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3杯目 カクタル思い

カクテルBar 《ゾクジン》

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「カクテルってのはねえ、組み合わせによって無限の広がりをもつものなの」


逆三角形のグラスには、店のランプのせいだろうか少し赤みがかった琥珀色の液体で満たされている。
魔法薬だと言われれば信じてしまいそうな色彩だ。
酒の中でプカプカ浮いたり沈んだりを繰り返しているチェリーも、見ようによってはホルマリン漬けされた実験体みたいだ。


「まあ、論より証拠よ。飲んでみたら」


気づくと、俺の前にもすでにグラスが置かれている。
パッと見たところ、ただのオレンジジュースに見えるが、これが本当に酒なのだろうか。
幸いなことに、その疑いはたったの一口で晴らされた。

強いアルコールがガツンと脳を揺らす。これをジュースと呼ぶ奴がいたら、そいつは間違いなく素面ではないだろう。
オレンジジュースと何かしらの蒸留酒が混ぜてあるのだろう。慣れ親しんだ酸味が、その飲みやすさを助長している。


「うまい」


なにより飲みやすい。俺は、初めて酒を飲んだ日の事を思い出す。
ビールも、ワインもどちらの初めても最初の一口は、まるで異物を体内に取り込んだかのような拒絶反応が起きた。
胃が逆流してくるような強烈な嫌悪感に襲われた。

しかし、この飲み物はすんなりと喉を通る。体が何の拒絶を起こすことなく受け入れている。
起きるものといえば、せいぜいが清涼感ぐらいのものだ。
気づけば俺のグラスは既に空になってしまっていた。


「お気に召しましたか?」


答えは聞くまでもないという表情でマスターがニヤニヤ笑っている。


「ああ、えっと何だ。スクリュードライバーをくれ」


「かしこまりました」


まるで、必殺技みたいな名前だな。


「わたしも、初めての時そう思った」


遊び人は、謎の『マンハッタン』をちびちび飲んでいる。
どこか表情は緩んでいて、機嫌もよさそうだ。

さて、状況を察するに俺と仲直りをし仲良く飲みなおそうというのはあながち勘違いではなかったらしい。
そもそも、やらかした彼女に俺が怒るならともかく彼女が俺に怒るというのはお門違いであるし。
納得がいかない部分は大いにあるが、まあ彼女が機嫌がいいならそれに越したことは無い。


ふと遊び人と目が合う。


「なに?これが飲みたいの?」


遊び人が俺をおちょくるようにグラスをクランクランとまわして見せる。


「それは、どんな酒なんだ?」


「論より証拠」


遊び人が差し出したグラスを一口もらう。
そういえば、間接キス程度でドギマギしていたこともあったな。
それが、いまやこの程度じゃ動揺すらせんぞ。俺も、成長したものだ。

