷物も置いてきてよ」


どこか険のある言い方だった。


「どうした、何が気に食わないんだ?」


「おじさん、ここの宿屋にある中で一番強いお酒を頂戴」


店主が困った表情で告げる。


「おいおい、こんな所で喧嘩は止めてくれよ。それにうちは真っ当な宿屋なんだ酒なんてあるわけないだろう」


彼からすれば、俺たちのやり取りは単なる痴話げんかに見えているのであろう。
遊び人が店主をにらみつけると、店主はたいした酒は置いてねえぞと呟きながらいそいそと店の奥へと引っ込んだ。


「おい、店主に八つ当たりすることは無いだろう」


「早く、荷物を置いてきてよ」


言葉を荒げているわけではない。
むしろ、とても静かで落ち着いたトーンであるがしかし。そこには一切の反論を許さない遊び人の強い意志がこもっていた。

かつて幼き日に母がヒステリーを起こした時をふと思い出す。
こういう時の女には逆らってはいけない、それは火に油を注ぐような愚かな行為である。

俺、いそいそと彼女の荷物を背負い宿屋の主人から告げられた二階の部屋へと上がった。


部屋に荷物を置き、階段を降りると遊び人が既に机の一角に陣取っている。
他の宿泊客は先ほどのやり取りを聞いていたのだろう、まるで演劇の一幕を楽しむがごとく奇異の目を向けている。

中身はともかく外見は平凡な俺と、ただでさえ可愛らしさに満ち溢れているのに更には白と黒の派手な服を着た美少女のカップルだ。
人目を引いてしまうのは致し方のないことだ。


「話がしたいの」


「それは、こちらも望むところだ。だが、道化師の傍らを演じるつもりはないぞ」


彼女が何に怒っていて、俺に対して何を伝えたいのかはわからない。
だが、いい加減に聞いておかないといけないことが山ほどある。

彼女にだけやけに正直になる魔物たち、それに彼女が魔王を追っている目的。

これは、ただの興味本位ではない。
二度と同じ過ちを犯さないためにも、俺は彼女について知っておかなければならない。


「じゃあ、これ飲んで」


「なんだこれ」


「さあ、店主の自家製らしいわ。いいから、飲んで」


グラスを傾け謎の酒を喉に通すと、喉がやけたような刺激に襲われる。なんだこれ、まっず。


「そうね貴方の言う通り、衆目にさらされるのは本意じゃないわ」


「そうだな」


「だから、静かに話の出来る場所に行きましょ」


彼女が、俺に手を差しのべる。
なんだ、なんだかんだ言いながら仲直りの握手というわけだ。

ならば、そのまま二人仲良く手を繋いで静かなスピークイージーへと繰り出すのも悪くないではないか。
なにより、この宿屋においてある酒は碌なものではない。まともな酒が飲めるなら、どこだっていい。


ウキウキと浮足立った俺は、何も疑問に思わず彼女の手を取った。


「千鳥足テレポート!」


「え!?」


俺と遊び人の体から光の粒子が立ち上っていく。
あぁ……俺の浅はかな勘違いは、まるでこの立ち上る光の粒みたいだ。
楽し気に舞い上がったのち儚く消える。

できることなら、この勘違いが遊び人に気づかれていませんように。
光の粒を星に見立て、俺は切に願った。



目を開けると、そこには俺の胸の高さほどのカウンターがあった。
そして、そのカウンター越しには壮年の男が一人。


「みぃぃぃつぅぅぅうぅけぇぇぇぇたぁぁあぁあ」


思わず歓喜の声が出てしまっていた。
それだけか、顔中の表情筋が全てにおいて緩んでいるのがわかる。
まさか俺がここまで表情豊かな男であったとは自分でも驚きだ。

目の前の男は、褐色の肌に銀色の髪を持ち。額からは二本の角が生えている。
その姿は、かつて剣を交えた魔王その人であった。

しかし、逃亡生活の疲れのせいか大分やつれてしまっている。
哀れには思わんぞ、今度こそトドメを刺してくれる。
俺はゆっくりと剣の鞘に手をかける。


「剣を離して」


遊び人が声をかけてきた。
珍しく声が震えている、きっと彼女も緊張しているのだろう。

……なんだって?遊び人は何と言った。
『剣を離して』だと?


「マスター、貴方もよ」


マスター……?目の前の男、魔王が『マスター』。すなわち『ご主人』であると言うのか?
ならば、彼女の正体は……魔物!?

