犀川のクジラ

みん

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1章 春

2話

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春は多くの人たちにとって、はじまりの季節だ。僕がはたらく十文字書店では主に学生たちのはじまりをサポートするため、大量の本が入荷されてくる。

近くにある小・中・高校、国立大学や短期大学、美術大学の参考書まで扱っている十文字書店には各学校から入荷依頼が舞いこむ。

ふつうなら小さな個人商店にここまで依頼がくることはないのだけれど、この書店はいまの店長で四代目となる。古くからの歴史があるこの書店は、地域への密着度が半端ではないのだ。

「むとー、朝からごくろうさんだね」

大量の本を保管するための倉庫を片づけていると、背中越しに女の子の声が聞こえる。

「おはよう羽衣ちゃん。朝はやいんだね」

「おとうさんがね、こねこパンの食パン食べたいっていうから買ってきたんだ。むとーには、カレーパンあげる」

僕のことを「むとー」と呼ぶ小さな女の子は十文(じゅうもん)字(じ)羽衣(うい)ちゃんと言って、店長である十文字の一人娘である。

今年の春から小学3年生になる羽衣ちゃんは小さいころに母親を亡くしているからか、年齢の割に大人びたところがある。

「ありがとう。羽衣ちゃんはなに食べるの?」

 僕は羽衣ちゃんの小さな手からカレーパンをうけとる。パン屋の朝は早く、出来立てなのだろう、ほかほかとした感触が手につたわる。

「おとうさんと、いちご大福パンをつくるんだよ」

「いちご大福とパンかあ、斬新な組み合わせだね」

「ざんしん?三振なら知ってるよ、富田選手はよく三振するからこいつはセンスがない、ダメダメだっておとうさん
がよく言ってるもん」

十文字店長はプロ野球観戦が好きで、よく書店でも野球の話をしている。この場面でヒットを打てるあいつはいぶし銀だ、とか普通このタイミングでピッチャーを代えるか!などと褒めたり怒ったりいそがしい。十文字書店は朝9時から夜9時まで開店しているので、彼は書店に小型テレビをもちこみ、夜になると音量を消して真剣な顔をして観戦している。

「羽衣がつくるパン、ダメダメかな?三振?」

「ダメじゃないよ。斬新というのは、羽衣ちゃんらしい発想でセンスが良いな、っていう褒め言葉だから」
僕は簡単に説明をすることにした。あまり難しく言っても、小学三年生には伝わらないとおもったからだ。

羽衣ちゃんは小首をかしげて、
「ふーん、富田選手は三振で、羽衣は“ざんしん”なのか。むとーはいっつも言葉がむずかしいね」と言う。

「ごめん、もうすこし分かりやすい言葉で言えばよかったね」

「ううん、いいの。わたしおとうさんみたいになりたいから、むずかしい本をたくさん読むようにしてるんだ」

「店長みたいになりたいの?」

「そう。おとうさんはいっぱい本よんでて、いろんなことを知ってるんだよ」

十文字は本屋の店長なので、仕事上多くの本を知っておく必要がある。文芸書や絵本、ビジネス書や参考書など単に“本”といっても多くの種類があるため、書店員にとって日々の勉強や情報収集はかかせない。そうした仕事柄、雑学のような知識が身についてくるのはたしかである。

「羽衣ちゃんは将来、すごい人になるかもしれない」

「富田選手より、センスが良いからね」
むとーも見どころあるよ、と言いのこすと、羽衣ちゃんは書店の二階にある自宅へと入っていった。

僕は作業を中断し、羽衣ちゃんがくれたカレーパンを食べる。カリカリの衣はサクッと小気味の良い音をたて、中から熱々のカレーがでてくる。
「こねこパン」のカレーパンは絶品だ。

朝からがっつり食べるのも悪くないな、と思う。

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