そんなことをツラツラと思いながら、マンハッタンに口をつける。


「なんだこれは」


なんだこれは。
スクリュードライバーとはまた違った衝撃だった。


「すごいでしょ?」


香ばしく濃厚な香りに、少しだけ果物特有の甘い香り。
それぞれが特色を持ちながら、もともとは一つとして生まれたかのような完璧な一体感。


「なるほどな。カクテルとは、例えるなら酒を使って酒をつくる料理というわけか」


「いいこと言うじゃない」

「私もねかつてこう思ったのよ。もうこの世には新しい酒なんて生まれてこないんじゃないかって」

「だってそうでしょう?ワインだってビールだって起源を辿れば何千年も前にできてたわけだし」

「最近の工業化で蒸留酒が出回るようになったときは、久々の新しい酒だってそりゃもう歓喜したものよ」

「技術革新による新製法なんてものは、そうそう考え出されるものじゃないしね」


遊び人の言葉が止まらない。酒の話になるといつもこれだ。


「そんな時に、このカクテルを私は知ったのよ。工業的な技術によらない、文化的革新」

「組み合わせ方によって、無限に広がっていく味・香り・風味!」

「酒の行きつく先、それこそがこのカクテルなのよ!」


ぱちぱちぱち。
思わず拍手してしまっていた。


「ちなみに、この世界にカクテルバーはここしかないわ」


さらっと新情報。


「じゃあ、ここが酒の文化的最前線というわけか」


「いえ、実はそういうわけではありません」


マスターが、新たにグラス注がれたスクリュードライバーを俺の下へと静かに寄越す。
俺は、魔王によく似た男をじっと見つめる。奴は、にこにことするだけで口を開く様子がない。
まるで、俺からの催促を待っているようだ。


「……遊び人、そろそろこの店とこの男のことを教えてくれ」


誰がお前に催促何かするものか。


「では、マスター。ご指名ですので」


遊び人がおどけて畏まると同時にマスターがしたり顔を寄越してきた。
ぶん殴ってやろうか。




「お客様、いえ勇者様と呼ばせていただいてもよろしいですか?」


俺は言葉を発さずに頷く。


「では勇者様、先ほど貴方がおっしゃったことですが半分は正しいです」
「ここは、この世界においては酒の最前線と呼べるでしょう。しかし、更なる先が存在するのです」


どこに?


「異世界です」


話を聞き終えた俺の頬を一雫の涙が流れ落ちた。
悔しくても認めなくてはならない。
この酒場の主人はただものではないということを。
彼が語る物語は、実に雄大かつ繊細で聞く者を皆惹きつけてしまう魅力をもった物だった。
あまりの面白さに、小便を我慢しすぎて漏れてしまう寸前だったほどである。あるいはこの頬を伝った涙は心の小便なのかもしれん。
あぁ、自らの表現力の乏しさを皆さまに暴露してしまうのが実に恥ずかしいが彼の話を俺なりに要約しよう。

マスターは名門戦士家の嫡男として生を受けたが、その興味は剣や魔法だけではなく酒へも向けられた。
しかし、その家柄から若き日々はその鍛錬へと費やされマスターの酒への欲求は日々積もるばかりであった。
マスターは長き日を耐え続けた。そうして遂に、妻をとり子をなし自身の息子が成人を迎える日に至ってその欲望が爆発した。

成人したばかりの息子に、即座に当主の座を譲り自らは未だ出会わぬ酒を求めて旅に出たのだ。
マスターの旅は、この世界の隅から隅までを探索しつくし遂には異世界へと足を延ばすこととなる。
煌びやかな鉄の車が走り、地上に星が生えたかのよう明るさを持った街にたどり着いたマスターは遂にカクテルと出会う。

しかし、いつからかマスターは酒を飲むだけでは満足できなくなってしまっていた。
彼に沸いた新たな欲求は、故郷の酒飲み友達とともにカクテルを酌み交わしたいというものであった。
そうして一念発起したマスターは、異世界でカクテルの技術を修めこの世界へと舞い戻り店を開くに至ったのであった。


「おやおや、つい長話を……失礼いたしました」


マスターが手持無沙汰にグラスを磨く。
グラスからは、乾いた音がした。


「さて、仕事に戻りましょうか。お次は何にいたしますか」


「マスターに任せる」


「それでは、勇者様はお酒に強そうですので少し強めの物をご用意いたしましょう」


マスターの話を聞いたからだろうか、俺はマスターの仕事に少し興味が湧いたようだ。
俺は、カクテルが作られる様子を観察することにした。

マスターは少し大きめのグラスを用意し、その中に氷を敷き詰める。
その氷は、先ほど刻んでいた球形のものとは違い荒く大きく削られたものだった。
ふと、そこでマスターの手が止まる。
訝し気に、マスターに目を向けるとうっかり目が合ってしまった。
マスターはにっこりと笑顔を返してくる。


