犀川のクジラ

みん

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プロローグ

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犀川でクジラを見た。

僕の父は亡くなる一週間前、病室のベッドの上でそう言った。
父は身体が弱く病院で過ごすことが多い人だったが、けして虚言を言うような人では
なかった。

いつもは穏やかに落ち着いた声で話す父が少年のように目を輝かせ、犀川に現れたクジラの話を語った。

当時僕は十歳で、「クジラ」という大きな生物は図鑑のなかでしか見たことがなかったので、少年らしく目を輝かせて父の話を聞いたことをよく覚えている。翌日、母は父に頼まれて五冊綴りのキャンパスノートを買ってきた。どこにでもある普通のノートだ。

それから父は亡くなるまでの一週間、熱心に何かを書き記していた。身体に悪いからそんなに根つめないでよ、と笑う母に、おれの最後の仕事なんだよ、と言って父も笑った。
父は、病気で枝のように細くなった腕を懸命に動かして書きつづけた。

そして、父は死んだ。

父の葬式が終わると、僕と母は犀川の河川敷に座り、一緒に夕陽を眺めた。母は葬式の間ずっと持っていた黒いかばんから、五冊のノートをとりだして、僕に渡した。

父が書きつづけていたノートは、僕に向けたものだったのだ。
【考察1】と書かれたノートを開こうと手をのばすと、とつぜん強い風が吹き、ノートがペラペラとめくられていった。風に吹かれてめくられていくページを見ていると、隅から隅までびっしりと文字と絵が書き記されているのがわかった。

文字は走り書きで記されていて読みづらく、絵は稚拙で何の絵かわからないものもあった。

風がおさまり、ノートの最初のページをひらくと、そこにはくっきりと力強く描かれたクジラの絵と僕へのメッセージが書いてあった。

恭二郎、お前にこれを託す
メッセージは、たったの一文だけだった。恭二郎、というのは僕の名前である。

託すって言ってもねえ、なんなのこれ、と言って母は困った顔をして笑った。
僕は当時十歳で、その膨大な量の文字と絵が、なにを表すのかが理解できなかった。

ただ、最初のページにくっきりと描かれていたクジラの絵とメッセージに、父の想いが強くこめられていることだけは分かった。

ノートをしまい、僕と母はしばらく犀川を一緒に眺めていたが、父の話したクジラが現れることはなかった。
それはそうだ。

こんな浅瀬にクジラがいたら、きっと大騒ぎになる。

クジラいないねと母に言うと、母は目に涙をいっぱいに溜めて、僕の頭をなでてくれた。

おとうさん嘘つきだねと言い、母は笑った。


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