俺の意識が、魔王から遊び人へ移ったその一瞬。
魔王の右腕が尋常ならざる速さで動く。
その手に逆手で握られているのは針状の武器。暗殺等に用いられる暗器だ。


「……っ!?」


なんとか反応し剣を引き抜こうとするが、剣は抜けなかった。
剣の柄を握った俺の手に、遊び人が手を重ね押さえつけてきたからだった。

俺は、死を覚悟した。


しかし、暗器が俺に向けられることはなかった。
魔王は満足そうにニンマリと笑うと、何処から取り出したのか左手の上に氷をのせ、その暗器で砕きだした。

かっかっかっと刻みよく氷が削られていく。
呆然として魔王を眺めていると、見る見るうちに綺麗な球体がその手の上に作り上げられていった。

魔王ができあがった氷の球体を、透明なグラスへと放る。
氷がグラスを叩く乾いた音がカランカランと鳴った。その音を福音とし、俺は正気を取り戻した。


「ど、どういうことだ?」


遊び人に問いかけるが、彼女は答えずにカウンターに並べられた椅子へと俺を促した。
魔王はひとまずのところ、俺を殺しにかかってくる様子はない。ならばと、俺は椅子に腰を下ろす。


「ここは?」


再び遊び人に問いかけるが、答えは正面から返ってきた。


「いらっしゃいませ。ここは、バー『ゾクジン』でございます」


独特の低さを持ちながらも透き通った力強く優しい声。


違う……姿かたちはよく似ているが、声が違う。
あいつの、魔王の声はもっと威圧感に溢れ。まるで自らの力を誇示するかのようなものだった。

ならば目の前の、魔王によく似た男は魔王と同族。もしくは、近しい親類といったところだろうか。


「お前は何者だ……?」


「マンハッタン」


俺を無視して、遊び人が謎の呪文を呟いた。
隣を見ると、彼女は気だるそうに頬杖をつき指を一本立てている。


「『いつもの』ですね、畏まりました。それで、そちらは?」


こいつら、俺の質問に全然答える気がないんじゃないかという怒りもあるが、状況を理解していないのはどうやら俺一人であることを考えるに。
今は、状況に流されるのが正解への近道だろう。
というか、『マスター』って店の主人のほうかよ……!

勘違いからくる若干の恥ずかしさに頬を染めながらも、俺は男の言葉を無視して部屋をぐるりと見渡す。俺たちがいる部屋は、それほど広くなくカウンターに席が6つほど。俺の後ろには、小さな丸机と椅子が二つ。
席が埋まったとしても8名しか客が入らない。どうやら、かなり狭い店らしい。
足元すら怪しい暗さであるが、僅かな光によって作り出される影が妖しく室内を飾っているのを見るに意図的に照明の数を減らしているのであろう。

カウンターの向こう、魔王によく似た男の背には見たこともない多種多様な酒瓶が並んでいる。
そのほとんどは、見たことのない未知の言語で書かれたラベルが張り付けてある。

今まで、さまざまなスピークイージーを見てきたがこんな奇妙な店は初めてだった。


「彼、バーに来るのは初めてなの」


「おや、もしかして彼が……?」


「そう、例のお友達」


察するに、遊び人はここの常連らしい。
時折、魔王探索とは別に一人で千鳥足テレポートで飛んでいくことがあったが、ここに来ていたのだろう。

店の主人との親し気な具合が実に腹立たしいが、年齢的には爺さんと孫ぐらいだろうか。
実際のところ、そう言う関係とは到底思えない。

だが、それでも俺の知らない彼女を『マスター』が知っている様子にどうも嫉妬を禁じ得ない。


「そうでしたか。それでしたら、何か飲みやすいものでも如何でしょうか」


「俺を舐めるなよ。何か強い奴をくれ」


妬みからくる敵意むき出しな俺に、遊び人からの抗議の視線が届く。
が、俺は気づいていないふりをする。


「それでは、スクリュードライバーでもお作りしましょう。少し強めに致しますね」

「二杯目からは、さらにお好みに沿うようにお作りできるかと思います」


マスターの『作る』という言葉に、俺の頭上に再び疑問符が浮かび上がった。
酒を『出す』ではなく『作る』とマスターは言った。ここは、酷く狭い店に見えるが裏に醸造所でも兼ね備えているのだろうか。


「遊び人、ここは醸造所なのか?スピークイージーかとも思ったが、店主は酒を造ると言ったぞ?」


「ああ、ごめんね。説明不足だったわね。ここはカクテルバー」


「酒や果汁なんかを混ぜてつくる、カクテルを飲ませる店よ」


いい加減、俺の問いかけに一つにくらい答えてくれないだろうかという淡い願いを込めた質問に。

彼女は素っ気なくも、ようやく一つ答えを返してくれた。

しおりを挟む

処理中です...