「しかし、こんなにうまい酒を出す店ならもっと大きくすればいいのに」


壮年の男と見つめあうことに耐えきれなくなった俺は、適当に話を持ち出した。


「でなくても、弟子をとって店を増やすとか」


「ええまあ……」


マスターの返事はどうにも歯切れが悪いものだった。
しかし、その言葉とは裏腹にマスターの手はよく動いている。
流れるような手つきで、棚から大小入り混じった酒瓶を取り上げてカウンターにならべる。
それらを少量ずつグラスへと放り込み、5寸ほどある金属の棒でかき回す。


「それね、私も言ってるのよ。この店って来るのが大変だから、ほかにもカクテルが飲める店が欲しいって」
「禁酒法下にあるこのご時世に酒の文化を一歩前進させるなんて反社会的で格好いいじゃない」


「まあ、これだけ画期的な酒なんだ。他には漏らしたくないという気持ちもわかる」


「いえ、カクテルを独り占めしたいというわけでは無いんです」


できあがったカクテルを静かにグラスへと移していく。
グラスにはオリーブの実が沈められている、美しい緑色がマンハッタンのチェリーとはまた違う雰囲気を醸し出している。
グラスの淵に盛り上がるほどカクテルが注がれていく。あんなに並々に注がれていては、持ち上げて飲むことなんてできないんじゃないだろうか。
ましてや、酔ったこの身ではなおさらだ。

溢れんばかりのグラスは、マスターによって一滴も零されることなく俺の手元へと運ばれてくる。
その手際からは、少しでも動かせば零れるのではないかという危惧を一切感じさせない。


「ドライマティーニです」


案の定、持ち上げようとして少しだけこぼしてしまった。
こういうところでスマートにこなせない自分が嫌になる。

マティーニを口に含むと、強く、しかし爽やかなアルコールがそんな嫌気を払ってくれるようだった。
この青臭さはオリーブだろうか?いや、それだけではない。僅かではあるが、何か他の香りが混じっている。


「ドライですので、ほとんどストレートに近いですよ。如何でしょうか?」


「うまい」


率直な感想しか出てこない。
酒を零してしまったことといい、どうも俺は気取った動きというのが苦手なようだ。
まあ、隣に座っている女はそんなこと一切気にしないのであろうが。


「私は、普通のマティーニがいいな」


「かしこまりました」


「そういえば、この店はどこにあるんだ?」


ふと浮かんだ疑問を遊び人にぶつけてみる。


「知らない」


「知らないってことは無いだろう。君はよくこの店に来るんだろう?」


「マスターに聞いてみたら」


なるほど、遊び人の言うとおりだった。
マスターを伺うと、忙しそうに遊び人のマティーニを作っている。


「残念ですが場所はお教えできません」


おやおや?なぜ店の場所を隠す必要があるのだろうか。
カクテルのあまりのおいしさに酔い沈んでいた勇者的直観がひょっこりと顔を出してくる。

いや、もちろん禁酒法下にある現在おおっぴらに営業することはできないのだろう。
故に、場所を明らかにしないというのは、まあわかる。
しかし、なぜ既に店にたどり着きカクテルを味わっている俺や遊び人にすら場所を隠すのだろうか。

その徹底的な秘匿主義に、マスターが魔王そっくりの男であることも加えて急に危機感が沸いて来た。
何をやっているのだ俺は、ついうっかりカクテルのうまさに流されていたぞ。

ここのところそればかりだ。
酒がらみになると、すぐに油断してしまう。

そもそもの話、ここは酒場なのだ。
ならば、酒の卸元である魔王一味とも何らかの関りがあるはずではないか。


「なぜ、場所を隠すんですか?」


俺の緊張を知ってか知らずか、マスターは眉一つ動かさず口を開いた。


「先ほどの話ともつながるのですが、わたくしは異世界でカクテルを学びました」

「それはいわばズルです。この世界の人々も日々研鑽し、進化し続けている。しかし、私はその過程をすっとばし進んだ異世界からカクテルを持ち込んだ」


声のトーンが少しだけ沈んでいる。
まるで懺悔を聞いているようだ。


「わたくしは、この世界が自らカクテルにたどり着くまで店の存在を公にするつもりはないのです」

「『Bar ゾクジン』は世界が進化するまでの繋ぎ、わたくしのズルに付き合って頂けるほんの僅かなお客様だけにカクテルを提供しています」


遊び人のほうを見ると「初耳」と声に出さず返してきた。


「じゃあ、俺はこの店に来たい時どうすれば―――」

いや、そもそも俺はどうやってこの店に来たんだったか……
そうか、この店は。


「そう、ここは千鳥足テレポートでのみ来店が可能な店なのです」


かつて、遊び人から千鳥足テレポートの仕組みを聞いたことがあった。
「この魔法は酔っ払いが二件目を探すための魔法」「遊び人御用達の魔法」「とあるバーのマスターが作った」


「もしかして、千鳥足テレポートを作った大賢者って」


「大賢者だなどと恥ずかしいですが……」


酒好きここに極まれりといったところか。
こんなヘンテコな魔法を作ったやつは、相当な変わり者だろうと踏んでいたが。
酒を求めて異世界を渡り、あまつさえ自分の店を開いてしまうほどの遊び人だとは思いもしなかった。

肩から力が抜けていく。
マスターの言には嘘偽りがあるようには思えない。
少なくとも、俺が勇者として葬り去らなければならない類の者ではないはずだ。

だがしかし、新しい魔法を作り出せるほどの大賢者であり、さらには名門の戦士の家系という事実が。
俺の勇者的直観が、ある結論を導き出していた。
ならば、俺は職責を全うしなくてはならない。確かめなくてはならない。


「マスター、あなたは魔王の……」


「父親です」


やはりそうだ。マスターは現魔王の父親、すなわち先代の魔王だったのだ。
というか、魔王にそっくりな時点でその可能性をまず追うべきだったのだろう。
どうも俺のポンコツ加減に磨きがかかっている。原因は、もちろん酒と……女……つまるところ遊び人にあるのだろう。

だが堕落に甘んじているわけにはいかない、俺は自身に気合を入れなおすために剣の柄に手を触れる。
抜くつもりはない。あくまで俺が何者であり、何を求めて旅をしているのかを思い出すための所作にすぎない。
遊び人がチラリとこちらに目を向けている。


「ここの酒は息子。つまり魔王から直接仕入れているんじゃないのか?」


仕事モードに入ったためか、自然と口調が強く問い詰める形になった。


「まさか、我が不肖の息子が卸す酒はこの棚に並べられた素晴らしき酒たちとは比べ物になりません」
「ここにある酒は、すべて異世界より持ってきたものです」


「では、魔王の行方は」


「全く存じ上げません」


マスターの目をじっと見つめる。
魔族特有の、マンハッタンのように赤い瞳は、静かにだが強く輝いている。

剣の柄から手を離す。やはり、そこには嘘はないと判断したからだ。
人目をはばからず、息をふーっと吐き出す。
限りなく僅かと言えど、先代魔王と一戦交える可能性すらあったのだ無理もないだろう。
それに、カクテルの味を知ってしまった身としてマスターに剣をかけずにいられてホッとしたことも大きい。


「くだらない質問はおわった?」


遊び人からの棘のある質問が届いた。
こっちは、どこかの誰かとは違い真剣なのだと少しムッとしてしまう。


「くだらなくはない。酒場で情報を聞いて何が悪い」


「馬鹿ね、酒場は魔王を探しに行く場所じゃないわ」


さんざん、一緒に千鳥足テレポートで魔王を探してきたというのに何を言っているんだ。


「じゃあ、なんだと言うのだ」


「お待たせいたしました。マティーニです」
「割り入って恐縮ですが勇者様、酒場は酒を楽しむところですよ」


なるほど、マスターが言うと説得力がある。
ならばしかたない。


「マスター。もう一杯頼む」


夜はまだまだ終わりそうにない。


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